魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
「それは、二十五年前のことです」
夕暮れのベンチで、キヨナガは静かに語る。
スーパーの駐車場には、帰宅する車の音が絶えず響き、少し離れた場所では、買い物袋を提げた人々が行き交い、笑い声も混じっていた。
そんな日常の風景の中で、キヨナガの声だけが、少し遠い場所から聞こえてくるようだった。
「当時の私は十六でした。親は厳格でして。娯楽は心を腐らせると、本も、遊びも、音楽も、ほとんど禁じられておりました」
ゲキは黙って缶コーヒーを傾ける。
「朝から晩まで勉強。進路も、交友も、人生の道筋も、すべて親が決める。私はそれに従っておりました。従う以外のやり方を、知らなかったのです」
キヨナガは小さく笑った。
「ですが、ある日ふと思ったのです。……自分は何のために生きているのだろう、と」
その笑いは、明るくない。
「親の期待に応えるためか。言われた通りの人生をなぞるためか。もしそうなら、そこに自分自身はいるのだろか。考え始めると止まらなくなりまして。やがて、心も体もひどく疲れてしまった」
夕風が、法衣の裾を揺らした。
「そんな折、私は迷い込んだのです。精霊界へ」
ゲキが、わずかに眉を動かす。
「迷い込むものなのか。精霊界は?」
「迷い込む時は、案外あっさりです。人は、限界を越えると、時に思いもよらぬ境界を踏み越えるものなのかもしれません」
キヨナガの目が少しだけ柔らかくなった。
「そこで私は、一人の精霊様に出会いました」
少し間が空く。
「名を、”大精霊フィフィナ”と申します」
その名を口にした瞬間、キヨナガの声が変わった。
敬意と、懐かしさと、どうしようもない愛しさが滲んでいる。
「知的で、気高く、慈愛に満ち、あらゆる精霊様の母のようなお方でした。白く柔らかなで長い耳はぴこぴこと愛らしく、尾はふわふわと優雅で、しかも表情の一つ一つが――」
「……早く話を進めてくれ」
ゲキが真顔で言う。
キヨナガは咳払いした。
「……失礼。大変重要な情報でしたので」
「それは後で聞くさ」
「後で聞いてくださるのですか」
「まぁ、気が向いたらな」
キヨナガは少しだけ嬉しそうにし、それから続きを語った。
「フィフィナ様は、精霊様をただ愛らしい存在として慈しむだけではなかった。弱き者を支え、傷ついた子を癒し、迷った者には居場所を与えておられた」
ゲキは静かに聞く。
「しばらく共に過ごしていくうちに、あの方に問われたのです。『あなたは、何になりたいの?』と」
「……」
「その時の私は、答えられませんでした。何にもなれぬと思っておりましたから。ですがフィフィナ様は、笑ってこうおっしゃった。『答えがないなら、これから見つければいい。誰かを支える生き方だってある』と」
キヨナガは、自分の両手を見た。
「私は、初めて思いました。誰かの期待に応えるためではなく、自分の意志で、誰かを支えたいと」
その声は、穏やかだった。
「それからしばらく、私は精霊界でフィフィナ様のお側に仕えました。精霊様たちの世話を手伝い、弱い子を守り、傷ついた子に薬を運び、暴れん坊を諭し……忙しくも、充実した日々でした」
キヨナガは、少しだけ照れたように笑う。
「やがて私は、フィフィナ様と夫婦の契りを交わしました」
ゲキの視線がわずかに動いた。
「精霊と人間でも、結婚はできるのか」
「できます。もっとも、容易ではありませんが」
キヨナガは空を見上げた。
「子は授かりませんでした。人と精霊では、そこはどうにもならなかった。ですが……それで不足を感じたことは、一度もありません」
「どうしてだ」
「精霊界には、あの方が守る精霊様たちがいたからです」
キヨナガは、まっすぐに前を見る。
「私にとって、あの子たちは皆、我が子のようなものでした」
ゲキは何も言わなかった。
だが、その言葉の重さは十分に伝わった。
「そんな折、精霊界に一つの予言が下りました。……『遠からず、悪の魔が精霊界を汚しにくる』と」
「……悪の魔」
空気が、少しだけ冷える。
「フィフィナ様は、すぐに動かれました。精霊界を守るため、人が魔力を扱えるようにする補助具の研究を始められたのです」
キヨナガの視線が、遠い過去をなぞるように細くなる。
「それが、後のメイクアップ・リグへと繋がる器。人に魔力を通し、精霊界を守る戦力とするためのもの」
「……お前が持っている白いリグか」
「ええ」
キヨナガは頷いた。
「ですが、開発は難航しました。理論はあっても、出力が安定しない。人の体に魔力を通すだけでも危うい。精霊界を守る戦力として形にするには、あまりにも時間が足りなかった」
そこで、キヨナガは一度目を閉じた。
「……間に合わなかったのです」
短い言葉だった。
「悪の魔……
夕暮れの空の下、ベンチの周囲だけが少し静まり返ったようだった。
「フィフィナ様が襲われた時、私は未完成のメイクアップ・リグを掴みました。何とかすれば間に合うと思った。あの方を守れると思った。……ですが、現実は甘くなかった」
ゲキは、静かに息を吐く。
「負けたのか」
「完膚なきまでに」
キヨナガは苦笑する。
だが、その目は笑っていない。
「未完成の力で、完成された悪意に勝てるほど、戦場は優しくなかった。私は倒れ、フィフィナ様は……最後の力で、私を人間界へ送り返しました」
沈黙。
駐車場を歩く家族連れの声が、遠く聞こえる。
「最後に、あの方はおっしゃいました」
キヨナガの声は、驚くほど静かだった。
「『私達を思っていて』と」
ゲキは、缶を握る手に少しだけ力を込めた。
「それが、今もあんたを動かしているのか」
「ええ」
キヨナガは頷いた。
「私は、人間界へ戻ってからしばらく、最初の魔法少女が現れたと知りました。精霊王が、メイクアップ・リグを完成させたのだと」
「……」
「ですが、その完成形は、私たちが目指していたものとは違っていました」
声が少し低くなる。
「人が精霊界を守るための補助具ではなく、精霊様と契約した少女が、精霊の力を通して戦う方式だった」
ゲキは黙って聞いている。
「多くの世界や人々を救ってきたことは十分承知しております。結果として、正しかったのでしょう」
キヨナガはそこで、一拍置いた。
「ですが、私は納得できなかった」
まっすぐな言葉だった。
「精霊様を守るための力が、精霊様を戦わせる力になってしまったように思えたのです」
夕暮れの空を見上げ、キヨナガは続ける。
「フィフィナ様が守ろうとした子らが、今度は前線で傷ついている。そう思うと、どうしても、黙っていられなかった」
「……それで、精霊道か」
「ええ」
キヨナガは胸元のストラップを一つ撫でた。
「精霊様を敬い、知り、支え、見つめ、守る。それが、私なりの答えでした」
「魔法少女に長々と説教するのも、そのためか」
「未成年の少女は、良くも悪くもまっすぐで未熟です」
キヨナガは真面目に言う。
「知らないうちに、精霊様に無理をさせる。それでも、精霊様は相棒を支えようとする。だからこそ、せめて人間側にもっと知ってほしいのです。気づいてほしいのです。精霊様の全てを」
ゲキは、そこでようやく小さく笑った。
「なるほどな。少しだけ分かった気がする。俺とお前は——
ゲキは缶コーヒーを置いた。
「俺も、妻を亡くした」
キヨナガが顔を上げる。
「……」
「残された娘を守りたい——それが、どれだけ重いかも、どれだけ自分を動かすかも知っている」
言葉は短い。
だが、十分だった。
「だからか」
ゲキは静かに言う。
「あんたが精霊のことを話してる時、妙に引っかかりを感じていた」
「引っかかり、ですか」
「いわば、シンパシーを感じたんだ。守りたいものを失って、残った大事なものを、今度こそ守ろうとしてる……そうだろ?」
キヨナガはしばらく黙っていた。
そして、小さく、しかし確かに頷いた。
「……ええ、その通りです」
その時、ゲキのスマホが震えた。
LOINEの通知音で、赤司良介からの連絡である。
『模擬戦の日程と場所が決まりました。明後日、午後三時。C.H.A.R.M.野外訓練区画B-7にて実施します』
簡潔で、実に赤司らしい文面だった。
ゲキは画面をキヨナガに見せる。
「来たぞ」
キヨナガは目を通し、姿勢を正した。
「……いよいよですな」
「ああ」
ゲキはスマホをしまい、キヨナガを正面から見た。
「手合わせ、全力で受ける」
その目に、もう軽さはなかった。
相手がただの変人僧侶ではなく、喪失を知り、それでも何かを守ろうとしている男だと知った今、その言葉は重みを持っていた。
キヨナガも、深く頭を下げる。
「当日は、正々堂々お願いいたします」
「こちらこそ」
二人の間に、奇妙だが確かな信頼が生まれていた。
Θ
しばらくして、キヨナガは立ち上がった。
法衣の裾を整え、胸元のストラップを鳴らしながら一礼する。
「では、私はこれにて」
「ああ」
「本日は、本当に感謝いたします」
「気にするな」
「貴方という人物が少しだけ分かった気がします……話せてよかった」
「ああ」
キヨナガは去っていく。
坊主頭の背が、夕暮れの駐車場の向こうへ小さくなっていく。
ゲキはその背中をしばらく見送った。それから、ふと視線を横へ向ける。
そこには、さっきまでキヨナガが死闘を繰り広げていたガチャ筐体があった。
「……」
少し考える。
そして、買い物袋をベンチへ置き、ポケットから百円玉四枚を取り出した。
「一回くらいなら、いいか」
誰に言うでもなく呟く。
一回、四百円。
少し高い気がするが興味がある。
お金を入れ、レバーを回す。
ごとん。
落ちてきたピンクのカプセルを拾い、何気なく開けた。
「……む」
中から出てきたのは、小さなフィギュアつきストラップ。
丸い耳。
短い手足。
ふわふわした尻尾。
妙に見覚えのある、もふっとしたピンクの精霊。
台紙を見る。
ゲキは、それをしばらく見つめた。
それから、小さく笑う。
「お前がシークレットだったのか」
夕暮れの風が、駐車場を吹き抜けた。
ゲキはミププのストラップを、自分のスマホに取り付ける。
さっさと帰ろう。家ではきっと、エミカとミププが待っている。
酒飲みたいけど酒飲んだら執筆できないんだよね