一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ――   作:無月

14 / 29
苦労を背負う者たち 【思春視点】

「お猫様ぁ~、お猫様はどこですかぁ~~~?」

「あはは~、面白いこと言いますねぇ~? 明命ちゃん。

 この部屋にあるのは書簡だけで、生き物なんて筆を執っている私たちだけに決まってるじゃないですかぁ~」

「書簡が一つ、二つ・・・ あれ? 一本、足りない?」

 呉の城の一室、所狭しと書簡が積まれたそこで私たちはただ淡々と筆を動かしている・・・ 筈だが、流石に全員が徹夜三日目となると会話をしていないと意識を失いかねないので、会話が止まることはない。

「・・・亜莎、失くした分の書簡を補うのはどれほどの書簡が必要かわかっているのか?」

 まずその書簡に書かれていた内容がどんなものであったかを把握するためにこの三日間にあげられた報告書を照らし合わせ、すでに終わっていた書簡の山の中から何が紛失したのかを確認しなければならない。

 無論、そうしている間にも仕事は増えていくが。

「ありましたーーー!」

 そう言って一本の書簡を高々と上げ、一つの山の頂上へと叩き付けるようにして置く。

「そうか・・・

 では、次の書簡にとりかかれ」

「鬼ですか!? 思春様!」

「まだ徹夜三日目だ。

 折り返し地点にすぎない今日、私たちに小休止と食事以外の休息があるわけないだろう」

「そもそも五日間徹夜後、一日休みというのがおかしいんですよ!?」

「七日間徹夜していた冥琳様のお姿を忘れたのか! 貴様!!」

 冥琳様が病気療養するまではこの仕事の主軸を担い、その上で策略まで手を伸ばしていたというのだから、あの方の頭は少しおかしいと思ってしまう。

 一体いつ休息をとっていたのか、眠っていたのか。病魔に憑りつかれていたとは思えないような仕事量をこなし、本当に人間なのかどうかすらも正直疑ってしまうな。

「お猫様ぁ~、うふふふ・・・・ 肉球の感触が物足りませんが、これはこれで・・・・ うふ、うふふふふ・・・」

 私たちがそうしたやり取りをしている間に、明命が懐から出した猫の人形を顔に押し付け始めている。その作りは細かく、小蓮様の愛玩動物である周々、善々の抜け毛を利用したそれは遠目からでは猫にしか見えない代物だった。

「明命ちゃーん? 一人だけ妄想世界に逃げないでくださいね~?」

 当然、それで仕事の手が止まれば、こうなるのだが。

「穏様だってしてたことじゃないですか!」

「私が妄想世界に逃げていた時、仕事を押し付けた人たちがどの口で言いますかぁ~?」

 その発言には明命だけではなく、私と亜莎も睨まれたが、私たちは素知らぬ顔で仕事を続ける。

 だが、考えてみてもらいたい。

 仕事である書簡を片づける中で一人悦に浸り、楽しげに興奮しながら作業する存在。

 まして、こちらが苦戦しているものが快楽であるのなら、仕事を押し付けないわけがない。

 むしろその喜びを増やして、何が問題あるのだろうか?

「思春ちゃーん? なんかすごく開き直った酷い考え方してませんかぁ~?」

「ならば言うが・・・ 書簡を眺め、興奮する悪癖は完治。これで書庫の管理もでき、なおかつ仕事を真面目に取り組むことも出来る。

 ふむ、利点ばかりだな。何か問題点でもあるか?」

「しいて言うなら、思春ちゃんのその対応が問題だらけですぅ~!」

 そう言い返し、怒鳴りあっている中であっても、誰もが手を動かすことをやめることはなく、鋭く書簡を睨み続けている。最早頭の空き容量で別の作業をしていないと仕事をしていることが出来ないほどに、疲労が達しているのだろう。

「うふふふ、穏様はまだいいじゃないですか・・・

 物語を読めば、まだ気持ちよくなることが出来るのですから・・・

 私なんてもう、休みの日ですら疲れ切って生でお猫様を見たのはどれほどの前でしょう・・・」

「それは明命が『癒しが必要』だと言って、連れてきた猫が書簡の山を崩したからじゃないですか!」

 悲しげに言う明命へと亜莎が怒鳴って返す。

 そう、この仕事が始まり、五日間の徹夜が日常となる前に『癒しが必要です!』と主張する明命の意見を取り入れ、猫をこの部屋にいれたことがあったのだ。

 数日間はそれでよかった。

 明命によって用足しや爪とぎなどをしっかり躾けられた猫たちは確かに私たちの疲れを癒すには向いており、仕事中に足元に寄り添う姿やその温もりには目元が緩んだものだった。

 だが、どんなに躾けられていても猫は猫。

 自由気ままで、我儘な存在であり、自分が楽しいことが生きるということである。

 そうして自由を満喫していた猫が書簡の山に登り、飛び降りた時、無残にも書簡の山は崩れた。

 それだけならまだいい。

 小さな山が崩れることは猫が入室して以来たびたびあったことであり、その被害も微々たるものだった。

 だが、この時は崩れた山の規模、そして倒れた方向が悪かった。

 私たちが作業している(・・・・・・)硯が乗っている机(・・・・・・・・)の方へと(・・・・)、崩れてきたのだ。

 当然、作業していた私たちは埋まり、既に終わった書簡は終わっていない書簡と混ざり合い、一部に至っては書き直しという最悪の事態を引き起こした。

「だからと言って、ここまで徹底することはないじゃないですか・・・ お猫様ぁ~」

 それ以来猫の入室は禁止され、書簡を行うこの部屋に近づくことすら禁止。室内では猫が苦手とするらしい柑橘類などの香をたくのと常としている。また窓際からの侵入も防ぐため、窓の前の花壇には香りの強い植物が植えられた。

「この対応は明命ちゃんが常に懐に入れてるマタタビの性ってわかっていますかぁ?」

「それでも猫をこの部屋に入れるというのなら、その被害を受けた書簡の全てをお前が片づけると約束してもらうがな」

「大人しく仕事します・・・」

 穏の言葉と私の言葉を受け、明命は観念したように反論がやむ。

「小休止の時間だよー。

 みんな、お茶とお菓子ねー」

 そう言って入ってくる小蓮様は慣れた足取りで書簡を避け、『済』と書かれた書簡だけを脇に避けていく。私たちも『小休止』という言葉に手元の書簡を終わらせ、担当している書簡をわかるように避けていく。

「小蓮様、ありがとうございます。

 そちらの書簡の進み具合はいかがでしょうか?」

「まだ今日の分は半分くらいかなー、シャオも運んだりして手伝ってるけど、姉様の方も休憩入れないと駄目だね。

 シャオはこのまま蓮華姉様にもお茶とお菓子持っていくから、印璽必要な書簡ってどれー?」

 小蓮様も立派になられたとしみじみと思いながら、お茶を口にする。

「あっ、そうだ。穏。

 姉様たちに聞いたんだけど、シャオが荊州に行くって本当?」

「はい~、荊州は三国それぞれから将を集め、共同で管理するという形になりましたからぁ~。

 しかも三国共に年若い将がそれぞれ派遣される形ですので、こちらからは小蓮様を推薦しましたぁ~」

 私たちは既に穏が帰って来た当日に会議にて話されていたので、これと言って驚くこともなく、その話を黙って聞いていた。

 話を聞いたときは耳を疑ったものだったが、三国の状況から見れば最善の手段。

 あえて付け足すなら、こうした書簡片づけの援護に回ってくださっていた小蓮様が抜けるのは少々辛いが、それも荊州問題が戦へと発展しなかったことを考えれば些細なことだ。

「ってことは、流琉や季衣、鈴々に会えるってこと?」

「はい~」

「やったー!

 シャオはこの書簡地獄から解放されるんだね!!」

「「「「・・・・・」」」」

 天真爛漫という言葉が似合うその笑顔に私たちはあえて何も答えず、笑って誤魔化す。

 今我々がこうして忙しくなっているのは各地の警邏隊の報告書に加え、地方の状況から改善へと持っていく案などが多く持ち込まれているためであり、それは勿論荊州にも言えたこと。むしろその状況は、しばらく上に人がいなかった荊州の方が酷いであろうことは目に見えていた。

 だからこそ魏は二人派遣するのだろうが、呉にも、そしておそらくは蜀にもその余裕はない。蜀は占領されている土地がなかった分だけ警邏隊の書簡はないだろうが、統治するにはそれなりの書簡が行き交うことは確かだ。

 小蓮様は雪蓮様に比べればいくらか書簡に慣れてはいるが、苦労することになることはまず間違いない。というのが、将の結論であった。

「ん? みんな、どうかしたの?」

「「「「イーエ、ナンデモアリマセン」」」」

 内心で手を合わせ、私たちは小蓮様が運んでくださったお茶とお菓子で味わうことに集中した。

 

 

「思春ちゃーん、この仕事はいつ終わるんでしょうねぇ~」

 小休止が終わり、また書簡へと向き直った私たちはまた会話を開始していた。そうでなければ、静かなどにしてしまったらここに居る者が眠りへと落ちかねない。

「あと二月は無理だろう。

 あの書簡に書かれていた大会などの試作会がこの忙しさの区切りになるだろう、というのが冥琳様の予想だ。

 その頃になれば各地にも多少は余裕が生まれ、数名は戻ってくるという話が出てきている」

「ふ、二月・・・・ 私たち、それまで持つんでしょうか・・・」

「お猫様成分が足りません! もう無理ですよぉー!」

「えぇい! 泣き言を言うな!!

 かの公孫越はこの一年、たった一人で幽州の地を統治し、以前からあった異民族との友和すら保っているのだぞ!

 名立たる将を持つ我々の方が、幾分かいい状況だということを自覚しろ!!」

 泣き言を口にする亜莎、明命を一喝する。

 最近は隠密の仕事を出来ず、報告でしか知らないが、公孫越は遠く離れた地で一人、姉の留守を守っている傑物だと聞いている。

 隠密として飛び回っていた頃は、公孫賛の影を支える控えめな女性といった印象の強かったが、元からそういった才はあったのだろう。もし会う機会があったのなら、ぜひとも話を伺ってみたいものだ。

 そう言って何とか二人を奮い立たせようとはするが・・・・ 気力がどうにかなれば回るような状況下ではなく、人手が足りていない。

「くそっ、人手が足りん!!

 明命! 周々と善々を連れてこい!!」

 こうなれば最後の手段・・・・ 人手がないのなら・・・・

「はい?! 思春様、何をする気ですか!?」

「書簡をやらせるに決まっているだろう!

 猫の手は役に立たんし、言葉は通じん。だが、奴らなら小蓮様の言葉を理解している。

 ならば、書簡作業ぐらい躾ければできるように・・・」

「思春様、落ち着いてくださいーーーーー?!」

「うるさい、離せえぇぇぇーーー!」

 明命に押さえつけられながら、亜莎を見れば、手を動かしたまま口から半透明な何かをだし、そちらも書簡を片づける作業を行っていた。

「おぉ、流石は亜莎。

 体を二つに分け、人手を増やすか。見事だな」

「え? ・・・・って亜莎ーーー?!

 一人で逃げるなんて狡いですー! 逃げないでぇー! 逝かないでーー!! これ以上、人手を減らさないでーーー!!

 穏様、亜莎をお願いします!!」

「任されましたぁ~~~。

 一人だけ逃げるなんてさせませんよぉ~? 亜莎ちゃん」

 そう言って穏はどこから取り出したのか、七節棍『紫燕』で亜莎を殴りつけ正気に戻らせた。半透明な何かは口へと戻り、亜莎は自分がどうなっていたのかわからなかったらしく、周囲を確認していた。

「ちぃっ、人手が減った!」

「そこですか?! 思春様!」

 それ以外にこの部屋に重要項目は、存在しない。

 雪蓮様に仕事をさせればいいのだろうが、あの方は冥琳様の看病という建前を使い、街のあちこちを放浪している。

「くっそ! あの飲んだくれが!!」

「思春様! 流石にその発言は駄目ですよ!?」

「はははは、おかしなことを言うな。明命よ。

 私は『飲んだくれ』と言っただけで、看病と言いながら酒を飲み、語り合うだけで一日を過ごすような我らが王・孫伯符様のことを言ってなどいない。

 そう断じて! 言ってなど! いない!」

 週に一度は繰り返すこのやり取りを続けながら、私たちの毎日はこうして過ぎていく。

 書簡に追われる日々、武官には縁のなかった仕事。

 だが、それをあの乱世でこれほどの書簡仕事を行っていただろう魏と、幽州の地へと尊敬の念を抱かざるえなかった。

「こんな忙しい中で、戦などやっていられるかあぁぁーーー!」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。