転生したらウィーズリー家の庭小人だった件〜ぶん投げ人生にさよならを〜 作:kobu015
風が、止んだ。
低く垂れこめた灰色の雲が、夕暮れのわずかな光まで呑み込んでいく。あたりはもう、夜と見紛うほどに暗い。枯れかけた下草が、かさり、かさりと、何かに怯えるように鳴っていた。
世界そのものが、息をひそめている。
その静寂の中心で、二つの影が対峙していた。
一方は、闇を縫い合わせたような、黒いマントをまとっている。深く被ったフードの奥で、落ちくぼんだ双眸だけが、ぎらりと光った。
向かい合うもう一方は、一歩も退かぬとばかりに背筋を伸ばし、まっすぐ杖を構えている。その肩は、小刻みに震えていた。恐怖か、それとも、怒りか。
「逃げも隠れもせぬとは……愚かなり」
黒衣の影が、地の底から這い上がるような、しわがれた声で告げた。
「我が名は、口にするだけで災いを呼ぶもの。世界は震え、母は子を抱きすくめ、泣く子さえも口をつぐむ……そう、人々から、恐れられし——」
ごくり、と、対する影が唾を呑む。
俺も、思わず固唾を呑んでいた。
来る。あの名が。誰もが口にするのを恐れた、闇の帝王の、忌まわしき名が——
「グランポ様じゃあ!!」
……は?
「おじいちゃん! 名前! 名前言っちゃってるよ!!」
向かいの影が、素っ頓狂な声で叫んだ。
闇の帝王——もとい、グランポは、しわだらけの顔をきょとんとさせて、こてんと首をかしげた。
「ん? わしの名前は秘密じゃったか?」
「秘密だよ! “名前を言ってはいけないあの人”なんだから!」
「おお、そうじゃった、そうじゃった。ふぉっふぉっ……で、わしは誰じゃったかのう?」
「いや、それ今いちばん言っちゃいけないやつ!」
張りつめていた空気が、ぐにゃりと音を立てて崩れた。
俺は、近くのキノコの陰から、その一部始終を眺めていた。
眺めながら、額に手を当てて、長い、長いため息をついた。
……まただ。今日も、始まってしまった。
念のために言っておくと、ここは戦場でも何でもない。
イギリスの片田舎にある、とある一家の、ただの庭だ。
そして、決闘していた二人は、勇ましい戦士でも、闇の帝王でもない。
ジャガイモみたいな頭をした、小さくて、硬くて、知能の低い——庭小人だ。
背丈は人間の膝にも届かない。せいぜい三十センチほどの、ちっぽけな生き物である。
かく言う俺も、その庭小人の一匹である。
俺には、前世の記憶がある。
前世の俺は、ごくありふれた人間だった。どこにでもいる、本好きの。とりわけ、とある魔法学校を舞台にした物語が好きで、一巻から最終巻まで、表紙が擦り切れるほど読み込んだ。
その俺が、どういう因果か、目を覚ましたら庭小人になっていた。
しかも、ただの庭ではない。
俺が住み着いてしまったのは——よりにもよって、あの物語に出てくる、赤毛の一家の庭だったのだ。
(控えめに言って、頭がおかしくなりそうだった)
最初の数日は、夢か現実かを疑うので忙しかった。
だが、疑っている暇は、すぐになくなった。
なぜなら、この庭の同胞たちが——とにかく、馬鹿だったからだ。
「名を名乗れ、生き残った小人よ!」
グランポにそう促され、勇者役の庭小人が、枝を高々と掲げて胸を張った。
「俺の名前は……ハリノ・ポターだァァァ!!」
(……ハリノ・ポター)
俺はキノコの陰で、声に出さずに繰り返した。
ハリー・ポッターじゃなくて、ハリノ・ポター。
絶妙に間違っている。惜しい。惜しいが、確実に違う。そして本人は、これ以上ないほど誇らしげだ。
「くらえ、闇の帝王! 必殺の呪文——エクスペクト・トマトナム!!」
ハリノ・ポターが、渾身の力で枝を振り抜いた。
(守護霊の呪文をもじってトマトにすんな。それはもう料理だろ)
「ぐあああっ!? トマトの直撃……っ、わしの腰が……ぬぅおおおおっ!」
「おじいちゃん大丈夫!? なんでトマトで腰いってるの!?」
「これが……闇の帝王の弱点……完熟トマト……っ」
「設定が、設定がどんどん増えてくよ!」
俺は、もう一度ため息をついた。
吐いても吐いても、ため息が尽きない。この庭に来てから、俺の肺活量は確実に上がっている。
——と。
「よお、新入り。何ボーッとしてんだ?」
横から声をかけられた。
耳の大きな庭小人が、帽子を目深に被って、にやにや笑っている。スピナーだ。声はいつもひそひそ。話す内容は、いつも、だいたいどうでもいい。
「……お前らが、何してんのかと思ってな」
「知らねえのか? これは今、庭で大流行してる遊びさ。“名前を言ってはいけないあの人ごっこ”だ」
スピナーは、もったいぶって声を落とした。
「いいか、よく聞け。昔々、それはそれは恐ろしい闇の魔法使いがいた。だが、たった一人の赤ん坊に、そいつは倒されちまったんだ。その赤ん坊こそ——“生き残った男の子”さ」
(……知ってる。めちゃくちゃ知ってる。前世で何度も読んだ)
「ほう。で、その情報、どこで仕入れたんだ?」
「ふっ、聞いて驚け。物置の隅で、見つけた、新聞だ」
スピナーは、自慢げに胸を張った。
俺は、その新聞とやらを、ちらりと見た。
泥まみれの、ボロボロの切れ端。かろうじて読める見出しには、こう書いてあった。
『例のあの人、ついに倒れる! 生き残った男の子に魔法界が歓喜!』
そして、日付。
……十年前のものだった。
(十年前の新聞を、今さら掘り出して、今さら盛り上がってるのか、こいつら)
「な、すごいニュースだろ? つい最近の出来事だぜ」
「十年前だよ、それ」
「……は?」
「十年前の新聞だ。お前が今わくわくしてるニュース、世間はとっくに知ってる」
スピナーは、しばらく固まったあと、「まあ細けえことはいいだろ」と、聞かなかったことにした。庭小人に「最近」の概念は、たぶん存在しない。
「それにな、もっとすごい話があるんだ」
スピナーは、めげずに続けた。
「この家の末の息子……ロンっていう赤毛の坊主がいるだろ。あいつが今度、魔法学校に行くんだとさ。そんでな——なんと、その“生き残った男の子”も、同じ年に同じ学校へ入学するらしいぞ! 人間どもが、台所でそう話してた」
(それは……たぶん、最近の話だな)
俺は、内心で頭を抱えた。
十年前のニュースと、ついさっき小耳に挟んだ噂。
それが庭小人の頭の中で、ぐちゃぐちゃに混ざり合った結果——「生き残った男の子ごっこ」、改め「名前を言ってはいけないあの人ごっこ」が、十年遅れで、この庭に大流行しているというわけだ。
もう、ツッコミどころが渋滞している。どこから手をつければいいのか、わからない。
「だからみんな、あの伝説の戦いを再現してるってわけよ。なあ、お前もやらないか?」
「遠慮しとく」
俺がそう言っている間にも、ごっこ遊びは、いよいよカオスの様相を呈していた。
石ころを握ったままのグリットが、「この石が伝説の杖だ!」と割り込んできて、ハリノ・ポターと杖の所有権をめぐって取っ組み合いを始めた。
ポルカは「勝った方の祝勝会だー!」と、勝負がつく前から勝手にミミズを焼き始めている。
ノロウは、いつの間にか戦線から消えていた。たぶん、また迷子だ。
チップスは、腰に巻いた縄を使って「必殺・闇の帝王ぐるぐる巻きトラップ」とやらを地面に仕掛けている。誰のためのトラップなのかは、本人もわかっていないと思う。
そしてロックは、なぜか一人で「俺の石頭こそ最強の盾!」と叫びながら、近くの木に頭突きを繰り返していた。木のほうが、かわいそうだった。
(地獄か? ここは庭の皮を被った地獄なのか?)
もはや戦いでも演技でもない、ただのカオス。
俺が、何度目になるかわからないため息をつこうとした、その時だった。
——ガチャ。
家の勝手口が、開いた。
ぴたり、と庭小人たちの動きが止まる。全員が、いっせいに同じ方向を見た。
逆光の中に、ふくよかな人影。エプロン姿の、この家の母親——モリー・ウィーズリーだ。
「あらあらあら。また庭小人が、こんなに湧いて……。ロンの出発前に、ちょっと片づけておかないとね。フレッド! ジョージ! 手が空いてるなら、庭小人退治を手伝ってちょうだい!」
俺の血の気が、すっと引いた。
来た。あれだ。庭小人退治(ディ・ノーミング)だ。
ところが——だ。
恐怖に凍りついたのは、この庭で、俺ただ一人だった。
「うおおおおッ! 来た来た来た!」
「待ってました! ぶん回しの時間だァ!」
「今年こそ、最遠飛距離記録を更新するぞーッ!」
同胞たちは、目を輝かせ、こぶしを突き上げ、歓声をあげていた。
(なんで……なんで喜ぶんだよ……!)
これが、俺がこの庭で最初に直面した、最大の謎だった。
庭小人退治というのは、要するに害獣駆除だ。人間が俺たちをつかまえ、ぐるぐる振り回し、目を回させて、生垣の向こうへ放り投げる。控えめに言って、暴力だ。
なのに、うちの同胞ときたら、これを年に数度の大運動会か何かだと思っている。遠くへ飛ばされるほど名誉、という、わけのわからない価値観すらある。
二人の赤毛が、にやにやと、まったく同じ顔で笑いながら駆けてきた。フレッドとジョージ。この家の双子だ。
「よーし、今日も豊作だな!」
「端から順番にいくぞ、ジョージ!」
庭小人たちが、われ先にと双子の前に並び始める。
順番待ちの列まで、できている。地獄の遊園地のアトラクションみたいだった。
「さあ新入り、お前も並べ」
背後から、ぐっと襟首を掴まれた。チップスだ。
「お、おい、待て。俺はやらないって——」
「何を言う。庭小人たるもの、ぶん回されて一人前だ。お前のデビュー戦、みんな楽しみにしてるんだぞ!」
「楽しみにすんな! 誰も望んでねえそのデビュー!」
抵抗もむなしく、俺はずるずると列の先頭へ押し出された。
目の前には、にっこり笑うジョージ(たぶん)。その手が、ゆっくりと伸びてくる。
「お、新顔だ。よろしくな」
ぐいっ、と足首を掴まれた。
「うわ、待て待て待て——!」
「はい、いってらっしゃーい!」
次の瞬間、世界が回り始めた。
ぐるん。ぐるん。ぐるんぐるんぐるんぐるん。
空と、庭と、物干し竿と、赤毛と、笑う庭小人どもが、ぜんぶ混ざってミキサーになる。三半規管が悲鳴をあげ、胃の中身がせり上がってくる。
(目が、目がまわるうううう!)
「記録更新、いけるか――!?」
「せーのッ……それッ!」
手が、離れた。
俺の体は、晩夏の灰色の空へと、勢いよく放り出された。
生垣を越え、雲を見上げ、ただの土くれと化して、ぐるぐる回りながら飛んでいく。
(人生で……いや、小人生で……こんな飛び方をする日が、来るとはなァ……!)
遠ざかる赤毛の家。歓声。
そして俺は、思い出す。
この家の、あの双子の片割れが、いつか——遠い未来の戦いで、命を落とすことを。
俺は、それを、知っている。
知っているのに、今はただ、生垣の向こうへ、見事な放物線を描いて飛んでいくことしか、できない。
——ごつん。
石頭から、茂みに着地した。
土と、葉っぱと、見知らぬ虫と一緒に、俺は仰向けに転がって、空を見た。
遠くから、同胞たちの、のんきな声が聞こえてくる。
「新入り、初飛行で八メートル! 最遠記録は十五メートルだが、初飛びにしちゃ、なかなかだ!」
「でもあれ、頭からいったよな」
「石頭でよかったね〜」
……よくない。まったく、よくない。
俺は、痛む頭をさすりながら、のろのろと起き上がった。
そして、自分の巣穴へ帰ろうと、よろよろ歩き出した、その時。
「あれぇ〜……?」
茂みの奥から、間延びした声がした。
見れば、くしゃくしゃ頭の庭小人が、きょろきょろとあたりを見回している。ノロウだ。さっき戦線から消えていたのは、やっぱりこいつだった。
「君〜、ちょうどよかった〜。あのね〜、僕の巣穴がね〜、どっか行っちゃったんだ〜」
「巣穴は動かない。お前が迷子なんだよ」
「えぇ〜? そうかなぁ〜。でもさっきまで、ここにあった気がするんだよね〜……たぶん、夢だったのかも〜」
「夢で巣穴に住むな」
ノロウは、俺のツッコミなどどこ吹く風で、のんびりと空を見上げた。
「ねえねえ〜。君ってさ〜、なんか、難しい顔してるよね〜。さっきも、ぶん回されて、怒ってたしさ〜。ちゃんと、巣に帰ろうとするしさ〜」
「……それが普通なんだよ」
「ふぅん〜。庭小人なのに、変なの〜」
悪気のかけらもない顔で、ノロウはそう言って、けらけら笑った。
俺は、何も言い返せなかった。
たしかに——この庭で「普通」を気にしているのは、たぶん、俺だけなのだ。
結局、俺はノロウの巣穴探しに付き合わされ、見つからず、なし崩しに自分の巣穴へ二人で潜り込むことになった。なぜそうなったのか、自分でもよくわからない。
灰色の空の下、赤毛の家からは、まだ笑い声が漏れてくる。出発前の、慌ただしくて、あたたかい、あの家の音だ。
こうして、俺の——庭小人としての、ぶん投げ転生ライフが、幕を開けた。
なんでこんなことになったのかは、わからない。
これから何をすればいいのかも、わからない。
でも、ひとつだけ、確かなことがある。
うちの庭小人たちは、思っていたより、ずっと馬鹿だった。
……そして、もうひとつ。
俺はたぶん、この馬鹿で、あたたかい仲間たちを——いつか、本気で守りたくなる。
そんな予感が、石頭の奥で、ほんの少しだけ、した。