黒い棺の内側で、何かが砕ける音がした。
金属を噛み潰すような音。
ケーブルを引き千切るような音。
そして、飲み込むような低い振動。
直後。
海斗の頭の奥に、冷たい針を差し込まれたような感覚が走った。
「……っ」
頭の奥へ、知らない情報が流れ込んでくる。
重装FRAMEの重心制御。正面衝突時の荷重分散。敵を押さえ込む時の膝の角度。装甲の厚みを活かした受け方。
BASTION兵が積み上げてきた、戦い方の記録。
知らない。
習っていない。
なのに、身体が理解していく。
測定室の表示が、異常な変化を追いかけるように更新された。
《BASTION類似反応》
《兵科分類不能》
背中の棺が、淡々と告げる。
『疑似BASTION構造、展開』
黒い装甲が変わった。
肩が厚くなる。
胸部外殻がせり上がる。
脚部に、床を噛むような黒い固定爪が展開する。
通常のBASTIONではない。
緑の重装甲ではない。
黒い装甲の上を、白い亀裂光が走る異形の重装形態。
黒いFRAMEが、床を踏んだ。
測定室の白い床が、低く沈む。さっきまで暴れるように動いていた身体が、急に重心を落とした。
受け止め、押し返すための姿勢。
海斗はそんな動き方を知らない。
なのに、身体は知っていた。
食ったばかりの機械脊椎が、知っていた。
続けて、白い腕がSTRIKERの背部へ伸びる。
やめろ。
もうやめろ。
『標準脊椎、記録残存』
『高機動戦闘ログ、検出』
『摂取』
ばきり。
また、機械脊椎が抜き取られる。
STRIKER兵の身体が床へ沈む。生命反応はある。だが、背部ユニットを失ったFRAMEは、装甲の光を消していった。
黒い棺が、二本目の機械脊椎を呑み込む。
『……これも、おいしい』
頭の中へ、別の感覚が流れ込んだ。
加速時の視界補正。背部スラスターの噴射角。斬撃を避けるための半歩。距離を詰めるための踏み込み。STRIKERの戦闘記録。
知らない誰かの戦い方が、海斗の神経に焼き付いていく。
気持ち悪い。
怖い。
なのに、身体はそれを拒めない。
測定室の表示が、黒いノイズを噛みながら切り替わった。
《STRIKER類似反応》
《構造変化、継続》
その表示に重なるように、背中の棺が無機質な声を響かせる。
『疑似STRIKER構造、展開』
黒い装甲が、形を変えた。
重装甲だった肩と胸が削ぎ落とされ、全身の輪郭が細く鋭くなる。
背中の棺が開き、黒い翼のような推進器が伸びた。
それは、STRIKERに似ていた。
細く、鋭く、速く動くための形。訓練場で見上げた灰白色の装甲を、海斗は一瞬だけ思い出した。
けれど、これは違う。
灰白色ではなく、黒。
蒼白い粒子光ではなく、白い亀裂光。
背中にあるのはスラスターではなく、棺から裂け出した黒い翼片だった。
こんなのは、海斗が憧れたSTRIKERじゃない。
それでも黒い装甲は、止まらなかった。
重装の安定を捨て、STRIKERに似た高機動の形へ組み替わっていく。脚部の固定爪が沈み、背中の黒い翼片がわずかに開いた。
海斗が望んだわけではない。
背中の棺が、食った機械脊椎の記録を使って、海斗の身体を勝手に作り替えていた。
背部の黒い翼片が、かすかに開く。
踏み込む角度。
床を蹴る強さ。
加速の瞬間に沈める重心。
背中の推進器を、どの方向へ噴かせば最短で距離を潰せるのか。
知らないはずのSTRIKERの運用記録が、海斗の神経へ焼き付いていく。
最悪だった。
助かっているのに。
強くなっているのに。
自分が、人間から遠ざかっていく音だけが聞こえた。
次の警報が、測定区画全体に響く。
《通常FRAME部隊、制圧失敗》
《NOCTURNE、測定区画へ到着》
その言葉に、海斗の意識が強張った。
NOCTURNE。
まただ。
あの女。
首元の刃。
迷いのない動き。
殺される。
嫌だ。
もう来るな。
海斗の叫びは、やはり外へ出ない。
壊れた隔壁の向こう。
白い煙の中に、二つの影が立っていた。
一人は、小柄な少女だった。
黒髪のボブ。
表情のない顔。
黒紫のPHANTOM FRAMEをまとっている。
胸部装甲には、兵科表示。
《PHANTOM(ファントム)》。
指先から、極細のワイヤーが垂れていた。
もう一人は、長身の男。
同じく黒紫のPHANTOM FRAMEをまとい、片手には消音小銃。腕部にはワイヤーアンカー。軽そうな顔立ちをしているのに、その目は笑っていなかった。
二人とも、空気が違う。
一般兵とも。
STRIKERとも。
BASTIONとも。
違う。
気配が薄い。
そこにいるのに、輪郭が沈んでいる。
「対象確認」
少女が言った。
声に温度はなかった。
「未登録FRAME。黒色外骨格。背部に棺状構造体」
長身の男が、測定室の惨状を見渡して小さく息を吐く。
「うわ……こりゃ通常部隊じゃ無理だわ」
軽口のようで、声は笑っていない。
「最初から行く」
「了解。フルバーストで止める」
二人の背部で、PHANTOM FRAMEの機械脊椎が低く鳴った。
《フルバースト、解放》
蒼白い粒子光が、二人の装甲の隙間から噴き出す。床を這い、空気を震わせ、壊れた測定機材の破片を浮かせた。
通常FRAMEの限界出力。
持続時間、約十分。
候補生の授業で聞いたことがある。
命を削って、FRAME性能を引き上げる戦闘モード。
それを、二人は迷わず使った。
海斗は、沈んだ意識の底からそれを見ていた。
もう、やめてくれ。
背後の黒い棺が、静かに開いた。
『脅威、継続』
次の呼吸を待たず。
二つの影が、同時に消えた。