怪異譚は放課後に   作:ゆゆゆい

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琴葉茜は笑って刺す

第八話 琴葉茜は笑って刺す

 

 マキが路地裏の怪異に遭ってから、数日が経っていた。

 

 あの路地は、まだ避けている。

 

 ただ、駅前の人混みを歩くだけで足が止まることは減ってきた。夕方の道も、背中に壁がない席も、少しずつ大丈夫になっている。

 

 完全に平気、とは言えない。

 

 けれど、弦巻マキは今日、アイスティーのグラスを片手に、普通に文句を言えるくらいには戻っていた。

 

「で、なんでまた喫茶店なの?」

 

 駅前の喫茶店は、ファミレスよりも少しだけ静かだった。

 

 木目調のテーブル。壁際に並んだ観葉植物。レジ横の焼き菓子の棚からは、バターとコーヒーの匂いが混じって漂っている。外の駅前は人通りが多いのに、店内に入ると、そのざわめきは一枚ガラスを挟んだみたいに遠くなる。

 

 こういう場所は、落ち着く。

 

 落ち着くが、同時に何か話し込むには向きすぎている。

 

 つまり、嫌な予感がする。

 

 結月ゆかりは、テーブルに置いたメモ帳の表紙を指先で押さえていた。

 

「朔先輩から、ここに集合と連絡がありました」

 

「それは聞いたけど、理由が分かんないんだよね」

 

「私もです」

 

「ゆかりでも分かんないかぁ」

 

「分からないことはあります」

 

「記録係なのに?」

 

「記録係は万能ではありません」

 

 ゆかりは真面目に返す。

 

 その真面目さが、今日は少しだけ頼もしい。路地裏の件以来、ゆかりはメモ帳を出すタイミングを少し選ぶようになった。本人はたぶん、選んでいるつもりはないのかもしれない。けれど、マキには分かる。

 

 今もメモ帳は置いてある。

 

 でも、開かれてはいない。

 

 その横で、東北ずん子は紅茶のカップを持っていた。湯気はもうほとんど消えているが、口をつける様子はない。

 

 視線は、店の入口の方へ向いていた。

 

「朔、遅いね」

 

 マキがそう言うと、ずん子の視線だけがこちらに動いた。

 

「先輩には先輩の予定があります」

 

「いや、責めてないって」

 

「責める必要はありません」

 

「だから責めてないんだってば」

 

 ずん子は返事をしない。

 

 カップの縁に指を添えたまま、また入口を見る。

 

 こういう時のずん子は分かりやすい。いや、分かりやすいと言うと怒られるから言わないが、少なくともマキにはそう見える。

 

 心配している。

 

 たぶん。

 

 ただし、本人にそれを言うと三倍くらい冷たい声で否定される。

 

 入口のベルが鳴った。

 

 反射的に、マキの視線がそちらへ向く。

 

 先に入ってきたのは朔だった。

 

 片手に鞄。もう片方には小さな紙袋。あの人はどうして毎回どこかしらで甘いものを持ってくるのか。いや、拾っているわけではない。買っている。分かっている。分かっているが、感覚としては拾ってきているに近い。

 

 そして、今日は朔だけではなかった。

 

 その後ろに、知らない女性がいた。

 

 赤茶色の髪。少し眠そうな目。口元には薄い笑み。服装はラフなのに、どこか隙がない。

 

 笑っている。

 

 笑っているのに、こちらを見た瞬間だけ、笑っていないように見える人。

 

「おー、いたいた。えらい顔ぶれやなぁ」

 

 声は軽かった。

 

 軽かったのに、テーブルの上の空気が一段下がる。

 

 ずん子のカップが、音もなくソーサーに戻された。

 

 その時点で、マキは察した。

 

 あ、この人は面倒くさい側の人だ。

 

 朔は困ったように笑う。

 

「茜ちゃん、入ってすぐそれ?」

 

「挨拶みたいなもんやろ」

 

「もう少し柔らかい挨拶もあると思うんだけど」

 

「ほな、こんにちは。怪異に好かれがちな皆さん」

 

 マキの手が止まった。

 

 ゆかりの指も、メモ帳の上で止まる。

 

 ずん子だけが、静かに息を吐いた。

 

「茜さん」

 

「久しぶりやな、ずん子」

 

「その挨拶はやめてください」

 

「まだだいぶ優しい方やで」

 

 赤茶色の髪の女性は、にこにこと笑ったまま朔の横に立つ。

 

 朔は小さく息を吐いて、軽く手で示した。

 

「琴葉茜ちゃん。俺とずんちゃんの知り合い」

 

「知り合い、なぁ」

 

 茜はその言い方を口の中で転がすように繰り返した。

 

 それだけで、ただの知り合いではないのだと分かる。少なくとも、この人は朔とずん子の間にある何かを知っている側だ。

 

 マキはアイスティーのグラスを持ち直した。

 

 冷たい。

 

 でも、路地裏の時の冷たさとは違う。

 

「琴葉茜です。よろしゅうな」

 

「あ、弦巻マキです」

 

「結月ゆかりです」

 

 マキは少し慌てて頭を下げた。

 

 ゆかりはいつも通り丁寧に返す。

 

 茜は二人を見て、ふっと笑った。

 

「なるほど。こっちが路地裏で引っかかった子で、こっちが記録する子か」

 

 初対面でそれを言うか。

 

 マキは一瞬だけ固まったが、数日前に比べれば口は動いた。

 

「……初対面で言い方きつくないですか?」

 

 茜は目を丸くした。

 

 それから、楽しそうに笑う。

 

「ええな。思ったより元気や」

 

「数日経ってますから」

 

「それでも嫌なもんは嫌やろ」

 

「嫌ですけど」

 

「ほな、嫌って言えるなら上等や」

 

 慰める声ではない。

 

 優しい言い方でもない。

 

 けれど、怖がったことを笑う声でもなかった。

 

 マキはそのあたりの判断がまだうまくつかず、ひとまずグラスのストローを指で押した。氷がからんと鳴る。

 

 朔はマキの手元を一度見てから、茜へ視線を戻した。

 

「茜ちゃん」

 

「分かっとる。今のはここまで」

 

 茜はそれ以上、マキを追わなかった。

 

 椅子を引き、朔の隣に座る。

 

 動きは軽い。けれど、座った瞬間、そこが最初から彼女の場所だったように見えた。

 

「で、またなんか拾ってきたんか、朔」

 

「拾ってないよ」

 

「ほな、拾われたんか」

 

「どっちでもないかな」

 

「どっちでもある顔しとるけど」

 

 朔は返事をしなかった。

 

 紙袋をテーブルに置いて、中から小さな焼き菓子をいくつか出す。

 

 その仕草を見て、茜の目が細くなる。

 

「相変わらずやなぁ」

 

「何が?」

 

「人の口塞ぐんは上手いくせに、自分の口はよう閉じるところ」

 

 焼き菓子の包みが、テーブルの上で小さく音を立てた。

 

 マキは一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 

 けれど、朔の手が止まったことで、冗談では済まない何かだと分かる。

 

 ずん子も黙っていた。

 

 紅茶のカップに添えられた指だけが、少しだけ強くなる。

 

 朔は少しだけ笑う。

 

「茜ちゃん、初対面の人いるから」

 

「せやから、まだ優しくしとるんやけど」

 

 マキは思わずゆかりの方を見た。

 

 ゆかりも、ほんの少しだけ目を細めている。

 

 この人は、ただ茶化しているわけではない。

 

 たぶん、何かを知っている。

 

 そう思わせるだけの間が、朔とずん子の間に落ちていた。

 

 茜は店員を呼んで、アイスコーヒーを頼んだ。

 

 その間、誰もすぐには話さなかった。店員が注文を復唱し、去っていく。コーヒーマシンの音が、少し遠くで鳴る。

 

 こういう沈黙は、嫌だ。

 

 怪異が出る時の沈黙とは違う。

 

 けれど、触ると何かが出てきそうな感じがする。

 

 茜はテーブルに肘をつかず、背もたれに軽く体を預けた。

 

「で、路地裏のやつ」

 

 マキはグラスの水面を一度見た。

 

 氷が溶けて、アイスティーの色が少し薄くなっている。

 

 数日前なら、ここで言葉が詰まったかもしれない。

 

 でも今日は、少しだけ息を吸ってから顔を上げた。

 

「嫌な部類、なんですよね」

 

「せやな。だいぶ嫌な部類や」

 

「嫌な部類で済むんですか」

 

「済まへんから、嫌な部類言うてるんよ」

 

「言い方が雑!」

 

「分かりやすいやろ」

 

「雑と分かりやすいは違います」

 

「せやろか」

 

 茜は楽しそうに笑っている。

 

 この人は怖い。

 

 でも、今のところ、怖がらせるために話しているわけではなさそうだった。たぶん。たぶん、という言葉を付けたくなるあたりが怖い。

 

 ゆかりの指が、メモ帳の表紙を一度だけ撫でる。

 

「茜さんは、その怪異を知っているんですか」

 

「似たようなんはな」

 

「同じではない?」

 

「同じかどうかを確かめに行くんは、あまりおすすめせんな」

 

「理由は?」

 

 茜は笑った。

 

「その質問が出る時点で、あんたは危ない」

 

 ゆかりの指が止まる。

 

 今度は、マキの方が少しだけ背筋を伸ばした。

 

 ずん子の声が静かに入る。

 

「茜さん」

 

「怒らんでええやろ。褒めとるんやで」

 

「どこがですか」

 

「向いてる。でも、向きすぎる」

 

 茜はゆかりを見る。

 

 笑っている。

 

 けれど、目元だけはあまり笑っていなかった。

 

「記録する子は、分かろうとするやろ。分かろうとするのは悪いことやない。でも、向こうがそれを餌にしてくることもある」

 

 ゆかりはすぐには返事をしなかった。

 

 メモ帳は閉じたままだ。

 

 その表紙の角に、指先が軽く乗っている。

 

「覚えておきます」

 

「ええ子やな」

 

「子供扱いですか」

 

「初対面やからな。距離感探っとる」

 

「そうは見えませんが」

 

「それはうちの愛嬌や」

 

「便利な言葉ですね」

 

「気に入った?」

 

「いいえ」

 

 ゆかりは真顔だった。

 

 マキは少しだけ吹き出しそうになる。

 

 緊張した空気に、ほんの少し隙間ができた。

 

 茜はその隙間を逃さず、朔の方へ視線を戻した。

 

「で、朔」

 

「うん?」

 

「また間に合ったんやな」

 

 その言い方に、ずん子の指が止まった。

 

 紅茶のカップに添えられていた指が、ほんの少しだけ強くなる。

 

 朔は、焼き菓子の包みを一つ開けていた。

 

 中身を皿に出す。

 

 自分の分ではなく、マキの手元に近い場所へ置いた。

 

「今回はね」

 

「今回は、なぁ」

 

 茜のアイスコーヒーが運ばれてきた。

 

 店員がグラスを置く。氷が鳴る。透明なグラスの中で、黒いコーヒーがゆっくり揺れた。

 

 茜はストローを刺さず、そのままグラスの水滴を指でなぞる。

 

「次も間に合うとは限らんで」

 

 声は軽かった。

 

 なのに、テーブルの空気は一段沈んだ。

 

 朔はすぐに笑おうとした。

 

 けれど、少しだけ遅れた。

 

「分かってるよ」

 

「分かってる顔してへんから言うてんねん」

 

 ずん子の視線が、朔ではなくテーブルへ落ちる。

 

 マキは、その反応を見逃せなかった。

 

 朔は何も返さない。

 

 茜も、すぐには追撃しない。

 

 その沈黙だけで、二人が昔から似たような会話をしてきたのだと分かる気がした。

 

「茜さん」

 

 ずん子の声が落ちる。

 

「その話を今する必要はありません」

 

「今せんかったら、いつするん?」

 

「少なくとも、ここではありません」

 

「場所の問題にするんや」

 

「そうです」

 

「便利やな」

 

 ずん子の目が細くなる。

 

 朔がゆっくり口を開いた。

 

「茜ちゃん」

 

「なんや」

 

「その辺で」

 

 声は柔らかかった。

 

 けれど、止める意思ははっきりしていた。

 

 茜は朔を見る。

 

 そのまま、数秒。

 

 アイスコーヒーの氷だけが、グラスの中で小さく鳴った。

 

「……はいはい」

 

 茜はストローを刺す。

 

 軽い音がして、ようやく空気が少し緩んだ。

 

「怖い顔せんでも、今日はここまでにしといたるわ」

 

「怖い顔してた?」

 

「してへんと思ってるんか」

 

「どうかな」

 

「ほんま、そういうところやで」

 

 朔は小さく笑った。

 

 今度は少し自然だった。

 

 マキは焼き菓子を一つ手に取る。

 

 食べるつもりはあまりなかったが、手元に何かがある方が落ち着いた。包み紙を少しだけ開くと、甘い匂いがした。

 

 バターの匂い。

 

 コーヒーの匂い。

 

 氷の鳴る音。

 

 ちゃんと喫茶店の空気が戻ってきている。

 

「茜さんって」

 

 マキは迷いながら口を開いた。

 

「味方、なんですよね?」

 

 ゆかりが少しだけ目を見開く。

 

 ずん子がこちらを見る。

 

 朔は何も言わない。

 

 茜は一瞬きょとんとして、それから笑った。

 

「えらい直球やなぁ」

 

「いや、だって、ちょっと怖いし」

 

「正直でよろしい」

 

 茜はアイスコーヒーを一口飲む。

 

 それから、グラスを置いた。

 

「味方やで」

 

 言い切った。

 

 軽い声だったが、そこだけは曖昧にしなかった。

 

「ただ、優しい味方とは限らんけどな」

 

「それは分かります」

 

「早いな」

 

「今日だけでだいぶ」

 

 マキがそう言うと、茜は楽しそうに笑った。

 

「ほんま元気やな、あんた」

 

「褒めてます?」

 

「たぶん」

 

「そこは断言してください」

 

「嫌や」

 

「なんで!」

 

 声が少し大きくなった。

 

 すぐ近くの席の客が、ちらりとこちらを見る。マキは慌てて口を押さえた。

 

 茜は肩を震わせて笑っている。

 

 この人、やっぱり面倒くさい。

 

 でも、嫌いかと聞かれると、まだ判断が難しい。

 

 ゆかりはそこで、ようやくメモ帳を開いた。

 

 全員の視線が向く。

 

「今のは記録します」

 

「どの部分を?」

 

 マキが聞く。

 

「茜さんは味方。ただし優しいとは限らない」

 

「そのまま書くんか」

 

 茜が楽しそうに覗き込む。

 

 ゆかりは真面目な顔で頷いた。

 

「重要な情報です」

 

「ええやん。後で見せてな」

 

「内容によります」

 

「意外と警戒心強いなぁ」

 

「記録係ですので」

 

「なるほどな」

 

 店内の音が戻ってきた。

 

 カップの音。

 

 人の話し声。

 

 コーヒーマシンの低い音。

 

 テーブルの上には、焼き菓子と、紅茶と、アイスティーと、黒いアイスコーヒーが並んでいる。

 

 怪異の気配はない。

 

 けれど、今までの四人だけの空気とは少し違っていた。

 

 茜がいるだけで、朔とずん子の間にあったものの輪郭が、少しだけ濃くなる。

 

   ◇

 

 喫茶店を出る頃には、外は薄暗くなっていた。

 

 駅前の灯りが点き始め、歩道には人の影がいくつも伸びている。

 

 茜は店の前で大きく伸びをした。

 

「ほな、うちはこっち」

 

「もう帰るの?」

 

 朔が聞くと、茜は片手をひらひら振る。

 

「顔見に来ただけやしな」

 

「俺の?」

 

「自意識あるやん」

 

「なかったことにしていい?」

 

「遅い」

 

 茜は笑いながら、ずん子を見る。

 

「ずん子」

 

「何ですか」

 

「ちゃんと見張っとき」

 

 ずん子の表情が少しだけ固くなる。

 

「言われなくても」

 

「言われんと、見すぎるやろ」

 

「……」

 

 返事が止まった。

 

 茜はそれ以上続けない。

 

 代わりに、マキとゆかりへ向き直る。

 

「二人も、あんまり無茶せんようにな」

 

「それ、茜さんが言うと説得力あるような、ないような」

 

「ええ感想や」

 

「褒められた?」

 

「たぶん」

 

「そこも断言してください」

 

 ゆかりは軽く頭を下げた。

 

「今日はありがとうございました」

 

「礼を言われるほどのことはしてへんよ」

 

「それでもです」

 

「真面目やなぁ」

 

 茜は少し目を細める。

 

 それから、朔の方へ一歩近付いた。

 

 声は少しだけ低くなる。

 

「次は、ほんまに間に合わんかもしれんで」

 

 朔はすぐには返さなかった。

 

 駅前の人混みが、二人の後ろを流れていく。

 

「うん」

 

 短い返事だった。

 

 茜はその顔を見て、軽く息を吐いた。

 

「その返事が一番信用ならんわ」

 

「厳しいな」

 

「優しい方やで」

 

 そう言って、茜は背を向けた。

 

 赤茶色の髪が夕方の光に少しだけ透ける。

 

 人混みに紛れていく背中は軽い。

 

 けれど、残していった言葉は軽くなかった。

 

 マキはその背中を見送ってから、小さく呟く。

 

「……嵐みたいな人だった」

 

「嵐というより、刃物に近いですね」

 

 ゆかりが言う。

 

「笑いながら切っていきました」

 

「ゆかり、たまに表現が怖い」

 

「実感です」

 

 ずん子は何も言わない。

 

 朔も、すぐには歩き出さなかった。

 

 駅前の明かりが、四人の足元に影を作っている。

 

 その影は、ちゃんと本人についてきていた。

 

 マキは一度だけ確認して、すぐに顔を上げる。

 

「帰ろっか」

 

 そう言うと、朔がこちらを見た。

 

 少しだけ柔らかく笑う。

 

「うん。帰ろう」

 

 その声で、ようやく足が動いた。

 

 四人は駅の方へ歩き出す。

 

 茜の言葉は、まだ後ろに残っていた。

 

 次は間に合わないかもしれない。

 

 それを誰も口にしなかった。

 

 ただ、ずん子の歩く位置が、いつもより少しだけ朔に近かった。

 




茜ちゃんのイメージはダウナーで髪は少しぼさぼさ、ラフな格好をしていて、良くたばこを吸ってます、あと身長は高いです
癖ですね
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