――その後、首相感貞・特別地下室。
「お疲れ〜!」
血の匂いを一切させずにケロッとした顔で帰還したリルとスレイを、マリアとモニカが腕を組んでジロリと睨みつけていた。
「……スレイ。全然作戦になってないじゃない。モニカの立てた完璧な潜入プランを何だと思っているの?」
マリアのお小言に、スレイは少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。
「……いや。……オムライスに味噌は、絶対にありえない」
理不尽極まりないこだわり(言い訳)を口にする最強の暗殺者に、女性陣は揃って呆れたようなため息をついた。
「まぁ、結果的に情報が引き出せたから良しとするわ。……それより、現場に残されていたオルゴールって、結局何だったの?」
リルが、証拠品として円卓の上に置かれた古びたオルゴールを指差して首を傾げた。
「もしかしたら、殺される前にヤバい証拠(データとか)をあの中に隠したのかもっしょ!」
メイコが推理ゲームのように目を輝かせる。
「ええ、追われていると気づいて、何かあった時のために機密を隠すというのは十分にありえるわ」
モニカも同意する。
が、しかしマリアが各種スキャナーやX線でオルゴールを隅々まで調べてみるも、隠しスペースもSDカードも、発信機すら何も仕込まれていなかった。
蓋を開けると、ただ可愛らしいバレリーナの人形が、優しい音色に合わせてくるくると回るだけの、ごく普通のオルゴールだったのだ。
「……証拠品じゃないとすれば。……マリア、被害者青年の家族について調べてくれ」
ずっと黙ってオルゴールを見つめていたスレイが、不意に低くしゃがれた声で指示を出した。
マリアが即座にタイピングを行い、青年の戸籍と保険証の履歴を割り出す。
そして、モニターに表示されたその残酷な真実を見た瞬間、地下室の空気は凍りつくような静寂と悲しみに包まれた。
「……青年の妹が、重い病気で足が不自由になっていて……都内の病院にずっと入院しているわ」
マリアの震える声が、静かな部屋に響く。
「……そして、あの轢き逃げされた昨日の夜は……その妹の、誕生日だったのよ」
点と点が、最も悲しい形で線として繋がった。
青年が、学校以外の時間をすべて費やし、寝る間も惜しんで異常なまでにアルバイトを掛け持ちしていた理由。
それは、妹の足を治すための高額な手術代を稼ぐためだったのだ。
そして、あの血だまりに落ちていたバレリーナのオルゴール。
妹の夢は、足が治ったら、もう一度バレエを踊ることだった。
優しい兄は、何も知らずに裏社会の運び屋としてこき使われながらも、愛する妹の誕生日に、その夢を応援するための大切なギフトを届けようとしていたのだ。
しかし、そのささやかで尊い願いは、欲にまみれたクズ共のトラックによって、冷たいアスファルトの上で無惨にひき潰された。
「…………っ」
リルが両手で口を覆い、ポロポロと大粒の涙をこぼした。
メイコも言葉を失い、モニカはやり場のない怒りに唇を強く噛み締めた。
「…………」
スレイは無言のまま、蓋の開いたオルゴールを見つめていた。
優しい音色に合わせてくるくると回るバレリーナの姿が、かつて児童売買の孤児院で共に地獄を見た、病弱だった子供たちの姿と重なる。
スレイの分厚い胸の奥で、決して消えることのない、絶対零度の殺意が静かに、しかし確実に臨界点を突破した。
妹の夢を奪い、優しい兄の命を路上のゴミのように奪い去った外道ども。
明日の夜19時。裏の掃除屋たちは、この悲しすぎるギフトの代償を、文字通り命で支払わせるために地獄の扉を開くのであった。
――首相感貞・特別地下室。
悲しすぎる青年の真実を知った裏の掃除屋たちは、明日の夜19時にプレシャスギフト食堂に現れるお届けの男(運び屋)を誰が待ち伏せするかという協議に入っていた。
「……まぁ、今回ばかりは珍しく満場一致で、スレイ一択ね」
モニカが、腕を組んで即答する。
「えーっ、アタシたちも一緒にお店番したいのにー!」
リルが頬を膨らませるが、マリアがピシャリと嗜めた。
「ダメよ。裏組織の末端とはいえ、相手はヤクザの運び屋よ。リルやメイコのような同胞(仲間)がいるとは思えないし、確実に怪しまれるわ」
確かに、薄暗い裏稼業の現場に、幼児体型の金髪少女や「ばいやーっしょ!」と笑うギャル大生が店番として立っていれば、一発で警戒されてしまう。
「……わかった。俺が店番をする」
漆黒のコートを着たスレイが、静かに承諾した。
「……しかし、明日はその場で味噌にしてはいけないんだな」
スレイが丸太のような腕をボキボキと鳴らしながら、真顔で物騒極まりない確認をとる。味噌にする、すなわち、昨日と同じように問答無用で顔面を叩き潰して半殺しの肉塊にするということだ。
「当たり前でしょ!!」
マリアとモニカが声を揃えて全力でツッコミを入れた。
「あいつをここで潰したら、元締めの居場所がわからなくなるわ! 泳がせて、尾行して、ボスのところへ辿り着く必要があるのよ! 絶対に手を出さないでね!」
その騒がしいやり取りの傍らで。
環萌美総理だけは、一人静かに円卓の端に立ち、血に染まって壊れてしまったバレリーナのオルゴールをそっと両手で持ち上げ、悲しげな瞳で見つめていた。
彼女の美しい瞳の奥には、妹の夢を奪った外道どもに対する、最高権力者としての冷酷で底知れぬ怒りが静かに渦巻いていた。
――翌日。19時。
プレシャスギフト食堂(という名の雑居ビルの一室)。
エプロンも着けず、ただパイプ椅子にドカッと腰を下ろしたスレイが、暗い室内で一人待ち構えていた。
やがて、重い鉄の扉がガチャリと開き、ボストンバッグを提げたゴロツキらしき男が警戒した様子で入ってきた。
「……おい。見ない顔だな?」
男が眉をひそめて立ち止まる。
しかし、パイプ椅子からゆっくりと立ち上がった2メートル近い巨漢と、その傷だらけの顔面、そして全身から立ち昇る圧倒的な血の匂い(殺気)を浴びた瞬間、男はヒィッと息を呑んだ。
ゴロツキらしき男(……めちゃくちゃヤバい本職の人が派遣されてきた!!)
風貌が風貌だけに、逆に直感から疑うどころか完全に萎縮してしまったのだ。
「……あぁ、昨日からだ」
スレイが低くしゃがれた声で凄むと、男は冷や汗を流しながらも、運び屋としての最低限のルールを口にした。
「そ、そうか……。いや、念のためだ。引き継ぎは受けてるよな? 合言葉を確認するぞ」
その瞬間、通信越しに監視していた首相感貞のメンバーたちは一斉に凍りついた。
『えーーーーーっ!?』
リルがモニターの前で頭を抱える。
『ばいやー!! そんな合言葉のシステムのことなんて、昨日のチンピラから一言も吐かせてないっしょ〜!?』
メイコがパニックになって叫ぶ。
『しまっ……! スレイが答えられなかったら、また鉄拳制裁での突破になっちゃうわ!』
『せっかくの尾行計画ができなくなる!! スレイ、適当に誤魔化して……っ!』
モニカとマリアが絶望的な顔でインカムに祈る。
昨日、物理的な暴力で無理やり口を割らせた弊害が、ここに来て最悪の形で牙を剥いたのだ。
男が、怯えながらもスレイの答えを待っている。
絶体絶命のピンチ。しかし、スレイは顔色一つ変えず、ただ静かに低く呟いた。
「……味噌」
「……了解! はいよ、それじゃ今日のブツな!」
男はあっさりと笑顔になり、ボストンバッグの中から大量の錠剤が入った袋をテーブルにドサリと置くと、颯爽と扉の向こうへ去っていった。
『…………は?』
首相感貞の地下室に、ぽかんとした静寂が落ちた。
『合言葉!! 味噌!? なんで!? スレイが機転を利かせている……!?』
マリアが信じられないものを見るような目でモニターを凝視する。
『いやいや、注文の暗号をそのまま言っただけじゃん! 理不尽っしょ!!』
メイコが爆笑しながら机を叩きまくる。
結果的に、昨日「オムライスに味噌は邪道だ」と激怒したスレイの脳内に残っていた単語が、奇跡的に相手の合言葉と一致(あるいは相手が適当に納得)するという、あまりにも理不尽な奇跡が起きたのだ。
「……ふぅ」
スレイは、手を出さずに無事にやり過ごせたことに安堵し、静かにタバコに火を点けた。
『……こほん。とにかく、尾行作戦は成功よ』
気を取り直したモニカが、インカム越しに作戦のフェーズ移行を告げる。
男が雑居ビルを出た瞬間から、すでに周囲に配置されていた山田相姦の精鋭部隊が、音もなく尾行を開始していた。
男は警戒する様子もなく、数ブロック先の、少し大きめの雑居ビルへと吸い込まれていった。
『……スレイ。ターゲットがビルに入ったわ。入り口の郵便受けの表記は……』
マリアが監視カメラの映像をハッキングし、その表札を読み上げる。
『 プレシャスギフト商事 』
食堂の裏に潜む、すべての悪意の供給源。
妹の手術代を稼いでいた青年を、無惨に轢き殺すよう命じた張本人たちの本拠地だ。
「……了解した。すぐに向かう」
スレイは安物の百円ライターの蓋をカチンと鳴らし、足元に置かれた大量のドラッグを一瞥することもなく、夜の闇へと姿を消した。
奪われた大切なギフトの代償を、血と絶望で支払わせるために。裏の掃除屋の真の処刑劇が、いよいよ幕を開けようとしていた。
――東京都内、プレシャスギフト商事。
薬物の元締めが潜むその雑居ビルのフロアの前に、漆黒のコートを着たスレイが音もなく降り立った。
隣には金髪をなびかせたリルが立っている。
背後には、完全武装した警視庁トップ・山田相姦の精鋭部隊が、いつでも突入できるようフォーメーションを組んで息を殺している。あとは、イヤホン越しに下される最高権力者からのGOサインを待つだけだ。
『……スレイ。踏み込んだら、おそらく中には大量の薬物の在庫があるはずよ』
通信機から、環萌美総理の透き通るような、しかし絶対零度の声が響く。
『そして、売り捌いた莫大な現金と、薬を作っている製造工場などのエビデンス(帳簿)もね。……必ず、この3つを持ち帰ってちょうだい』
「……了解した」
スレイが無言で深く頷くと、萌美総理は紅茶のカップを優雅に置き、甘く冷酷な声で死刑宣告を下した。
『……じゃあ、クズ共に大切なギフトをあげなさい』
「ほーい!」
リルが元気よく返事をする。
「行くぞ」
スレイの低い声と共に、山田部隊の先頭が特殊工具で重厚な鉄扉を一瞬でこじ開けた。
『ガンッ!!』という激しい破砕音と共に、真っ先にスレイが巨大な弾丸のように室内へと躍り込む。
「んぁ? なんだてめぇら……って、お前はさっきのやつ!? なんでここが……」
数十分前に食堂で錠剤を引き渡したばかりのゴロツキが、目を丸くして立ち上がった。
しかし、彼がその疑問を言い終わるよりも早く。
『――ドゴォォォンッ!!』
「あべばぁッ!?」
スレイの容赦なき怒りの鉄拳が、男の顔面に深々とめり込み、そのまま数メートル後方の壁まで吹き飛ばして完全に沈黙させた。
「警察だ! 貴様ら、全員その場を動くなァッ!!」
山田部隊が次々と雪崩れ込み、銃を構える。
しかし、相手は半グレや不良外国人上がりの狂犬どもだ。
「ふざけんな、サツだァ!? ぶっ殺せェッ!」
鉄パイプやマチェーテを握りしめ、次々と殺気立って応戦してくる男たち。
「はーい、バチバチでーす!」
不良外国人(ベトナム人)「うぎゃああああッ!」
リルのスタンガン(MAX出力)が炸裂する。
だが、彼らの前に立ちはだかるのは、法治国家の警察官ではない。
妹の夢を奪われた青年の無念を背負った、純度100パーセントの殺戮兵器である。
「……邪魔だ」
スレイが低く吐き捨てる。
『ゴシャァッ!』『メキィッ!』
「ぎゃああああッ!」「ごふっ……!」
「ついでにオムライスの恨みでーす!」
不良外国人(パキスタン人)「うぎゃああああッあッあッー!」
またまたリルが無邪気に電撃をお見舞いする。
スレイは迫り来る刃物を最小限の動きで躱し、丸太のような腕と革靴で、次々と半グレどもを紙くずのようになぎ倒していく。
腕をへし折り、膝を砕き、脳震盪を起こさせて床に転がす。まさに一騎当千の暴風雨だ。
「ヒッ……、ば、化け物……!」
次々と仲間が血の海に沈んでいく惨状を見て、フロアの奥でふんぞり返っていたボスらしき男が、ついに恐怖で顔を引きつらせて立ち上がった。
「おい、なんだてめぇは!! 近寄るなァッ!!」
ボスが震える手で懐から拳銃を抜き放ち、その銃口をスレイへと向ける。
『――ヒュッ』
銃爪が引かれるよりも早く。スレイの指先から放たれた漆黒のサバイバルナイフが、空気を切り裂いて一直線に飛来した。
『――ズドスッ!!』
「ぎゃあああああッ!! 痛えぇぇぇぇッ!!」
ナイフの刃は、銃を握っていたボスの右手の甲をピンポイントで貫き、そのまま背後のデスクの天板へと深々と縫い付けた。
床に転がり落ちた拳銃を一瞥もせず、スレイはゆっくりと痛みにのたうち回るボスの前へと歩み寄り、その胸ぐらを片手で軽々と吊り上げた。
「……答えろ。青年の自転車に突っ込んだ、轢き逃げ犯(実行犯)はどいつだ?」
スレイのサングラスの奥で燃える、絶対的な殺意。
しかし、激痛に涙と鼻水を垂れ流すボスは、首を狂ったように横に振った。
「し、知るかよ!! そんなの、命令して適当に行かせただけだ! うちには末端の若い奴が大勢いるんだ、誰が運転してたかなんて俺もいちいち把握してねぇッ!!」
……なるほど。誰の命を奪ったのかも、誰に奪わせたのかも、こいつらは最初から気にも留めていないということか。
妹の手術代を稼ぐために必死に生きていた青年の命は、こいつらにとっては、誰が踏み潰したかも覚えていないほどの『ゴミ』だったのだ。
「…………そうか」
スレイは低くしゃがれた声で呟き、ボスの胸ぐらを乱暴に投げ捨てた。
「実行犯がわからないなら、取るべき手段はたった一つしかないねスレイ!」
リルが言う。
「あぁ、仕方ない。……全員に、地獄を見てもらうしかないな」
スレイが答える。
『――バキィッ!! ゴシャァァッ!!』
そこから先は、取り調べですらない、ただの蹂躙だった。
スレイの容赦なき拳と蹴りが、部屋中に転がるすべてのクズ共に、青年の奪われた命の重さを物理的な激痛として叩き込んでいく。
骨が砕け、悲鳴が重なり、やがてフロアは完全に沈黙の地獄と化した。
数分後。
「……マリア、総理。アタリだ」
血の海の中心で、スレイは一人静かにインカムのスイッチを入れた。
「プレシャスギフト商事の奥に、大量の薬物、そして莫大な現金と裏の帳簿(エビデンス)を確認した」
『私とモニカも今行くわ!』
『えぇ、いきましょう』
マリアとモニカが応答する。
『……よくやったわ、スレイ。全品回収よ』
総理の冷徹な指示と共に、待機していた山田相姦の部隊が素早く動き出し、ダンボールに詰められた証拠品や裏金、そしてボロ雑巾のようになった半グレどもを次々と外へ運び出していく。
こうして、若者たちに安価な毒をばらまき、一人の心優しい青年の命を奪った悪の組織は、一夜にして完全に壊滅した。
『うひゃー、これじゃクズ共には、地獄という名のギフトだね!』
通信からメイコの声が聞こえる。
スレイは荒れた室内で、安物のタバコに火を点ける。紫煙が、血と薬の匂いが混ざった空気をゆっくりと昇っていく。
どれだけ敵を殴り倒しても、あの青年が妹の元へ帰ることはもう永遠にないのだ。
(……待っていろ、青年)
スレイはタバコの煙を深く吐き出し、静かに誓う。
残された彼の大切な妹へ、せめて本当のギフトを届けるために。スレイは夜の闇へと、その重い足を踏み出すのであった。
時計の針を少しだけ戻す。
プレシャスギフト商事へ突入する直前。
スレイは環萌美総理から、密かに一つのものを託されていた。
「……終わったら、ここに届けてちょうだい」
そう言って総理がスレイの大きな掌に握らせたのは、壊れてしまったあのオルゴールと同じデザインの、ピカピカの新品のバレリーナのオルゴールと、とある病院の住所が書かれたメモだった。
スレイはそれを受け取り、無言でコートのポケットへと忍ばせていたのだ。
――そして、プレシャスギフト商事の完全制圧後。
山田相姦の部隊が、押収した大量の薬物や現金、裏帳簿の入ったダンボールをせわしなく外へと運び出していく中。
スレイは誰にも告げず、一人夜の街へと消え、その住所の病院を目指していた。
一方、首相感貞・特別地下室。
「お疲れ〜、リルたそ! スレイ!」
作戦の完了を見届けたメイコが、通信機に向かって元気よく労いの声をかける。
「メイコちゃん、ありがと~! あれ、スレイがいない?」
リルがキョロキョロと周囲を見回す。
「あれ? いない? GPSの反応も切れてるっしょ」
メイコがモニターを見て首を傾げる。
「……うふふ。激しい戦闘の後で血が昂って、新宿の歓楽街にでもお楽しみに行ったのかしらねぇ」
萌美総理が、わざとらしくクスクスと笑いながらはぐらかした。
「……はいはい。モニカ、やっぱりこの組織、裏の帳簿のようなものをつけていたみたいね」
「ええ。マリア、回収したデータを見てちょうだい。……どうやら、薬の原料は海外から取り寄せているみたいね。まだまだ上の組織の尻尾が掴めそうよ」
マリアとモニカは、スレイの不在を気にも留めず、淡々と押収品のエビデンス解析を進めていた。
その頃。
スレイは、都内の総合病院の病室に音もなく忍び込んでいた。(完全な不法侵入である)。
薄暗い室内。ベッドの上では、足の不自由な青年の妹が、静かな寝息を立てて眠っていた。
兄が交通事故で帰らぬ人となった悲報を聞かされたのだろう。少女の目尻には、痛ましい涙の痕が乾いて張り付いていた。
「…………」
スレイは気配を殺したままベッドに近づき、コートのポケットから、萌美総理に託された新品のオルゴールを取り出した。
そして、眠る少女の枕元へと、傷だらけの無骨な手で、壊れ物を扱うようにそっとそれを置いた。
命を削ってでも、妹の夢を叶えたかった優しい青年の、大切なギフト。
スレイは一瞬だけ目を伏せ、病室の窓から夜の風と共に姿を消した。
――翌日。新宿アジト。
「おはよ〜! あーっ、スレイ戻ってきてる!」
エプロン姿のリルが、リビングのソファでコーヒーを飲んでいるスレイを見つけて駆け寄る。
「ちょっと、どこいってたのよ〜。制圧後、急にいなくなるし!」
「そうよ。戦闘で昂って、そのまま風俗街にスッキリしに行ったとか、総理が勝手なこと言ってたわよ」
モニカとマリアがジト目で非難するが、スレイは顔色一つ変えずにコーヒーカップを置いた。
「……いや。……銃とナイフの、メンテナンス屋に行っただけだ」
最強の暗殺者は、不器用な嘘を静かに紫煙でかき消した。
――数日後。青年の妹の病室。
「よかったですね。……来週、いよいよ足の手術が決まりましたよ」
カルテを持った看護師が、ベッドで車椅子に乗る少女に優しく微笑みかけた。
「えっ……?」
少女は信じられないといった顔で目を見開いた。
「でも、手術代なんて……お兄ちゃん、そんな大金用意してたの……?」
「ええ。病院の口座に、お兄様のお名前でしっかりと振り込まれていましたよ」
看護師は少しだけ目を伏せ、同情に満ちた声で続けた。
「……お兄さんは、本当に気の毒でしたね。……でも、妹さんの夢のために、誰よりも頑張って働いていたんですね」
「……お兄ちゃん」
少女の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「いつも、アルバイトばっかりしてた……。全部、私のために……っ!」
少女は泣きじゃくりながら、枕元に置かれていたバレリーナのオルゴールを両手で大切に抱きしめた。
ゼンマイを巻くと、チープで、優しくて、どこか悲しい音色が病室に響き渡る。
くるくると回る小さなバレリーナの姿に、少女はいつか必ず自分の足で踊ることを、天国の兄へと誓うのであった。
――同時刻。首相感貞・執務室。
「……プレシャスギフト商事から回収した裏金(現金)ですが、私のほうでいくつものダミー会社を経由させ、完璧に誤魔化しておきました」
大物議員Aが、オタクの顔を完全に消し去った有能な政治家の顔で、萌美総理へと報告書を提出した。
「ご苦労様。……あくまで、あの青年が血の滲むような思いで稼いだ正当なアルバイト代として支払ったというていにするのよ」
環萌美総理は、美しいルージュの唇に満足げな弧を描いた。
「はい、そこは抜かりありません。押収した現金を洗浄し、青年のアルバイト代の未払い分として大きくかさましして、彼の銀行口座に振り込ませました。法的な書類もすべて私が手を回して改ざん済みです」
「ええ。……それなら、あの手術代が青年の稼いだお金だと疑う者は、表の警察にも、病院にも、誰一人としていないでしょうね」
半グレどもが弱者から搾取した汚い金が、国家権力のトップの手によって合法的にマネーロンダリングされ、一人の少女の足と夢を救うためのギフトへと生まれ変わった。
「そして、来週には無事に手術の運びとなります」
大物議員Aが深く一礼すると、萌美総理は窓の外に広がる東京の青空を見つめ、静かに微笑んだ。
「そう。……それは、よかったわ」
血と暴力で彩られた裏社会の事件の果てに、一つのささやかな夢が守られた。
それぞれの大切なギフトを胸に秘め、裏の掃除屋たちの戦いは、今日も知られざる影の中で続いていくのであった。