一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ――   作:無月

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殺意を抱く者と友を想う者 【雛里視点】

「こんばんわ、鳳雛」

 ある商家との話し合いを終え、辺りはすっかり暗くなってしまった帰り道。私にかけられた言葉は冷たい殺気が込められた、一番聞きたくない人の声でした。

「だ・・・・」

「人など来ませんよ。

 警邏隊のない町の夜に、誰かが助けに来るはずがないでしょう?

 ましてや、将たちもこの時間は得物を持って駆けまわることも出来ません。

それに少々、あなたと二人きりで話をしたかったので細工をさせていただきました。

 今更私が、『誰?』などと愚かな問いを口にしたりはしませんよね?」

 言葉を遮り、蜀の欠点をつく外套を被った女性。

『誰?』と問うことも無意味、私は彼女を誰かわかっているんです。

 私と朱里ちゃんがこの策を立てた時、もっとも警戒しなければならないと思っていた人。

「何の様ですか? 郭嘉さん」

 幾度も戦場で向き合い、互いの腹を探り合った魏の軍師の一角である存在。

 曹操さんにも噛みつくその威勢、名を偽り、大陸を渡り歩いた彼女は朱里ちゃんと私を悩ませました。

 定軍山にて将の一角を確実に打ち取れると思っていた策が破られた際、公には天の遣いの功績とされましたが私と朱里ちゃんはずっと彼女が破ったのではないかと思っていました。

「ましゃか、私を殺しに・・・?!」

 魏が今の噂から行動起こす中で最悪な手段を取ったのかと思い身構えますが、彼女はゆっくりと首を振りました。

 そう、とても残念そうに。

「いいえ、残念ながら違います。

 私はあの方が望まれることを成すためにここに在り、あなた達がしてしまっているだろう誤解を解くためにあなたに会いに来ました」

「誤解・・・?」

「えぇ、誤解ですよ。鳳雛。

 そして、臥龍もまた同じ誤解をしていることでしょう」

 口元に笑みを浮かべることもなく、ただ冷たい殺気を向け続ける彼女の蒼い瞳は形を保ち、幻想的に美しい筈の色。だというのに、下手に触れてしまったら火傷どころでは済まないような怒りに揺れていました。

「それは、一体・・・・」

「鳳雛、あなた達は己の敗因を『天の遣いによって、魏が歴史を知っていたから』とでも思っているのではないですか?」

「っ!? そんなこと!」

「ないとは言わせませんよ。

 現にあなた達は彼がいなくなったことを好機と思い、行動を起こしているではありませんか。

 天の歴史と知識が自分たちにあれば、違っていた。

 それがあったから負けたのだと、あなた達は信じてやまない。いいえ、信じていたいのです。

 自分たちが立場としても低く、この大陸で劣った存在として見られる男性に負けたことを認めたくがないために」

 笑うこともなく、ただ淡々と言葉を紡ぐ彼女は私からけして目を逸らさない。

「そ、そんなことはありません!

 天の歴史で私たちの策を予測なんて、何の根拠もないことです!!

 それに私達が成功とする思っていた定軍山だって! 郭嘉さんは・・・!」

「それを破ったのは、私ではありませんよ。鳳雛」

「えっ・・・・?」

 郭嘉さんから口から放たれたのは、予想外の言葉・・・・ いいえ、信じたくない言葉でした。

 あの策を破ったのは、郭嘉さんじゃない?

「もう一度、言いましょう。

 あなた達の策を破ったのは、私ではありません。

 いいえ、あの方の傍に居たのが我々だけであったのならば、あなた達の策は成功していたと言ってもいいでしょう。あの策は荀彧殿にも、程昱にも、そして私にすら読むことが出来ず、あの方の不意を打つことすら出来てしまった。

 そう、たった一つの異分子。この大陸に、陳留に落ちたあの星さえなければ」

 私たちの策は、成功していた? 荀彧さんの、程昱さんたちの・・・・

あの曹操さんの裏をかけていた?

「えぇ、確かに彼は一度だけ、一握りの天の歴史を我々へと語りました。

 もっともその代償は、我々がもっとも愛した彼を喪失するというあまりにも大きなものでしたがね」

 自嘲ぎみに彼女はわずかに笑い、その言葉を言い放つ。

「彼は自らの存在と引き換えにしてまで・・・・ あの方との誓いを破ってまで彼は、彼女たちを守ることを選んだ」

 自分の存在と引き換えにしてまで? 守ることを選んだ?

 まさか・・・ まさか? まさか!? まさか!!?

「言ったでしょう?

 あなた達は一つ、誤解をしています」

 私は・・・ 違う。私だけじゃない。きっと、私と朱里ちゃんはしてはいけない誤解をしていたんだ。

 そこで彼女は一拍置き、その瞳は強い輝きを放ち、まるでそこに彼女の強い思いがあるように感じられました。

 揺らめき、燃え盛り、本当ならば燃やし尽くしてしまいたい存在を前にして己を律し、形を保つ姿が私はただ恐ろしくてたまりませんでした。

「あなた達は、彼を見誤った。

 彼を信じず、彼の存在を疑い、彼が成したことを我々がしたことだと勘違いし、彼のことを『たかが男』と見下した」

 私たちは彼を知らない。

 表に出ることも、武勲も上げることもない。軍師として名高いわけでもなく、名家でもなかった彼が『警邏隊』などというものを作ったことすらも眉唾であり、信じようとすらしなかった。

 実際に会ったこともなければ、言葉を交わすこともなく、遠目で見た程度では常に笑顔をするどこにでもいる胡散臭い男と感じた程度。

 ましてや苦戦を強いられ、優秀であることを噂に聞いていた彼女たちが心から彼を愛しているなんて、信じられる筈がない。

「ま、さか・・・・」

 噂の全ても、私たちが本当に思っていたこと。

 女たらしであることも、妖術を使ったということも、歴史と知識にのみ頼って生きていたんじゃないかという推測も。

 彼は無能であり、周囲の彼女たちによって魏は成り立ったのだと。そう思わなければ、辻褄があわないとすら思っていた。

『もし本当に、噂に流れている全てを彼が行っていたことだとしたら?』

 そんなことを頭の片隅にすら置くこともなく、可能性の一つとして考えることも出来なかった。

 いいや、正しくはそうではない。

 私たちは彼女が言うように、信じたくなかった。認めることなど出来る筈がなかった。

 自分たちが存在すら不確かな男性が考えつくような警邏隊(もの)を生み出すことも出来ず、彼が成したことの半分も私たちは出来ていない現状を突きつけられることを無意識に拒んでいた。

「気持ちはわかりますよ? 鳳雛。

 我々軍師にとって男など兵の一兵にすぎず、女よりも本能に生きる者。

 愚かで扱いやすく、かといって女の強いこの大陸で力もない憐れな存在。そんな者に負けたなどとなれば、汚名どころではないでしょう。

 ましてや、同性のみで構成された学院から出てきたあなた達にとって、異性は怪物に映ってもおかしくはない。それにあなた方は黄巾兵に襲われたところを救われたとのことですから、その際に男性に対して恐怖心を抱いても仕方がありません。ですが・・・」

 変わらぬ殺意と、怒りを乗せた目で私を見る彼女の想いがようやく私にも理解できる。

「だからこそ、あなた達には我々の行動を読み切ることが出来なかった。

 彼が知り、行い、守り、残し、望んだこと。そして、そんな彼から私たちが教わり、この胸に残したものを。

 彼を知らず、恋を知らぬあなた達に理解することなど出来はしないでしょうね」

 その言葉を最後に彼女は私から背を向け、歩み去ろうとしていく。

「待ってください! あなたはどうしてこんなことを・・・・」

 その想いが本当だというのなら、私たちは魏によって抹殺されてもおかしくない。この事を伝えるまでもなく、軍を連れて踏み潰すことが魏には出来てしまう筈なのに・・・

 もし本当にそうだというのなら、彼女こそが一番私たちを・・・・

「どうしてあなたが、私たちへと手を・・・・!」

 『差し伸べてくださるんですか?』と続けようとした瞬間、彼女の拳が壁を叩き私を鋭く睨みつけました。

「あなた達へ私が手を・・・ なんですか? 調子に乗らないでください。鳳雛」

 先程までと変わらぬ鋭い声から溢れるのは一瞬前までよりもはるかに感情的であり、もし彼女に武があったならこの場で私を斬り殺しまいそうで。

「彼が望み、あの方が成し遂げる覇道の中にこの国はあり、あなた方がいた。

 あなたが今、私の前で命を繋いでいる理由はそれだけです。

 そうでなければこんな国もあの無能君主も、あなたも、臥龍も、傍観し続けた老将も、若き盲信者も、何も知らずのうのうと生きる者たちも、叶うことならばこの国の全てを私は塵にしてしまいたい。

 そうならないのは一重に、それを望まぬ方々が居たというだけの事です」

 怒鳴りもせずにただ淡々と、成すことをのみを端的に告げるその様子こそが何よりも恐ろしく。

「主の意を超えて行動するのが軍師ですが、主の想いのためならば己の願望すら捨てるもまた軍師。

 もっとも・・・ 偶然という名の下で自らの望みを聞き入れるような傀儡君主を仕立てあげ、ある意味主を作り上げたあなた方には理解することは出来ないでしょうね」

「私たちが桃香様を・・・・ 作り上げた?」

 言葉を繰り返す私を一人残し、彼女は今度こそ振り返ることもなく、夜の闇の中へと消えていきました。

 

 

 

 思い返せば私と朱里ちゃんは郭嘉さんが言った通り、男性を見下していました。

 女学院という狭い世界で得られる『男』という知識と、士官先を求めて飛び出した先で私たちを襲った黄巾の人たち。

 怖かった。

 朱里ちゃんと二人、多くの男性に囲まれて刃物を突き付けられ、大きな声を向けられ、今にも襲い掛かってきそうだった姿は今も脳裏に焼き付いています。

「けれど郭嘉さん、あなたの言っている言葉は正しいけれど、違ったんです」

 私たちがしてしまった誤解は彼を知ろうともせずに見下したこと。それは揺るがない。

 けれど、私たちの最大の誤算は曹操さんの方でした。

 曹操さんがたった一人の男性によって変わったことが、私たちの誤算。

 曹操さんが以前の曹操さんのままだったのなら、私たちはきっと・・・・

「でも、それは・・・ 自分の視野が狭かったことの言い訳にもなりませんよね・・・」

 あの時、偶然出会った桃香様に惹かれたことに偽りはないけれど、打算が全くなかったわけではないのが正直なところです。

 劉姓と『靖王伝家』、武に愛された二人の義妹。そして、軍師が足りないという欠点はまさに私たちにとってうってつけの士官先でした。勿論大成する保証もありませんでしたが、その点において桃香様はまさに運に愛された方でした。

 黄巾の乱、反董卓連合、官渡の戦い・・・ 次々と起こる争いの中で勝ったことはなくとも生き残り、勢力として衰えることがなかった。けれど、その時に筆頭軍師である朱里ちゃんにかかった負担は大きなもので、私は朱里ちゃんを支え、傍に居て、肯定することが役目となっていました。

 多くの策を練っても勝利を掴むことが出来ず、出会う将の多くは武に特化しすぎました。

 その苦しみを理解できる私は、誰よりも朱里ちゃんの味方でなければならない。

 だかこそ、朱里ちゃんが考えた今回の策を反対することが出来ませんでした。

「それに朱里ちゃんの想いは・・・・」

 朱里ちゃんがただ欲に溺れただけなら、止めることが出来た。

 戦が終わったその時から・・・・ ううん、きっと正確には違う。

 桃香様があの日にあの言葉を口にした時から、朱里ちゃんの中で強い焦りが生まれ、留まることを知らない魏の発展がそれに拍車をかけていったんだと思う。

 次へ、次世代へ繋げよう。新しきを取り入れて、技術と文化を守り、残そうとする魏に対して蜀は・・・・

「誰かが悪かったなんて、ないのに」

 郭嘉さんと別れて数か月、遅すぎたかもしれないけれど多くの情報を集めて、私が思ったことの結論がそれでした。

 みんな必死でそれぞれ違って、誰しもが何かを守りたくて、全てが行き違ってしまった。

「・・・・ねぇ、天の遣いさん」

『彼が望み、あの方が成し遂げる覇道の中にこの国はあり、あなた方がいた』

 他に驚く点が多く、後になって気づくことになりましたが、あの時郭嘉さんは確かにそう言いました。この言葉から考えるに彼が消える前に言い残した、あるいは何かに書き記したものにそうした類の言葉があったことが想像できます。

 けれど、彼は私たちと顔を合わせたことなんてなかったのに・・・・ 私たちの事なんてそれこそ噂ぐらいでしか知り様がない筈です。

「あなたは一体、何を望んだんですか?

 あなたはこの大陸に、何を思い描いていたんですか?」

 知らない土地、知らない人、わからない常識。未知に囲まれていた彼は曹操さんと出会って何を思ったのか。

「あなたに会ってみたかったなんて、遅すぎましゅよね・・・・」

 私と朱里ちゃんのどちらかでもあなたに会えていたら、何かが変わっていたんですか?

 あなたが蜀へ降りたなら、私たちを救ってくれたんですか?

 もうありえない仮定ばかりが浮かび、私は首を振ってその考えを散らしました。

「朱里ちゃん・・・」

 私たちはここまで来てしまった。もう止められない。止まらない。

そして私は朱里ちゃんの傍らで、どんなときだって味方であることを選んだから。

 机の上に山となっている書簡、その中でほんの数日前に届いた書簡を手にとり、そこに書かれた文字へと目を落とします。

 書かれている内容は桃香様らしくなく簡潔で数日後には帰還し、その後に全ての将を集めた会議を行うとのこと。

 全て遅かったかもしれない。手遅れかもしれない。けれど、今はもう今に向き合うしかなくて、目を逸らすことは許されない。

 でもどんなに間違ってしまっていたとしても一緒に背負って、傷ついて、守ることは出来ないけれど、ずっと隣で並んできた親友の手を何があっても離さない。

「桃香様、あなたの言葉であなたの考えを教えてください」

 そしてその結果、どんな道をたどることになっても私が優先するのは桃香様じゃなく、朱里ちゃんだから。


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