幼馴染の美少女と同棲してるんだけど、とりあえずカブトムシ捕まえようぜ! 作:冷製春雨スープ
夕暮れの淡いオレンジが町を包み込む通学路。雨露に濡れた紫陽花が輝いて、葉の上のカタツムリが元気よさそうに触覚を伸ばしていた。
そんな住宅街を歩く2つの影が光に伸ばされていた。幸久と柚木である。
高校からの帰り道、楽しげに話していた幸久は突如、今日の昼休みのことを思い出した。
それは絶賛放映されているらしいアニメで、白熱したかっこいいバトルが特徴の熱いものだった。
生まれて初めての『どゅらえモン』と『クーピーさんちゃん』以外のアニメに目を輝かせて見ていた幸久。見せてくれた恩田くんの表情は微笑ましげで、遠くからそんな幸久の姿を見ていた柚木も嬉しそうに観察していた。
そんな平和と呼ぶべき尊い記憶。青春の1ページ。
幸久は新鮮だった。自分の知っている戦いとは違い、アニメの戦いというのはあんなにカッコよく、鮮烈で、印象に残るものなのかと感慨に耽っていた。
そして1番印象に残っているのは傘だ。
あの傘にあんな使い方があるなんて思いもしなかった。
幸久の知っている傘の使い方は、雨風を防ぐこと、剣に見立てて振り回すこと、よくわからん物を突くこと。
これだけであった。
それがあんな.....あんな!空を飛べるだなんて、思いもしなかった!
何を隠そう。幸久は空を飛びたいのだ。なにも飛行機に乗って飛びたいわけではない。鳥のように自由に空を飛びたかった。
幼い頃、柚木を連れ回して走り回った記憶の断片。その一つにこんな出来事があった。
ある昼下がり、蝉がよく鳴き、吹き抜けるそよ風が気持ちのいい夏休み。
柚木と並んでスイカを食べて、種を飛ばしあって遊んでいた時に目に入った鳥を見て、幸久(10歳)は思った。
空.....飛びてぇな.....
誰しもが考えたことがあるだろう願い。
全男子が憧れた遥か彼方の大海原。
幸久は海を見たこともないくせに、言葉だけは達者だった。無駄なことしか教えない従兄弟のおじさんの影響だろう。
全員子供の頃に思ったはずだ。
空はどうしたら飛べるだろうかと。考えたはずだ。とりあえずジャンプしてみようと。実際にやってみただろう。結果は言わなくてもいい、もちろんわかっている。
失敗に終わったことだろう。
この男、馬鹿幸久も例外ではなかった。
かつての幸久(10)もまずは跳ねてみた。
ダメだった。
手を鳥のようにバタつかせて跳ねてみた。
ダメだった。
どれだけ高く跳ねてみても、一向に飛べる気配がない。だから幸久は鳥を観察するのとにした。
三日三晩の観察の末にわかったことが一つ。
鳥の手、なんか広くない?
幅が広く、そして薄い。幸久にはそう見えた。これだ!と確信した幸久は早速行動に移した。
家にあった段ボールと新聞紙をありったけかき集めた。足りなそうな素材は近所のおじいさんおばあさんのところへ行って、貰ってきた。
それをふんだんに使って、渾身の翼を作り上げた。もちろん柚木に手伝ってもらって。
そして再度の挑戦。
結果は言うまでもないだろう。あえて言うのであれば、翼は大破し、少しも宙には浮けなかった。当たり前である。
子供の拙い手で作った紙の翼。ツギハギで、固定にはセロハンテープを使った一品。脆かったのだ。壊れることは必然であった。
なにが.....なにが駄目だったんだ......俺の計算は完璧だったはず......なのになんで.....
壊れて、地面に落ちている翼を残念そうに見つめる柚木を横目で見ていると、怒りと悲しみが湧いてくる。
空は飛べないのか?俺は本当に空を飛べないのか?なんでだ......なんでだ!!俺はこんなに空を飛びたいのに!!
怒りを込めて空を見上げ、悠々気ままに空を泳ぐカラスを見て、思った。思ってしまった。
もしかしたら、俺はなにか思い違いをしていたのかもしれない。
俺は本当に飛べると信じきれていたか?心の底から飛びたいと、空に叫んでいたか?
いやできていなかった。できていなかったんだ!
つまり後は気持ちの問題!全ては筋肉だったんだ!
おじさんの言っていたことは本当だった!カマキリの卵を靴に入れてごめんなさい!次はジャンボタニシの卵にするね!!
そもそも人間は、生身で空を飛べるようにできていない。
そんな当たり前を教えてくれる人がいなかった幸久は、手がかりを掴んだと言わんばかりに壊れた翼を回収し、柚木の手を引っ張って家の中に入っていった。
そこから30分ほどかけて、完璧に翼を直した。
相変わらずセロハンテープで固定してあって、ツギハギな不格好な翼。それでも幸久の目には純白に輝く鶴のような翼に見えていた。
いける!!これは勝った!!
できた翼と両手を早速ドッキングし、階段を駆け上って2階に行った。そして一室の窓を開き、瓦屋根の上に立った。
夏の日差しで熱された瓦は熱かった。それでも気にならなかった。なぜなら空が飛べるから。
空を飛ぶ鳥に不敵な笑みを浮かべ、心配そうに後ろからオロオロと見つめる柚木に少しだけ振り向いて、サムズアップを決めた。
見てろ柚木!お前の想いも乗せて、どこまでも羽ばたいてやるからよ!!
声高らかに宣言した。
「今日から俺が空の支配者だ!!つまり鳥マン!!いくぞぉぉおお!!!」
幸久は広大な空へと飛び立った。
もちろん成功する筈もなく、重力に従い急降下する体、足に感じる衝撃と痛み、柚木の甲高い悲鳴が聞こえた。
急いで降りてきた柚木が幸久に縋りついた。
泣きながら幸久を揺する柚木の涙が自分の頬を伝うのを感じながら、消えかける意識の中、幸久はまだ諦めていなかった。
次は.....次こそは.......
目覚めた時には、木製の見慣れない天井だった。首からだけを動かして、辺りを見渡すと柚木が翼を抱きしめて、泣きながら側にいた。
足は骨折した。母には怒られ、柚木には泣かれ、翼は壊れた。
そんな苦い思い出であった。
そこから時は流れて現在、幸久は久しぶりの手がかりに心を躍らせていた。
翼がダメなら、傘ならどうだ?アニメでは空を飛んでいた。なら傘なら行けるんじゃないか?
幸久は鞄の中に入っていた折り畳み傘を出した。柚木が今朝持たせてくれた物だ。
勢いよく傘を開き、切先を天に向けてジャンプをしてみる。
浮遊感がない。浮いた実感がない。空は飛べていない。
幸久はそっと傘を閉じて、ぎゅっと握りしめた。
ダメじゃんか!!恩田くん!!騙したな!!
謂れのない罪が恩田くんを襲う。恩田くんは怒ってもいい。
傘でもダメ、翼もダメ、ならどうすれば飛べるのだろうか?
振り出しに戻ってしまった幸久は俯き、真剣な表情で考え始めた。
今日思い出したんだ。なら、運命だったんだ!それに隣の家のばあちゃんが言っていた!
『幸久ちゃん、運命を感じた時はねぇ、迷うことなく突き進むのよ?幸久ちゃんなら大丈夫だと思うけどねぇ。』
穏やかな表情で微笑んだばあちゃんの顔。そしてどこか真剣に幸久に言った言葉。
幸久は覚えていた。
わかってるよばあちゃん!!運命感じた時には迷ったら駄目だよな!!今日飛ばなくては!!
ばあちゃんの言葉はそう言う意味ではないと、気がつけない幸久はばあちゃんに心の中で報告した。
そんな幸久の真剣な表情を見た柚木は悪寒を感じ、幸久を見つめた。何をやろうとしているのかがわからない。突然傘を開いたと思ったら、そのままジャンプして、落ち込んだと思ったら真剣な表情で悩み出す。
いかな柚木と言えども、判断材料の足りない今、幸久が何をしようとしているのかの予想すらできなかった。
考え込みながら黙って歩く幸久は、通りがかった公園で遊ぶ、元気な子供の姿が目に入った。その子供の持っているボール。
赤いボール.......赤い......赤い......どこかで見たような気がする。
んー.......あっ!!
引っ越ししてきた時にたまたまやっていたモデルハウス見学のイベント、そこでお姉さんが小さな子供達に配っていた風船。確かその風船の色が赤だった!
その赤い風船は飛んでいた。飛んでいたのだ。確かに風船は飛んでいた。幸久には新鮮な光景だった。
幸久の知っている風船は、息を吹き込んで膨らませた後にそのまま縛ってボールにすること。
そして、水を入れて人とぶつけ合う仁義なき戦いを繰り広げる武器であること。
この二つであった。
空気を吹き込んでも空は飛ばなかった。水を入れても空は飛ばなかった。
なら何入ってんの???
でも、あれなら空が飛べるかも知れない!!
幸久はポケットから高校入学と共に買ってもらったスマホを取り出し、検索した。そしてヒットする。
ヘ リ ウ ム ガ ス
これだぁ!!!!!
幸久は満面な笑みを浮かべて柚木を見た。柚木はまたか.....と言うような、どこか心配そうな表情をする。
「柚木!!行くぞ!!」
「.....どこに?これからスーパー行こうと思ってたんだけど......今日卵安い日だし、1人辺りの個数制限があるからゆーくんにも手伝ってぇえぇええ!!!」
「コンビニだ!!コンビニには全てがある!!」
幸久は柚木の返答を最後まで聞かずに、手を引いて走り出した。
憧れが肥大化の一途を辿った結果、コンビニを全てが揃う魔法の場所だと誤認している幸久は、コンビニへの信頼が青天井に高くなり続ける化け物になってしまっていた。
全ては田舎にコンビニがなかった弊害である。誰かこの悲しい化け物の間違いを正してあげてほしい。
5分ほど走り続けたのちにコンビニの前に到着した。
「ついたぞ!柚木!.....柚木?」
「ちょっとまって.....は、はや....速い.....」
柚木は息を切らしながら、額には青筋が浮かんでいた。
柚木の足の速さは遅くはないが、速くもない微妙なライン。田舎育ちで、幸久に連れまされた影響か、体力は一般的な女子高生に比べてある方ではあるが、流石に全力疾走に近い速度で5分も走れば息も切れ、汗もかく。
元々寄りたかったスーパーはとっくに通り過ぎてしまった。今から戻っても特売は終わっているかも知れない。
柚木は一言物申してやろうと、息を切らしたまま幸久の方を見る。
柚木が言葉を発するよりも先に幸久が行動した。
辛そうな柚木を見て、顔を青くした幸久は申し訳なさそうな顔をした。
「柚木!ごめん!俺柚木のこと考えられてなかった!!ゆるしてくれぇ!!」
幸久は柚木の両手を包み込み、顔を近づけて謝り倒す。
いつもよりも近い幸久のガチ恋距離に不覚にもキュンキュンきてしまった柚木は、怒りなど吹き飛んで、ただでさえ赤かった顔を更に赤くする。
「ごめんよゆずきぃ!!ゆるしてくれぇ!!」
「わ、わかったから!もう怒ってないから!!わかったから少し離れて!!顔がちかいよぉ!!」
幸久は焦ったように手を離し、少し距離を取る。柚木は離れていく幸久の手を名残り惜しそうに見た。
「あ......」
「熱かったか!?大丈夫か!?水いるか!?」
「だ、大丈夫大丈夫!ゆーくん、もうそんなに謝らないで?私もう気にしてないよ!!」
「ほ、本当か?よかったぁ。なら行こうぜ!!いいこと思いついたんだよ!!」
幸久は柚木に背を向けて、コンビニに歩いていった。柚木は包み込まれていた手を撫でながら、頬を赤く染めたまま、唇を尖らせて、恨めしげに幸久の背中を見た。
「.....もう.....ゆーくんはずるいんだから.....」
柚木が付いてきていないことに気がついた幸久は、振り返って言った。
「おーい!早く来いよ!!」
柚木は仕方ないと言うように微笑んだ。
「ちょっと待ってよ!!すぐいくー!」
◇
幸久はコンビニに入店して、レジに立つ少女の店員が一番最初に目に入った。
サラサラの金髪にバチボコに開いているピアスの穴、年齢は同じくらいの少女だった。
少女はゲッと言うような表情を浮かべて、幸久を見ていた。そんな少女を気にする様子もなく、幸久は少女の前に立った。
少し怪訝そうな声音で少女は尋ねた。
「.......何か御用でしょうか?」
幸久はポケットからスマホを取り出して、自信満々に画面を見せながら言った。
「ヘリウムガスとやらをくれ!!」
少女は瞳をパチクリとさせて、戸惑った様子で幸久に答えた。
「.....ありません」
「.....え?」
「取り扱っておりません」
「コンビニなのに?」
「コンビニだからです。コンビニにヘリウムガスは売っていません。」
「......なんでぇ?」
「そう言う物です。申し訳ございません」
幸久は膝から崩れ落ちた。
コンビニに、ない....だと?
ならどこにあるんだ!コンビニにないならもう世界に存在しないかも知れない!!嘘をついたなおじさん!!コンビニは何もかもが手に入るって言ってたじゃないか!!
終わった......
空よ、俺のライバルよ......すまないっ!!
崩れ落ちた幸久を呆れた様子で、どこかオロオロとしながら後ろに立っていた柚木に気がついた幸久は縋りついた。
そして今のところ柚木にしか需要のない幸久の上目遣いで柚木を見た。
母性をくすぐられた柚木は、反射的にしゃがんで幸久の頭を抱きながら、高速撫で撫でを開始する。
「よーしよしよし。ヘリウムガスなくて残念だったねぇ。欲しかったねぇ。ちょっと待っててね?私がすぐにゆーくんの欲しい物を手に入れて見せるから!!」
「うん.....うん.....ありがとうゆずきぃ....」
自分を誰かわかっていない様子の幸久と、気づいてはいそうな柚木を見て、少女は少し焦っていた。
そのせいで、少しばかり棘のある態度をとってしまった少女は、幸久に謝ろうとしたところで、やめた。
話したことがないから、よくわからない幸久。
その幸久と会話している最中、ハイライトの無い瞳ジッと自分を見つめてきた柚木。
そんな2人が目の前で、幸久は柚木に縋りつき、柚木は幸久をひたすら撫でている。
このよくわからない状況に脳のキャパシティがブッチした少女はただ、呆けて固まっていた。
少女の名前は白咲アリサ、幸久と柚木の同級生、そして同じクラスの人間であった。
◇
柚木がヘリウムガスの売っているお店を調べてくれて、無事買うことのできた幸久はホクホク顔でソファに座っていた。柚木は鼻歌を歌いながら夕食を作っている。
早速風船にヘリウムガスを流し込み、空飛ぶ風船を作っていく。
結び目に紐を括り付けて、あの日見た風船を1つ再現した。
その風船を目を輝かせて見る幸久の姿を微笑ましげに柚木は眺めていた。
あとは完成を待つだけとなった柚木はエプロンで濡れた手を拭いながら幸久の側に向かう。
「よかったねゆーくん!その風船で何するの?」
「飛ぶんだ!」
和やかな雰囲気が消し飛び、静寂が部屋を支配した。
「え?.....まってまって、今なんて言ったの?」
幸久は立ち上がり、胸を張って柚木に言った。
「飛ぶんだよ!!俺ならいける!!」
柚木は昔の記憶が蘇り、顔を青ざめさせた。
「え、あ!ダメだよゆーくん!昔飛ぼうとして足の骨折ったじゃん!危ないよ!やめよ?ね?」
「大丈夫だ!あの頃に比べて筋肉もあるし、風船も傘もある!!後は気持ちの問題だ!行くぞ!!今日こそ俺は空を支配する!!」
訳のわからない理論に唖然としている柚木を見て、納得してくれたんだな。と見当違いのことを考えた幸久は窓を開けて、そのまま外に飛び出してしまった。
柚木は茫然と幸久の背中を見送ってしまう。
首を横にブンブンと振って、急いで幸久を追った。
外に出て辺りも見渡すけれど、幸久の姿がない。
どこ!?どこに行ったのゆーくん!!
すると、頭上から笑い声がした。
.......まさか!!
家の屋根を見る。そこにはどうやって登ったのかわからない幸久の姿があった。星の輝く空を見上げながら、高笑いしている。
柚木は手をブンブンと振りながら、幸久に至極真っ当なことを言った。
「降りなさいゆーくん!!危ないでしょ!!」
「柚木!!見てろ!俺が空を飛ぶ姿を!!目に焼き付けろ!!」
「無理だったらどうするの!!て言うか絶対無理だよ!!また骨折れちゃうよ!!」
「大丈夫だ!!俺はあの頃とは違う!!」
「体が大きくなっただけじゃん!!絶対痛いよ!!!!」
幸久には秘策があった。
それはかの有名な『五点着地』である。
あの日、あの苦い思い出の日から幸久は諦めていなかった。
何度も母に頼み込み、挑戦しようとしたが、2階の窓に犬用の柵を取り付けられ、越えたらご飯抜きと言われてしまった。
だからできなかったが、それでも頭の片隅にはいつも空があった。
そして、柚木の涙も頭には浮かんでいた。
自分が怪我をしたせいで泣かせてしまった柚木の表情、泣かせないためにはどうするべきか?
幸久は柚木の泣き顔なんて見たくなかった。
が、空も諦めたくない。
幸久は悩んだ。悩んで悩んで、知恵熱が出るまで悩み続けた。柚木に看病してもらいながら悩んだ。
そして辿り着いた。とてもシンプルな一つの答えに
受け身取ればいいんじゃね?
思い至ったが吉日、その日から幸久は受け身の訓練を重ね続けた。
来る日も来る日も家のソファから飛び降りて、受け身を取る毎日。
それは辛く険しい道のりだった。毎日失敗し、体を痛め、柚木を心配させる日々。それでも諦めなかった幸久に勝利の女神が微笑んだ。
身につけたのだ。受け身の極意
五⭐︎点⭐︎着⭐︎地!
辛く厳しい日々によって、幸久は絶対の自信と、揺るぎない自負を身につけた。
俺の受け身は完璧だ!俺は受け身だけで宇宙を支配できる!多分!!
なら、俺が空を飛べない道理はない!!
幸久は折り畳み傘をバッと開いて、先端に風船の紐を括り付ける。
あまりの完璧な出来栄えに満足そうに頷いた。
完璧だ!!
空に集中する。柚木が手を振りながら何かを叫んでいるが、多分応援してくれているのだろう。柚木に向かって渾身のサムズアップを見せる。
俺に任せとけ柚木!!
俺が.....俺が本物の!!
「鳥マンだぁぁあああ!!!」
幸久は広大な空へと足を踏み出した。
ふわりとした浮遊感、世界の流れを全身に感じて、全能感が頭を支配した。柚木と月と星々が輝いて、幸久を見つめていた。
飛べた!俺は飛べた!遂に俺は大空を支配した!!俺が鳥マンだ!!
どうだ見たか、カラスのコンチキショウ!!いつもいつも自慢するみたいに鳴きやがって!!まだお前にフン落とされたの忘れてねぇからな!!
もう空はお前のフィールドじゃねぇぞ!!
もちろん飛べるわけもなく、あの日と同じく重力に従って体が下に向かって飛び始めた。
くそ、まだダメなのか!!くそぉ!!
幸久は咄嗟の判断で傘を放り投げ、五点着地の準備を行う。この間まさに0.01秒。
人間の反応速度の限界なんぞ知るかと言わんばかりの反射だった。
近づいてくる地面がスローモーションに見える。幸久は覚醒していた。
足先から着地し、脛、尻、背中、肩の順番でスムーズに接地させて、転がるように地面に衝撃を逃す。そして新体操の選手のように両手を天高く突き上げた。
完璧な五点着地に思わず拍手しそうになった柚木はすぐに正気を取り戻し、幸久に走って近づいて、抱きしめてからペタペタと体中をさわる。
「だ、大丈夫ゆーくん!!怪我はない!!?痛いところない!?どうしようどうしよう!!ゆーくんが怪我しちゃう!!」
「落ち着け柚木!!見てたろ俺の完璧な受け身を!!怪我はない!.........だが、今回も空を飛べなかった。風船が足りなかったのか?もっと買わねぇと......よし!柚木いく....ぐぇ」
1人でまた暴走しそうな幸久に柚木は頭をペシッと叩いたあと、瞳に涙を浮かべながら強く抱きしめた。
「心配したんだから.....いっつも心配かけて!!ゆーくんのおばか!!今日はご飯抜きだから!!」
幸久はワナワナと体を震わせて、柚木に焦ったように言った。
「ご、ごめんよ柚木!!何が駄目だったんだ!?着地がまだ下手だったのか!?ゆずきぃ、機嫌を直してくれよぉ!!ご飯抜きだけは勘弁してくれよぉ!!!」
柚木は幸久を抱きしめたまま、ぷいっとそっぽを向いた。
「ゆーくんなんて知らない!!」
住宅街に1人の男の情けない叫び声が響き渡った。
なお、夕食は食べさせてもらったそうな。代償としてハグ1時間を要求された幸久は、不思議そうな顔をしながら柚木を抱きしめて、テレビを見ていた。