一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ――   作:無月

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志を継ぐ者 【沙和視点】

「やっぱり、隊長の部屋は落ち着くのー」

 隊長が使っていた椅子に座って、机についた墨の痕が何だか隊長の居た小さな証が愛しくて指でなぞる。

 沙和たちは外を回ったり、訓練したりしてたから、ほとんど来ることのなかった部屋だけど・・・ ここに来ると自然と落ち着いて、隊長が居た楽しい時間が次々と浮かんでくるの。

「隊長は本当に、お人好しなのー。

 自分が居なくなった後もいろんなところ気に掛けるし、真桜ちゃんに無理難題残すし、あれじゃ隊長いないのに隊長を好きになっちゃう女の子が出てきちゃうの」

 隊長の机の上に置かれた一本の書簡、それは魏だけじゃなくて三国のたくさんの人の名前が書かれた催し案の原本。

「もう、どんだけ女好きなのー?

 隊長が戦場でどれだけ三国の美女を見てたのがよーくわかって、華琳様たちもみんな呆れちゃったんだからね」

 魏だけじゃなくて、他の陣営の人たちのこともこれほど見ていたことに少し嫉妬しちゃったけど、それも含めて『隊長だなぁ』って思ったの。

 人の良い所を見つけるのが凄く上手で、誰にでも手を伸ばしてくれた隊長。

 思えば沙和がここに居れるのも、隊長のそうした面のおかげだよね。

 だって隊長は、みんなの良い所もたくさん見つけてくれたんだもん。

 自分じゃ当たり前って思ってたちょっとしたことが凄いことなんだって教えてくれて、いろいろなことをさせてくれたよね。

 そんな隊長をね、沙和は凪ちゃんと真桜ちゃんとずっと一緒に追いかけてたんだよ。

「えへへ、でもだーい好きなの。隊長」

 ここに居なくても、どれだけ離れてても、たとえもう会えなくても、ずっとずっと大好きなの。

「沙和、居るか?」

 突然聞こえた凪ちゃんの声と扉の開く音に対して驚かずに、沙和はそのままの姿勢で向き直ったの。

 凪ちゃんも椅子に座ったままの沙和を気にした様子もなくて、むしろ少しだけ目元が緩んだ気がしたの。そんなちょっとした仕草で、凪ちゃんがこの椅子に本来座っているべき隊長の面影を見たことは沙和にはばればれなの。でも、その気持ちもすっごくわかるから、沙和はなーんにも言わないし、言えないの。

 幻でも嬉しくて、一瞬でも励まされちゃう。悲しい筈なのに、ここだと涙よりも笑顔が零れちゃう。まるで隊長がこの部屋に残したお(まじな)いみたいだよね。

「なぁーに? 何かあったのー? 凪ちゃん。

 ていうか、沙和がここに居るってよくわかったね?」

 そう言って笑いながら立とうとすると、凪ちゃんはそのままでいいことを手で示してくれたからとりあえず座ったままにしておくの。

 今日は非番だったから書き置きも特にしないで朝からずっとここに居たし、誰にもわからないと思ったんだけどなぁ

「我々将の誰かが非番で、部屋には不在。

 街に居るのなら警邏隊の誰かが見かけ、直接お前に報告するだろう。わざわざ私のところまで報告は来ない・・・・ ならば、ここしかないだろう?」

 まるで自分も非番の日にそうすることが自然みたいに言う凪ちゃんは、隊長が使っていた寝台を目を細めて撫でてるの。こういう凪ちゃんの表情は、沙和たちと隊長ぐらいしか知らないもんね。

「それにここ最近は何かと忙しない。休みの時ぐらいは、ここで過ごしたくなる気持ちもわかる」

 でも、その表情は途端に険しくなっちゃったの。

「劉備がお前の元を訪ねてきたそうだ。

 今は街の、お前の行きつけの茶屋で待っているそうだが・・・」

「うん、わかったー。

 じゃぁ、ちょっと行ってくるね」

 少し言いにくそうにする凪ちゃんに、沙和は笑って立ちあがる。そうして扉へと向かうと、凪ちゃんは手を掴んできたの。

「沙和・・・・」

 凪ちゃんが止めようとする理由もわかってるし、それでも沙和が止まらないことをわかってるんだと思う。だから、そんな複雑そうな顔をするんだろうし、ほどけるぐらいの力でしか手を握ってこないんでしょ?

 

『沙和、どうしてお前はそう在れる?

 どうしてあいつらを・・・・ あんな奴らを友と呼べる? 真名を預けられる?

 何故・・・ 迷いもなく手を伸ばすことが出来るんだ?』

 

 他の陣営の子たちと仲良くする沙和に、凪ちゃんが言ったあの言葉は別に意地悪じゃないってわかってるの。

 隊長がいなくなった理由が、蜀と関わってたかもしれないこと。

 もし桃香ちゃんが違うことをしていたら、隊長はここに居たかもしれないこと。

 沙和がわかる範囲で、これくらいはわかってはいるの。

 それに隊長を馬鹿にされて怒ってないわけじゃないし、悲しくないわけでもないの。

 でも・・・・ でもね、凪ちゃん。

「桃香ちゃんは、どうして沙和の元を訪れたんだろうね?」

 沙和のその言葉に凪ちゃんが質問の意味がわからない感じで見てくるけど、沙和は続けるよ。

「きっとあの村を見て、何かを思ったから・・・ 何かを考えなくちゃいけないと思ったから、誰かと話をしたいんじゃないかって思うの」

 あの村は隊長の居た証、隊長が築いたもので溢れてたの。

 だけど同時に、桃香ちゃんが見てこなかったものがたくさんあったの。

桃香ちゃん(友達)がちゃんと向き合って、変わろうとしてるんだもん。

 沙和はそれを、全力で応援するだけだよ」

「だが!」

「隊長はさ、なーんにもない沙和にもいろんなことを教えてくれたよね」

 何かを言おうとして怒鳴りかけた凪ちゃんの言葉に割り込んで、まっすぐ凪ちゃんを見つめる。

 気術を使える凪ちゃん、頭のいい真桜ちゃん、だけど沙和は・・・ 沙和だけは何にもなかったの。

 そんなに力はないし、頭がいいわけじゃない。泳げないし、好きなことはお洒落だもん。

 でも、そんな沙和を華琳様は受け入れてくれて、隊長も見捨てたりしないで、沙和の可能性を見つけてくれたの。

「いつも沙和たちを信じて、任せてくれて、たくさんたくさん応援してくれてたよね」

 その応援はきっと大したことじゃなかったもしれないけど、沙和はすっごく嬉しかったの。

 あの演習の時も、泳ぎ方を教えてくれた時も、隊長はいつも沙和たちを見守ってくれて、信じてくれて、届かない筈なのにいつも隊長の気持ちは聞こえてる気がしたの。

 たった一言で勇気が溢れてきて、立ち向かうことが出来たことをずっと忘れない。忘れられないから

「今度は沙和が、頑張ろうとしてる桃香ちゃんを応援してくるの」

 駆けだした沙和を今度は止めなくて、でも凪ちゃんが言ったことは沙和にははっきり聞こえてたの。

「隊長・・・ あなたの志を私たちの中で一番継いだのは沙和だったようですね」

 誠実さと、発想を受け取った二人には負けちゃうようなことだけど、なんだか嬉しくなったのは秘密なの。

 

 

 

 行きつけの茶屋に行くと、外の席でぼんやりと空を見ている桃香ちゃんを見つけた。沙和に気づいた様子もなくて、この間の焔耶ちゃんの姿はなかったの。

 まぁ、居ても別に気にしなかったけどねー。

「とーおっかちゃん!」

「きゃっ?!

 って、沙和ちゃん・・・」

「やっほ、桃香ちゃん。来たよーん」

 手をあげて挨拶すると、なんでそんな微妙な顔するのかなぁ? 怒っちゃった?

「来てくれたんだ・・・・」

 なんかすごくほっとしたような顔されたのー。何でー?

 わけがわかんなくて首を傾げると、桃香ちゃんは座るように促してくれたの。

「ちょっとだけね、来ないかもしれないって思ってたの。

 あの時、沙和ちゃんのことも怒らせたんじゃないかって思って・・・ 会ってくれないんじゃないかって」

 桃香ちゃんは顔を合わせることが気まずそうに目を逸らしたの。

 そう言う不安を抱いてくれるくらいあの村を訪れたことは、桃香ちゃんの中にちゃんと何かが残ったことが嬉しいなんておかしいのかな?

「そんなことくらいで友達を嫌いになったりなんかしないよー」

 そう言いながら沙和はいつものお茶とお菓子を頼んで、目を丸くしてる桃香ちゃんへと笑いかける。

「沙和ちゃん・・・・」

 俯いてた顔は少しだけ明るくなったけど、やっぱり暗いままで何から話せばいいかわからないって顔に書いてあるの。

 桃香ちゃんの言葉を待ってたら、沙和のお茶とお菓子が届いたの。

「桃香ちゃん、ここのお菓子すっごく美味しんだよ。一緒に食べよ」

 隊長が『くっきー』と呼んでいたお菓子を差し出しながら、このお菓子って杏仁餅(シンレンビン)によく似てるよねー。違うのは緑豆粉じゃなくて小麦粉を使ってることと、香りづけに使ってた杏仁がないこと。でも卵とばたーは微妙に高いから、もっと手軽に作れるように出来ればいいのになぁ。

「沙和ちゃん・・・・ 私、私はどうすればいいのかなぁ」

 くっきーを食べて、桃香ちゃんはようやく少しずつ整理していくみたいに口を開いた。

「村を見た後、ずっと一人で考えてたの。

 私は民の人たちから見たらどう映ってたんだろうとか、朱里ちゃんたちが何をしようとしてるのかを知ろうと思って噂を聞いてみたりとか、私は朱里ちゃんたちを罰さなくちゃいけないのかなとか・・・・ でも、その前に沙和ちゃんたちに謝らなくちゃって思って今日ここに来たんだけど」

 一生懸命に自分の気持ちを言葉にしようとしている桃香ちゃんを見守りながら、思い出したのはあの時の桃香ちゃんの言葉。

『だって、もういない人を悪く言ってもしょうがないでしょ?』

 あの言葉は、痛かったの。

 でも、痛かったからって、それを同じように殴りつけたらきっと何も変わらないの。

 今沙和が向き合ってるのは『蜀の王』でも、『敵』でもなくて、『友達』の桃香ちゃん。手を取りあう大切な友達を殴って、気持ちが晴れるわけじゃないもんね。

「ねぇ、桃香ちゃん。

 今、桃香ちゃんは朱里ちゃんたちを『罰する』って言ったけど、一つだけ聞いてもいい?」

 桃香ちゃんは私の言葉に不安げにしてるけど、それはちょっと気にしない振りをするの。

「桃香ちゃんが最後に妹ちゃんたちを・・・・ ううん、桃香ちゃんが『仲間』って呼ぶみんなの顔をまっすぐ見たのはいつ?」

「えっ? それは毎日・・・・」

「『まっすぐ見る』って、顔を合わせるってことじゃないの」

 ゆっくりと首を振って、桃香ちゃんの手を取ってまっすぐと見つめる。

 白くて、指先にも、掌にも胼胝(たこ)のない綺麗な手をほんのちょっとだけ羨ましくて、いろいろしてるけどやっぱり荒れてる沙和の手とは違うんだなぁって思っちゃった。

「確かに朱里ちゃんたちがしてることに沙和たちは怒ってるし、嫌だなぁって思ってるけど、それは隊長が大好きな沙和たちの・・・ 魏の意見なの。

 でもね、それが全てじゃないんだよ?

 桃香ちゃんの意見だって、焔耶ちゃんの意見だってあるみたいに、朱里ちゃんたちだって何かを思って行動してるって思うの」

「朱里ちゃんたちの、意見・・・?」

「そうなの」

 沙和にはわからないことだってたくさんあるけど、桃香ちゃんが仲間って呼ぶ朱里ちゃんを信じたいし、沙和にとっても大切な友達だから信じたいの。

「沙和は下っ端だから詳しいことはわかんないけど、軍師の策は確かに戦うためのものだけど、いつも誰かを守るためのものでもあるんだよ?

 けどこの誰か(・・)は、顔が見えない民なんかじゃないって沙和は思うの」

 桂花様も、稟様も、風様だって、沙和の知ってる軍師様は一途で、自分たちがしてることの重さを正面から受けとめる凄い人たちなの。

 策はいつも守るための戦いで、自分の失態を誰よりも責めちゃう人だって稟様を見てるとわかっちゃった。

「ねぇ、桃香ちゃん」

 もうわかるよね? 沙和がさっき言った言葉の意味。

「・・・・っ!」

 桃香ちゃんは突然、両手で自分のほっぺたを叩いて立ち上がったの。

 もう何も迷ってない緑がかった青の瞳はまっすぐと前を向いて、輝いてたの。

 うん、これならもう大丈夫だね。

「沙和ちゃん、話を聞いてくれてありがとう。

 私、今から蜀に帰るね。

 蜀に帰って、みんなとちゃんと話をする。朱里ちゃんたちとちゃんと向き合って、頑張ってみる」

「うん。

 話が終わったら手紙送ってねー」

「うん!

 じゃぁ、またね。沙和ちゃん」

 そう言ってお代を置いて駆け出していく桃香ちゃんに手を振って、沙和はもう一人分お茶を頼むの。

「あっ、ついでにメンマもお願いするの」

「大盛りで頼む。

 あと茶は結構、酒を買ってきたのでな」

 さらっと桃香ちゃんが居た席に座って、酒瓶を手にして酔っぱらったみたいにしてるけど、お酒の匂いが全然しないのに酔った振りされても微妙なの。

「酔っぱらった振りしなくていいの。

 ずっと聞いてたんでしょ? 茶屋の窓際の席で」

「やはり、警邏隊の一角ということはある。その洞察力には感服する」

 手を叩いて、ほめたたえてくるけど、それも少しの間だけで真面目な顔をして沙和へと向き直ったの。

「だがまずは、礼を言わせてほしい。

 桃香様を励ましくれたこと、深く感謝する。そして・・・」

 どうってことないの、と返そうとした瞬間、星ちゃんはまだ言葉を続けたの。

「身内である我々以上に朱里たちのことを想い、信じようとしてくれたことにも感謝する」

 そう言って星ちゃんに頭を下げられるけど、それは違うの。

 確かに沙和は友達だから三人を信じたけど、行動に移そうとしたのも、変わろうとしたのも沙和じゃない。

「それは違うの。

 誰かを想ったのも、信じようとしてたのも、沙和じゃないもん。

 沙和は桃香ちゃんの背を押して、応援しただけだよ」

「それでもそれは、同じ陣営の我々には出来ぬことだ。

 『仲間』と呼ばれながら、我々は『武将』で在りすぎる。

 あの方の思いも、朱里の思いにも気づいて傍に居てやることも出来ずに、決めつけてしまったかもしれぬ」

 どこか自嘲気味に笑う星ちゃんは肩をすくめて笑うけど、その笑みにいつもの明るさはない。表情にも出してないつもりなんだろうけどそれが秋蘭様と重なって見えて、自分を責めてることがなんとなくわかるの。

「かといって、気遣おうとした紫苑殿は動きすぎたが故に遠ざけられてしまう始末。

 見ようとしても避けられ、普通に接するということも忘れてしまっていた。

 まったく、我々はどれほど前から行き違っていたのだろうか」

 その言葉で蜀の中にも気にかけて動いてくれた人が居たことがわかって、嬉しくなっちゃった。

 止めようと動いてた風様とかの努力は、けして無駄なんかじゃないんだって思えるもんね。

「でも、桃香ちゃんはちゃんと気づけたもん。

 もう大丈夫なの、一人で誰かが背負うことなんてしなくていいの。

 みーんなで泥をかぶっても、そこからどうするかで全部変わるの」

「泥をかぶる、か。

 それも悪くない・・・・ いいや、そうするべきだったのだろうな。

 主と、あの小さな軍師たちと共に泥をかぶり、今度こそ我々は前を向いて見せる。

 こうして気遣ってくれる他国の友に、少しでも顔向けできるように行動するとしよう。

 この趙雲子龍、魏に受けたこの恩をけして仇で返さぬと約束する」

「そんな約束しなくていいから、桃香ちゃんを助けてあげてほしいの。

 王も、将も、軍師の括りもない蜀の、大切な仲間なんでしょ?

 一緒に歩いてきた友達を、ちょっと見失っただけで探すのやめちゃうようなことはしないよね?」

「・・・フフッ、その強さもまた彼が残したものか。まったく、恋とはどれほど女を強くする?

 清きを捨てずに、恋を知らぬ我々が勝てぬも道理よな。

 去りてなおこれほど大陸に影を落とす男、天の遣い・北郷一刀。

 いやまったく、良き男であったのだろうよ。

 では、また会おう。魏国の友よ。

 良き報告を待たれよ」

 凄く芝居がかった言い方をしながら去っていく星ちゃんを見送って、沙和は聞く人の居ない返事を呟いた。

「それは違うよ、星ちゃん。

 沙和は強くなんかなくて、ずっと信じることが出来たわけでもないの」

 焔耶ちゃんと桃香ちゃんの言葉を聞いたあの日、沙和は本当に怒ってた。

 『これでもし本当に戦いがおきたら、見限れる』『容赦なく叩き潰せる』って思ってたのに、隊長があんな手紙残すんだもん。

 もう、隊長はずるい。

 自分はさっさといなくなっちゃたのに、こんな風にみんなを守っちゃうんだもん。

「隊長が居たから、あの手紙をあったからそう思えたの」

 でもやっぱり、沙和たちを沙和たちで居させてくれるのは隊長だけなの。

「だから、早く帰ってきてほしいの」

 帰ってきたら『おかえり』って笑って、新婚さんみたいに隊長を出迎えるからね。




杏仁餅について
 クッキーに似た風味のあるお菓子。実在します。
 マカオではアーモンドクッキーと呼ばれているようです。
 杏仁、緑豆粉、砂糖、植物油を使用して作られているそうです。

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