第十一話 REQUIEM FRAME
黒い棺が、海斗を背中から呑んだ。
冷たい。
そう思った直後、身体の輪郭が曖昧になった。背中に触れていた白い腕も、首筋を這い上がっていた神経束も、肩を掴んでいた長い指も、外側から触れているのではなく、皮膚の下へ、骨の隙間へ、神経の奥へ沈み込んでくる。
「……っ、ぁ……!」
叫ぼうとした。
けれど、声にならなかった。喉が動かず、唇も舌も、自分の命令を聞いていない。身体が遠い。自分のものなのに、水の底から見上げているように遠かった。
背骨の奥へ、黒い芯が差し込まれる。
神経の一本一本に、冷たい糸が絡みつく。
心臓が跳ねるたび、知らない鼓動が重なった。
ドクン。
ドクン。
自分のものではない。
なのに、自分の内側で鳴っている。
《S.C.O.R.E.測定不能》
《外部装着反応、確認》
《通常接続条件、不成立》
《同期経路、不明》
測定室のホログラムが、白と黒に乱れた。
ガラスの向こうで、技術士官たちが一斉に端末へ身を乗り出した。
「外部装着反応を確認!」
「FRAME反応……いや、通常規格じゃありません!」
「黒い棺が対象を取り込んでいます!」
「反応源、対象内部と棺側の双方!」
「装着ではない……融合反応です!」
その奥で、黒い研究服の男がゆっくりと身を乗り出す。周囲の慌ただしさとは違い、その男だけは混乱していなかった。ただ、目だけが異様な熱を帯びている。
やめて。
外して。
誰か、助けて。
海斗は叫んでいるつもりだった。けれど、その声はどこにも届かない。黒い棺は、人間の言葉では答えなかった。
代わりに、測定室全体へ無機質な声を響かせる。
『接続進行』
『接続対象、保護優先』
『拘束状態、解除』
海斗の腕を固定していた拘束具が軋んだ。
白い高硬度合金の表面に、細い亀裂が走る。腕を動かしたわけではない。海斗は何もしていない。それなのに、黒い装甲が肩から腕へ広がっていく。
皮膚の上へ着せられているのではなかった。
棺の内側から伸びた装甲片が、海斗の身体に合わせて組み替わっていく。
背中から広がった黒い外骨格は、胸を覆い、肩から腕へ伝い、指先まで海斗の輪郭を塗り潰していった。装着されているのではない。身体の外側に、別の身体を作られているようだった。
通常FRAMEなら、装甲の隙間や背部スラスターから蒼白い粒子光が噴き上がるはずだった。
けれど、海斗を覆う黒い装甲にはそれがない。
ただ、白い亀裂光だけが、血管のように静かに走っていた。
《未登録FRAME反応》
《兵科分類、不能》
《REQUIEM反応、増大》
背後には、まだ棺があった。
完全には消えていない。海斗の背中に取り付いたまま、墓標のような影を残している。その側面から伸びた白い腕が、測定台の拘束具に触れた。
直後、固定具が砕けた。
金属片が床へ散る。腕が自由になる。足首の拘束も、胸部を押さえていた固定アームも、続けて弾け飛んだ。
解放された。
なのに、身体は自分のものではない。
立ち上がるつもりはなかった。それでも膝が伸び、足裏が床を捉える。黒い装甲に覆われた身体が、測定台の上からゆっくりと起き上がった。
「対象、拘束解除!」
「制圧班、前へ!」
兵士たちが一斉に動いた。
黒い装甲服。構えられる火器。向けられる視線。そのすべてが、海斗の視界へ一度に流れ込んでくる。
怖い。
来るな。
撃たないでくれ。
海斗は心の中で叫んだ。だが、外へ出る声はない。
『脅威、接近』
『危険構造、排除』
違う。
やめろ。
逃げてくれ。
みんな、逃げてくれ。
海斗の意識だけが、黒い装甲の奥で必死に暴れていた。
兵士の一人が火器を構える。
背後の棺から、白い腕が伸びた。
銃身を横から叩き落とす。金属が歪み、兵士の身体が床を滑った。そのまま測定室の壁へ激突し、装甲服の警告灯が赤く点滅する。
生命反応はある。
だが、兵士はもう立てなかった。
「対象が動いた!」
「距離を取れ!」
「火器を潰されるぞ!」
兵士たちが散開する。
海斗の身体が勝手に動いた。
視界が追いつかない。黒い装甲の足が床を蹴り、白い測定室の床が砕ける。一歩。それだけで、距離が消えた。
やめて。
来ないで。
お願いだから、誰も近づかないで。
黒い腕が火器を払う。白い腕が兵士の足元を刈る。肩の装甲が、防護服ごと人間を弾き飛ばす。測定リングが踏み砕かれ、青白い表示が乱れて消えた。
測定室の中で、兵士たちは次々と地面へ叩き伏せられていく。
骨を折る寸前の力。
命に届きかねない速度。
それでも、まだ血は流れていなかった。
海斗が意識の底で叫び続けていたからだ。
殺さないで。
誰も殺さないで。
『殺害禁止要求、検出』
『生命維持、優先度上昇』
『脅威排除、非致死範囲へ変更』
何かが、ほんの少しだけ変わった。
白い腕は、兵士の身体ではなく、構えられた火器へ向かった。
銃身を握り潰し、手首の装甲を砕く。黒い足が踏み込んだ先も、兵士の胴体ではなく床だった。衝撃で白い床材が陥没し、足元を崩された兵士がその場で転倒する。
別の兵士が距離を取ろうとした瞬間、背後の棺から伸びた腕が肩の装甲を打ち抜いた。胸ではない。首でもない。動きを止めるための一点だけを、正確に砕いている。
死んではいない。
ただ、次々と戦闘不能になっていく。
◇ ◇ ◇
《測定区画、封鎖不能》
《一般制圧班、後退》
《FRAME兵、投入》
測定室の正面隔壁が開いた。
最初に踏み込んできたのは、重い足音だった。
分厚い胸部装甲。肩から腕までを覆う重い外殻。脚部には、床を掴むための固定アンカー。灰白色の装甲に、重厚な緑の補強装甲。
胸部に刻まれた兵科表示。
《BASTION(バスティオン)》。
重装突破型。
正面から敵を受け止め、押し潰すためのFRAME。
その背後から、二人のSTRIKERが左右へ散った。瓦礫の中で自分を守った、あの灰色のFRAMEと同じ兵科。一人は小銃を構え、もう一人は両手で長柄のハンマーを握っている。
『BASTION-1、正面から止める』
『STRIKER-2、右側面。援護射撃に入る』
『STRIKER-3、左から打撃を入れる。BASTION、三秒持たせろ』
『三秒でいいのか』
『十分だ』
BASTION兵が真正面から突進してきた。
室内では重火器を使えない。ならば、重装甲で押さえ込む。その判断は、間違っていなかった。
普通の相手なら。
小銃持ちのSTRIKERが右へ回り込み、短い連射で黒いFRAMEの注意を散らす。弾丸が黒い装甲へ叩き込まれ、乾いた衝撃が測定室に反響した。
だが、弾かれる。
傷一つ残らない。
『効いてない!』
『撃ち続けろ! 動きを止めるだけでいい!』
BASTIONの両腕が、黒いFRAMEの肩を掴んだ。
衝撃で床が沈む。脚部アンカーが白い床材へ突き刺さり、重装の巨体が対象を固定しようと軋む。
『固定した!』
『今だ、入れ!』
ハンマーを持ったSTRIKERが、背部スラスターを噴かせた。灰白色の装甲が左側面から飛び込み、両手で握ったハンマーが海斗の頭部へ向けて振り下ろされる。
まともに当たれば、BASTIONの重装甲さえ歪ませる一撃。
けれど。
黒い腕が動いた。
片手が、BASTIONの胸部装甲を掴む。
もう片方が、振り下ろされたハンマーを空中で受け止める。
『な――』
ミシ、と嫌な音が鳴った。
ハンマーの柄が歪む。黒い指が握り込まれ、金属の頭部が粘土みたいに潰れた。
『ハンマーが……!』
黒い腕は、すかさず潰れたハンマーごとSTRIKERの腕を掴んだ。
『くそっ、BASTION、押さえろ!』
『押さえてる! アンカーまで打ってるんだぞ!』
BASTION兵の声が、そこで歪んだ。
黒いFRAMEの腕が、胸部装甲を掴んだまま、ゆっくりと持ち上がる。
BASTIONは、正面から敵を受け止めるための重装FRAMEだ。
脚部アンカーで床に自分を縫い止め、衝撃を受け止め、押し返す。
そのはずだった。
だが、床が耐えられない。
アンカーの周囲に亀裂が走り、白い床材が装甲板ごとめくれ上がった。
『嘘だろ……!』
固定されていたはずのBASTIONが、床板の破片を引き剥がしながら浮いた。
海斗は、沈んだ意識の奥で凍りついた。
これは、海斗自身の力ではない。
強化された身体でも、こんなことはできない。
黒い棺がまとわせたこの異常なFRAMEが、BASTIONを固定ごと持ち上げている。
強い、では済まない。
人間が出していい出力ではなかった。
『離せ!』
BASTION兵が叫ぶ。
だが、黒いFRAMEは止まらない。
片手にBASTION。
もう片方にSTRIKER。
二人のFRAME兵を掴んだまま、黒いFRAMEが腰を捻る。
『STRIKER-2、避けろ!』
小銃持ちのSTRIKERが後退しようとする。
間に合わない。
黒いFRAMEが、二人をまとめて横へ振り抜いた。
BASTION兵とハンマー持ちのSTRIKERが、砲弾のように飛ぶ。
その先にいた小銃使いのSTRIKERを巻き込み、三人まとめて測定室の壁へ叩きつけられた。
重い衝撃音。
壁面装甲が陥没し、破片が雨のように床へ降った。三人のFRAME兵は、崩れるように床へ落ちる。
《BASTION-1、生命反応あり。行動不能》
《STRIKER-2、生命反応あり。行動不能》
《STRIKER-3、生命反応あり。行動不能》
『BASTIONまで……』
『三名同時に沈黙……!』
『対象、フルバースト反応なし!』
『通常出力で、この出力だと……?』
通常出力。
その言葉が、海斗の意識の奥へ沈んでいく。
自分は何もしていない。
何も、使っていない。
それなのに、三人のFRAME兵が倒れている。
俺じゃない。
俺がやってるんじゃない。
海斗は叫びたかった。けれど、喉は動かない。黒い装甲は、ただ静かに立っていた。
周囲の兵士たちは、もう踏み込めない。
誰も近づかない。
誰も撃てない。
白い測定室の中央で、黒いFRAMEだけが立っている。背後の棺が、開いたまま影を落としていた。
そこで。
黒い棺が、倒れたFRAME兵たちへ向いた。
少なくとも、海斗にはそう見えた。
背中に残った棺状構造体の奥で、白い亀裂光が小さく脈打つ。白い腕が、ゆっくりと伸びた。
向かった先は、兵士の身体ではない。
BASTION兵の背部に接続された、破損した機械脊椎ユニットだった。
……やめろ。
声は出ない。
けれど、海斗の意識が叫んだ。
白い爪が、BASTIONの背部装甲へ食い込む。
ばきり、と嫌な音がした。
高出力用の重厚な機械脊椎が、接続部から強引に引き剥がされる。兵士の生命反応はまだある。だが、FRAMEは完全に沈黙した。
『破損機械脊椎、記録残存』
測定室に、無機質な声が響く。
『兵科運用記録、検出』
『摂取』
摂取。
その言葉を理解するより早く、黒い棺の外殻が裂けた。
闇の奥に、白い歯のような構造が覗く。BASTIONの機械脊椎が、ゆっくりと呑み込まれていった。金属が砕け、ケーブルが千切れ、リアクター残滓が白黒の光になって棺の内側へ吸い込まれていく。
『……おいしい』
見にくい文章でもここまで読んでくれた皆様。ありがとうございます。内容や文章を少しずつ修正していきます。
よければ感想頂けると嬉しいです。やる気に繋がります。