見るもの見られるもの編(前編)
――ある休日。夕暮れ時の新宿・繁華街。
今日は久々に何の任務もない完全なオフ日であり、スレイたちはギャル大生メイコの花弁大学の講義が終わる時間に合わせて、繁華街で待ち合わせをして合流していた。
「……あーっ! このワンちゃん、すっごく大きい〜!」
リルが、繁華街の一角にあるガラス張りのペットショップのショーウインドウにへばりつき、無邪気な声を上げる。
「ほんとだー! 目がキラキラしてるね。……アタシたちに飼ってほしいのかなぁ」
合流したばかりのメイコが、リルの隣に並んで、ガラスの向こうで尻尾を振る大型犬を見つめて微笑んだ。
「……どうかしらね」
モニカが、優雅に腕を組みながら、ふと哲学的な疑問を口にする。
「人間に飼われるのって、本当にその生き物にとって幸せなことなのかな」
リルが首を傾げた。
「……人間からすると、わからないわね」
マリアが、少しだけ冷めた瞳でショーウインドウを見つめる。
与えられた檻の中で、安全とご飯を保証されて生きる命。
それは見るもの(人間)と見られるもの(動物)という絶対的な主従関係だ。
どちらが本当の幸せなのか、誰にも断言はできない。
スレイは、ジッポライターで火をつけ、無言のまま紫煙を細く吐き出して、ショーウインドウを見つめる家族の背中を静かに見守っていた。
「……さて。夕飯、何にしようか悩むわね」
モニカが、しんみりとした空気を切り替えるようにポンと手を打った。
「はいはい! アタシ食べたいお肉ある!」
リルが元気よく振り返って提案する。
「この前、萌美総理に聞いたんだけど、最高級のBチク和牛ステーキが凄い美味しいんだって!」
「いやだー! なにそれ! 等級おかしいっしょ!」
メイコが、顔を引き攣らせつつも笑っている。
「……ちょっとリル! そんな卑猥な和牛、この世のどこにあるのよ! ……総理が絡んでいる時点でお察しだけど」
モニカの、新宿の空に響き渡るような呆れたセリフ。
「ふふっ。普通のA5ランクの和牛でいいわよ。最近の任務のおかげで、萌美総理からの報酬もたっぷり余っているしね」
マリアが、呆れながらも気前よく笑う。
血生臭い裏稼業をこなしている彼らだが、その対価として得られる莫大な報酬のおかげで、経済的には極めて裕福だった。
そして、その経済的な裕福さは、間違いなく彼らの心の安定に直結している。美味しいものを食べ、温かいベッドで眠り、笑い合える。その当たり前の生活基盤があるからこそ、彼らは過酷な裏社会でも心をすり減らさずに生きていけるのだ。
――その夜。新宿、極秘アジト。
『ジュゥゥゥゥゥーーッ……!』
アジトの広々としたダイニングでは、プレートの上で最高級のA5ランク和牛が、食欲をそそる音を立てて焼かれていた。
「わ〜、凄い凄い! お肉の汁が凄く溢れてる!」
リルが、目を輝かせて鉄板の上を見つめる。
「いただきまーす! ……んん〜っ! 肉汁たっぷりで、超まいうーっしょ!」
メイコが熱々のお肉を頬張り、幸せそうに頬を緩ませた。
「……生き物には、感謝して食べないとね」
モニカが、昼間のペットショップでの会話を思い出したように、ワイングラスを片手に優雅に微笑む。
命をいただくからこそ、自分たちの血肉になるのだ。
「ええ。無駄にしちゃダメよね。……ほらリル、お肉ばっかりじゃなくて、ちゃんと野菜も食べなさい」
マリアが、母親のようにリルの皿に焼けたピーマンや玉ねぎを取り分ける。
「え〜! 野菜にがいからヤダ〜!」
リルが唇を尖らせる。
そんな、家族の温かく騒がしい夕食の最中。
マリアの傍らに置いてあったPCから、首相感貞の極秘回線からの着信音が鳴り響いた。
「あれっ? これパパからじゃない? 今日泊まるって連絡はしたけど」
メイコが不思議そうに首を傾げる。
モニターに映し出されたのは、大物議員Aの姿だった。
『……夜分にすまない。急ぎの任務ではないが……明日でいいので、全員で感貞まで来てほしい』
いつもより少しだけ神妙な面持ちの依頼主の要請。
肉汁滴る平和な食卓から一転、裏の掃除屋たちは、静かに動き出した次なる事件の気配へと、鋭い視線を向けるのであった。
――翌日。首相感貞、極秘地下作戦室。
昨夜の和牛の余韻も冷めやらぬまま、PCUの5人は、重厚な扉の奥へと足を踏み入れた。
円卓の奥では、大物議員Aが険しい表情でタブレットを操作し、環萌美総理は、パロディ高級時計グランド性交の秒針を眺めながら、退屈そうに脚を組み替えていた。
「……よく来てくれた。早速だが、案件の説明に入る」
大物議員Aがモニターに地図と数枚の現場写真を映し出した。
「湾岸エリアの古い地下浄水施設だ。現在は稼働停止中だが、先日、空調の定期メンテナンスに入っていた下請け業者の作業員2名が、無残な遺体で発見された。……所轄の警察の処理は、ダクト内での有毒ガス(一酸化炭素)発生による不慮の窒息死。いわゆる痛ましい作業事故だ」
「……スレイ達にお願いするには、もちろん訳があるわ」
萌美総理が、ルージュの唇を冷酷に歪めて口を開く。
「……山田相姦の部隊が、現場で強い違和感を覚えているのよ」
スレイは、ジッポで火をつけようとして止めた。
「山田相姦の違和感は、まず現場の状況だ。……亡くなったのはどちらもベテランの作業員。そんなプロが、ガス検知器の警告を無視して2人同時に死ぬなんて、あまりにも不自然すぎる。……それに」
大物議員Aが画面を切り替えると、複数の若者たちの顔写真が並んだ。
「……最近、歌舞伎町で相次いでいる若者たちの連続失踪事件。警察が密かに追っている件だが、彼らのスマホの電波が最後に途絶えた地点をマッピングしたところ……奇しくも、すべてがこの地下浄水施設の周辺だったんだ」
「……消えちゃった人と、おじさん達の事故が、何か関係があるってこと?」
リルが、不思議そうに首を傾げる。
「偶然にしては出来すぎっしょ〜。でも、地下浄水施設に若者が遊びに行くとも思えないし、何かありそう」
メイコが、派手なネイルを顎に当てて考え込む。
「……作業員と歌舞伎町の若者じゃ、普通に考えたら全く接点はないわね」
モニカが、優雅に腕を組み、プロファイラーの瞳で写真を分析する。
「……ええ。けれど、例えば借金とか、あるいは裏バイトの類……。そういう後ろ暗い共通点があるなら、あり得る話だわ」
マリアが、すでに若者たちのSNSや銀行口座の履歴を洗う準備を始めた。
地下施設での不審死。そして、周辺で消える若者たち。
この二つの糸は、どこで交わっているのか。
「……並行して進める。時間が惜しい」
スレイが、低くしゃがれた声で短く断定した。
「……了解よ。私とモニカは、ハッキングと足を使って若者たちの連続失踪事件の裏側を洗うわ。新宿の闇なら私たちの領分よ」
マリアが立ち上がり、モニカと共にアジトでの情報収集へと切り替える。
「……じゃあ、俺とリルとメイコは、まず亡くなった作業員の家に行ってくる。事故として処理された現場の裏に、別の動機が隠れていないか確かめる必要がある」
スレイの指示に、リルとメイコが力強く頷く。
「はーい! 行ってきまーす!」
「作業服のおじさん達の部屋、しっかり見てくるっしょ!」
裏の掃除屋たちは、二手に分かれて調査を開始するのであった。
――昼。新宿、1人目の作業員の自宅。
湾岸エリアの地下で事故死した作業員たちの裏側を探るべく、スレイ、リル、メイコの3人は、まず1人目の作業員の安アパートへと足を踏み入れた。
「……うわぁ、荒れ放題っしょ」
メイコが、足元に散らばるゴミを避けながら顔をしかめる。
部屋の中は、ビールの空き缶とタバコの吸い殻、そして競馬の外れ馬券が雪のように降り積もっていた。
壁には、闇金からの督促状が何枚も突き刺さるように貼られている。
「あ! お馬さんだ! お馬さんは萌美総理の警護で、みんなで見に行ったね!」
リルが、外れ馬券を拾い上げて無邪気に笑う。
「だねー。……でも、この督促状の業者の名前、一応全部覚えておくね。後でパパ(大物議員A)のリストと照らし合わせるっしょ」
メイコが瞬時に書類をスキャンするように記憶していく。
しかし、1人目の家からは金に困っていたという動機以外に目立った違和感は見つからなかった。
――数十分後。2人目の作業員の自宅。
資料では真面目で無口と評されていた2人目の作業員の部屋は、1人目とは対照的に、不気味なほど整然としていた。
家具は最小限に抑えられ、部屋の隅には綺麗に手入れされた小さな水槽がいくつも並んでいる。その中の一つで、深紅の尾を持つ美しいベタ(闘魚)が、一匹だけで優雅に、しかし攻撃的に泳いでいた。
「……あ、ノートがある」
棚の隙間に置かれた一冊の古いノートに、リルが気づいた。
「観察ノートだね〜。熱帯魚飼ってたのかな? 真面目だねぇ」
メイコが覗き込む中、リルがそのページの一部を読み上げた。
『――巨大な水槽に、極限まで飢えさせたベタと、抵抗できない小さなエビを放り込んだ。何秒でエビが食い殺されるか笑いながらストップウォッチを押してみた。……次はもっと、絶望が長く続く方法を試そう』
「…………なんかこいつ、ヤバい奴なのかな〜」
メイコが、引き攣った笑顔で一歩後ずさる。
ノートに記されていたのは、真面目な作業員の皮を被った、底知れぬサディストのような観察記録だった。
スレイは、リルの持つノートを手に取り、無言のままページを捲った。
「…………」
スレイのサングラスの奥の目が、ある一文で止まった。
新規水槽立ち上げ。水温35度。フィルター04番
(……35度だと?)
熱帯魚の飼育には高すぎる温度。そして、家庭用の水槽にはそぐわないフィルター04番という機材番号。
「……戻ってマリアとモニカに相談したほうがよさそうだ。リル、そのノートを持って行け」
スレイがしゃがれた声で指示を出し、部屋を出ようとした、その瞬間だった。
『――パァンッ!!』
乾いた銃声が響き、スレイの頭がわずかに揺れた。
「……ッ!」
こめかみを熱い感触が伝い、鮮血がサングラスの縁を濡らす。
「ス、スレイ!? 大丈夫!?」
部屋に戻るメイコ。
「大丈夫か、リル、メイコ!」
スレイは瞬時に2人を突き飛ばすようにして、部屋の奥へ押し戻す。
「大丈夫だよ〜っ!」
「メイコちゃん、気を付けて!」
リルは素早くスタンガンの電源を入れる。
メイコが部屋の奥へ逃げ込んだのを確認し、スレイは出血を拭うこともせず、懐から使い慣れたハンドガンを抜いた。
(スナイパーではない。……だが、妙に距離がある)
相手はプロの暗殺者か、あるいは現場を封じに来た掃除屋か。
スレイは一瞬の静寂を突いて、ドアの影から弾丸のように飛び出した。
『――ドンッ、ドンッ!!』
スレイの放った2発の弾丸は、廊下の突き当たりで銃を構えていた2人の男の眉間を正確に撃ち抜いた。
男たちは、一言の悲鳴も上げることなく、崩れるように絶命した。
「…………」
スレイは無言のまま、倒れた2人の死体を一瞥した。
身元を示すようなものは何もない。誰の差し金かも、このタイミングで襲ってきた理由も不明だ。
「ひょえ〜、さすがスレイ! 一瞬だね!」
「ありゃりゃ、私出番なかった」
リルとメイコが顔を出す。
だが、あの35度の水温と観察ノートの中に、奴らが隠したがっている何かが確実に存在する。
裏の掃除屋たちは、こめかみの傷と不気味なノートを携え、歌舞伎町の闇を追うマリアたちとの合流を急ぐのであった。
――昼下がり。2人目の作業員のアパート前。
冷たくなった二つの死体を見下ろし、スレイは懐の通信機を取り出し、警視庁トップ・山田相姦へと暗号回線を繋いだ。
「……スレイだ。作業員の部屋の前で、ネズミを2匹処理した。回収と後始末を頼む」
『……了解した。すぐに部隊を向かわせる』
「おそらく、証拠を隠滅するために部屋に火をつけに来たのだろう。そこで、鉢合わせた俺たちを警察か何かと間違えて発砲してきた、というところか」
『……なるほど。現場の状況から見て間違いないだろう。すぐに身元を洗う』
スレイは通信を切ると、こめかみの血を無造作に拭い、リルが抱えた一冊の不気味なノートと共に、足早にアジトへと帰還した。
――数十分後。新宿、極秘アジト。
「……ちょっとスレイ、どうしたのよその傷!」
アジトに戻るなり、モニカが、スレイのこめかみを流れる血を見て優雅な顔を険しくさせた。
「まさか、ただの作業員の家で襲われたの? ……つまり、事故に見せかけて彼らを殺し、さらに証拠隠滅を謀ってきた黒幕がいるってことね」
マリアが、瞬時に事態の異常性を察知してPCのモニターから振り返る。
「……スレイ、痛くない? ちゃんと消毒するからね」
リルが、救急箱を持ってきてソファに座るスレイの隣にピタリとくっつき、小さな手で丁寧にこめかみの傷の手当てを始めた。
「……かすり傷だ」
スレイは無言でリルの手当てを受け入れながら、タバコに火をつける。
「……そっちの調査は、何かわかったか?」
紫煙を細く吐き出しながら、スレイがマリアとモニカに問いかける。
「ええ。……歌舞伎町周辺で連続して失踪している人間たちに、明確な共通点があったわ」
マリアがキーボードを叩き、メインモニターに数枚の写真を映し出す。
「……彼らは全員、身寄りのない者よ」
「身寄りのない者……」
スレイが低く呟く。
「そう。トー横に集まるような家出をしている若者、身元不明のホームレス、そして海外からの不法就労者。……ここ最近、そういった社会的弱者の失踪が急増しているの」
モニカが、プロファイラーの冷徹な目で写真を見つめながら補足する。
「警察は、公式にはただの家出や蒸発としてしか処理できない。誰も捜索願を出さないし、社会的にいなくなっても騒がれない人間ばかりを、計画的に狙って攫っているわ」
「……なるほどね。でもさ」
メイコが、腕を組んで首を傾げた。
「その消えちゃった人たちと、あの作業員のおじさん達の死が、どう関係するの? もしかしたら、全く関係ない別の事件かもしれないっしょ」
「ええ。今のところ、GPSの途絶えた場所が地下浄水施設の近くってだけで、直接的な接点が見えないのよね」
マリアが悔しそうに唇を噛む。
その時、アジトの極秘回線に、再び山田相姦からの通信が入った。
『……スレイ。先ほどお前たちが処理した死体の身元が割れた』
画面越しの警視庁トップ・山田相姦は、非常に重苦しい表情を浮かべていた。
『……襲ってきたのは、ただのチンピラではない。裏社会でも名の知れた、腕のいい雇われのヒットマンだ』
「ヒットマン……。証拠隠滅の放火と口封じのために、わざわざそんなプロを?」
モニカが眉をひそめる。
『ああ。これほどのプロを雇うには、莫大な資金が必要になる。……裏社会の組織というより、金銭面で余裕のある富裕層でしか雇えないレベルの連中だ』
通信が切れ、アジトに重い沈黙が落ちる。
身寄りのない底辺の若者たちを攫う謎の事件。そして、作業員の口を封じるために放たれた富裕層の刺客。
「……1人目の作業員の部屋には、競馬のハズレ馬券と借金の督促状しかなかった。あいつはただの数合わせで巻き込まれたか、あるいはただの底辺のクズだ」
スレイが、ソファから重い腰を上げる。
「……だが。2人目の作業員は、おそらく現場で何かを見て、それを書き残した」
スレイの視線の先。
テーブルの上には、先ほど持ち帰ってきた一冊の古いノートが置かれていた。
「……これだね」
リルが、手当てを終えてノートを手に取り、ゆっくりとそのページを広げた。
そこには、闘魚(ベタ)がエビを食い殺す時間を計る異常な観察日記と「水温35度」「フィルター04番」という、不気味な暗号のような記述が残されている。
富裕層の悪魔が、大金を払ってでも燃やして消し去りたかった真実が、今、裏の掃除屋たちの目の前に開かれようとしていた。
――昼下がり。新宿、極秘アジト。
アジトのテーブルに広げられた、2人目の作業員が残した一冊の古いノート。
リルが、乱暴にめくられた最終ページに辿り着いた時。そこには、血のように生々しい赤字で、ただ一言必須とだけ書き殴られていた。
「……これ、死ぬ直前に自分が狙われているとわかって、焦って書いたものね」
モニカが、筆圧の乱れから作業員の切羽詰まった心理状態をプロファイリングする。
その必須の文字の下には、彼が飼育していた熱帯魚に関するデータが、羅列されるように書き連ねられていた。
『 水温13度 』
『 水質pH 1.18 』
『 エサ 004回 』
『 フィルター交換 005番 』
『 水の交換6回 』
『 硝酸塩35mg/L 』
「メイコ、飼っていた熱帯魚の種類はわかる?」
マリアが問う。
「あれはディスカスやベタじゃないかな」
メイコが答える。
「……おかしいわね」
モニカが、優雅な顔に明確な違和感を浮かべる。
「彼が飼っていた熱帯魚が、ディスカスやベタだったら、どちらも高温(28度前後)を好む魚のはずだわ」
「だねー! にしては水温13度なんて絶対におかしいし、1日にエサ004回とか水の交換6回とか、いくらなんでもやりすぎでしょ〜」
メイコが、スマホで熱帯魚の飼育方法を検索しながらツッコミを入れる。
「ひどい! こんなに冷たいお水で毎日6回も水換えされたら、お魚さん、完全に凍えちゃうよ!」
リルが、可哀想な熱帯魚を想像して身震いした。
「ええ。わざと極端に不自然な数字を並べて、誰かに暗号だと気づいてもらおうとしているのよ。水質がpH1.18なんて、もはや強酸性の劇薬の数値だわ」
マリアが、PCのキーボードに手を置きながら、その数列の謎を睨みつける。
「……なるほど。あのアパートで俺を襲ってきたヒットマンたちは、この暗号の存在は知らないはずだ」
スレイが、ジッポでタバコに火をつける。
「だが、あの部屋に自分たちにとって不都合な何か(証拠)が残っているとマズいと思い、念のため部屋ごと丸焼けに(放火しに)来たんだ」
証拠の有無すら確認せず、ただ可能性を潰すためだけにプロの刺客を放ち、現場を焼き払おうとする。
「……なかなか手際がいい。そして、自分たちの身の安全を第一に考えている、極めて周到な奴らだ」
スレイのサングラスの奥の目が、鋭く細められる。
巨大な闇の組織という線もまだ消えないが、この金に糸目をつけない手際の良さと異常な警戒心は、やはりどこかの富裕層(上級国民)の匂いが強かった。
「……でも、この数字、何を表しているの? 経度と緯度の座標には当てはまらないわね……」
マリアが、すさまじい速度でタイピングを行い、地図データと数字を照らし合わせるが、日本のどこにもヒットしない。
「……待って。もしかして、住所コードじゃないかしら」
モニカのプロファイラーの脳裏に、ある閃きが走った。
「マリア。全国の地方公共団体の行政コードと、番地の数字として割り当ててみて!」
「……住所コードね! やってみるわ!」
マリアの指が、キーボードの上で流星のように舞う。
『13』……東京都。
『118』……荒川区。
『004』……東尾久。
『005』……五丁目。
『6』と『35』……6-35。
「……出たわ! 『東京都 荒川区 東尾久 5丁目 6-35』よ!」
マリアが、エンターキーをターンッ!と弾き、メインモニターにその座標のストリートビューを大写しにした。
そこに映し出されたのは、下町の住宅街にひっそりと佇む、昔ながらのレトロな建物だった。
「……マリア。この座標って……銭湯???」
モニカが、モニターに映る『ゆ』と書かれた暖簾を見て目を丸くする。
「わーい! お風呂! お風呂だ!」
リルが、両手を挙げてピョンピョンと跳ね回る。
「……あっ! わかった、あれだね! アワアワでえっちなサービスをしてくれる、石鹸の国ってやつだね!」
マリアにファイルでポカリと殴られるリル。
「……いやいやリルたそ、ここは普通の銭湯であってソープランドじゃないっしょ!」
メイコが、無邪気すぎる親友の最低なシモネタボケに、すかさず完璧なツッコミを入れて笑う。
「……コホン。閑話休題よ」
モニカが、軽く咳払いをして優雅なプロファイラーの顔に戻る。
「作業員が、誰にも見つからないように証拠を隠す場所。……そして、そこが銭湯だとしたら……。答えは一つ、ロッカーの中ね」
「あ! そういえば、ノートの端っこにまだ何か書いてあるよ!」
リルが、赤字の必須の隣にある、乱暴な走り書きを指差した。
[ 新規購入水槽の寸法: W10 / D89 / H39 / リットル56 ]
「……うわぁ、凄い変な形(寸法)の水槽だね!」
リルが驚く。
「……明らかに水槽のサイズじゃないね〜。何かの番号だよ、これ」
メイコが、そのいびつな縦横比の数字を見て即座に見破る。
「ええ。モニカの言う通り、これは銭湯のロッカー番号の線が強いわね」
マリアが、冷たい笑みを浮かべてPCの画面を閉じた。
「……そして、その後ろに続く『89』『39』『56』という数字の羅列が……そのロッカーを開けるための暗証番号ね」
水槽の底に隠された、真実へのパスワード。
富裕層の刺客が血眼になって探している証拠が、下町の銭湯のロッカーの中で静かに眠っている。
裏の掃除屋たちは、この残酷で悪趣味なゲームの全貌を暴くため、ただちに荒川区の古びた銭湯へと向かうのであった。
――夕刻。東京都荒川区、東尾久。
裏の掃除屋(PCU)の5人は、マリアが弾き出した住所コードを頼りに、下町の入り組んだ路地裏にひっそりと佇む古びた銭湯へと辿り着いていた。
しかし、いくら証拠が隠されているとはいえ、営業時間中にいきなり脱衣所に侵入して他人のロッカーをこじ開ける訳にはいかない。
「……うーんと。だったら、普通にみんなでお風呂にも入っちゃえばいいんじゃない?」
リルが、銭湯の煙突を見上げながら無邪気に提案する。
「あはは! 確かに、アタシたちもひとっ風呂浴びて、さっぱりしちゃー!」
メイコが、ノリノリで賛同して番台の方へと歩き出す。
「……まぁ、それしかないわね。とはいえ、証拠を隠した作業員は男よ。……おそらく、そのターゲットのロッカーは『男湯』の脱衣所にあるわ」
マリアが、周囲の監視カメラの有無を確認しながら冷静に告げた。
「ええ。ノートの走り書きの寸法……W(幅)10、D(奥行)89。……十中八九、ターゲットは10番のロッカーか、1089番のロッカーよ」
モニカが、暗号のパターンを整理して、スレイへと視線を向けた。
「……行ってくる」
スレイは短く答え、のれんをくぐって男湯へと足を踏み入れた。
――銭湯内。
『カポーン……』
高い天井に、ケロリン桶の小気味良い音が響き渡る。
壁を隔てた女湯のほうからは、リルたち女性陣が「わーい! 広いお風呂だー!」と、キャッキャとわいわい騒ぎながら湯浴みを楽しんでいる声が聞こえてくる。
一方の男湯。
スレイは、無数についた全身の弾痕や刃物の傷跡を隠すこともなく、無言のまま湯船の奥に深く肩まで浸かっていた。
広い湯船での休息は悪くない。
「……おう! にーちゃん、いい身体してるな~!」
ふと、隣で気持ちよさそうに湯に浸かっていた地元のおじいさんに、朗らかな声で話しかけられた。顔面凶器の風貌と傷だらけの肉体を見ても全く怯まない、下町特有の謎のフレンドリーさである。
「…………どうも」
スレイは、少しだけ面食らいながらも、短くお礼を返した。
(……銭湯も、たまには悪くない)
死線ばかりを潜り抜けてきた暗殺者の心が、湯の温かさと共にほんの少しだけ解けた瞬間だった。
やがて。男湯の脱衣所から他の客の気配が完全にいなくなったのを見計らい、スレイは湯から上がって体を拭いた。
そして、周囲を警戒しながら、例の暗号に該当するロッカーへと静かに近づいた。
予想通り、そのロッカーは古い鍵穴ではなく、4桁の暗証番号(ダイヤル式)で施錠するタイプのものだった。
スレイが、ノートの寸法の残り「H(高さ)39」「リットル56」に該当する3956という数字にダイヤルを合わせると……カチャリと、小さな音を立てて扉が開いた。
ロッカーの底。
ホコリにまみれた隅っこに、黒い小さなテープで貼り付けられていたのは、指先ほどの極小のマイクロSDカードだった。
――数十分後。銭湯のロビー。
風呂から上がったスレイは、服を着てベンチに腰掛け、腰に手を当てて冷たいコーヒー牛乳を喉に流し込んでいた。
「……あ〜っ、さっぱりしたっしょ!」
そこへ、火照った顔をピンク色に染めた女性陣が、女湯から連れ立って出てきた。
しかし。なぜかリルだけが、この世の終わりのような顔をして、どんよりとしょげ返っていた。
「……リル? どうしたの?」
「…………マリアと、メイコちゃんの、おっぱい……凄かった……」
リルは、自分の幼児体型の胸元と、マリアのグラマーな双丘、そしてメイコのぼんきゅぼんのナイスバディを脳内で比較し、完全に敗北感に打ちひしがれていた。
「……アタシだって! 牛乳で、目指せ巨乳!!」
リルは、自販機で買ったビンの白牛乳を両手で握りしめ、ヤケクソのようにゴクゴクと一気飲みした。
「……ふふっ。そんなサイズなんて、ただの好みの問題よ」
モニカが、優雅に脚を組んでフルーツ牛乳をストローで上品に飲みながら、不貞腐れるリルを慰める。
「そーそー! 大きさなんて全然関係ないっしょ!」
メイコが、どこから買ってきたのかホームランバーを美味しそうに齧りながら、豊満な胸を揺らしてウンウンと頷く。
「……まぁ、今更そんなに飲んでも成長しないわよ〜。スレイは今のままのリルが好きなんだから、リルはそれでいいのよ」
マリアが、一番身も蓋もない残酷な現実を突きつけながら、ガリガリ君をシャクッといい音を立ててかじった。
「……スレイィ! アタシ、今のままでいいの!? ねぇ!」
「…………」
涙目で詰め寄るリルからそっと目を逸らし、スレイは咳払いをしてコーヒー牛乳の空きビンを置いた。
「……あったぞ。指定のロッカーから抜き取ってきた、マイクロSDカードだ」
スレイが、指先につまんだ小さな黒いチップを女性陣の前に提示する。
「……! 凄いわ。あの作業員、殺される前にこれだけは絶対に隠したかったのね」
モニカがプロファイラーの目つきに戻る。
「おそらく、自分のスマホで撮った何か(決定的な証拠)のデータを、SDカードに移して逃がしたのだろう」
スレイが、その小さな記憶媒体をマリアへと手渡した。
「……すぐに解析するわ。アジトに戻りましょう」
マリアが、ガリガリ君の当たり棒をゴミ箱に捨て(ハズレだった)、真剣な顔で頷く。
湯上がりの緩んだ空気は一変した。
富裕層の刺客が血眼になって探し、作業員が命懸けで残した真実。
裏の掃除屋たちは、そのパンドラの箱を開けるため、足早に新宿のアジトへと帰還するのであった。