転生したらウィーズリー家の庭小人だった件〜ぶん投げ人生にさよならを〜   作:kobu015

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第2話 生き残った男の子

 俺がこの庭に転がり込んでから、最初の秋と冬と春が過ぎ、季節はふたたび夏を巡らせた。あの“ハリノ・ポターごっこ”の騒ぎから、もう一年が経っていた。

 そしてその夏、隠れ穴の庭には、朝から最悪の予感が満ちていた。

 最悪の予感、というのは、あくまで俺にとっての話だ。同胞たちはむしろ、この日を心待ちにしている。人間にとっては、ただのよく晴れた庭掃除日和でしかない。

 

「総員、整列ーッ! 今日はぶん回しの日だぞーッ!」

 

 チップスが腰の縄や針金をじゃらじゃら鳴らしながら触れ回ると、庭小人たちが巣穴からぞろぞろ這い出してきて、なぜか嬉しそうに列を作り始めた。

 俺は自分の巣穴の入り口で、頭を抱えた。

 

(なんで……なんで自分から並ぶんだよ、お前ら……)

 

 念のため、もう一度言っておく。俺は前世の記憶を持った転生庭小人だ。本好きのありふれた人間だった俺は、ある日気づいたら、よりにもよって愛読していた魔法物語の赤毛一家の庭で、ジャガイモ頭の害獣になっていた。まったく、理不尽な話である。

 

 そして、その日はいつもと少し違った。

 前の晩、月の高い夜空を、轟音とともに何かが横切っていったのだ。青いおんぼろの自動車――フォード・アングリアが、ふらふらと飛んで隠れ穴へ降りていった。

 空飛ぶ車に乗ってくる客。それが誰なのか、俺には嫌というほど見当がついていた。

 

「おい、見ろよ新入り!」

 

 翌朝、列の隣でスピナーが帽子を押さえて興奮していた。

「ゆうべ、すごいのが来たんだぞ。空飛ぶ車だ。乗ってきた客が、今この家に泊まってる。俺の見立てじゃ、ただの客じゃない。大物だ。たぶん」

「たぶんで大物を語るな」

「いいや確信がある。ゆうべ星が、いつもより三つ多かったからな」

「星の数と来客に、何の関係があるんだよ」

 

 俺がそうツッコんでいる、ちょうどそのとき。勝手口の扉が開いた。

 寝癖だらけの赤毛――この家の末の息子ロンが、あくびをしながら出てくる。その後ろから、もう一人。痩せっぽちの黒髪の少年。丸い眼鏡。そして前髪の下に、稲妻みたいな傷。

 

 ……やっぱり、か。

 

(あの寝癖頭の隣。あの傷、あの丸眼鏡。見間違えるわけがない。前世で何百回、目にしたと思ってるんだ)

 

 ゆうべの予感は、的中していた。あの少年こそ、物語の主役――ハリー・ポッター、その人だった。

 頭ではわかっていた。覚悟もしていた。それでも、いざ本物を目の前にすると、心臓が妙に跳ねるのを抑えられなかった。

 

「な、言っただろ。大物だ」

 スピナーが得意げに鼻を鳴らした。

「お前、あれが誰だかわかって言ってるのか」

「いや全然。でも、なんかオーラがある。たぶんすごいやつだ」

「……まあ、間違ってはいない」

 

 くだらない話をしている間にも、事態は最悪の方向へ進んでいた。

 というのも、いつだったか、俺たち庭小人はよりにもよってこいつのごっこ遊びをしていたのだ。ハリノ・ポター。エクスペクト・トマトナム。グランポ様じゃあ。その伝説の(笑)主人公が、いま本物として目の前に立っている。しかも今から、俺たちをぶん投げに来た。

 

「あらあらあら。また庭小人がこんなに湧いて……」

 勝手口からエプロン姿のモリーが顔を出し、庭を見渡してため息をついた。

「ちょうどいいわ。ロン、ハリーに庭小人退治を教えてあげなさいな。フレッド、ジョージ、あんたたちも手伝って!」

 

 俺の血の気がすっと引いた。来た。庭小人退治だ。

 だが、恐怖に凍りついたのは、例によって俺ただ一人だった。

 

「うおおおッ! ぶん回しの時間だァ!」

「待ってました! 今年こそ最遠記録だ!」

「新しい投げ手が来たぞ。楽しみだな!」

 

(投げ手を品定めするな。お前らは投げられる側だろうが)

 

 ロンがいかにも先輩面でハリーに教えている。しゃがんで足をつかみ、ぐるぐる回して目を回させ、生垣の外へ。ハリーは「こんな小さいのを本当に?」とでも言いたげな顔で、ちょっと気の毒そうにこっちを見ていた。

 

(そうだぞハリー・ポッター。お前はわかってる。こんなの可哀想だろ。モリーにやめようって言ってやれ)

 

 俺の声なき祈りもむなしく、最初の犠牲者が出た。石を握りしめたグリットが、なぜか自分からロンの足元へてくてく歩いていったのだ。

 

「ぎゃー! でもこの石は絶対に離さないぞーッ!」

「いや、なんで握りしめてんだよ」

 

 ぶんぶんぶん、ひゅーん。グリットは握った石ごと、きれいな弧を描いて生垣の彼方へ消えた。

 

「すげえ、今ので十メートルはいったぞ!」

「石の分、重かったから飛距離出たな。戦略的だ!」

 

(戦略じゃない。ただ重いだけだ。誰かこの狂った競技大会を止めてくれ)

 

 次にハリーがおっかなびっくり一匹をつかむと、その庭小人がハリーの指にがぶりと噛みついた。

 

「いてっ」

 ハリーが顔をしかめると、ロンがこともなげに言った。

「ああ、噛みつくぞそいつら。歯がけっこう鋭いからな。容赦しなくていい。パパはあいつら“面白い”とか言って甘いんだけどさ。ママに言わせりゃ、ただの害虫だよ」

 

 ……ほら、出た。

 俺は心の中で深くうなずいた。パパは面白がって甘い、ママは害虫扱い。この家の庭小人に対する“温度差”を、俺はちゃんと知っている。

 

 そしてその「面白がっている」当の本人が、庭の隅にいた。眼鏡をかけた痩せた父親――アーサー・ウィーズリーだ。退治を手伝うでも止めるでもなく、ただ腕を組んで、飛んでいく庭小人たちをにこにこと心底楽しそうに眺めている。

 

(なんだあのおっさん。一人だけ、こっちを“害獣”じゃなく“見もの”って顔で見てるぞ)

 

 まるで珍しい虫を観察する子どもみたいな目だった。

 

 その間にも退治は続く。ポルカが「景気づけだー!」と自分から躍り出てミミズ串ごと放り投げられ、ロックは「俺の石頭の硬さを見せてやる!」とジョージの手に頭突きをかまして、かえって痛がられていた。ハリーの手つきも、三匹四匹と投げるうちにだんだん様になってくる。

 

(応援するな。お前らが投げられてるんだぞ。被害者が加害者を育てるな)

 

 そして、とうとう俺の番が来た。

 逃げようとした。本当に逃げようとしたんだ。だが庭小人の足は短すぎる。雑草に足を取られた俺の襟首を、後ろからチップスがむんずと掴んだ。

 

「新入り! お前も行け! 相手はあの“生き残った男の子”だぞ。光栄に思え!」

「いらねえよそんな名誉ッ!」

「いいから行ってこーい!」

 

 ずるずると列の先頭へ押し出される。目の前には黒髪の少年。その手がゆっくり伸びてくる。

 

「……ごめんね」

 

 あの優しい顔で、心底申し訳なさそうに、そう言った。

 

(うわ、目が合った。本気でごめんって顔してる。律儀かよ。性格までいいのか)

 

 ぐいっと足首を掴まれた次の瞬間、世界が回り始めた。

 ぐるんぐるんぐるん。青い空と緑の生垣、笑う赤毛と庭小人どもが、遠心分離機にかけられたみたいに溶け合っていく。耳元で風がごうごうと鳴り、胃の中身がさかさまにせり上がってくる。

 

(律儀に謝ったくせに手加減はゼロかァァァ!)

 

「いっけえええッ!」

 

 手が離れ、俺は夏の青空へ放り出された。生垣を越え、ただの土くれと化して、ぐるぐる回りながら飛んでいく。

 飛びながら俺は思い出していた。この痩せっぽちの少年がこれからどんな運命を背負うのか。そして、この笑い声に満ちた家からいつか何が失われるのかを。俺は知っている。知っているのに、今はただ生垣の向こうへ放物線を描いて飛ぶことしかできない。

 

 ――ごつん。

 石頭から茂みに着地する。土と葉っぱと見知らぬ虫と一緒に、俺は仰向けに転がって夏の空を見上げた。

 口の中が土の味でいっぱいだった。鼻の奥がつんとして、間の抜けたくしゃみがひとつ出る。前世では一生味わうことのなかった、土くれの味だ。それでも不思議と、惨めさはどこにもなかった。

 

 よろよろと巣穴へ戻る途中、先に飛ばされていたスピナーと合流した。帽子が土まみれだった。

「見たか新入り。本物の“生き残った男の子”だ。あいつに直々にぶん投げてもらえるなんて、光栄なことだぞ。……ところでお前、あいつの名前わかってるのか」

「ハリノ・ポターだろ」

「微妙に違う。本物を目の前にしても、まだ間違えるのか」

 

 スピナーは「細けえことはいいだろ」と聞かなかったことにした。こいつの中では、本物より拾った古新聞のほうがいつだって正しいのだ。

 

 生垣の向こう、赤毛の家からはまだにぎやかな笑い声が漏れてくる。

 優しい顔で全力でぶん回してくる少年も、害獣を面白がって眺める変な父親も。俺はたぶん、この家のことを知りすぎているのだ。

 それにしても、と俺は茂みの中で思う。

 まさか、本物のハリー・ポッターに、直々にぶん投げられる日が来るとは。前世の俺は、こいつの物語を、夢中になって読んだ。困難に立ち向かう姿に、何度も胸を熱くした。憧れた。ページの向こうの、決して手の届かない英雄だった。

 その英雄が、今や、すぐ手の届く――というより、文字どおり俺をその手でつかんで放り投げる距離にいる。しかも、害獣を投げることに、いちいち「ごめんね」と謝るような、根の優しい少年として。

 物語の中では伝わりきらなかった、その不器用な優しさに触れて、俺はなんだか、無性に泣きたくなった。同時に、心の底から思った。

 この少年の物語の結末を、俺は知っている。その途中にある、たくさんの痛みも、失われる命も。――もし、ほんの少しでも変えられるなら。たとえ庭小人の身でも、何かできるなら。

 まだ漠然とした、形にもならない思いだった。けれどその種は、この夏の朝、確かに胸の奥に蒔かれたのだ。

 

 いつか、この少年を。この一家を。守れる日が来るだろうか。庭小人の、ちっぽけな身で。

 答えはまだ、どこにもなかった。ただ、痛む石頭の奥で、小さな火が灯ったような気がした。それが何なのか、この時の俺には、まだうまく言葉にできなかったけれど。

 

 そしてその時はまだ知らなかった。あの好奇心に満ちたまなざしが、ずっと先の未来で、俺の運命をほんの少しだけ変えることになるなんて。

 その日の夕暮れ、俺は土まみれの石頭をさすりながら、もう一度あの賑やかな家の笑い声に耳を澄ませた。ハリーの声も、ロンの声も、双子の声も。みんな、まだ何も知らずに、ただ笑っている。その平和な音が、なぜだか、たまらなく愛おしかった。

 この音を守るために、自分に何ができるのか。その問いの答えを、俺はこれから、ずいぶんと長い時間をかけて、少しずつ、手探りで、探し続けていくことに、なるのだった。

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