レクイエムフレーム   作:momomotototo

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第一話 灰色の死神

 見つかった。

 

 その理解が、海斗の頭に届くより早く、身体の方が先に凍りついていた。

 

 異形の四肢が低く沈む。獲物へ飛びかかる直前の獣のように、剥き出しの黒い筋肉が不気味に収縮し、長い前脚の爪が瓦礫の表面を削った。

 

 異形が跳ぶ。

 

 重さを感じさせない速さだった。

 

 裂けた口。

 

 白濁した複眼。

 

 それらが一直線に迫ってくるのを、海斗はただ見ていることしかできなかった。

 

 逃げることはできない。

 

 腕も、脚も、瓦礫の下で動かない。

 

 せめて顔だけでも庇おうと、反射的に右腕を上げる。

 

 死ぬ。

 

 その言葉だけが、ひどくはっきりと脳裏を掠めた。

 

 その刹那。

 

 白い閃光が走った。

 

 ズバンッ――!!

 

 

 海斗の目の前で、異形の上半身が宙に浮いた。

 

 斬られたのだと理解するまでに、一拍遅れた。黒い肉体は空中で真っ二つになり、裂けた断面から赤黒い血が噴き出す。肉片が降り、内臓らしきものが瓦礫へ叩きつけられ、生暖かい何かが海斗の頬に貼りついた。

 

 それが異形の血なのか、肉片なのか、考えたくなかった。

 

 遅れて、重い音が響いた。

 

 異形の残骸が地面に落ちた音だった。

 

 その向こうに。

 

 灰色が立っていた。

 

 細身で鋭角的な灰白色装甲。

 

 背部ユニットから噴き出す、蒼白い粒子光。

 

 右腕には、血に濡れた長刀型ブレード。

 

 煙と火の粉の中で、その姿だけが異様なほどはっきり見えた。

 

 背中の装甲には、白文字が刻まれている。

 

 《STRIKER(ストライカー)》。

 

 海斗は、喉の奥が引きつるのを感じた。

 

 教本で見たことはある。

 

 授業の映像でも、訓練場でも、遠くから眺めたことはあった。

 

 けれど、目の前に立つそれはまるで違った。

 

 そこに立っているだけで、周囲の空気が押し潰されるような圧がある。

 

 本物のFRAME。

 

 本物の兵士。

 

 本物の戦場を生きているもの。

 

 海斗は初めて、その意味を肌で理解した。

 

『ケルブ級反応、沈黙を確認』

 

 無機質なAI音声が響く。

 

 女が小さく舌打ちした。

 

「チッ……まだいたのか」

 

 低い女の声だった。

 

 荒れているのに、乱れてはいない。

 

 怒鳴っているわけでもないのに、命令のように耳へ残る声。

 

 この人は、戦場に慣れている。

 

 海斗は、なぜかそう思った。

 

 女が、ヘルメット越しに海斗へ視線を向ける。

 

「生きてるか」

 

「……っ」

 

 返事をしようとして、声が喉に引っかかった。

 

 生きている。

 

 たぶん。

 

 そう答えたかった。

 

 けれど、痛みと恐怖で、うまく言葉にならない。

 

 女はそれ以上を求めなかった。

 

「待ってろ。今出してやる」

 

 その言葉に、海斗の胸の奥がかすかに緩んだ。

 

 助かる。

 

 ほんの一瞬だけ、そう思ってしまった。

 

 だが、その直後。

 

『CHORUS反応接近』

 

『複数確認』

 

 空気が変わった。

 

 比喩ではない。

 

 熱と煙で濁っていた戦場の空気が、さらに別のものへ変質していくのが分かった。

 

 赤煙の奥から、音が聞こえる。

 

 ギチ。

 

 ギチギチギチ――。

 

 骨を擦り合わせるような、湿った不快音。

 

 大量の足音と、関節の軋みと、喉の奥で鳴るような異音が、煙の向こうで折り重なっていた。

 

 海斗の顔から血の気が引く。

 

 さっきの一体だけで、何もできなかった。

 

 それが今、煙の向こうに群れている。

 

 女がゆっくりと立ち上がった。

 

『ケルブ級反応、十五』

 

『敵性反応多数』

 

『危険度上昇』

 

 女はブレードを握り直す。

 

 その仕草は、ひどく自然だった。

 

 恐怖も、迷いもない。

 

 ただ、面倒な仕事が増えたとでも言いたげに、女は短く息を吐く。

 

「……面倒だな」

 

 その一言と同時に、背部スラスターが展開した。

 

 灰色の装甲背面で、機械翼のような推進器が開く。

 

 首元から背中にかけて接続された人工の背骨――機械脊椎の表面を、蒼白い光が走った。

 

 それは装甲の発光というより、兵士の神経そのものが熱を持ったように見えた。

 

『コーラスリアクター出力上昇』

 

『フルバースト、解放』

 

 空気が弾けた。

 

 蒼白い粒子光が背中から噴き上がり、灰色のFRAMEが瓦礫を蹴る。

 

 消えた。

 

 海斗には、本当にそう見えた。

 

 直後、赤煙の中で無数の閃光が走る。

 

 斬撃。

 

 爆音。

 

 黒い血。

 

 異形たちの身体が、何が起きたのか理解する暇もなく切断されていく。

 

 速すぎる。

 

 目で追おうとした瞬間には、すでに別の場所で蒼白い残光が弾けていた。

 

 灰色のFRAMEがどこにいるのか分からない。

 

 ただ、その通った後だけが分かる。

 

 異形が裂ける。

 

 瓦礫が砕ける。

 

 黒い血が噴き上がる。

 

 数秒後。

 

 赤煙の中で、最後の異形が崩れ落ちた。

 

 切断面から黒い血を噴き上げ、痙攣しながら瓦礫の上を滑っていく。

 

 静寂が戻る。

 

 いや、違う。

 

 静かすぎた。

 

 さっきまで耳を埋め尽くしていた咆哮も、骨を擦るような不快音も、今は消えている。

 

 残っているのは、焼けた金属の臭いと、濃すぎる血の臭いだけだった。

 

 瓦礫の下で、海斗は浅く息を吐いた。

 

 助かった。

 

 そう思いたかった。

 

 けれど、女は動かなかった。

 

 ブレードを下ろしたまま、煙の奥を見ている。

 

 構えを解いていない。

 

 勝った人間の背中ではなかった。

 

 何かを待っている。

 

 いや。

 

 何かが来ることを、もう分かっている。

 

 海斗にも、それだけは伝わった。

 

『周辺CHORUS濃度、急上昇』

 

 無機質なAI音声が響く。

 

『高位反応、接近』

 

 その瞬間。

 

 空気が軋んだ。

 

 ミシ、と。

 

 建物の梁が悲鳴を上げたのではない。

 

 瓦礫が崩れた音でもない。

 

 もっと近くて、もっと遠い。

 

 空間そのものが、目に見えない手で無理やり捻じ曲げられているような、不快な軋みだった。

 

 同時に。

 

 キィィィィィィィ――――――!!

 

 耳鳴りが爆発した。

 

 海斗は歯を食いしばる。

 

「あ……ぁっ……!」

 

 頭の奥へ、熱した針を何本も差し込まれたような痛みが走った。

 

 吐き気が込み上げる。

 

 視界が赤と黒に揺れる。

 

 自分の呼吸がどこにあるのか分からなくなる。

 

 赤煙の向こう。

 

 そこに、白がいた。

 

 白い。

 

 あまりにも白い。

 

 それは、煙の中に立っているはずなのに、煙に汚れていなかった。

 

 輪郭がぼやけて見えるのは、視界が霞んでいるせいではない。

 

 その周囲だけ、景色そのものが歪んでいた。

 

 壁の輪郭が波打つ。

 

 瓦礫の角度が狂う。

 

 空気だけが別の流れで動いている。

 

 人型。

 

 けれど、人間ではない。

 

 白磁のように滑らかな四肢。

 

 血管の代わりに、薄い光が皮膚の奥を流れている。

 

 顔のあるべき場所は、整いすぎた無機質さで塗り潰されていた。

 

 美しい。

 

 そう思ってしまったこと自体が、海斗には気持ち悪かった。

 

 美しいのに、生き物として見てはいけないもの。

 

 近づいてはいけないもの。

 

 理解しようとした瞬間、こちらの中身を壊されるもの。

 

 海斗の全身が総毛立つ。

 

 本能が叫んでいた。

 

 あれは違う。

 

 さっきの異形とは違う。

 

 倒せるとか、逃げられるとか、そういう次元ではない。

 

『識別コード更新』

 

 AI音声に、わずかなノイズが混じる。

 

『SERAPH class』

 

 女が小さく舌打ちした。

 

「……最悪だな」

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