一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「一刀さん・・・・ 弱音を吐いてもいいですか?」
あれは何度目かの逢引きの時、時期としては蜀との本格的な戦が始まる少し前、彼女たちが蜀を治めている頃のこと。私はいつもの川の傍で、一刀さんに寄り添っていました。
「俺でよければ、喜んで。
それで人和の気持ちが楽になるなら」
「一刀さんだから、聞いてほしいんです。
天和姉さんにも、地和姉さんにも・・・ ましてや、華琳様にも言えないことを」
一刀さんの肩へ寄り添って、私は言葉を探していました。
何から言えばいいのか、この話を明かした時、彼が私を嫌ってしまわないか。
そんな不安を抱いて、自分から口にしながら戸惑い、沈黙しかけてしまう。
私はなんて卑怯で、臆病なのだろう。
この罪に向かい合おうとしている筈なのに、私はまだ目を逸らそうとしている。
いろいろと考えていると一刀さんの手がふいに私の体を掴み、自分の膝へと倒しました。
「一刀さん・・・?」
私の顔を覗きこむ一刀さんの顔はいつものような笑っている筈なのに、少しだけ辛そうに見えました。
その様子はまるで、したくもない隠し事をしている時の子どもみたいで、それを隠すように膝に乗せた私の頭を撫でてくれました。
「人和、隠すことは別に悪い事じゃないと思う。
でも、それを隠すことが少し辛くなったから、抱えていられなくなったから人和は辛そうな顔してるんだろうから・・・ ゆっくりでもいいから、教えてくれよ。
俺は、人和が話すのをいくらでも待つからさ」
「一刀さんは・・・ 本当に狡いです」
この人は本当に、狡いくらい優しい。
そんな言葉を言われたら、縋ってしまう。甘えてしまいたくなる。
あなたと会う前の私すらも、あなたが居る正面を見たくなる。
「一刀さん・・・ あの乱は、私が悪いんです」
一刀さんの膝の上で、私は腕で顔を隠すようにしてポツリポツリと語り出す。
思い返すのはあの日、誰も咎めてはくれない戦いの日々。
今はもう誰もが過去とし、『起こるべくして起こったこと』と語る乱世の始まりに過ぎない出来事。
「地和姉さんの一言から始まった乱、集まっていく人々を私は偶然見つけたあの書を・・・私は危険性を知っていながら、自ら使うことを選んだんです」
姉さんたちを守るためと語って、ただ必死に広がりつつある黄巾党を治めようとした。けれど、結果的には私は統治することは失敗し、華琳様によって捕らえられた。
言葉にすれば、たったそれだけ。
けれど、『たったそれだけ』に多くの血が流れ、数えきれない命が消えていった。
「あの乱で犠牲になった人たちは・・・ 私が殺したようなもの。
私が書を利用しようとしなければ乱はあれほどまで拡大することも、あるいはあんな事さえなければ漢王朝は崩れず、乱世が起きるなんてこともなかったかもしれないんです」
『乱世』という一時代の始まりを告げ、漢王朝を崩すきっかけにすらなった黄巾党の乱。
その乱の中央に居た三人の歌姫のことを今は誰も知らなくて、そしてその中枢を握っていた私を罰してくれる人は誰もいなかった。
「私は姉さんたちを守りたいなんて銘打って、ただ自分が生きていたかっただけ。
旅芸人が日々を生きることの難しさに嫌気がさして、あの乱に乗じて楽に生きようとしただけ。
もっと言えば、あの乱の中に入る間は私が必要とされることに喜びすら感じてしまっていた!」
天和姉さんには人を惹きつけてやまない魅力があって、地和姉さんには歌唱力と踊りがある。
じゃぁ、私は?
何もなくて、ただ姉さんたちを追いかけて、少しでも役に立ちたくて経理や生きる方法をずっと探していた。
あの乱の中に入れば、あの組織の中に入れば、私は必要で、大切な何かだった。
けれど私のとった行動は、結果的に姉さんたちを危険にさらしただけだった。
地和姉さんから
「姉さんたちも、華琳様も、真実を知っている筈の魏の将の方々も・・・・ 誰も私を責めない・・・ 罰してはくれない。
それどころか、暖かく包み込んでさえくれました」
生きる環境と目標を貰い、愛しい人にすら出会うことが出来た。
死にたくないだけだった筈なのに、ただの協力関係に過ぎなかったのに、あまりにもこの国が温かくて、優しくて・・・ そして、一刀さんと過ごし、流れる日々が愛おしくて。
けれど罪は消せなくて、ただ後ろめたくて。
「たとえ他の誰が私を許してくれても、私が私を許せないんです」
記されることのない事実であっても、あれは私の罪。
こんな私に生きる資格なんて・・・・
「なぁ、人和。
生きる資格や理由って、誰がくれるんだろうな?」
「え・・・?」
一刀さんの唐突な問いに私は意味がわからず、聞き返す。
それはあまりにも私が考えかけたことに似ていたからか、それとも語りだそうとする彼の横顔がとても寂しそうに見えてしまったからなのか。
「きっと資格は、神様っていう気まぐれな存在が人に平等にくれるんだろうけど・・・ 俺って結構その神様の気まぐれって奴に振り回されたっぽいからなぁ。
でも、そんな気まぐれ奴に振り回されて、ここまで来た俺なりの答えはさ。
確かに生きる資格とか、ここに居させてくれるのは人の手なんか届かない神様って奴なんだろうけど・・・・ 生きる理由をくれるのはいつだって神様じゃなくって、人なんだよ」
「生きる理由をくれるのは、人?」
私が繰り返すと一刀さんは嬉しそうに笑って、私の頭を何度も何度も撫でる。
その理由をくれたのが誰かなんて、言うまでもないことをその笑顔が何よりも雄弁に語り、嬉しそうな筈なのに。
「俺が今ここに生きる理由を貰ったみたいに、とはいかないかもしれないけど・・・・
俺が人和に生きて、華琳たちが創る時代を見てほしいって望むことは生きる理由にならないか?」
どうしてか私には、一刀さんがそのまま泣き崩れてしまいそうに見えてしまった。
ねぇ、一刀さん。
そう言ったあなたが消えてしまうなんて、あんまりじゃないですか。
でも、だから・・・・ だから、私は!
「人和さん、舞台の設営は完了しました」
「同じく、警備の配置とかも確認してきたぜ」
聞こえたその言葉に目を開けば、自分が書簡の片づけの最中にうたた寝をしてしまっていたことに気づきました。
「お疲れ様です。
いつもありがとうございます。お二人とも」
私達が魏から飛び出し、この一座を開くと決めた時について来てくださった数名の警邏隊と工作隊の出身の方々。どちらも忙しい筈だというのに、隊の皆さんも特に反対することもなく、それどころか凪さんたちに至っては『しっかりやり通して来い』と激励したときは感謝以外の感情を抱くことが出来ませんでした。
「礼なんてよしてくれよ、人和ちゃん。
俺たちは好きでやって、一座について来てんだからよ」
「それに隊長の留守の間、あなた方を守るのは部下の仕事ですから。
どうか、お気になさらずに。
親衛隊の方々も客席の準備を終えたと言っていましたので、日が暮れる前に確認をお願いします。人和さん」
「えぇ、ありがとうございます。
あとで見に行きますので、皆さんも休憩をとってください」
私の指示にお二人が頷いて出ていくのを見送りながら、机の上にある経理と次の公演の場である荊州への手紙、そして私が個人的に書き残している書簡を確認する。
どれも大事なものであることに変わりはなく、特に最後の書簡は今後私の役目を継いでくれる人しか読むことのない物となることでしょう。
誰も語ることすら許さないだろう黄巾の乱、その中枢にいた私から見えていた全てがここには書き記されています。
『確かに天和たちの一言があの乱を引き起こした。それは事実かもしれない
けど、普段は気にしないような言葉を拾って、縋って、担ぎたくなるほど、その言葉を誰かに言ってほしかったんじゃないかな?
きっとあの時、誰もが変わる理由が欲しかったんだよ』
一刀さんがあの後言ってくれた言葉の一つに、私は今ですら素直に頷くことが出来ずにいます。
でも、だからこそ・・・・ 私はあえて、全ての真実を残すことを決意しました。
もう二度と、私達が同じ過ちを起こさない戒めとして。
「一刀さん・・・・ 私は、あなたを語り継ぎます」
劉協様のような公の歴史としてではなく、いつまでも人の間で語り継がれるようなささやかな物語のように。
「あなたの名を、この大陸が忘れないように」
国は時に誰かの一言で滅び、儚く移り変わるものであり、歴史とは改竄され、全てがありのままに後世に残らないことを、私は身を持って知っているから。
「私は姉さんたちとも違う、自分のすべきことをようやく見つけることが出来たんです」
天和姉さんがあなたの描いた平和を、華琳様が創る時代を笑顔で彩り、地和姉さんが自分の技術を持って全力を尽くし、あなたを探すことを諦めないというのなら。
「あなたがここに居たことを、国にも、権力にも、立場にも縛られずに
あなたが居るかもしれない千年、二千年先・・・ いいえ、あなたの元に届くその日まで、残してみせます」
私は天和姉さんのように周りを見ることなんて出来ず、地和姉さんのように希望へと進むことは出来ないけれど、それでもあなたがそこに居るというのなら私でも手を伸ばす努力がしたいんです。
「一刀さん、また会いましょう」
それがどれほど遠い未来であったとしても、必ずあなたの元へ行きますから。
だから一刀さん、あなたも帰ってきてくださいね。