ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記― 作:へーちょ
アインクラッド第60層・交易街の外れ。
人通りの少ない路地の奥、古びた倉庫の一角に、アルゴの“アジト”と呼ばれる部屋があった。
半分壊れたような木の扉を抜けると、中は思いのほか整頓されている。
壁際には情報屋らしいスクロールの山、光のウィンドウを映す装置が無数に浮かび、中央のテーブルには食べかけの菓子と紅茶のカップ。
生活感と情報の匂いが入り混じる、不思議な空間だった。
アルゴはいつものようにどかっと腰を下ろすと、足を組んで手をひらひらと振った。
「ほな、遠慮せんと座ってや~。ウチの“妄想”話す前に、ちょっとおさらいせなあかんからな」
リズが眉を寄せ、リオはきょとんとした表情で座る。
キリトとシリカは顔を見合わせて、小さく頷いた。
「キー坊、シーちゃん。前に話した“血盟騎士団と聖龍連合の火種”――覚えとるな?」
「ああ」
「……はい」
二人が同時にうなずく。
リズがすかさず口を挟む。
「火種?」
「……な、なんの話ですか?」
リオも続く。
アルゴは肩をすくめ、大げさにため息をついた。
「あちゃ~。やっぱ知らんか。そらあかんなぁ。ほな、そこから話すしかあらへんな」
アルゴは短く経緯を説明した。
――かつて聖龍連合がティンクルの勧誘に総力を挙げていたこと。
――その結果として生まれた、血盟騎士団との確執と“暗黙の了解”を巡る火種。
それを聞き、リズとリオは息を呑む。
沈黙が一瞬流れ、アルゴが指先でテーブルをとんと叩いた。
「さてな」
アルゴがウィンドウを閉じ、背もたれに体を預ける。
「ここまではキー坊とシーちゃんに話した内容やけど――続きがあるんや」
「続き?」
キリトが低く反応する。
アルゴは手帳をめくりながら、軽い口調で続けた。
「えーっと、これや。血盟が64層ボス担当になった頃の話。覚えとるな?」
「64層は……そうですね、血盟騎士団が攻略しました」リオが答える。
「せや。ほんでボス挑むちょい前、63層で“隠しダンジョン”見つけとるやろ」
「あっ、はい!」
シリカが顔を上げた。
「私も一緒に行きました!」
「……あー、あれね」
リズが思い出したように腕を組む。
「アスナとティンクル、それに団長の3人と一緒に行ったやつね。どうだったの?」
「えっと……敵が、あっという間に倒されていって……」
シリカは苦笑いを浮かべる。
「すごかったです」
「まぁ、そうなるよな」
キリトが苦笑まじりに返す。
アルゴはその様子を眺めながら、ぽつりと落とした。
「……その隠しダンジョン、封鎖してしまおうって話が聖龍内で出とったんやで」
「――え?」
リオが凍りつく。
シリカの目が大きく見開かれる。
「はぁ? 聖龍が?」
リズが思わず声を荒げた。
「せや。理由は単純。“トップギルドの暗黙の了解”や。――最初に見つけたギルドが初回クリアするまでは、他のギルドは手ぇ出さん、っていうあれや」
アルゴの声は軽いが、内容は重い。
彼女は指先でテーブルをとん、と叩く。
「向こうの言い分はこうや。“血盟騎士団は暗黙の了解なんて関係ない”って自分で宣言した。
せやったら、こっちも『正式なルートで攻略した結果です』――そう言ってやろうって話になった」
リズが息を飲む。
沈黙が部屋を満たす。
「でな――入り口を“渋滞”させようとしたんや」
「渋滞……?」
「トップギルドの威光使って、わざとプレイヤー流して混雑させる。そうすれば血盟が入れんようになる。暗黙の了解破った代償っちゅうわけや」
軽く笑いながら、アルゴは言葉を続けた。
「ほんでな。この“正式なルートで攻略した結果です”いう台詞、最高に皮肉なんよ」
キリトが目を細める。
「皮肉?」
「せや。聖龍が血盟に氷姫の件で抗議した時、血盟が言うた言葉がそれや。“正式なルートで交渉した結果です”――ってな。
せやから今度は、聖龍がまんまそれ言い返そうとしたんや。腹抱えて笑ってもうたわ、あはははは!」
誰も笑わなかった。
アルゴだけが声を立てて笑っている。
その音が、静まり返った部屋で異様に響いた。
やがてアルゴは笑いを収め、息を整えた。
「ま、結局リン坊――団長のリンドとローちゃん、副団長のロニエが止めたんやけどな」
軽く肩をすくめる。
「どや? ちょっとはわかったか? どんなに夢物語かってことが」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
冷たい空気がゆっくりと沈む。
ーーーー
薄暗いアジトの中で、時間がゆっくりと流れていた。
窓の外では昼の光が街を照らしているはずなのに、この部屋だけは違う時間を刻んでいるようだった。
リオが口を開いた。
「で、でも……どこの団に入るかは本人の自由ですよ。どうしてそこまで怒ってるんです?」
アルゴはふっと笑う。
「お。どこかで聞いた言葉やなぁ、それ」
その声に、シリカが小さく肩をすくめ、うつむいた。
アルゴは紅茶を一口飲んでから、静かに続ける。
「クルちゃんが血盟騎士団に入った頃――聖龍連合は、そりゃもうボロカスに言われとってな」
軽い口調なのに、その奥にある光景はどこまでも冷たい。
彼女は片手を上げ、まるで誰かの言葉を真似するように言った。
「あれだけ必死だったのに無様だな。
もう聖龍は終わりだな。
スカウトのやつ、顔真っ青で笑える。
腰抜けやろう、情けない奴ら――」
静寂。
アルゴは唇の端をわずかに上げた。
「まぁ、散々やったわ」
リズが小さく息をのむ。
――思い出した。
あの時、ほんの少しだけ。
スカウトの噂を笑い話のように口にしていた自分を。
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
アルゴはその空気を感じ取ったのか、少し声を落として言う。
「そのあとや。入団希望者が次々と辞退してな。けっこう大変やったみたいやで、聖龍も」
リオが小さく眉をひそめる。
アルゴは視線を伏せたまま、ぽつりと続けた。
「……ウチが思うに、血盟の最大の不味かった点は二つある」
カップの底を指先で軽く叩く音。
「ひとつは、“勧誘に成功した”って事前に連絡せんかったこと。もうひとつは、そのあと“素直に謝らんかった”ことや」
アルゴの声が、いつになく静かに沈む。
「“正式なルートで交渉した結果です”。……あれはあかん。見方によっちゃ、完全に喧嘩売っとる言い方や。
あれさえなければ――ここまで大事にはならんかったんちゃうかな」
少し間を置いて、彼女はふっと笑った。
「ま、クルちゃんを入団させたヒー坊は見事やけどな」
その言葉に、キリトが眉を上げる。
アルゴはその視線を受け止めて、軽く指を鳴らした。
「ところで――聖龍に、何かされたことあるか?」
「……いや、ないな」
キリトはすぐに首を振る。
「情報共有もしてたらしいし、攻略もいつも通り分担だった。リオ、何か聞いてるか?」
「いえ、特には。ただ……僕は現場しか知らないので、絶対ないとは言えませんが」
「リズは?」
「ないわ。少なくとも直接的な対立は聞いたことない」
「シーちゃんは?」
「……はい。私も」
アルゴは少し考えこみ、そして口を開いた。
「……そのあと、聖龍はこういう方針に変わったんや。“単独での攻略は、いつか必ず不可能になる”。
血盟と聖龍――手を組まなければならない、ってな」
リオが驚いたように顔を上げる。
「えっ……聖龍連合も同じ考えなんですか?」
「いいことじゃない」
リズがすぐに言う。
「だったら――」
「慌てるな」
アルゴが軽く手を振った。
「ここからが大事や」
彼女は椅子にもたれ、ゆっくりと足を組み替える。
「ただし――“どちらが先に詰まるか”の勝負になるんや。血盟と聖龍、どっちが先に限界にぶつかるか。
だから聖龍は“連合全体として強くなろう”って方針に出た」
リオが息をのむ。
アルゴの声が、少しだけ低くなる。
「そして――“先に血盟騎士団をギブアップさせる”。向こうから手を差し出してきた時、“正攻法で”やり返す。それが聖龍連合の狙いや」
誰も言葉を失った。
リズが唇をかみしめ、シリカは顔を伏せる。
キリトの目だけが、鋭く光っていた。
「協力の条件に――“氷姫”、クルちゃんを要求する。……やな」
アルゴは紅茶を飲み干す。
その瞳には、いつもの軽さが戻っていた。
「――あ、ここまでの話は全部、裏取ってるで」
沈黙。
部屋の空気が、一瞬で冷えた。
リオの喉が小さく鳴る。
シリカは顔を上げられない。
リズは目を閉じて、深く息を吐いた。
キリトは静かに拳を握った。
陽光が差し込む。
それでも、部屋の中は――まるで夜のように、冷たかった。
ーーーー
アジトの中の空気が、わずかに変わった。
アルゴは紅茶のカップを静かに置き、軽く息をつく。
窓の外では昼の光が傾き始め、梁の影が部屋の奥に伸びている。
「――ま、ここまでが“表”の話やな」
アルゴが軽く笑って言った。
「ちなみに今朝リーちゃんに言ったこと。聖龍連合と黄金林檎の件。……ウチが“何も知らん”言うたんは、ほんまやで」
リズが眉をひそめる。
「本当に?」
「ほんまや。たぶん、トップ同士だけ。……せいぜい、ごく一部の側近だけで話してたんやろな」
軽い口調のまま、アルゴの目だけが静かに光った。
「――んで、ここからが本題。ま、ウチの“完全な妄想”やけどな」
キリトが顔を上げる。
「妄想、ね」
「せや。けどウチはな、聖龍連合の“本当の目的”は、こんな生ぬるいもんやないと思っとる」
「……本当の目的?」
キリトの声が低く落ちる。
「“アーちゃん”の言う『手を組む』と、“リン坊”の言う『手を組む』。
言葉は同じでも――構図はまったく違う、っちゅうことや」
アルゴの声は静かだった。
まるで、深い霧の中を歩くように、言葉の輪郭だけが浮かぶ。
「順にいこか。まず――聖龍連合と黄金林檎の同盟の話。ウチはな、氷姫の件とほぼ同じ時期。もしくは、少し前から話が動いとったと思う」
リズが息をのむ。
アルゴは続けた。
「トップギルド同士の同盟なんて、まず成立せぇへん。
成立する時は三つのうちどれかや。
――双方に、よほどのメリットがある。
――共通で倒さなあかん敵がいる。
――もしくは、どちらかが条件で大きく譲歩する。……このどれかや」
その時、シリカが小さく「あ」と声をあげた。
「ん? なんや、シーちゃん?」
「……もしかして……ティンクルさんの入団が、きっかけで」
「おー、やっぱシーちゃんは鋭いなぁ」
リオがきょとんとした顔で振り返る。
「え、え? どういうことです、シリカさん?」
シリカは視線を落としながら、慎重に言葉を選んだ。
「えっと……話し合いはうまくいってなかったけど、ティンクルさんが血盟騎士団に入ったことで――聖龍連合は、多少譲歩してでも“組む必要”が出た。……かたや黄金林檎は、焦って。……それで――」
「双方の利害が、完全に一致する」
アルゴが口を挟む。
「皮肉な話やけどな。聖龍にとっては、や」
部屋の空気が少し重くなる。
リズは腕を組んだまま、視線を床に落とした。
リオが、迷いながらも声を出す。
「でも……トップギルドが手を組んで戦うことに変わりないですよね?血盟騎士団だって、この勢いに乗れば――風林火山やアインクラッド解放軍と組めるかもしれない。
どうして……そんなに“悪いこと”みたいに言うんです?」
アルゴは目を細め、くすりと笑った。
「あはは。悪いこと? ――いや、悪いことやないんよ」
リオが安心したように頷く。
「ですよね」
その瞬間、アルゴの声色が変わった。
「“最悪なこと”なんよ」
空気が止まった。
光の粒が静止したように、誰も動けなかった。
「……え?」
リオの声が震える。
アルゴは笑っている。だがその笑顔に、温度はなかった。
「“あれ”は共闘宣言やない。――血盟騎士団への“宣戦布告”や。ウチはそう思っとる」
「ど、どういうことよ!?」
リズが思わず身を乗り出す。
アルゴは紅茶のカップを指で転がしながら言った。
「もちろん、表向きはそんなこと言わん。ウチが今朝、聖龍の本部行った時も、ただ“同盟を組む”――それだけやった。
けどな、考えてみ? 81層はたぶん、あっさりクリアされるやろ。で、次の82層担当は血盟騎士団。……その時、どうするつもりなん?」
「どうするって……そりゃ、聖龍とちゃんと話をつけて――」
リズが言いかける。
「聖龍連合と黄金林檎の同盟に参加する……とか?」
リオが続ける。
アルゴが指を鳴らした。
「――聖龍に“参加の条件としてクルちゃん渡せ”って言われてもか?」
リズは息をのむ。
「ありえないわ、無理よ。……なら風林火山と――」
「ウチが聖龍なら、風林火山も取り込むで」
「ちょ、ちょっと、それは無理でしょう!」
リズが声を荒げる。
「だって――」
アルゴは小さく首を傾げた。
「可能性は高いで。こう言うんや。“血盟騎士団は『暗黙の了解』という約束を平気で破り、氷姫を横取りした連中。
かたや聖龍連合は横取りされても決してやり返さず、真摯に対応し続けた――。どっちと組む?”……ってな」
誰も声を出せなかった。リオが唇を噛む。
「そ、そんな……! 横取りなんて、そんなつもり……!」
アルゴが静かに言う。
「リオ坊。それは“君らの視点”の話や。物事ってのはな、立場と見方で形が変わるんや。真実やなくて、“物語”が残る。それがウチらの世界や」
リオは言葉を失った。
シリカが震える指で紅茶のカップを掴むが、音を立てずに置き直した。
アルゴは続けた。
「おまけに状況はどうみても聖龍が有利。風林火山としては、向こうと組んで勝ち馬に乗った方がええと考える可能性は高いなあ」
軽く指を鳴らして話を続ける。
「さて――風林火山が向こうについた場合、血盟騎士団は……もう何もできん。犠牲を払ってでも強行突破、なんてアーちゃんが絶対に許さんやろからな」
「……」
「せやから、血盟騎士団は笑われる。
“氷姫を横から奪っておいて、攻略に詰まった情けないギルド”――ってな」
リズが拳を握る。
机の上の紙が震えた。
アルゴは淡々と続ける。
「そしたら、傘下ギルドは離れてく。それだけやない。そんな空気に耐えられず、団員も次々抜けていく。
そうなったら――血盟騎士団は、もう終わりや。下手すりゃ“解散”や」
リオの声が震えた。
「そ……そんな……」
「トップギルドは“メンツ”が命や。それを失う時は、死ぬのと同義やで」
沈黙が落ちる。アルゴは少し笑い、肩をすくめた。
「でも安心しい。血盟におるような優秀な団員、どこ行っても歓迎される。――聖龍の連中かて、喜んで受け入れるやろ」
リズが顔を上げる。
「……まさか、リンド団長の言う“手を組む”って――」
「せや」
アルゴが軽く言う。
「“正攻法で”全部奪い取るつもりや。ま、ある意味では“真の共闘”とも言えるけどな。……あははは」
シリカが声を上げた。
「でも! 隠しダンジョンの騒動、止めてくれたんですよね!? それはちょっと、考えすぎじゃ――」
アルゴはシリカを見て、微笑む。
その笑顔は、優しいのにどこか悲しい。
「……ウチが思うに、そこで“ドンパチ”やっといてくれた方が、よかった思うんよ」
「え……?」
「本当に怖いんはな、目に見えへん“復讐”やから」
リズが唇を噛み、リオが顔を伏せる。
その肩が小さく震えた。
「いやです……! 血盟騎士団がなくなるなんて……そんなの……!」
アルゴは首を傾げ、軽く笑った。
「なら、クルちゃん差し出すか?」
「だめです!!」
リオが立ち上がった。
シリカが思わず腕を掴む。
椅子が軋む音だけが響いた。
「困った子やなぁ。あはは」
アルゴは軽く笑いながら、視線を外す。
「――いずれにせよ、もう時間はないで。連中が81層をクリアするまでに、なんとかせな」
紅茶の表面に、窓の光が細く反射している。
ゆっくりと、波紋が消えた。
アルゴは立ち上がり、帽子を軽くかぶり直す。
「ま、ウチの“妄想”や。そこまで深刻になる必要は、ないけどな――」
その言葉に、誰も返さなかった。
ただ、沈黙だけが続く。
陽光が静かに傾き、アルゴの影が壁を長く引き伸ばしていた。