転生したらウィーズリー家の庭小人だった件〜ぶん投げ人生にさよならを〜 作:kobu015
その朝も、ハリー・ポッターは早くに目を覚ました。
早起きには慣れている。ダーズリーの家では毎朝、誰よりも先に起きて朝食の支度をさせられていたからだ。ベーコンを焦がせば叱られ、卵の焼き加減が悪ければため息をつかれる。十年以上、そういう朝を過ごしてきた。
けれど、その朝は何かが違った。誰にも叩き起こされていないのに、自然と目が開いた。そして起き上がるのが、少しも億劫ではなかった。そんな朝は、生まれて初めてだった。
ハリーは、見慣れない部屋の天井をしばらく見上げていた。
ここはダーズリー家ではない。プリベット通りの、物置みたいに狭い部屋でもない。窓に鉄格子もない。
ゆうべ、ロンと双子が空飛ぶ車で迎えに来てくれたのだ。ダーズリーが嵌めた鉄格子を、フレッドとジョージが車の力で軽々と引きちぎったとき、ハリーは胸の奥が震えるのを感じた。
誰かが、自分のために来てくれる。鍵のかかった窓を、力ずくでこじ開けてくれる。それがどれほど特別なことか――猫の出入り口から冷えたスープを差し入れられて暮らしていたハリーには、痛いほどよくわかった。
窓の外に広がるのは、不格好に増築を重ねた家と、雑草だらけの庭だった。
まるで子どもが積み木を縦に積み上げたような、何階建てなのかも怪しい家。魔法でかろうじて立っているとしか思えない。あちこちで鶏が鳴き、物干しには大きすぎるセーターが何枚も揺れている。お世辞にも整っているとは言えない。
それでもハリーには、その景色が、これまで見たどんな立派な屋敷よりも美しく思えた。
階下では、もうウィーズリー一家が動き始めていた。
ハリーが台所に降りていくと、むっとするほど温かい空気と、焼ける食べ物の匂いが押し寄せてきた。エプロン姿のウィーズリーおばさんが鍋をかき混ぜながら、誰かを叱り、誰かを呼び、ハリーを見るなり「あらハリー、ちゃんと食べなきゃだめよ、痩せすぎだわ」と、皿に山のようにソーセージを盛りつけた。
壁には変わった時計がかかっていた。文字盤に数字はなく、代わりに「家」「学校」「仕事」「移動中」「迷子」といった文字が並び、家族の数だけある金色の針が、それぞれの居場所を指している。今はほとんどの針が「家」を指していた。
落ち着かないほど賑やかだ、とハリーは思った。そして、これが家族というものなのか、とも思った。怒鳴り声と笑い声が、同じ熱量でぶつかり合っている。ホグワーツで魔法には慣れたつもりだった。けれど、魔法がこんなふうに暮らしの中へ当たり前のように溶け込んでいる家を見るのは、また別だった。
食卓の端では、ウィーズリーおじさんが新聞を脇に置き、目を輝かせてハリーに身を乗り出してきた。
「なあハリー、マグルの話を聞かせてくれないか。あの……ぷらぐ、というのかね。気電を通すという、あれ。いったいどういう仕組みなんだ?」
おじさんは、ガレージにマグルの道具を溜め込んでいるらしい。プラグや電池を、まるで宝石のように大切に並べているのだという。
ハリーはうまく説明できなかった。けれど、おじさんは一つひとつのつたない答えに、心底感心してうなずいてくれた。誰かが自分の話を、こんなに嬉しそうに聞いてくれるのも、初めてだった。
「さあ、朝ごはんの前に、庭小人退治を済ませちゃいなさい!」
ウィーズリーおばさんのその一言で、ハリーは庭へ連れ出された。
庭小人、という言葉を、ハリーは知らなかった。てっきり、とんがり帽子をかぶった置物の小人を片づけるのだとばかり思っていた。
違った。
草むらからのそりと現れたのは、ジャガイモのような頭をした、小さな生き物だった。ずんぐりとして、革のような硬い肌をして、存外すばしっこい。ハリーが近づくと、つぶらな目でこちらを睨み、雑草の根をかじりながら巣穴へ逃げ込もうとする。
「放っておくと庭じゅうに穴を掘るんだ」とロンが言った。「害獣だよ。やり方は簡単さ。足をつかんで、ぐるぐる回して、目を回させて、生垣の向こうにぶん投げる。それだけ」
ハリーは最初、ためらった。
こんな小さな生き物を力ずくで放り投げるなんて、あんまりな気がした。ダーズリーに物置へ押し込められていた頃の自分が、ふと重なったのかもしれない。
だが、おそるおそるつかまえた一匹に、思いきり指を噛まれて、その遠慮はあっけなく吹き飛んだ。歯が、驚くほど鋭い。
「言っただろ、容赦しなくていいって」
ロンが笑った。フレッドとジョージは飛距離を競い合い、「今のは十メートルだ」「いや、十二はいった」と本気で言い争っている。
「パパはあいつら“面白い”とか言って甘いんだけどさ。ママに言わせりゃ、ただの害虫だよ」
くだらない。馬鹿馬鹿しい。
なのに、なぜだろう。気づけばハリーは笑っていた。腹の底から、声を上げて。
ホグワーツでもない、ダーズリー家でもない、ただの朝の庭で。意味のないことを、家族の一員として一緒にやっている。叱られもせず、邪魔者扱いもされず、ただ「ハリーもやってみろよ」と肩を叩かれて。
それが、たまらなく嬉しかった。涙が出そうになるほどに。
やがて手つきにも慣れて、ハリーは最後の一匹をつかみ上げた。
その瞬間――気のせいだろうか。
その庭小人が、ほんの一瞬、まるで「人」のような目で、こちらを見上げた気がした。怯えでも怒りでもない、もっと複雑な――まるでハリーのことをずっと前から知っていて、その行く末を案じているような、そんなまなざしだった。
「ごめんね」
なぜか、そう声をかけてしまった。相手は、ただの害獣なのに。
そしてハリーはその一匹を、できるだけ優しく生垣の向こうへと放った。きれいな弧を描いて、小さな影が飛んでいく。
土の上に落ちた拍子に、小さな悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、すぐに賑やかな朝の音にかき消えた。
庭小人退治が終わると、夏の日々は、まるで魔法のように過ぎていった。
午後になると、ロンと双子に連れられて、家の裏の果樹園で箒に乗った。木立に隠れて、近所のマグルに見られないようにしながら、古いリンゴを投げ合ってクィディッチもどきに興じる。ハリーの箒さばきに、フレッドとジョージが本気で口笛を吹いた。誰かに「うまい」と褒められること自体が、ハリーには珍しかった。
屋根裏では、ときどき何かがどんどんと暴れる音がした。屋敷に棲みついた“グール”という化け物らしい。最初は飛び上がったが、ロンが「ああ、あいつね」とまるで気にも留めないのを見て、ハリーも笑ってしまった。この家では、化け物さえ家族のうちなのだ。
二階の自室にこもったきりのパーシーは、何やら重要な勉強だか何だかだと言って、めったに姿を見せなかった。たまに食卓に現れては、もったいぶった口調で誰かを諭し、双子にからかわれて顔を赤くする。末っ子のジニーは、なぜかハリーが近くにいると、決まって何かをひっくり返したり、口ごもったりした。ハリーには、その理由がよくわからなかった。
夜は夜で、にぎやかだった。
仕事から帰ったウィーズリーおじさんは、その日マグルの世界で見聞きしたことを、まるで冒険譚のように語った。おばさんはそれを呆れ顔で聞きながら、誰の皿にも食べ物を山盛りにしていく。誰かが誰かをからかい、誰かが言い返し、笑い声が絶えない。
ダーズリーの家の食卓では、ハリーはいないものとして扱われた。ここでは違う。「ハリー、もっと食べなさい」「ハリー、これ知ってるか?」と、次から次に名前を呼ばれる。
たったそれだけのことが、どうしようもなく、あたたかかった。
ウィーズリーおばさんは、ハリーをまるで自分の息子のように扱った。膝が擦りむけば手当てをし、夜更かしをすれば叱り、痩せた体を見ては「もっと食べなさい」と何度も皿を盛った。実の子と同じ熱量で叱られ、心配される。それがどういうことか、ハリーには初めての経験だった。
ダーズリーのおばさんは、ハリーが熱を出しても、決して額に手を当ててはくれなかった。ここのおばさんは、頼んでもいないのに、当たり前のようにそうしてくれる。世界には、こんな母親がいるのか――ハリーは、いとこのダドリーが少しだけ羨ましかった理由を、ようやく理解した気がした。
夏が終わってほしくない、とハリーは思った。生まれて初めて、本気でそう思った。
ある晩、ウィーズリーおじさんは、ハリーをこっそりガレージへ連れ出した。
そこは、マグルの道具で埋め尽くされた、おじさんの秘密の宝物庫だった。プラグ、電池、コンセント、何に使うのかわからない部品の数々。おじさんはそれらを一つひとつ手に取っては、まるで初めて魔法を見た子どものように、目を輝かせて質問した。
ハリーは答えながら、ふと胸が詰まった。ダーズリーの家では、ハリーの存在そのものが「異物」だった。なのにこの家では、ハリーがあたりまえに知っていることまでが、宝物のように扱われる。
「君がいてくれて、助かるよ」とおじさんは言った。何気ないその一言が、いつまでも耳に残った。
誰かの役に立っている。誰かに必要とされている。たったそれだけのことが、こんなにも胸を満たすものなのか。ハリーは、星の見える窓辺で、いつまでもその感覚を噛みしめていた。物置の下で膝を抱えていた少年は、いつのまにか、帰る家を持つ少年になっていた。
やがて夏は終わり、ハリーは慌ただしい日常へと戻っていった。
二年目のホグワーツには、もっと大きな謎と危険が待っていた。空飛ぶ車のことで叱られ、不気味な声に怯え、やがて秘密の部屋をめぐる事件に巻き込まれていく。あの庭で過ごした数日は、いつしか記憶の奥へと、そっと沈んでいった。
――けれど。
この夏、この庭で過ごした数日を。
うるさくて、あたたかくて、馬鹿馬鹿しいほど幸せだった、あの時間を。
山盛りの朝食を、変わった時計を、マグルの話に目を輝かせるおじさんを、飛距離を競う双子の笑い声を。
ハリーは、何年経っても忘れなかった。
命を懸ける戦いの渦中でも、ふとした瞬間に思い出すことになる。あの朝の光を。赤毛の兄弟たちの笑い声を。そして、生垣の向こうへ飛んでいった、妙にまじめな目をした、一匹の庭小人のことを。
ダーズリーの家に、帰る場所はなかった。ただ寝起きするだけの、冷たい部屋があっただけだ。
でも、ここは違う。ここには帰ってきていい場所があり、待っていてくれる人がいる。
守るべきものが、ここにある。
いつか必ず守らなければならないものが、この騒がしい庭に、確かにある。
――そう、はっきりと胸に刻まれたのも。たしか、あの庭小人退治の、晴れた朝のことだった。
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