一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ――   作:無月

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前を向き 笑う者 【春蘭視点】

「うむ! 良い朝だな!!」

 そう言って私は昇ってくる朝日を城門で眺め、城下を見下ろす。

 華琳様の国、我らが魏国、愛しき曹魏の旗の元、この国を、北郷隊が守るこの街を眺めることは私の毎日の日課となっている。

 今日も美しい街並み、朝の早い時間だというのに市場は賑わい、活気にあふれている。

「今日も頑張るぞ! 見ていろ、一刀!!」

 あいつが一番居たい場所に、見たかっただろう景色の中に私たちは生きていることを実感する。

 羨ましいだろう? なら、さっさと帰ってこい!

 一年経った今でもお前の部屋も、居場所も何も変わってなんかいない。

 お前に抱くこの不可思議な気持ちも、華琳様に誓った忠誠も、どれほど時間が経とうと変わりはしないんだ。

 でもな、私の杏仁豆腐は日々うまくなっていくのだぞ?

 この間は秋蘭どころか、あの桂花にも渋々だが旨いと言わせることが出来たのだ。

「姉者」

 秋蘭の声に振り返ると、少し呆れたようないつもの視線をくれる。そんな秋蘭に私はいつものように笑顔を向けた。

 かつてよりわずかだが痩せ、あの日からうまく眠れていないのか、目の下には黒いものが残っている。それにもかかわらず、文官の仕事をする傍らで毎日流琉と一緒に厨房に立ってくれる。

「おはよう、秋蘭」

「おはよう、姉者。

 食事だ、日課もほどほどにしてそろそろ降りてくるといい」

「秋蘭!」

 そう言って立ち去ろうとする秋蘭を後ろから抱きしめ、じゃれつく。

「ととっ、姉者。危ないだろう?」

「ふふっ、隙だらけだぞ? 秋蘭」

 なぁ、一刀。賢い秋蘭や稟、風・・・ 不本意なことに桂花の考えも私にはわからん。

 馬鹿なお前の考えを、お前よりはましではあるが馬鹿な私はそれなりにわかってるつもりだ。

 『もしお前が居たら』などとは、思わない。お前が居ないから、私はこんな秋蘭を見ているんだからな。

 何が起こったか、どうしてお前が居ないのか、私にはまったくわからん。

 だが、お前が秋蘭と流琉を命懸けで守ってくれたことだけは、私にだってわかるんだぞ?

「姉者・・・ そろそろ・・・」

 離れてくれと、続けるつもりだっただろう秋蘭の前へ素早く回り込み、頭を抱えるように抱きしめる。

「姉者? 今日は一体・・・・」

「秋蘭、姉の胸で泣け!」

 戸惑う秋蘭に、私は吼える。

 私は馬鹿だけど知っている。あの日から秋蘭が心から笑わなくなったことを。

 あの日から自分だけを責め、一度として涙を零すことをなかったことを。

 そして、蜀に対して皆が殺意に近い感情を抱いてることがなんとなくわかってしまうのだ。

 何故なら、私たちは同朋だからな。

 華琳様の元で背を預け、共に戦場を駆けたかけがえのない仲間なのだからな。

「私は一刀の代わりになれん。

 あいつのように皆を笑わせることもうまくは出来んし、喜ばせることも下手糞だ。

 それでもな、秋蘭。

 辛そうなお前を見ていると、あいつ(一刀)がどうしたくなるかはわかってしまうんだ」

 理解なんてしない。出来るとも思わん。

 あいつは私じゃないし、私はあいつじゃない。

 あいつが私と違ったから興味を示し、何故か目を離せなくなったから、居ることが当たり前だと思うくらいに傍に居たから、居なくなってほしくなかった。

 その思いは華琳様に抱くものと似ているようで、少し違う気がした。

「あいつが居ないことは、寂しいよな。秋蘭」

「あぁ・・・」

 風からあの言葉を聞いたとき、私はそれを信じたくなかった。

「あいつが居ない街は・・・・ 一人いないだけだというのに盛り上がりに欠けているな」

「あぁ・・・」

 あいつが居なくなった次の朝、たった一日あいつが街にいなかっただけであいつのことを気にかける声があった。

 そのことが嬉しくて、悲しかった。

「私たちはあいつの傍に一番居て、毎日あいつを殴ったり、呆れたりしていたな」

「あぁ・・・・ だが、あいつはいつも笑っていた。

 あの笑顔はとても、卑怯だった」

 私たちが怒っても、殴っても、呆れても、必死に逃げて、避けて、受けとめてくれた。

 そんな人間、今まで見たことがなかった。

 だからいつも、私たちも本気だった。

 本気で、ありのままの感情をぶつけることが出来ていた。

「底抜けのお人好しで、誰に対しても裏表がない一刀が稀に見せる真剣な表情は・・・・ かっこよかったな」

 かつてなら言えなかっただろう言葉が、今はあっさり口に出来てしまう。

 お前が居ないことに比べれば、恥ずかしさなどどうってことないものなんだな。

「あぁ・・・・!

 姉者、私のせいで一刀は消えたのか? 私と流琉がもしあの定軍山で死んでいれば、一刀はここに居てくれたのか?」

 秋蘭の変化は、突然だった。

 私に縋るように力を籠め、顔を胸へ押し付けてくる。それはまるで子どもみたいで、そんな秋蘭の背中を優しく撫でる。

「私たちが惚れた男がそれをよしとすると、秋蘭は思うのか?」

 人の笑顔が好きで、悲しい顔に敏感で、誰かが一人だとすぐに傍に行って、いつの間にか一人だった者すら笑顔にしていた。

 誰かの陰口を叩くこともなく、むしろ聞こえるように言って私たちを怒らせて、追いかけられる姿を見ると将どこかろか民すらも笑顔にした。

「それ・・・は!」

「あいつは自分がしたいからやったんだ。

 自分が華琳様との約束を破ってでも、二人に居なくなってほしくなかったんだ」

 あの書簡によって行われた緊急会議で、華琳様は天の歴史を明かすことを禁じていたことを全員に伝えられた。そして、一刀がそれを破ったのは秋蘭たちの生死が関わった時の一度だけだということも明かされた。

「それでも! 私たちが歴史通り死んでさえいれば・・・!」

 それでもなお、何か言おうとする秋蘭に私は思ったことをそのまま口から出した。

「私たちは幸せ者だな? 秋蘭」

「姉者・・・?」

「だってそうだろう?

 あいつは私たちをそれほど想い、愛してくれた。

 自分の命をなげうってでも守りたいと、生きてほしいと望んでくれた」

 私たちが華琳様に抱いたものと同じ、命を懸けてまで守りたいという決意。

 力も、知恵もないあいつが確かに抱いてくれたその思いが私は嬉しかった。

「そんな相手に恋をすることが出来た私たちは、三国一の果報者だな。

 胸を張れ、秋蘭。

 私たちは、三国で最も幸せな恋を知る者だ!とな」

 あいつが残してくれたものは幸せばかり、あいつがくれたものは笑顔ばかりを生んでいく。ならば、それを共に築いた私たちも笑っていなければ、それはきっとあいつが望んだ幸せにはならない。

 あいつが消えても、想いは残る。思い出はここ()に刻まれている。

 あいつが教えてくれてたもの()を、私たちは生涯忘れない。

「姉者・・・

 あぁ、本当にそうだ」

 秋蘭がやっとかつてのように笑い、私もそれが嬉しくて笑う。

 人が笑うと嬉しいことを前は鼻で笑って馬鹿にしたが、こんなにも嬉しいものなのだな。

「さて、姉者。食事にしよう。

 姉者は今日休日だが、私は仕事がある。昼は外で取ってくれ」

「私は子どもじゃないぞ、秋蘭」

 そう言いながら私の頭を書き撫で立ち上がる秋蘭に、おもわず頬を膨らまして文句を言う。

「子ども扱いなどしていないさ。

 姉者は私の頼りがいのある、自慢の姉なのだから」

 そう言って微笑む秋蘭の歩みは来た時よりもずっと軽そうに見え、私はまた嬉しくなって笑ってしまった。

 

 

 

 食事を終え、秋蘭が執務室に行くまでのんびり過ごした後私は一人城下を歩いていた。

 魏には一年前のこの頃に作られた酒があり、とある事情により魏の将は優先的に提供してもらっている酒がある。完成した当日は魏の将全員が集まり、その酒を味わうことが決まりが定められ、今年もそれは行われた。

 その後は欲しい分だけ、各々で買いに行くことが無言の決まりである。

「うむ、今日あたりは霞とでも楽しむとしよう!」

 最近、休んでいないと聞くしな。あの酒ならば、霞も断るまい。

「すまん、店主。

 あの酒を・・・・」

 そう言って私が店に入った瞬間、見慣れた顔が二つほど並び、店の端にある飲酒場所にたむろっていた。

「あらぁー、夏候惇ちゃーん。

 偶然ねー」

「ほぅ、夏候惇か。

 先日は儂の不肖の弟子が失礼なことをした。本当に、すまなかった」

 見ればそこには孫策と厳顔があの酒を飲み、楽しそうに笑っていた。厳顔は私を見ると丁寧に頭を下げてくるが、あのことに関して私は気にしていない。

「おぉ、孫策と厳顔か。

 なに、気にすることはない。お前たちは一刀に会うことなどなかったのだからな。あいつの良さはあいつに出会わなければわからん。

 それに、私自身何度かあいつに腹を立てて、大剣を持って追いかけ回しては死を覚悟させていたからな」

 私がそう言って笑うと、二人は顔を見合わせて笑う。

 うむ? 私は何かおかしなことを言ったか?

「この子ほど、他のみんなも気楽であれたらいいのにねぇ」

「まったく。

 ウチの軍師たちも見習ってほしいものじゃ」

 二人は頷き合いながら、何かを納得しているがまぁいい。

「よくわからんが、お前たちが気にすることではないだろう?

 その一件の詳細は知らんし、その後どうするかも私の及ぶところじゃない。

 だからと言って、他の我々が険悪な関係である理由にはならん。

 三国同盟で互いに手を取りあった今、再び争いを起こす気など馬鹿のすることだ。お前たちもそう思うだろう?」

 酒を見ながら思ったことを口にすると、二人が黙ってしまう。

 まぁいい、そこの二人にもあの酒を飲ませてやるか。

 これも何かの縁、戦のない今この二人とも友になれるのだからな。

「おい、店主。

 いつもの瓶にあの酒をくれ、それと今ここで飲む用に小瓶を一つ頼む」

「夏候惇様! 行ってくださればお届けいたしますのに・・・」

 奥から店主が出てきて、私へと頭を下げる。

「そこまでしてもらうのは悪いだろう?

 お前たちはこの酒を完成させてくれた、それはとても凄いことなのだからな」

 あいつの故郷の酒、ほとんど知識のないあいつの言葉から内容を理解し、完成へと導いたのは職人の努力あってのことだからな。

「ですが・・・!」

 私はまだ何か言おうとする店主に代金を手渡し、小瓶と大瓶を受け取る。

「あいつもきっとそういうさ。

 昨年もそうだが、完成させてくれたことを我々は本当に感謝している」

 そう言って頭を下げ、上げた時店主は泣いていた。

 うむ、今日はなんだか人を泣かせてばかりだ。

「申し訳っ・・ありません・・・!

 おさまるまで奥にいますので、どうかごゆっくりお過ごしください」

 小走りに奥へと行く店主を見送り、人の涙は嫌なものの筈だというのに私は一刀を想って泣いてくれる存在が居てくれることが嬉しくてたまらなかった。

「私の奢りだ、飲んでみてくれ」

 私は小瓶の酒を空になっていた二人の杯に注ぎ入れた。

 二人は迷うこともなく、酒を呷り、同時に杯をおく。流石、良い飲みっぷりだな。

「その酒は美味いだろう?」

 私が得意気に笑うと、二人は酒の余韻を楽しむように目を閉じた。

「これ、どこでも見たことのないお酒だけど、誰の発案なのかしら?」

「うむうむ、我々が知っている酒は待ってこそうまい酒ばかりだったが、甘いことが多い酒の中で辛みのある酒など珍しい。

 して、この酒の銘は?」

「この酒の銘は『華乃郷(はなのさと)』。

 一刀の語る故郷の酒を元に、職人たちが作り上げたものだ」

 本当は去年、戦勝祝いとして飲めたかもしれないだった酒。

 だが、一番完成を喜ぶはずだったあいつの不在を知った際、職人たちが流した涙を私は忘れない。

 だというのに、あの馬鹿は酒の銘だけはしっかり頼んでいたのだから抜け目のない。

 華琳様と、自分の名を入れるなど本来なら斬って捨てるところなのだからな?

「天のお酒、ね。

 まったく、本当に天の遣いくんには会ってみたかったわね。いろいろな意味で」

「まったくじゃな」

「ふふっ、呉の王や蜀の老将にそこまで言わせるような大した男じゃないさ」

 そう、あいつはどこにでもいるような・・・・ それこそ、空に多く浮かぶ雲のような存在だった。

「私はこれで戻るが、この酒は二人で飲むといい」

 知らない人間を人は悪く言うことが出来る。

 それは当然だ、実際にあったことなどないのだから。

 そして、親しい人間がその言葉に対して怒りを抱くのもまた当たり前のことだ。それがここに居ない存在ならば、尚更だろう。

 だが、この二人のようにあいつを悪く言う人間ばかりじゃない。それだけで十分だ。

 憎み、殺し、怨みあうことなどあの戦争で終わった。

 そしてあいつも、そうなることを願っていた。

「ねぇ、夏候惇ちゃん。

 一つだけ、聞いてもいいかしら?」

「うむ? 何だ?」

 孫策の言葉に立ち止まり、その海のような目をまっすぐに見つめ返す。

「あなたは天の遣いくんのことを、どう思ってるの?

あなたにとって彼は、どんな存在だった?」

 なんだ、そんなことか。それなら、答えは一つしかない。私にとってあいつは・・・

「あいつは今でも大事な仲間で、私たちのかけがえのない存在だ。

 私のこれを恋と呼んでいいかわからんが、私が知っているただ一つの恋で最高の日々をくれた愛しい男だ」

 恥じることもなく笑って言いきり、私は店を後にした。

 

 

 城へと戻ると城門ですぐ風に捕まり、四阿へと連行され、ほとんど強制的に私は風と茶を飲むこととなった。

「風よ、どうかしたのか?」

「いえいえー、たまの休日に友人とお茶を飲みたかっただけなのですよ。

 春蘭ちゃんには武官や兵の方をよく見てもらっていますしねー」

「見ているとは思っていない。これは私が勝手にやっていることなのだからな。

 それに皆を気遣って、自分の休日となると茶会を開く風ほどではない」

 私がそういうと、風は笑って首を振る。

「それこそ、風が勝手にやっていることですからねぇ。

 違いますね、きっとここには居ない沙和さんもそう答えるでしょう。

 お兄さんの代わりは誰にも出来ませんし、三国のどこを探しても同じ存在などいませんから」

 笑って言うその言葉は、私には理解しきれない何かが含まれているのかもしれない。

 だが、私には直接言われなければわからない。

 だから私は、わかる範囲の言葉しか返すことは出来ない。

 そしてきっと風もそれをわかっていて、私にそんな話をしているんだろう

「ふっ、あんな奴が二人もいることなど想像も出来んな」

「ですねぇ」

 風は目を細めて笑い、私たちはその後どうということもない会話をしたり、ただ無言で過ごしたりしているとあっという間に日は西へと下り、赤くなっていた。

 

「おぉ、もうこんな時間ですか。

 では、そろそろ解散しますか」

 風の言葉に私は頷き、立ち上がって酒瓶を担ぐ。

「そうだな・・・・

 あぁ、そうだ。今夜は霞と飲もうと思っていたのだがお前もどうだ? 風」

 私の何気ない言葉に、風は夜によって美しさを増していく月を見上げてから首を振った。

「あー・・・ 今夜は満月ですから、遠慮して早く寝ることにしますねー。

 月が満ちていない時、また誘ってくださいー」

「あぁ、ではそうしよう。

 また明日な」

「最後に一つだけ、春蘭ちゃんも泣きたいときは泣いてくださいね?」

 風の言葉を受け止めて、私は笑う。

 私はずっと泣いている。あの日から今日まで、そして今も。

「私は泣いているさ。

 あの日からずっと、この眼でな」


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