一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ――   作:無月

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理想に気づく者と別れを知る者 【紫苑視点】

「おかあさーん! 璃々、もう入ってもいーい?」

 話し合いがちょうど終わったその時、扉の向こうから聞こえてきたのは璃々の声。

 私が制止の声をかける前に扉を開けて入ってきて、私の元へとまっすぐに駆けてきた。

「ごめんなさいね。娘が・・・」

「かまわないのですよ。

 指針は決まりましたし、一人きりの時間は寂しいものですからねー」

「お猫様人形ですよー。

 にゃーにゃーさんです」

「猫さん、かわいー!」

 私が謝ろうとすると程昱さんも、周泰ちゃんも気にした様子もなく、璃々の頭を撫でたり、懐から出した手製の猫の人形で遊んでくれている。陸遜さんも、典韋ちゃんもその光景に目を細め、暖かな空気がそこを包んでた。

 三国同盟後、どうして私たちはすぐにこうした些細な幸せな光景を作ることが出来なかったのかと不思議に思ってしまうほど、その空間はとても暖かなものだった。

「ねぇねぇ、ぼんやりとしたお姉ちゃん」

 そして璃々はおもむろに近づき、程昱さんの服の裾を引っ張った。程昱さんはそれに怒ることもなく、視線を璃々に合わせて問う。

「はい、何でしょう?」

「お姉ちゃんは、ぎの人?」

「はいー、そうですよー?

 風は魏国で、たくさん書簡の片づけをするお仕事をしているのですよー」

 そう言って程昱さんは璃々の頭を優しく撫でると、璃々も気持ちいいのか嬉しそうに目を細める。

「璃々ね、まちのいろんなところで『天のつかいさま』ってきくんだけどね。一度も『会ったことがある』って人がいなかったの。

 だからね璃々、天のつかいさんを会ったことがある人にずっときいてみたいことがあったの」

「はいー、なんでしょう?」

「天のつかいさんって、どんな人だったの?」

 その言葉に蒲公英ちゃんと周泰さん、典韋ちゃんは表情を硬くするけれど、私と陸遜さんだけは彼女の変化を見守っていた。

「そうですねぇ・・・・」

 彼女は怒ることも、悲しみ様子もなく、むしろ穏やかな笑みを浮かべていた。

「たくさんの女の人を次々と夢中にして、人の心を奪っていく女たらしさんだったのです」

「風様?!」

 程昱さんのその発言に典韋ちゃんが反応するけれど、それは彼女だけでなく、周囲にいた私たちも同様だった。

「そうなの?

 じゃぁ、天のつかいさんってわるい人なの?」

 さらに続く璃々の問いに頷いて、程昱さんは大袈裟な手振りをつけて首を振っている。

「はいー、とっても悪い人なのです。

 誰にでも優しく、わずかな時間でもお兄さんと一緒に過ごした人はお兄さんのことを好きになってしまうのです。

 人がどうすれば喜んでくれるか、どうしたら笑ってくれるかを本当によく心得た、まさに大陸一の人たらしでした」

「だから、風様ぁ!?」

 クスクスと笑いだす璃々と、優しげに語る程昱さん。そして、その発言に驚きや戸惑いを見せる典韋ちゃんの姿が何だかおかしくて、私は自分の口元が自然とあがっていたことに気づく。

「けれど、誰かが困ってること見逃すことが出来ず、どんなに強い人にもまっすぐ向き合っていくお馬鹿さんでした。

 危ないものも、強い言葉も、たくさんの目の前に広がったことも受け止めて、ありのままの自分で在り続けたおかしな人なのです」

「ふふっ、お姉ちゃんは『おかしな人』とか、『わるい人』って言ってる筈なのに、なんかすごく良い人みたいだね」

「ふふふー。

 えぇ、風達にとって、どこを探しても他に居ないとても素敵な好い人でした。

 けれど、とっても極悪人さんでもあるのですよー。

 なにせ、そうしたたくさんの人を置いて、帰ってしまったのですからねー。

 本当にもう、最初から最後まで困ったお兄さんでした」

 肩をすくめ、呆れたようにしている彼女の目元には、ほんの少しだけ光るもの。けれど、そんなものは錯覚だと思わせてしまうほど、彼を語る彼女はとても幸せそうだった。

「璃々も、お姉ちゃんがそんなにうれしそうに話してくれる天のつかいさんに会ってみたかったなぁ」

「おやおや、そこに居る流琉ちゃんみたいにお兄さんの毒牙にかけられてしまいますよ?

 なにせお兄さんは年齢どころか、体型すら気にせずに、誰も彼も節操なしに声をかけるような方ですからねぇー」

「毒牙にかけられたのは風様もじゃないですか!

 それに体型的なことなら、風様だって人のこと言えないような・・・」

「流琉ちゃんとはあとで、話し合いが必要ですかねー」

 典韋ちゃんのその発言に、程昱さんはこちらを振り返らないで応えている。その様子を見た私たちは、誰ともなく笑いだしてしまった。

「おやおや、皆さんともお話が必要ですかー?

 まったく、困ったものです」

 そう言っておどけて見せる程昱さんを見て内心ほっとしながら、私はもう一年前になるあの光景を思い出していた。

 

 

 

「あれは・・・」

 あの戦いが終わって数日後、負けた側である私たちよりやつれた彼女たちのその姿に私は、夫を失った時の自分の姿を重ねた。

「けれど、私には彼女たちの気持ちを完全に理解することは出来ないのでしょうね」

 近くにいる璃々にも聞こえないような小さな声で言いながら、私は自分の恋を思い出していた。

「お母さん」

 手を引いた璃々がまるで自分のことのように悲しそうに、魏の子たちを見ていた。

「どうしてあのお姉ちゃんたち、あんなに悲しそうなの?」

「それはね・・・・」

 人の輪から離れながら、璃々をそっと抱きしめる。

「とても大切な人と、突然お別れをしなくちゃいけなくなったからよ」

 父方の叔父との昔から決められていた恋、歳が離れていたからこそ置いて逝かれる覚悟もあった。

 私には時間があり、璃々がいた。だから、受け止めることが出来た。

 けれどあの様子では彼女たちには別れを覚悟するだけの時間も、そして彼と共に居た証もまた得ることなどなかったのだろう。

 にもかかわらず、あの子たちはあそこに立っている。

 誰よりも泣きたい筈なのに、悲しみに暮れていてもおかしくないのに、あの子たちは立っていた。

「お別れは・・・ 悲しいよね」

 私の服をぎゅっと握り、顔を伏せる璃々の背を撫で続けた。

 そうしていると後ろから皆を見渡していると桔梗が酒樽を持ち、手を振っていた。

「紫苑、一杯どうじゃ?」

「今はそんな状況じゃないでしょう・・・ 桔梗」

「今飲まずに、いつ飲む?

 こちらの負けという形であっても戦が終わり、この年齢(とし)で三国の平定と大きな戦にも関わることも出来た。

 今の儂は武官として、これ以上ないほど満ち足りておる」

 喉の奥を鳴らして笑う桔梗はその場にどっかりと座り、私にも座ることを促してきた。盃の一つを押し付け、手酌で豪快にお酒を注いでいきながらもその目は焔耶ちゃんや朱里ちゃん、桃香様たちなどを順々に見渡している。

「じゃが、それは儂だけの様じゃがな」

「そうみたいね、けれど・・・・」

 戦が終わった後に朱里ちゃんの目に宿っていたあの狂気にも似た感情、あれはどうしても止めなくてはいけないともの。

「まぁ、だからと言って儂はどうする気もないがの。

 武官は軍師が指し示す方に行き、駆けるのみ。その戦のなくなった世では儂ら武官など不要。

 儂も戦いのない世など知らぬし、焔耶に教えることも出来はせん」

 お酒を呷り、満足げに息をついて桔梗は笑っていた。

「これからを創るのが若者だというのに、見てみよ。紫苑。

 蜀の先を作る若者たちは、多くの者が前など見ておらん」

 ただ、戦いが終わったことを喜び、彼女たちの何かを察することもなく笑う桃香様。

 狂気を抱く朱里ちゃん、それに引き摺られるようにして傍に居る雛里ちゃん。

 どこか不服そうに、舌打ちでもしてしまいそうな焔耶ちゃん。

 戦いが終わってもまだ実感がわかない白蓮ちゃんに、純粋に戦いが終わったことを喜び合うのは翠ちゃんと蒲公英ちゃん、鈴々ちゃんたちだけ。そして、愛紗ちゃんは・・・・・

「くくっ、何も失わず、負けを見てなおも生き残ることの出来た儂らこそが一番前を向くべきだというのにこの有様とは・・・・ 実に笑えてくるのぅ」

「いや、まったく」

「星ちゃんまで、笑いごとじゃないでしょう・・・」

 手を叩いて、さりげなくお酒を奪いながら同意する星ちゃんへも、私は溜息を吐きながら注意する。

 が、二人ともどこ吹く風と言った様子で相手にすることなく、お酒を呷り続けていた。

「呉が失うは長く孫家に仕えし猛者であり、多くの者の師たる者。

 その喪失は大きく、埋めることは容易ではないじゃろうな」

「魏が失いしは天の遣い、彼がどれほどの存在であったかなどは彼女たちの様子を見れば一目瞭然といったところ。

 その喪失はいかほどのものか、我らには到底想像することなど出来ますまい。

 その二国の喪失を、今の小さき軍師たちがどう考えるかを想像するは容易」

「それなら、私たちはそれを止めなくてはならないわ。

 誰かを失わずに済んだ私たちだからこそ、あの子たちの悲しみに付け入るではなく、理解してあげなくてはいけないのよ」

 まるで他人事のように語る二人に、私の意思を告げる。

 たとえ、他の誰が動かずとも、大切な誰かを失う悲しさを知っている私には動かないという選択は初めからなかった。

「ふふっ、紫苑殿からそうした強い言葉を聞くことは初めてのような気がしますな?

 戦の終わった今、新たな戦を生み出すなど野暮。ならば私が協力するのはやぶさかではない。

 桔梗殿は、いかがなされる?」

「儂まで動いたら目立つ。

 酒に酔い、戦に酔う。武官としての儂で在り続けるとしよう。

 何より儂は、人の機微に疎い。こうしたことには向いておらん」

 そう、ね。

 三人が同時に動けば、それこそ朱里ちゃんたちにすぐにばれてしまう。

 ならいっそ、桔梗に動かないでいてもらった方がいいわね。けれど

「・・・・だから、婚期を逃すのよ」

「何ぞいうたか?! 紫苑!!」

 武官として生き過ぎた桔梗は戦の機微は鋭くても、人の機微に疎いからここまで来てしまったのだものね。

「紫苑! その同情的な視線の説明せい!」

「さて、それでは動き出しましょうか。星ちゃん」

「うむ、承知した」

 酒樽を持って騒ぐ桔梗を置いていき、私たちは一年前のあの日から行動を開始した。

 

 

 が、その結果はこの通りだった。

 動きすぎた私は結果的に朱里ちゃんたちに警戒され、荊州の問題や書簡仕事を多く任される結果となり、星ちゃんに関しては自由で掴みどころがないからこそ逃げれているのであって、油断できない存在として目をつけられていた。

 動いても、何も変えることは出来なかった。

 何も知らぬまま一年が経過した桃香様。

 具体的に動き出してしまった朱里ちゃんたち。

 そんな朱里ちゃんたちの思惑通り噂に振り回される焔耶ちゃん。

 私が出来たのは、噂が酷くならないようにと蜀内部から近辺への噂の軽減のみだった。

 魏で起きてしまったことをきっかけに徐々に良くない方へと動いていたけれど、今回の荊州の一件でまた方向は変わっていく。

 私たちはまだ諦めちゃいけないんだと、思わせてくれる希望がそこには確かにあった。

 

 

 

「最後の雰囲気はよかったけど、会議中の程昱さんがすっごく怖かったよおぉぉぉぉーーーー」

「はいはい、よく頑張ったわね。蒲公英ちゃん」

 私は荊州から蜀へと戻る馬車の中で、泣き言を言う蒲公英ちゃんの頭を撫でながら、璃々が起きないように声の加減だけはしてもらう。

「星姉様の馬鹿―! あんな遠回しの表現じゃわかるわけないじゃん!!

 何が『その後ろで一切の自己の感情を見せていない者たちの方なんだが・・・』だよ! もっとちゃんと書いておいてよーーー!!

 詠ちゃんは詠ちゃんで郭嘉さんのことしか言ってなかったし!」

 実際、郭嘉さんが荊州問題に来る可能性もあったのだし、詠ちゃんの注意も間違ってはいないのだけれど・・・・ 今は言わない方がよさそうね。

「劉協様がご存命だって言うことも、詠ちゃんからこの間ようやく知ったっていうのに!」

「えっ? 劉協様はご存命なの?」

 蒲公英ちゃんからもたらされた予想外の事実に私は驚き、おもわず聞き返してしまっていた。

 劉協様はてっきり、中央の混乱で亡くなってしまったのかと思っていたのよね。

「何で紫苑さんまで知らないの?!」

「ほら、私はほとんど書簡仕事ばかり任されていたものだから、外の情報に疎いのよ」

 精確に言えば、私を外に出したくない朱里ちゃんたちが動けないように書簡ばかりをやるように任されていたのだけれど、ね。

「ていうか、朱里ちゃんたちおかしいよ! どうしてあんなに戦争したいの?!

 最後に三国揃って、お茶飲めるみたいなのが理想なんじゃないの?

 それなのに、あれだけ想われてる人の悪口を言いふらすとかわけわかんないよ!!」

「そうね・・・」

 あの時の程昱さんの表情を見れば、どれほど彼女たちが彼を愛していたかのかがよくわかる。

 愛し、愛され、共に過ごした時がどんなに大切だったか。輝かしいものだったのかが伝わってきてしまう。

「ねぇ、紫苑さん。

 あんなに人って、誰かを愛せるものなの?」

「そう、ね・・・・

 私の場合は決まっていた恋だから、彼女たちの物と全く同じかと言われれば違うでしょうけれど」

 けれど、決まっていた恋でも私は夫を愛していた。

 夫婦として共にあった時間がたとえごくわずかであっても、それはとても幸せで、その別れは身を引き裂かれるような思いが確かにあった。

「誰かを愛することで得られる強さと弱さは・・・・ 恋をした者にしかわからないものよ。蒲公英ちゃん」

 彼がいるから守りたいと、愛した人がいるから死ねないと思えた。

 少しでも長く共に居たいと思ったからこそ、夫婦としてあった。

「ふぅん・・・?

 いいなぁ、たんぽぽもそう言う人に会えるといいなぁ」

「蒲公英ちゃんよりも焦るべきなのは、桔梗なのだけどね」

 最近は自分でも嫁ぎ遅れたのを開き直っている傾向にあるし、いい加減本格的に何とかした方がいい気がするのよね。桔梗も。

「紫苑さん、その笑顔凄く怖いよ?!」

「あら、そう?

 まぁ、それはいいのだけれど、これからまた忙しくなるわよ。

 今回の一件を必ず朱里ちゃんたちは抗議してくるでしょうから、立ち合いをした蒲公英ちゃんには協力してもらわなくちゃいけないわ」

「え?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした蒲公英ちゃんに、私は笑顔のまま続ける。

「当然でしょう?

 今回は私たち二人が参加して、なおかつ今回のことは反対されることが目に見えている内容だもの。勿論それは呉も同じでしょうけど、朱里ちゃんたちの説得は私たちがしなければならないことよ」

「もー、やだー! 西涼帰る―!!

 馬乳酒飲んで、遠駆けするのーーー!!

 蜀の料理は辛いし、じめじめするし、いーやー!!」

「我儘言わないで、しっかりと協力してね。蒲公英ちゃん」

 蒲公英ちゃんを宥めながら、私はこれから起こるだろうことへと思いを馳せていた。


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