ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記― 作:へーちょ
アスナが一歩、前に出る。
彼女の瞳はまっすぐで、凛としていた。
「……今、団長がおっしゃったように、私たちは八十層で“限界の輪郭”を見ました」
その一言に、空気がわずかに引き締まる。
ヒースクリフが静かに頷いた。
「勝利はした。でも――次も確実な勝利ができる保証はない」
アスナは淡々と、それでいて強く言葉を紡ぐ。
「……誰か一人に大きな負担を負わせる。そんな戦い方は、もうしたくない」
その言葉に、キリトが顔を上げた。
短い沈黙のあと、彼の胸中で何かが小さく鳴った気がした。
アスナは続ける。
「だから、今このタイミングで――聖龍連合に声をかけるの。手を組もうと」
ざわっ、と周囲が揺れる。
一人の団員が手を挙げ、緊張した声を出した。
「ま、待ってください。向こうから言ってくるのを待つべきです!こちらが苦戦したなら、向こうも必ず同じはずです」
別の団員も頷いた。
「そうです。こちらから言ったら足元を見られます。有利に事を運ぶためにも……“待つ”のが得策かと」
アスナはしばらく彼らを見つめ――小さく微笑んだ。
「……そうね。組織としての利益を考えたら、それが一番合理的だと思う」
一瞬、安堵の空気が流れる。
だが、アスナの言葉はそこでは終わらなかった。
「でもね――そうやったところで、聖龍連合が私たちを“信用”してくれると思う?」
誰も返せない。
「それに……そんな駆け引きをしている間に、聖龍連合に“もしものこと”があったら?――百層のクリアなんて、夢のまた夢になる。意味がない」
彼女の声が強くなる。
「綺麗事かもしれない。でも、今こちらから動く。これしかないの」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「ここにいるみんなも、聖龍連合の一人ひとりも――根っこは同じ。“みんなで、無事に帰りたい”」
その言葉に、リズが唇をかみしめる。
リオは小さく拳を握った。
ティンクルはまぶたを閉じ、静かに息を吐いた。
キリトは、ただその横顔を見ていた。
(……アスナ)
胸の奥で、その名を呟く。
誰よりも遠くを見ている彼女を、誇らしくも切なく見つめながら。
アスナは振り返る。
「――だから、今動くことに意味があるの。私はそう思う」
短く、息を整えた。
「このあとすぐ、聖龍連合に向かおうと思う。そうすれば――」
――ドンッ!
重い音とともに、扉が開かれた。
「な……!?」
全員が振り向く。
ヒースクリフが即座に反応した。
「何事だ?」
駆け込んできた若い団員が息を切らしながら叫ぶ。
「も、申し訳ありません! た、大変なことが――!」
ジョンが険しい顔で制止する。
「今は大事な話の最中だ。後にしろ!」
だが、団員はそれでも止まらなかった。
「そ、そんな場合じゃないんです! みんな、アルゴの速報! “時事ネタ系”見てください!」
ざわっ、と空気が動く。
数人の幹部がウィンドウを開く。
「……アルゴ?」
「しょうもない記事じゃないだろうな……」
しかし次の瞬間、部屋の空気が変わった。
「……な、なんだこれ……」
「嘘だろ……?」
「マジかよ……!」
震える声があちこちで上がる。キリトはまだウィンドウを開いていない。
リズとシリカが青ざめた顔で画面を見つめている。
そこに映し出された速報のタイトルは――
【速報】聖龍連合×黄金林檎 最前線同盟を正式発表!
81層ボス攻略、共同で挑む構え――アインクラッド動揺!
――アルゴ特有の煽るような筆致。
その見出しが、静まり返った会議室に突き刺さった。
アスナは立ち尽くす。
ヒースクリフがわずかに目を細める。
ティンクルは息を呑み、指先を握りしめた。
誰も、言葉を発せなかった。
――ただ、冷たい衝撃だけが、血盟騎士団の会議室を包んでいた。
ーーーーー
会議室の中。
アルゴの速報が読み上げられたあと、場は凍りついていた。
やがてヒースクリフが静かに立ち上がる。
「――以上。残りは副団長と幹部たち、ティンクル君のみ残れ。他の者は一旦退室を」
その声に、団員たちはざわめきながらも立ち上がり、部屋をあとにした。
キリト、リズ、シリカ、リオもその中にいた。
扉が閉まる瞬間、アスナが一度だけこちらを振り返る。
その瞳には、言葉にできない“決意”と“戸惑い”が混じっていた。
――――
血盟騎士団 本部・談話室
報告会が終わってから、およそ一時間後。
キリト、リズ、シリカ、リオの4人が、ソファを囲んでいた。
空気は重く、誰も口を開こうとしない。
「……本当なんでしょうか?」
最初に口を開いたのはリオだった。
「聖龍連合と黄金林檎が、同盟を組んだって……」
リズが腕を組み、低く答える。
「アルゴが出した情報よ。あいつは裏を取った確証がない限り絶対に書かない。――間違いないでしょうね」
シリカは言葉もなく、ただ不安そうに指先を握っていた。
「で、でも……」リオが続ける。
「トップギルド同士が手を組むのは、悪いことじゃないですよね?」
「……キリト、あんたはどう思う?」
リズが視線を向ける。
キリトはしばらく黙っていた。
「リオの言う通り――悪いことじゃない」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「でも……」
彼は視線を伏せたまま、心の中で思い出していた。
――アルゴと交わした、あの時の会話。
血盟騎士団と聖龍連合の関係。
両者の間で“火種”が残っているという仄めかしを。
「……タイミングが、できすぎてる気がする」
リズが眉を寄せる。
「そうね。偶然にしては――出来すぎてる」
「キリトさん……」
シリカが不安げに顔を上げる。
「もしかして……これって」
「……さぁな。まだわからない」
キリトは静かに首を振った。
リオが俯きながら呟く。
「僕らは……風林火山と手を組む、とか? それか、アインクラッド解放軍?」
リズは溜息をつく。
「団長とアスナが言ってたでしょ。“聖龍連合だから意味がある”って」
「……はい」リオが小さく頷いた。
沈黙。
それぞれの心に、どうしようもない不安が広がる。
そんな時――
「まいどー!……ん? どしたん? そないに暗~い顔して」
明るい声が、空気を裂いた。
振り向くと、そこに立っていたのは――アルゴだった。
「アルゴ!」
リズが思わず立ち上がる。
「なんやなんや、そんな驚かんでもええやん。
あ、さては――ウチが来んから寂しかったんか? おーよしよし、よしよし~」
「ちょ、こら! やめっ……!」
「お、シャンプー変えたな?」
「な、なんでわかるの!?」
「ごめん、適当にかまかけただけや♪ テヘッ☆」
「……こいつ、相変わらずね……」
リズは呆れ顔でため息をついた。
「アルゴ!」
キリトが立ち上がった。
「聞きたいことがある」
しかしアルゴはわざとらしくお腹をさすり、
「あー……今めっちゃ腹減ってんねん。そういう気分ちゃうわぁ~」
と、ソファにごろんと横になった。
「……」
キリトが短く息を吐く。
「わかった。いくらでも奢るから」
その言葉に、アルゴの耳がぴくっと動く。
「……ほんまにか!? さっすがキー坊! いよっ、色男っ!」
シリカが吹き出し、リオがぽかんとする。
重苦しかった空気が、ほんの少しだけやわらいだ。
だがその笑顔の奥で――
アルゴの瞳だけが、妙に鋭く光っていた。
ーーーーーー
血盟騎士団 本部・食堂。
まだ昼には早い時間。
窓から射し込む朝の光が、長い影を床に落としている。
厨房では片づけの音ひとつせず、聞こえるのはスプーンの触れる微かな金属音だけだった。
戦後処理の真っ最中。
こんな時間に食堂へ顔を出す者など、他にはいない。
静まり返ったその空間で、テーブルを囲むのは――キリト、リズ、シリカ、リオ、そしてアルゴ。
アルゴはいつものように頬張っていた。
「もぐもぐ……いや~、やっぱここの飯はうまいなぁ」
ご満悦の声が響く。
「アーちゃんの管理がええんやろな。味の安定感がちゃうわ」
キリトが黙って様子を見ていたが、やがて真っ直ぐに切り出した。
「アルゴ。――今朝の速報の件だけど」
アルゴは目を丸くし、すぐにおどけてみせた。
「ん? ああ、“白の妖精団“と“時の騎士団“の副団長の駆け落ち記事のことか?」
「は?」
「いや~、感動的やろ? 不仲のギルドの副団長同士が禁断の恋!“真実のキスは境界線を越える♡”やで?」
リズは深いため息をつく。
「違う。聖龍連合と黄金林檎の話よ」
その瞬間、アルゴの口の端が上がる。
「な~んや、そっちか。こら失敬」
箸をくるくる回しながら、軽い調子で答える。
「いつ知ったの?」
リズの声がわずかに低くなった。
「今朝や」
アルゴは迷いなく言い、またひと口食べた。
「リン坊に呼ばれてな。聖龍の本部で教えられたんよ。――“うちと黄金林檎が組むで”って」
「……ありえない」リズが小さく呟いた。
食堂の静寂が、さらに深く沈む。
「そんな話が噂にならないなんて。一日二日でまとまる話じゃない。……あんたにまで気づかせずに?」
アルゴは肩をすくめ、わざとらしく笑った。
「さぁなぁ? お互い“ビビッ”と来たんちゃう? 運命のときめき☆っちゅうやつや」
キリトは腕を組んだまま黙っていた。
シリカは俯き、リオは空になったカップを両手で包んでいる。
言葉を選ぶように、キリトが口を開いた。
「……タイミングが、できすぎてる」
リズが同意するように小さく頷く。
「偶然にしては――出来すぎてるわね」
アルゴは首をかしげ、わざとらしく言った。
「なんや? そんな深刻な顔して。……まさか血盟、聖龍と組む気やったん? あははは!」
軽い笑いが響くが、誰も笑わない。
「言うたやろ、キー坊。シーちゃん。
“血盟と聖龍が手を組む”なんて夢物語やって。現実は、もっとドロドロしとるんや」
リオが口を開く。
「で、でも……トップギルドが手を組むのは悪いことじゃないと思います」
「お、リオ坊はまっとうやね!」アルゴが片目を細めた。
「その通りや。ええことや。せやから勢いに乗って、風林火山とか解放軍と組んだらええやん」
リズが目を細めた。
「……アルゴ。何か知ってるわね?」
「いや~? な~んにも」
軽い声でかわすが、その一瞬だけ視線が泳いだ。
リズは黙って立ち上がる。
カバンを開き――ごそごそと手を入れた。
ドサッ。
テーブルに、金属音が鳴った。
並ぶのは光沢を帯びた鉱石の数々。青白く光るアダマンタイト、深紅のクリスタル、そして金貨数十枚分に値する希少鉱。
リオが息を呑んだ。
「リ、リズさん!? な、何を――」
「教えて」
リズの声は真剣だった。
「あんたが知ってること。どんな些細なことでもいい」
アルゴは箸を止め、顔を上げた。
「残念やなリーちゃん。この件に関しては、うちはホンマに何も知らんのや」
「……知ってるでしょ」
「はは。ないない。売れる情報も、買える真実も、今はない」
「じゃあ――推測でいい」
「……は?」
「あんたの“勘”を買うの。情報屋としての推測を」
アルゴの目が細くなる。
そして、吹き出した。
「ぷっ……ははははははは! 他人の妄想にこんなもん差し出すん? ほんまおもろいなぁ、リーちゃん」
アルゴは笑いながらテーブルを叩く。
「なんでそこまで必死なん?」
リズはゆっくりと息を吸った。
「……アスナ、本気なのよ」
静寂。
光の中で、誰も動かない。
リズは視線を落としながら続けた。
「今朝のアスナの目、見た? 本気で“変えようとしてた”の。
私はアスナを信じてる。……アスナに賭けたいの。
だから、こんなの惜しくない」
アルゴは何も言わなかった。
リズの真正面で、目を細めて彼女を見つめる。
笑ってもいない。
怒ってもいない。
ただ――沈黙が、長く伸びた。
「……言っとくけど、ウチの勝手な妄想や。
真実かどうかの保証は、ないで」
「構わないわ」
リズは短く答える。
「ただし――ここにいる全員に、聞かせて」
アルゴはしばらく動かず、やがて椅子をきしませて立ち上がった。
光のウィンドウを開き、マップを呼び出す。
指先で一点を指す。
「静かで、誰も来ぇへんとこがある。……話すなら、そこや」
外の光が少し傾き、テーブルの上の鉱石が淡く光を返した。
そのきらめきが、まるでこれから起こることを――予感させていた。