一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「はぁ・・・・ あっちでもこっちでも何やってんのよ、この陣営は」
そう言いながら僕は、自室を兼ねた執務室で星から来た手紙という名の報告書を見て溜息を吐いた。
そこに書かれていたのは蜀と魏に流れる天の遣いの噂の差異と、焔耶と桃香が起こした騒動についてのこと。
本来ならこうした報告は僕じゃなく筆頭軍師である朱里、もしくは雛里に渡されるべきだが、星が僕に『手紙』として渡してきたのは協力と意見を求めてのことだった。
「本当は、僕が口を出すことじゃないんだけど・・・」
僕と月の立場はあくまで桃香に保護され、侍従という立場を与えられた身。
僕らにそんな権限も権利もないし、ましてや協力するだけの義理もない。僕が執務を片づけたり、知恵を貸したりすることは異常なことなのだ。しかも当初は『侍従としての仕事もしつつ、片手間でいい』筈だったのだが、最近は僕を文官としての戦力として数に入れての配分をしてるとしか思えない量の書簡を日々渡されるようになっているのが現状だった。
「僕が蜀に忠誠を誓ってるとか、桃香の徳に惹かれてるとか、今でも命を救ってくれたことを感謝してるとでも思ってるのかしら?」
だとしたら、それは大間違い。
僕は月ほどここに思い入れはないし、感謝も抱いていない。それに僕らが死なずに済んだのだって、城を抜け出すときに出会った彼が居たからだ。
「月が頷いてさえくれれば僕はこんなところさっさっと見限って、恋と音々引っ張って涼州に帰ってるわよ」
ちょうど良い事に、数日前に魏から届けられた書簡の中にあった領主不在の土地についての返答は『かつてそこを治めていた者たちが治めたらいい』という簡潔なもの。西涼からは翠に現状を伝えるように老将・韓遂に蜀訪問するように頭を下げられたことを告げられ、心遣いも細やかだった。
白蓮についても同様で幽州を治めてほしいということが書かれ、警邏隊は派遣されているのも各地域に一部隊程度でそのほとんどが現地人から構成されている。しかも丁寧に、一部隊が魏に戻った後も警邏隊は維持が出来ることまで明記されていた。
この一件から改めて魏がどれほどの人材を各地に送り、領地を維持し続けていたかを実感させられる。しかも人員は必要最低限にもかかわらず、あとのことすら考えられた計画的なのものなのだ。
「本当にこの警邏隊のやり方には驚かされるわよ・・・」
軍の新兵を鍛錬しながらも、街の警備をさせるのは勿論だけど、旅人とか職を失った者の働き口にするとか何なのよ・・・ でも、確かに名の知れた武将が飛び出すよりもずっと民は構えずに済むし、大きな被害を出すこともなく事態を治められる。
「しかもこれを考案したのがあの天の遣い、ね・・・
何が女ったらしの無能よ。こんな案を考えて、実行まで移すことが出来る人材がこの大陸に一体何人いるっていうのよ?」
この警邏隊の隊長を務める人物は決して強くあってはいけないし、かといって意見や指示が出せない人物でもいけない。そして、それに適した人材がこの二国には居ない。武将は誰もが強すぎ、どこの軍師も身分差がありすぎて向いていないのだ。現に警邏隊のやり方を真似してはいても、成功していない理由はそこにある。
だというのに魏はそれを、将を組み込むこともないただの一部隊派遣しただけで涼州と幽州に基礎を作りあげ、働き口としても、街の治安を守ることにも活用できているのだ。
「まったくあの噂がどれだけ民を敵に回してるか、あの二人は承知でやってるのかしら?」
この警邏隊を創ったのが天の遣いという時点で、民との距離が遠い筈がない。そしてそれは曖昧な夢を掲げて民を引っ掻き回したこの陣営よりも、信頼を置くのは必然。まして、警邏隊を認可し、指示を行った曹操が民に疎まれることなんてありえない。
むしろあれほど悪逆非道と言われながら、自分たちの生活を守ってくれた存在を民がどう思うかなんて火を見るより明らかだ。
「桃香は・・・ ううん、この陣営は失うことを知ってるくせに、そのことを直視しようとも、どういうことかをちゃんと理解しようなんて一度もしてないんだもの」
口では大切だとか、尊いと言いながら剣をとり、守ることを目指しているわりには何も守ろうとなんかしていなかった。
逃げて、逃げて、逃げて、追い詰められてようやく
だから、桃香たちにはわからない。
誰かを一途に想う人の強さも、誰かを失うということの空虚も、何かを守る者の覚悟も、そしてそれでもなお前を向くことの力も、再び失うかもしれないという恐怖すらも。
「それこそ愛紗か鈴々でも失わなきゃ、桃香にはわからないでしょうね」
もっとも、洛陽を守りきれなかった僕が言うのもおかしな話なんだろうけど。
「月・・・」
月はこの陣営に残るという決意は固い。
それは行き場のなかった私たちを受け入れてくれた桃香への感謝もあるんだろうけど、今の状況を内側から何とかしたいという想いも強いんだと思う。
でも僕は、そうは思ってない。
桃香はともかく、あの時朱里たちは僕らの状況を理解して戦に乗ってきた。
自分たちが乱世に乗り出すため、他の諸侯に潰される前に結果を出すために僕らを踏み台にした。
僕らを保護したことは偶然であり、仮に桃香たちに保護されていなくてもあのまま彼か、曹操に保護されていた可能性も十分あった。桃香自身には確かに善意もあったのだろうけど、恋たちを味方につける要素を増やしたかったんじゃないか、というのが僕の予想だ。
もっと言うなら
けど、それを話しても月は首を縦に振ってはくれなかった。
「詠ちゃん、私たちはあの城で天の遣いさんに出会ってるよね」
そう言ってどこか嬉しそうに、少しだけ悲しそうに語る月は遠い日を見ていた。
「えぇ・・・」
あの時城から逃げようとしていた僕たちは、天の遣いである北郷一刀に一度会っている。
まるで呼吸するのと同じくらい目の前の人を気遣って、お姫様だと勘違いした僕らを安心させるように、楽しそうに沙和と真桜と話し笑いあう男だった。
彼が勘違いしてくれたおかげで僕らは生きているし、沙和たちとの会話のおかげで僕は周りを見ることと、考える余裕すらもらえた。
「詠ちゃん、私ね。
あの人が見たがってた平和って何なんだろうって、ずっと考えてた。
あんな風に初対面の人のことを気遣って、笑って、優しくしてくれた人が何を想って戦いの中に居たんだろうって」
そうして語る月の目はとても優しくて、彼を語る沙和に少しだけ被って見えたのは僕の気のせいなんかじゃないと思う。
きっと月は戦いが終わった後、彼に会うことを楽しみにしていたんだろう。
「答えはまだ出てないけど、それはきっと曹操さんたちがしてることなんじゃないかなって最近思うの。
曹操さんたちはこの一年過剰なくらい頑張ってるのに、私だけ何もしないで逃げるなんてことしたくない。
私たちを守ってくれたのは桃香さんだけど、救ってくれたのはきっとあの人だから。
私には大したことは出来ないかもしれないけど、それでも何もしないで自分だけ逃げるのはもう嫌なの」
月は時々とても強くて、僕には眩しすぎて、見えなくなりそうだった。
君主だった月は、軍師である僕以上に桃香に何か思う所があるのだろう。そして同時に、君主として曹操がどれほどのことをしてるかも理解した上で、何か力になりたいと思ってる。
もっと言うのなら彼への恩と、憧れに近い感情を抱いているのかもしれない。
やっぱり、僕の王は月だけ。
僕が心から仕えたい、傍に居たいと思うのは月だけなんだなぁって改めて実感する。
「はぁ・・・ 月がそういうなら僕は何も言わない。
僕は他の誰でもない月の味方で、軍師なんだからね。勿論、協力するよ」
優しい月を何があっても守ること、それが僕が選んだ道なんだから。
つい先日のやり取りを思い出しながら、僕は書簡とあちこちで聞いた彼の噂の詳細に頭痛を覚えた。
「僕が守りたい人が月であるように、魏の将たちにとっての彼がそんな存在なら、僕たちは殺されたって文句は言えないわよ」
大切な人を貶され、知識や技術をあるだけ求められ、しかも自分たちとは関係ない領地の仲介の依頼。
他にも領主不在の土地を管理、技術や文化の革新、新しい仕事を作るなど魏はいつ休んでいるのかを聞きたくなるくらい発展を続けている。三国を繋げる運送業が、霞の発案だったと知ったときは耳を疑ったものだった。
「しかもその運送業に噛んでるのが霞とあの郭嘉ですって? 勘弁してよ・・・」
生粋の軍師である彼女が大陸の地図を完成させ、蜀と呉を本気で潰しにかかったらどうなるか、想像しただけで背筋が凍る。
「霞は仕事に没頭してるって聞くけど、それが逆に怖いのよ・・・・」
三国を行き来している騎馬隊が情報を集めてこない筈がないし、その全てが霞に行き着いていることもまず間違いない。
もし今、霞が仕事に向けていることで逸らされている怒りの矛先が、こちらへと向いたらどうなるか。郭嘉の地理と霞の騎馬隊は大陸を自由に駆けまわり、私たちを追い詰めることなど容易に出来てしまうだろう。
「荀彧と程昱、沙和の苦労が見えるようね・・・・」
おそらくは魏内部の戦いを望む者たちを押さえてくれるだろう人物に、頭が下がる思いだった。
『押さえてる者たちの言葉で止まることが出来る』ということもまた、彼女たちの強い繋がりが垣間見えてしまう。
「朱里、雛里・・・・ あんた達は一体何がしたいって言うのよ。
これ以上、あの子たちを傷つけて、大陸を救ったに等しい彼を貶めて、昇る先も見失って、あんた達は何を追いかけてるのよ」
あんた達はあの日、何を見ていたのよ。
戦勝国でありながら、喜ぶべきはずのあの子たちがどんな顔してたか。
一番辛い筈の彼女が、どんな姿で立っていたか。
たった一年で忘れたの? それとも、一年前のあの日からあんた達には何も見えてなかったの?
「あんた達はわかってないんでしょうけど、今の蜀はばらばらよ。
身内すらまともに見ることが出来なくなってる軍師が、戦場を見て采配を振るうなんて出来るわけないじゃない」
魏に対し蜀は、争いを望む者、変わらない者、迷う者、現状を改善するために動く者、まだ留まる者、前を向く者。まとまりなんてあったもんじゃない。
星の手紙の中にこっそりと入れられた郭嘉と程昱からの文書は、恐ろしくて開けていない。
おそらくは話が通じなさそうな
「賈詡様!」
僕を呼びながら駆け込んでくる兵士に嫌な予感がしないのに、僕は不思議と落ち着いていてなんとなく何が起きたが想像できてしまった。
「僕はもう、様付けで呼ばれるような身分じゃないんだけど」
苦笑しながら振り返り、董卓軍時代からの付き合いの兵士が僕と目が合った瞬間に深々と頭を下げた。
「張遼様が参られました・・・!
賈詡様とのご面会をご希望しておられます」
「そう・・・・ わかったわ」
天の遣いの騒動があった直後の今、霞が蜀に来る要件なんて僕には一つしか思い浮かばない。
あぁ僕、死んじゃうかな? でも、月だけは何としてでも・・・・!
「賈詡様! そのような覚悟を決めた顔をなさらないでください!!」
涙をこらえるようにして必死に叫ぶ兵士に僕は誤魔化すように、怒った振りをする。
「そんな顔してないわよ!」
でも、それだけのことを僕達は魏にしたんだもの。それは傍観していた僕だって同じ。
真名を預けた霞を向かわせてくれたのは、せめてもの慈悲かしらね?
「さっ、行ってくるわ。
あなたは持ち場に戻りなさい」
「はっ・・・」
有無を言わさぬ僕の言葉に彼は渋々と下がり、持ち場に戻っていく。
それを見送りながら、僕は霞が待っているだろう部屋へと向かって歩き出した。