一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「おっ、来た来た」
荷物を隣に置いて用意された部屋で待っとると、ゆっくりとした足音が近づくのが聞こえてくる。
「霞、入るわよ」
「詠、待っとったでー」
ウチが軽く笑いかけながら振り返ると、そこにはなんや死を覚悟した武人みたいな顔した詠が立っとった。
って、なんでやねん!
何でウチ、久々に会ったダチに死の覚悟されなあかんねん。
「霞、僕の命はあげてもいいから、月だけはどうか見逃してあげて」
「はっ? ちょっ」
何でウチが、詠の命をもらわなあかんねん?!
てか、斬ること前提ってどういうこっちゃ?!
「魏の将の怒りはわかってるけど、どうか月だけは・・・!
僕の命が欲しいならあげるから、月の身の安全だけ約束してほしいの・・・・」
変わらずに頭を下げ続ける詠に駆け寄り、ウチは自分でもらしくないほど慌てとる。
「いやいやいやいや?! 何言うてんのか、話が全然読めへんのやけど!?
ウチはただ韓遂の爺様から頼んどいた
そう言うと、詠は少しだけ落ち着きを取り戻したように姿勢を戻してくれた。
あぁ、よかった。話がわかってくれたんやな。
「そう・・・・ 末期の酒が故郷のものなんて、流石曹操殿。優しい心遣いね、ありがとう。
でも、僕は月が助かればいいの。だから、一思いに・・・・」
「なんでそうなんねん!
洛陽着任後も一度も帰っとらんし、結局戦い続きで涼州に戻っとる様子がないみたいやから爺様にウチが頼んだんや!!
道中、我慢するの大変やったし、詠たちと飲むことを楽しみにしとったんやからな?!
あんまし斬られるだとか、訳わからんで死ぬ覚悟しとると全部ウチが飲んでまうで!」
左手に持って来た酒瓶の一つを持ち、呷る真似をすると詠は驚いたように目を丸くしとった。
だから、なんでやねん!
「えっ?
じゃぁ、本当に僕たちを斬りに来たんじゃないの?」
「だ・か・ら! なんでそんなこと考えるようになっとんねん!!
話が全然見えへんし、ウチは韓遂の爺様送ったついでに、詠たちと酒飲みに来ただけやで!
それともあれかいな?! まさか詠まであのちびっこどもと一緒になって、なんか後ろ暗いこと考えとるんかい!」
「なっ! 違うわよ!!」
すぐ怒鳴り返しくれた詠を見て、ウチがにやりと笑うと詠はまた驚いたような顔をしとる。
あー・・・ ようやく戻ってきてくれたわ。これでやっとまともに話が出来る。
「なら詠がこうなっとる理由、一から話聞かせてもろてもええな?」
「・・・はぁ、まさか僕が霞に口で負ける日が来るなんてね。
でも、ありがと。おかげで冷静になれそうだわ」
苦笑交じりに言うその言葉はいつもの詠で、ようやくウチが知っとるダチの顔になってくれたわ。
「んならよかった。
さっ、一緒に酒飲んで、ゆっくり話でもしよか。
道中、韓遂の爺様が鳥とか、山羊とか、猪とか狩るもんやから、塩漬けやら干し肉やらをぎょうさん作ったんよ」
あの爺様突然弓構えたかと思うたら、次の瞬間鳥落とすんやもん。流石のウチもびっくりしたわ。おかげで毎日、肉食えたんやけど。
「しょっぱいもんばっかりじゃない?!」
「そう思うて、甘い菓子も街でいくつか見繕ってきたわ」
また驚く詠に懐から饅頭の包みを出せば、噴き出して笑ってくれる。それで緊張が解れたんか、そのままひとしきり笑ってウチを見た。
「まったく・・・ 抜け目がないんだから」
「酒に関することで、ウチが抜けとることなんてあらへんがな」
「それもそうね」
そう言って互いに笑って、ようやくウチらは席に着いた。
まず涼州の酒を互いの盃に注ぎ、飲み交わしながら、つまみの干し肉をかじる。手製の割にはうまく出来たわ、よかったよかった。
「それで、単刀直入に聞くけど霞はどこまで知ってるの?」
「ウチは今の仕事柄外に出ること多いからなぁ、まぁいろいろ聞いてんで?
蜀と呉が一緒になって阿呆な噂流しとることと、蜀からくる商人がいろんなところの村長を口説こうと躍起になってることとかな」
てか、聞かんでも村長が教えてくれるんよなぁ。
噂に関しては風や稟から集めるように頼まれとるし、最近稟に至ってはその出所を探そうと細かなとこまで調べようとしとる。
「村に手回しもしようとしてるのね、あの二人・・・
しかもそれは魏に筒抜けっていう、どんだけ各村に魏が信用されてるかを実感するわよ」
あーぁ、詠が頭抱えとる。
詠は冷たそうに見える癖に、いろんなこと抱え込むからなぁ。
「まっ、その辺りは魏っちゅうか、警邏隊のおかげなんやけどな」
一刀が最初に育ててくれた奴らの大半は、今や一部隊を任せられる隊長になっとる。
一刀が残してくれたもんがウチを守ってくれとる。
守ってたつもりやのに、結局ウチらはずっと一刀に守られたんやな。
「んで? 詠があんな早とちりしたん理由、教えてもろうてもえぇか?」
「今の霞なら大体察しはつくでしょ?
蜀がこんだけ好き勝手やってる中、あの郭嘉と程昱からの書簡が手渡されて、そのすぐ後に『神速の張遼』が来るのよ? 嫌な想像しか出来ないわよ」
「まぁ、そうやろな。
けどな、間違っとるで? 詠」
肩をすくめてウチを見る詠に、ウチは笑う。
そう間違っとる、ウチは誰か一人を闇討ちするなんて面倒なことはせん。んなことしたら、絶対に軍師の桂花や風に迷惑かけるやろ?
「ウチが本気で殺る気やったら、蜀の重鎮が揃う会議中に堂々と乱入するに決まっとるやろ?」
あっ、詠が固まってもうた。でも、これは本音やしなぁ。
「霞、やっぱり怒ってるのね・・・・」
「ハハハ、当然やろ?
人が心底惚れた男のこと馬鹿にするっちゅうことがどういうことか、ウチがわからしたろうかと思ってるだけやで?」
やれ女ったらしだの、無能だの、片っ端から女襲う野獣だの、言いたい放題やしなぁ。しかも大陸中に広めてるから随分面白がった阿呆や、嫉妬した馬鹿が居ったみたいで脚色されとるし。
『三国の女、全員に手を出した』とか報告が来た時、本気で殺しに行こうとしたウチを惇ちゃんが止めんかったら、どうなってたんやろうなぁ?
「・・・・参考に聞くけど、それはどのくらいなの?」
「んー? そうやな・・・
この陣営に居る噂に関わっとる馬鹿と噂に左右されとる馬鹿、君主として無能な馬鹿と盲信者。ぜーんぶぶっ殺してやりたいくらい、やな」
あぁ、思い出しただけでムカつくわ。
あの報告を歯くいしばって伝えてくれた部下は、ホンマ偉いと思うで?
警邏隊に迷惑かけずに怒り押さえて、仕事をまっとうしたんやからなぁ。
「えぇ、霞がかなり怒ってるっていうことが、よーくわかったわよ・・・」
頭痛を堪えるように頭を押さえて、詠は杯を空にする。
おぉ、詠にしては珍しくえぇ飲みっぷりやな。
「そんなにいい男だったの? 天の遣いは」
「いやぁ、世間で言ういい男ではなかったと思うで?」
そう、別に金を持っとったわけでも、我儘を何でも答えてくれるわけでもない。
整った顔立ちではあったけど、美形ってわけやなかった。
ましてや、地位や権力があったわけでもない。
でも、だーれもそんなこと気にせんかった。
『天の遣い』だからだとか、男だからとか、隊長だからとか、もっとるもん何一つひけらかすこともない男やった。
「武もない、智もない、金もない。
権力ももっとらんかったし、誰でも当たり前のように気に掛ける男やったよ」
そう、本当に誰にでも分け隔てなく笑いかける変りもんやった。
君主も、軍師も、将も、民も、何も変わらないとでも言うように、そこに居る人間を全員幸せにして歩いとるんやないかと思うくらい誰にでも分け隔てのない男やった。
「でもな、だからウチは惚れたんや。
誰にでも手伸ばしてくれる、誰も彼も笑いかける優柔不断な男にウチは心底惚れたんや」
ウチが惚れたんは一刀の外側についたもんやない。
人には見えん、実際に言葉交わして、触れ合わなわからんもんを好きになった。
ウチに多くを気づかせて、教えてくれて、残してくれて、一番肝心な本人はいなくなってもうた。
「城から逃げる時に一度だけ会ったけど・・・ 本当にあのままの人だったのね」
「お! 一刀に会ってたんか。
どうせ一刀のことやから、二人のことを気づかんで送り届けるとか言うたやろ?」
返ってきたのは意外な言葉にウチは笑って、一刀がやりそうなことを適当に言ったら、詠はまた驚いた表情をした。
「よくわかったわね?」
「だと思ったわ」
ホンマ、一刀やなぁ。
いつでも、どこでも、なーんも変わらんお人好し。もう、だから大好きなんや。
「んで、あのちびっこどもはあれかいな?
戦争したいんか?」
「したいんでしょうね。
全部の状況が見えなくなるほど、魏を倒すことを目標にしてるようにしか私には見えないわ。
蜀の良心である黄忠が荊州問題で不在、それなのに領地問題で戦力である馬超達が居なくなる前に行動を起こしたいのが正直なところでしょうね」
「はっ! 胸糞悪っ!!
結局、関係ない月たちをここまで巻き込んで、他もなんも見えとらん。あれが桂花たちと同じ名称で呼ばれとることすら腹立つわぁー」
ウチの正直な言葉に詠は肩をすくめて、苦笑する。
返す言葉もないっちゅうか、同感ってカンジやなぁ。
「あっ、そうやった!
風達が手紙がどうこう言うとったんやけど、それは読んだんか?」
あっ、詠が速攻で目逸らした。
まぁ、さっき言った通りに思っとったんなら、魏の軍師の二人の書簡は開きにくいわな。
「怖くて開けるわけないじゃない!」
「っていうのを予想した風が、ウチに映しを持たしたんや。
ウチも一緒に読んだら、怖くないやろー?」
風って凄いわぁ、千里眼でも持ってるんやろうか?
まぁ、警戒されてるんなら、もう少し詳しくウチにそのこと伝えてもええと思うんやけど。
「郭嘉のも?」
「そやで? ウチはどっちも内容知らんけどな」
詠はすっごく嫌そうな顔をしながら書簡を睨むもんやから、ウチは書簡を放ったりして遊ぶ。
うーん、かといって読まんのはあかんやろし。
「詠ー? あんまり覚悟決めんとウチが音読するで?」
「わかったわよ・・・
読むわよ・・・ 貸しなさいよ」
そう言って書簡をウチの前で開くと詠は頭を抱え、それどころか腹を辺りに触れていた。
『賈詡殿、今更名乗る必要はないかと思いますが念のために、私は郭奉孝と申します。
今回はあなたに、ある提案をするために筆をとらせていただきました。
単刀直入に申します。董卓殿共々、こちらへと来ませんか?
そして、私はあなた方にこそ蜀を治めてもらいたいと考えています。
『董卓』の名を出すことが出来ないという面に関してはあの乱の真相を語り、そちらに居る袁紹を処刑すればいいだけの話ですので。
敏いあなたのことです。私が作成している物が何か、運送業が何を意味するかを察しがついていることでしょう。
洛陽を任されていたあなた方の手腕、こちらで活かしてはいただけないでしょうか?』
『とまぁ、郭ちゃんは過激な内容を書いているでしょうが、これは争いが起こった場合の選択肢の一つと考えてくださいー。
程昱である私として戦が起こった場合のあなた方に一つ選択肢を示すのなら、さっさと涼州に戻ることをお薦めするのですよ。傍観し、領地を治めてくだされば、こちらには何の不満もありませんからねぇ。
ですが、争いがないのならそれに越したことはありません。
私としてはそちらの内部で動いてくださるだけでも十分なのですよ。
でも忘れないでください、賈詡さん。
あなたは本来、蜀の者ではありません。責任もありませんし、死を共にする理由もないのです。
自分が一番優先したいものを、守ることを心がけてくださいね』
りーん? ちょい過激すぎやしないかー?
風はまぁなんちゅうか、風やなぁ。
持って来たウチでも、さすがにこの内容には顔が引き攣るわぁ・・・
「ていうか、この陣営に袁紹居るんか?!」
書簡の中に書かれた知らなかった事実におもわず驚き、声が自然と大きくなる。
「いるわよ・・・ 街のどこかには居るんじゃない?」
対する詠はもう諦めたと言った声で、興味もなさそうに視線を移す。
「はぁ?!
月と詠、恋に音々音が居るっちゅうに何であいつらを陣営におくなんてことが出来るんや?!
神経おかしいんとちゃうか! あの君主!!」
「知らないわよ、思い出させないでよ。なるべく視界にもいれたくないし、名前すら思い出したくないんだから。
どうせあれでしょう?
『恨みとか憎しみをいつまで抱いててもしょうがない』とか、『過去は乗り越えるもの』とか言うんじゃない?
あの子なら割と本気で、あの乱の真実を知らないとかありえそうで怖いけど」
詠の目が死んどる。怒ることすら諦めたんやろうなぁ。
怒りの内容が一個増えたなぁ、ホンマこの陣営ぶっ殺したいわ。
厄介なんは武官じゃ関羽くらいやしなぁ、まぁ出てきても斬り殺すだけやけど。
そこでウチらはほぼ同時に盃を呷り、涼州の酒が尽きたことに気づいて、ウチは追加として一本の酒を取り出した。
「何、このお酒?
聞いたこともない銘だけど、どこの酒よ?」
酒のおかわりとして『華乃郷』を注ぎながら、詠は首を傾げて、その瓶を手にとる。
「一刀の話を元に作った天の酒で、魏の酒や。
作ってるところも少ないのもあるんやけど、作るに関わった杜氏たちが他国に流通させることを拒んどるんよ」
理由はいうまでもない、一刀のことをあんなん言う馬鹿共にこの酒を流通させてまで飲ませるなんてしたくないんやろうな。直接買いに来たら、流石に売れんとは言わんらしいけど。
詠は飲みかけたが何故か手を止め、盃を置く。
その目には疑いなんかやなく、どこか悲しげで、何かに気づいたような感じやった。
「詠?」
「本当・・・ 技術を渡せとか、協力しろとか、意見をくれとか、身勝手で最低よね」
そう言って詠は、泣いとった。
「天の知識を渡せっていうことは、あなた達と彼の思い出にずけずけ入っていって、彼が残した欠片を奪っていってるようなもんなのよね。
しかもそんな彼を貶して、怒らせようとしてる・・・ 僕らは本当に、殺されたって文句は言えないのよね」
ウチがその涙が嬉しいと思ったんのは、悪いことやろうか?
一刀が守りたいって思った大陸(もん)が一刀を否定するんやったら、そんなところいらんとすら思った。
でもウチは、詠のその表情を見て人間ってまだまだ捨てたもんやないって思えた。
ダチが泣いとるっちゅうんに、ウチって最低やな。
「詠、飲んでみ」
「えっ? だってこれは・・・ 思い出の酒でしょ?
他陣営に飲ませたくないものじゃない」
「えぇから飲みやって。
泣くのが馬鹿らしくなるほど、うまい酒やで」
ウチが手渡した盃を受け取り、透き通った綺麗な酒を前にして詠は意を決したように口にする。
「どうや? うまいやろ?」
ウチは自分のことのように得意げに笑うと、盃を空にした詠はまた涙を零した。
「詠、謝るんは無しやで?」
「・・・・!!」
ウチの予想通り謝りかけた詠は言葉を飲み込んで、思いっきり息を吸った。
「あーもー! ちゃんと言葉を交わしてみたかったわね!!
魏の将にここまで想われて、霞が恋した男に。
こんな涙が出るほど素敵な酒を知っている彼の話を、彼の言葉で聞いてみたかったわよ」
涙ながらに笑う詠を見て、ウチは見せつけるように笑う。
「世界中に自慢したくなるような、最っ高の男やったよ」
そういったウチの目にも何かが流れた気がするんは、きっとこの酒が旨すぎるせいや。
そうや、きっとそうに決まっとる。
詠とは部屋で別れ、ウチは夜道を歩く。
人の居ない方へと歩いて行くと、馬を連れて外套を被った人が橋の近くに立っとった。
「霞殿、賈詡殿は如何でしたか?」
「稟、やっぱり来たんか・・・・」
「えぇ、あの手紙への反応は気になりますからね。
まぁ、彼女たちがどう動こうとも争いが起きた際は、さしたる問題はないのですが」
先日の一件から稟はずっとこの調子であり、その目に宿る冷たい殺意は三国同盟以前でも見たことのないものやった。
空虚だった稟をここまで怒らせとるんやから、凄いわなぁ。
「風も、沙和殿も、桂花殿も、春蘭殿も、優しすぎますよ。
霞殿、あなたも本音を言えば、こんな国なんて潰してしまいたいでしょう?」
「否定はせんよ。
今からでも蜀のちびっこやら、盲信者を血祭りにあげたいと思っとる」
そういう意味じゃウチは、稟がそうしてくれとるおかげでぎりぎり行動に移さんで済んどるのかもしれんなぁ。
「・・・まぁ、いいでしょう。
争いが起きれば私の出番、それまでは風や他の方にお任せしますよ。
それでは私はこれで、また魏でお会いしましょう」
「おぅ、また魏でなー」
そう言って馬で走り去っていく稟を見送り、ウチは空を見上げる。
そこに輝くんは半月、半分でも輝いてる月を見とると一刀のあの言葉を思い出した。
「宙天に輝く銀月の美しさに、か・・・・」
呟き目を閉じれば、あの日と何もかわっとらん笑顔を思い出され、自然と言葉がこぼれ落ちとった。
「あぁ、会いたいなぁ。一刀」