一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「穏」
三国同盟から早三か月の時間が経過した今、私は冥琳様と共に書簡仕事に追われていますぅ~。
魏の計らいによって呉の領地はほとんど奪われることもありませんでしたし、むしろ各地に派遣されている警邏隊のおかげで目立った混乱もないので大助かりでしたぁ~。
しいて問題点をあげるとするなら~、魏では当たり前に行われていた警邏隊の書簡業務は不慣れな我々には時間がかかってしまうことくらいでしょうか~?
そのせいでしょうか~? 最近は私の性癖が若干変わり始めているんですよねぇ~。ただの書簡というか、お仕事の書簡ではどきどきしないと言いますかぁ~。むしろげんなりしてくるようになってしまったのですよ~。物語でないと、あのえも言われぬ快感を得ることが出来なくなってしまったのですぅ~。
「はい~? 何でしょうか~? 冥琳様ぁ~」
書簡仕事の最中、顔を上げることもなく返事をすると、何故かこちらへの返事がなくなってしまいましたぁ~。どうしたんでしょう~?
「冥琳様ぁ? 何ですか~?」
おもわず作業の手を止めそちらを見ると、何かを決意したような目をした冥琳様がそこに居ました。
どうして冥琳様が、そんな顔をする必要があるのでしょうかぁ~?
もう戦いのない世が生まれ、呉はかつて望んだものを手に入れようとしているにもかかわらず、どうしてあの策を決断したときのような顔をなさっているのですかぁ?
「最近、蜀から流されてはじめている噂の一件を知っているか?」
「い~え~? ここの所あまり外に出る用事がありませんし、余裕がなかったのでぇ、知りません~。
明命ちゃんも外に行ったり来たりしていて、あまりお話しできていません~」
武官すらも総出で治世に必須な書簡仕事へと駆り出さなければならないほど、呉は深刻的な人手不足ですからねぇ~。祭様がいらしたらもう少し状況は変わったんでしょうが、あの策を持ち出したのはほかならぬ祭様自身でしたからぁ~、誰も恨むことは出来ません~。
祭様はもしかしたら、孫堅様が亡くなった時点でずっと死に場所を求めていらしたのかもしれませんねぇ・・・
「臥龍と鳳雛はいまだに空を仰ぐことをやめていないようでな、この書簡を見ろ」
そう言って手渡された書簡の中に書かれていたのは明命ちゃんの字で、天の遣いさんへの罵詈雑言でしたぁ~。
まぁ、私たちからしてみれば彼ってよくわからない存在ですからね~?
知ってることと言えば魏の方々が揃いもそろって彼を愛していたことぐらいなのですが、正直それをそのまま信じることは出来ないのですよねぇ~。
彼女たちの人となりを知ることが出来た今ですら・・・ いいえぇ~、むしろ優秀な彼女たちだからこそ、どうしてこれと言って取り柄のない彼を愛していたのかがわかりません~。
家柄もなく、表立った武勲も聞いたことがありませんし、あの警邏隊を彼が作ったというのも眉唾物ですからねぇ? 警邏隊のことを知れば知るほど、本当に彼が作ったかどうかを疑ってしまうのです~。
『一人の「男性」があれほどまでに成長し、大陸に広くいきわたっている警邏隊の基礎を作った』
なぁ~んて、とてもじゃないですが想像できないんですよね~。
あれほど効率よく新兵に体力や物事の対処を見につけさせ、報告書を作成するために全員が字を学ぶことから始めるなんて私たちには浮かばない考えばかりでしたから~。まぁ、この噂を流して孔明さんたちが何をしたいかはわかるのですがぁ~・・・ 正直、あの敗戦を認めたくないお二人のあがきにしか見えません~。
赤壁は蜀と呉が連携し、呉が得意とする海上戦を選びましたぁ~。その上で孔明さんたちによる地形的な策、連携した蜀は勿論呉の一部の将にすら黙って行われた祭様による苦肉の策の二段構え。
私としましてはぁ~、ここまでして負けたのですからもはや天命としか思えないのですぅ~。
「これを見て、お前はどう思う?」
「天の遣いさんへと非難を向けさせ、自分たちに来る民への怒りをばらけさせるんですか~?
魏の方から剣をとってくだされば戦いの大義名分には十分ですしぃ、向こうから攻めてきてくだされば民をいくらでも言い繕えますからねぇ~。
ですが、どうしてここまでして空を仰ぎたがるのか少々理解に苦しみますぅ~」
あの時、私たちは全力を尽くして負けましたぁ~。その上で『三国同盟』という、三国が協力して大陸を守る案を提示されましたぁ~。
しかも、我々が見捨ててきた各地は警邏隊によってそれほど荒らされることなく、むしろ私たちが何とかしなければいけない問題としていた越族すらも天の遣いさんによって片づけられていた後でした。
『俺だって、他所者みたいなもんだしなぁ。
こんな俺だって迎えてくれた人がこの大陸にいたんだ。
そんな人たちが、同じ大陸にいる人たちとうまくやれない筈がないだろ?』
彼はそう言って、当たり前のように彼らと接しただけだそうですぅ~。
そんなことも私たちには出来なかったんですよねぇ~。
彼らはそう言う存在でしたから、人として扱うことすら私たちは知らなかったんですぅ~。
あははは、本当に私たちは魏によって救われている面が大きいんですよねぇ。
「・・・・理解に苦しむ、か。
私には臥龍と鳳雛の思いがわかる気がするがな」
私はおもわず冥琳様からのその発言に顔をしかめ、そちらを注視すると冥琳様は肩をすくめていましたぁ~。
「今の魏を見ろ。
経済の発展も、技術の向上も、我々はそれに追いつくことが出来ず、提供されている側だ。いや・・・ むしろ魏が乱世で作りあげた警邏隊の体勢を理解することにすら一苦労し、治政することが精一杯の状況だ」
自嘲するような笑みを浮かべ、書簡を見ていく冥琳様は小さく『祭殿がここにいれば、少しは違ったのだろうがな』と呟き、私を見ます。
「だからこそ私は、今回の臥龍と鳳雛の企みに乗った」
冥琳様のその言葉に、私はおもわず耳を疑いましたぁ。
「流石にそれは、独断が過ぎませんかぁ? 冥琳様」
言葉に咎めるものを含め、なおかつ私はその真意がわからず冥琳様を見つめると、そこには武官ではない私ですら・・・ いいえぇ~、呉の将ならば一度は必ず見たことのある死を覚悟した武人の顔、あの時の祭様と同じ顔をしていますねぇ。
「声を荒げもしない、か・・・・
穏、お前も本当はわかっているんだろう?
このままでは呉も、蜀もそう遠くない将来、魏の属国・・・・ いいや、魏に取り込まれ、国として成り立たなくなっていくことを」
「それは戦いに負けた時点でわかっていたことですぅ~。
今こうして国として成り立っていることの方がずっとおかしいことを、冥琳様もご承知かと~」
あの戦いの後、本来ならば私たちは殺されていてもおかしくなかったのですから~。
こうして手を取りあうという形の方がよっぽど不自然ですし、おかしな状況ですよね~。
「我々は生かされた側ですぅ。
本来ならば殺されても文句は言えませんし、生かされるだけでなく、あちらはほとんどのことを協力的にしてくださっています」
「あぁ、今は協力的だな。
だが、その協力すら我々を懐柔させていくものにしか、私には見えん。
それともこちらの主戦力たる将が居なくなるのを、虎視眈々と狙っているようにな」
「それは穿って見すぎですぅ!」
冥琳様の発言を流石に聞き流すことが出来ず、おもわず怒鳴ってしまいましたぁ~。
「呉の悲願は叶ったではありませんかぁ!
袁家の支配から離れ、祭様の死こそありましたが、呉の地を守ることが出来ていますぅ~!
この案を考えた孔明ちゃんたちの気持ちもわかりますがぁ~、再び乱世へと戻って一体何を得るというのですかぁ~!?」
「今だからこそ立ち上がらねばならんのだ!
将の力がなくなる前に! これ以上魏が発展する前に!
呉が、これからも呉であるために!
私の命が尽きる前に、立場を確立するために!
乱が起きたその時、蜀と対等であるためには呉はこの争いに勝利する側にいなければならんのだ!」
「ちょっと待ってください~!
『命が尽きる前に』とはどういうことですかぁ?
この独断はそれに関連しているとでもおっしゃられるのですかぁ?!」
「・・・・赤壁の少し前から、私の体は病魔に蝕まれている。
医者が言うには短ければ一年、長くとも二年以内だそうだ」
自分の体のことだというのに、淡々とおっしゃられるその姿は祭様によく似ていると思ってしまいましたぁ~。
「本当は、私とてわかっている・・・!
あの日の曹操たちの目を見れば、奴らは私たちと同じなのだと! 仕事に打ち込むことでしか、自分たちを保てないのだということも!
だが! 今のまま進み続けた奴らに、我々は追いつけぬのだ!
天の遣いが残したであろう知識の欠片を創り上げ、発展し続ける魏に呉は・・・ 二国は置いて行かれる・・・・!!
あれほど多くの血を流したからこそ、緩やかに滅ぶことを受け入れることは私には出来ん!!」
冥琳様は・・・ わかっておいででした。
戦いばかりに明け暮れていた我々とぉ~、乱世でありながら治政を熱心に行っていた魏に差がつくのはむしろ必然のことでしたぁ~。
ですが、彼を失ったことによって魏はさらにその速さが増し、我々が思い浮かばないようなことを行ってしまう。
戦勝国でありながら我々敗戦国へと手を伸ばし、なおも発展を続ける魏は脅威以外の何物でもありません~。
「これが愚策だということもわかっている・・・!
だがっ! 今しかないのだ!」
唇を噛み締め、痛みをこらえるように胸元を強く握って、弟子である私へと縋るような目をする冥琳様の頼みを断ることが私には出来ませんでしたぁ~。
そしてそれを聞き入れた日、私は呉が滅ぶことも、我々の誰かが死ぬことも、覚悟しましたぁ~。
あるいは魏の方へ身勝手な希望を抱いて、私はあの日冥琳様の言葉に頷いたのですぅ~。
「穏様、もう着きましたよ。
起きてください」
明命ちゃんの声に目を開けると、そこは馬車の中で私はようやく自分の状況を思い出しましたぁ。
荊州の話し合いが無事に終わって、馬車に乗って戻ってきたところでしたね~。
「まずは冥琳様のところに行きましょうかぁ~。
報告書の作成もありますがぁ、その前に口頭で報告した方がいいでしょうしねぇ~。雪蓮様もそちらに居ることでしょうしぃ」
「冥琳様は療養中ですが、いいんでしょうか?」
「まぁ、蓮華様の方がいいんでしょうけどぉ~、書簡の山に埋もれている蓮華様に報告するのは酷でしょうから~」
蓮華様も魏で何らかの影響をうけたようで真面目なだけではなく、視点を広く持とうとしていますからねぇ。
彼の書簡によって救われたのは、冥琳様だけではないのかもしれません~。
「穏様、穏様はあの書簡を聞き、天の遣い様をどう思われましたか?」
「ん~、そうですねぇ・・・」
そう言いながら、申し訳なさそうに目を伏せる明命ちゃんの考えがなんとな~くわかってしまうような気がしましたぁ~。
私も明命ちゃんも冥琳様の命令という形で従い、関わっていた人間ですからねぇ。むしろ明命ちゃんこそが、言いたいのかもしれません。
「驚いてしまいましたぁ~。
私たちは彼を知らない、どうでもいい存在とすら思っていたにもかかわらず、彼は私たちの良い所を見つけてくれていたことが純粋に嬉しかったですねぇ~。
明命ちゃんはどうですかぁ~?」
「はい・・・ 私もそう思いました。
あの書簡を聞いて驚きましたし、程昱殿と典韋殿があれほどまで優しく語る彼を私は・・・・」
「謝罪の言葉を彼女たちは欲していませんよ~、明命ちゃん。
だから私たちはやるべきことをやりましょうかぁ~。
もう争いが起きないよう、冥琳様がもうあんな心配をなさらなくていいように、私たちが頑張りましょ~。
頼りにしていますからねぇ~、明命ちゃん」
俯く明命ちゃんの背に触れて、私は軽く励ましますぅ。
病気療養ということと今回の責任の件もあり、冥琳様は仕事を私たちに任せることを宣言していますぅ。
冥琳様が病気であることを知った雪蓮様が魏から戻ってきてすぐに大喧嘩なさった時は、おかしなことにほっとしてしまったんですよねぇ~。あのお二人が互いに向き合って喧嘩する姿なんて、あの戦い以降全くなかったことでしたから、あるべきものが元に戻った・・・ いいえぇ~、ようやく今が動き出した気がしましたぁ~。
「おぉっと、危ない」
冥琳様の部屋の扉を開けようとしたその時、突然扉が開いたのでおもわずぶつかりかけてしまいますが明命ちゃんがそれを防いでくれましたぁ~。
「おぉ、久しいな。陸遜殿。
定期検診は無事終了した。
だが、孫策にはあまり患者に酒を飲ますなと伝えておいてくれ」
「華佗さん、お疲れ様ですぅ~」
見ればそこには定期検診に来てくださった華佗さんが、荷物を抱えて帰ろうとしていたところでしたぁ。
「いや、俺は医者として当然のことをしているだけだからな。
だが、俺に治せるのは人の病だけ・・・ 一刀のように人を変えることも、曹操のように大陸を変えるようなことは専門外だ」
そう言って彼は遠い遠い空の向こうを眺めて、何かを振り払うように首を振りましたぁ。
「そして、君たちには・・・ 治政に関わるものには、それが出来る。
この大陸を守り、国を導くことが出来るのは君たちだけであり、創り上げていくのもまた君たちだ。
だから、君たちも周瑜のように無理はしないようにな。俺が必要だったらいつでも早馬で知らせてくれ」
そう言って去ろうとする彼に、私は一つだけ聞きたいことがあったことを思い出しましたぁ~。
「華佗さん~、あなたは友人である彼を悪く言っていた私たちを恨んでいないのですかぁ~?」
彼が天の遣いさんと友好関係があったことはこちらに来てもらう前に明命ちゃんたちの情報から明らかになっていたので、当初は随分論議になったんですよねぇ~。まぁ、雪蓮様の鶴の一声と、こちらは殺されても文句を言えない立場なので受け入れたのですが、月に一度はこちらに通ってくれるほど献身的にしてくださっているので頭が下がる思いですぅ~。
ですがやはりここまでしてくださる理由が単に『医者だから』という答えではどうしても納得できなかったので、一度はお聞きしてみたかったんですよねぇ~。
「もし、あの噂を俺の友である彼が聞いたらなんというか君たちには想像できるか?」
こちらを振り向かずに告げられた彼の問いに、私たちは質問の意図がわからず首を傾げましたが、その沈黙をわかっていたかのように彼は笑いながらこちらを振り向きました。
「『そんなことは気にするな』さ。
そう言ってから、当たり前のように俺に彼女を治療することを頼んでくることだろう。
北郷一刀という男は、そう言う奴だったんだ。
本人が笑って許すようなことを、俺が怒ることなんて出来ない。まして恨むことなんて出来る筈もない。
なら俺は、自分のやるべきことをやるだけなんだ。君たちだってそうだろう?」
まるでこちらを見透かすような言葉ですが、彼の言葉はすんなりと受け取ることが出来ましたぁ~。
「それじゃ、俺はこれで失礼する」
そう言ってくださる彼を見送り、私たちはこれからを創るために扉へと向き直りましたぁ~。
「さぁ~、頑張って説得しましょうかぁ~」
これは私たちがしなければならないことですしぃ、戦のない世を彼女たちと共に築いていくための第一歩を踏み出しましたぁ~。