魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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改訂版です。



プロローグ改訂版 魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。

 

 朝は、嫌いではない。

 カーテンの隙間から差し込む白い光。

 階下から、かすかに聞こえてくるランニングマシンの駆動音。

 台所の方から漂ってくる、味噌汁の匂い。

 

 それらは全部――五月女エミカにとって、一日が始まる合図だった。

 

 以前から、朝が嫌いだったわけではない。

 けれど最近は、その意味が少しだけ変わった気がする。

 

 目が覚めること。家にいること。台所に父がいること。

 その全部が、決して当たり前ではなかったのだと知ってしまったから。

 

「……んみゅう……あと五分ミプ……」

 

 枕元で、ピンク色のもふもふした何かが丸まっていた。

 犬のようで、猫のようで、けれどそのどちらとも少し違う。

 

 丸い耳。短い手足。ふわふわした尻尾。

 

 眠っている時だけなら、ただのぬいぐるみに見えなくもない。

 実際、外ではぬいぐるみとして扱われることも多い。

 本人はそのたびに不満そうな顔をするが、動かず黙っていれば、どう見てもぬいぐるみなので説得力はなかった。

 

 その正体は、守護精霊――ミププである。

 

「ミププ。朝だよ」

 

「精霊界では、まだ夜ミプ……」

 

「ここは人間界」

 

「じゃあ、人間界の朝は横暴ミプね……」

 

 エミカは半目になり、ミププの頬を指でつついた。

 

 むに、と柔らかい。

 

 長い間、魔法少女を支えてきた守護精霊とは思えないほど、触り心地だけは平和だった。

 

「起きないと、お父さんの卵焼きが冷めるよ」

 

「起きるミプ!」

 

 ミププは一瞬で目を開けた。

 

 精霊界の時間の流れより、父の卵焼きの方が強いらしい。

 

「おはよう、エミカ!」

 

「おはよう、ミププ」

 

 そんな、何でもない朝の挨拶。

 以前なら、当たり前すぎて意識したこともなかった。

 

 朝、目が覚めること。温かいご飯の匂いがすること。

 誰かに「()()()()」と言えること。

 

 その全部が、どれだけ大切なものだったのか。

 エミカは最近になって、ようやく知った。

 

 ベッドの縁へ腰かける。

 

 右足を床へ下ろし、ゆっくりと体重をかけた。

 

「……っ」

 

 足の奥に、鈍い痛みが走る。

 

「エミカ?」

 

「大丈夫」

 

 反射的に答えてから、エミカは小さく苦笑した。

 

 ――大丈夫。

 

 最近の自分は、その言葉ばかり使っている気がする。

 本当に大丈夫な時よりも、大丈夫ではない時の方が、口が勝手にそう言う。

 心配させたくない。足を止めたくない。もう一度、以前のように動ける自分へ戻りたい。

 

 ……そう思うほどに、「大丈夫」という言葉は便利になっていった。

 

「昨日より痛そうミプ」

 

「寝起きだから、少し固くなってるだけ」

 

「本当にミプ?」

 

「本当だって」

 

 エミカは笑って立ち上がる。

 歩くことはできる。

 階段の上り下りも、日常生活も、一人で問題なくこなせる。

 

 ただ、長く歩けば痛みが残る。

 走ったり、急に右足へ体重をかけたりすれば、治りかけた場所が引きつるように痛んだ。

 

 完治には、まだ少し時間が必要だった。

 

 ジャージに着替え、髪を整える。

 ミププを抱えて部屋を出ると、廊下の棚に置かれた写真立てが目に入った。

 

 柔らかく笑う女性の写真。

 

 エミカは、その前で足を止める。

 

「おはよう、ママ」

 

 ほんの一言だけ挨拶し、写真の前へ置かれた小さな花へ目を向けた。

 昨日とは違う、新しい花だった。

 きっと父が、朝早く取り替えたのだろう。

 

「今日もリハビリ、頑張ってくるね」

 

 エミカは写真へ小さく笑いかけ、階段へ向かった。

 五月女家は、少し変わった造りをしている。

 

 一階が、地域密着型トレーニングジム『SAOTOME GYM』。

 二階が、五月女家の住居。

 

 つまりエミカは、自宅の階段を下りるだけでジムへ行ける。

 階下から聞こえてくるマシンの音や、早朝からトレーニングに来る常連客の声は、エミカにとって家の生活音の一部だった。

 

 リビングへ入ると、台所に巨大な背中があった。

 

「おはよう、お父さん」

 

「おはようミプ!」

 

「おはよう、エミカ、ミププ。もう少しでできるぞ。パパのスペシャルな朝食だ」

 

 振り返った父――五月女ゲキは、今日も大きかった。

 

 身長百九十三センチ。

 分厚い胸板。

 丸太のような腕。

 

 黙って立っているだけで、初対面の人間なら本能的に道を譲る。

 

 そんな父が、黒いジャージの上からピンク色のエプロンを着けていた。

 胸元には、丸っこい文字で『げんきにすまいる』と刺繍されている。

 

 似合っていない。

 まったく似合っていない。

 

 だが本人は、当然のように着こなしていた。

 

「お父さん、そのエプロン、まだ使ってるんだ」

 

「使いやすいからな。それに、このエプロンで料理すると美味しさが一段階上がる」

 

「正直、エプロンだけ浮いているミプ」

 

「そうか? 結構フィットしていると思うが」

 

 ゲキは爽やかに笑い、焼き上がった卵焼きを皿へ移した。

 

 エミカは思う。

 この人は、たぶん一生、自分が周囲へ与えている迫力を正しく理解しない。

 食卓に並んだ朝食は、いつものようにしっかりしていた。

 

 焼き魚。

 味噌汁。

 卵焼き。

 ほうれん草のおひたし。

 白いご飯。

 

 スペシャルではなく、ごく普通の家庭の朝食だ。

 ただし、それを作っているのは、どう見てもプロレスラーか敵組織の大幹部のような父親である。

 

「よし、エミカ。朝のハグをしておくれ」

 

 エプロンを外したゲキは、当然のように両腕を広げた。

 エミカは短くため息をつく。

 

「もうすぐ十七だよ。そういうのは卒業したいの」

 

「そう言う割には、最近は毎日ハグをさせてくれる」

 

「怪我のせいよ。抵抗できないの。ひどい父親ね」

 

「そう言わないでくれ、エミカ」

 

「冗談よ」

 

 ゲキは笑いながら、エミカを優しく抱きしめた。

 大きな腕だった。

 小さい頃は、この腕に抱き上げられるのが好きだった。

 

 今は少し恥ずかしい。

 いや、かなり恥ずかしい。

 

 それでも、胸の奥が少しだけ落ち着くのは否定できなかった。

 

「右足には触ってない?」

 

「ああ。パパは細心の注意を払っている」

 

「それと、額にキスはしないで」

 

「おっと。先に読まれたか」

 

「毎朝やろうとするからでしょ」

 

「エミカはゲキのハグが好きだミプ」

 

「お父さん。今日のミププのおやつは無しでいいって」

 

「ミプ!?」

 

 ミププが両手を上げて抗議する。

 その姿を見て、ゲキは大きく笑った。

 

 二人と一匹は食卓に座る。

 

 食事をしながら、ゲキは新聞を広げていた。

 紙面の片隅には、近隣の町で活動する魔法少女チームの記事が載っている。

 猫をモチーフにした、三人組の魔法少女たち。

 

 チーム名は――。

 

「なぜ彼女たちは『()()()()()()()()()』なんだ?」

 

 ゲキが首を傾げる。

 

「『()()()()()()()()()()』の方が、すっきりするのに」

 

「勝手に名前を変えないで。それと、食事中に新聞を読まないの」

 

「すまんすまん。そういうところはママに似たな」

 

「もう」

 

 亡くなった母の話が出ても、今のエミカは笑って返せる。

 昔は、胸が痛んだ。

 けれど父が母のことを何気なく口にするたび、家の中に母の存在が残っているような気がした。

 

 だから、嫌ではない。

 

 食事が進み、味噌汁の椀が空になる頃。

 ゲキが新聞を畳んだ。その音だけで、空気が少し変わる。

 

「怪我の具合はどうだ?」

 

 父の顔が、トレーナーのものへ変わった。

 エミカは箸を止める。

 

「昨日よりはいいよ」

 

「痛みは?」

 

「少しだけ」

 

「なるほど。『少しだけ』か」

 

「本当に少しだけよ、お父さん」

 

「そういうことにしておこう」

 

 ゲキは、それ以上追及しなかった。

 だが、エミカの右足を庇う小さな動きを見逃してはいない。

 

「今日は予定通り、足のリハビリだな」

 

「分かってる」

 

「途中で痛みが出たら、すぐに言うこと。無理は天敵だ」

 

「分かってるって」

 

「ハハッ。分かっているやつほど無理をする」

 

「それ、お父さんが言う?」

 

「俺は大人だからな。しかもタフな大人だ」

 

「説得力がありすぎるミプ」

 

 エミカは思わず笑ってしまった。

 こういう時間が好きだった。

 普通で、くだらなくて、少し騒がしい。

 だからこそ、大切な時間。

 

 エミカはかつて、四人組の魔法少女チーム『マジカルメイデンズ』の一人として、多くの人を助け、多くの敵と戦ってきた。

 かつての敵性組織との戦いは、一年以上にわたった。

 怖いこともあった。痛い思いもした。

 

 それでも仲間がいたから戦えた。

 雨玻町という、守りたい町があったから立ち上がれた。

 

 ——けれど今のエミカは、簡単には変身できない。

 

 変身すること自体は可能だった。

 メイクアップ・リグを起動すれば、傷ついた魔力回路にも無理やり魔力が流れ、フラワーメイデンの姿になることはできる。

 

 だが、その瞬間から全身へ激痛が走る。

 傷口へ熱した針金を押し込まれるような痛み。

 そのまま戦えば、魔力を使うたびに回路の損傷は深くなる。

 限界を越えれば、魔力回路そのものが完全に焼き切れる。

 

 そうなれば、もう二度と変身できない。

 

 だから今は、変身してはならない。

 

 戦いたくても、戦えない。

 守りたい町が、今もすぐそこにあるのに。

 

 それが魔法少女フラワーメイデン――いや、五月女エミカの今だった。

 

     Θ

 

 朝食を終えると、二人と一匹は階段を下りた。

 

 二階から一階へ。

 

 一段下りるごとに、生活の音がジムの音へ変わっていく。

 重りが鳴る音。ランニングマシンのベルトが回る音。誰かの気合いの声。

 

 そして、なぜか低く響く読経のような声。

 

「……今日も濃そうミプ」

 

「扉を開ける前から熱気が伝わるね。まあ、慣れたけど」

 

 エミカは一度だけ深呼吸した。

 

 ここは自宅の一階。

 ただそれだけの場所のはずなのに、最近は扉を開けるのに少し覚悟が必要だった。

 

 ドアを開ける。

 

 今日も、SAOTOME GYMは平常運転だった。

 

「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 

 最初に視界へ飛び込んできたのは、ジムで一番重いダンベルを両手に持ち、涼しい顔で筋力トレーニングをしている巨漢だった。

 

 ——()()()

 

 本名、井原壮吉。

 身長百九十七センチ。

 人間離れした身体能力を持つ、SAOTOME GYMの常連客である。

 

 薔薇色の鮮やかなタンクトップを着て、巨大なダンベルを軽々と持ち上げる姿は、もはや筋力トレーニングというより儀式だった。

 周囲の一般会員たちがざわついている。

 

「すげえ……あの重量でフォームがまったく崩れない……」

 

「美しい……さすがローズさん。上腕二頭筋が咲いている……」

 

「俺、今日からもっと頑張るわ……!」

 

 なぜか感動している。

 ローズはダンベルを上げ下げしながら、優雅にウインクした。

 

「あら、見ているだけじゃ筋肉は育たないわよ。夢も筋肉も、追いかけてこそ輝くの」

 

「ローズさん……!」

 

「名言だ……!」

 

 会員たちが謎の感銘を受けていた。

 

「おはよう、ローズ。今日も精が出るな」

 

「おはよう、ゲキ。今日も絶好調よ。調子が良すぎて、もっと激しいトレーニングがしたくなっちゃう」

 

「頼むから備品は壊さないでくれよ」

 

「あら。私、そんな何でも壊すような性格に見える?」

 

「前科があるからな」

 

 ゲキとローズが他愛もない会話をする。

 エミカは、そっと視線を横へずらした。

 そこには、スケッチブックを抱えた親友がいた。

 

 ——浅倉沙織。

 

 エミカの親友であり、魔法少女活動の裏側を知る数少ない一般人。

 

 将来の夢は漫画家。

 

 そして現在は、ローズの筋肉をものすごい勢いでスケッチしていた。

 

「沙織」

 

「おはよう、エミカちゃん。ごめん、今ちょっと忙しい」

 

「何を描いてるの?」

 

「人体」

 

「まあ、人体だね」

 

「見て。この肩から腕にかけてのライン。説得力が違う」

 

「絵、相変わらず上手……。こんなに筋肉を描いて、どうするの?」

 

「漫画に必要なこと」

 

「描こうとしてるの、魔法少女漫画だよね?」

 

「魔法少女にも筋肉は必要だよ」

 

「たぶん、方向性を間違えてるよ」

 

「漫画は基礎が大事なの、エミカちゃん。……さすがローズさん。今日も筋肉が美しい」

 

 沙織は鉛筆を止めなかった。

 その視線は真剣そのものだった。

 エミカは知っている。

 

 沙織は筋肉が大好きだ。

 

 本人は隠しているつもりだが、視線がまったく隠せていない。

 今もローズの背筋を見ながら、漫画家志望というより解剖学者のような顔をしていた。

 

 そして、ジムの隅では坊主頭の僧侶が座禅を組んでいた。

 

「吸って――吐く。心を静め、内なる声を聞くのです。雑念とは、己の中にある迷い。迷いを認め、手放し、精霊様への感謝を――」

 

 清永正。

 

 通称、——()()()()

 

 身長百九十一センチ。

 正式なスタッフではない。

 雇用契約もない。

 

 それなのに、なぜかSAOTOME GYMの隅で勝手に座禅教室を開いていた。

 

 しかも、地味に人気がある。

 今日も数人の会員が、ヨガマットの上で目を閉じていた。

 

「キヨナガ」

 

 ゲキが呼びかける。

 

「断りなしで教室を開くなと、いつも言っているだろう」

 

 キヨナガは、ゆっくりと目を開いた。

 

「ゲキ殿。勝手ではありません。人は皆、心のどこかで静寂を求めているのです」

 

「さすがに今回は、場所代を取るぞ」

 

「執着ですな」

 

「そうか。請求書のゼロを増やしてほしいんだな」

 

「ではまず、その怒りを座禅で鎮めましょう」

 

「よし、こっちは海に沈めてやろう。期日までに振り込まなければ、冷たい海水で朝を迎えることになる」

 

 ゲキは爽やかに笑いながら請求書を書き、キヨナガへ差し出した。

 どう聞いても物騒な内容だったが、本人は完全に冗談のつもりである。

 キヨナガも動じることなく、請求書を両手で受け取った。

 

「海もまた、生命を育む大いなる自然。そこで座禅をするのもよい修行となりましょう」

 

「本当に沈められても文句を言うなよ」

 

「その時は、ゲキ殿もご一緒に」

 

「俺まで巻き込むな」

 

 キヨナガは請求書を持ったまま、穏やかに合掌した。

 

「エミカ殿もいかがですかな。リハビリには肉体だけでなく、心の調律も必要です」

 

「今日はお父さんのメニューがあるので……」

 

「麗しのミププ様も」

 

「ミププは遠慮するミプ。キヨナガさん、精霊を見る目が何だか重いミプ」

 

「重いのではありません。深いのです。精霊様を愛しているが故です」

 

「その返しがもう重いミプ……。それに湿っぽいミプ」

 

 エミカは思った。

 今日も平和だ。

 平和の定義が少しずつ壊れている気もするが、少なくとも誰も怪我をしていない。

 

「よし、エミカ。始めるぞ」

 

「うん」

 

 ゲキが、低い踏み台と手すりを用意する。

 今日のリハビリは、右足へ少しずつ体重を戻すための運動だった。

 まずは手すりを握り、左右の足へゆっくりと重心を移す。

 次に低い踏み台へ右足を乗せ、膝が内側へ入らないよう注意しながら身体を持ち上げる。

 

「呼吸を止めない」

 

「うん」

 

「右足だけで無理に上がろうとするな。左足も使っていい」

 

「分かってる」

 

「痛かったら」

 

「すぐ言う。分かってるって」

 

「ならいい」

 

 ゲキは父親として心配しながらも、トレーナーとしては冷静だった。

 

 足の角度。重心の位置。膝の震え。呼吸。表情。

 

 細かな変化まで見逃さない。

 

 エミカは踏み台へ右足を置いた。

 ゆっくり体重をかける。

 痛みはある。

 だが、耐えられないほどではない。

 

「もう一回いける」

 

「今ので予定回数だ」

 

「あと一回だけ」

 

「そう言って回数を増やすのは、リハビリじゃなくて意地だぞ」

 

「一回くらいなら平気」

 

「エミカ」

 

 ゲキの声は穏やかだった。

 だが、譲らない声でもあった。

 

「今日は、ここまでだ」

 

「……はい」

 

 エミカは渋々、踏み台から足を下ろした。

 その瞬間、右足の奥が少しだけ疼く。

 表情へ出さなかったつもりだった。

 

「痛い?」

 

 沙織が隣へしゃがみ込んだ。

 

「少しだけ」

 

「少しだけって、便利な言葉だよね」

 

「沙織までそれ言う?」

 

「だってエミカちゃん、すぐ大丈夫って言うから」

 

「まあ、職業柄?」

 

「学生でしょ?」

 

「特殊な学生なの」

 

「もう」

 

 沙織の声は軽い。

 けれど、その奥にある心配は隠せていなかった。

 

 エミカは少しだけ目を伏せる。

 

「……悔しいよ」

 

 自然と、言葉がこぼれた。

 

「私、まだ戦えるつもりだった。みんなが引退して、一人になっても、雨玻町くらいなら守れるって思ってた」

 

 以前、エミカには三人の仲間がいた。

 

 ——嵐の力を操る、ストームメイデン。

 

 ——空を駆ける、ウイングメイデン。

 

 ——月の光を宿す、ムーンメイデン。

 

 だが三人は、それぞれの夢へ進むために魔法少女を引退した。

 

 家業を継ぐため。

 

 弁護士を目指すため。

 

 パティシエになるため。

 

 みんな、自分の人生を歩き始めた。

 それは嬉しかった。

 

 寂しかったけれど、誇らしかった。

 

 だからエミカは、一人で町へ残ることを選んだ。

 仲間たちが安心して夢を追いかけられるように、自分が雨玻町を守ろうと思った。

 

 対立していた敵性組織は倒し、もう大きな戦いは起こらない。

 

 時々現れる小さな怪異を倒し、後輩の魔法少女たちを手助けする。

 

 それで十分だと思っていた。

 

 けれど……別の次元から『デビデヴィ・クライシス』が現れた。

 

 そしてエミカは敗れた。

 守るはずだった町で。

 守るはずだった人たちの前で。

 

「変身すれば、まだ戦える」

 

 エミカは自分の右足を見る。

 

「痛くても、無理をすれば……一度くらいは」

 

「エミカちゃん」

 

 沙織の声が、少しだけ強くなる。

 

「その一度で、もう二度と変身できなくなったら?」

 

「……分かってる」

 

「本当に?」

 

「分かってるよ」

 

 分かっている。

 変身すれば、魔力回路へ激痛が走る。

 戦えば、傷はさらに深くなる。

 限界を越えれば、フラワーメイデンへ戻る道は永遠に閉ざされる。

 

「だから、今は変身しない」

 

 エミカは膝の上で手を握った。

 

「でも、悔しいものは悔しいよ」

 

 沙織は、すぐには何も言わなかった。

 ただスケッチブックを閉じ、エミカの隣へ座った。

 

「悔しいって言えるなら、大丈夫だよ」

 

「何、それ」

 

「我慢して何も言わないより、ずっといい」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ」

 

 それだけで、少しだけ胸が軽くなった。

 エミカは顔を上げる。

 

「いいわ! その調子よ! 筋肉が芽吹いていくわ!」

 

「はい! ローズさん!」

 

 ジムの中央では、ローズが会員たちを励ましながら筋力トレーニングをしている。

 

「吸って……吐いて……心を落ち着かせ、精霊道へ身を預けて」

 

 隅では、キヨナガが相変わらず怪しげな瞑想を教えている。

 

 受付の方では、スタッフのエイコーが書類を抱えて忙しそうに歩いていた。

 

 そして父は、エミカのリハビリメニューを真剣な顔で確認している。

 

 変な人たちばかりだ。

 本当に、変な人たちばかり。

 

 でも。

 

「私の代わりに、戦ってくれる人たちがいる」

 

 エミカは小さく呟いた。

 

「認めたくないけど、いる」

 

「最後の一言を本人たちが聞いたら、泣くか喜ぶか分からないね」

 

「だから聞かせない」

 

 エミカは、ほんの少しだけ笑った。

 その瞬間。

 ミププの耳が、ぴんと立った。

 

「……ミプ」

 

 空気が変わる。

 ジムの喧騒が、一瞬だけ遠くなった。

 ミププは目を閉じ、何かを探るように顔を上げる。

 

「エミカ」

 

「もしかして?」

 

「デモンコアの気配ミプ。近いミプ」

 

 胸の奥が冷たくなる。

 エミカは反射的に立ち上がった。

 右足に急な負荷がかかり、鋭い痛みが走る。

 

「っ……!」

 

「エミカ!」

 

 ゲキがすぐに身体を支えた。

 その手は大きく、熱かった。

 

「大丈夫」

 

「今のは大丈夫な顔じゃないな」

 

 ゲキはエミカの身体を支えたまま、ローズとキヨナガを見る。

 ローズはダンベルを静かにラックへ戻していた。

 キヨナガも座禅を解き、立ち上がる。

 

 三人は互いに目を合わせ、一度だけ頷いた。

 

「場所は?」

 

「雨玻町の商店街の方ミプ。もう悪魔空間が広がり始めてるミプ!」

 

「分かった。行こう」

 

 ゲキが出口へ向かう。

 ローズとキヨナガも続いた。

 エミカも、その後を追おうとする。

 

「エミカ」

 

 ゲキが足を止めた。

 

「行くなら、避難誘導だけだ」

 

「分かってる」

 

「俺たちより前には出ない。ミププから離れない。敵とは戦わない」

 

「……うん」

 

「約束できるか?」

 

「約束する」

 

 ゲキは娘の目を見つめる。

 しばらくして、静かに頷いた。

 

「なら、一緒に来い」

 

「ミププが守るミプ!」

 

 エミカはロッカーから上着を取り出した。

 その時、ミププが何かを思い出したように振り返る。

 

「エミカ、()()は着ないミプ?」

 

 エミカの手が一瞬だけ止まった。

 

「今から着替えてたら間に合わないよ」

 

「でも……」

 

「今日は戦いに行くんじゃない。逃げる人を助けに行くだけだから」

 

「……分かったミプ」

 

 それが何なのか。

 沙織は知っているようだったが、何も言わなかった。

 

「気をつけてね、エミカちゃん」

 

「うん」

 

「本当に、無茶しないで」

 

「分かってる」

 

「ゲキさんたちも!」

 

 沙織が出口へ向かう三人へ声をかける。

 

「エミカちゃんをお願いします!」

 

「ああ。任せてくれ」

 

 ゲキは胸を叩いた。

 ローズも優雅に片手を振る。

 

「もちろんよ。エミカちゃんには、傷一つ増やさせないわ」

 

「我々が必ずお守りします」

 

 キヨナガが合掌する。

 

「ミププもいるミプ!」

 

「ミププもお願いね」

 

「任せるミプ!」

 

 その背後で、エイコーが事務所から顔を出した。

 

「店長ー。今日のシフトの相談なんですけど――」

 

 すでにゲキたちは、ジムの外へ飛び出していた。

 エイコーは開いた入口を見つめる。

 

 それから、すべてを悟ったようにため息をついた。

 

「……またですかい」

 

     Θ

 

 雨玻町の商店街は、悲鳴と破壊音に包まれていた。

 空は紫色に染まり、普段なら買い物客で賑わう通りには、現実感のない不気味な光が満ちている。

 

 悪魔空間。

 

 悪魔の力によって現実から切り離された、異常な領域。

 その中に長く留まれば、人間の心は少しずつ悪意に蝕まれていく。

 

 恐怖。怒り。不安。絶望。

 

 そうした負の感情は、悪魔にとって都合のよい餌となる。

 

「エミカ、ミププのそばから離れないでミプ!」

 

「分かってる!」

 

 ミププが両手を広げる。

 淡い桃色の光が、薄い膜のようにエミカの身体を覆った。

 

 守護精霊の力による防護結界。

 

 悪魔空間から流れ込む悪意や精神への侵食を抑えることができる。

 ただし、敵の攻撃そのものを防げるほど強い結界ではない。

 

「これで悪魔空間の影響は抑えられるミプ! でも、絶対にミププから離れたら駄目ミプ!」

 

「うん!」

 

「こっちです! 走らないで、順番に外へ出てください!」

 

 エミカは商店街に残っていた人々へ声をかける。

 右足は痛む。

 それでも走らなければ、歩いて誘導することはできた。

 泣いている子供の手を引き、転びそうになった老人を支える。

 戦うことはできなくても、できることはある。

 

 悪魔空間の中心では、黒く歪んだ機械の怪人が、店先の看板を叩き壊していた。

 

 ――悪魔兵器デビガノイド。

 

 胸部には、不気味な球体が埋め込まれている。

 

 あれがデモンコア。

 

 人間の心を悪意で歪め、悪魔兵器の動力源へ変えたものだった。

 周囲には、黒い人形のような雑兵たちが群がっている。

 

 ――デビドール。

 

 デビデヴィ・クライシスの量産型雑兵である。

 

「避難路を空けてもらうぞ!」

 

 ゲキの拳が、デビドールの顔面を捉えた。

 変身していない。

 武器も持っていない。

 

 ()()()()()()()()

 

 それなのにデビドールは宙を舞い、道路を転がっていった。

 

「道を開けろ、鉄クズ!」

 

 ローズが、別のデビドールを二体まとめて担ぎ上げる。

 

「あらやだ。軽いわね」

 

 そのまま一体をもう一体へ投げつけ、まとめて店の外壁へ叩きつけた。

 

「もっと鍛えてから出直してきなさい!」

 

 敵へ指導していた。

 キヨナガは合掌しながら、流れるような足運びでデビドールの攻撃をかわしていく。

 

「迷える人形よ。せめて静かに倒れなさい」

 

 振り下ろされた腕を受け流し、懐へ入る。

 

「破!」

 

 掌底。

 

 一撃。

 

 デビドールが崩れ落ちた。

 

 エミカは思った。

 

 ――やっぱりこの人たち、変身する前からおかしい。

 

 だが、中央に立つデビガノイドは違った。

 

 ゲキの拳を受けても。

 ローズの蹴りを受けても。

 キヨナガの掌底を受けても。

 

 倒れない。

 

 黒い装甲がわずかに軋むだけ。

 胸のデモンコアまでは届かない。

 あれを()()には、特別な力が必要だった。

 

 ただ壊すだけでは駄目。

 中に閉じ込められた人の心を、悪意のエネルギーから浄化しなければならない。

 

 それが、魔法少女の戦いだ。

 

「おーっほっほっほっほ!」

 

 高笑いが響いた。

 

 街灯の上に、銀髪縦ロールの女が立っていた。

 顔を覆うマスク。黒いレザーのハイレグ衣装。手にした扇子。

 

 どこからどう見ても、悪の女幹部である。

 

「お久しぶりですわね、五月女ゲキ!」

 

 デビデヴィ・クライシス先行部隊隊長。

 タカワラーイ婦人。

 

「……久しぶりだな、タカワラーイ婦人」

 

 ゲキが静かに構える。

 

「今度は商店街で騒ぎか。相変わらず、近所迷惑な侵略者だ」

 

「世界征服を近所迷惑で片づけるんじゃありませんわよ!」

 

 婦人は扇子をゲキへ向ける。

 

「それにしても、あなたとは最初の戦い以来ですわね。随分とお仲間が増えたようで」

 

 婦人の視線が、ローズとキヨナガへ移る。

 

「そちらのお二方と、こうして言葉を交わすのは初めてですわね」

 

「あら」

 

 ローズは片手を腰へ当て、婦人を見上げた。

 

「あなたが噂の女幹部なのね。思っていたより、派手な格好だわ」

 

「あなたにだけは言われたくありませんわ!」

 

「それは褒め言葉として受け取っておくわね」

 

 キヨナガも婦人へ向き直る。

 

「なるほど。あなたが、エミカ殿とミププ様を苦しめた悪しき者ですか」

 

「初対面から失礼な僧侶ですわね!」

 

「悪しき者を悪しき者と呼んだまで」

 

「その落ち着いた顔が腹立たしいですわ!」

 

 婦人の後方から、白衣を着た紫髪の男が姿を現した。

 イタヴリ博士である。

 

「ふふふ……今回のデビガノイドは、今までとは違いますよ!」

 

 博士は両腕を広げた。

 

「なんと婦人の給料三か月分をつぎ込んで完成させた、最新型です!」

 

 直後。

 タカワラーイ婦人の扇子が、イタヴリ博士の頭を叩いた。

 

「給料と言うんじゃありませんわよ! 侵略資金と言いなさい、侵略資金と!」

 

「痛い! でも事実じゃないですか!」

 

「事実だから言うなと言っているのですわ!」

 

 エミカは遠い目をした。

 敵も敵で、大変そうだった。

 

 さらに婦人の足元には、三頭身の猫武士が立っている。

 厚い鎧を身につけた、ずんぐりむっくりした白い猫の侍。

 

 ユーギ・ザムライ・ニャンタ。

 

 見た目は可愛い。

 だが、声はやたらと渋い。

 

「姫様。拙者も出陣いたすか」

 

「当然ですわ! ニャンタ、あなたも働きなさい!」

 

「承知」

 

 ユーギが刀へ手をかける。

 タカワラーイ婦人は、改めて扇子を突きつけた。

 

「さあ、最新型デビガノイドの力を見るがいいですわ!」

 

 デビガノイドが咆哮した。

 腕から放たれた衝撃波が、道路を砕く。

 

「エミカ!」

 

 ゲキが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

 エミカはミププと共に、避難する人々を庇うように建物の陰へ入った。

 ゲキたちは三方向へ飛び退く。

 衝撃波が商店街を走り、街灯が根元から折れた。

 ゲキは砕けたアスファルトの上へ着地する。

 

「生身では少し骨が折れそうだな」

 

「あら。ようやく私たちの出番ね」

 

 ローズが楽しそうに笑う。

 

「悪しき力を浄化するには、相応の姿が必要でしょう」

 

 キヨナガが静かに合掌した。

 ミププが、遠い目をする。

 

「……ミプ」

 

「ミププ」

 

「言わないでほしいミプ。ミププも、いろいろ思うところはあるミプ」

 

 その時、ゲキが近くの建物を見上げた。

 

「行くぞ!」

 

「ええ!」

 

「承知!」

 

 三人は同時に地面を蹴った。

 その巨体が、壁や看板を足場にして上昇する。

 そしてなぜか、近くのビルの屋上へ並んで着地した。

 

 エミカは無言で見上げる。

 

「……何で、わざわざ高いところへ行くの?」

 

「様式美ミプ……」

 

 ミププが悟ったような声を出した。

 屋上に、三つの影が並び立つ。

 

 ゲキが拳を握る。

 ローズが片手を腰へ当てる。

 キヨナガが静かに目を閉じる。

 

 そして、三人は同時に手を掲げた。

 

「「「メイクアップ・リグ!」」」

 

 三人の手のひらへ光が集まる。

 現れたのは、それぞれ手のひらほどの大きさをした変身アイテム。

 

 ――メイクアップ・リグ。

 

 ゲキの前には、ピンク色のハート型クリスタル。

 ローズの前には、赤い薔薇型クリスタル。

 キヨナガの前には、薄紫色の円型クリスタル。

 

 三人は、それぞれのクリスタルをメイクアップ・リグへ装着した。

 

「怒れ! マキシマム!」

 

「叶って! アンリミテッド!」

 

「悟りなさい! スピリット!」

 

 上部のボタンが押される。

 

 三つの光が走った。

 

 ピンク。

 

 赤。

 

 薄紫。

 

 三人の足元へ巨大な魔法陣が展開する。

 

 町の悲鳴も。敵の高笑いも。

 

 その瞬間だけ、遠ざかる。

 

「「「マジカル・ケミカル・フィジカル・メイクアップ!!」」」

 

 光が弾けた。

 

 最初に現れたのは、白とピンクを基調とした巨大な姿。

 胸には、大きなハートの意匠。

 腰には、可愛らしいリボン。

 だが、その肉体はあまりにも分厚い。

 可愛いはずなのに、シルエットは完全にアメコミヒーローだった。

 

「娘の涙に拳を燃やす!」

 

 巨大な拳が、力強く握られる。

 

「怒れる父のマジカルハート!」

 

 白とピンクの巨漢が、堂々とポーズを決めた。

 

「魔法少女――ゲキ・マキシマム!」

 

 次に、赤い薔薇を思わせる華やかな姿が光の中から現れた。

 長く伸びた暗赤色の髪。

 薔薇の装飾。

 優雅に広がる衣装。

 可憐。

 華麗。

 そして、圧倒的な筋肉。

 

「可憐なる夢を歩む!」

 

 ローズが片脚を前へ出し、優雅に腕を広げる。

 

「鍛え抜かれた乙女魂!」

 

 無数の薔薇の花弁が周囲を舞った。

 

「魔法少女――ローズ・アンリミテッド!」

 

 最後に、薄紫の炎のようなオーラをまとった姿が目を開いた。

 全身には、僧侶の法衣を思わせる衣装。

 胸元には円形のクリスタル。

 数珠を模した装飾が、澄んだ音を鳴らす。

 周囲を、四つの薄紫色の霊火が静かに巡っていた。

 

「精霊様を敬い、心を澄ませ!」

 

 キヨナガが合掌する。

 

「悟りの光、今ここに開眼!」

 

 霊火が一斉に燃え上がった。

 

「魔法少女――キヨナガ・スピリット!」

 

 三人が並んで構える。

 

「三つの道が悪を討つ!」

 

 ゲキが拳を前へ突き出す。

 

「超《スーパー》規格外の魔法少女!」

 

 ローズが薔薇の花弁を散らし、キヨナガが片手で印を結ぶ。

 

「激情!」

 

「「「マジカルドースリー!」」」

 

 決めポーズ。

 背後で、なぜか爆発が起きた。

 エミカとミププは、完全に同じ表情になった。

 

「……何度見ても、どうしてこうなったんだろう」

 

「ミププも、まだ慣れないミプ」

 

 敵側では、イタヴリ博士が頭を抱えていた。

 

「だからぁぁぁぁぁ!!」

 

 博士は震える指で、屋上の三人を指す。

 

「三人揃って魔法少女を名乗るな! 何度見ても、僕の美学が拒絶している!」

 

「敵が魔法少女を語るな!」

 

 ゲキ・マキシマムが屋上から飛び降りた。

 重い着地音。

 アスファルトへ亀裂が走る。

 

「行くぞ、ローズ! キヨナガ!」

 

「ええ!」

 

「承知!」

 

 三つの影が、デビガノイドへ向かって走る。

 デビガノイドの腕が振り下ろされた。

 

 ゲキ・マキシマムは避けない。

 

 両腕を上げ、真正面から受け止める。

 巨体が沈み、足元の道路が陥没した。

 

「ぬおおおおおっ!」

 

 力任せに敵の腕を押し返す。

 デビガノイドの体勢が崩れた。

 

「今だ!」

 

 ゲキの拳へ、ピンク色の光が集中する。

 

「怒れ拳!」

 

 大きく踏み込む。

 

『マジカル・マキシマム・ナックル!』

 

 拳がデビガノイドの腹部へ叩き込まれた。

 

 黒い装甲がひしゃげ、巨体が後方へ押し戻される。

 そこへ、ローズ・アンリミテッドが跳んだ。

 

「華麗に咲きなさい!」

 

 赤い薔薇の花弁が、螺旋を描く。

 ローズは空中で身体をひねり、長い脚を振り抜いた。

 

『マジカル・ローズ・キューティーキック!』

 

 蹴りが肩部装甲を撃ち抜いた。

 砕けた黒い破片が宙を舞う。

 さらに、キヨナガ・スピリットが合掌を解いた。

 

「精霊様、今こそ道を照らしたまえ」

 

 周囲を巡っていた四つの霊火が、その右手へ集まる。

 

 薄紫色の光が、掌の上で静かに燃えた。

 

『マジカル・スピリット浄掌!』

 

 掌底が、デビガノイドの胸部へ打ち込まれた。

 衝撃と同時に、薄紫色の炎が装甲の隙間へ流れ込む。

 金属の外殻が内側から焼き切られ、胸部装甲が左右へ弾け飛んだ。

 

 赤黒いデモンコアが露出する。

 

 エミカは息を呑んだ。

 

 あそこに、誰かの心が閉じ込められている。

 倒すだけでは駄目。

 壊すだけでは救えない。

 悪意だけを浄化し、その人を元の姿へ戻さなければならない。

 

 それが、魔法少女の戦い。

 

 エミカがずっと背負ってきたもの。

 

 そして今、あの三人が背負っているもの。

 

「とどめは必殺技よ!」

 

 ローズが叫ぶ。

 

「ああ!」

 

「承知!」

 

 三人がデモンコアを囲むように位置を取る。

 

 ゲキのピンク色の魔力。

 ローズの赤い魔力。

 キヨナガの薄紫色の霊火。

 

 三つの力が中央で重なり合う。

 

 濃すぎる三色の光が、巨大な球体となって膨れ上がった。

 

「必殺!」

 

 三人が同時に腕を突き出す。

 

『『『ギガンデス・マジカルナンデス・メガギガボンバー!!』』』

 

 巨大な光が放たれた。

 デビガノイドの全身を、三色の輝きが包み込む。

 

 爆発。

 

 だが、それは破壊のための爆発ではなかった。

 

 ピンク色のハートが舞う。

 赤い薔薇が咲き誇る。

 薄紫色の炎が、悪意だけを静かに燃やしていく。

 

 デモンコアから、黒い靄が剥がれ落ちた。

 

 赤黒かった球体が、透き通った光へ変わっていく。

 やがてコアは静かに砕け、デビガノイドの機械の身体も光の粒へ変わった。

 

 中から、一人の男性が倒れ込む。

 

 同時に、悪魔空間を覆っていた紫色の空が薄れていった。

 

「今ミプ!」

 

 悪魔空間の侵食が弱まったのを確認し、ミププがエミカを守っていた結界を解く。

 小さな身体で飛び出し、落下する男性を桃色の魔法で受け止めた。

 

「無事ミプ!」

 

 男性の胸が、ゆっくりと上下している。

 

 エミカは胸を撫で下ろした。

 悪魔空間が晴れていく。

 商店街に、元の青空が戻った。

 

 町は守られた。人も救われた。

 それは間違いなく、魔法少女の勝利だった。

 

 認めたくない。

 

 今でも、ちょっとだけ認めたくない。

 けれど、認めるしかない。

 

「ノリが、昭和特撮なんだよね……」

 

 エミカは、ぽつりと呟いた。

 一方、敵側は地面へ崩れ落ちていた。

 

「何でこいつらに、僕のデビガノイドがやられるんだよぉぉぉ!」

 

 イタヴリ博士が頭を抱える。

 タカワラーイ婦人は、扇子を握ったまま震えていた。

 

「わ、わたくしの給料三か月分……」

 

「また給料って言ったミプ」

 

 ミププが小さく突っ込んだ。

 その時。

 タカワラーイ婦人が顔を上げ、辺りを見回した。

 

「……ところで、ニャンタは?」

 

 イタヴリ博士も首を動かす。

 

「そういえば、戦闘中に一度も見てませんね」

 

 猫武士の姿は、どこにもなかった。

 

 次の瞬間。

 

 少し離れた電柱の上から、渋い声が響いた。

 

「姫様」

 

 二人が顔を上げる。

 ユーギ・ザムライ・ニャンタは、電柱の上でタブレット端末を確認していた。

 画面には、一件の通知が表示されている。

 

『マジルカニャンニャ公式チャンネル――新着映像を公開しました』

 

「敵勢力に、新たな動きあり」

 

 ユーギが端末を懐へしまう。

 

「拙者、緊急の情報収集へ参りまする!」

 

「待ちなさい!」

 

 ユーギは婦人の制止を聞かず、隣町の方角へ跳んだ。

 

「推し活――否! 偵察任務でござる!」

 

「今、推し活と言いましたわね!?」

 

 ユーギの小さな背中が、建物の向こうへ消えていく。

 タカワラーイ婦人のこめかみが震えた。

 

「敵陣営の魔法少女を推すんじゃありませんわよ! もう! 何をやっていますの!」

 

 婦人は怒鳴った後、ゲキたちへ向き直った。

 そして悔しそうに扇子を突きつける。

 

()()()()()()さえあれば……!」

 

 言葉を詰まらせる。

 

「きょ、今日のところは、ひとまず撤退ですわ! 覚えていらっしゃい!」

 

「婦人! 撤退用の悪魔エネルギー、最新型とデビドールに使ってしまいました!」

 

「どういうことですの!?」

 

「帰りのゲートを開いたら、今月のエネルギー予算が空になります!」

 

「なら徒歩ですわ!」

 

「拠点まで何キロあると思ってるんですか!?」

 

「悪魔エネルギーも交通費も節約ですわ!」

 

「侵略組織なのにぃぃぃ!」

 

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士は、情けない悲鳴とともに商店街から走り去っていった。

 こうして、雨玻町の平和は守られた。

 

 魔法少女ゲキ・マキシマム。

 魔法少女ローズ・アンリミテッド。

 魔法少女キヨナガ・スピリット。

 

 三人合わせて――激情! マジカルドースリー。

 

「こんなの魔法少女じゃないミプ」

 

 ミププが遠い目をする。

 エミカは、三人の背中を見つめた。

 

 ピンク色の巨大な父。

 赤い薔薇をまとった筋肉乙女。

 薄紫色の炎を従えた僧侶。

 

 自分の代わりに町を守ってくれる人たち。

 自分の意志を、勝手に、強引に、とんでもない形で継いでしまった人たち。

 

 どうして、こうなったのか。

 今でもエミカは思う。

 

 けれど、その答えは分かっている。

 

 すべての始まりは、あの夜だった。

 

 私が敗れた夜。

 

 そして――。

 

 父が、魔法少女になると決めた夜。

 

 物語は、そこから始まった。

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