魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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5-5 悪意の宝庫

 夕方の激安スーパーは、戦場である。

 

 惣菜コーナーからは揚げ物の匂いが漂い、青果売り場では特売の札。

 店内放送は「本日限りのお買い得商品です!」と叫び続けている。

 

 仕事帰りのサラリーマン。 買い忘れを思い出す主婦。

 お菓子をねだり泣く子供。 値引きシールを狙う老人。

 

 人、人、人。

 

 その流れを、淀みなく裁いていく女がいた。

 

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 

 ——貴和来姫(たかわらいひめ)。

 

 名札にはそう書かれている。  その下には、控えめに()()()の文字。

 黒髪をまとめ、スーパーの制服をきちんと着こなし、丁寧な笑みを浮かべた長身の新人店員。

 その動きに、隙がなかった。

 

「はい、お会計六百三十二円になります」 「袋はご利用になりますか?」 「ありがとうございます。お足元、お気をつけて」

 

 バーコードを通す手際が良い。かといって雑ではない。

 客の顔を見て、必要な言葉を必要なだけ添える。

 

 隣のレジに立っていたベテランパートのおばちゃんが、感心したように声を漏らした。

 

「姫さん、ほんと新人に見えないわねぇ」

 

「恐れ入ります」

 

 貴和来姫は、控えめに微笑んだ。

 

「教えていただいた通りにしているだけです」

 

「いやいや、教えた以上のことやってるって。レジの打ち間違いもないし、カゴ詰めも上手だし、変なお客にも全然動じないし」

 

「ありがとうございます」

 

 表情は柔らかい。声も穏やかだ。

 だが、その胸の奥では別の声が響いていた。

 

 ――この程度で褒められるとは、ずいぶん平和な職場ですこと。

 

 デビデヴィ・クライシスの下積み時代など、もっと過酷だった。

 悪魔兵器の整備。雑兵の管理。資材搬入。上司の八つ当たり。理不尽な叱責。失敗すれば減給どころか消滅の危機。

 それに比べれば、レジ打ちなど実に健全、平和である。客は多いが、命までは取られない。  

 

「姫さん、ちょっと休憩入ってくるから、あとはお願いね」

 

 ベテランパートのおばちゃんが、エプロンを整えながら言った。

 

「はい。お任せください」

 

「変なおっさん来ても、丁寧にやればだいたい大丈夫だから」

 

 その一言に、貴和来姫はわずかに眉を動かした。

 

「……変なおっさん、ですか」

 

「たまに来るのよ。店員にだけ偉そうなやつ。特に新人って分かると調子乗るタイプ」

 

「……なるほど」

 

「ま、姫さんなら平気そうだけどね」

 

 おばちゃんは笑ってバックヤードへ消えた。

 

 ――直後だった。

 

 中年男。脂ぎった髪。だらしなく開いたシャツ。

  鼻で笑う癖のある口元。 そして、人の名札を見る目。

 

 男はレジへ来るなり、貴和来姫の胸元を見た。

 ()()()の文字を見て、口元が歪む。

 

「へえ、新人さん?」

 

「いらっしゃいませ」

 

「ちゃんとできるの?」

 

「ええ」

 

 男は、カゴを乱暴に置いた。

 

「じゃあさ、急いでるから手早くやって。あと、これ半額じゃないの? 昨日はこの時間もう貼ってたけど」

 

 まだ値引き前の惣菜を指で叩く。

 

「申し訳ございません。本日の値引き時刻はまだです」

 

「は? 昨日は貼ってたって言ってんだけど」

 

「昨日と本日で時間が異なる場合がございます」

 

「融通きかないねえ」

 

「規則ですので」

 

 男は舌打ちした。

 だが、貴和来姫の手は止まらない。

 商品を読み取り、袋詰めの向きを整え、割れ物を分ける。

 

 完璧だった。

 

「箸二膳」 「かしこまりました」 「やっぱ三膳」 「承知しました」 「いや二膳で」 「承知しました」

 

 男の気まぐれにも、微塵も揺れない。

 その態度が気に食わないのか、男は会計の途中で急に顔を上げた。

 

「あ、待って。酒取ってくる」

 

「会計の途中でございますので――」

 

「すぐ戻るからいいだろ!」

 

 男はそう言い捨てて、勝手にレジを離れた。

 貴和来姫は数秒だけその背中を見送り、そして後ろに並ぶ客列へ目を向ける。

 

 ……長い。

 

 仕事帰りの客が次々にカゴを抱えて並んでいた。

 

「申し訳ございません。次のお客様、こちらへどうぞ」

 

 男のカゴは脇へ寄せ、会計を保留する。

 そして後続客を流す……当然の判断だった。

 

 十分後。

 

 酒と菓子を抱えた中年男が、戻ってきた。

 

「おい、続き」

 

「恐れ入ります。列の最後尾へお並びください」

 

 貴和来姫は、にこやかに言った。

 

「……は?」

 

「後ろにお客様が並んでおりますので」

 

「俺、さっき会計してたよね?」

 

「途中でレジを離れられましたので、一度保留扱いにいたしました」

 

「はあ? 融通きかねえな!」

 

「規則ですので」

 

「だから急いでるって言ってんだろ!」

 

「——皆様、お急ぎですが」

 

 その瞬間。

 貴和来姫の笑みの奥で、何かが冷える。

 ほんの一瞬だけ、彼女は冷酷な幹部としての気配を出す。

 

「——どうぞ、最後尾へ」

 

 声音は変わらない。

 だが、男は息を呑んだ。

 

「……」

 

 レジ周辺の空気が、ぞわりと冷えた気がした。

 中年男は何か言い返そうとして、結局、何も言えずに列の最後尾へ並ぶ。

 

 周囲の客たちが、妙に静かだった。

 

 ……やがて男の番が来る。

 

 貴和来姫は、酒と菓子を受け取った。

 

「では、先ほどの続きから失礼いたします」

 

「……新人のくせに偉そうなんだよ」

 

「申し訳ございません」

 

「謝ってるように聞こえねえんだよ」

 

 「申し訳ございません」

 

 「客を待たせる店員があるかよ」

 

 「途中でレジを離れられたのはお客様です」

 

 「てめえ――!」

 

 その瞬間、男の顔が歪み、拳が振り上がる。

 

 ——だが。

 

 貴和来姫の手は、その拳を正確に受け止めていた。

 

「なっ――」

 

 男の手首が、ぴたりと止まる。

 細い指、華奢に見える腕、それなのに、まるで鉄杭に掴まれたように動かない。

 貴和来姫は笑顔のまま、声だけを鋭くした。

 

「店長を呼んでください」

 

 周囲の空気が、一気に張り詰める。

 

「お客様が、暴力行為に及びました」

 

 近くのレジ係が、慌てて叫ぶ。

 

「て、店長!」

 

「警察呼びますよ!」

 

「は、離せ!」

 

 男は振りほどこうとした。

 

 ——だが離れない。

 

 本来人間ではない彼女が、その気になって握っているのだ。

 中年男程度の腕力で、どうにかなるものではなかった。

 

「離してほしければ、暴れないことです」

 

 貴和来姫は、にこやかに言う。

 

「それとも——腕を折られたいのですか?」

 

「っ!?」

 

 最後の一言だけ、声が低い。

 男の顔から血の気が引く。そこへ店長が飛んできた。

 

「ど、どうしたの!?」

 

「このお客様が、会計中に暴力行為を」

 

「違っ、こいつが!」

 

「防犯カメラで確認なさってください」

 

 貴和来姫は、実に落ち着いていた。

 

 店長は青ざめた顔で事情を聞き、周囲の客の証言も取る。

 結果、中年男は完全に孤立した。

 

「本日はお帰りください」

 

「は!?」

 

「今後、同様の行為があれば出禁対応、場合によっては被害届も検討します」

 

「くっ……!」

 

 男は顔を真っ赤にし、周囲の視線に晒されながら商品も持たずに店を出ていった。

 

 自動ドアが閉まる。

 

 しばらくして、店内に溜まっていた息が一斉に吐き出された。

 

「姫さん……」

 

 店長が、呆然と貴和来姫を見る。

 

「君、アルバイト初めてだよね?」

 

「ええ、研修中です」

 

「す、すごい新人来ちゃったな……」

 

「恐れ入ります」

 

 貴和来姫は、完璧な角度で一礼した。

 その笑みは、勤務開始時より少しだけ柔らかかった。

 

     Θ

 

 帰り道。

 

 貴和来姫――いや、タカワラーイ婦人は、上機嫌だった。

 安物の通勤バッグを肩にかけ、人気の少ない道を歩く足取りは軽い。

 

「……()()()()()ですわね」

 

 ぽつりと呟く。

 

「この世界」

 

 最初は、潜伏先として都合が良い程度にしか考えていなかった。

 スーパーで働けば、人間の流れが見え、パートが噂話を集め、資金も手に入る。

 それだけのつもりだった。

 

 ……だが。

 

「実に、()()に満ちておりますわ……!」

 

 婦人の口元が、嬉しそうに吊り上がる。

 

 新人を見れば見下し、女店員だと思えば威張る。

 特別扱いを当然と考え、恥をかかされれば、すぐ暴力に訴える。

 

 ――なんとも醜い小悪党。

 

 だが、デモンコアの材料に困らぬ土壌だった。

 

「接客業とは、まこと効率的な観察場ですこと」

 

 婦人は愉快そうに笑った。

 

「一週間も持たないかと思いましたけれど……案外、悪くありませんわね」

 

     Θ

 

 廃工場の外れには、みすぼらしいテントが二つ並んでいた。

 先行部隊の野営地である。

 支援縮小、軍資金不足、補給の削減。

 

 結果が、これだった。

 

 工場内は悪魔兵器開発に使用する為、外にテントを張り、最低限の荷物でしのぐ。

 悪の組織の先行部隊にしては、あまりにも侘しい。

 ドラム缶の下では火が焚かれ、湯気が立っている。

 そのそばでは、ユーギ・ザムライ・ニャンタが無言で火加減を見ていた。

 少し離れた場所では、イタヴリ博士が折り畳み椅子に座り、タブレットをいじっている。

 

「……博士」

 

 婦人の声が冷える。

 

「何をのんびりしていらっしゃるの?」

 

 博士は顔も上げずに答えた。

 

「研究です」

 

「働きなさい」

 

「働いています」

 

「その指先だけで?」

 

「現代の頭脳労働を舐めないでください婦人」

 

「その頭脳労働で資金が稼げたら、文句は言いませんわ」

 

 婦人は吐き捨てるように言い、自分のテントへ入った。

 しばらくして、出てくる。

 

 スーパーの制服は消えていた。

 黒いレザーのハイレグ衣装と仮面。銀の縦ロール。

 そして扇子。悪の幹部タカワラーイ婦人、その姿である。

 

「やはり、こちらの方が落ち着きますわね」

 

「それ、落ち着くんですねえ……」

 

 博士が、ようやく顔を上げた。

 婦人は彼の背後に回り、タブレット画面を覗き込む。

 

「何を見ていますの?」

 

「バッドデーモンの観測データです」

 

「……あの、ポジティブを食うだけの悪魔()()()?」

 

 婦人は露骨に興味なさそうに言った。

 

 デビデヴィ・クライシスからすれば、バッドデーモンは格下も格下だ。

 人の心を沈めるだけの、小賢しい下級怪異。

 正規の悪魔兵器と並べるのも馬鹿らしい。

 

「そう、その()()()()()です」

 

 博士はタブレットを操作した。

 

 画面には、音駒町での戦闘記録が映っている。

 マジルカニャンニャとその精霊たち。そしてコアを浄化するシーン。

 

「単体性能は低い。悪魔空間の規模も小さく、質も悪い。破壊力も大したことない」

 

「でしょうね」

 

「ですが、倒し方が特殊です」

 

 博士の指が止まった。

 

「バッドデーモンの核は、人間界側の肉体を壊しただけでは消えない。異次元側に沈んだコアを、精霊の力で浄化する必要がある」

 

 婦人は、わずかに扇子を止めた。

 

「……つまり?」

 

「通常の物理攻撃では、決定打になりにくい」

 

 博士は笑った。

 

「ゲキ・マキシマムとローズ・アンリミテッド。彼らの戦闘時の主軸はフィジカル寄り。一般的な魔法少女のような精霊との一体化反応は、現状ほとんど観測されていません」

 

「ええ」

 

「なら、そこを突けるかもしれない」

 

 婦人の口元がゆっくりと吊り上がる。

 

「面白いことを言いますわね、博士」

 

「バッドデーモン自体は格下でも、相手の相性をずらす駒としてなら使い道がある」

 

「……そこまで言うのなら」

 

 婦人は扇子を広げた。

 

「用意して差し上げますわ」

 

「え、何をです?」

 

「バッドデーモンと、新しいデモンコアを」

 

 博士が目を瞬く。

 

「もう候補が?」

 

「当然でしょう」

 

 婦人の笑みが深くなる。

 

「ちょうど本日、一週間ぶりの補給でデビルキーが一本だけ届きましたの」

 

 支援は少ない。

 だが、ゼロではない。

 

 その貴重な一本を、婦人は無駄にする気はなかった。

 その時、ユーギが静かに口を開いた。

 

「姫様。風呂の湯、整いました」

 

「ご苦労様」

 

「博士殿」

 

 ユーギの渋い声が低く響く。

 

「覗いてはならぬでござる」

 

「興味ないですよ!」

 

 博士が即答する。

 

「僕は研究一筋です!」

 

「その一筋があらぬ方向に曲がっておるゆえ、忠告しておくでござる」

 

「どう言う意味だい!?」

 

 婦人は、ふんと鼻を鳴らしながら衣装を脱ぎ、それをユーギに預ける。

 そして、ドラム缶風呂へ足を入れた。

 熱い湯気が立ち、夜風に冷えた肌へ、じんわりと熱が広がっていく。

 

「……悪くありませんわね」

 

「温度は平気でござるか」

 

「ええ。ちょうどいいですわ」

 

 ユーギは火を見ながら、少しだけ間を置いた。

 

「アルバイトは、いかがでござった」

 

 婦人は、肩まで湯に沈んだまま答える。

 

「まあまあ、ですわね」

 

 素っ気ない返答だった。

 だが、すぐに口元が緩む。

 

「接客業というものは、思った以上に有意義ですわ」

 

「ほう」

 

「客が勝手に己の醜さをさらけ出してくださる」

 

 ユーギは黙って火を見ていた。

 婦人は続ける。

 

「見下し。苛立ち。優越感。逆恨み。どれも薄いようでいて、実に使いやすい」

 

「次のデモンコア候補は、もう決まっておると」

 

「ええ」

 

 湯の中で、婦人の指が静かに波を揺らした。

 

「あの男ですわ……新人なら言いなりになると思い込む。列に並ばされただけで屈辱を覚え、己の矮小さを暴力で飾ろうとする」

 

 婦人は、うっとりするように目を細めた。

 

「実に、質の良い、醜い小悪党でしたわ」

 

 ドラム缶の火が、ぱちりと鳴る。

 

「次は、あの男を核にいたしましょう」

 

 婦人の声は穏やかだった。

 穏やかであるほど、その中身が冷たい。

 

「店で恥をかかされ、逆恨みを募らせ、己の小ささを外へ向ける。ああいう男は、少し火をくべるだけで、見事に燃えますのよ」

 

 ユーギは静かに頷いた。

 

「御意」

 

 婦人は、夜空を見上げる。

 

 美しい星空が輝く反面、地上は人間の悪意がそこら中に転がっている。

 ならば、拾えばいい。磨けばいい。 兵器にすればいい。

 

 タカワラーイ婦人は、静かに笑った。

 

「シータアース……想像以上に素材の()()ですわ」

 

 その笑い声は、夜風に紛れて細く長く響いた。




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