――屋敷の外。
「多数の警備やSPがいたはずよ、どういうことなの?」
マリアが、煤だらけの執事に問い詰める。
「それが、警備が数人殺されて、犯人自らはガソリンをかぶって火をつけたようです」
執事が震える声で答える。
「何が無敵の人よ、本当にいい迷惑ね! 死ぬなら他者を巻き込むな!!」
マリアが激昂する。
「しかも単独ではなく複数人いたようで、中には爆弾を持って自爆した犯人までも……」
「まさに狂信者ね! そして完全に自爆テロじゃない!」
モニカが顔面を蒼白にする。
「まさかガソリンまで使って自爆テロとは……、思考回路が読めない相手は本当に脅威だわ」
マリアが、燃え盛る屋敷を絶望的な眼差しで見上げた。
――屋敷の中。
炎は、怖い。
肌をジリジリと焦がす熱波も、視界を奪う真っ黒な煙も、すべてが過去の最悪の記憶(トラウマ)と結びついて、リルの小さな身体を本能的な恐怖で縛り付けようとする。
(……すごく、怖い)
息をするたびに、焼けた空気が肺を焼き切るように痛い。
両親が焼け死んだあの日の車の光景が、何度も何度もフラッシュバックして、足がすくむ。
だけど。
たった一人の大切な友達を失うことは、炎に焼かれることよりも、ずっと、ずっと怖かった。
「……ゲホッ、ゴホッ……! メイコちゃん……っ!」
リルは、炎の壁をすり抜け、這うようにして煙の充満する二階の廊下を進んだ。
そして、ようやく目当てのドア――メイコの自室の扉を蹴り開ける。
部屋の中は、すでに真っ白な煙で満たされていた。
その奥、ベッドの脇で、少女が床に倒れ伏しているのが見えた。
「メイコちゃん!!」
リルが駆け寄る。
激しく咳き込み、煙で意識を失いかけていたメイコが、微かに目を開けた。
「……リル、たそ……?」
いつもは大きな声で笑うギャルの、ひどく掠れて弱々しい声。
「なんで……こんなとこに……パパ、は……」
「大丈夫、パパは外にいるよ! わたしが来たから、もう大丈夫だからね!」
リルは、自分よりも背が高く、ずっと重いメイコの身体を引き起こすと、その腕を自分の細い首に回し、しっかりと肩を貸した。
「……歩ける? 一緒に外に出よう!」
「……うん……っ、ごめ……」
メイコの体重が、リルの小さな身体にズシリと圧し掛かる。
二人は互いを支え合いながら、炎が這い回る廊下へと出た。
熱い。熱い。熱い。
髪の毛がチリチリと焦げるような感覚。周囲の壁紙がめくれ上がり、火の粉が容赦なく降り注ぐ。
それでも、リルは絶対に逃げなかった。
メイコの身体を支える手を、絶対に離さなかった。
「……ゲホッ! もう少しだよ、メイコちゃん……!」
火の海と化した大階段を、一歩、また一歩と、執念で降りていく。
熱気で視界が歪み、酸素が足りなくて頭が割れるように痛い。それでも、リルの瞳には裏掃除屋としての強靭な意志と、友を守るという覚悟が宿っていた。
そして、ようやく。
二人は、炎に包まれた大邸宅の1階ロビーへと辿り着いた。
「……ッ、見えた……! 出口だよ、メイコちゃん!」
黒煙の向こうに、マリアたちが待つ外の光――ひしゃげた玄関の扉が見えた。
あと少し。あと十メートルも歩けば、この灼熱の地獄から抜け出せる。
そう思った、その瞬間だった。
『メキメキメキッ……!! ドゴォォォォォンッ!!!!』
頭上から、不吉な破砕音が響いた。
炎に完全に焼かれ、限界を迎えていたロビーの巨大な『大黒柱』が、無慈悲な轟音を立てて、二人の頭上めがけて崩れ落ちてきたのだ。
「……ッ!! 危ないッ!!」
リルは、一切の躊躇なく、肩を貸していたメイコの身体を出口の方へと力一杯突き飛ばした。
「きゃっ……!?」
メイコが床に投げ出される。
直後、凄まじい衝撃と粉塵が上がり、リルの小さな身体は、崩れ落ちた巨大な柱と瓦礫の下敷きとなって完全に視界から消えた。
「……っ、ぁ……ッ」
「……リルッ!?」
床に倒れ込んだメイコが、弾かれたように振り返る。
もうもうと立ち込める煙と火の粉の中。
巨大な柱の下敷きになり、下半身を完全に押し潰されたリルの姿があった。
「うそ……っ、リルたそ!? リルたそッ!!」
メイコが這いずるようにして瓦礫に駆け寄り、その重い柱を素手でどかそうとする。
しかし、大人の男でも持ち上がらないような巨大な柱は、女子大生の力でビクともするはずがなかった。
「……ゲホッ。だ、ダメだよ、メイコちゃん」
瓦礫の下から、リルの弱々しい声が響いた。
痛みに顔を歪めながらも。彼女は、焦燥に駆られるメイコに向けて、無理に口角を上げ、ニコリと笑ってみせた。
「……メイコちゃんは、先にいって。……わたし、もう、足が動かないや」
「な、何言ってんの!? そんなこと出来る訳ないよ!!」
いつもは「ウケるっしょ!」とケラケラ笑っていたギャル。その顔から、余裕も、軽さも、すべてが完全に消え去っていた。
涙でアイメイクはぐちゃぐちゃになり、煤で真っ黒に汚れながら、彼女は本来の女子大生の顔で、ボロボロと大粒の涙をこぼして泣き叫んだ。
「リルたそッ……! 嫌だ、置いていくわけないじゃん!! ウチらマブダチっしょ!? 一緒に帰るの!!」
熱くなった柱を必死に押し退けようと、メイコの手が火傷で赤く腫れ上がっていく。
「……大丈夫。……スレイを呼んできて」
リルが、メイコを安心させるように、静かに嘘をつく。
自分がここから出られないことは、裏掃除屋としての直感で誰よりも理解していた。だからこそ、メイコだけは絶対に生かして外へ逃がさなければならない。
「だから……早く、外へ……」
「行かない!!」
メイコが、火傷も構わず、瓦礫の下から伸びるリルの小さな手を、両手でギュッと握りしめた。
「ウチも、ここを動かない!! リルたそが行かないなら、絶対に動かないからね!!」
炎の轟音が、二人の少女を囲むように激しさを増していく。
酸素が薄れ、意識が遠のいていく中で。
リルは、自分の醜い傷跡がある顔を、涙でぐしゃぐしゃにして握りしめてくれる少女の手の温もりを、確かに感じていた。
「……メイコちゃん」
リルの瞳から、一筋の涙が、煤だらけの頬を伝って流れ落ちた。
「……初めての友達。……すっごく、嬉しかった」
炎の音に掻き消されそうな、小さな、小さな声。
「……ありがとう」
「リルたそ……! 目ェ開けてよリルッ!! お願いだから……ッ!!」
泣き叫ぶメイコの声が、炎の轟音に溶けて、少しずつ遠ざかっていく。
酸素が足りない。肺が焼け焦げたように痛く、瞼が鉛のように重い。下半身を押し潰す瓦礫の激痛すら、徐々に麻痺して感じなくなってきていた。
(……ああ。わたし、ここで死ぬんだな)
薄れゆく意識の中。リルの脳裏に、あたたかく、くだらなく、そして愛おしい日常の記憶が、走馬灯のように駆け巡り始めた。
すべてに絶望していた自分を、裏社会の闇から力ずくで誘拐してくれた、あの大きな背中。
感情が死んでいるくせに、糖分が必要だろうと、不器用でぶっきらぼうに買ってきてくれた甘いショートケーキの味。
大人の色気が凄いのに実は天才ハッカーのマリア、野菜を食べなさいと怒られる。母親のような存在だった。
モニカの買ってくるパンや甘いものはいつも美味しくて、頭もよくて見識も広く姉のように慕っていた。
任務で日本の一番偉い人、内閣総理大臣にも出会った。実は物凄い変態で薄い本の布教をしている。本当は物凄い人なのにリルがお気に入りだった。
更に任務で世界的な歌姫のシルビアにも出会った。ライブは本当に楽しくて物凄い美人。本当はスレイの実の姉で、物凄いブラコンだった。
そして。自分の醜い顔の傷を、「カッコいい」と笑ってくれた、初めての同年代の友達。
(……楽しかったな)
孤独だった少女が手に入れた、擬似家族のような、騒がしくてあたたかいアジトでの日々。
もっと、あのアジトで、みんなと笑っていたかった。
「……スレイの、お嫁さんに……」
リルの煤けた頬を、熱い涙が一筋だけ伝い落ちた。
「……なりたかった、なぁ……」
その、微かな呟きが、パチパチという炎の音に吸い込まれそうになった、その瞬間だった。
「――なら、諦めるなッ!!!!」
燃え盛る屋敷の壁を。
紅蓮の炎と分厚い建材ごと、凄まじい衝撃音と共に物理的に粉砕して。
199センチを超える、漆黒のコートを纏った巨漢が、地獄の業火を真っ向から引き裂いて現れた。
「……ス、レイ、……!?」
泣き叫んでいたメイコが、信じられないものを見るように目を見開く。
「遅くなってすまない」
最強の暗殺者、スレイ。
彼は、周囲を渦巻く炎熱など一切意に介さず、大股で火の海を踏み越え、リルを押し潰している巨大な柱の元へと歩み寄った。
「スレ……い……? ダメだよ……火傷、しちゃう……」
薄れゆく意識の中で、リルが微かに声を絞り出す。
しかし、スレイの顔には、一片の迷いも、恐怖もなかった。
彼は無言のまま、表面が真っ赤に焼け焦げ、炎を上げている大黒柱の下へと、素手(両腕)を容赦なくねじ込んだ。
『ジュウゥゥゥゥッ……!!』
肉が焼け焦げる、生々しく恐ろしい音。
スレイの太い腕の皮膚が熱で焼けただれ、コートの袖が焦げ火を噴く。通常の人間であれば、ショック死してもおかしくないほどの激痛。
だが、死神の顔は、ピクリとも歪まなかった。
「……う、オォォォォォォォォッ!!!!」
全身の筋肉が爆発的に膨張し、限界を超えたゴリラパワー(膂力)が解放される。
『バキバキバキッ!!』という建材の断末魔と共に、数人がかりでも動かないはずの巨大な燃える柱が、スレイの怪力によって軽々と持ち上げられ、横へと投げ捨てられた。
「……ッ、はぁっ、はぁ……ッ!」
スレイの荒い息が響く。
「よく耐えた、リル。……メイコも、よくリルから手を離さなかったな」
スレイは、火傷で皮膚の爛れた腕をものともせず、血まみれのリルの小さな身体を片腕でしっかりと抱き上げた。
そして、もう片方の腕で、へたり込んでいるメイコの腰を強引に抱え込む。
「……帰るぞ。俺たちのアジトへ」
そう短く告げると。
スレイは、二人の少女を両脇に抱えたまま、崩落が迫る灼熱のロビーを蹴り破り、一直線に外の光へと向かって駆け出した。
「スレイ!! リル!! メイコ!!」
炎上する豪邸の外。
マリアとモニカが、祈るように両手を組んで見つめる視線の先。
黒煙を突き破り、火の粉を散らしながら、一人の巨漢が飛び出してきた。
「ゲホッ……ハァッ、ハァッ……!」
「パパ……!!」
「おおぉっ……! メイコォォォッ!!」
芝生の上に降ろされたメイコに、煤だらけの大物議員Aが泣き叫びながらすがりつく。
「リル!!」
マリアとモニカが、意識を失ったリルに駆け寄った。
下半身に打撲と裂傷はあるものの、呼吸は確かだ。命に別状はない。
「……はぁ、はぁ……」
その背後で。
両腕に痛々しい重度の火傷を負い、コートのあちこちを焦がした最強の暗殺者は、燃え落ちる大物議員Aの邸宅を背に、静かに夜の冷たい空気を肺に吸い込んでいた。
自身の肉体が焼けることなど、彼にとっては些末な問題にすぎない。
家族(護衛対象)を奪おうとした炎に、物理法則(暴力)で完全勝利した死神の瞳には、一切の揺らぎはなかった。
「……ん、ぁ……」
鼻を突く消毒液の匂いと、規則正しい心電図の電子音。
真っ白な天井を見つめながら、リルはゆっくりと重い瞼を開いた。
「リル……! リルたそ、気がついた!?」
すぐ横から、泣き腫らした赤い目をしたギャルが、リルの顔を覗き込んできた。
煤で汚れていた顔は綺麗に拭き取られているが、頬にはいくつもの擦り傷があり、腕には包帯が巻かれている。
「……メイコ、ちゃん」
「よかったぁぁっ……! ウチら、助かったんだよ……っ!!」
ここは、大物議員Aが手配した都内のVIP専用病院の一室だった。
幸いにも、二人は煙を少し吸い込んだだけで、一酸化炭素中毒には至っていなかった。瓦礫の下敷きになったリルの下半身も、奇跡的に骨折はなく、酷い打撲と裂傷で済んでいた。
「……メイコちゃん、生きてる……よかった、ほんとに……」
リルは、点滴に繋がれていない方の手を伸ばし、メイコの首にギュッとしがみついた。
「ウチの方こそ……っ、リルたそがウチのこと、最後まで離さなかったから……っ。死ぬかと思ったじゃんか、バカ……っ」
二人の少女は、ベッドの上で互いの温もりを確かめ合うように強く抱き合い、声を上げてボロボロと泣きじゃくった。
裏掃除屋と、大物政治家の娘。全く違う世界で生きてきた二人の間には、炎を越えた、本物のマブダチとしての強固な絆が結ばれていた。
ひとしきり泣いて、少しだけ落ち着きを取り戻したリルが、ハッと顔を上げた。
「……そうだ。スレイは!? スレイはどうなったの!?」
自分たちを抱えて火の海を走り抜けた、あの分厚い背中。
瓦礫の柱を素手で退かした時、彼の腕は、確かに凄まじい音を立てて焼け焦げていたはずだ。
「……スレイなら、隣の別室で手当て受けてたけど大丈夫そうだよ」
メイコが鼻を啜りながら、ドアの方を指差す。
リルは点滴のスタンドをカラカラと引きずりながら、ベッドから飛び降りた。足の痛みを堪え、隣の病室のドアを勢いよく開け放つ。
「スレイッ!!」
そこには上半身の服を脱がされ、両腕から肩にかけて、痛々しいほど何重にも分厚いガーゼと真っ白な包帯を巻かれた、最強の暗殺者の姿があった。
「……リルか。起きたのか」
ベッドの上で上半身を起こしていたスレイが、普段と全く変わらない、感情の読めない漆黒の瞳でリルを見下ろした。
重度の熱傷(火傷)。皮膚が焼けただれ、並の人間であれば痛みでショック死するか、のたうち回っていてもおかしくないほどの重傷だ。
しかし、死神の顔には、苦痛の表情すら一切浮かんでいなかった。
「スレイ……っ、スレイ……ッ!」
リルは、痛々しい包帯の隙間を縫うようにして、スレイの分厚い胸板にたまらなく抱きついた。
「……ごめんなさい……わたしのせいで、スレイが、こんな……っ」
「……気にするな。掃除屋にとって、火傷の跡など勲章にもならない」
スレイは、火傷を負っていない大きな手のひらで、胸の中で泣きじゃくるリルの頭を、不器用な手つきでポンポンと優しく撫でた。
「……よく、頑張ったな」
感情のない、平坦な声。
しかし、その一言には、トラウマに打ち勝ち、友の命を最後まで守り抜いた小さな暗殺者への、彼なりの最大限の賛辞と、深い労りが込められていた。
「……ウワァァァァンッ!! スレイぃぃぃっ……!!」
リルのダムが決壊し、スレイの胸の中で大声を上げて泣き崩れる。
その背後から、メイコもまた、スレイの無事な方の腕にギュッと抱きついた。
「……スレイ。マジで……ありがとう。ウチらのこと、助けてくれて」
普段の「ち〜っす!」というノリは微塵もない。命を救われた、一人の少女としての心からの感謝の言葉だった。
「……護衛対象を守るのは、当然の仕事だ」
二人の少女に泣きつかれ、身動きが取れなくなったスレイが、小さく息を吐く。
「……本当に、あんたって男は」
病室の隅で、腕を組んで壁に寄りかかっていたマリアが、呆れたように、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。モニカも、泣きながらハンカチで鼻を噛んでいる。
「で? スレイ。あんた、屋敷の炎に飛び込む前……白いバンを路地裏に追い詰めてたって言ってたわよね。手ぶらで帰ってくるようなあんたじゃないことは、分かってるわよ」
マリアの問いかけにスレイは、二人の少女の頭を撫でたまま、スッと仕事の顔へと戻った。
「……あぁ。連たちは屋敷に火を放った後、プロの動きで逃走を図った。……車を止めるには至らなかったが、逃げ去る寸前、バンのナンバープレートは記憶した。マリアなら照会できるはずだ」
「上出来よ。それだけでも十分な手がかりになるわ」
「それから」
スレイが、淡々と付け加える。
「……バンの後部バンパーの裏に、手持ちの小型発信機(GPS)を投擲して取り付けておいた」
「…………は?」
マリアの目が、点になった。
「屋敷が燃え盛る絶体絶命のあの数秒の間に、逃走車のナンバーを暗記して、さらにピンポイントで発信機まで投げつけてたって言うの!?」
モニカが信じられないといった顔をする。
「……敵の尻尾を逃す気はないと言ったはずだ」
「あんた……本当に、人間やめてるわね」モニカが呆れる。
「……上等よ。これでホワイトスノウどもを、根こそぎ地獄に送る準備が整ったわ」
マリアは、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたが、その口元には凶悪なハッカーの笑みが浮かんでいた。
――そして、数日後。
驚異的な回復力で打撲と火傷を癒した三人は、揃って病院を無事に退院した。
彼らを出迎えたのは、仮住まいの高級ホテルから駆けつけた大物議員Aだった。
「……君たち。……マリア君、スレイ君、モニカ君、そしてリル君……ッ!!」
大物議員Aは、スレイの両手を強く握りしめ、人目も憚らずにボロボロと感涙を流した。
「本当に、本当によくやってくれた……! 私の命よりも大切な娘を、業火の中から救い出してくれたこと……一生かけても返しきれない恩だ!!」
大物議員Aは、深々と、最強のチームに向かって頭を下げた。
「君たちのチームは……世界で最も素晴らしい、最高のプロフェッショナルだ。……どうか、私の法案を潰そうとするあの下劣な狂信者どもに、君たちの手で、正義の鉄槌を下してほしい!!」
「……ええ。もちろん、そのつもりです」
マリアが、冷たい司令塔の瞳で頷く。
「私たちの仲間(家族)を炎で焼こうとした落とし前……一セントの狂いもなく、完璧に払わせてやりますよ」
モニカが冷徹に告げる。
白き狂信者どもに対する、暗殺者チームの容赦のない反撃(狩り)の時間が、いよいよ幕を開けようとしていた。
新宿アジト。
『――昨日の白昼、大物議員A氏の私邸から出火し、邸宅が全焼する事態となりました。警察は放火の可能性も視野に入れ……』
リビングの巨大モニターに映し出されたワイドショーのニュースキャスターが、神妙な面持ちで事件を報じていた。
ワイドショーでは大物議員Aが火事で行方不明と報じられている。
そう、勿論ホワイトスノウを油断させるためのブラフである。
火事のあった夜、萌美総理は記者会見で、大物議員Aが火事で行方不明となっていることを伝えた。
そして、例の法案について再考するという内容を涙ながら伝えた。
勿論、ウソ泣きである。
「……炎上する大物議員の屋敷。今頃ホワイトスノウの連中は、アジトでテレビを見ながら勝利の美酒でも飲んで、さぞかし気分良く高笑いしているでしょうね」
モニカがワインを片手に冷たく吐き捨てた。
「……よし、出たわ! スレイが記憶していた逃走バンのナンバープレートと、車体に取り付けた発信機(GPS)の現在位置の照合が完了したわ!」
マリアがキーボードを叩き、東京郊外の地図をモニターに映し出す。
「ナンバーは偽造だったけど、GPSの信号はごまかせないわ。……現在地は、奥多摩の山中にある、使われなくなった巨大な旧浄水場の跡地よ。間違いなく、ここがホワイトスノウの本拠地ね!」
「やったー! 敵のアジト発見!」
リルがナイフを片手に飛び跳ねる。
「よし、リベンジだね!」
メイコが意気込む。
「……明日は、白い仮面どもを一人残らず駆逐する」
決戦前夜。
最強の死神は、精神を極度に研ぎ澄ませ、いよいよカルトの巣窟・旧浄水場への殲滅戦へと赴くのであった。
――翌日。
「……マリア。ゲートの前に到着した。監視カメラの映像を回してくれ」
スレイが、インカムのスイッチを叩きながら低く告げる。
その両腕には、まだ痛々しい火傷の包帯が巻かれているが、彼の瞳には、純度100パーセントの透き通るような殺意だけが宿っていた。
『了解。……内部の熱源反応、確認したわ。入り口に警備が数人。一番奥の管理室と思われる部屋に、教祖らしき反応と、その護衛が数名。……全部合わせても二十人に満たないわね』
システムに侵入したマリアが、鼻で笑うような声を出した。
「……たったそれだけ? 拍子抜けだね~」
スレイの隣で、スタンガンを構えたリルが小さく首を傾げる。退院したばかりの彼女も、当然のようにこの殲滅戦に同行していた。裏掃除屋としての冷たい瞳でゲートを睨みつけている。
「自爆テロのせいで信者も減ったんじゃないかしら」
モニカが分析する。
「とことんバカなんだね~、笑っちゃう!」
メイコが笑う。
『さあ、行くわよ。入り口の電子ロック、開錠(ハッキング)完了』
マリアの合図と共に、ピィッ、という軽い電子音とともに、堅牢なはずの鉄のゲートが音もなく開いた。
「な、なんだ!? 誰が開け――」
ゲートの裏でタバコを吸っていた白い仮面の警備員たちが、慌てて手製の銃を構えようとした、その瞬間。
漆黒のコートが、突風のように彼らの懐へと入り込んだ。
『ドゴォッ!! ゴシャッ!!』
「あべばっ!?」
「ひぶっ……!」
放たれたのは、容赦ない死神の拳。
警備員は悲鳴を上げる間もなく、頭蓋骨が軋むほどの衝撃を受けてコンクリートの壁に激突し、完全に意識を刈り取られた。
「は~い! カルトには改造スタンガンでお礼で~す」
リルが飛び込み、『――バチバチバチバチッ!!』と高圧電流を浴びせる。
「ギャアアアアアアアアアアア!!」
MAXの電圧を超えたオーバーキルを食らい、警備員はピクピクと痙攣して泡を吹いて気絶した。
「……進むぞ」
スレイは気絶した男たちを一瞥することもなく、浄水場の薄暗い通路を奥へと歩を進める。
「不純物が侵入したぞ! 殺せ、浄化しろォォッ!」
通路の奥から湧いてくる狂信者たち。しかし、彼らが振りかざすナイフも、乱射される銃弾も、スレイとリルの人間離れした死角からの連携の前には、赤子同然だった。
『バキッ! ゴスッ!』と、次々に骨が折れ、肉が打たれる生々しい音が響き渡る。
ものの五分。
スレイとリルが、一番奥の分厚い扉――教祖のいる管理室を蹴り破った時、浄水場内にいた警備や信者たちは、全員が床に転がり、ピクピクと痙攣して虫の息となっていた。
「……な、なんだ貴様らは……ッ!!」
管理室の中央。
一段高い祭壇のような場所に立っていた、ひときわ豪華な白い仮面とローブを纏った男――ホワイトスノウの教祖が、血まみれで倒れ伏す信者たちを見て後ずさった。
「わ、我らの神聖なる儀式の場を血で汚すとは……! この、不純物どもめ!! 貴様らのような汚れた血は、日本にはいらんのだ!!」
教祖は狂乱したように喚き散らし、隠し持っていたサブマシンガンをスレイに向けて乱射しようとした。
しかし、その銃口が火を噴くより遥かに速く、リルのドローンがサブマシンガンを叩き落とした。
「残念でした~! 教祖さん!」
そしてスレイの巨体が、瞬きする間もなく教祖の目の前へと肉薄していた。
「……ッ!?」
スレイの太い手が、教祖の胸ぐらを鷲掴みにし、その身体を宙へと軽々と吊り上げる。
「ひぃっ……! は、放せ、この化け物……ッ!」
スレイは、もがく教祖の白い仮面を、冷え切った漆黒の瞳で見据えた。
彼の脳裏にフラッシュバックするのは、あの燃え盛る屋敷の光景。
自分自身の炎のトラウマで足がすくむほどの恐怖に耐えながら、友を救うために必死で階段を降りた、小さな少女の姿。
崩れ落ちてきた巨大な柱の下敷きになり、下半身を潰されながらも、メイコを逃がそうと笑ってみせた、あの痛ましいほど健気な顔。
(……リルやメイコが、あやうく焼け死ぬところだった)
数え切れないほどの命を奪ってきたスレイ。
しかし、この得体の知れないカルトの教祖に対してだけは、彼の内側から、静かで、しかしマグマのように熱い本物の怒りが込み上げていた。
「……こいつだけは、絶対に許さ――」
スレイの低い、地鳴りのような声が管理室に響いた。
彼は吊り上げた教祖の仮面め가けて、容赦のない鋼鉄の拳を大きく振りかぶった。
『ゴグシャァァァッ!!!!』
「あッ……!?」
白い仮面が粉々に砕け散り、教祖の鼻骨がへし折れる不快な音が響く。
「……これは、議員の分だ」
スレイが冷徹に告げ、そのまま教祖の身体を床へと叩きつける。
息も絶え絶えに這いつくばる教祖の背中に、巨漢の無慈悲な踵(かかと)が、重い音を立てて振り下ろされた。
『メキィッ!!』
「ぎぃぃぃぃっ……!!」
「……これは、メイコの分だ」
肋骨を砕かれ、教祖は口から大量の血と泡を吹いて白目を剥いた。
もはや反撃の気力など1ミリも残っていない、ただの哀れな肉塊。
しかし、スレイの制裁は終わらない。彼は、完全に意識を失いかけている教祖の襟首を再び掴み上げると、最後の一撃を、顔面めがけて全力で叩き込んだ。
『ドゴォォォォォォンッ!!!!』
「……そしてこれが、リルの分だ」
凄まじい衝撃。教祖の身体は弾き飛ばされ、奥のコンクリートの壁に激突して、そのまま人形のように崩れ落ちた。
「は~い!利息の怨霊で~す!」
『――バチバチバチバチッ!!』と高圧電流をリルがオマケに流し込む。
ピクリとも動かない。
文字通りの、完全なる物理的除霊(殲滅)であった。
「……スレイ」
血の海と化した管理室で、リルが静かに歩み寄り、スレイのコートの裾を小さな手でそっと握った。
「……ありがとう」
「……気にするな。ゴミ掃除が終わっただけだ」
スレイは、包帯が血で汚れた腕で、リルの頭をポンと一度だけ撫でた。
『……生体反応の沈黙を確認したわ。お疲れ様、スレイ、リル。これで、日本版KKKの残党は完全に浄化されたわね』
インカムから、マリアの満足げな声が響く。
「……あぁ。引き上げるぞ」
かくして。
多様性と寛容を憎み、炎で大物議員の家族を焼き殺そうとした排外主義のカルト集団ホワイトスノウは、裏掃除屋の圧倒的な暴力の前に、その組織ごと、歴史の闇へと完全に葬り去られたのであった。
――数日後。
「……やれやれ。一時はどうなるかと思ったけどね」
アジトのリビングで、マリアが淹れたてのコーヒーを飲みながら、深く、そして満足げに息を吐いた。
「私には家族なんていないけど、家族の絆だけは理解できるわ」
モニカが優しく微笑む。
テレビのニュースでは、連日ホワイトスノウの事件が報道されていた。
萌美総理が「大物議員Aが生きていてよかった」とウソ泣きをする記者会見も放送されている。
大物議員Aの裏回しと、警察の徹底的な掃討作戦により、危険思想のカルト集団は完全に社会から逮捕・殲滅され、その存在を跡形もなく消し去られていた。
議員は後始末に追われながらも、自身の『多様性の法案』をさらに力強く推し進めているという。
「ウェ〜イ! リルたそ、今日の放課後クレープ食べ行こ!」
「行くー! メイコちゃん、わたしチョコバナナがいい!」
リビングの奥では、すっかり日常の女子に戻ったリルとメイコがキャッキャとはしゃいでいた。
炎のトラウマを乗り越え、命を懸けて互いを守り抜いた二人の絆は、以前よりも遥かに強固なマブダチとなっていた。
「しかし、何で今日も登校するのよ?」
マリアが不思議そうに尋ねる。
「えっ! だって楽しそうだし~、まだホワイトスノウの残党がいるかもよー」
「マリア~、細かいこと気にしないの~」
メイコが笑う。
「まぁ、今週いっぱいは念のため花弁大学に潜入しましょう」
モニカがまとめる。
――授業中。
『こちら異常なし』
スレイがインカムで呟く。
『えぇ、特に変わったことはないわ』
モニカが校内を巡回する。
『流石に問題はないでしょう。リルとメイコは講義中? カメラを切り替えるわ』
マリアがハッキングで講堂のカメラを覗く。
「量子力学の有名な思考実験です。観測するまで状態は確定しないというお話です」
多様性教授が眼鏡をくいっと上げる。
「あ~知ってる! 猫ちゃんのやつだ!」
リルが手を挙げる。
「生と死が重なり合っているって奴だね~」
メイコが頷く。
「量子力学において、観測されるまで物質は複数の状態が重なり合っています。これを……シュレディンガーのパンツと呼びます」
「パンツが重なってるの? 寒いのかな?」
リルが首をかしげる。
「例えば、目の前にスカートを穿いた女子高生がいるとします」
「私みたいな女子大生がいるとする!」
メイコが突っ込む。
「我々がスカートをめくる(観測する)まで、彼女のスカートの中は『パンツを穿いている状態』と『ノーパンの状態』が同時に重なり合って存在しているのです! つまり、すべての女子高生はノーパンである可能性を秘めているッ!!」
教授が両手を広げて天を仰ぐ。
『どんな理屈よ! 100%穿いてるわよ!』
マリアがインカム越しに絶叫する。
『究極の多様性の法案こそ除霊すべきだったわね……』
モニカが頭を抱え、平和な日常は、相変わらずの狂騒と共に続いていくのであった。