引き継がれるもの編(前編)
――新宿、極秘アジト。
平和な昼下がり。
リビングのソファでは、リルがまたしても怪しげな電子書籍の童話を朗読していた。
金色の髪を揺らしながら、まるで絵本の読み聞かせをするような純真な声がアジトに響く。
「……おじいさんが、罠にかかって苦しむ鶴を助けてあげました。するとその夜、美しい娼婦が尋ねてきて、泊めてほしいと頼み、そのまま老夫婦の娘として暮らすことになりました」
「ねぇ、なんで鶴が急に夜の仕事の女になってんのよ」
マリアが、PCに向かってハッキングのコードを打ち込みながら、呆れた声でツッコミを入れる。
しかしリルは全く気にせず、さらに無邪気な声で先を読み進めた。
「娼婦は、見事な布を織るが、決して部屋を覗かないでと約束し、数日間こもって美しいネグリジェを織り上げました。そのスケスケのネグリジェがバカ売れして裕福になりますが……心配になったおじいさんが約束を破り、部屋を覗いてしまいます」
「……まぁ、そこまでは百歩譲って古典的な展開ね。色々とツッコミどころはあるけど」
モニカが、淹れたてのコーヒーカップを手にため息をつく。
プロファイラーとしての分析力を無駄に刺激する不条理な展開に、頭を抱えそうになっていた。
「すると、部屋の中では、鶴が自分の羽を抜いて織っていました。正体を知られた鶴は……『あら、正体を見られたのね。……まぁ仕方ないわね』とアッサリ告げ、老夫婦と戸籍ロンダリングと偽装IDの取得について、一晩中真剣に話し合いました。こうして、末永く老夫婦と娼婦は、裏社会で幸せに暮らしましたとさ。おしまい!」
リルが満面の笑みでタブレットを閉じると、アジトに数秒の冷たい沈黙が落ちた。
「……ばいやー。恩返しというか、それただのブラックサクセスストーリーじゃね?」
メイコが、ソファの横で腹を抱えて笑いながら的確すぎる感想を述べる。
「なんで美談みたいに終わってんのよ! 情緒も何もないわね!」
「というかお爺さん、完全に裏社会の戸籍ロンダリングの共犯になってるじゃない!」
マリアとモニカの悲痛なツッコミが、今日も平和なアジトにこだました。
「まったく……。これなら、ミツキちゃんの書く正統派の童話のほうが、何万倍も心に響くわ」
マリアがやれやれと首を振りながら、ディスプレイから視線を外す。
先日、スレイたちによってあの暗闇の地下室から救出された盲目の少女・ミツキ。
彼女は現在、萌美総理の裏金で手配された万全のセキュリティを誇る新しい家で、心身ともに健康を取り戻していた。
「うんうん! ミツキちゃん、体調もすっかり良くなって、また新しく執筆してるみたいだね!」
リルが、自分のことのように嬉しそうに言う。
「近日中に、新作の発表もあるらしいっしょ。次はどんなお話か、マジで楽しみだよね〜」
メイコも、綺麗にデコレーションされた自分のネイルを眺めながら、親友の門出を祝うように柔らかく微笑んだ。
「童話なんだから、ちゃんと過去を引き継いでいかないといけないのに」
モニカが、多様性を推進する政府のせいで鶴の恩返しすら原型を留めないほど改変されてしまった現状を嘆く。
その、穏やかで間の抜けた空気が流れていた時だった。
『ピピッ……!』
マリアのメインモニターが突然切り替わり、警告音とともに首相感貞の極秘暗号回線が強制的に開かれた。
画面に映し出されたのは、冷徹な表情を浮かべる日本の最高権力者・環萌美総理と、その隣に座る大物議員Aだった。
「……総理。何か急ぎの案件かしら?」
モニカが即座に目を細める。童話のパロディを笑い合っていた平和な空気が、一瞬にして冷たく張り詰めた。
『……くつろいでいるところ悪いわね。今すぐ、あなたたちに動いてもらいたい事案が発生したわ』
萌美総理が、ルージュを引いた艶やかな唇を微かに歪めて告げる。
『詳細は大物議員Aから送らせるわ。……至急、ある狙撃の現場に向かってちょうだい』
「狙撃だと?」
ソファの奥で沈黙を保っていたスレイが、ピクリと反応を示す。
その絶対零度の瞳に、冷たい狩人の光が宿った。
「狙撃……?」
マリアが怪訝な顔でキーボードを叩くと、大物議員Aから現場の座標と初動データが送られてきた。
「ええと……現場は、都内にある、とある財閥の名義のコンサートホールの駐車場ね。……どういうこと? まだ警察の規制線すら張られていないみたいだけれど」
「……承知した」
スレイは短くそれだけを言うと、タバコを指に挟んだまま静かに立ち上がった。
漆黒のコートが翻り、アジトの空気に微かな硝煙の匂いが混じる。
「狙撃だって! いつもと何か違う感じがするね」
リルが、スタンガンをポケットにねじ込みながら弾む声で言う。
「とある財閥ね〜私はそこ知っているかも。パパとも知り合いなんじゃないかな」
メイコが、画面に映る大物議員A(実の父親)を横目で見ながら呟く。
「とりあえず警察の規制線はあえて張っていないのでしょう。行きましょう」
モニカの言葉を合図に、PCUの面々は素早く出撃の準備を整えた。
芸術と音楽が集うコンサートホールの駐車場で起きた、不可解な銃撃事件。
警察よりも早く、裏の掃除屋を現場へ向かわせる萌美総理の意図とは。
スレイたちは、鶴の恩返しのブラックジョークから一転、血と硝煙の匂いが立ち込める現場へと、ワゴン車を走らせるのであった。
――都内、某所。天方財閥所有のコンサートホール・地下駐車場。
スレイたち裏の掃除屋(PCU)を乗せたワゴン車が現場に到着すると、そこはすでに警視庁トップ・山田相姦が率いる特殊部隊によって、厳重な封鎖線が張られていた。
(規制線は張っていないが、工事として厳重に封鎖をしているな)
スレイは、一般人を遠ざけるための手際の良い偽装工作を確認し、静かに車を降りた。
コンクリートの床には、黒ずくめの武装した男たちの死体が4体、血だまりの中に無様に転がっている。
少し離れた安全地帯では、何人もの屈強な私設ボディガードたちに囲まれ、制服姿の可憐な少女が小刻みに肩を震わせていた。
「……あれは、日本有数の巨大コングロマリット・天方財閥の令嬢、天方詩織(あまかた しおり)ね」
モニカが、暗闇の中で少女の顔を確認し、プロファイラーの知識から即座に身元を特定した。
「状況は?」
スレイが、現場を指揮していた山田部隊のエリート捜査官に短く尋ねる。
「……令嬢を狙った誘拐未遂です。被害者側のボディガードも運転手も、全員無傷。……しかし、奇妙な状況でして」
エリート捜査官は、困惑したように4体の死体を指差した。
「令嬢が車に乗ろうとした瞬間、この4名の武装グループが強襲してきました。ボディガードたちが令嬢をかばって応戦しようと銃を抜いた……その直後。気づいたら、誘拐犯4名が全員、地面に横たわっていたそうです」
「気づいたら、横たわっていた……?」
リルが、不思議そうに首を傾げる。
「んんん~? どういうこと、言っている意味がわからないんだけど?」
メイコが眉をひそめる。
「ええ。ボディガードたちは、自分たちが撃ち殺したわけではないと証言しています。……死体を見てください」
エリート捜査官の困惑は続く。
スレイが無言で死体に歩み寄り、サングラスの奥で銃創を確認する。
4体の死体はどれも、眉間や心臓といった急所を、極めて遠距離から、一発の無駄もなく綺麗に撃ち抜かれていた。
着弾の角度から計算して、ホール隣のビルの屋上からの超長距離狙撃だ。
「……プロの中でも、一握りのトッププロの仕業(仕事)だ」
スレイが、紫煙を吐き出しながら断定した。
「対象(令嬢)や味方には一切の傷を負わせず、わずか数秒の間に動くターゲット4人の急所を正確にブチ抜いている。……バケモノじみた腕だな」
「マジで!? じゃあ、そのスナイパーが詩織ちゃんを助けてくれたってことっしょ?」
メイコが、驚きに目を丸くする。
「ボディーガードの仕事を、誰か知らないスナイパーさんがやっちゃったんだ!」
リルが事態を正確に(しかし無邪気に)要約する。
とりあえず、標的となった詩織の無事は確保され、彼女は山田相姦の部下たちによって厳重に守られながら、安全な送迎車へと乗せられていった。
現場の凄まじい狙撃痕(サイン)を目に焼き付けたスレイたちは、ワゴン車に乗り込み、依頼主の待つ首相感貞へと向かった。
――深夜。首相感貞・特別地下室。
「……なるほど。現場の状況からして、令嬢の誘拐未遂だったのか。それなら理解できる」
報告を受けた大物議員Aが、円卓で腕を組みながら深く頷いた。
「どういうことか、説明してちょうだい」
マリアが、PCを立ち上げながら尋ねる。
「ええ。実はもう、誘拐を企てた犯人の黒幕には目星がついているの。……詩織の叔父か叔母の、どっちかよ」
ワイングラスを傾けながら、環萌美総理が冷ややかな声で答えた。
「先月、天方詩織の祖父が亡くなっているんだ。……毒殺などの不審死ではなく、高齢による完全な病死でな」
大物議員Aが、手元のタブレットを操作し、天方財閥の複雑な家系図を円卓の巨大モニターに映し出す。
「そして、その祖父こそが、巨大な天方財閥のトップ(総帥)だったのよ」
萌美総理が続ける。
「……なるほどね。詩織の父親は長男だったみたいだけれど、数年前に妻を追うように事故で既に亡くなっているわ。」
モニカが家系図を見渡し、即座に事の構図を理解した。
「偉大なトップが死に、本来の跡継ぎだった長男もいない。……つまり、残された孫娘(詩織)と、権力を狙う叔父・叔母たちとの間で起きている、骨肉の遺産相続争いってことね。財閥のご家宝としては、よくあるドロドロの話だわ」
莫大な遺産と、財閥の実権。それを手にするため、邪魔な本流の血筋である詩織を誘拐し、権利を放棄させようとした(あるいは消そうとした)。
それが今回の事件の動機だ。
「確か天方詩織ちゃんって、花弁系に通うお嬢様だよね?」
メイコが記憶を辿るように言う。
「えぇ、その通りよ。天方財閥の娘……ってメイコ、あんたも同じレベルのお嬢様でしょ!」
マリアがすかさずツッコミを入れる。
「あっ! そうだ、メイコちゃんも花弁大学に通うお嬢様だった! 忘れてた!」
リルがポンと手を打つ。
「私はお嬢様じゃないよ〜、PCUギャル担当だよ!通称 Pギャル担(ぴーぎゃるたん)!」
メイコが心外だというように唇を尖らせる。
「いつの間にか変な担当を作らないで頂戴!」
モニカが呆れる中、大物議員Aが我が娘を誇らしげに見つめた。
「さすがメイコだな。そこらのお嬢様とは格が違う。」
「じゃあ、私たちのお仕事は、その悪い叔父さんか叔母さんをぶっ飛ばして、詩織ちゃんを護衛することだね!」
リルが元気よく拳を握り、話を本筋に戻す。しかし。
「……いいえ。遺産相続のゴタゴタなんて、表の警察(山田相姦)に任せておけばいいわ」
萌美総理は、美しいルージュの唇を弧に歪め、全く別のターゲットを口にした。
「今回のPCUへの依頼は別件よ。……あなたたちには、現場にいた得体の知れないスナイパーを注視してほしいの」
「……どういうことだ?」
スレイが、サングラスの奥で目を細める。
「詩織の護衛についている財閥側の人間は、あんな敏腕のスナイパーなんて雇っていないと証言しているのよ」
萌美総理が片方の眉を釣り上げる。
「つまり、誰が雇ったのか、何が目的なのかすら全くわからない、正体不明のゴーストが、詩織の命を守っている状態なんだ」
大物議員Aが、信じられないというように首を振る。
「……敏腕のスナイパーが、令嬢の影に潜んでいる。……これが、彼女にとって最終的な脅威に変わるのか、それとも別の目的があるのかが不明なのよ」
萌美総理が、冷徹な目でスレイを見据えた。
「遺産目当ての誘拐犯よりも、あのバケモノじみた狙撃手(同業者)の正体を暴くこと。それがあなたたちの任務よ」
「確かに、まだ詩織ちゃんの味方かどうかわからないもんね」
リルが頷く。
「もしかしたら、理由があって現在は詩織ちゃん側にいるだけかもしれないしね」
メイコが推測する。
「確かにその線はあるわね。詩織側に遺産が動くことでメリットのある連中がいる可能性もあるわね」
マリアがタイピングの手を止める。
「権力を狙う叔父・叔母はただの小物よ。問題はそこじゃないみたいね」
モニカがプロファイリングの焦点を絞る。
「……なるほどな」
スレイは安物のタバコを深く吸い込み、細く紫煙を吐き出した。
敵か味方かもわからない、姿なきトッププロの同業者。対象を護衛しながら、その影に潜むスナイパーとコンタクト(あるいは対決)しなければならない。
「……あのスナイパーの銃撃は、結果だけを見れば詩織を守っているようにも見える。しかし、彼女にはすでに父も母も、頼れる兄弟もいないんだ」
大物議員Aが、天方財閥の家系図を険しい顔で見つめながら言った。
「ええ。財閥内の情勢を見る限り、詩織は完全に四面楚歌よ。味方なんて一人もいないはず」
環萌美総理が、ワイングラスを優雅に揺らしながら冷徹に分析する。
「だからこそ、この得体の知れないスナイパーの目的がいまいち不明なの。遺産目当ての親族に雇われたわけでもなく、詩織自身が雇ったわけでもない。……不気味だわ」
敵か、味方か。あるいは全く別の目的(ターゲット)があって、たまたま誘拐犯が邪魔になっただけなのか。
「……推測していても始まらない。まずは狙撃ポイント(スナイパー・ネスト)を見つけるのが先だ」
スレイが、タバコの火を消して立ち上がった。
「現場の遺体の損傷と弾道から分析して、あれはハンドガンやアサルトライフルの類じゃない。完全な遠距離用のスナイパーライフルだ。……必ず、どこかに巣(ネスト)がある」
単純な悪党の排除や人質救出とは違う。
プロ対プロの、高度な読み合いが要求される。
裏の掃除屋たちは、いつもとは少し違う、ヒリつくような硝煙の匂いを含んだ任務へと、静かに身を投じていくのであった。
――数十分後。天方財閥所有のコンサートホール・駐車場周辺。
再び夜の現場へと舞い戻ってきたスレイたちは、誘拐犯が射殺されたポイントを中心に、周囲の地形を洗い直していた。
「うーんとね。ここから射線が通ってて、隠れられそうな場所っていったら……見えるのは、あそこと、あそこのビルだね!」
リルが、特有の鋭い勘と観察眼で、駐車場の東西にそびえ立つ二つのビルを正確に指差した。
「だねー。流石に、壁の中から弾がすり抜けてきたなんてSF展開はありえないっしょ」
メイコが、自分のネイルを眺めながら物理的な不可能を指摘する。
「……とりあえず、東西のどちらのビルにも行ってみましょう」
モニカが、優雅にヒールを鳴らして歩き出す。
「おそらく、エレベーターではなく階段を使っているわね。プロなら、身元が割れる監視カメラの死角を突くはずよ」
マリアが、PCを開きながら警視庁トップ・山田相姦の暗号回線へ連絡を入れる。
「山田相姦。東西のビルの周辺と、内部の監視カメラの映像をすべて私の端末に送ってちょうだい。……ええ、ダミーの映像にすり替えられている可能性も含めて洗うわ」
裏の掃除屋たちは、まず東のビルへと潜入した。
しかし、非常階段から屋上に至るまで、ホコリの積もり方や扉の建付けに、何者かが侵入した不審な点は一切見当たらなかった。
「……こっちじゃないわね。次は西よ」
モニカの判断で、すぐさま目標を切り替える。
続いて、本命である西のビルへとやってきた5人は、息を殺して非常階段を上り詰め、冷たい夜風が吹き抜ける屋上へと到達した。
『ガチャリ……』
屋上の重い鉄扉を開けた瞬間。スレイはサングラスの奥で目を細め、夜の闇に同化するようにその場に佇んだ。
「…………ここだな」
スレイが、死んだ魚のような目で、屋上の縁(ヘリ)にある給水塔の影を指差した。
「ええ。……わずかながら、人が長時間息を潜めて、腹這いになっていた形跡があるわ」
モニカがプロファイラーの目を光らせ、コンクリートの床にわずかに残された衣類の擦れ跡と、ライフルを固定したバイポッド(二脚)の微細な傷を見つけ出す。
間違いなく、ここが四人の誘拐犯を射殺した凄腕スナイパーの巣(ネスト)だ。
「あれ? ねぇ、これって……なんかのお財布かな? 小銭入れが落ちてるよ」
周囲を探索していたメイコが、給水塔の裏側に転がっていた小さな布切れを拾い上げた。
「あっ、見せて見せて! ……わっ、これ、さっきまで誰かが持っていたはずだよ! まだ少しだけ、人の温もりが残ってるもん!」
リルがその小銭入れを両手で包み込み、純粋な感覚で持ち主が去ってから間もないことを察知した。
「手垢と砂埃を見る限りは、最近落としたとみて間違いなさそうね」
マリアがライトで照らしながら推測する。
証拠など一切残さないはずのトッププロが、撤収の際にうっかり落としてしまったと思われる、唯一の遺留品。
スレイがメイコの手からそれを受け取り、街灯の僅かな明かりに翳してみる。
「…………」
それは、血と硝煙が支配する殺しの現場にはあまりにも不釣り合いなウサギのマークが不器用に刺繍された、薄汚れた小銭入れだった。
冷酷無比な狙撃手の影と、子供が持つような手作りのウサギの刺繍。
あまりにもアンバランスなその遺留品を前に、スレイは無言のまま安物のタバコを深く吸い込んだ。
四面楚歌の令嬢を守るように放たれた銃弾と、この薄汚れたウサギの小銭入れ。
裏の掃除屋たちは、この奇妙な遺留品を手がかりに、姿なき凄腕スナイパーの正体へと迫っていくのであった。
――深夜。首相感貞・特別地下室。
西のビルの屋上でウサギの小銭入れを回収した裏の掃除屋(PCU)たちは、再び総理たちの待つ地下室へと帰還していた。
『――スレイ。東西のビルの周辺、及び内部の監視カメラの映像をすべて洗ったが……不審な男は、特に一人も映っていなかった』
円卓のモニター越しに、警視庁トップ・山田相姦から重々しい報告が入る。
「……まぁ、プロの犯行だろうし、カメラの死角を突いて逃走ルートを確保していることくらいは、最初から予測できたわ」
モニカが、優雅にコーヒーカップを傾けながら冷静に受け止める。
トッププロの同業者(スナイパー)が、ホイホイと監視カメラに顔を残すわけがない。
しかし、山田相姦からの報告には、さらに奇妙な続きがあった。
『だが、もう一つ不可解な事実が判明した。……狙われた天方詩織が乗っていた車のGPSに、不審な点がある。鑑識が調べた結果、車体の底に、種類の違う発信機が2種類も取り付けられていたというのだ』
「2種類?」
マリアが、PCのキーボードに素早く指を置く。
『ああ。片方は、ネットや市販で誰でも一番簡単に購入できる、最新型のGPSだ。……そしてもう一つは、軍などで使う、旧式で強力なアナログ型のGPS発信機だった』
それを聞いた瞬間。
スレイが、紫煙を吐き出しながら低くしゃがれた声で断定した。
「……おそらく、そのアナログ型のほうがスナイパーが仕掛けたものだ」
「えーっ、なんでなんで?」
リルが、不思議そうに首を傾げる。
「だって、プロのスナイパーなら、より高性能で誤差のない最新のGPSを使ったほうがいいんじゃないの?」
「だよねー。なんか、遠くからターゲットを正確に狙撃するのには、最新型のほうが位置情報も正確でよさそうっしょ」
メイコが、派手なネイルで頬を掻きながら疑問を口にした。
「……違うわ、二人とも」
モニカがプロファイラーの目を細め、静かに解説を始める。
「旧式の軍用アナログ発信機は、特定の周波数の電波を一方的に出し続けるだけの単純な構造なの。つまり、ハッキングして逆に受信側(スナイパー側)の居場所を特定して追うことが、物理的に不可能なのよ」
「……そのとおり! 完全に尻尾を掴まれないための、プロの選択ね」
マリアがモニカの言葉に同意し、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。
「逆に言えば、市販の最新型GPSのほうは、通信のログを辿れば簡単にハッキングして仕掛けた人間を特定できるわ。……ほらね、出たわよ」
数秒後。
マリアの超絶ハッキングによって、最新型GPSの購入履歴と受信端末のIPアドレスが、メインモニターに弾き出された。
「……大方の予測通り。ターゲット(詩織)の叔父と叔母、その両方のダミー会社にヒットしたわ」
「……予測通りだけれど、つまりは叔父と叔母が結託して誘拐を企てていたということね」
環萌美総理が、冷たい声で事の真実を言い当てる。
「叔父と叔母はグルってこと?」
リルが問う。
「天方財閥という巨大な遺産よ。正当な後継者である詩織を排除し、後で財産を山分けにしようと裏で薄汚い取り決めを交わしていたのね」
モニカが冷酷な真実を口にする。
「一人で独占しようとして共倒れになるよりは、二人で手を組んでしまおうってことだよね」
メイコが納得したように頷いた。
「……遺産に群がるハイエナどもめ。証拠が完全に固まれば即座に逮捕、といきたいところですが……現時点では、GPSの履歴と状況証拠だけで、主犯として立件するにはいささか証拠不十分だな」
大物議員Aが、忌々しそうにタブレットを置いた。
裏で糸を引いているのは叔父と叔母で間違いない。
しかし、彼らが放った誘拐犯(実行犯)は、すでに謎のスナイパーによって全員射殺されてしまっている。これでは口を割らせることもできない。
「……スレイ。状況が動くわね」
マリアが、緊張感を孕んだ声で大男を見つめる。
「ああ。……あのハイエナ共の企てた詩織の誘拐が、スナイパーの介入によって失敗したとなれば」
スレイが、安物のタバコを深く吸い込む。
「……今度は、誘拐じゃなくて、そのまま詩織ちゃんの命を直接狙ってきそうだね……!」
リルが、ハッとして両手で口元を覆う。
「普通に考えたら、そうなるよね。権利を放棄させるための誘拐が無理なら、いっそ殺してしまえば、自動的に遺産は自分たちに転がり込んでくるんだから」
メイコが、遺産相続のドロドロとした血生臭い真実に顔をしかめた。
「……善は急げよ。山田相姦の部隊に合流して、私たちもすぐに詩織のところへ向かいましょう」
モニカが立ち上がり、優雅にコートを羽織る。
「そうね。……詩織を護衛していれば、必然的に、彼女を狙う新たな刺客と……そして、彼女の影に潜む例のスナイパーにも近づけそうだしね」
マリアが冷酷な笑みを浮かべ、PCを閉じた。
血塗られた遺産相続争いの渦中にいる、孤独な令嬢・天方詩織。
彼女の命を狙う叔父と叔母の新たな凶刃、そして、ウサギの小銭入れを落とした正体不明のゴースト(狙撃手)。
裏の掃除屋たちは、この三つ巴の危険なゲームに介入するため、夜の東京へと再び静かに繰り出していくのであった。
――深夜。都内一等地、天方財閥が手配した超高級マンション。
警視庁トップ・山田相姦の部隊からの引き継ぎを終え、スレイたち裏の掃除屋(PCU)は、ターゲットである天方詩織の暮らすペントハウスへと足を踏み入れた。
「……なるほど。確かに、この最上階の部屋のほうが警護(セキュリティ)の面では安全ね」
モニカが、優雅に室内を見渡しながら評価する。
「ええ。窓ガラスもすべて特注の防弾仕様になっているわ。外からの長距離狙撃は、まず不可能よ」
マリアが、PCでマンションの防犯システムを掌握しながら頷いた。
遺産を独占しようと企む叔父と叔母の家は、このマンションから遠くもなく、近くもない微妙な距離にあるという。
現在、詩織はこの要塞のような部屋で、数名の私設ボディガードと世話係のメイドだけで孤独に暮らしていた。
詩織は大人しくて美しい、品のあるいかにもお嬢様であった。
「……部屋の中にいる分には手出しはできない。奴らが詩織の命を狙うとなると、やはり外に出る瞬間……通学のルートが一番の危険地帯(キルゾーン)になるな」
スレイがタバコに火をつけようとしたが、ここが禁煙であることに気づきライターをしまった。
「じゃあ、通学のスケジュールとか、詩織ちゃんのパーソナルな聞き込みは、アタシたちに任せて!」
「うんっ! 詩織ちゃん、色々教えて〜!」
リルとメイコが、怯える詩織の元へと元気よく駆け寄っていく。
「私も、ネイルとタピオカとアッチ(性的な意味で)の相談なら任せてっしょ!」
メイコがニシシと笑う。
年齢が近い(というか同世代の)二人が相手なら、強面の男たちに囲まれて緊張している詩織も、うまく心を開いて話せそうだ。
スレイたちは、しばらく若い娘たちの女子会を遠巻きに見守ることにした。
――数十分後。
「みんな! 凄い事実が発覚したよ!!」
リルが、目をまん丸にしてリビングへと戻ってきた。
「驚いたー! でも、お嬢様で頭よさそうだもんね!」
「……何がわかったの?」
マリアが怪訝な顔で尋ねると、メイコがドヤ顔で言い放った。
「詩織ちゃん、アタシと同じ花弁大学の学生らしいっしょ! 一応、アタシの可愛い後輩だね!」
「……へえ。それは奇遇ね。で、通学ルートや、例のウサギの小銭入れの持ち主について、何か情報は得られた?」
モニカがプロファイラーの目を向ける。
「あ、あのウサギの小銭入れについては、全く知らないそうだよ!」
リルが元気に答える。
「でもね、リルたそと私で、いーっぱい色々聞いてきたんだ!」
二人は、得意げに詩織から聞き出した情報を並べ立てた。
「えーっとね、バイオリンを子供の頃からやってたんだって!」
「子供の頃は心臓が悪くて、ずっと身体が弱かったらしいよ」
「マリオカートでは、卑猥なキノコ(性的な意味で)をよく使うんだって!」
「彼氏は、違う財閥の御曹司みたいだよ!」
「たけのこ派で、そば派で、犬派!」
「あ、ちなみに後ろ(ア〇ル)は経験なしだって!」
「シルビアお姉ちゃんの言う危険日ピュッピュッゲームも、したことないらしいよ!」
「好きな映画は、エッチミーイフユーキャンなんだって!」
「…………」
「…………」
「……いったい、何を聞いているのよ!!」
「ただのド下ネタ女子会じゃないのぉぉぉぉ!!!!!!!!!」
マリアとモニカの、鼓膜を破らんばかりの怒濤のツッコミが、高級マンションのリビングに響き渡った。
スレイは無言のまま、深くため息をつきパイポの煙を吐き出した。
「いやいや、待って。……メイコ、リル。今、すごく重要な情報が混ざっていなかった?」
マリアが、ツッコミの余韻でハァハァと息を切らしながら、PCの画面を叩く。
「……ええ。詩織ちゃんの彼氏は違う財閥の御曹司……?」
モニカのプロファイラーの目が、鋭く光った。
「そうだよ! 別の大きな財閥の、カッコイイ御曹司なんだって!」
リルが無邪気に頷く。
「……おい。守ってくれる(スポンサーになれる)大金持ちの人間が、すぐ近くにいるじゃないか」
スレイが、サングラスの奥で目を細めた。
謎の凄腕スナイパー。
詩織の身内(天方財閥)が雇ったわけではない、正体不明のゴースト。
しかし、もしその彼氏である別の財閥が、詩織の命を守るために極秘にプロの狙撃手を雇っていたとしたら。
……完全に、筋は通る。
「……マリア。萌美総理に連絡だ」
スレイの指示で、マリアは即座に首相感貞の暗号回線を繋いだ。
『……どうしたの、スレイ。何か分かった?』
画面越しに、ワイングラスを傾ける環萌美総理と大物議員Aが映し出される。
「総理。例のスナイパーの雇い主について、一つの強力な仮説が浮上しました」
マリアが、詩織の交際相手のデータをモニターに転送する。
「詩織の彼氏である、この別財閥の御曹司。……そこの財閥のトップが、彼女を守るためにスナイパーを雇ったのではないでしょうか」
『……なるほど』
大物議員Aが、顎に手を当てて深く頷く。
『もし彼氏が詩織の命を救い、このまま結婚でもすれば、その財閥としても天方財閥の莫大な遺産と実権を取り込める、歴史的な縁談になりますからね。……企業防衛と拡大の観点から見れば、彼らにとってメリットだらけだ』
「ええ。叔父と叔母に詩織を殺される前に、腕利きのスナイパーを配置して彼女を保護し、恩を売る。……完全に辻褄が合うわ」
モニカが、冷徹な推論を締めくくる。
『……面白いわね。彼氏の財閥の金の動きと、裏社会との繋がりを、こちらでも徹底的に洗ってみるわ』
萌美総理が、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべた。
「……とはいえ。明日からの通学で、叔父と叔母の放つ新たな刺客が詩織を襲ってくる可能性は極めて高い」
スレイが、新しいタバコに火を点ける。
「彼氏の財閥が雇ったスナイパーが本当に味方なのかどうか……。明日、俺たちが直接、そのゴーストの腕前と真意を試させてもらう」
花弁大学へ向かう道中、必ず起こるであろう血の惨劇。
裏の掃除屋たちは、四面楚歌の令嬢を完璧に護衛しつつ、その影に潜むウサギの小銭入れの狙撃手の正体を暴くため、決戦の朝を静かに待つのであった。