一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「ちーほーちゃーん。
いつも通り、人寄せのビラ配ってきたわよー」
「案内の立札もあちこちに立ててきたぜ!」
「お疲れ様。
もうしばらくしたら舞台の方も終わるらしいから、それまで休憩してて。
馬車近くで天和姉さんたちがお茶と軽食を用意してるから、午後からは明日に向けて練習よ!」
「はいはーい」
「了解!」
数名の団員の報告を舞台の設営している子たちを見守りながら聞いて、一つ確認するのを忘れたことを思い出し、団員達に振り返った。
「それといつもの奴もやってきてくれた?」
「勿論!
ちゃーんとビラと一緒に配ってきたわよ、北郷さんの人相書きを書いたものをね」
「当然、案内の立札にも貼って来たぜ!
早く北郷の旦那を見つけねぇとな、まったくいろんなもんをほっぽってどこ行ってんだよ。あの旦那は」
団員の言葉を聞き頷きながら、ちぃは見えないように左手を強く握りしめる。
本当はわかってる。でも、探さずにはいられない。一刀がこの大陸にいるって信じていたい。
ううん、どこかに行ってても一刀は必ずちぃ達のところに帰って来るって信じてる。でもちぃは待ってるだけの殊勝な女になんてなってやらない。そんなの一刀を好きになった私でも、一刀が好きになってくれたちぃでもない。
いつだって全力に、好きなことに妥協なんてしてやらない。それがちぃだもん!
「どこに居たって関係ないわ!
ちぃが一番に見つけて、一刀が嫌がっても椅子に縛り付けて、目にクマと耳にタコが出来るくらい私達の歌と芸を見せつけるんだから!!
その後は首に縄つけて魏に帰って、華琳様たちに説教でもくらっちゃえばいいのよ!」
ちぃの宣言にも似た強い言葉に一瞬だけ団員たちが呆気にとられてようにしてから、顔を見合わせて笑い出す。
「笑いごとじゃないわよ? ちぃは本気よ?」
ていうか、多分ちぃが見つけて連れてったら、華琳様たちも順番に説教して一刀下手すればひと月くらいまともに寝れないような生活を送ることになるかもしれないわね。
ちぃ達にこれだけの思いをさせてるんだから、当然だけど。
「いや・・・ そっちに笑ったんじゃなくてよ。
旦那もとんでもねぇ女たちに愛されたもんだと思っただけだよ」
「それ、どういう意味よ?!」
「だって、なぁ?」
ちぃの言葉にその場にいた団員全員が笑っていて、なんだかおもしろくなくて頬を膨らませる。その中で綱渡りを得意とする年上の女性が近づいて、ちぃの頭を優しく撫でていった。
「うふふ、可愛い顔が台無しよ? ちーちゃん。
それだけ愛してることも、そんなに想っちゃうほど愛されたことも、胸を張らなきゃもったいないわ。
恋は女を綺麗で可愛くすることを、ちーちゃんはちゃーんと知ってるでしょう?」
「とーぜん!」
いつものように人をからかうよう聞こえるけど、ちぃはこれがこの人の接し方だって知ってる。だってその手は昔、天和姉さんがちぃを撫でてくれたのと同じ優しい触れ方だもん。
「だってちぃたちは三国一の男に恋したし、恋をさせたんだから!」
これだけは、どんなときだって胸を張って言える。
ううん、これを恥だなんてちぃは思っちゃいけない。たとえ、一刀のことをどれだけ酷く言われても、その噂を消してしまえるくらい一刀がしてきたことをちぃたちが伝えればいい。
「はいはい、ご馳走様」
「まったく、嫉妬するのも阿呆らしくなるよな・・・
こんな顔されて言われっちまうとよ」
「会ってみたいもんだよねー。
三国一の歌姫の一人にここまで言わせた男に」
「てか、ちぃちゃんの惚気いつもじゃーん。あたし、飽きたー」
さっすが、売れないことが常の大道芸人。
みんなの打たれ強さっていうか、しぶとさっていうか、神経の太さはちぃ結構好きだけど、本当に言いたい放題よね!
「だから、見つけるのよ!
大陸でも足りないなら、次はもっと広く足を延ばせばいいんだから!!
早くご飯食べてくる!
その後は適度に休憩入れつつ、明日に備えてずっと練習よ!!」
「きゃー、鬼教官ー」
「ぶー、仕事の鬼ー」
「・・・・ツンデレ貧乳ー」
ちぃがそう言って散らそうとするとあちこちから冗談交じりの不満が飛び交い、聞き捨てならない最後の言葉に反射的に怒鳴る。
「ちょっと! 最後の誰よ!?」
軽く見渡しても手をあげて正直に出てくる犯人がいる訳もなく、そこで一度咳払いをして一喝する。
「みんなも芸に生きてる変り者なんだから、ぶつくさ言わない!
好きでやって、
ちぃが挑発するように笑うとみんなも同じような顔をして、にやりと笑う。
そうだ、ちぃ達は一人じゃない。
もう流浪の、三人だけの歌姫じゃない。
ここに居るみんなだってそう、かつては一人一人いろいろなところから出てきた大道芸人だった。『芸』という娯楽を、誰も真剣にしようとしなかったもの(遊び)を真剣にやろうとしたどこにでもいる変り者だった。
「好きなことをしないで、やりたいことやらないで、好きなことに全力を尽くさないで何のための人生よ。
ちぃ達は『北郷一座』!
いつだって本気で誰かの笑顔を創ろうとした三国一の男の名前を背負ってんだから、生半可なこと出来るわけないでしょ!」
それぞれの衣装に刺繍されているのは、青地の円に白抜きの『北』の一字。衣装に統一感なんて一切ないちぃたちの、唯一と言ってもいい意匠。
その意匠を見せるようにして、ちぃは左手を高くあげた。
「午後も気合い入れていくわよ!」
『ほわぁー、ほわぁー、ほわああぁぁぁぁーーーー!』
全力で返ってきた返事代わりの掛け声にずっこけそうになりながら、ちぃも笑いながら全力で怒鳴り返した。
「最後まで茶化すんじゃないわよ!!」
まっ、芸で生きて笑いを生むことを目的にしてる
今日の練習を終えて、姉さんと人和と軽いお茶をしながらいろいろと書簡を見る。
「それで人和、噂はどうなの?」
「あの書簡が華琳様から届いた以降は呉の方では収まりつつあるみたいだけど、蜀から魏に近づくと蜀と繋がりがあるところの噂は相変わらず酷いみたい・・・
それに一部の高い位にある男性はやっぱり一刀さんのことが気に入らないようで、あからさまに歪んで伝わってて、その近辺は警邏隊も居ないから噂が広まり放題。おそらくは臥龍さん達が動いているんでしょうね」
ちぃが聞けば、人和は顔を少ししかめながら答えてくれる。姉さんはそれを気にした様子もなく、笑顔でお茶を飲んでちぃたちにもお替りを注いでくれた。
「胸糞悪いわね! 一刀に会ったこともないくせに好き放題言って!!」
「えぇ・・・」
吐き捨てるちぃと、わかりにくいけれど人和も怒りで書簡を揺らして、その目は辛さを隠しきれてなかった。
「まぁまぁ、地和ちゃん。人和ちゃん。怒らない、怒らない」
「「でも! 姉さん(天和姉さん)!!」」
ちぃたちが怒りを露わに怒鳴りかけても天和姉さんは穏やかに笑って、開いた口の中にお菓子を放り入れてきた。
口の中に甘さが広がっていって、蜂蜜なのに味がくどすぎずにさっぱりとしてる。
「美味しい・・・」
「これ、本当に蜂蜜・・・?」
どうやら、味がくどいことを理由に蜂蜜が苦手な人和も気に入ったみたい。
「あっ、二人ともが気に入ってくれた?
それ、季衣ちゃんたちから届いた奴なの。それは果樹園に実験的に置いてもらった蜂から分けてもらった蜜なんだって。
お湯で割ったり、牛乳で割ったりしても美味しいんだってよ?」
天和姉さんのその笑顔に毒気が抜かれて、ちぃも人和も剥き出しにしていた筈の怒りが鞘に納められてしまった。そんな私達の肩を姉さんは優しく触れて、椅子に着席されてしまった。
「私達はありのままに、華琳様たちに連絡すればいいんだから。
それに噂を集めることはおまけで、私達がしたいことはこの大陸に笑顔を運ぶこと。運んでる私達がしかめっ面だと、誰も笑ってはくれないよー?
人を笑顔にするときは、まず私達が笑顔にならないとね」
口の端を指で持ち上げて、満面の笑みを私達に見せる姉さんはとっても強くて綺麗だった。その強さはまるで一刀を見てるみたい。なんだか羨ましいような、眩しいような、嫉妬してまいたいような複雑な気持ちになるけど。だけど・・・・
姉さんのこういう所は本当に敵わないし、そう言ってくれる姉さんがちぃたちの姉さんでよかったって思う。
そう思って人和を見るとちぃと同じように苦笑していて、姉さんを見ていた。
「はいはい、わかったわよ。座長☆」
「私、その呼ばれ方きーらーい!」
「座長☆、次に行く荊州のことだけど・・・・」
「もう、人和ちゃんまで!
お姉ちゃんに意地悪しないでー」
この一座を創って最早日常になりつつある姉さんの抗議を聞こえないふりをしながら、私達はからかいながら今日も笑っていた。
今日も明日も明後日も、ちぃはずっとこうして大陸を進んで笑顔を創っていく。
その中でちぃはずっと・・・ どれだけ時間が経とうとも、一刀を探すことをやめることはない。諦めてなんかやらない。
絶対にちぃが見つけて、一番に怒鳴りつけてやるんだから。
だから、早く帰ってきなさ・・・・ ううん、違う!
「絶対に見つけて、飽きるほど三国一の美声を聞かせてやるんだから!!」