境界線PCU~多様性ワールドへようこそ~   作:トナカイ粉砕

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見るもの見られるもの編(中編)

荒川区の銭湯からアジトへの帰り道。

裏の掃除屋(PCU)の面々は、コンビニに立ち寄って高級アイスのハーゲンダッツを買い込んでいた。

 

「わーい! ハーゲンダッツだー!」

リルが、小さなスプーンでバニラアイスを掬いながら、目を輝かせてはしゃぐ。

「……こんな高くて美味しいアイスなんて、子供の頃は絶対に食べられなかったもん!」

親戚の家をたらい回しにされ、虐げられてきた彼女にとって、温かい部屋で食べる甘いアイスは、何よりの幸せの象徴だった。

 

「だねー! やっぱり、お風呂あがりだからこそ余計に美味しいのよね〜」

メイコが、ストロベリー味を頬張りながら同意する。

 

「……まぁ、とりあえずアイスでも食べながら、お仕事の続き(データ)を見てみましょうか」

モニカが、優雅にグリーンティー味の蓋を開けながら、テーブルの中央へと視線を促した。

 

「ええ。首相感貞にも暗号回線を繋いで、画面共有しておくわ」

マリアが、銭湯のロッカーから回収したマイクロSDカードをPCに読み込ませる。

 

メインモニターには、大物議員Aと、ワイングラスを傾ける環萌美総理の姿が映し出された。

 

『……下町の銭湯に隠されていたデータね。さっそく再生しなさい』

萌美総理の指示で、マリアがエンターキーを叩く。

 

――画面が、パッと切り替わった。

 

『…………』

 

しかし、映像は真っ暗で、最初は何も見えなかった。ただ、カメラ(スマホ)を持っている人物の手が、ガクガクと激しく震えていることだけが伝わってくる。

 

「……ひどい手ブレね。おそらく撮影者は、極度の恐怖を感じているわ」

モニカが、映像の揺れから作業員の心理状態を瞬時にプロファイリングする。

 

「……ねえ、なんか悲鳴が聞こえない……?」

メイコが、アイスを持つ手を止めて、スピーカーから漏れ聞こえるくぐもった音に顔をしかめる。

 

「あー、少しなんか映りそうだよ!」

リルの声と共に、カメラのオートフォーカスが合い、暗闇の奥の光景が徐々に鮮明になっていった。

 

画面の手前には、等間隔に並んだ鉄格子のスリットが見える。

 

撮影者である2人目の作業員は、あの稼働停止中の地下浄水施設の空調ダクト内に潜り込んで定期メンテナンスをしている最中、偶然にもそのスリット越しに下で行われている光景を見てしまい、思わずスマホを回したのだ。

 

そこに映っていたのは、すり鉢状に作られたコンクリートのコロシアム(闘技場)のような空間だった。

 

『……ギャァァァァァァッ!!』

『……ア、ガァッ……! 許し、て……ッ』

 

凄惨な悲鳴と共に、ダクトの下で信じられない光景が繰り広げられていた。

 

闘技場の中央で、筋肉が異常に膨張し、瞳孔が開ききった明らかに様子のおかしい大男(薬物でも打たれているのか)が、逃げ惑う小柄な人間を捕まえ、素手で無残に殴り殺していたのだ。

 

「…………ッ!」

マリアが思わず息を呑む。

 

人が一人、完全に原型を留めないほどに殴り殺されると、闘技場の奥の鉄の扉が開き、すぐさま次の人間(恐怖に泣き叫ぶ若者)が引きずり出されて放り込まれる。

 

そしてまた、異常な大男による一方的な惨殺が始まる。

 

その、人が肉塊へと変わる凄惨な暴力が振るわれるたびに。

それは男だけではなく女も同様だった。

 

『――ウォォォォォォォォォッ!!』

『殺せェッ! 早くやれェッ!!』

 

どこからともなく、マイクを通したような熱狂的な歓声が地響きのように湧き上がっていた。

 

「……一体、なんなんだこれは……?」

大物議員Aが、画面越しに絶句して葉巻を取り落とす。

 

ふいに、恐怖で震える作業員のカメラが、歓声の上がる方向――客席のほうへとズームされた。

そこは、コロシアムの血しぶきが絶対に届かない、分厚いガラス張りで完全に保護された安全なVIPルームだった。

 

「……あいつら……」

スレイは、安物のタバコを握り潰し、死んだ魚のような目に底知れぬ殺意を宿した。

 

ガラスの向こう側から、ワインやシャンパンを片手に、安全圏から血みどろのショーを見下ろして笑っている者たち。

 

彼らの服装や身につけている宝飾品は、どう見てもその辺の半グレやヤクザではない。

明らかに、莫大な資産を持つ富裕層の人間たちだった。

 

『……あーあ、あの金髪の兄ちゃん、3分も持たなかったな!』

『私の賭けたホームレスのほうが、まだ逃げ回って長持ちしたわよ!』

『次はどっちだ? オッズはどうなってる!?』

 

「オッズとか聞こえる! 何か賭け事をしているみたいだよ」

メイコが気づく。

動画の音声が、クリアに彼らの声を拾い上げていた。

 

「裏社会の違法格闘技などではない。抵抗できない社会的弱者を一方的に惨殺させ、どちらが長く生き残るか、あるいはどんな無惨な死に方をするのかを金で賭ける――完全な殺人を見世物にしたギャンブルだ」

スレイが、絶対零度の声で断定する。

 

「……なるほど。あの観察ノートの闘魚(ベタ)とエビは……」

リルが、震える声で呟く。

 

作業員が残した、抵抗できないエビを水槽に放り込み、食い殺される秒数をストップウォッチで計るという異常な観察日記。

 

あれは、彼自身の異常性を示していたわけではない。

ダクトの隙間から見てしまった、この富裕層たちの狂気の殺人ショー(ギャンブル)のシステムそのものを、暗号として必死に書き残していたのだ。

 

「そっか……あのやばい言葉はサイコパスじゃなくて、このことを言ってたんだ!」

メイコが顔を青ざめさせる。

 

「……歌舞伎町で消えた、トー横の若者やホームレス、不法就労者たち……」

モニカが、怒りで声を震わせる。

「連中にとって、身寄りのない彼らは、ただの消費されるためのエビ(見られるもの)にすぎなかったのよ」

 

ダクトの隙間から、安全圏で笑う富裕層の顔を映し出したところで、映像は唐突に途切れていた。

 

おそらく、この後作業員はスマホのフラッシュか物音で敵に気づかれたのか、口封じのために毒ガスで事故死に見せかけて始末されたのだろう。

 

安全なガラスの向こう側から、命がすり潰される様を見て興奮する狂った富裕層(見るもの)たち。

裏の掃除屋たちの心の中で、アイスの甘さを完全に吹き飛ばすほどの、冷酷で熱い殺意の炎が燃え上がり始めていた。

 

 

――夜。新宿、極秘アジト(首相感貞・極秘通信回線)。

 

メインモニターに映し出された、安全なガラスの向こう側から弱者が嬲り殺される様を眺めて狂喜する富裕層たちのスナッフビデオ。

 

画面越しの地下作戦室では、いつもはアイドルの推しとシモネタばかり口にしている大物議員Aが、葉巻を取り落としたまま完全に言葉を失っていた。

 

そして、その隣に座る環萌美総理は。

 

「…………」

 

その麗しく透き通るような美貌に、絶対零度の怒りを張り付かせていた。

 

自国の国民(納税者)は、すべて彼女の所有物でありオモチャである。

それを、どこの馬の骨とも知れない他国の金持ちどもが、勝手に見世物のエサとして消費しているのだ。

ドSの最高権力者にとって、これほど許しがたい国権の侵害はない。画面越しでも、彼女が相当に怒り狂っているのがハッキリと伝わってきた。

 

「……闘技場の中央にいた、明らかにおかしい大男(バーサーカー)は、闘争本能を極限まで引き出す特殊な薬(ドラッグ)でも打たれているのだろう」

スレイが、感情を完全に押し殺した低い声で凄惨な映像を分析する。

 

「……なんで、こんなことが楽しいの? アタシ、全然わからないよ〜……」

リルが溶けかけたハーゲンダッツのカップを握りしめ、悲痛な顔で首を振る。

 

「だねー。……安全な場所から人が死ぬのを見て、自分はあっち側じゃなくてよかったっていう優越感とかかなぁ」

メイコが、派手なネイルをギリッと噛みながら、狂人たちの心理を推し量る。

 

「……違うわ、メイコ。連中は、もっと根本的な部分が狂っているのよ」

モニカが、優雅なティーカップを置き、氷のように冷たい目でVIPルームの客たちを睨みつけた。

「彼らは、自分たちと違う人種や、社会的に身寄りのない底辺の人間たちを、人間だと思っていない。単なるゴミ掃除の過程を、ショーとして楽しんでいるだけなのよ」

 

「……音を拡大して、背後のノイズを消すわ」

マリアが、凄まじい速度でキーボードを叩き、動画の音声をクリアに抽出した。

 

『……2分! いや、3分だ!』

『私の賭けたエサは、まだ手足がもげても生きてるぞ!』

 

「……クソ野郎ね。メイコが言ったとおり、エサ(被害者)が何秒、何分生き延びるかの賭けだわ」

マリアが忌々しそうに吐き捨てる。

 

「……間違いない。声の言語や顔立ちからして、客層は海外の富裕層がメインだ」

大物議員Aが、ようやく重い口を開き、画面の中の男たちを指差した。

 

「……ええ。本当に酷い趣味ね。しかし、連中の正体には見当がつくわ」

萌美総理が、ルージュの唇を吊り上げ、氷点下の怒りを込めて吐き捨てる。

「……あの顔立ち、言葉の訛り、そして有色人種をゴミのように扱う選民意識。十中八九、狂信的なアーリア人の白人至上主義グループだろうね」

 

アーリア(Arya)

元々はサンスクリット語で「高貴な人」を意味する言葉だ。

 

「……もちろん、純粋な歴史上のアーリア人や、一般の白人の方々を差別する訳ではないけれど。……その言葉を曲解し、自らを絶対的な見る側(支配者)だと勘違いしている、極一部の腐りきった特権階級の集まりね」

モニカが、プロファイラーの知識で総理の言葉を補足する。

 

「……でもさ、それってどこでやってるの?」

リルが、画面に映るコンクリートの闘技場を指差す。

 

「そーだね。今は誰がやっているかより、まずはどこで被害者たちが殺されてるかを見つけ出すのが先っしょ!」

メイコが力強く頷く。

 

「あの2人のシフト表を見れば、場所がわかるんじゃない?」

リルが提案する。

 

「おそらく周到な奴らだから、それは消されてそうじゃない?」

メイコが予測する。

 

「だろうな。勤務会社のシフト表から割り出し、記録も抹消しているだろう」

スレイも同意する。

 

「ええ。殺された作業員が見てしまったというなら、彼らがメンテナンスに入っていたダクトの迷路から、闘技場の場所を探るしかないわね」

モニカがマリアへと視線を向ける。

 

「……湾岸エリアの地下浄水施設の周辺。電波が途絶えた地点と合わせれば、エリアは大体絞れているから、なんとかなりそうね」

マリアは即座に、東京都の地下施設と下水道の莫大な図面データをハッキングし、アジトのメインモニターに3Dマップを展開した。

 

ここで、すべての線が一本に繋がった。

 

おそらく、殺された2人の作業員は、勤務会社のシフト表から割り出されたのだろう。

あの日、あの時間に、あのダクトの周辺を点検していた2人。

 

富裕層の刺客は、どちらが見てしまったのか特定する手間を省くため、シフトに入っていた2人をまとめて始末したのだ。

 

そして、歌舞伎町で消えた失踪者たちが、まさかこんな地下のコロシアムの見世物として繋がるとは、警察も想像していなかったに違いない。

 

(……あの作業員のアパートにあった、熱帯魚の水槽とは違う)

スレイは、静かに紫煙を吐き出した。

 

逃げ場のない水槽にエサを放り込み、安全な外側から観察する。

それは、この悪趣味で残酷な「見るもの」と「見られるもの」の構図そのものだったのだ。

 

「……計算式(アルゴリズム)をはめ込んで、ダクトの通気口から視認できる巨大な空洞を解析するわ」

マリアのタイピング速度が限界を突破する。

「……流石に、現在稼働している施設や、一般企業のビル群の地下は覗く(除外する)わよ。彼らもバレるリスクは避けるはずだから」

 

フィルターがかけられ、湾岸エリアの広大な地下マップから、該当しない箇所が次々と黒く塗りつぶされていく。

数分後。マリアのPCが電子音を鳴らし、マップ上に3つの赤いポイントが浮かび上がった。

 

「……出たわ。条件に一致する、稼働停止中の巨大な地下空間……。そうなると、この【A地点】、【B地点】、【C地点】のどこかよ」

 

スレイたち裏の掃除屋の視線が、モニターの赤い光に集中する。

安全なガラスを叩き割り、狂った「見るもの」たちに絶望を叩き込むため。彼らは特定された3つの死地のいずれかへ向けて、静かに武器の準備を始めるのであった。

 

――夜。首相感貞・極秘地下作戦室(通信回線)。

 

地下コロシアムの凄惨な映像と、それを楽しむ海外の白人至上主義(アーリア人)の富裕層たち。

 

大物議員Aが、忌々しそうに葉巻を灰皿に押し付けた。

 

「……総理。横田基地と横須賀基地に待機させている恍惚部隊(ドM狂戦士部隊)を派遣させましょうか? 奴らなら、あの闘技場ごと物理的に制圧できる」

 

「……いや。待ちなさい」

環萌美総理が、ワイングラスを置いてそれを制した。

「……連中がいつ集まるのか、日時が正確にわからないわ。確実に一網打尽にするには、ゲームが開催されている現場を完全に押さえないと意味がないのよ」

 

そう語る萌美総理の表情は、先ほどの静かな怒りから一転、獲物をいたぶる方法を思いついたような、ゾクゾクとするようなドSの顔へと変貌していた。

スレイは、その総理の悪質な笑みを画面越しに無言で眺めていた。

 

「……なるほど。やっぱり、現場を直接押さえる侵入作戦になるんだね」

リルが、拳を握って気合を入れる。

 

「そーだね! アタシたちがトー横あたりでたむろして待っていれば、エサ集めのチンピラから声がかかるかもっしょ!」

メイコが、囮作戦に名乗りを上げる。

 

「……そうね。でも、海外の富裕層がわざわざ集まるような大規模な闇ギャンブルよ。毎日開催しているとは思えないわ」

モニカが、優雅に腕を組んで推理を巡らせる。

「……マリア。ターゲットの絞り込みはできる?」

 

「ええ。……総理、国家のデータベースから渡航履歴の閲覧許可をちょうだい」

天才ハッカーのマリアが要求すると、萌美総理は「ふふっ、お好きになさい」と、国家権力の最高機密アクセス権を難なく許可した。

 

マリアの指が、キーボードの上で凄まじい速度で踊る。

「……推測だけれど。この闘技場に出入りしているアーリア人の富裕層グループが一斉に帰国した日が、あの作業員たちが遺体で発見された日と見事に重なっているわ。事故の騒ぎを見て、一時的に国を離れたのよ」

 

「あ! じゃあ、たぶん次の開催は1週間後だよ! 悪い奴らはほとぼりが冷めた頃に戻ってくるもん!」

リルが、これまでの経験から的確な勘を働かせる。

 

「……ビンゴ。リルの言う通りだわ」

メイコが、マリアのモニターに表示されたフライト予約のリストを、驚異的な視力で瞬時にスキャンして指差した。

「渡航予約を見る限り、あの映像に映ってた連中が、数日後にまたこぞって日本に入国してくる。……ゲームの開催日は、この翌日あたりで間違いないっしょ」

 

「開催日は絞れたわね。……しかし、問題はどうやってあの中に入り込むかです」

モニカが、コロシアムの分厚い防弾ガラスで守られたVIPルームの画像を睨みつける。

 

「……総理。あなた、また、私たちに誰かになり替われと言うつもりでしょう?」

マリアがため息混じりに尋ねると、萌美総理はさらに深く、最悪なドSの顔つきになってルージュの唇を歪めた。

 

 

――数日後。深夜の新宿、歌舞伎町『トー横』エリア。

 

ネオンの光が届かない、ゴミと嘔吐物の匂いが立ち込める路地裏。

 

その冷たいアスファルトの上に、薄汚れたジャンパーを着て、無精髭を生やした一人の大男が、死んだような目で横たわっていた。

 

スレイである。

萌美総理の権力によって、「借金を抱えて戸籍を売り払い、完全に社会から孤立した身寄りのない人間」という完璧な設定(ダミーデータ)を付与された、最強のエサ(囮)だ。

 

(……ここで待っていれば、本当にエサ集めのネズミが来るか)

スレイは、ゴミ袋に背中を預けながら、インカムのスイッチを密かに入れた。

 

『……スレイ、どう? そっちの状況は』

アジトでハッキングツールを操作するマリアから通信が入る。

 

「……問題ない。お前たちが仕込んだ超小型の発信機も、正常に作動している」

 

『……よし。こっちの準備も整ったわ』

モニカの、優雅で冷徹な声が響く。

 

『総理が、今回のゲームの観戦リストの中から、過去に自国で犯罪歴のあるアーリア人のセレブ家族を見つけ出してくれたわ』

『そーそー! その人たちに、アタシたちが「なり切れば」いいんだね!』

メイコの明るい声が続く。

 

作戦はこうだ。

 

萌美総理は、来日予定だったその本物のセレブ家族を、入国審査で強制的に別室へ連行し、そのまま有無を言わさず自国へ強制送還(帰国)させた。

 

そして、空いたVIPの席に、マリアとモニカがセレブ姉妹として、メイコがその姪っ子(娘)として、完璧な変装と偽造IDで堂々と正面から乗り込むのである。

 

『……アタシは、殺された作業員のおじさん達が使ってたダクトから侵入して、スタンガンとドローンでみんなのことを見守るよ!』

リルが、裏の侵入ルートからのサポートを元気よく宣言した。

 

その時だった。

 

「……おい、そこのお兄さん」

 

トー横の路地裏で横たわるスレイの頭上から、ニヤついた下卑た声が降ってきた。

見上げると、安物のハイブランドで身を固めた、半グレのようなチンピラが数人、スレイを見下ろしていた。

 

「……こんなところで寝てて、いくとこないの?」

チンピラが、スレイの巨体と筋肉を値踏みするようにジロジロと見る。闘技場のバーサーカーにぶつける『長持ちするエサ』としては最高の上玉だ。

 

スレイは、ゆっくりと濁った目を向け、低くしゃがれた声で答えた。

「……ああ、そうなんだ。金もないし……家族(身寄り)もいなくてね」

 

「……へへっ、そうかい。そりゃあ寂しいな。俺たちが『いい仕事』紹介してやるよ」

チンピラが、スレイの言葉を聞いて、極上の獲物を見つけたと言わんばかりに、下品に口角を上げてニヤけた。

 

「…………」

しかし。

 

【挿絵表示】

 

スレイの仕込んだ隠しカメラ越しに、そのチンピラのニヤけ顔を見ていた環萌美総理は。

『……ふふっ。馬鹿なネズミども。自分たちが最高のエサではなく、最凶の死神を拾い上げたとも知らずに……』

 

ワイングラスを片手に、路地裏のチンピラなど比較にならないほど圧倒的で、底知れぬほど悪質な捕食者の笑みを浮かべていた。

 

見るものと、見られるもの。

その絶対的な立場が逆転する残酷なショーの幕が、今、新宿の闇の底で静かに上がろうとしていた。

 

「……金もないし、家族もいない」

という完璧な模範解答(エサの条件)を告げたスレイは、半グレのチンピラたちの誘いに、一切抵抗することなく素直についていった。

 

「……へへっ。しかしお兄さん、すげぇいいガタイしてんなぁ」

路地裏を歩きながら、チンピラの一人がスレイの丸太のような腕と分厚い胸板を見て、品定めをするように舌舐めずりをした。

 

「……昔、ラグビーをやっていた」

漆黒のコートを着た大男――スレイは、死んだ魚のような目を伏せ、淡々と作り話(ダミー設定)を口にする。

「だが、悪質なギャンブルと借金で首が回らなくなった。……戸籍も売ったし、銀行口座もない」

 

「そいつぁ好都合……いや、大変だったな。俺たちが紹介する仕事なら、一発逆転も夢じゃねぇぜ」

チンピラのリーダー格が、ニヤニヤと笑いながらスレイの前に手を差し出した。

「……悪いが、仕事の前にスマホは預からせてもらうぜ。情報漏洩は厳禁だからな」

「……構わないが、そもそもそんなものを買う金はない」

 

スレイが両手を広げて見せると、チンピラたちは一応、念入りなボディチェックを行った。

しかし、PCUの超小型発信機やインカムは、特殊な偽装処理で完全に皮膚や衣服に溶け込んでいるため、彼らのようなチンピラの検査で見つかるはずもなかった。

 

 

――同時刻。新宿、極秘アジト。

 

「……動きあり。スレイがネズミたちの車に乗せられたわ」

マリアが、モニター上で点滅するGPSの光を追いながら告げた。

 

「……さて、私たちもVIPとして乗り込む準備をしておかないとね」

モニカが優雅に立ち上がり、萌美総理から送られてきた大量の衣装ケースを開けた。

 

「うわぁっ! なにこれ、セレブの服すげーっしょ!」

メイコが、スパンコールが散りばめられた超高級ドレスを身体に当てて目を輝かせる。

 

「…………えええぇぇッ!?」

しかし、リルが、自分に割り当てられたドレスを見て絶望の悲鳴を上げた。

「そ、そんなーっ! こんな胸元がパックリ開いてておっぱい出すようなデザインのドレス……幼児体型の私じゃ、絶対に無理だぁーっ!」

昨日から続く胸の格差に、リルが涙目でドレスを放り投げる。

 

「……まぁ、リルは裏からのサポートだから、いつもの動きやすい服でいきなさい」

マリアが苦笑いしながらフォローする。

 

「アーリア人の富裕層グループの入国予定と、ネズミたちのエサ集めの動き。……おそらく、ゲームの開催は明後日ね」

モニカが最終確認を行う。

 

 

――数時間後。

 

スレイを乗せた車が移動を終える。

『……みんな! スレイの車、マリアが絞り込んでたC地点の付近で止まったよ〜!』

ダクト侵入班であるリルが、タブレットを確認しながら元気よく報告する。

『……私も、潜入の準備するね〜!』

 

「……さて。監視カメラに、赤外線センサー、そして盗聴器と行きますか」

モニカが、アタッシュケースに最新鋭の小型スパイガジェットを次々と詰め込んでいく。

 

「向こうは、私たちが嗅ぎつけてるなんて完全に気づいていないもんね! 油断しまくりっしょ」

メイコが、完璧なメイクを施しながらニシシと笑う。

 

「……C地点の廃ビル。表向きは今は使われていないことになっているけれど、その地下が、今回の闘技場(コロシアム)というわけね」

マリアが、図面を頭に叩き込みながら冷たく言い放った。

 

 

――一方、C地点の廃ビル地下。

 

「……とりあえず、仕事の日までここで寝ててくれ」

スレイは、コンクリートむき出しの薄暗い小部屋へと案内された。

 

重い鉄の扉が閉まると同時に、外からガチャリと、分厚い南京錠が掛けられる音が響いた。

 

スレイは安物の百円ライターをカチャリと鳴らし煙草に火をつける。そして、インカムのスイッチを入れた。

「……こちらスレイ。通信は問題なしか」

 

『ええ、良好よ。音声もバイタルも問題なし』

マリアの落ち着いた声が返ってくる。

 

部屋の隅には、粗末なベッドとトイレがあるだけだ。

 

しかし、しばらくすると鉄格子の下から適度な食事が差し入れられた。殺し合いのショーで見栄えを良くするため、そしてエサを長持ちさせるため、餓死や衰弱はさせないという悪趣味な配慮だ。

 

『……出せェッ! 借金は返すから、ここから出してくれェッ!!』

壁の向こうの別の部屋からは、騙されて連れてこられた若者たちの、絶望に満ちた泣き叫ぶ声が響いてくる。

 

(……まるで、昭和のマグロ漁船か、人身売買の収容所だな)

スレイは、幼い頃に臓器売買の孤児院で過ごした冷たい部屋を思い出しながら、無言で出された食事を平らげ、来るべき処刑の時に向けて静かに目を閉じた。

 

 

――そして、翌日の夜。

 

C地点の廃ビル、人目につかない裏口。

 

普段は誰も寄り付かないはずのその場所に、世界有数の超高級車が次々と滑り込むように到着し始めた。

車から降りてくるのは、仕立ての良いスーツやドレスに身を包んだ、海外の富裕層(VIP客)たちである。

 

もちろん、その顔ぶれは、すでにダクト内に潜入してスタンバイしているリルと、モニカが仕掛けた超小型カメラによって、ばっちりと撮影・照合されていた。

 

そして。

本物のアーリア人セレブ家族になり替わったマリア、モニカ、メイコの3人もまた、流線型の見事な真っ赤な高級車に乗って、堂々と裏口へと乗り付けた。

 

【挿絵表示】

 

「……ふふっ。萌美総理が手配してくれた、この最高級のスーパーカーなら、エントランスで見下されることもないわね」

マリアが、優雅に後部座席から微笑む。

 

「だねー! さすが総理のパトロンマネー、こんなフェラーリの特注車を用意してくれるなんて――」

メイコが、車のフロントに輝くエンブレムを見て、得意げに言いかけた、その時だった。

 

「……ちょっと待ちなさい」

運転席から降りたモニカが、エンブレムの文字を二度見して、顔面をヒクヒクと引き攣らせた。

「……これ、フェラーリじゃないわよ……ッ」

 

「え?」

マリアとメイコが、よくよくその跳ね馬(のような何か)のエンブレムの文字を覗き込む。

そこには、美しい筆記体で、堂々とこう刻まれていた。

 

Ferrachi (フェラーチ)

 

「…………フェラーチッ!!?」

優雅さを完全に投げ捨てた悲鳴が廃ビルの裏口に響いた。

 

「フェラーリじゃないんかい!! どんな最低なシモネタスーパーカーよこれ!!」

「ちょっとパパーッ! 総理ッ! いくらなんでもこんな車でVIPの乗り付けさせないでよ!!」

 

狂ったパトロンによる新たな多様性ブランドの毒牙。

 

マリアとモニカは、顔を真っ赤にしてフェラーチ(推定数億円)から飛び降りると、周囲のセレブたちにエンブレムの文字を見られないように必死にドレスで隠しながら、屈辱に震えて地下コロシアムへと乗り込んでいくのであった。

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