大急ぎで新神谷橋へと向かうスレイ達PCUメンバー。
それと同時に、青ざめた顔のマネージャーも、血痕のついたレターセットが入ったプレゼントBOXを抱え、事務所の車で指定された橋へと急行していた。
一刻を争う事態だ。先に犯人のアジトを突き止められるか、それとも奴らにまんまと証拠を奪われてしまうのか。
車内の空気がヒリヒリと張り詰める中、通信機から環萌美総理の余裕に満ちた声が響いた。
『……そんなに急ぐ必要はないわ。弱みを握られているのは、向こうも同じよ』
「そうね。確かに、むこうも決定的な証拠を握られている状態だわ」
モニカが、総理の言葉に同意して頷く。
犯人側も、証拠が警察に渡るのを極度に恐れているからこそ、サヨリを人質にして膠着状態を作っているのだ。
「でも……サヨリちゃんが心配だよ」
リルが、暗闇の中で怯えているであろうアイドルの身を案じて眉を下げる。
「平気平気! サヨリちゃんは、アジトに乗り込んできてリルたそに堂々宣戦布告するぐらい肝が座ってるんだし、絶対大丈夫っしょ」
メイコが、先日の焼肉パーティでの修羅場を引き合いに出してカラカラと笑い飛ばした。
「メイコの言う通りよ。落ち着いていきましょう」
マリアが、キーボードを叩きながら冷静にチームをなだめる。
やがて。
指定された新神谷橋に到着したマネージャーは、犯人に言われたとおりに橋の下の目立たない影にプレゼントBOXを置き、逃げるようにその場を立ち去った。
「さて、回収の人間が現れるはずだけど……あやしまれるといけないわ。私達は遠くから監視しましょう」
マリアが少し離れた車内からドローンを飛ばそうとするが、モニカがそれを手で制した。
「いや……リルとメイコは、直接橋に向かってちょうだい」
モニカの意図を察し、二人は顔を見合わせる。
プロの反社組織は、周囲に警察関係者が張り込んでいないか血眼になって警戒しているはずだ。
しかし、この二人ならば絶対に警察だとは思われない。
彼女たちの持ち合わせている特有のアホさ(警戒心のなさ)が、最高のカモフラージュとして使えるのだ。
車内で手早くヤングな服に着替えたリルとメイコは、カバンを揺らしながらごく自然な足取りで橋の下へと向かっていった。
「わー! たこ焼き! たこ焼きー!」
「ここで食べよう〜! いい天気だし、最高っしょ!」
橋の下の土手に座り込み、二人は買ってきたばかりのたこ焼きの舟を開けて大はしゃぎを始めた。
そこへ。周囲を鋭く見回しながら、組織の下っ端と思われる男が橋の下に姿を現した。
男は土手にいる女子学生らしき二人を見て一瞬身構えるが、彼女たちのあまりにも平和な会話を聞いて毒気を抜かれた。
「マヨネーズ! マヨネーズもっとかけるー! ゴブリンの特濃ドバァツー! エルフさんピンチ!」
「ちょ、ザーメ……マヨネーズかけすぎ!! ……あーっ、最悪! ジュースこぼしたし!」
「あはははっ、メイコちゃんドジ〜!」
(……何なの一体、この会話は)
(……違う意味で怪しまれないだろうか)
通信越しに聞いているモニカとマリアが、頭を抱える。
(……ただの学生か。警戒する必要もないだろう)
下っ端の男は完全に警戒を解き、マネージャーが置いていったプレゼントBOXを無造作に拾い上げた。
そして、アジトのある板橋の方向へ――すなわち、リルとメイコが座っている土手のすぐ横を通って歩き出した。
その瞬間を、二人は見逃さなかった。
「あーあ、メイコちゃん制服汚れちゃったね~。ティッシュが、あれれ、ないや!?」
「アタシも持ってないっしょ。……あっ、すいません! そこのお兄さん、ティッシュありますか?」
メイコが、通りすがりの下っ端の男を見上げて、いかにも困ったような声で声をかけた。
「ん……? ああ、ほらよ」
男は舌打ちをしながらも、面倒ごとを避けるためにポケットからポケットティッシュを取り出し、メイコへと差し出した。
「ありがとうございます!」
メイコが明るくお礼を言い、男が再び歩き出そうとした、その刹那。
「あははっ、助かったねー!」
と無邪気に笑いながら男の横をすり抜けたリルが、神がかった手品のような手さばきで、超小型の発信機つきGPSを、男のコートのポケットの中へと滑り込ませていた。
男は全く気づく様子もなく、足早に橋の下から立ち去っていく。
リルとメイコは顔を見合わせてニヤリと笑う。
「……ミッション名、くっころたこやき作戦性交!」
たこ焼きのゴミを片付け、楽しげな女子学生の擬態を保ったまま、反対側の土手へと去っていくのだった。
『……成功でしょ! 成功!』
『……何なのそのミッション名は!!』
インカムから、モニカとマリアのツッコミが入る。
GPSをプレゼントBOXそのものではなく、回収にきた男のポケットに直接仕込むことに成功したと告げると、総理は満足げに鼻を鳴らした。
『……流石リルちゃんにメイコちゃんね。私の教育が行き届いているわ』
「あんたのは教育じゃなくて狂育でしょう!!」
マリアとモニカが、ここでも完璧なハモりを見せる。
そんな時、別動隊として動いていた警視庁トップ・山田相姦より、決定的な知らせが舞い込んだ。
『……例の自販機の下から、SDカードを無事に回収した。中身を確認したが……合成麻薬の取引現場の鮮明な写真だ。そして、そこにABCABC社の幹部と思わしき人物がバッチリと写っている』
通信を聞いていた萌美総理が、冷たい声で呟いた。
「なるほどね……。ただのチンピラではなく、やはり大企業が裏で噛んでいたようね。だからこそ、証拠隠滅に血眼になっていたわけだわ」
「ABCABC社……そして、廃工場……」
マリアが、その二つのキーワードを元にデータベースを凄まじい速度で検索し始める。
「板橋の工業エリアにある廃工場と繋がりそう?」
モニカの問いに、マリアは力強く頷いた。
モニターには、板橋区の地図と、その上を移動する赤い光点(GPSの信号)が表示されている。学生服に着替えたままのリルとメイコも、後部座席からその光の行き先を真剣な目で見つめていた。
やがて、GPSの光点は板橋区の奥深く、地図上の空白地帯へと入っていく。
「……ビンゴよ。このABCABC社が所有していた元工場……あったわ!」
マリアがキーボードを叩き、古い図面をモニターに弾き出した。おそらく、プレゼントBOXを持った下っ端の犯人も、今まさにここに向かっているはずだ。
「よし、向かうぞ」
スレイの低い声と共に、板橋の空白地帯へと向けて急発進する。
しかし、相手はプロの反社組織であり、何より中にはサヨリという絶対的な人質がいる。不用意に近づいて察知されれば、即座に彼女の命が危ない。
そのため、山田相姦の部下たちには、指定場所から少し離れた場所で完全に気配を消して待機するように指示が出された。
――数十分後。板橋区、ABCABC社の元工場。
「ボス! 戻りました!」
薄暗い廃工場の中に、プレゼントBOXを抱えた下っ端の男が駆け込んでくる。
パイプ椅子に座っていたボスが、葉巻の煙を吐き出しながらニヤリと笑った。
「おお、下っ端。戻ってきたか。……どうだ、守備は」
「大丈夫です。尾行もなし、箱にGPSも仕掛けられていませんでした! もちろん、手紙の開封もされていません!」
男は、自分のコートのポケットに『死神の道標』が紛れ込んでいることなど露知らず、誇らしげに報告した。
「そうか、なら上々だな!」
ボスが立ち上がり、いよいよ目当てのレターセットの検閲を始めようと箱に手を伸ばした。
――その頃。廃工場の外、死角に停められたスレイたちの車内。
「……到着したわ」
マリアが静かに告げる。目の前には、錆びついたトタン屋根の巨大な廃工場がそびえ立っている。
人質がいる状況での強襲。その場合、何よりも『殲滅スピード』が大事になる。相手に状況を理解させる前に、全員の意識を刈り取る必要があるのだ。
「……マリア。どこにサヨリがいるか、わかるか?」
スレイが、後部座席で二丁の大型拳銃の弾倉をリロードしながら、低く冷徹な声で尋ねる。
「……熱源センサーと心音探知で感知するわ」
マリアが特殊なスキャナーを工場へ向ける。モニターに、壁を透かした内部の熱源反応がポツポツと浮かび上がった。
「……まず、建物の中には全部で11人ね。大半は中央の広いスペースに固まっているわ」
「サヨリちゃんはどこ!?」
リルが身を乗り出すと、モニカがモニターの一点を指差した。
「……これじゃないかしら。工場の一番奥の小部屋。2つの熱源が、扉の前にじっと立っているわ。そして、その奥の部屋の中に、ポツンと1人だけ……」
間違いない。奥の部屋にサヨリが閉じ込められ、その扉の前で見張りが2人立っている配置だ。
相手の人数と、人質の正確な位置。突入に必要なすべてのピースが揃った。
スピードが大事だ。
スレイはジッポライターでタバコに火を点け、深く紫煙を吸い込んだ。
「……乗り込んで、人質に手を出される前に殲滅させる」
漆黒の暗殺者が、車のドアを静かに開ける。
囚われのアイドルを救い出すための、瞬きすら許されない極限の強襲作戦が、今まさに始まろうとしていた。
薄暗い板橋の廃工場。
プレゼントBOXが無事に手に入り、警戒を解いた反社組織のボスは、下卑た笑いを浮かべて葉巻をふかしていた。
「さーて、人質はどうしてやろうかな」
「しかしまだ、写真(SDカード)の回収と確認をしないと」
手紙の束を開けようとする下っ端の言葉に、ボスは深く頷きながらも、その視線を奥の小部屋の扉へと向けた。
「確かにそうだな。だが、無事に証拠を回収し終わったら、あのアイドルは裏ビデオにでも出させて売ればいいか」
「おおっ、そりゃいいっすね! こんな極上の女、そうそういねーっすからね!」
下っ端たちがゲラゲラといやらしい笑い声を上げた、その瞬間だった。
「……ん? なんだ? 霧か?」
天井付近の通気口から、音もなく複数の小型ドローンが滑り込んできたかと思うと、一斉に真っ白な煙を工場内へとばらまき始めた。
視界が急速に奪われ、強烈な刺激臭が鼻と粘膜を焼く。
「ゲホッ、ゴホォッ!? な、なんだこれ! 目が痛ぇッ!」
「敵か!? なんで俺たちの居場所がバレているんだ!!」
突如として充満した高濃度の催涙ガスに、男たちがパニックに陥り激しく咳き込む。
その混乱の中、人質であるサヨリが閉じ込められている奥の小部屋の扉の前に立っていた二人の見張りが、咄嗟に盾にするために部屋の中へ入ろうとドアノブに手をかけた。
「――遅い」
白い煙を切り裂いて、漆黒のコートを着た巨漢が神速で背後から肉薄した。
スレイは、振り返ろうとした見張りの一人の顔面を鉄拳で打ち抜き(バキッ!)、もう一人の鳩尾に容赦のない前蹴りを叩き込む(ボカッ!)。
二人の大男は悲鳴を上げる間もなく白目を剥き、崩れ落ちた。
「敵だ! 撃てェッ!!」
残る八人の男たちが、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら拳銃を構えようとする。
しかし、そこに学生服姿のまま、物々しいガスマスクを装着した金髪の少女が、煙の中から軽やかに飛び出してきた。
「は~い、バチバチ〜っ!」
リルが両手に構えた高出力のスタンガンを、近くにいた男の首筋と脇腹に容赦なく押し当てる。
「あばばばばばばッ!?」
青白い火花と共に、男たちがカエルのように跳ねて床に転がっていく。
その隙に、スレイは流れるような動作で懐からサイレンサー付きの拳銃を引き抜いた。
『――プシュッ! プシュッ!』
くぐもった発砲音と共に、反撃しようとしていた二人の男の肩や膝を正確に撃ち抜き、戦闘不能にする。さらに接近してきた一人を、奪い取ったスタンガンで無力化して床に沈めた。
「くそっ、化け物かコイツら!?」
残りは五人。スレイは銃をしまい、そのまま近接格闘へと移行する。
襲いかかってくる男の拳を紙一重でかわし、カウンターの鉄拳で顎を粉々に砕く。さらに、背後から組み付こうとした別の男の膝関節に鋭い蹴りを叩き込み、完全に不能にした。
「死ねやぁッ!!」
煙の向こうで、一人の中堅幹部がスタンガンを振るうリルに向けて銃口を定めた。
『――ダンッ!』
しかし、彼が引き金を引くよりも早く、スレイの放ったハンドガンの弾丸がその男の腕を正確に貫いた。男が銃を落として悶絶した隙に、リルが残ったもう一人をスタンガンで鮮やかに仕留める。
あっという間に、工場内は血と硝煙、そして男たちの呻き声だけの空間になった。
残っているのは、葉巻を落とし、顔を引きつらせているボスただ一人だ。
「……やってくれるじゃねぇか、お前ら警察には見えないが!!」
窮地に立たされたボスが狂乱し、スレイに向けてヤケクソで拳銃の引き金を引く。
『――パーンッ!』
放たれた凶弾は、スレイの漆黒のサングラスの横をすり抜け、彼の頬を浅くかすめて一筋の血を滲ませた。
サヨリを誘拐した麻薬取引犯の人間のクズ。
スレイが静かな怒りを込めて一歩踏み出そうとした瞬間。
『――ダァンッ!!』
横から放たれた鋭い銃弾が、ボスの拳銃を握っていた右手を綺麗に撃ち抜いた。
「ぎゃあああああッ!?」
撃ったのは、ガスマスクをずらして冷酷な瞳を向けたリルだった。
「てめぇ……このガキィィィッ!!」
利き手を撃たれ、完全に逆上したボスが、血だらけの腕を振り回しながらリルへと真っ直ぐに突進していく。
「――どこを見ている」
スレイが立ちはだかり、突進してくるボスの顔面を鷲掴みにすると、そのままコンクリートの床へと力任せにねじ伏せた。
『――ドゴォォォンッ!!』
「がはァッ!?」
肺の空気をすべて吐き出したボスの上に馬乗りになり、スレイは丸太のような腕を振り上げる。
『――メキッ! ゴシャァッ!!』
怒りの鉄拳が、ボスの顔面に何度も、何度も情け容赦なく叩き込まれる。
サヨリを恐怖のどん底に陥れ、弄ぼうとしたクズへの制裁だ。
「……ついでだ、もう一発」
完全に意識を失ったボスを床に転がし、スレイは立ち上がりざまに、ダメ押しでその腹部へ強烈な足蹴りをお見舞いした。
嵐のような制圧劇が終わり、工場に静寂が戻る。
スレイとリルは手早く転がっている全員の手足を強固な拘束バンドで締めあげ、身動きを完全に封じた。
「……終わったよ、スレイ」
リルがスタンガンをしまい、息をつく。スレイは頬の血を親指で無造作に拭い取ると、小さく頷いた。
さて、残るは一つだけだ。
スレイは、静かに工場の最奥にある小部屋の扉へと向き直った。
この薄暗い扉の向こうには、彼が来るのを信じて待ち続けている、サヨリがいるはずだ。
血と硝煙の匂いが漂う中、リルが、スタンガンをしまってトテトテと軽い足取りで奥の小部屋へと向かった。
「おーい、サヨリちゃーん! もう大丈夫だよー!」
元気な声で呼びかけながら、リルがその扉をあけようとドアノブに手を伸ばした、その瞬間。
「……まて。あけるな」
背後から、スレイが低く鋭い声で制止した。
「えっ? でも、中にはサヨリちゃんが……」
不思議そうに振り返るリルをよそに、スレイは首元のインカムのスイッチを入れると、外で待機している山田相姦の部隊へ通信を繋いだ。
「……制圧した。山田部隊、至急かけつけろ」
短い報告を終え、インカムを切るスレイ。
リルは目をパチクリと瞬かせ、スレイの顔と扉を交互に見比べた。
「……このまま帰るの?」
「……そうだ」
スレイは短く答えると、血の海に転がるボスの横を通り抜け、床に置かれたままになっていた多様性坂69のプレゼントBOXへと歩み寄った。
そして、懐から血痕のついたウサギのレターセット……ではなく、サヨリが誘拐される寸前に路地裏に落としていった銀色のジッポライターを取り出すと、それをそっとプレゼントBOXの中へと放り込んだ。
コトン、と小さな音が響く。
「……行くぞ」
スレイはそう言い残し、背を向ける。リルも少しだけ不満そうに頬を膨らませたが、大人しく彼に続いて踵をかえした。
入れ替わるようにして、サイレンの音と共に山田部隊が工場へと雪崩れ込んでくる。
『――突入! 人質を救出!! ケガはないか!!』
武装警官たちの力強い声が、工場内に響き渡る。
それを背中で聞きながら、スレイとリルは夜の闇へと姿を消した。
――数時間後。首相感貞・特別地下室。
「うおおおおっ! よかった、本当によかったぁぁッ!!」
円卓の端で、大物議員Aが歓喜の悲鳴を上げ、ハンカチを噛み締めながら男泣きしていた。
現場から無事に戻ったスレイたちを迎え、環萌美総理が満足げに微笑む。
「ご苦労様。いつもどおりの手際で素晴らしいわ。証拠のSDカードも回収し、反社組織とABCABC社の繋がりも完全に立件できる」
「よくやってくれた……! 今はマネージャーと一緒に病院にいっているが、かすり傷一つなかったそうだ!」
大物議員Aが、スレイの手を握らんばかりの勢いで感謝を述べる。
しかし、スレイは深く帽子を被り直し、極めて重々しく、そして神妙な顔つきでこう言い放った。
「……いや。今回の任務は失敗した」
「……え?」
大物議員Aが涙を止めてキョトンとする。
「俺たちは現場に間に合わず……サヨリを助けられなかった。……突入し、あの場を制圧して彼女を救出したのは、すべて優秀な山田部隊だ。俺は何もしていない」
「えーっ!? でも!」
リルが驚いて声を上げる。
「スレイが真っ先に突っ込んで、ボスたちをタコ殴りにして殲滅させたんじゃん! スタンガンでバチバチッて!」
「そうっしょ! アタシたちもGPS仕掛けたりめっちゃ働いたし!」
事情を知らないリルとメイコが、当然の事実を口にして猛抗議する。
しかし、その場にいた空気を読む大人たちは、スレイの必死すぎる嘘の意図(アイドルからの重すぎる好意の回避)を瞬時に察知した。
「……そうね。今回は、私たちの任務がうまくいきませんでした」
モニカが、スッと表情を消して真顔で相槌を打つ。
「ええ。私たちは何もしていません。すべては山田部隊のおかげですわ。私たちはただ板橋をドライブしていただけです」
マリアも、わざとらしくため息をつきながらスレイの隠蔽工作に加担する。
自分が助け出したとなれば、ただでさえ重い彼女の愛情(執着)が、今度こそ後戻りできないほどに深まってしまう。
彼女は表の光り輝く世界で生きるべき人間だ。裏の掃除屋(自分)が、これ以上関わってはいけない。
命がけでサヨリを助けたという自らの輝かしい実績を、これほどまでに必死に隠滅しようとする最強の暗殺者の哀愁。
その茶番を黙って見ていた萌美総理は、ルージュの唇に弧を描き「……」と少しだけ沈黙した後、クスクスと意地悪く笑った。
「……そうなのね。じゃあ、そういうことにしておくわ」
フリージャーナリストが命と引き換えに隠した、真実のデータ。
反社組織がなんとしても隠したかった、企業の深い闇。
トップアイドルが胸の内に隠し持っていた、一途すぎる不器用な恋心。
そして、自分のヒロイン的功績を全力で隠滅しようとする、不器用な暗殺者。
それぞれが、それぞれの隠したいものを抱えたまま。
かくして、血塗られた手紙を巡る事件は、誰も知らない秘密のままに幕を下ろすのであった。
――後日。新宿アジト、リビング。
『――ピンポーン!』
その時、アジトのインターホンが軽快に鳴り響いた。
大物議員Aのガバガバな情報管理のせいで、この極秘アジトの場所はすっかり特定の人物に割れてしまっている。
ガチャリと扉を開けると、そこには帽子とマスクで変装した、多様性坂69の絶対的エース・サヨリが立っていた。
彼女はスレイの顔を見るなり変装を取り払い、涙目で部屋に飛び込んできた。
「スレイさん……ッ! ありがとう……私、信じてた……!」
サヨリは感極まった様子で、スレイの太い胴体にギュッと強く抱き着いてくる。
暗闇の廃工場で、彼が必ず助けに来てくれると信じていたのだ。
しかし、スレイは微塵も表情を変えず、抱き着く彼女の肩をそっと引き剥がして、冷徹な声で告げた。
「……いや。お前を助けたのは、日本の優秀な警察だ。俺は何もしていない」
「え……? そんなことない! だって、扉の外からリルさんの声が聞こえました……!」
サヨリが必死に食い下がるが、スレイは表情一つ崩さない。
「それは聞き違いだ。警官の中には優秀な女性警官もいる」
そう言い放つと、スレイはポケットから安物のタバコを取り出し、カチャリと銀色のジッポライターで火をつけた。
それは彼が質屋でわざわざ買い直した、サヨリの持つお守りと全く同じ型のダミーである。
「そんなぁ……」
サヨリの顔が、絶望と悲しみでくしゃくしゃの泣き顔になる。
スレイは紫煙を吐き出し、わざと冷たく言い放った。
「ジッポだって、ここにある。……お前は、誰かと勘違いしているんだ。帰れ」
その決定的な拒絶の言葉に、サヨリはもう何も言わなかった。
ただ、ポロポロと大粒の涙をこぼし、深く頭を下げてアジトを去っていくしかなかった。
「表の世界のアイドルを裏社会に巻き込まないために、あえてフリを通す……そうしたいのねー。男心って複雑っしょ」
メイコがポツリとこぼす。
「こっちの世界に関わらせない……それも、一つの愛情よ」
マリアが少しだけ優しい声で言う。
「アイドルと裏の掃除屋じゃ、ご身分が違いすぎるのは否定できないわね」
モニカが紅茶を飲む。
「なんかサヨリちゃんにはかわいそうな気もするけど……スレイには私がいるしね!」
リルが、スレイの背中に元気よくしがみついた。
――数日後。都内の大通り。
オフの日に、変装して街を歩いていたサヨリの足が、ふと止まった。
(……あれ、スレイさんだ!)
人混みの中で頭一つ飛び抜けている、漆黒のコートとサングラスの男。
あの日冷たく突き放されたけれど、やはりどうしても一言声をかけようと、サヨリが勇気を出して駆け寄ろうとした、その時。
あっ、とサヨリは息を呑んだ。
スレイの脇には、彼にぴったりと腕を絡ませている女の人がついているではないか。
しかも、思わず見惚れてしまうほどに美しい、輝くような銀髪のナイスバディな女性だ。
(……彼女、さん……?)
スレイがあの時、自分を突き放した理由。
サヨリの頭の中で、勝手な想像が膨れ上がっていく。
「……私じゃ、ダメなのかな……」
アイドルとしての自信を完全に打ち砕くほどの圧倒的な美貌を見せつけられ、サヨリは悲しそうに俯いた。
もはや、声をかける勇気など残っていなかった。
しかしサヨリの知らないところで、その美しい銀髪の女性は、公衆の面前でとんでもない言葉を弟に向けて放っていた。
「ねぇねぇ、スレちゃんっ! 次どこいく〜!? ホテルいく!? エッチする!?」
血の繋がった実の姉シルビアが、弟の腕に豊満な胸を押し当てながら、嬉々として愛の言葉(直球すぎる性欲)を叫んでいる。
「…………姉さん、頼むから離れてくれ……(そもそも週刊誌に見られたらどうするんだ!)」
周囲の通行人からのドン引きするような視線を一身に浴びながら、最強の掃除人は今日一番の深いため息をつき、げっそりとした顔で天を仰ぐのであった。