ソードアート・オンライン ―アインクラッド戦記―   作:へーちょ

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    第3部「光の在り処」

 

 

 

 

 

 

 アルゴのアジト。

 淡いランタンの光が揺れ、壁際の影がゆらゆらと動いていた。

 

「……それでも、何かきっかけがあれば、きっと――」

 キリトは静かに言った。

 その目は、遠くを見ているようだった。

 

「ならキー坊が平和の架け橋になるか?」

 アルゴが笑い混じりに問いかける。

「聖龍にも出入りして、あいだを繋ぐ……とか?」

 

「無理だな」

 キリトの返答は即答だった。

「スパイだと思われる。それに……血盟騎士団にも、不義理になる」

 

「おやおや」

 アルゴは肩をすくめる。

「理想主義かと思いきや、そこは線引きできるんやな」

 

「……どうにもならないのか?」

「どうにもならんことなんて山ほどあるけどな」

 アルゴは机の上のカップをくるりと回した。

 液面に映る灯が、ゆらめく。

「で、何か手はあるん?」

「……わからん」

「ふふ、今日のキー坊はおもろいなぁ」

 

 軽く笑ってから、アルゴは声を落とした。

「……でも、あるで。聖龍が全面的に協力してくれる一手がな」

 

 シリカが目を瞬かせる。

「えっ?」

「なんだ?」

 キリトも眉を寄せる。

 

「簡単なことや」

 アルゴは軽く笑い、机に肘をついた。

「――クルちゃん、差し出せばええねん」

 

「……!」

 空気が一瞬にして凍りついた。

 アルゴは平然と続ける。

「向こうはあの子の勧誘に難航しとった。それがすんなり手に入る。メンツも保てる。向こうも血盟も助かる。……万々歳や」

 

 キリトは黙った。

 シリカも、何も言えなかった。

 

「嫌そうやな」

 アルゴがにやりと笑う。

「何が問題なん? さっきキー坊、自分で言うてたやん。本当の意味で“ひとつになって戦う”って。なら、どこの所属でも関係あらへんやろ。同じ“仲間”や」

 

 その声は、試すようでもあり、皮肉でもあった。

 

「……仮に協力を頼んだら、そう言ってくる可能性は充分あるで。その時、即答で“YES”が出せんのなら――協力は無理や」

 

 アルゴの言葉に、沈黙が落ちる。

 キリトもシリカも、答えを出せなかった。

 その沈黙を破るように、アルゴは笑った。

 

「ま、組織ってのはそういうもんや。社会っちゅうのは、自分ひとりの正義で動かせん。自分の利益捨ててでも動けるシン坊みたいな人間は……ごく稀や」

 

 軽く息を吐いて、アルゴは椅子の背にもたれた。

「……なんか、辛気臭い話になってしもたな」

 

「アルゴ……」

 アルゴは手を振る。

「で、2人にアドバイスや」

 

 帽子のつばを少し上げ、軽く笑う。

「若いもんは、目の前のことだけに一生懸命やっとけばええ。そういう汚い駆け引きは、上の連中――ヒー坊やリン坊の仕事や」

 

「……わかった。ありがとう、アルゴ。お金は――」

「いらんいらん、さっきの“貸し”の分や」

 アルゴが手を振る。

「お釣りは出ぇへんけどな」

 

 キリトとシリカが立ち上がる。

 扉へ向かいかけたその背に、アルゴの声が届いた。

 

「……せや、2人に聞きたいことがある」

 

 キリトが振り返る。

「ん?」

「?」とシリカも首を傾げる。

 

 アルゴは目を細めた。

「2人は、なんで“百層”目指してるんや?」

 

 唐突な問いだった。

 キリトはわずかに間を置き、短く答えた。

「そりゃ――この世界から出るためだろ」

「はい。みんなで、脱出するために……です」

 シリカも続ける。

 

 アルゴは少しだけ視線を落とした。

 ランタンの灯が、彼女の頬を照らす。

 

「……ほうか」

 わずかに笑みを浮かべる。

「別に、深い意味なんてあらへんよ」

 

 そう言って、帽子をかぶり直した。

「ほな、気ぃつけて帰りぃや。」

 

 扉が静かに閉まる。

 外の風が、かすかに鳴った。

 

 残された部屋には、ひとつの灯が残る。

 アルゴは椅子の背に体を預け、天井を見上げた。

「……“百層”か」

 その声は誰にも届かず、静かに闇に溶けた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が静かに降りていた。

 血盟騎士団本部の外、噴水広場の脇にある石造りのベンチ。

 街灯の淡い明かりが、二人の影を長く伸ばしている。

 

 キリトとシリカは並んで座っていた。

 どちらも口を開かない。

 風が通り抜け、鎧の留め具がかすかに鳴る。

 

 しばらくして、扉の方から足音が聞こえた。

 アスナだ。

 外気に頬を撫でられながら、穏やかな微笑を浮かべて近づいてくる。

 

「お帰りなさい。……無事でよかった」

 その声に、シリカがほっと息を吐いた。

 けれどアスナはすぐ、二人の表情に何かを感じ取る。

 

「……どうしたの? 二人とも顔が硬いよ?」

 柔らかい声音の奥に、鋭い洞察があった。

 

 キリトは少し間を置いて、ぽつりと話し始めた。

 今朝、シリカと交わした“違和感”の話。

 そして、アルゴのアジトで聞いた現実の話。

 

 アスナは黙って聞いていた。

 表情は変わらない。けれど、その瞳は揺れていた。

 

「変だよな」

 キリトがぽつりと呟く。

 膝の上で、手をゆっくりと握りしめる。

「“一緒に戦う”なんて、偉そうなこと言っといて……その方法を突きつけられたとき、何も言い返せなかった。何にも、わかってなかったんだなって」

 

 シリカも小さく頷く。

 俯いた顔の横で、ピナが小さく鳴いた。

 

 沈黙。

 夜風の音だけが、淡く流れる。

 

 アスナは静かに息を吸った。

「……ねぇ、キリト君、シリカ」

 二人が顔を上げる。

「どうして、聖龍連合はあんなにティンクルの勧誘に一生懸命だったと思う?」

 

「それは――」

 シリカが少し考えて答える。

「ティンクルさんは強いし、部隊の指揮もできるし……」

「傘下のギルドへの影響力とか、集まってくる人材の質……そういう部分もあるな」

 キリトが続ける。

 

 アスナはふっと笑った。

 どこか寂しげで、それでも優しい笑みだった。

「二人のそれは“組織”としての見方だよね」

 

 その一言に、二人は一瞬、言葉を失う。

 アスナは視線を夜空へ向けた。

 星々が静かに瞬いている。

 

「じゃあさ、そこにいる一人ひとりは――どう思ってるのかな?」

 アスナの声は柔らかいけれど、芯があった。

「私はね。聖龍連合の中にいる人たちも、ここにいるみんなも……根っこのところは、きっと同じだと思うの」

 

「……同じ?」

 キリトが問う。

 

 アスナは小さく頷く。

「うん。――戦場に行っても、誰ひとり欠けることなく帰ってきたい。その気持ちは、みんな同じ。だから、強い仲間がいれば……それだけで、少しでも生き残れる確率が上がる」

 

「ただ――そこに“組織の利益”とか、“駆け引き”とか、““影響力”なんて余計なものが乗っかっちゃって……ほんの少し、すれ違ってるだけなの」

 

 彼女の声は、夜の冷たい空気の中で、

 確かに灯をともしていた。

 

「だから――そこをなんとかすれば、みんなが力を合わせられるはず。私は、そう信じてる」

 

 アスナの言葉に、シリカがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に、迷いの色はもうなかった。

「……アスナさん」

 

「今はまだ、その答えがわからないけどね」

 アスナは微笑んだ。

「でも、必ず見つける。――もちろん、ティンクルを“差し出さずに”」

 

 シリカの顔に、自然と笑みがこぼれる。

「……はい」

 

 キリトも苦笑して、夜空を仰いだ。

「ありがとう。なんか、スッキリしたよ」

「ふふ、どういたしまして」

 アスナが微笑み返す。

 

 噴水の音が静かに響いた。

 冷たい風が、三人の髪を揺らして通り抜ける。

 

 夜の帳の下、

 三人の影はゆっくりと重なり、

 まるでひとつの輪のように――

 同じ方向を見ていた。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 

 63層・水源エリア外縁。

 風がゆるやかに吹き抜ける。湖面の光が、木々の間でちらちらと跳ねていた。

 キリトとシリカは並んで歩いていた。

 足音と草のざわめきだけが、静かな森に混ざっていく。

 

「……やっぱり、この層の空気は違いますね」

 シリカがマップを開きながら言った。

 ピナがその肩で小さく鳴く。

「最前線らしい、というか……張りつめてる気がします」

 

「そうだな」

 キリトが頷く。

「それでも、前より“動き”はある。昨日より今日、今日より明日ってな」

 

 そんなとき――前方に、二つの影が見えた。

 若い男女。まだ十代半ばに見える。

 どちらも、明らかにぎこちない動きで立ち止まり、なにかを話し込んでいる。

 

 キリトは警戒を解き、声をかけた。

「どうした? 何かあったのか?」

 

「あっ……えっと」

 少女が慌てて振り返る。隣の少年も、気まずそうに頭をかいた。

「お、俺たち、最前線……初めてで」

「初めて?」

「はい。いままでずっと中間層で活動してて……」

 

 キリトは片眉を上げ、ステータスウィンドウを指差す。

「ちょっと見せてくれるか?」

「は、はい!」

 少年が画面を開く。

 装備は標準以上。防具の耐久も十分、武器の強化値も悪くない。

 

 キリトは目を細める。

(……問題ない。装備もしっかりしてる)

「最高は何層まで行った?」

「えっと……昨日、六十層までは普通にいけて。

 ただそれまではずっと三十〜四十層あたりで……」

 

 少女が続ける。

「ほんとに最近、五十層台に挑戦して……少しずつ、上がってきてるところで」

 

 シリカが優しく微笑む。

「今日はどこに行く予定なんですか?」

 アルゴの地図を開きながら尋ねる。

「えっと……この“エリア2”です。敵のステータスも一番低いって書いてあって」

 

 キリトは首を横に振った。

「いや、初めてなら“エリア5”のほうがいい」

 二人が驚いた顔をする。

「敵はエリア2より少し強いけど、視界が広いし、足場がいい。転送結晶まで直線で行けるから、万一のときも逃げやすい」

 

 シリカがマップを覗き込み、頷いた。

「なるほど……確かにこの道なら、行き止まりがありませんね」

「はいっ……! ありがとうございます!」

 少年と少女が頭を下げる。

 

 キリトは少し間を置いて、静かに問うた。

「なぁ、二人は――どうして最前線に来ようと思った?」

 

 その問いに、少年はしばらく言葉を探した。

 視線が足元を泳ぎ、やがてぽつりと落ちる。

「……ほんとは、怖かったんです。

 ずっと、中間層で安全なクエストだけやってて……でも、最前線で命かけて戦ってる人たちを見てたら――このままじゃ、ダメだって思って」

 

 少女が続く。

「素材集めとか、面倒なクエストとか……地道なことでもいいから、何か自分たちにもできることを……って。でも、いざ来てみたら……怖くて動けなくて。情けないですよね」

 

 キリトは黙って聞いていた。

 胸の奥に、じんわりとした懐かしさが広がる。

 あの頃――黒猫団の仲間たちと語り合った夜を思い出す。

 不安も、希望も、無鉄砲さも、全部混じり合っていた。

 その記憶が、今、ほんの少しだけ温かく蘇る。

 

 隣のシリカが、彼を見上げた。

 二人の目が合う。

 言葉はいらなかった。お互いの気持ちが、なんとなく通じた気がした。

 

「……一緒に行くか?」

 キリトの声は柔らかかった。

 少年が一瞬きょとんとして――すぐに目を輝かせた。

「い、いいんですか!?」

「ちょうど四人になるしな」

 キリトが軽く肩をすくめる。

 

 少女が胸の前で両手を握りしめた。

「は、はいっ!」

 

 その瞬間、森の向こうから吹き抜けた風が、草を揺らした。

 水面の反射がきらめき、四人の影が並んで揺れる。

 

 ――63層、水源エリア。

 小さな一歩が、確かに踏み出された。

 

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