ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記―   作:へーちょ

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     夜の灯

 

 

 

 

 

夜が、深く静かに落ちていた。

 血盟騎士団の本部は、日中の喧騒が嘘のように沈み、

 廊下の壁にかけられたランプの灯りだけが、淡く揺れている。

 その光が、夜の空気の冷たさに包まれて、まるで呼吸しているようだった。

 

――コン、コン。

 

小さなノックの音が響く。

 寝巻き姿のティンクルが、ベッドから顔を上げた。

 

「はい」

 

返事のあと、扉の向こうから優しい声がした。

 

「ティンクル」

 

その声だけで、誰なのかすぐにわかる。

 

「……私だけど。今、すこし話せる?」

 

ティンクルは毛布を整えながら、少し微笑んで答えた。

 

「うん。大丈夫だよ」

 

扉が静かに開く。アスナが立っていた。

 寝るには少し早い時間帯――それでも彼女の表情は、どこか眠れない人のものだった。

 

ティンクルは軽く笑い、椅子をすすめる。

 

「どうしたの、アスナ」

 

アスナは一瞬だけ視線を迷わせ、

 それから小さな声で言った。

 

「……声が聞きたくなった、から?」

 

ティンクルはわずかに微笑む。

 笑うでも、照れるでもない。

 ただ、優しい光がその瞳に宿った。

 

「ふふ。変なの」

 

「自分でも、そう思うわ」

 アスナも微笑んだ。

 けれど、その笑みはほんの少し寂しげだった。

 

 

 

 

 

 

アスナは机の前に腰を下ろし、静かに言葉を継いだ。

 

「ティンクル……ごめんなさい。こんなことに巻き込んで」

 

「どうしてアスナが謝るの?」

 

 ティンクルの声は柔らかい。

 

「悪いのは、あのとき勢いで血盟騎士団に入った僕だよ」

 

「違うわ」

 アスナは即座に否定した。

 

「私はあの時、あなたが入団したあの日――舞い上がってたの。

 “これで血盟騎士団はもっと強くなる”、

 “誰も欠けずに帰ってこれる”って」

 

アスナは小さく息を吐いた。

 その声音には、わずかな後悔が滲んでいた。

 そして目を伏せ、続けた。

 

「……だから、大事なことを見落としてた。聖龍連合へのフォローのことも、周囲の調整も、何もかも。副団長失格よ」

 

ティンクルは静かに首を振る。

 

「アスナ、そんなふうに自分を責めちゃ駄目だよ」

 

アスナの目が少しだけ潤む。

 自分でも気づかぬうちに、拳をぎゅっと握りしめていた。

 

「でも安心して。あなたを渡すなんてこと、絶対にさせない。

 あなたの帰ってくる場所――あなたの“日常”を、壊させはしない」

 

その言葉には、鋼のような意志がこもっていた。

 だが同時に、どこか切実な祈りのようにも聞こえた。

 

 

 

 

 

 

ティンクルは窓際に立ち、外を見やった。

 月が雲に隠れ、淡い光が部屋の床にかすかに落ちている。

 

「ねぇ、アスナ。どうしてアスナはそこまで……人のために頑張れるの?」

 

アスナは息をのむ。

 ティンクルの問いには、責める色がなく、純粋な興味だけがあった。

 

「もし僕を差し出せば、きっと聖龍連合はあっさり手を組んでくれるし、全てが丸く収まるよね。なのにどうして――わざわざ大変で、つらい道を選ぶの?」

 

「つらくなんてないわ」

 アスナの声は驚くほど静かだった。

 だが、その一語一語には芯があった。

 

「あなたを、仲間を、友達を差し出す方が、よっぽどつらい。そんなの、絶対に嫌。……こんなの、つらくもなんともないわ」

 

ティンクルは一瞬だけ沈黙し、そしてふっと微笑む。

 

「やっぱりアスナは変わってるね」

 

彼女の目は、どこか遠くを見るように細められていた。

 

「でもね、アスナは大勢の団員を背負ってるってこと、忘れちゃダメだよ。僕ひとりにこだわりすぎて判断を誤れば――取り返しのつかないことになるかもしれない」

 

アスナはその言葉に、小さく息をのんだ。

 ティンクルは淡々としているが、その奥にある真剣さは痛いほど伝わる。

 

「もし明日の会談で、僕を“渡す”判断をしても……アスナが選んだ答えなら、僕は満足だよ」

 

「いやよ。絶対に」

 

アスナの声が震える。

 感情ではなく、強すぎる意志のせいで。

 

「頑固だなぁ」

「ええ、頑固よ」

 

二人の間に、ふっと柔らかな空気が戻る。

 

「でも、アスナの料理食べられないのは嫌だなぁ。

 時々こっそり、夜に化けて出るかも」

 

「……もう、そういうこと言わないで」

 

アスナは笑いながら、目の端をぬぐった。

 その涙は、もう悲しみではなかった。

 

窓の外――風が吹き、雲が流れ、再び月が顔を出す。

 その光が、二人の影を重ねて照らしていた。

 

 

 

 

 

 

翌朝。

 

まだ空が白み始めたばかりの時間。

 血盟騎士団の玄関ホールには、出発の準備をする団員たちの足音が響いていた。

 

「アスナさん!」

 

振り返ると、シリカが息を弾ませて駆け寄ってくる。隣にはリズの姿も。

 手には、小さな鉱石のペンダントが握られていた。

 

「これ……お守りです。リズさんと一生懸命作りました。こんなことしかできないけど……でも……」

 

声が震え、シリカの目に涙が浮かぶ。

 その小さな手には、青く透きとおった鉱石のペンダント。

 朝の光を受けて、わずかに揺れた石が淡い輝きを放った。

 

アスナは両手で包み込み、静かに微笑む。

 

「ありがとう、シリカ。あなたの気持ち、ちゃんと伝わってるわ」

 

「……はい」

 

シリカが涙を拭うと、アスナはペンダントを見つめた。

 その光の中に、いくつもの想いが映るような気がした。

 

そして――アスナは、静かにそれを自分の首にかけた。

 

冷たい鉱石が、胸の上でそっと揺れる。

 

ランプの光がペンダントに反射して、胸元で淡い光を描いた。

 ――その光は、まるで彼女を守る“灯”のように見えた。

 

「私とシリカは団員じゃないから参加できないけど、そのお守りには、2人分の思いを叩き込んでおいたわ。――ひとりで戦ってるなんて思わないでよね」

 

「うん。ありがとう、リズ」

 

その言葉に、アスナの胸が少し温かくなる。

 

そこへキリトが現れた。

 黒衣の裾を翻しながら、気配なく近づいてくる。

 

「準備はいいか?」

 

「ええ。もうすぐ出るところ」

 

「シンカーから伝言だ。“団員じゃないけど、同行してくれ”ってさ。俺も一応、護衛役ってわけだな」

 

リズがすかさず口を挟む。

 

「キリト! あんた、暴れるんじゃないわよ!」

 

「おいおい、そこまで子どもじゃないって」

 

そのやりとりに、シリカがくすっと笑った。

リズはふと、隣にいた少年へと視線を向けた。

 

「リオ。気をしっかりね。アスナのこと、頼んだわよ」

 

リオは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、

 すぐに胸に手を当てて答えた。

 

「……はい。任せてください」

 

彼の声には、静かな決意があった。

 その姿を見て、リズはようやく安心したように微笑む。

 

やがて、扉が開かれる。

 外の風が流れ込み、朝の冷たい空気が頬を撫でた。

 遠くの空で、薄い雲の向こうから朝日が昇り始める。

 

アスナはもう一度だけ振り返った。

 シリカとリズ、仲間たちの顔がそこにある。

 どの顔にも、不安と、それ以上の“信頼”があった。

 

「行ってきます」

 

その声に、全員が頷いた。

 

扉の外で、キリトが軽く肩をすくめる。

「ま、どうせ波乱になるだろうが――悪くない朝だ」

 

リオが横で苦笑した。

 

そして、アスナは前を向いた。

 光が差し込むその先に、聖龍連合との“運命の会談”が待っている。

 

胸に手を当て、アスナは小さく呟く。

 

――誰も欠けさせない。必ず、全員で帰る。

 

その願いが、朝の光に溶けていった。

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

アインクラッド解放軍本部。

 普段は訓練や事務のために使われるその施設の最奥に、今日ばかりは異様な緊張が漂っていた。

 

高い天井の会議室。

 壁に埋め込まれた魔灯が、薄い青白い光を放ち、

 長卓の上に並ぶ椅子の影をゆらりと伸ばしている。

 

――ここで、三つの勢力が一堂に会する。

 血盟騎士団。聖龍連合。そしてアインクラッド解放軍。

 

扉の外は、もう人の気配で満ちていた。

 それでも室内の空気は不思議なほど静かで、

 わずかに漂う鉄の匂いと、緊張の熱だけが生きていた。

 

キリトが腕を組みながら、壁際の時計を見上げた。

「……聖龍の連中、まだ来てないな」

 

隣でリオが頷く。

「ですね。時間きっかりに来る気かもしれません」

 

「リンドらしいっちゃ、らしいか」

 

 キリトが小さく笑った、その瞬間――

 

ガンッ!

 

重厚な扉が勢いよく開いた。

 静寂が弾け、音が空気を震わせる。

 

「フン! 聖龍連合の一番乗りは、この俺だッ!」

 

あまりに堂々とした声に、部屋の数人が一斉に顔を上げた。

 立っていたのは、金髪を陽光のように跳ね上げた青年――ライド。

 

真紅の大剣を肩に担ぎ、マントの裾を翻しながら、

 炎のごとき笑みを浮かべている。

 

「むっ! 貴様、キリトか!」

 

「……うわ、ライドか。相変わらず派手だな」

 

 キリトが苦笑まじりに応じると、ライドは誇らしげに鼻を鳴らした。

 

「当然だ! この俺の情熱は常に燃えている!」

 

その声は天井を震わせ、まるで戦場の鬨の声のようだった。

 リオは思わず少し身を引きながら、小声で呟いた。

 

「……すごい迫力ですね」

 

キリトは片手をあげて宥める。

 

「まぁ悪いやつじゃないんだ。昔、アスナが“強いやつ”の噂を聞いては挑みに行ってた時期があってな」

 

「あぁ……あの話の中の“挑まれた相手”ですか?」

 

「そう。アスナが勝ったけど、ライドはその後何度もリベンジに来た」

 

その言葉に、ライドが豪快に笑い声を上げる。

「フン! あの頃の俺と今の俺は違う!もはや貴様らなど、敵ではない!」

 

彼は両手剣を抜き放った。

 刃が会議室の光を反射し、燃えるように輝く。

 

「見よ! 俺の“エクスカリバー”を!あの頃よりさらに光り輝いているだろう! はっはっはっ!」

 

リオがぽつりと眉をひそめた。

「……エクス、カリバー?」

 

ブリュノが肩をすくめる。

「……このゲーム、武器に名前つけられるからな。おそらく、それだ」

 

「あ、あぁ……なるほど」

 

ライドがキリトの腰に吊るされた剣を見て、急に目を細める。

「だが貴様の剣も悪くないな! 覚えているぞ!貴様の“卍魔神剣卍”!」

 

「…………は?」

 リオの目がゆっくりと見開かれた。

 

ブリュノとジョンも同時に固まる。

 

「ま、まんじ……?」

 

ライドは得意げに胸を張る。

「そうだ! 卍魔神剣卍! あの黒き刃!あのとき貴様が名乗ったではないか!」

 

キリトの顔がみるみる赤くなる。

「ちょ、待て、それはβテストの時、ノリで言った名前で――!」

 

「ふん、認めたようだな!」

 

「いや違うんだって!ノリなんだ! 本当にその時のノリなんだ!」

 

リオが、何か言いたげに口を開いたが――

 結局、ただ苦笑して首を振った。

 

その空気を切るように、明るい声が響いた。

 

「ちょっとライド、先に入って何やってんのよ」

 

軽い足音とともに、ピンク色の髪がひらりと揺れる。

 入ってきたのは、小柄な少女ニコ。

 いつものウィンク混じりの笑みを浮かべ、杖をくるりと回す。

 

「外で揃うまで待つって話だったでしょ?」

 

「フン! 一番乗りはこの俺だ! 当然だろう!」

 

「はぁ……もういいわ。椅子、壊さないでね」

 

ニコが額を押さえながら溜息をつく。

 その仕草だけで、彼女が“場の調整役”であることは誰の目にも明らかだった。

 

「ライド、今日あんたに課せられた任務、覚えてるわよね?」

 

「もちろんだ! 会談中は一言も喋らない! 朝飯前だ!」

 

「……なんでそんなに誇らしげなのよ」

 ニコは軽く眉を上げる。

 

「でもなぜ俺は喋ってはならんのだ?」

 

「いい? あんたは私たちの“切り札”なの。どんな小さな情報でも、相手に読まれたら困るのよ」

 

「なるほど! 俺は切り札か! 任せておけ!」

 

再び高笑いが響く。

 ニコはもう一度溜息をつき、ぼそりと呟いた。

「(……ほんとに“切り札”で大丈夫なのかしら)」

 

その時だった。

 

再び扉が静かに開く。

 入ってきたのは、白銀の鎧を纏った――シオン。

 

彼の足音は驚くほど静かだった。

 水色の髪がわずかに揺れ、月光のような光を放つ。

 その瞳は深く、冷たく澄みきっている。

 

「……」

 

言葉はない。ただ、視線が走った。

 

その刹那、空気がわずかに凍る。

 彼の黒に近い瞳が、血盟騎士団の側を一瞬、射抜く。

 まるで“人間”ではなく、“何か汚れたもの”を見るかのように。

 

リオが小さく息をのんだ。

(……今、一瞬。ものすごく、怒ってたような……)

 

けれど、次の瞬間には何事もなかったように、

 シオンは定位置につき、無言で姿勢を正した。

 

ライドの熱も、ニコの皮肉も、すべてその沈黙に呑み込まれる。

 

会議室の空気が、少しずつ冷たく研ぎ澄まされていく。

 

――これが、聖龍連合。

 外の喧噪とは無縁の、戦場の静寂をまとった者たちだった。

 

 

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