ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記―   作:へーちょ

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第21話  80層攻略@突入

 

 

 

 

 

第八十層ボスフロアの扉前の広場は、熱気に包まれていた。

転移結晶の光が数十、数百の武器に反射して鋭く煌めき、足音と金属音が石畳を振動させる。

 

「前衛、三列展開! 盾を重ねろ!」

ジョンの号令が飛ぶ。低く太い声は、金属鎧よりも確かな重みを帯びていた。

 

三枚重ねのV字が床に刻まれるように組まれ、後列の魔法詠唱が重なっていく。

その後ろで、リオが緊張に喉を詰まらせながらも、しっかり剣を握っていた。

 

「退く合図は任せろ!」

ハルトが声を張り上げる。盾の若き指揮官、その声はまだ若さを帯びているが、誰よりも響いていた。

 

「補給線、回転始動!」

エギルの低い声。背後の補給所では、番号札が次々と団員へ渡され、ポーションや結晶が三歩以内で受け渡される。

「次! 三歩だ! 歩数守れ!」

 

「精神負荷、高めの者はこちらへ!」

セラフィナが救護線を引き、緊張で震える者に短く触れて声を落とす。「大丈夫。呼吸は三拍子」

 

そして――

「前へ」

ヒースクリフが十字盾を掲げた。

 

赤白の布が一斉に翻り、最前列は黒い階段の口へと進む。列の後方には、黒衣の剣士キリトが歩調を整え、シリカは小さな竜ピナを肩に乗せて立っている。

 

最前線でギルドに所属しないソロプレイヤーの姿は、もはや珍しい。だが彼らは堂々としていた。

 

血盟騎士団の列の背後には、各ギルドの旗も揺れている。《黒鉄の盟約》《蒼鷹団》《勇斬の会》――どれも名のある中規模ギルドだ。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

厚い扉が開く。

 

「来るぞ!」

ジョンの声が響く。

 

目の前に広がったのは、黒い神殿のような空間。

中央の祭壇に鎮座するのは、巨大な影の巨人《グローム・オラクル》。

灰色の皮膚から黒い文様が這い出し、頭頂には寄生体を生む瘴気の穴が開いている。

 

「本体、中央固定!」

「寄生体、生成開始!」

 

アスナが前へ出る。栗色の髪が舞い、細剣が光を放った。

「前列、押す!」

 

「うおおお!」

前衛が叫び、列が一斉に突撃する。

ジョンが盾を構え、衝撃を受け止める。火花が散り、盾の縁が鈍い音を響かせる。

 

寄生体が左右に滑る。

「左、俺が受ける! ブリュノ、支援!」

「了解!」

 

「右は僕が見る」

ティンクルが低く告げ、灰色の瞳が動きを追った。

床を刃で二度、間を置いて一度叩く――会議で決めた合図。

音が途切れた瞬間、寄生体の呼吸が薄くなり、細剣が斬り込む。

 

「切断成功!」

声が響く。

 

リオが震える声で叫んだ。「すごい……!」

だがティンクルは振り返らず、淡々と次を見ていた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

序盤の流れは完璧だった。

押す・戻す・切る――三拍子が会議通りに刻まれていく。

 

セラフィナの救護線は滞りなく、エギルの回転棚は混乱なく回る。

ハルトは「退け! 退け!」と声を張り、列は動揺せずに後退を整える。

「退くことは勝利の筋!」アスナの声が響くたび、後衛が顔を上げる。

 

他ギルドも動きは揃っていた。

《黒鉄の盟約》は堅実に盾を重ねる。《勇斬の会》は猛攻型、槌と斧が火花を散らす。

 

ソロの二人も、要所で動いた。

「アスナ、こっちは切った!」

キリトが寄生体の膜を斬り裂き、返り血の黒飛沫を受け流す。

 

「ピナ、上!」

シリカが叫び、小竜の風が高所の寄生体を落とした。リオがそれを逃さず斬る。

「ありがとう、シリカさん!」

「いいよ!」

 

本体のHPは三割近く削られていた。

「統計上、戻り率30%。会議通り、順調」

ティンクルの声は平坦だが、言葉は確かな重みを持つ。

 

「補給、渋滞なし!」

「救護、動線維持!」

 

全員が、勝利を確信しかけていた。

赤白の旗は揺れ、列は美しかった。

ここまでは――完璧に。

 

 

 

―――――

 

 

 

「右、切断成功!」

リオの声が響く。剣先が黒い膜を裂き、寄生体が断末魔を上げて崩れ落ちた。

 

「やるな、坊主!」ジョンが大盾で別の突き上げを弾きながら、笑うように叫んだ。

リオは顔を赤くしつつ、声を張る。「は、はい!」

 

 

 

 

列は美しかった。

盾が支え、前衛が押し、中衛がつなぎ、後衛が矢と魔法で削る。

寄生体の帰還率は低く、本体の詠唱は潰され続けている。

 

「本体のHP、残り七割を切りました!」

「回復は安定! 死人なし!」

「補給渋滞、ゼロ!」

 

勝利の空気が広がる。

外部ギルドも頷き合い、歓声を上げる者すらいた。

この場にいる誰もが――ほとんど、勝利を疑っていなかった。

 

……ただ一人を除いて。

 

アスナの細剣が寄生体を裂き、体勢を戻す。

その瞬間――彼女の眉がわずかに寄った。

 

(……何か、おかしい)

 

目の端に映った光景。

寄生体の動きが、あまりに整然としている。

 

通常、寄生体は生成後しばらくは散開し、個体差のある軌道で本体に戻っていく。

だが今は――まるで一本の糸で操られているかのように、ほぼ等間隔・等速度で帰還していた。

 

(偶然……? でも、この規模で?)

 

アスナは瞬時にティンクルの位置を探した。

右翼。銀髪が戦場の光を受け、灰色の瞳が寄生体の動きを計測している。

 

その表情は、普段通りの微笑に見える。

けれど――目だけが鋭く細められていた。

 

(……やっぱり、気づいてる)

 

アスナは視線をさらに巡らせる。

左翼のジョン。大盾を振るいながら、ちらりと中央へ目をやった。

彼もまた――気づいている。

 

だが、戦況は依然として優勢だ。

本体のHPは削れ、寄生体は潰せている。

違和感を口にするには、根拠が薄い。

 

アスナは一瞬、迷った。

しかし、背筋を走る感覚は、単なる勘ではなかった。

 

「……ブリュノ、左下!」

アスナが叫ぶと同時に、長槍が走る。寄生体が弾かれ、帰還が阻まれる。

 

「見えてる!」ブリュノが返す。

 

そのやり取りの間に、ティンクルが声を落とす。

「アスナ。右、呼吸が揃いすぎてる。……統率されてる」

 

「やっぱり……」

 

ジョンが盾を叩きながら吼える。「中央! 押しすぎるな!」

彼の声には、戦況の“異常”を嗅ぎ取った重さがあった。

 

だが――

「HPバー、半分以上削れてるぞ!」

「このまま押せば勝てる!」

他ギルドからは、勝利を確信する声が飛ぶ。

 

統率の影に気づいているのは、ごく少数。

それでもアスナは、胸の奥でざわめきを抑えられなかった。

 

(この動き……どこかで見たことがある)

 

 

 

―――――

 

 

 

「寄生体の戻り率、28%!」

「前衛、疲労少なめ!」

「退路も維持できてる!」

 

数字は、勝利を示していた。

ギルド同士も声を掛け合い、雰囲気は高まる。

 

リオはその中で、胸を熱くしながら叫んだ。

「アスナさん! もうすぐ勝てます!」

 

「……リオ君」

アスナは一瞬、彼を見た。

その瞳には、期待と信頼がいっぱいに詰まっている。

 

だがアスナの胸には、別の像があった。

 

 

―――――

 

 

 

ティンクルが短く呟いた。

「……羅針盤の数値が、ずれてきてる」

 

アスナの背に冷たい汗が伝う。

彼女の感覚と、ティンクルの統計が――同じ答えを指していた。

 

ジョンも吼える。「押しすぎるな! 足元を見るんだ!」

 

しかし、勝利の空気はあまりに濃かった。

誰もが前へ前へと進もうとする。

 

アスナは深く息を吸い――次の瞬間、声を張り上げた。

 

「中衛、危うい! ティンクル、サポートして!」

 

「了解」

銀髪が翻り、ティンクルが列を離れて動く。

だがその背を見送りながら、アスナは確信していた。

 

(……この戦場、何かがおかしい)

 

 

 

―――――

 

 

 

 

広大なボス部屋を、勝利の熱気が支配していた。

 《グローム・オラクル》のHPバーは残り五分の一。寄生体の戻り線も切断され、隊列は美しく機能している。前衛の剣閃、後衛の援護、救護線の流れ――その全てが噛み合っていた。

 

「押せッ! このまま一気に!」

 前線が雄叫びを上げる。誰もが確信していた。あと数分で終わる、と。

 

だが――アスナの胸の奥で、冷たい違和感が広がっていた。

 

 

 

 

脳裏に浮かぶのは、あのチェスの光景。

 ティンクルが鮮やかに攻める。駒を舞わせ、盤を華やかに彩る。観客はその華麗さに酔いしれた。

 だが団長ヒースクリフは違った。駒を大きく動かさず、ただ淡々と受け続けた。地味で退屈に見えるのに――いつの間にか退路はすべて塞がれ、攻め手は尽き、最後には彼が盤を支配していた。

 

(まさか……!)

 眼前の戦況が、その姿に重なった。

 敵はただの群れじゃない。統率され、誘導されている。こちらの“打てる手”を一つひとつ潰しながら。

 

「全員――撤退ッ!」

 

アスナの叫びに、戦場がざわめいた。勝利目前で撤退――誰もが耳を疑った。

 

ティンクルが鋭く目を細めた。その瞬間、羅針盤の数値の異常に彼女も気づいた。統計の線が崩れ、次の増援を示す揺らぎが走っている。

 ジョンも低く呟いた。「……副団長の勘、間違っちゃいねぇ」

 

団長ヒースクリフが即座に重ねた。

「撤退する!これは命令だ!」

 

鋼の声が戦場を貫いた瞬間、赤白の列は動いた。

 

 

 

だが――他ギルドは動かない。

 「ふざけるな! あと少しで勝てるんだぞ!」

 「退いたら、ここまでの苦労が水の泡だ!」

 外部の隊列が足を止め、勝利の幻想に縛られていた。

 

アスナは必死に叫んだ。

「違う! これは誘い込みよ! 退路を潰される前に戻らないと、全滅する!」

 

その声に割って入ったのは、黒衣の剣士。

「退けッ!」キリトの声は刃より鋭く戦場を裂いた。

「見えないのか!? もう“勝つ戦い”じゃない! あれは“殺す戦い”に切り替わってる!」

 

シリカも震えながら叫ぶ。

「お願い、戻って! 勝つのは次でもいい! でも死んだら、もう何もできない!」

 

ようやく外部の数列が退却の姿勢を見せ始めた――その瞬間。

 

《グローム・オラクル》の体が脈打ち、天井の黒水晶が破裂した。

 床一面に魔法陣が走り、裂け目から異形の寄生体が雪崩のように出現する。

 

「数が……桁違い……!」

「やばい、退路に回り込んでる!」

 

ただ数が増えただけじゃない。

 動きが速い。位置取りが正確。こちらが退却する“道”を、冷酷に計算して塞ぎにきていた。

 

左翼を守る盾列の後方に、瞬時に十体が回り込む。

 ブリュノが叫ぶ。「退路を潰しにきてるぞ!」

 

右翼では、寄生体が敢えて隙間を開けて進軍し、そこに後退してきた隊列を“袋小路”に閉じ込めようとしていた。まるで盤上の駒。駒を犠牲にしてでも、王を詰ませる冷酷な指し手。

 

ティンクルが歯を噛む。「……これは、団長のチェスだ」

 

 

 

「盾を広げろ! 退路を開ける!」ジョンの怒声が響く。

「退く合図! 退けッ!」ハルトが必死に叫ぶ。

 盾隊が全身を震わせながら壁を作り、セラフィナが負傷者を誘導し、エギルの補給線が即座に開放される。

 

「混乱するな! 退路はある!」

 ヒースクリフの低音が響いた。退路を断つかのように敵が駒を並べても――彼の声が指し示す方向だけは、細い道が残される。

 

「酸素を回せ! クライン!」

「おうよ! 生き残ったら次は勝てる! 今は走れ!」

 

赤バンダナの声に、列が再び息を吹き返す。

 

リオは必死に走りながら見た。

 敵はただ殺意で動いているんじゃない。冷酷に、こちらの“可能性”を一つずつ潰し、詰ませに来ている。

 それは戦場ではなく、巨大な盤上だった。

 

そして、もしアスナの判断が数秒遅れていたなら――この瞬間、退路は完全に閉じられていた。

 

 

 

――――

 

 

 

退却の列が狭まる。敵は統率された兵のごとく、こちらの“逃げ道”を正確に読み潰しに来る。

 ひとつ後退すれば、そこに十体。盾を構えれば、その盾の死角から攻撃を通す。まるで戦場全体が、冷徹な頭脳で操られているかのようだった。

 

「右後方、塞がれるぞ!」

 ブリュノの長槍が光を裂き、寄生体の突進を逸らす。だが、逸らしたその瞬間に別の個体が背後へ回り込む。

 

リオは喉が焼けるように叫んだ。

「右列、空けろ! 塞がれる!」

 若い声は震えていたが、確かに列を動かした。二列が横へずれ、袋小路は僅かに破れた。

 

「いいぞ、リオ!」ジョンが吠える。

 巨体が前に出て、盾を地面に突き立てる。金属音が戦場に響き、背後の列を守る壁となる。

「兄貴分の講義その二だ! 盾は退くためにもある!」

 

敵の波は止まらない。

 寄生体たちは退却線をただ追うのではなく、まるで“次の一手”を先読みしている。退こうとする列の前に先回りし、逃げ場を削る。

 

アスナは歯を食いしばり、声を張り上げた。

「全員、落ち着いて! ――退路を作るのは今よ!」

 彼女の剣が煌めき、二体を同時に斬り裂く。その間隙をティンクルが正確に補い、さらに退路を広げる。

 

「統計上、残り十秒で次の波が来る! 今しかない!」ティンクルが叫ぶ。

「聞いたな、押し戻せッ!」アスナが続ける。

 

前衛が剣を振り抜く。後衛が魔法陣を重ねる。

 一瞬、敵の波が削がれた。

 

その隙を切り裂くように、黒衣が走った。

「どけッ!」

 キリトの双剣が閃光を描き、前方の寄生体群を強引に切り開く。

 「右から包囲が来てる、塞ぐぞ!」

 

「はいっ!」シリカの声。

 彼女の短剣が舞い、テイミングしたドラゴン《ピナ》のブレスが群れを散らす。

 前列の一人が転倒する直前、シリカが腕を掴んで引き起こした。

「まだ走れるよ!」

 

うなずき、列に戻る。

 

 

 

――――

 

 

 

 

だが、退路は完全には開かない。

 次々と現れる敵が、残された“道”を冷酷に塞いでいく。

 

「……詰めてきてる。まるでチェスの“詰み”だ」リオが呟く。

 ティンクルが冷静に返す。「まだ詰みじゃない。――駒を犠牲にすれば、道は残る」

 

その言葉に、アスナが叫んだ。

「犠牲にしない! 誰も落とさない! ――走れッ!」

 

盾隊が前へ躍り出る。後衛が結晶を振り、光が走る。

 セラフィナが必死に負傷者を押し流し、エギルが補給窓を開いたまま仲間を引き入れる。

 クライン隊の掛け声が響く。

「怖くてもいい! 声出せ! 息をしろ!」

 

その声が酸素となり、列が呼吸を取り戻す。

 

リオは最後尾近くで振り返った。

 敵はまだ押し寄せている。まるで人間の指し手のように、一手先を読み、確実に追い詰めてくる。

 

――だが、列はまだ繋がっている。

 ヒースクリフの声が、低く鋼のように響いた。

「進め、退路はここだ。勝利は次にある」

 

その瞬間、赤白の列は再び整った。

 誰もが理解していた。

 ――これは勝つ戦いではない。

 ――“生き延びるための撤退戦”だ。

 

 

 

 

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