老店主の命を懸けた想いを前に、沈痛な空気が流れていた首相感貞を後にし、スレイたちはすぐさま新宿の極秘アジトへと帰還した。
悲しみに暮れている暇はない。あの優しい店主を青い炎で焼き殺した連中に、一刻も早く地獄の底を見せてやらなければならないのだ。
「……まずは、出所の特定ね。都内の業者を中心に、例の工業用溶剤(塗料剥離剤)の購入履歴を片っ端から洗い出すわ」
マリアが、ドレスの裾を翻してPCルームのコンソールに座り、凄まじい速度でタイピングを開始した。
「マリア。購入履歴だけじゃなく、業者の紛失や在庫ズレのデータも照合してみて。必ず帳尻が合わなくなっている場所があるはずよ」
モニカが、腕を組んで的確な条件を付け加える。
「あっ、そっか! 食堂を燃やすのに大量に使っちゃったから、絶対にどこかの倉庫から減ってるはずだもんね!」
リルがポンッと手を叩く。
「なるほどね! モニカ頭い〜っ! まじリスペクトっしょ」
メイコも、その完璧なプロファイリングに感心して目を丸くした。
特殊な工業用溶剤は、法人(プロの解体業者や建設業者)でしか購入できない劇薬だ。
実行犯はおそらく、金で雇われたどこかのゴロツキかチンピラだろうが、彼ら自身が正規のルートでそれを手に入れることは不可能である。
「……マリア、金の流れだ。実行犯から、依頼主(ABC不動産)を逆に追えないか?」
スレイが、PCモニターを背後から見下ろしながら、しゃがれた声で指示を出す。
「ええ。モニカの言う通り、ABC不動産の裏金から、直接実行に動いているお金の記録があるはずよ……探すわ」
マリアがABC不動産のダミー会社や裏口座のネットワークに深く潜り込み、不自然な金の流れをフィルタリングしていく。
その時、隣で画面を覗き込んでいたリルが、ある一行のデータに指を差した。
「ねぇマリア、……これじゃない?」
「ほんとだ。ばいやー、企業からの振込先が、法人じゃなくて個人名になってるよ」
メイコのチート級の直感とリルの嗅覚が、巨大な帳簿の海から、たった一つの不審な送金記録を見事に釣り上げた。
「……よく見つけたわね、二人とも。……こいつね。口座の登録住所は……高円寺のボロアパートにいるわ」
マリアが即座に、その個人名を顔認証データベースと前科者リストに照合する。
その高円寺の住所の文字をモニターで確認した瞬間。
スレイは無言のままコートの襟を立て、銀色のジッポライターをポケットに突っ込むと、足音も立てずにPCルームから姿を消していた。
「……しかし、個人宛にこの桁の金額はおかしいわね。表のボーナスだとしても多すぎる」
モニカが、その異常な振込額に疑念を向ける。
「絶対、悪いお金だ〜! 子供食堂を燃やした悪い奴らのお金だ!」
リルが憤慨してキーボードを軽く叩く。
「ねぇマリア、こいつの前科とかは出ないの〜?」
メイコの質問に、マリアはため息をついて男の顔写真を大写しにした。
「……まさにゴロツキ、チンピラの類ね。傷害、恐喝、強盗のフルコース。しかも放火の前科持ちよ」
「マリア、こいつのGPSをスマホから調べてちょうだい」
マリアが即座に犯人の通信履歴と位置情報をハッキングする。
「……ダメね、肝心の火事の日の夜は、スマホの電源が切られているわ。さすがに、食堂を焼きに行くときは足がつくスマホなんて持っていかないわね」
だが、そんなプロ気取りのゴロツキでも、裏の掃除屋の検索網からは逃れられない。
「でもさー、この火事の二日前のGPS……ここって、ABC不動産の所有している資材倉庫じゃない? なんでこんなとこ行ってるんだろ」
メイコが、地図上の光点を見ながら不思議そうに首を捻る。
そのメイコの一言で、マリアとモニカが全てを理解したように顔を見合わせた。
「……なるほど。ここで、例の工業用溶剤(塗料剥離剤)を受け取ったのね! 法人しか買えない劇薬を、ABC不動産の裏の人間から直接手渡されたってわけだわ!」
マリアの叫び声に、謎のすべてが氷解した。
「やったぁ! スレイ、犯人わかったよ!」
リルが満面の笑みで後ろを振り向く。
「あれ? スレイはどこにいったの?」
しかし、そこにはすでに漆黒の巨漢の姿はなかった。
「……あいつ、住所を見て、もうコート羽織って出立したの!?」
マリアがやれやれと肩をすくめ、モニカが呆れたように笑った。
仲間たちの優秀さを信じているからこそ、スレイは犯人の正体が完全に裏付けられるよりも早く、無言のまま処刑のフライング・スタートを切っていたのだ。
――同時刻。東京都杉並区、高円寺の某所。
薄暗い路地裏のボロアパートの前に、すでに怒りのリミッターを外した最強の暗殺者が、音もなく到着していた。
『――ピンポーン』
スレイがインターホンの呼び鈴を短く鳴らすと、室内からドスドスとだるそうな足音が近づいてきた。
ガチャリ、と金属のドアチェーンが掛かったまま、細く扉が開く。隙間から顔を出したのは、酒とタバコ、それに違法薬物の匂いをプンプンと漂わせた、ガラの悪い放火魔のゴロツキだった。
「あぁ? 誰だよおめぇわ? 宗教の勧誘なら帰れや」
不機嫌そうに凄むゴロツキ。しかし、目の前に立つ漆黒のコートを着た2メートル近い巨漢を見上げた瞬間、その顔に微かな怯えが走った。
「…………」
スレイは無言のまま、ドアの隙間に丸太のような腕をねじ込んだ。
「なっ、てめぇ何し――」
『――バキィッ!! メリメリメリッ!!』
スレイが顔色一つ変えずに強引に扉を引くと、壁に固定されていた強固なドアチェーンの金具が、木枠ごとあっさりと引きちぎられ、扉が勢いよく吹き飛んだ。
「ひっ!?」
尻餅をつきそうになりながら後ずさるゴロツキをよそに、スレイは土足のまま室内へと侵入し、冷たく見下ろした。
「……誰の依頼で、阿佐ヶ谷の食堂に放火をした?」
絶対零度の声。しかし、ゴロツキはプロの犯罪者気取りでニヤリと笑い、とぼけようとした。
「はっ? 何言ってんのかわかんねーな! 勝手に上がり込んできやがって、ケーサツ呼ぶぞコラ!」
「……そうか」
交渉決裂。スレイの制裁に、一片の容赦もなかった。
『――ドゴォッ!!』
「がはァッ!?」
スレイの革靴が、ゴロツキの膝の関節を情け容赦なく蹴り砕く。さらに、くの字に折れ曲がって蹲ろうとした男のみぞおちへ、下からえぐるような強烈な膝蹴りを叩き込んだ。
「げぇっ、ごほぉッ……!」
胃液を吐き出しながら、ゴロツキがヤケクソでスレイの顔面を殴ろうと拳を振り回す。
『――メキッ!』
「ぎゃああああああッ!!」
スレイはその拳を片手で軽々と払い除けると、空いた手でゴロツキの顔面を鷲掴みにし、そのまま鼻骨を粉々にへし折った。
顔面を血に染め、床をのたうち回る放火魔。
スレイはポケットから銀色のジッポライターを取り出すと、カチャリと蓋を開け、親指で火を点けた。
チロチロと揺れるその炎を、無慈悲にもゴロツキの頭へと近づける。
『ジリリリッ!』
「あちちちっ!? ギャアアアアッ! 燃える、髪が燃えるゥゥッ!!」
工業用溶剤で食堂の老店主を焼き殺した男が、自分の髪の毛をチリチリと燃やされて無様な悲鳴を上げる。
「……吐け。誰に雇われた。次は目玉を焼くぞ」
スレイが地獄の底から響くような声で凄むと、恐怖と激痛で完全に心が折れたゴロツキは、涙と鼻水と血を垂れ流しながら絶叫した。
「ひぃぃぃっ! は、吐く! 吐くから許してくれェッ! 依頼してきたのは、ABC不動産の……経営部長のBBBと、企画部部長のCCCだ!! あいつらから金と溶剤をもらったんだよぉぉッ!!」
決定的な尻尾の自白。
それを聞き遂げたスレイは、ジッポライターの蓋をカチンと閉じて火を消した。
「……そうか。素直に吐いたなら、許してやる」
「ほ、ほんとか……ッ?」
安堵の表情を浮かべたゴロツキの顔を、スレイはゴミを見るような氷の瞳で見下ろした。
「ああ、お前が俺の時間を奪ったことは許してやる。……だがな」
スレイは、太い腕の拳をこれでもかと固く握りしめた。
「……これは、あの食堂の店主の命の分だ」
『――ドゴォォォンッ!!』
「あべぇッ!?」
「……そしてこっちは、あそこでお腹を満たしていた、子供たちの奪われた笑顔の分だ……ッ!! 受け取れ」
『――バキィッ! ゴシャァッ!!』
そこから先は、一方的な蹂躙だった。
自分の私利私欲のために、子供の笑顔と尊い命を奪ったクズに、スレイの怒りの鉄拳が何度も、何度も振り下ろされる。
数分後。そこには、原型を留めないほどズタボロになり、白目を剥いて完全に意識を刈り取られた肉塊(ゴロツキ)が転がっていた。
「……ふぅ」
スレイは軽く手を払い、タバコに火を点けると、山田相姦に連絡し何事もなかったかのようにアパートを後にした。
その直後、入れ替わるようにサイレンの音と共に、警視庁トップ・山田相姦の率いる部隊がアパートの周辺を取り囲んだ。
『突入ッ! 確保ォォッ!!』
武装警官たちが室内へ雪崩れ込むと、そこにはボロ雑巾のようになった放火魔が転がっている。そして、部屋の隅のテーブルには、ご丁寧に違法薬物と使用済みの注射器が散乱していた。
スレイは通信機をオンにし、山田へと報告を入れた。
「……例の放火・麻薬犯だが。ターゲットが凶器を持って攻撃してきたので、反撃した」
『……了解した。この男は、違法薬物の所持及び使用、その他もろもろの別件で逮捕する。……放火の裏付けは、ゆっくり取らせてもらう』
これで、実行犯の口封じは終わった。
残るは、真の標的であるABC不動産のクズ共だ。
スレイは夜の闇を歩きながら、首相感貞の環萌美総理とマリアの裏回線へと繋いだ。
「……マリア、総理。アタリだ。阿佐ヶ谷の下町の食堂を焼き払うよう指示したのは……ABC不動産の、経営部長BBBと、企画部部長のCCCだ!」
『……よくやったわ』
総理の、冷たく研ぎ澄まされた声がインカムに響く。
『総理! 今すぐ裏から手を回して、警察の捜査令状の用意をお願いします!』
『了解、すぐに発行させるわ。……さあ、反撃の時間よ』
マリアと総理の素早い連携が決定する。
『スレイ〜! 一人で行っちゃダメだよ〜! 私も行きたかった!』
インカムの向こうから、置いてけぼりを食らったリルが悔しそうに叫んだ。
子供たちの手紙と笑顔を守った老店主の無念を晴らすため。
裏の掃除屋たちは、いよいよ巨大企業の首を獲りに向けて動き出すのであった。
数々の物的証拠に状況証拠。そして、実行犯であるゴロツキの完全な自供。
これだけのピースが揃えば、表の警察組織を動かすことができそうだ。警視庁トップ・山田相姦の迅速な手回しにより、ABC不動産への家宅捜索の令状を取るのには何の問題もないと判断された。
翌朝。都心にそびえ立つABC不動産の本社ビル。
『――警察だ! 捜査令状が出ている! PCの電源を落とし、全員その場から動くな!!』
エントランスの自動ドアが開き、数十人の山田部隊が雪崩を打って突入する。
優雅な出勤風景だった社内は、突如として現れた完全武装の警官たちによって、何事かと騒然とした空気に包まれた。
そして。その黒い制服の波に続くようにして、漆黒のコートに身を包んだ巨漢――スレイが、静かな怒りを纏いながらロビーへと足を踏み入れた。
「なんだ君たちは!? 営業妨害だぞ!」
「やめろ、俺のPCに触るな!」
警官たちが手際よくフロアを制圧していく中、ロビーの中央へと二人の男が乱暴に引っ張り出されてきた。
実行犯に工業用溶剤と裏金を渡し、阿佐ヶ谷の下町の食堂を焼き払うよう指示した張本人。ABC不動産の経営部長であるBBBと、企画部部長のCCCだ。
「離せ! 俺は何もしていない! 放火なんて何のことかわからない!」
BBBが血相を変えて喚き散らす。
「違う違う! 誤解だ、うちは真っ当なデベロッパーだぞ! 弁護士を呼べ!!」
CCCも警官の拘束を振り解こうと、往生際悪く腕を振り回して暴れまわる。
数十億の違約金を惜しんで他人の命と想いを踏みにじった分際で、いざ自分たちが追い詰められると無様に責任を逃れようとする。その腐りきった性根に、スレイの奥歯がギリッと鳴った。
「こんな大勢の前で、制圧しちゃっていいのかな?」
スタンガンを構えるリルが、流石に周囲の目を気にして呟く。
その時、スレイの耳元のインカムから、環萌美総理の透き通るような、しかし絶対的な権力を孕んだ冷酷な声が響いた。
『……あら。あんなに暴れて抵抗してくるなんて、野蛮な男たちね。……山田部隊に危害が加わったら大変だわ。スレイ、反撃しても仕方ないんじゃない?』
この国の最高権力者(トップ)からの、公衆の面前での「超法規的処刑許可」が下りた。
「……了解した」
スレイは低く呟くと、暴れるBBBとCCCの前に立ちはだかり、無言で丸太のような腕を振り上げた。
「ひっ――」
巨漢の凄まじいプレッシャーにBBBが怯んだ瞬間。
『――ドゴォォォンッ!!』
「あべぇッ!?」
スレイの容赦なき怒りの鉄拳が、BBBの顔面を真正面から打ち砕いた。
鼻骨がへし折れ、顔面の骨が陥没する鈍い音がロビーに響き渡る。BBBは悲鳴を上げる間もなく、血飛沫を散らして大理石の床に飛んでいった。
「……大人しく捜査に協力しろ!」
スレイはそう叫びながら(名分を作りながら)、倒れたBBBの鳩尾に強烈な蹴りを入れる。
「グハッ……!」
BBBが白目を剥いて気絶する。
「て、てめぇ……警察の目の前で何して……ッ!」
CCCが腰を抜かしながら後ずさるが、そこには金髪の少女――リルがいた。
「はーい! 火よりは熱くないよ! 安心してね!」
『――バチバチバチッ!!』
「ギャアアアアアアアアッ!!?」
CCCの首筋に、スタンガンのMAX出力が叩き込まれる。
「……お前たちが焼いたのは、ただの古い建物じゃない。……子供たちの笑顔だ」
『――メキィッ!! ゴシャァッ!!』
「あぎゃああああああッ!!?」
スレイの革靴が、痺れて動けないCCCの腹部を情け容赦なく蹴り飛ばす。
内臓が破裂するほどのすさまじい衝撃に、CCCはくの字に折れ曲がり、数メートル先の受付カウンターまで吹き飛ばされた。
「抵抗しないで大人しく捜査に協力しろと、言っているだろうが!」
実際はもう何も抵抗しないが、そんなことは気にしない。スレイは容赦なくCCCの顔面に拳を叩き込む。
「グヘェ!」
ロビーにいた大勢の社員たちが、悲鳴を上げて震え上がる。
しかし、その凄惨な暴力(制裁)を目の前で見ていた山田部隊の小隊長は、極めて真面目な顔でトランシーバーを手に取り、こう報告した。
「……こちら山田部隊。被疑者両名が激しく抵抗してきたため、刑法36条・正当防衛の行使を確認しました。現場の安全は確保されています」
あまりにも見事な警察ぐるみの隠蔽(合法化)に、スレイは小さく鼻を鳴らした。
その後、完全に沈黙したBBBとCCCが救急車(という名の護送車)に放り込まれ、本社ビルからは段ボール箱に詰められた大量のPCや書類が次々と押収されていった。
マリアのハッキングですでに目星はついている。薬品の不正な在庫隠しや、裏社会への金の支出など、調べれば調べるほどに真っ黒な余罪が山のように出てくるだろう。
ABC不動産という巨大な悪の組織が、社会的に完全に息の根を止められるのは時間の問題だ。
スレイは、パトランプの赤い光が明滅するエントランスの外へ出て、ゆっくりと安物のタバコに火を点けた。
深く紫煙を肺に入れ、空へ向けて吐き出す。
「とりあえず、制圧完了! ……でも、あの優しい食堂の店主が戻ってくるわけではないんだよね」
リルが、悲しそうに呟く。
「たぶん店主の一番の無念は、子供達の成長が見れないことなんだろうなぁ」
メイコも、空を見上げて寂しそうに言った。
どれだけ犯人を殴り飛ばし、企業を破滅させたところで、あの優しい食堂の店主が戻ってくるわけではない。
彼の無念が完全に晴れることは、永遠にないだろう。
焼け残った金庫の中にあった、子供たちの似顔絵と手紙。
命に代えても彼が守り抜いた本当の価値は、炎の記憶と共に、永遠に失われてしまった。
――後日。
テレビのニュースキャスターが、大手デベロッパーの巨悪が暴かれたことを大々的に報じていた。
マリアのハッキングで提出された裏帳簿と、山田部隊の家宅捜索による徹底的な調査の結果。
ABC不動産は経営部長と企画部部長だけでなく、裏金や地上げに関与していた一部の幹部と社員も、芋づる式に逮捕された。
さらに、都内で相次いでいたタコ足配線による漏電事故』されていた不審な下町連続火災についても、同一のプロの放火犯とABC不動産による犯行として、ついに警察の本格的な再捜査が進められることになった。
老店主の命を奪った巨悪は、完全に社会から抹殺されたのだ。
――ある夜。新宿アジト。
リビングのソファでスレイの分厚い胸板に頬を擦り付けながら、リルはふと何かを思い出したように、ぺちゃりとした自分の胸の膨らみに視線を落として唇を尖らせた。
「……うーん! やっぱり、アタシの胸ではパイズリできない!」
「……そんなことは、しないでいい」
スレイが呆れたようにため息をつき、リルのブロンドの髪を無骨な手で撫でる。
「でも! でも! 最近、スレイを狙うライバル(サヨリ)が増えたし!」
「いや……そもそも他に誰がいるんだ。俺はお前たち以外に気を許した覚えはない」
「いっぱいいるもん! マリアもモニカも超美人だし! メイコちゃんもピチピチでかわいいし! シルビアお姉ちゃんも、世界レベルの美人だよ!」
「……ちょっと待て」
スレイは、自分を見つめる純真な瞳を前に、ピタリと動きを止めた。
「……なぜそこで、実の姉(シルビア)の名前が出てくる」
「えっ? だって、お姉ちゃんスレイのこと大好きでしょ?」
「あれは家族愛のバグったモンスターだ。同列に語るな」
背筋に冷たい汗をかきながら、最強の暗殺者は必死に全否定した。
「……アタシなんて、胸もないし。それに……」
リルは少しだけ俯き、自分の顔――幼い頃の事故で負った、凄惨な傷の痕をそっと指でなぞった。
「顔に傷があるだけで、圧倒的にビハインドなの」
いくら明るく振る舞っていても、年頃の女の子だ。
美しいマリアやモニカたち、可愛いメイコと自分を比べて、心の奥底でコンプレックスを抱き、焦ってしまう夜もある。
しかし、スレイはその事故の痕がある頬を、大きな掌でそっと、壊れ物を扱うように優しく包み込んだ。
「……そんなこと気にするな」
「スレイ……?」
「その傷をバカにするような奴は、俺が全員殺す。そんなクズの基準で自分を測るな」
スレイの真っ直ぐで力強い言葉に、リルの瞳が揺れる。
「わかってる……。みんな、優しいもん……」
「胸のサイズとか、過去の傷とか……そんなつまらないことで、お前の本当の価値が損なわれることは絶対にない」
金庫の中の似顔絵がそうであったように。人の価値は、外見の美しさや金では決まらない。
スレイが自分に向けてくれる絶対的な愛情と肯定の言葉に、リルの心の中の小さな棘が、ふわりと溶けて消えていった。
「そっか……。じゃあ、いいや」
リルは安心したようにへにゃりと微笑むと、スレイの温かい胸の中で目を閉じ、そのままスヤスヤと穏やかな寝息を立て始めた。
スレイはシーツを掛け、窓の外の夜空を見つめながら、静かに目を閉じた。
――数週間後。阿佐ヶ谷の食堂の焼け跡。
炭化した瓦礫はすっかり撤去され、その更地では、新たな建物を建てるための再興工事が急ピッチで進んでいた。
ABC不動産という企業は解体寸前まで追い込まれたが。
彼らが交わしていた商業施設の工事契約書という法的な縛りと、総理と警察トップによる裏からの手回し(合法的な脅迫)により、その莫大な違約金と建設資金は、そっくりそのままこの下町の土地の再建へと流用されることになったのだ。
「わ〜! 結構完成に近づいてきたね〜! 出来たら皆で食べに来ようね!」
リルが、更地を見ながら嬉しそうに言う。
「店主はもういないけど、子供達のためにも続けて欲しいよね」
メイコが微笑む。
「どうせ、いつもどおりABC不動産のお金をロンダリングしたんでしょ」
マリアがやれやれと肩をすくめる。
「もう何回目よこのパターンは。でも、元は悪党の金だから、社会に役立つならいいんじゃない」
モニカも呆れながら同意した。
工事現場のフェンスには、ピカピカの真新しい看板が誇らしげに掲げられていた。
そこには、亡き店主の遺志を継ぐ新たな希望の名前が、デカデカと記されている。
「ねぇねぇ見て見て! 店主の意志を継いだのかな!?」
リルが指を差す。
「いや、絶対に自己主張でしょいつもの!」
メイコがツッコミを入れた。
工事の看板には、こう書かれていた。
――――――――――――――――――――
『 子供食堂 もえみのあい 予定地 』
――――――――――――――――――――
「また私物化している……」
マリアが頭を抱える。
「もう何回目よ、このパターン」
モニカがため息をついた。