一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
約束通り、帰ってきました。
魏エンド後、私の考える三国同盟。
「ふんっ、そんな男など居ない方が正解だ。
万が一、桃香様がその毒牙にかけられた可能性があったかと思うと、想像しただけで苛々してくる」
「何・・・だと?」
魏の領地内、警邏の最中に聞こえてきた言葉に、私の目が発生源たる者を見つけるのはそう時間はかからなかった。
誰かなど、どうでもいい。
身分など、関係ない。
力量差など、この怒りが埋めてくれるだろう。
「凪! アカン!!」
真桜の制止よりも早く、私の怒りが込もった気弾は発射され、周りに被害を及ぼすこともなくただ一人へと吸い込まれていった。
「何だ?! これは!
お前は・・・・ 魏の者か!」
気弾を大きな棍棒で防ぎながら顔を見せたのは、白と黒の髪を併せ持つ特徴的な容姿。そしてその背後には、あの劉備が姿を覗かせる。
隊長を奪った、隊長が不調となった時に関わっていた蜀の王たる者・・・ その蜀が隊長を語る、だと?
「もう一度、言ってみろ」
襟首を掴みあげ、鋭く睨みつける。
私の怒りに対し、掴みあげた当人は何故怒っているのかが理解できないものであり、それが殊更に私の怒りを増幅させた。
「何だと?」
「隊長のことを何も知らずに、出所もわからぬ噂に振り回され! 直接会うこともなかった貴様らが!! 隊長が『居ない方が正解だ』だと?!
ふざけるなぁ!!」
戦の最中から流れていた事実無根の『魏の将を誑し込んだ男(あの噂)』を隊長本人は笑って『他所から見たら、俺なんてそんなもんだよ』と言う中で、私達がどれほどの怒りを抱いていたかをこいつらにわかる筈がない。
「凪、やめいて!
警邏隊が街で問題を起こしたら、それこそ本末転倒やろ?」
首を絞めつけるように固く握りしめた拳を掴んだのは、やはり真桜。
だが、一度放たれた怒りはそう収まらない。
「真桜! それでも、こいつは・・・・!!」
「そん気持ち、ウチには痛いほどわかる。けど、隊長がウチらに残してくれたもんは・・・ ホンマに隊長が一から作り上げた北郷隊がせなあかんことは争いなんかやない。
見回って、誰かが怪我する前に止めに入って、問題になる前に片付けて、笑って過ごすこと。それがウチらの仕事や。そやろ? 凪」
そうだ、それこそが隊長が一から作り上げた部隊。北郷隊の成すべきこと。それでも・・・!
「はっ! その男が作り上げた隊すらまた、この程度か。
女たらしの上に、隊もまた町の警備程度しか出来ぬとは・・・ まったく無能だな。
望み通りもう一度言ってやろうじゃないか、そして付け足してやろう。そんな男など、居なくなって正解だな」
襟首を離し、私と少々距離をとった者から再び紡ぎだされた言葉に私が拳を振り上げようとした瞬間、真桜が私たちの間に割って入ってくる。
「ハハッ、おもろいこというなぁ。
町の一部隊を育て上げた男を無能なんて言うんやから、自分も言われる覚悟くらいあるんよな?」
笑っていない笑みを張りつかせ、真桜はいつもと変わらぬ様子で歩き出す。
「ならアンタは、女の尻追っかけてついて回る犬ってとこかいな? あの有名な劉備の腰巾着はん。
それにな、よっこい、せ!」
そんな荷物でも持ち上げるかのような掛け声とともに、人が地面に倒れる音と周囲から少しの悲鳴が上がる。
「ウチらの前でよかったなぁ。
これがもし、秋蘭様や姐さんの前やったら、問答無用で命なかったで?」
言葉を向けられた当人は何が起こったか理解できずに、ただ茫然としていた。だが、それは無理もないことだろう。真桜が以前隊長から習った技、『背負い投げ』を行使し、投げただけだからだ。
隊長がかつて『学校』という所で習い、練習さえ積めば無手で人を怪我すらさせることもなく、どんな状況下であっても使うことの出来る護身術。
「んで?
魏の、会議にも出れんような末端の武将の、アンタが言う無能な男の直属の部下の手によって、んでもって隊長から直々に教わった体術で地面に倒されるっちゅうんはどんな気持ちや?」
長い付き合いの私ですら見たこともない、冷たい怒りを宿した真桜がそこにいた。
「きっさまあぁぁぁぁーーーー!!!」
「春蘭様より沸点ひっくぅー。
まっ、一言でキレたウチが言うてえぇかは微妙やけど」
振られた拳を軽々とよけながら、どこか楽しげに笑う真桜はまるでつもりに積もった怒りをぶつける場所をようやく見つけたかのように映った。
私と同じ、隊長が居なくなった日から向ける場所を失った寂寥感。会えぬことへの飢えや乾きにも似た感情。そして、憎みたくとも、憎むことすらも許されぬ状況に。
「真桜!」
「止めんよなぁ? 凪ぃ。
始めたんは凪でも、もうこれはウチらの喧嘩や。隊長をこんだけ虚仮にされといて、ウチになーんもせんと見とけとか、ありえへんやろ」
「だが!」
これでは私の責任だけではなく、真桜すらも問われてしまうだろう。そう口にしかけた時、真桜は大きく地に足をつけ、胸を張った。
「ウチらは北郷隊! 隊長が、北郷一刀がここに
隊長を、魏の柱石を! ウチらが愛したもんを馬鹿にされ続けて一年。えぇ加減、我慢も限界や!!」
「あぁ・・・」
もう一年。隊長が居なくなり、三国が結ばれ、一年。
大陸が平和となったことを、争いがなくなったことを民は喜び、将たちは次なる仕事へ糧とし、邁進する。君主はそれを守り、三国をより良いものへと導いていく。
だが、私たちの胸にはぽっかりと穴が開いたまま。
誰よりもこの平和を喜ぶ筈だった人は、この平穏な日々を誰よりも望んだ者はいない。
この言いようのない空虚を埋めるすべは、この大陸のどこにも存在しないのに。
「私もだ」
蜀と呉から流れてくる噂は隊長を嘲り、笑い、悪しざまに語られた。
許せるはずがない。憎くないわけがない。そんな者たちを友と呼ぶなど、ましてや真名など預けることなど出来る筈がない。
固く拳を握りしめ、構えながら、真桜の横に並び立つ。
「凪ちゃーん、真桜ちゃーん、すとーーーっぷなのーーー!!」
「焔耶ちゃんもだよーーー!」
一触即発、そんな私たちの間に割って入った影は二つ。
沙和と、最初は確かにあの女の後ろに居た筈の劉備だった。
「二人とも、喧嘩はめーなの!」
そう言って私たちを叱る沙和に対し、私達はかみつくように吠える。
「沙和! 奴は・・・ 奴らに隊長をここまで愚弄され続けたんだぞ?!
お前だって知っているだろう?! 蜀や呉から流れる隊長についての噂の内容を!」
「そうや! この怒りを抑えるんはもう無理や!!」
私たちの言葉を聞き、沙和はゆっくり頷く。
だが、次の瞬間に見せた表情はいつものような笑顔で、私たちを優しく見ていた。その眼差しはどこか隊長を彷彿させ、私は目を開く。
「わかってるの。
でも、隊長が望んだことは何だったかなんて、二人はわかってるよね?」
「っ! だがっ!!」
隊長の望み、魏の将の誰もが知っていること。そしてそれを、私たちは誰よりも近くで感じてきた。力を持たず、知恵も人並み、だからこそ誰よりも懸命で、人を惹きつけた。当たり前のように私達と接し、隊長が居ればそこにはいつだって笑顔があった。
そんな隊長だから背を追いかけ、恋をし、共に居たいと願っていた。ずっとその傍に居たかった。居てほしかった。
「拳をあげて、喧嘩して、怒鳴って隊長が帰ってきてくれるんなら、沙和だって喜んで怒るし、いくらでも喧嘩するの。
でも、隊長が見たがってくれたのは沙和たちが笑顔になる今、でしょ?」
その笑顔はいつもと何も変わらぬはずだというのに、どうして悲しげに見えてしまうのだろう。どうして、見ている私の方が耐えられなくなってしまいそうになるのだろう。
「沙和・・・」
「だって、隊長だもんね」
「焔耶ちゃん、やめなよ。
だって、もういない人を悪く言ってもしょうがないでしょ?」
瞬間、周囲に響くように錯覚してしまうようなその言葉は劉備の口から吐き出され、悪気などなく、ただ事実をありのままに伝えたその言葉に私は強い殺意を抱いた。
「うん、そう・・・・ いないの」
先程の笑みのまま沙和の目からは涙が溢れ、地面に零れ落ちていく。涙を零すことを恥じるように空を仰ぎ、そのまま崩れていってしまいそうだった。
見上げれば蒼天の空、白き雲。
隊長が愛した街の空、でも隊長が守りたかったのは大陸なんかじゃなかった。蒼天に浮かぶ雲のように、風に流され、形を変え、眩しすぎる陽射しをほんの少し優しくしてくださるそんな方だった。
「ごめんね、隊長。
沙和、今ちょっとだけ笑うの辛いかもー」
泣き笑いをしながら、恥じながらもけして涙を隠すこともなく、沙和は空を見上げていた。
あぁ私は、あの日から何も見てなんかいなかった。
真桜の怒りも、沙和の悲しみも、そして・・・・
「凪さん、真桜さん、沙和さん、大丈夫ですか?」
他の方々の、想いすら。
突然肩に置かれた手に驚きながらも、稟様の姿と声に私は無意識に安堵していた。
「一部始終、拝見させていただきましたよ。劉備殿、そして魏延殿」
「貴様は確か・・・」
「魏の、郭嘉さん」
さりげなく私たちの前へと出ながら、稟様は笑みを浮かべて蜀と対峙する。だが、その視線は交流の少ない私ですらわかるほど冷たく、厳しいものだった。
「えぇ、その通り。
あなた方の発言に対しては私からも言いたいことはありますが・・・ まずは凪さん、真桜さん、沙和さん」
わずかにこちらへと視線を向けられるが、その目に先程の冷たさはない。むしろどこか羨ましそうに映ってすらいる目に私は困惑しながらも、言葉を待った。
「この方たちが否定した彼が成し遂げたこと、残したことを魏の将の中で最も知っているのは悔しいですがあなた達です」
そう言って軽く周囲を見渡し、ほんの少しだけ考えるように顎に手を当てられる。その視線を追いかけると私たちの周囲に行き着き、私はようやく周囲の状況に気づくことが出来た。既に
「北郷様を・・・」 「あの方が無能なら、蜀はなんだってんだよ」
その中からわずかに聞こえてくるのは、隊長を悪く言われたことへのものだった。
「私がこの場を片づけますので、あなた方はこの二人に彼がいた証を見せてきてはいただけませんか?」
「隊長のいた、証・・・・」
「そんなん、ありすぎて逆にわからんですよって。稟様」
「けど、沙和たちなら知ってるの。
どうして似てるように見える桃香ちゃんと隊長がかぶって見えないかってことを・・・」
そう、不本意なことに劉備と隊長の理想はよく似ている。
だが、私たちは劉備には惹かれない。それは出会った順序でも、傍に居たからでも、争いあったからでもない。
「沙和」
「うん! あそこなの!!
あの村なら馬でもすぐだし、隊長と一緒に行ったことがあるの!」
沙和が涙を振り払い、すぐさま駆け寄った兵が渡してきた地図のある場所を指差す。
「真桜」
「わかっとるがな。馬五頭と外套二つを城門に用意しとき!
久々にウチらが巡回するで、他はいつも通り町の警邏やっときや。ウチらがおらんでもきっちり街守るんやで」
『はっ!!』
真桜の声に周囲の兵が一斉に答え、その場で姿勢を正す。
「報告は明日の朝までに各班長が書を提出! 全員、すぐさま行動へ移れ!!」
『はいっ!!』
駆け出していく兵たちを見送り振り向けば、稟様が劉備と魏延に何事かを話していたらしく、あの二人はどこか顔を青くさせていた。そして、先程まではいなかったはずの趙雲がそこに増えていた。
「稟様、そこの二人を連れ出してもよろしいでしょうか?」
「えぇ、かまいませんよ。
そちらはお任せしました。凪さん」
一言告げると趙雲へと向けていた視線をこちらへと向けてくださり、微笑んでくださる。
「はっ。
それでは行ってまいります」
「えぇ、お願いします」
そうしたやり取りをした後、私は顔を青くさせている二人の手を掴んだ。
「来い。
お前たちが笑った存在が残したものを、無能だと言った者が築いた消すことの出来ない痕跡を見せてやる」
隊長が居なくなっても、隊長が残したものをこの大陸から消すことなど誰にも出来はしない。
如何に悪評で覆い隠そうとしても、どれほどの嘘で塗り固めようとしても、そんなものを吹き飛ばしてしまうような実績を隊長は静かに残されて行った。
先程まで剥き出しにしていた怒りは冷め、あの村のことへ考えを巡らせる。万が一の時を考え、怒りを抱いては行動することが出来なくなってしまうだろう。
「おい! こんな山道になど連れ込んで、私たちをどうするつもりだ!!」
「黙れ。じきに着く」
街道からやや外れた山道、今でこそ道とわかるほどに整備されている山道だがかつては荒れ果て、馬で行くことすら困難だった村。魏の都に近くありながらこの町の存在はあまり知られておらず、交流も無に等しかった。
そう、
「あっ、お疲れ様です! 楽進隊長、李典隊長、于禁隊長」
門に近づくと兵が親しげに頭を下げ、頷きつつも誰であるかがわからずに首を傾げる。そんな私を察したのか、兵は姿勢を正して礼をとった。
「自分は曹操様の御前指導において、楽進様に教えを受けた者です。
北郷隊に所属後北郷様の推薦もあり、この村の配属となりました」
「そうか・・・」
あの時の新兵がこうして育ち、誰かを守っている。それがとても誇らしかった。
「おー、クソ虫がちゃんと成虫になってるの」
「まっ、頑張りや」
「ありがとうございます」
それぞれが一声かけながら、私たちはその場で馬を降りる。
「今回は少々急ぐ。ここに馬を預けてもかまわないか?」
「はい、お任せください」
蜀の二人をつれ、私は迷うこともなく小さな村の中央へと向かって歩き出す。さほど広くもなく、人の数は五十をようやく超えるかどうかだった筈だ。
「おい、この村は一体・・・」
魏延が疑問を口にしかけた時、ちょうど村の中央に到着し、ある石碑の前で立ち止まる。
「劉備、お前はこの村を覚えていないだろう?」
「えっ?」
「おい、貴様。何を言っている?!」
私の言葉の意味を理解できずに困惑する劉備と魏延をかまわずに、私は石碑の前で手を合わせる。
それと入れ違うように私より先に手を合わせていた一人の女性が立ちあがり、私を見て・・・・ いや、その後ろを見て驚愕の表情を見せた。
「なんでここに、あなたが居るの?」
その表情は驚愕から怒りに染まり、近くにあった石を持って劉備へと迷いもなく襲いかかろうとした。
「あの人を返してよ!」
襲い掛かろうとした女性の手を掴み、それを防ぐ。
「すまないが、それはさせられない」
私の言葉に女性は悲しげに顔をゆがめ、手をどうにか動かそうとするがその意に反するように私は振り上げられた手を降ろさせる。
「どうして・・・ どうして、あなたが止められるんです?! 楽進様!
あなただって、北郷様をあの戦いのせいで失われたじゃないですか!
彼女が! 劉備さえいなければ、夫が死ぬことも、北郷様が天へと還られることもなかったのに!!
あんた達さえ馬鹿げた戦いさえしなければ、誰も死ぬことなんてなかったのよ!」
怒りと悲しみを声と顔に滲ませて、思いのままに叫ばれた言葉はまるで刀剣のようだった。
『劉備』という名に、近くにいた民の視線が一斉にこちらへと向けられた。
「劉備・・・・?」 「劉備だと?!」
「どの面下げて、この村に来やがった」 「あの噂を流してるっていう蜀の・・・・」
ざわざわと囁かれる言葉に好意的なものは一つもなく、私たちの周囲を民が集まってくる。
「えっ・・・・?」
「外套かぶせた意味、なくなってもうたな」
「うん・・・・
でも、この村に来る以上はこうなる可能性もあったの。全然嬉しくないけど」
戸惑う劉備と、真桜たちの会話を聞きながら、私は女性から手を放すことはない。今もまだ力は籠められ、私の手を離せば彼女は間違いなく劉備へと襲い掛かることは明白だったからだ。
「っ! どうしてそんなに何も知らずにいられるのよ!!
どうして、そんな傷ついたような顔をあなたがしてるのよ!」
女性は劉備へと叫び、それ以上の発言を防ぐように女性と劉備の間に私が立つ。
「劉備、お前に彼女の言っている言葉の意味がわかるか?」
「この村は一体・・・ どうしてこんなに私を?」
首を振り、疑問を口にすることでさらに周囲の怒りが増幅しているのを肌で感じる。
「この村は、兵として家族を奪われ、お前たちを追っていた袁軍によって、一度は村すらも失った」
劉備たちが越境した際に起きてしまった悲劇、兵として夫や息子を奪われ、村は焼失し、難民として魏へと流れ着いた民。
「あっ・・・・」
私の言葉に顔を青くさせ、石碑から目を逸らすように俯いていく。
「何故、そやつを庇われるのです?!
蜀は、その者たちは曹操様を悪逆非道と謳って息子を奪い、挙句我らを捨てて逃げたのですぞ!」
右足を失った中年の男性が叫び、怒りのままに拳を振り上げた。
「しかも、あちこちで北郷様を悪く言いやがるのは蜀から来たやつばっかりだって話だ。
ふざけやがって! たとえどんな噂を流したってなぁ、あの人と一度でも話したことのある奴はそんな話は信じねーんだよ!!」
農具を持った青年が石を投げながら、怒鳴りちらす。だが、彼の投げた石は誰にもあたることなく、真桜によって受け止められた。
「桃香様は逃げたわけではない! 次の戦いに向け、力を蓄えようと・・・・」
「俺らに次なんてねぇんだよ!」
魏延の反論すら許さぬように、言葉は矢となって降り注ぐ。
「何が『非道』よ!
曹操様は生きていく方法を見失ったあたしたちを受け入れてくださったわ」
一人の年若い女性の言葉に続くように、また一人男性が前へと出た。
「何が三国同盟だ!
曹操様の慈悲によって、運よく生きれただけじゃねぇか!!」
「貴様らぁ! 言葉が過ぎるぞ!!」
青くなり、ついには言葉に耐えきれずその場に俯く劉備を支えるように、傍にあろうとする魏延。
私にはその姿が、支えることが出来る、守るべき人がいるという事実がとても羨ましく、妬ましかった。
私にも、私の背に居る彼女にも、もうそうした存在はいないというのに。
「・・・復讐だ」
ポツリと呟かれたその言葉は、一体誰のものであっただろう。
「報復だ!」 「そうだ! 劉備を殺せぇ!!」
一つの怒りが殺意となって全てを飲み込み、次々と手近にあった得物が掲げられていく。
それでも隊長。あなたが望んだ平和の中には当たり前のように味方も、敵も、君主も、将も、兵も、民も、全てが含まれていた。
「我らが隊長は! それを望まない!!」
たとえ、全ての決定を行ったのが華琳様であっても。
「隊長が、あの日々に失ってしまった者たちが、再び悲しみを望むとお前たちは思うのか?!」
民の暮らしを守る基礎を作り、生活を支える警邏隊を形としたのは隊長だった。
「命を失う覚悟をしてまで彼らが守りたかったのは!
自分が居なくなってでも生きていてほしいと望んだのは!!
その先を残した者が築いてくれると信じた今の平和のためだったのではないのか!!!」
その覚悟と決意を残された者が拒んでも、その望みを勝手だと思っても。
「北郷様・・・」 「あの方は、そうだった」
「強くもないのに、いつも駆けまわってたよな」 「私は子どもたちを守ってもらったわ」
それでも『あの人たちはここに居たんだ』と言えるのは、残された者(私たち)だけだから。
「皆の者、やめよ」
そう言って前へと歩み出てきたのは一人の老人、そして私たちの前で深く頭を下げた。
「儂はこの村の長をしている者です。
まず、皆の無礼をお許しください。ですが・・・・」
謝罪を口にしながらも、老人が劉備たちを見る目は悲しげだった。
「あれもまた、我らの思いなのです。
死した者が望まぬとも、行く宛てのない怒りと悲しみはどうしても胸に残ってしまう。ましてや、北郷様を悪く言われる噂が多くなっていく最近は消えていた筈のその感情が燻って、火を起こしてしまうほどに」
老人が慰霊碑の前で手を合わせ、いくつかの名をなぞりながら石碑を撫でる。
「劉備様、あなたは今の大陸がお嫌いか?
かつてあなたが口にした理想とは少しだけ違うかもしれない。じゃが、戦乱なき大陸、かつての夢、この者たちが命をなげうって作り上げたものが今の世にはあるのです」
皺の深い手、小さい背中、おぼつかぬ足取りで老人は慰霊碑を守るようにしっかりと立ち上がる。
「儂らからこの平和を、奪わんでくだされ。
どうかこれ以上この石碑に、名を増やさせんでほしいのです」
深く頭を下げ、その場を去ろうとする。
「待って、ください。
あなた方にとって、北郷さんはどんな方だったんですか? 私と何が違ったんですか?」
劉備の言葉に老人は立ち止まり、わずかな間を持ってから口を開いた。
「あなたの見る平和は儂らには少しばかり視線が高く、笑顔をわかちあっても、涙は見てはくれなかった。
北郷様は我らと共に泥だらけになり、汗を流し、同じ視線に居てくれたそんな方じゃったよ」
老人はそう言って立ち去り、民もまた老人を追うように普段の生活へと戻っていく。
「これが、隊長の居た証だ」
かつて焼き払われた村にも人が戻り、活気が宿る。命は繋がり、教えを受けた者が育ち、救われた者たちが生きている。
「隊長がしたことは君主にも、将にも出来ないことだった。
だから私は隊長を侮辱するお前たちを許すことも、友と呼び合い、真名を交わす日もない」
それでも、隊長が自分と命と引き換えに私たちが生きることを望んでくれたというのなら、この大陸の平和を守りたかったのなら。
「私は隊長が守ったこの大陸を、望んだ平和を守るためにこの生涯を捧げよう」
守りたかった人がその身をとして守ってくれたこの国を守ること、それが私の生きる道なんだ。
まずは、すでに完結している前日譚から投稿いたします。
その後、番外を設置し直し、本編等を現在投稿しているところまで投稿します。