ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記― 作:へーちょ
会談の終わった夕刻。
血盟騎士団本部の食堂は、夕陽に染まった淡い橙色で満たされていた。
窓の外では鐘が鳴り、戦いの余韻をかすかに振るわせている。
六人――キリト、アスナ、リズ、シリカ、ティンクル、リオが、
まだ温かいスープを囲んで座っていた。
リズがスプーンをくるくる回しながら、ため息をつく。
「デュエルで決着、かぁ……。全然予想外の展開ね」
アスナは少し俯き、ティンクルの方へ顔を向けた。
「ティンクル……ごめんなさい。結局ちゃんとした決着をつけられずに、
またあなたを巻き込む形になってしまって」
ティンクルは静かに首を振り、柔らかく微笑んだ。
「ううん、ありがとうアスナ。アスナが頑張ってくれなかったら、可能性はゼロだったと思うよ」
リオが頷く。
「そうですね……向こうは、“絶対に譲らない”って感じでしたし」
キリトがスープを一口飲んでから、苦笑を漏らした。
「デュエル、か。……俺は参加できないよな」
リズが肩をすくめる。
「そりゃそうでしょ。団員じゃないんだから」
「でも、この勝負に勝てば、ティンクルさんは血盟騎士団に残れるんですよね?」
シリカが小さく身を乗り出して尋ねる。
リオが即座に答えた。
「はい。それに、アスナさんとティンクルさんは出場できますし。可能性は高い……というより、間違いないですよ」
キリトは少しだけ首を傾げた。
「……いや、どうかな」
リオが目を瞬かせる。
「え?」
キリトは天井を見上げるようにして言った。
「ほぼ互角なんじゃないか?」
アスナも静かに頷いた。
「そうね。少なくとも、簡単に勝たせてくれる相手ではないわ」
リオが少し戸惑ったように眉を寄せた。
「そうなんですか? でも……アスナさんとティンクルさんが負けるなんて、想像できないです」
リズが口元を拭って、にやりと笑う。
「向こうにも“とんでもない”のがいるからね」
シリカが少し声を落とした。
「やっぱり……ロニエさんは出場してきますよね」
リズが頷く。
「でしょうね。出ない理由がないわ」
リオが小さく息を呑む。
「ロニエって……あの、副団長の人ですか?」
リズが目を丸くした。
「リオ、ロニエを知らないの?」
「えっと……名前と二つ名は知ってますけど、詳しいことは……」
リオが言葉を濁すと、キリトが穏やかに補った。
「“残光”のロニエ。別名、“闘技場の覇者”。有名だぞ、特に闘技場関係のプレイヤーの間では」
リズが興味深そうに眉を上げる。
「何連勝だっけ? あの子の記録」
「33だな。まだ破られてない」
キリトの口調は淡々としているが、そこには確かな敬意があった。
リオが目を丸くする。
「す、すごいですね……! やっぱり本人の強さはもちろん、装備もすごいんじゃ――」
キリトは首を横に振った。
「装備制限部門の方でだ」
リオの声が裏返る。
「へ?」
「つまり――ほぼ対等な条件で戦う方で、その記録だ」
キリトが淡々と続ける。
「プレイヤースキルが、半端じゃないんだよ」
リズがスプーンを置いて笑った。
「あんた、戦ったことあるんだっけ?」
キリトは苦笑し、肩をすくめた。
「いや、ない。戦いたくて制限ルールの方に潜ったんだけど、全然やってなかったせいで、ランク不足でマッチングしなかったんだ」
「そ、そんなにすごい人の連勝を止めた人も、すごいですね……」
リオがぽつりと呟いた。
キリトが小さく笑う。
「ここにいるぞ」
「え?」
「ティンクルだよ。その戦い、俺見てたから」
ティンクルは苦笑しながらスプーンを置いた。
「引き分けだけどね」
淡く光る瞳に、どこか懐かしさが宿る。
「でも、キリトの言う通り。ロニエはすごく強いよ」
リオは思わず呟いた。
「ティンクルさんがすごいのか、ロニエさんがすごいのか……わからなくなってきました……」
リズが吹き出す。
「どっちも、でしょ」
少し笑いがこぼれ、食堂の空気が柔らかくなる。
「で、ティンクルの見立てだと……どのくらいの強さ?」
リズが興味深そうに身を乗り出す。
ティンクルは一瞬だけ考えて、静かに答えた。
「うーん……だいぶ昔の話だし、本来の装備じゃないから単純には比べられないけど……アスナと同じくらいの強さじゃないかな」
その言葉に、リオが小さく息を呑んだ。
「……簡単には、勝てないですね」
夕陽が沈みかけ、食堂の影がゆっくりと伸びていく。
誰も次の言葉を口にせず、ただスープの湯気が静かに揺れた。
―――――
湯気の向こう、キリトが椅子にもたれかかりながら、静かに言葉を継いだ。
「……あとは、ライドは出てくるだろうな」
アスナがうなずく。
「そうね。間違いなく入ってくるわね」
リオがぱっと顔を上げた。
「あっ! でもアスナさん、何度も勝ってるんですよね?」
アスナは少し笑って首を振った。
「昔の話よ。それに、その頃はまだ聖龍連合のメンバーじゃなかったから」
手元のカップを回しながら、少し懐かしそうに続ける。
「挑んでくるたびに、どんどん強くなってたの。……簡単にはいかないと思う」
「どんなふうに戦う人なんですか?」
リオの問いに、キリトが苦笑した。
「まぁ……見たまんまだな。“烈焔”って名前の通り、火力で押してくるタイプだ」
アスナが付け加える。
「それに――とんでもなくタフよ。気絶するまで諦めずに立ち上がってきたわ」
キリトが小さく笑う。
「まぁ、タフさならアスナも負けてないけどな」
リオが首を傾げた。
「??」
キリトは笑いながら肩をすくめる。
「いやさ。ライドと初めて戦った日、アスナ――強いって噂の五人と連戦したあとだったんだけどさ。それでも生き生きしてたもんな。あれは――」
「キリト君?」
アスナの笑顔がふっと近づく。
キリトは咳払いして、視線をそらした。
「あ、すみません。なんでもないです」
食堂の空気が、ふっと柔らかく笑いに溶けた。
シリカがその様子を見て、安心したようにスープを啜る。
ティンクルも小さく笑みをこぼし、肩の力を抜いた。
窓の外では、空の端にまだ残る夕焼けが群青へと変わっていく。
それはまるで、熱と静けさが混ざり合うような色だった。
リズが食後のカップを手にして、顎に指を当てた。
「あと一人は……誰だろ。ニコ? それともシオン?」
アスナが少し考え込むように目を伏せる。
「どっちもありえるわね。単純な強さだけで言えば、ニコなんだけど……」
キリトが肩を組み替えて、少し真面目な声を出した。
「魔法使いがデュエルはちょっとリスク高いな。接近されたら、アウトだ」
シリカがすぐに反論する。
「でも、ニコなら全然あり得ると思います。あの戦闘スタイルなら、そう簡単に接近できないですし」
リオが、ふと眉を上げた。
「……あれ? シリカさん、もしかしてニコさんと知り合いですか?」
リオは少し驚いていた。
――シリカが、誰かを“呼び捨て”にしたのを聞いたのは初めてだった。
「え? ……あれ、言ってませんでしたっけ?」
シリカが慌てて笑う。
「私、ニコとは昔、同じギルドにいた時期があって。
同い年ってこともあって、仲良くしてたんですよ」
リオは感心したように頷いた。
「そうでしたか。道理で親しげな感じがしたんですね」
「いや、そんな……最近は全然連絡してないですけどね」
シリカは少し照れたように頬をかきながら続けた。
「でも今回の件は、全然関係ないですよ。ニコが聖龍連合に入って、私も血盟騎士団でお世話になることが多くなって、それで……お互い“そこは一線引こう”ってなって」
リオが柔らかく微笑む。
「そうでしたか。でも、ちょっと意外です。少し怖い人だなって思ってたので……シリカさん、そういうタイプは苦手なのかと」
「?? ニコは思いやりがあって、すごく優しい子ですよ」
シリカは即座に否定し、真剣な表情になる。
「戦闘に関しては厳しいことも言いますけど、怖いだなんて思ったことは一度もないです」
キリトとリオが、同時に小さくつぶやいた。
「思いやりがあって……」
「優しい……子……」
二人の脳裏に、あの会議で淡々と笑っていたニコの姿がよぎる。
そして、同時にうめいた。
「うーん……」
「“双律”のニコ、かぁ。確かに、あの子なら出てきてもおかしくないけどね」
リズが笑ってカップを置いた。
「あの子、詠唱の速度が尋常じゃない。まるで息するみたいに詠唱するの」
シリカも静かに頷く。
「そうですね。……ニコより詠唱が速い人は見たことがないです」
キリトが腕を組み、少し低い声で言った。
「でも――リスクを考えると、シオンも全然ありえるんだよな」
その瞬間、テーブルの上の灯りが、ふわりと揺れた。
外はもう群青に沈み、窓の向こうで夜が息づき始めていた。
六人の視線が、それぞれ“次の対戦者”を思い浮かべながら、静かに交差する。
――――
夜の帳が静かに降りる頃、食堂の灯りはまだ温かかった。
皿の上の湯気が消え、代わりに陶器のカップから、ほのかな香りが漂う。
リズがカップを片手に、顎に指を添えながら言った。
「そういえば――血盟って、あと一人だけが出るの?」
リオが顔を上げる。
「えっと……ジョンさん? それともブリュノさん?」
「ブリュノさんじゃない?」
リズは思い出したように笑った。
「あの人、かなりの手練れでしょ?」
キリトが頷く。
「そうだな。あの人、地味に強いんだよな」
リズはカップを傾けながら、ふとリオに目を向ける。
「……ん? リオ、あんたならいけるんじゃない?」
突然の言葉に、リオは思わず手を止めた。
「え、僕ですか?」
「そうよ。毎日ずっと鍛錬してるし、最近じゃティンクルと並んで中衛にいるんでしょ?」
リズの声は軽いが、どこか本気の響きを帯びていた。
リオは曖昧に笑って肩をすくめる。
「あはは……僕なんかじゃ無理ですよ、リズさん」
アスナが静かに彼を見ていた。
何も言わない。ただ、その瞳の奥で、リオの中に宿る“火”を見ているようだった。
「……」
キリトが軽く腕を組み、話題を戻す。
「まぁ、向こうも一人、こっちも一人。予想できないのはそこだな」
シリカが口を開く。
「二日後に決めなきゃいけないんですよね……。出場順って、どうなるんでしょう?」
アスナが頷いた。
「代表3名と同時に通達すること、ってシンカー団長から連絡があったわ」
「なるほどね」
リズはカップをテーブルに戻し、指を組んだ。
「じゃ、まずは三人を決めなきゃ。少なくとも――明日には」
その瞬間、食堂の灯りがゆらりと揺れた。
外では夜風が吹き、遠くで鐘が鳴る。
アスナは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
――静かな夜の中で、運命の歯車が小さく動き始めていた。
ーーーーー
翌朝 ― 血盟騎士団・会議室
朝の光が差し込む会議室は、まるで戦場前のように張り詰めていた。
長卓の上には、整然と並ぶ資料と冷めたコーヒー。
誰も口を開かないまま、ただ壁の時計の針だけが音を刻んでいた。
ヒースクリフが、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
その姿勢は威厳に満ち、しかし声はいつも通りだった。
「デュエルで結論を決めることになった」
短い言葉が空気を震わせた。
全員が自然と背筋を伸ばす。
「我々の誇りに賭けて――負けるわけにはいかない」
その静かな宣言は、剣よりも重かった。
ジョンが低い声で応じる。
「まずは代表の三人を決めなければなりませんね」
ヒースクリフは頷き、一拍置いてから言った。
「すでに決まっている。私とアスナ君、同じ結論に至った」
ざわり、と空気が揺れる。
思わず互いに顔を見合わせる団員たち。
誰もが息を呑み、その続きを待った。
ヒースクリフの視線が、静かに部屋を横切る。
その眼差しに怯える者はいない。ただ、全員がその“秩序”を感じていた。
「代表は――アスナ君、ティンクル君、そして――」
一瞬の間。
時計の針が、音を立てて次の目盛りを刻む。
「リオ君だ」
その名が発せられた瞬間、室内の空気が一瞬止まった。
「………………え?」
リオの手から、思わず書類が滑り落ちる。
まるで自分の名前が現実のものではないかのように、間の抜けた返事が口から漏れた。