魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
夕方の激安スーパーは、戦場である。
惣菜コーナーからは揚げ物の匂いが漂い、青果売り場では特売の札。
店内放送は「本日限りのお買い得商品です!」と叫び続けている。
仕事帰りのサラリーマン。 買い忘れを思い出す主婦。
お菓子をねだり泣く子供。 値引きシールを狙う老人。
人、人、人。
その流れを、淀みなく裁いていく女がいた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
——貴和来姫(たかわらいひめ)。
名札にはそう書かれている。 その下には、控えめに
黒髪をまとめ、スーパーの制服をきちんと着こなし、丁寧な笑みを浮かべた長身の新人店員。
その動きに、隙がなかった。
「はい、お会計六百三十二円になります」 「袋はご利用になりますか?」 「ありがとうございます。お足元、お気をつけて」
バーコードを通す手際が良い。かといって雑ではない。
客の顔を見て、必要な言葉を必要なだけ添える。
隣のレジに立っていたベテランパートのおばちゃんが、感心したように声を漏らした。
「姫さん、ほんと新人に見えないわねぇ」
「恐れ入ります」
貴和来姫は、控えめに微笑んだ。
「教えていただいた通りにしているだけです」
「いやいや、教えた以上のことやってるって。レジの打ち間違いもないし、カゴ詰めも上手だし、変なお客にも全然動じないし」
「ありがとうございます」
表情は柔らかい。声も穏やかだ。
だが、その胸の奥では別の声が響いていた。
――この程度で褒められるとは、ずいぶん平和な職場ですこと。
デビデヴィ・クライシスの下積み時代など、もっと過酷だった。
悪魔兵器の整備。雑兵の管理。資材搬入。上司の八つ当たり。理不尽な叱責。失敗すれば減給どころか消滅の危機。
それに比べれば、レジ打ちなど実に健全、平和である。客は多いが、命までは取られない。
「姫さん、ちょっと休憩入ってくるから、あとはお願いね」
ベテランパートのおばちゃんが、エプロンを整えながら言った。
「はい。お任せください」
「変なおっさん来ても、丁寧にやればだいたい大丈夫だから」
その一言に、貴和来姫はわずかに眉を動かした。
「……変なおっさん、ですか」
「たまに来るのよ。店員にだけ偉そうなやつ。特に新人って分かると調子乗るタイプ」
「……なるほど」
「ま、姫さんなら平気そうだけどね」
おばちゃんは笑ってバックヤードへ消えた。
――直後だった。
中年男。脂ぎった髪。だらしなく開いたシャツ。
鼻で笑う癖のある口元。 そして、人の名札を見る目。
男はレジへ来るなり、貴和来姫の胸元を見た。
「へえ、新人さん?」
「いらっしゃいませ」
「ちゃんとできるの?」
「ええ」
男は、カゴを乱暴に置いた。
「じゃあさ、急いでるから手早くやって。あと、これ半額じゃないの? 昨日はこの時間もう貼ってたけど」
まだ値引き前の惣菜を指で叩く。
「申し訳ございません。本日の値引き時刻はまだです」
「は? 昨日は貼ってたって言ってんだけど」
「昨日と本日で時間が異なる場合がございます」
「融通きかないねえ」
「規則ですので」
男は舌打ちした。
だが、貴和来姫の手は止まらない。
商品を読み取り、袋詰めの向きを整え、割れ物を分ける。
完璧だった。
「箸二膳」 「かしこまりました」 「やっぱ三膳」 「承知しました」 「いや二膳で」 「承知しました」
男の気まぐれにも、微塵も揺れない。
その態度が気に食わないのか、男は会計の途中で急に顔を上げた。
「あ、待って。酒取ってくる」
「会計の途中でございますので――」
「すぐ戻るからいいだろ!」
男はそう言い捨てて、勝手にレジを離れた。
貴和来姫は数秒だけその背中を見送り、そして後ろに並ぶ客列へ目を向ける。
……長い。
仕事帰りの客が次々にカゴを抱えて並んでいた。
「申し訳ございません。次のお客様、こちらへどうぞ」
男のカゴは脇へ寄せ、会計を保留する。
そして後続客を流す……当然の判断だった。
十分後。
酒と菓子を抱えた中年男が、戻ってきた。
「おい、続き」
「恐れ入ります。列の最後尾へお並びください」
貴和来姫は、にこやかに言った。
「……は?」
「後ろにお客様が並んでおりますので」
「俺、さっき会計してたよね?」
「途中でレジを離れられましたので、一度保留扱いにいたしました」
「はあ? 融通きかねえな!」
「規則ですので」
「だから急いでるって言ってんだろ!」
「——皆様、お急ぎですが」
その瞬間。
貴和来姫の笑みの奥で、何かが冷える。
ほんの一瞬だけ、彼女は冷酷な幹部としての気配を出す。
「——どうぞ、最後尾へ」
声音は変わらない。
だが、男は息を呑んだ。
「……」
レジ周辺の空気が、ぞわりと冷えた気がした。
中年男は何か言い返そうとして、結局、何も言えずに列の最後尾へ並ぶ。
周囲の客たちが、妙に静かだった。
……やがて男の番が来る。
貴和来姫は、酒と菓子を受け取った。
「では、先ほどの続きから失礼いたします」
「……新人のくせに偉そうなんだよ」
「申し訳ございません」
「謝ってるように聞こえねえんだよ」
「申し訳ございません」
「客を待たせる店員があるかよ」
「途中でレジを離れられたのはお客様です」
「てめえ――!」
その瞬間、男の顔が歪み、拳が振り上がる。
——だが。
貴和来姫の手は、その拳を正確に受け止めていた。
「なっ――」
男の手首が、ぴたりと止まる。
細い指、華奢に見える腕、それなのに、まるで鉄杭に掴まれたように動かない。
貴和来姫は笑顔のまま、声だけを鋭くした。
「店長を呼んでください」
周囲の空気が、一気に張り詰める。
「お客様が、暴力行為に及びました」
近くのレジ係が、慌てて叫ぶ。
「て、店長!」
「警察呼びますよ!」
「は、離せ!」
男は振りほどこうとした。
——だが離れない。
本来人間ではない彼女が、その気になって握っているのだ。
中年男程度の腕力で、どうにかなるものではなかった。
「離してほしければ、暴れないことです」
貴和来姫は、にこやかに言う。
「それとも——腕を折られたいのですか?」
「っ!?」
最後の一言だけ、声が低い。
男の顔から血の気が引く。そこへ店長が飛んできた。
「ど、どうしたの!?」
「このお客様が、会計中に暴力行為を」
「違っ、こいつが!」
「防犯カメラで確認なさってください」
貴和来姫は、実に落ち着いていた。
店長は青ざめた顔で事情を聞き、周囲の客の証言も取る。
結果、中年男は完全に孤立した。
「本日はお帰りください」
「は!?」
「今後、同様の行為があれば出禁対応、場合によっては被害届も検討します」
「くっ……!」
男は顔を真っ赤にし、周囲の視線に晒されながら商品も持たずに店を出ていった。
自動ドアが閉まる。
しばらくして、店内に溜まっていた息が一斉に吐き出された。
「姫さん……」
店長が、呆然と貴和来姫を見る。
「君、アルバイト初めてだよね?」
「ええ、研修中です」
「す、すごい新人来ちゃったな……」
「恐れ入ります」
貴和来姫は、完璧な角度で一礼した。
その笑みは、勤務開始時より少しだけ柔らかかった。
Θ
帰り道。
貴和来姫――いや、タカワラーイ婦人は、上機嫌だった。
安物の通勤バッグを肩にかけ、人気の少ない道を歩く足取りは軽い。
「……
ぽつりと呟く。
「この世界」
最初は、潜伏先として都合が良い程度にしか考えていなかった。
スーパーで働けば、人間の流れが見え、パートが噂話を集め、資金も手に入る。
それだけのつもりだった。
……だが。
「実に、
婦人の口元が、嬉しそうに吊り上がる。
新人を見れば見下し、女店員だと思えば威張る。
特別扱いを当然と考え、恥をかかされれば、すぐ暴力に訴える。
――なんとも醜い小悪党。
だが、デモンコアの材料に困らぬ土壌だった。
「接客業とは、まこと効率的な観察場ですこと」
婦人は愉快そうに笑った。
「一週間も持たないかと思いましたけれど……案外、悪くありませんわね」
Θ
廃工場の外れには、みすぼらしいテントが二つ並んでいた。
先行部隊の野営地である。
支援縮小、軍資金不足、補給の削減。
結果が、これだった。
工場内は悪魔兵器開発に使用する為、外にテントを張り、最低限の荷物でしのぐ。
悪の組織の先行部隊にしては、あまりにも侘しい。
ドラム缶の下では火が焚かれ、湯気が立っている。
そのそばでは、ユーギ・ザムライ・ニャンタが無言で火加減を見ていた。
少し離れた場所では、イタヴリ博士が折り畳み椅子に座り、タブレットをいじっている。
「……博士」
婦人の声が冷える。
「何をのんびりしていらっしゃるの?」
博士は顔も上げずに答えた。
「研究です」
「働きなさい」
「働いています」
「その指先だけで?」
「現代の頭脳労働を舐めないでください婦人」
「その頭脳労働で資金が稼げたら、文句は言いませんわ」
婦人は吐き捨てるように言い、自分のテントへ入った。
しばらくして、出てくる。
スーパーの制服は消えていた。
黒いレザーのハイレグ衣装と仮面。銀の縦ロール。
そして扇子。悪の幹部タカワラーイ婦人、その姿である。
「やはり、こちらの方が落ち着きますわね」
「それ、落ち着くんですねえ……」
博士が、ようやく顔を上げた。
婦人は彼の背後に回り、タブレット画面を覗き込む。
「何を見ていますの?」
「バッドデーモンの観測データです」
「……あの、ポジティブを食うだけの悪魔
婦人は露骨に興味なさそうに言った。
デビデヴィ・クライシスからすれば、バッドデーモンは格下も格下だ。
人の心を沈めるだけの、小賢しい下級怪異。
正規の悪魔兵器と並べるのも馬鹿らしい。
「そう、その
博士はタブレットを操作した。
画面には、音駒町での戦闘記録が映っている。
マジルカニャンニャとその精霊たち。そしてコアを浄化するシーン。
「単体性能は低い。悪魔空間の規模も小さく、質も悪い。破壊力も大したことない」
「でしょうね」
「ですが、倒し方が特殊です」
博士の指が止まった。
「バッドデーモンの核は、人間界側の肉体を壊しただけでは消えない。異次元側に沈んだコアを、精霊の力で浄化する必要がある」
婦人は、わずかに扇子を止めた。
「……つまり?」
「通常の物理攻撃では、決定打になりにくい」
博士は笑った。
「ゲキ・マキシマムとローズ・アンリミテッド。彼らの戦闘時の主軸はフィジカル寄り。一般的な魔法少女のような精霊との一体化反応は、現状ほとんど観測されていません」
「ええ」
「なら、そこを突けるかもしれない」
婦人の口元がゆっくりと吊り上がる。
「面白いことを言いますわね、博士」
「バッドデーモン自体は格下でも、相手の相性をずらす駒としてなら使い道がある」
「……そこまで言うのなら」
婦人は扇子を広げた。
「用意して差し上げますわ」
「え、何をです?」
「バッドデーモンと、新しいデモンコアを」
博士が目を瞬く。
「もう候補が?」
「当然でしょう」
婦人の笑みが深くなる。
「ちょうど本日、一週間ぶりの補給でデビルキーが一本だけ届きましたの」
支援は少ない。
だが、ゼロではない。
その貴重な一本を、婦人は無駄にする気はなかった。
その時、ユーギが静かに口を開いた。
「姫様。風呂の湯、整いました」
「ご苦労様」
「博士殿」
ユーギの渋い声が低く響く。
「覗いてはならぬでござる」
「興味ないですよ!」
博士が即答する。
「僕は研究一筋です!」
「その一筋があらぬ方向に曲がっておるゆえ、忠告しておくでござる」
「どう言う意味だい!?」
婦人は、ふんと鼻を鳴らしながら衣装を脱ぎ、それをユーギに預ける。
そして、ドラム缶風呂へ足を入れた。
熱い湯気が立ち、夜風に冷えた肌へ、じんわりと熱が広がっていく。
「……悪くありませんわね」
「温度は平気でござるか」
「ええ。ちょうどいいですわ」
ユーギは火を見ながら、少しだけ間を置いた。
「アルバイトは、いかがでござった」
婦人は、肩まで湯に沈んだまま答える。
「まあまあ、ですわね」
素っ気ない返答だった。
だが、すぐに口元が緩む。
「接客業というものは、思った以上に有意義ですわ」
「ほう」
「客が勝手に己の醜さをさらけ出してくださる」
ユーギは黙って火を見ていた。
婦人は続ける。
「見下し。苛立ち。優越感。逆恨み。どれも薄いようでいて、実に使いやすい」
「次のデモンコア候補は、もう決まっておると」
「ええ」
湯の中で、婦人の指が静かに波を揺らした。
「あの男ですわ……新人なら言いなりになると思い込む。列に並ばされただけで屈辱を覚え、己の矮小さを暴力で飾ろうとする」
婦人は、うっとりするように目を細めた。
「実に、質の良い、醜い小悪党でしたわ」
ドラム缶の火が、ぱちりと鳴る。
「次は、あの男を核にいたしましょう」
婦人の声は穏やかだった。
穏やかであるほど、その中身が冷たい。
「店で恥をかかされ、逆恨みを募らせ、己の小ささを外へ向ける。ああいう男は、少し火をくべるだけで、見事に燃えますのよ」
ユーギは静かに頷いた。
「御意」
婦人は、夜空を見上げる。
美しい星空が輝く反面、地上は人間の悪意がそこら中に転がっている。
ならば、拾えばいい。磨けばいい。 兵器にすればいい。
タカワラーイ婦人は、静かに笑った。
「シータアース……想像以上に素材の
その笑い声は、夜風に紛れて細く長く響いた。
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