ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記― 作:へーちょ
――戦闘タイマー、5分20秒。
ロニエの剣に再び光が宿る条件が整う。
しかし、彼女は動かない。
《残光》の発動を見送り、静かに剣を構え直した。
キリトの眉がわずかに動く。
(……使わない?)
戦場の空気が、先ほどまでとまるで違う。
ロニエの攻撃姿勢が、前のめりではなく、やや後傾――待ちの構え。
攻めの圧から、完全に“受けて斬る”構えへと変わっていた。
ティンクルが踏み込む。
斬撃がロニエの肩を掠めた瞬間――。
ロニエの剣が、反射のように弾き返す。
ティンクル、即座に下がる。
紙一重の回避。
その軌道のすぐ横を、斬撃の残滓が通り過ぎていった。
次も同じ。
攻撃を仕掛けた瞬間、必ずカウンターが返ってくる。
まるで未来を読まれているかのような精度。
リオが手を胸の前で握りしめる。
不安が表情に出ていた。
「……なんかロニエの動き、さっきまでと違う」
リズがつぶやく。
「……対策されてるな」
キリトが短く答える。
「え?」
「ティンクルが適応する前に、戦い方そのものを変えてきてる」
「そんな……」
シリカの声がかすれる。
戦闘タイマー、5:40。
ティンクルの斬撃がロニエの腕を掠めるが、直後に反撃。
カウンターの軌跡が、鋭く逆流する。
ティンクルの肩口を深く斬り裂いた。
血飛沫が砂に散る。
歓声の悲鳴も混ざる。
それでも両者は一歩も引かない。
ロニエの剣筋は無駄がない。
攻撃のたびに空気が薄く削がれていくような精度。
その鋭さに押される形で、ティンクルがじりじりと後退。
――だが、その流れが変わるのは突然だった。
ティンクルが左足を引き、剣を斜めに構える。
次の瞬間、連撃の間隔が変わった。
一定のリズムではなく、ずらされたテンポ――高速のヒット&アウェイ。
踏み込み、切り抜け、離脱。
再度、踏み込み。
リズムを崩しながら、ティンクルが押し返していく。
ロニエの剣先がわずかに遅れる。
その一瞬、ティンクルの刃がロニエの左肩を切り裂いた。
観客席からどよめき。
――6:00。
ティンクルが剣を横に払うと、青い光が再び走った。
《氷華》、発動。
その10秒後、ロニエも剣に光を宿す。
《残光》。
再び、光と音が交錯する。
砂塵の中で剣閃が乱れ、火花のように散る。
互いの攻撃がわずかに掠めるたび、残光と氷片が弾ける。
観客の目には、完全な互角――しかし、実際には違う。
どちらも限界に近い精度の世界で、わずかな呼吸の乱れすら命取り。
それでも二人の動きは一切淀まない。
残光が閃き、氷華が爆ぜる。
攻めも守りも、互いに寸分の狂いなし。
――6:30。
両者の光が同時に消えた。
《残光》も、《氷華》も解除。
ティンクルが数歩後ろに下がる。
静寂。
その瞬間、観客の誰かが息を吐いた音が、やけに大きく響いた。
ニコが杖をくるりと回す。
「ふふ、距離をとるってロニエに有効だよね」
間を置いて、唇が笑みに歪む。
「“昔のロニエ”には、だけど」
ロニエの剣先がわずかに傾く。
次の瞬間――。
剣が振られた。
衝撃音。
光の軌跡が一直線に走る。
ティンクルが身を捻って回避。
その直後、彼女が立っていた場所の地面が、一直線に切り裂かれた。
細かな砂片が、風に散る。
「……あら、かわしたんだ」
ニコが楽しげに笑う。
「初見だと、だいたいみんな、あれで落ちるんだけどね」
ロニエがさらに斬撃を放つ。
その軌道はまるで刃の波。
ティンクルのヒット&アウェイでは、もう避けきれない。
瞬時に判断を変え、ティンクルが再び踏み込む。
距離を詰め、近接戦に戻った。
刃と刃。
音が重なり、砂煙が舞う。
互いの剣閃が交錯し、反射的な応酬が続く。
誰もが息を呑む中――
二人の戦いは、まだ終わらなかった。
ーーーーーー
――戦闘タイマーは、すでに7分を越えていた。
両者の剣が、幾度も激突する。
砂が舞い、刃と刃の金属音が、鼓動のように響く。
ティンクルの肩はわずかに上下し、ロニエの呼吸も浅くなる。
だが、どちらも一歩も引かない。
ユニークスキルの光を失ってなお、互いの距離を保ったまま、
寸分の狂いもなく、剣を交え続けていた。
キリトが、静かに呟いた。
「……まずいな」
「え、何が?」
リズが振り向く。
「近接戦闘能力はロニエの方がわずかに上だ。このまま正面から戦ってたら、押し切られる」
シリカが不安そうに口を開く。
「で、でも……距離を取ると、またさっきみたいに斬撃が飛んで……どうすれば……」
キリトは黙っていた。
観客の歓声も、周囲の熱気も、もう遠い。
ただ、闘技場の中央で刃が重なる音だけが、確かな現実だった。
リオが拳を握りしめる。
「……ティンクルさん……」
戦場では、二人が再び斬り結んでいた。
息を切らしながらも、止まらない。
呼吸と攻撃が一体化し、もはや本能で動いているようだった。
――7:24。
――7:25。
――7:26。
観客席のざわめきの中で、アスナだけが気づいた。
ティンクルが、ほんの一瞬だけ、微笑んだことに。
――7:29。
闘技場の空気が張り詰める。
次の瞬間、同時に光が弾けた。
――7:30。
《残光》――《氷華》。
同時発動。
眩い閃光の中で、二人の姿が弾けたように消える。
次に見えた時、二人はすでに斬り合っていた。
ロニエの剣が空を裂き、
ティンクルがその全てを、まるで舞うように受け流す。
ロニエの残光が空間を走る。
ティンクルは、ほんの数ミリ単位の動きで軌道を避ける。
剣を滑らせ、刃の流れを利用し、反撃に転じる。
それは、戦いというより“舞”だった。
呼吸、角度、重心――全てを読み切った美しさ。
彼女の目には、ロニエのわずかな癖と息の乱れすら、
統計のように見えているかのようだった。
リオは呆然とその姿を見つめていた。
(……ティンクルさん、綺麗だ……)
剣閃が交差する。
ティンクルの一撃が、ロニエの右腕を切り裂いた。
ロニエが短く息を呑み、後退。
しかし、彼女はすぐに体勢を立て直す。
鋭い瞳が光を取り戻し、
再び剣が走る――その速さ、すでに人の域を超えていた。
残光の軌跡が乱舞し、ティンクルの体に一閃が走る。
肩口から血が流れた。
――7:50。
ロニエの《残光》が消える。
だが、彼女は止まらない。
スキルの効果が切れても、剣速は衰えず、
ティンクルの《氷華》と真正面からぶつかり続ける。
7:57。
7:58。
7:59。
両者の斬撃が同時に走った。
キィィィィィン――!
衝撃波のような爆音。
光の残滓が弾け、観客の視界が白く染まる。
――次の瞬間、両者の体に深い斬撃が入っていた。
ティンクルの胸元に紅が滲み、
ロニエの腹部にも鋭い線が走る。
8:00。
《氷華》解除。
互いに弾かれるように後退し、砂上に立つ。
息を呑む観客。
次の瞬間、ロニエが剣を振り抜いた。
その一閃が、風を裂いて飛ぶ。
ティンクルの足元の砂を断ち割る軌跡。
ティンクルは体を無理に捻って避けた。
体勢を崩し、地面に腕を突く。
ロニエの瞳がそれを捉えていた。
まるで読んでいたかのように、次の斬撃を放つ。
――1発。
――2発。
――3発。
三度目の光が、ティンクルの太ももを切り裂いた。
深くはないが、浅くもない。
痛みで膝が震える。
だが、彼女は止まらなかった。
「……っ」
息を押し殺し、ティンクルは再び前に出た。
ロニエも、ほとんど同時に踏み込む。
再び、剣と剣が激突。
近距離戦――互いの刃が髪を掠め、肌を裂く。
観客の歓声が遠のく。
刃の音と心臓の鼓動だけが響く。
時間の感覚が、消えていく。
――8:57。
――8:58。
――8:59。
両者、まだ止まらない。
足音と金属音が、まるでひとつの旋律のように重なっていた。
――9:00。
システムタイマーが、残り1分を示す。
場内の空気が、凍りついた。
ロニエの瞳が、僅かに細められる。
(……変幻自在で、読みにくい……掴みどころのない)
――彼女の脳裏に、遠い記憶が過る。
(……あの人に、似ている剣)