ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記―   作:へーちょ

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第14話  ティンクル加入エピソード 前編

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、これは大ニュースやで」

 

石畳の広場の片隅。フードを深くかぶった小柄な影――《情報屋》アルゴは、昨日の第六十層ボス攻略について、夜通しで参加者から情報をかき集めていた。手元のメモには、黒インクの走り書きがびっしり。

 

何がドロップしたか。どんな戦いだったか。誰が致命打を与え、誰が危機を救ったか。飲み屋で半ば酔いながら語られる噂話も、彼女の耳には全て網にかかった。

 

その中に――ひときわ異質な一文があった。

 

> 「ヒースクリフ団長が、《氷姫》ティンクルを呼び出した」

 

アルゴは思わず目を瞬かせた。

 

「……はぁん? ヒー坊がクルちゃんを? ……スカウト? いやいや、ありえへんやろ。あの子が首を縦に振るわけない」

 

アルゴは人懐っこい笑顔を浮かべつつも、胸の奥に妙なざわめきを抱いた。ティンクル――《氷姫》。ソロで幾多の難関を越え、レア装備と素材を独力で集め、攻略ギルドですら彼女の足跡を追って情報を得るほどの存在。勧誘は月百件を下らないと言われていたが、全てを笑って断り続けてきた。

 

「……まぁ、どう転ぶか見物やな。ヒー坊とクルちゃん、どんな顔合わせするんか、ちぃと気になるわ」

 

ペンをくるくる回しながら、アルゴは笑う。

 次の日は《血盟騎士団》の本部に足を運ぶことに決めた。次の層へ進む前に、この噂の真偽を確かめておく必要がある――情報屋として。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

翌朝 ― 血盟騎士団 本部前

 

まだ空が白む早朝。

 《血盟騎士団》本部の石造りの建物の前に来たアルゴは、腰に手を当てて背伸びをした。朝靄に包まれた街路は静かで、露店の準備を始める商人たちの声がかすかに響く。

 

その時だった。

 扉を蹴飛ばす勢いで中からひとりの男が飛び出してきた。顔色は青ざめ、抱えていた木箱を落とし、中身の包帯や薬瓶を散らばらせる。

 

「……げっ」

 

男の視線がアルゴに止まる。

 アルゴは目を細め、ニヤリと口角を上げた。

 

「こらこら、人の顔を見て“げっ”は失礼やろ?乙女に向かって。しかも天下の情報屋アルゴ様に⭐︎」

 

商人の男は小声でぼそっと漏らした。

「……何が乙女だよ……」

 

アルゴの耳がぴくりと動く。

「おん?」

 

ジト目でにじり寄り、肩越しに覗き込む。

「いま何か聞こえた気がするんやけどなぁ?」

 

「な、なんでもない! と、とにかく大変なんだ!」

 男は慌てて首を振り、散らばった薬瓶も放置したまま叫んだ。

「氷姫だ! 氷姫が……っ!」

 

「……ん?」

 

「氷姫が……《血盟騎士団》の服を着て、中にいたんだ!」

 

アルゴは目を瞬かせ、やがてニヤリと口元を吊り上げた。

「……へぇ。そう来たか、ヒー坊」

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

広場にて

 

その日の朝。

 《血盟騎士団》の広場には、負傷で動けない者を除き、ほぼ全団員が集められていた。人の波がざわつき、白と赤の団服が一面に揺れる。

 

「全員集合って……新しい入団者?」

救護班のセラフィナが隣の仲間に囁く。

 

血盟騎士団では、新入団者を全員で迎え入れる決まりがあるからだ。

 

「でも事前に何も聞いてないぞ。幹部にも通達がなかったって」

「緊急事態か……?」

 

不安と好奇心が入り混じり、広場はざわつき続けた。

 若い盾兵ハルトが副団長に問いかける。

「アスナさん……何かご存知ですか?」

 

「……いいえ。私も何も聞いていません」

 アスナは眉をひそめ、じっと前を見つめる。

 

そのざわめきを切り裂いたのは、重い足音だった。

 十字盾を背に、赤白の上着を翻しながらヒースクリフが壇上に立つ。

 

「諸君。まずは昨日の戦いの労をねぎらう。……傘下ギルド所属の、1名の仲間を失った。名を呼び、祈りを捧げよう」

 

広場に沈黙が落ち、全員が頭を垂れる。祈りの時間が流れた。

 

やがて団長の声が再び響く。

「今日は我ら《血盟騎士団》に、新しい血が加わることとなった。本来なら落ち着いてから行うべきだが……理由は、すぐに分かるだろう」

 

広場のざわめきが一段と強まる。

「新入団者……?」「誰だ……?」

 

団長が視線を奥にやり、一言。

「――来たまえ」

 

 

ツカツカと歩み出たのは、昨日の戦場にいた“氷姫”だった。

 銀髪を揺らし、灰色の瞳をまっすぐ前に向ける。その身を包むのは、白と赤の《血盟騎士団》の正装。広場に驚愕が走った。

 

「えっ……氷姫……?」

「ま、まじかよ……!」

「本物……? 本物がここに……!?」

 

ざわざわと波のように広がる声。

 ヒースクリフが手を掲げると、広場は静まり返った。

 

「通称――氷姫。ティンクル君だ。……挨拶を」

 

ティンクルは一歩前へ。

 落ち着いた足取り。鈴の音のように柔らかく、それでいてはっきりと届く声で口を開いた。

 

「昨日の戦場では、亡くなった1名を助けることができませんでした。……その悔いを忘れず、ここに立っています」

 

一瞬の沈黙。彼女は微笑んだ。

「僕は、皆さんの中でいちばんの新人です。足りないことも多いと思いますが……どうぞ、よろしくお願いします」

 

広場に再びざわめきが起こる。驚きと戸惑いと、どこか敬意を帯びたざわめき。

 ヒースクリフは今度は目だけで全員を制した。

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

広場がざわつく。

 幹部たちの顔にも驚きが浮かんでいた。

 ジョンは腕を組み、太い眉をしかめる。

「……まさか本当に来るとはな」

 ブリュノは口を引き結び、慎重に様子をうかがっている。

 セラフィナは落ち着いた声で

「静かに。彼女の声を、しっかり聞きなさい」と諭した。

 

そして列の中で――新人のリオは、言葉を失っていた。

(こ、氷姫が……ぼ、僕たちと同じ服を……!?)

 目の前の少女は、昨日の戦場で桁外れの存在感を放っていた。自分が憧れの団に入れたばかりなのに、今度は憧れの存在が同じ制服を着て並んでいる。胸の鼓動が早鐘のように鳴り、呼吸がうまくできない。

(嘘だろ……夢、じゃないよな……?)

 

広場の誰もが動揺していたが、ティンクルの穏やかな微笑みと、よく通る声はそのざわめきを少しずつ沈めていく。

 

ヒースクリフは、静まり切らない空気を真鍮色の瞳で見渡し、一歩前へ出た。

 

 

「知ってのとおり、彼女はアインクラッドでも随一の実力と知名度を持つ存在だ。……個人的な興味で接触したいと思う者もいるだろう。その気持ちは否定しない」

 

壇上から響く声は、広場全体を支配するように重く落ち着いていた。

 彼はゆっくりと区切りながら言葉を続ける。

 

「だが、まず言っておく。私は彼女をなんら特別扱いしていない。我が《血盟騎士団》の規則にある“ソロ活動の禁止”。彼女も例外ではない」

 

その瞬間、広場に驚きが走った。

 氷姫といえばソロ活動での功績が数えきれないほどある。素材集め、レア装備の収集、単独での危険地帯踏破。ギルドですら追いかけて真似するしかなかったその背中を、今ここで「禁止」と切り捨てたのだ。

 

「宿舎も皆と同じだ。今日中に個人宅を撤去し、全ての生活を共にする」

 

「……本気、なのか……」誰かが小さく呟く。

 だが団長は微動だにせず、演説を続けた。

 

「世間でどう騒がれていようと関係ない。ともに戦場に立ち、背中を預け、同じ血を流す。彼女は特別ではない。我らの仲間の一人だ。それを胸に刻んでおけ」

 

浮ついた空気が次第に引き締まり、団員たちの表情が一様に真剣味を帯びていった。

 

ヒースクリフは最後に静かに告げた。

「ティンクル君には、副団長アスナ君の補佐に入ってもらう。――アスナ君、あとは頼む」

 

アスナは胸に手を当て、深く頷いた。

「承知しました、団長」

 

その横に歩み寄ったティンクルが、穏やかに微笑む。

「アスナさん。今日からは仲間として、よろしくね」

 

「えぇ、ティンクルさん」

 アスナは思わず丁寧に答える。だがティンクルは小さく首を振った。

 

「ティンクルでいいよ。僕たち、同い年だし。その方が落ち着くから」

 

「……分かった。じゃあ、よろしく。ティンクル」

 アスナは一瞬だけ表情を緩めて微笑む。

「私のことも、アスナって呼んで」

 

ティンクルはその言葉に、淡い笑みを浮かべて頷いた。

「うん。よろしく、アスナ」

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

血盟騎士団本部の石造りの廊下には、冷たい朝の空気が満ちていた。昨日の第六十層ボス攻略の熱はまだ覚めやらず、あちこちで治療班が往来し、物資搬入の馬車がひっきりなしに出入りしている。

 

そんな中、ヒースクリフの声が低く響いた。

 

「――城門の警備担当」

 

「はっ!」

 

「今朝伝えた通り、常に五人体制で回せ。警戒線を張れ。結界も展開しておけ。もしそれを越える者があれば――武力行使も許可する」

 

「了解!」

 

団長の命令は寸分の迷いもなく伝わり、団員の背筋が一斉に伸びる。

 

 

「次。入室管理。――当分の間、私の許可なき者は絶対に通すな」

 

「はい!」

 

短い言葉に、誰もが「例外なき徹底」を理解した。

 

ジョンが進み出る。

「団長、ティンクル嬢を自宅へ転送する段取りですが?」

 

「数刻後だ。ジョン、同行する者を四名選べ。一名は必ず広域探索能力に優れた者を入れろ。転送後は自宅周辺を警戒せよ。……あそこはごく一部しか場所を知らんはずだが、油断はするな。少なくとも一時間は荷物の転送作業にかかる。鼠一匹、侵入を許すな」

 

「承知」

 

 

そこへ別の団員が駆け寄った。

「団長! 六十層攻略の取材依頼が殺到しております!」

 

「全て無視しろ」

 ヒースクリフの声は冷徹だった。

「今は本部の安定が最優先だ」

 

「はっ!」

 

 

セラフィナが救護線の表を抱えて並ぶ。

「救護所の入退域はどうします?」

 

「入口を一箇所に絞れ。係を置き、識別札の色分けを増やす。外部者の立入は原則禁止。搬入は別ルートで通せ」

 

「分かりました」

 

 

補給主任のエギルが腕を組んで待っていた。

「回転棚は二系統に割る。結晶は鍵付きの箱で運ぶが?」

 

「鍵は二本。管理は分散。担当者は交代で休ませろ。疲労が抜けた目でしか粗は拾えん」

 

「了解だ」

 

 

ヒースクリフは立ち止まらず、さらに言葉を落とす。

 

「物資搬入担当。通常の搬入口はおそらく当面使えなくなる。非常時に備えてあった三つの搬入口を全て開放せよ。部隊配置はすでに割り当て済みだ」

 

「了解!」

 

「荷台は隅々まで検め。特に下部を怠るな。時間がかかっても構わん。雑な検査は絶対にするな」

 

「了解!」

 

 

そこへ偵察の若手が駆け込んできた。

「団長! 門前の人だかりが増えています。噂を聞いた一般プレイヤーらしき者たちが――」

 

「結界の外で留めろ。説明は『安全確保のため』の一点で足りる。――争うな。押し返せ」

 

「はい!」

 

 

石壁の間に響く声は、まるで軍楽隊の号令のように規律を刻んでいく。次々と繰り出される命令が本部の空気を緊張で引き締め、誰もが息を呑むほどの速度で組織が動き始めていた。

 

ヒースクリフは最後に一度だけ、廊下を振り返った。集まった者たちの顔を順に見て、短く告げる。

 

「各自、持ち場へ。手順は簡潔に、報告は正確に。……以上だ」

 

「了解!」

 

返事が重なり、部下たちは一斉に散っていく。命令は石壁に吸い込まれ、統制は見えない網のように本部全体へ広がっていった。

 

歩を再開するヒースクリフの背中は揺れず、十字盾の金具がかすかに鳴る。次の角を曲がると、その音すら石壁に吸い込まれて消えた。

 

石造りの廊下に、冷気を裂くような声が響いた。

 

「おやおや、なんだか物騒やなぁ。戦争でも始めるん?ヒー坊」

 

唐突に現れたのは、茶色い頭巾に三つ編みを垂らした小柄な影――情報屋アルゴだった。にやりと口角を上げ、壁際からひょいと姿を現す。

 

「き、きさま……鼠のアルゴ! どこから湧いてきた!」

 警備に付いていた若い団員が即座に声を荒げる。

 

だがアルゴはおどけたように肩を竦めた。

「こらこら、“湧いてきた”は乙女に失礼やで? ちゃんと正面から、正式な手続きで入ってきましたとも……今朝のうちに、な」

 

(今は警戒線が引かれている。だが夜明け前なら、まだ普通に入れた――)

 若手の団員が顔をしかめる間に、アルゴはヒースクリフへずんずん近寄っていく。

 

「なあなあヒー坊。噂に聞いたで、どうやって《氷姫》をスカウトしたん?」

 言葉が止まらない。まるで機関銃のように畳みかける。

 

「昨日の六十層じゃ、確かにソロやった。クリア記念の写真、服装が証拠や。なのに今朝にはここにいて――ほれ、もう血盟の団服。てことは、たった一回の顔合わせで落としたん? きゃー、いけずやなぁ」

 

ヒースクリフは涼しい顔で歩き続ける。その横顔には一切の動揺がない。

 

「それでな、ヒー坊とうちの仲やろ? ちーっとだけ教えてくれへん? だって相手は《氷姫》やで。数多の勧誘を笑顔で断り続けた、スカウト泣かせのあの子や」

 

アルゴは勝手に推測を並べ立てる。

「……あ、分かった! 膨大なレア素材を献上したとか? それとも特別待遇で迎えた? はたまた、悪魔の契約でも交わしたん?」

 

「いい加減にしろ!」

 堪え切れず、団員の一人が怒声を上げる。

「団長は誰かを特別扱いなどしない! ティンクル殿も例外ではない! 我らと同じ待遇でここにいる!」

 

アルゴは口の端を吊り上げ、にやぁっと笑った。

「……ふーん。《氷姫》が血盟騎士団に入団。ほんまに、本当やったんや」

 

団員の数名がはっと目を見開く。情報が、外へ出た瞬間だった。

 

「しかも特別なことなし。……うんうん、ますます気になるなぁ。ヒー坊、いったい何を話したん? まさかホンマに“悪魔の契約”やったりして?」

 

「ぐっ……」

 若手が歯噛みする。

 

アルゴはすでに次の推測を口にしかけていた。

「ん? 待てよ……さっきまでの会話、この対応の速さ……もしや、ヒー坊がわざと“氷姫を呼び出した”って情報を流したんとちゃう? だったら――」

 

「アルゴ君」

 ヒースクリフが低く遮った。

「その辺にしたまえ。それに、ここもまもなく警戒体制に入る」

 

アルゴは肩を竦め、手をひらひらさせた。

「おーっと、いけない。おじゃま虫は退散しますよっと。入団の裏が取れただけで充分やし」

 

ひらりと踵を返し、去り際に軽口を飛ばす。

「またなーヒー坊。今度一緒に飲もうや。そのときは、もうちょっとだけ教えてくれると嬉しいなぁ」

 

嵐のように現れ、嵐のように去っていく影。

 

「す、すみません団長……」

 団員のひとりが悔しそうに唇を噛む。

 

ヒースクリフは振り返りもせず答えた。

「構わん。今は本部の安定に集中しろ。……行くぞ」

 

冷徹な声に、団員たちは一斉に姿勢を正した。

 廊下には再び、十字盾の金具が鳴る音だけが残った。

 

 

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