レクイエムフレーム   作:momomotototo

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第七話 ノクターン

 海斗は振り返った。

 

 そこに、黒紫のFRAMEが立っていた。

 

 紫を溶かしたような、暗い装甲。

 

 光を吸い込むような表面をした、細身のFRAMEだった。

 

 背中に大きな推進器はなく、身体の線を崩すような余剰装甲もない。

 

 あるのは、身体に張りつくような黒紫の装甲と、背骨に沿って伸びる機械脊椎ユニットだけ。

 

 その薄さが、逆に怖かった。

 

 守るための形じゃない。

 

 音を消し、気配を殺し、相手の喉元へ届くためだけに研ぎ澄まされた形。

 

 頭部装甲も展開されていた。

 

 顔は見えない。

 

 目元にあたる細いスリットだけが、赤紫に淡く光っている。

 

 その後ろから、淡いミントグリーンの髪が流れていた。

 

 表情はないのに、髪だけが人間のものだった。

 

「やっぱり、人間じゃないね」

 

 冗談を言うみたいな、軽い声だった。

 

 屋上で首筋を斬りかけた相手に向ける声とは思えないほど、温度がない。

 

 その軽さが、銃口を向けてきた兵士たちよりもずっと怖かった。

 

 兵士たちは、まだ距離を取っていた。

 

 撃つ前に構え、叫び、警告し、判断を迷っていた。

 

 だが、目の前の相手は違う。

 

 すでに海斗の間合いへ入っていた。

 

 殺すための位置に立っている。

 

 そして、そのことに何の迷いも持っていない。

 

「誰、だ……」

 

「質問する余裕あるんだ」

 

 黒紫のFRAMEが、両手を下げる。

 

 手首の装甲が滑るように開き、その内側から二本の短刀が抜き放たれた。

 

 細い刃。

 

 光をほとんど反射しない黒い刀身。

 

 まるで影を削り出したような武器だった。

 

「じゃあ、試してみよっか」

 

 黒紫のFRAMEの姿が、視界から消えた。

 

「——っ!」

 

 海斗は反射的に右腕を振った。

 

 相手を殺さないように。

 

 押し退けるだけ。

 

 触れれば、弾き飛ばせる。

 

 そう思った。

 

 違った。

 

 黒い刃が、海斗の右腕を通り抜けた。

 

 何が起きたのか分からない。

 

 腕を振ったはずだった。

 

 そこにまだ、自分の腕があるはずだった。

 

 だが、視界の端で赤が散る。

 

 遅れて、右腕が肘の先から落ちた。

 

「……ぁ」

 

 腕が、落ちた。

 

 自分の腕が。

 

 その理解が頭に届いた途端、痛みが噛みついてきた。

 

「がああああああああッ!」

 

 喉が裂けるほど叫んだ。

 

 膝が崩れかける。

 

 切断面から熱い血が溢れ、失われた右腕の重さだけが、そこにないまま残っている。

 

 海斗は傷口を押さえることもできなかった。

 

 目の前の相手が、もう次の動作へ移っていたからだ。

 

 黒紫のFRAMEは、すでに懐にいる。

 

 片足が、海斗の腹へめり込んだ。

 

「ゔっ……!」

 

 身体が浮く。

 

 内臓が潰れたような衝撃で、息が喉の奥から押し出された。

 

 屋上のフェンスへ叩きつけられる。

 

 金属柵が大きく歪み、固定具が弾けた。

 

 支えが消える。

 

 背中側に、空が開いた。

 

 海斗の身体が、屋上の外へ放り出される。

 

 風が耳元で唸った。

 

 落ちる。

 

 下階の連絡通路が迫る。

 

「う、わ!」

 

 海斗は背中から通路へ叩きつけられた。

 

 床が砕け、肺から息が抜ける。視界が白く弾け、瓦礫の粒が頬を打った。

 

 立ち上がる暇はなかった。

 

 黒紫のFRAMEが、音もなく降りてくる。

 

 海斗の腹の上に片膝を乗せ、そのまま体重を落とした。

 

 軽いはずなのに、動けない。

 

 押さえつけられているのは腹だけではなかった。

 

 腰も、肩も、逃げる方向を先回りして潰されている。

 

 二本の短刀が、頭上で振り上げられた。

 

「や、め――」

 

 刃が落ちる。

 

 海斗は反射的に左手を突き出した。

 

 その横で。

 

 ないはずの右腕が、熱を持って蠢いた。

 

 肉が伸びる。

 

 骨が戻る。

 

 皮膚が閉じる。

 

 再生した右手が、ぎりぎりで顔の前へ滑り込む。

 

 防御なんてものじゃない。

 

 顔を庇うだけの、みっともない動きだった。

 

 黒い刃が、両方の手のひらを貫いた。

 

「ぐ、あ……ッ!」

 

 血が散る。

 

 刃先が、手の甲から抜ける。

 

 それでも勢いは死なない。

 

 二本の短刀が、海斗の喉元へ沈んでくる。

 

 あと少し。

 

 あと数センチで、首に届く。

 

「っ、ぐ……!」

 

 海斗は歯を食いしばり、貫かれた両手で刃を押し返した。

 

 手のひらが裂ける。

 

 骨が軋む。

 

 傷口の奥で、肉が再生しようと蠢く。

 

 だが、塞がろうとする掌を、貫いた刃が内側から裂き続ける。

 

 二本の短刀は、手のひらを縫い止めたまま、少しずつ喉元へ近づいていた。

 

「力は強いね」

 

 相手の声は、楽しそうだった。

 

「でも」

 

 短刀にかかる圧が、さらに増える。

 

「私まだ本気出してないんだよね」

 

 背部の機械脊椎ユニットが、低く唸った。

 

 黒紫の装甲の隙間に、蒼白い粒子光が走る。

 

『コーラスリアクター出力上昇』

 

 無機質なAI音声。

 

 海斗の身体が硬直する。

 

 まずい。

 

 これは、まずい。

 

 目の前の相手の圧が変わっていく。軽かった声の奥に、底の見えない冷たさが混じり始めていた。

 

『フルバースト、解放』

 

「じゃ、終わり」

 

 短刀が、さらに沈む。

 

 その時。

 

『待機』

 

 無線が入った。

 

 相手の動きが止まる。

 

 切っ先は、海斗の喉元の皮膚に触れていた。

 

『対象の処理命令を変更』

 

『捕獲へ移行』

 

 沈黙。

 

 黒紫のFRAMEは、少しだけ首を傾けた。

 

「うん、わかったー」

 

 あまりにも軽い返事だった。

 

 今まさに殺そうとしていたとは思えないほど、何でもない声。

 

 黒紫のFRAMEは、刺さったままの短刀をゆっくりと引き抜いた。

 

「っ、あ……!」

 

 海斗の両手から、黒い刃が抜ける。

 

 血が床へ落ちた。

 

 穴の空いた手のひらが震える。

 

 だが、次の呼吸には、傷口の奥で肉が蠢き始めていた。

 

 塞がろうとしている。

 

「ほんと、気持ち悪いくらい治るね」

 

 黒紫のFRAMEが、海斗の上から退く。

 

 それでも、刃は下ろさない。

 

「君、捕獲することになった」

 

「……捕獲……?」

 

「うん。大人しくついてきたら殺さない」

 

 頭部装甲の奥で、赤紫の光が細く揺れる。

 

「来る?」

 

 黒紫の頭部が、こてん、と小さく横へ傾いた。

 

 その動きに合わせて、装甲の隙間から零れる淡いミントグリーンの髪が、さらりと揺れる。

 

 殺す寸前まで追い詰めていた相手とは思えないほど、仕草だけは妙に軽かった。

 

 海斗は、再生したばかりの右腕を見る。

 

 震えていた。

 

 傷は塞がっている。

 

 だが、斬られた感覚は残っている。

 

 自分の腕が落ちた光景も。

 

 両手を貫かれた痛みも。

 

 喉元に触れた刃の冷たさも。

 

 全部、消えていない。

 

 逆らえば、次は本当に殺される。

 

 それだけは分かった。

 

「……は」

 

 声が掠れる。

 

「……はい」

 

「素直でよろしい」

 

 黒紫のFRAMEは、短刀を回して収納した。

 

「じゃ、動かないでね。変な動きしたら、今度は腕じゃなくて首だから」

 

 冗談みたいな声だった。

 

 だが、海斗は笑えなかった。

 

 目の前の相手は、本気でそれをできる。

 

 そして、必要ならためらわない。

 

 そう思った。

 

 ◇  ◇  ◇

 

 ある場所の、地下深く。

 

 光の届かない空間で、巨大な黒い影が沈黙していた。

 

 棺のような形だった。

 

 だが、死者を納めるためのものではない。

 

 黒い外殻は何層もの固定具で押さえ込まれ、床から伸びた拘束アンカーが、その輪郭を縫い止めるように食い込んでいる。

 

 周囲には、封印陣にも似た模様が淡く浮かんでいた。

 

 円環。

 

 直線。

 

 重なり合う文字列。

 

 その中心に、黒い棺だけが沈黙している。

 

 何も動かない。

 

 音もない。

 

 ただ、暗闇の中で。

 

 棺の表面に走る白い亀裂が、一度だけ淡く明滅した。

 

 ――接続対象。

 

 ――接近。

 

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