魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
雨玻町の外周部には、すでに防衛線が敷かれていた。
道路は封鎖され、赤い誘導灯が闇の中で点滅している。警察車両と装甲車両が道を塞ぎ、簡易バリケードの向こうでは、警察官と、異次元からの来る『敵性存在』に対抗する防衛組織『
その先にあるのは、紫色の膜。
町を覆うように広がる、巨大なドーム。
――悪魔空間だ。
近づくだけで、皮膚の奥に冷たいものが入り込んでくるような感覚襲われ、空気は重く、耳鳴りのような不快な振動が響く。
境界防衛隊の隊員たちは、防護マスクと特殊装備を身につけ、銃口を紫の膜へ向けている。
「後退しろ! 民間人は近づくな!」
「悪魔空間内部への長時間侵入は危険だ! 繰り返す、民間人は退避しろ!」
怒号が飛ぶ。
だが、その声にも焦りが混じっていた。
悪魔空間に長く入れば、精神が蝕まれる。恐怖や怒り、不安が増幅され、最悪の場合は『
さらに、悪魔空間を広げ、空間内で暴れ回っている巨大な機械怪人――
警察も境界防衛隊も、ただ何もしていないわけではなかった。
逃げ遅れた住民の誘導。悪魔空間の拡大阻止。外へ漏れ出そうとする敵の迎撃。
できることはすべてやっている。
だが、決定打がない。
この町の魔法少女が倒れた今、誰があの怪物を止めるのか。
誰も、その答えを持っていなかった。
「来るぞ!」
紫の膜が波打った。
中から、黒い鉄で作られた人形が飛び出してくる。
デビドール。
悪魔の力で動く、量産型の雑兵たちだった。
「撃て!」
銃声が夜を裂いた。
防衛隊の銃弾がデビドールへ叩き込まれる。火花が散り、黒い体がよろめいた。
しかし倒れない。
何体かは弾丸を受けながらも前進し、バリケードへ飛びかかった。
「くそっ、止まらない!」
「距離を取れ! 近接戦になるぞ!」
隊員たちが警棒型の対異界装備を構え直す。
警察官たちも避難誘導を続けながら、必死に後退線を保っていた。
――その時だった。
防衛線の後方から、地面を叩くような足音が近づいてきた。
重い。速い。まるで巨大な獣が全力で走ってくるような音だった。
「なんだ!?」
振り返った隊員の横を、一人の男が駆け抜けた。
身長百九十三センチ。分厚い胸板。丸太のような腕。
手には、手のひらサイズの奇妙な変身アイテムを握っている。
――五月女ゲキだった。
「止まれ! そこの民間人!」
「悪魔空間に近づくな!」
防衛隊員が叫ぶ。
ゲキは止まらなかった。
返事もしなかった。
ただ、紫色の膜だけを見据えて走っていた。
「おい、待て!」
一体のデビドールが、ゲキの前に飛び出した。
黒い腕が振り上げられる。
しかし、ゲキは速度を落とさなかった。
「邪魔だ!」
鈍い音。
デビドールの体が宙を舞い、バリケードの向こうへ転がっていく。
周囲の隊員たちが、一瞬だけ固まった。
ゲキはさらに一体、二体と、悪魔の人形を素手で殴り倒していく。
変身していない。武器も持っていない。
それなのに、デビドールが道を開けるように吹き飛んでいく。
そしてゲキは、そのまま紫の膜の中へ飛び込んだ。
「うっそ」
誰かが、呆然と呟いた。
その声は、銃声と警報の中で小さく消えた。
Θ
悪魔空間の中は、外から見るよりもさらに不快だった。
空は紫に濁り、建物の輪郭は黒く滲んでいる。見慣れた雨玻町のはずなのに、まるで別の世界に迷い込んだようだった。
道路には瓦礫が散らばり、壊れた看板が倒れている。
遠くで悲鳴が聞こえる。
何かが崩れる音も聞こえた。
ゲキは走った。息は荒い。
だが足は止まらない。
目的地は分かっていない。
それでも、敵がいる場所は分かる気がした。
……悪魔空間の中心。
この紫の闇が、もっとも濃い場所。
娘を傷つけた敵は、きっとそこにいる。
「ゲキ! 待つミプ!」
後ろから、必死に羽ばたくような音が追ってくる。
ミププだった。
小さな精霊は、ゲキの肩に飛び乗ろうとして失敗し、慌てて横を飛ぶ。
「悪魔空間の中に長くいるのは危険ミプ! 人間の心は悪魔の力に蝕まれるミプ! 怒りも、憎しみも、不安も、全部悪魔に利用されるミプ!」
「なら、長くいなければいいんだな?」
ゲキは走りながら答えた。
「早く終わらせよう」
「そういう問題じゃないミプ!」
「そういう問題だ」
「もう、話を聞くミプ!」
ミププの声は震えていた。
怒っているのではない。
怖がっているのだ。
ゲキがこのまま突き進めば、本当に戻れなくなるかもしれない。男が魔法少女になれないことは、ミププが一番よく知っている。
だからこそ止めたい。
けれど、ゲキは止まらない。
その背中からは、怒りが立ち上っていた。
悪魔空間の紫よりも濃く、静かで、重い怒りだった。
「ミププ」
「な、なんミプ」
「敵は、エミカを傷つけた」
「……ミプ」
「娘が守ってきた町を破壊している」
「分かってるミプ。でも――」
「なら、俺は退かないさ」
それ以上、ミププは何も言えなかった。
ゲキの言葉は乱暴だった。
理屈も無茶苦茶だった。
だが、その根にあるものだけは、あまりにも真っ直ぐ、娘を守れなかった父親が、今度こそ何かを守るために走っている。
その背中を止める言葉を、ミププは見つけられなかった。
Θ
悪魔空間の中心部は、商店街の大通りだった。
本来なら、夜でも店の明かりが並び、人が行き交う場所。
今は、瓦礫と破壊の中心になっていた。
道路の真ん中に、巨大なデビガノイドが立っている。
黒く歪んだ機械の体。腕は太く、脚は建物の柱のように頑丈で、胸部には不気味な球体が埋め込まれていた。
その周囲には、デビドールたちが蠢いている。
そして、瓦礫の上に二人の人影があった。
――一人は、銀髪縦ロールの女。
マスクで顔の一部を隠し、黒いレザーのハイレグ衣装をまとっている。
――もう一人は、紫髪の白衣の男。
整った顔立ちに、歪んだ笑みを浮かべている。
ゲキは足を止めた。
息を整える。
拳を握る。
紫の空の下で、彼は二人を見上げた。
「お前たちが……デビデヴィ・クライシスとかいう、ふざけた連中か?」
女が、ゆっくりと振り返った。
扇子で口元を隠し、値踏みするようにゲキを見る。
「あら。ふざけたとは失礼ですわね。筋骨隆々な紳士様」
白衣の男が目を細める。
「誰だい、こいつ。避難し損ねた一般人?」
女は街灯の上へ優雅に飛び乗り、扇子を広げた。
「せっかくですから名乗って差し上げましょう。わたくしは、デビデヴィ・クライシス先行部隊隊長――タカワラーイ婦人」
白衣の男も、胸に手を当てて大げさに笑った。
「そして僕こそが、天才悪魔兵器開発者――イタヴリ博士! このデビガノイドを作り上げた、芸術家にして科学者にして
「下品な自称を増やさないでくださる?」
「婦人、そこは褒めるところでしょう!」
ゲキは二人のやり取りを聞いていたが、表情は変わらなかった。
「目的は何だ」
タカワラーイ婦人は目を細めた。
「目的? そんなもの、決まっていますわ」
扇子の先が、紫に染まった空を示す。
「このシータアースと呼ばれる世界を悪魔空間で覆い尽くすこと。そして悪魔の力によって、この世界の住民すべてをデビデヴィ・クライシスの奴隷にすることですわ」
イタヴリ博士が楽しげに両手を広げる。
「恐怖も怒りも絶望も、全部悪魔の力に変わる! 人間たちは泣き叫び、世界は悪魔空間に沈み、僕の悪魔兵器たちはさらに美しく進化する! 最高じゃないか!」
「はっ。ふざけた連中だ。仲良く二人で世界征服ごっこか。いい大人が、くだらんことをしている」
ゲキは低く言った。
「なんですって?」
タカワラーイ婦人が扇子を閉じる。
「ところで、あなたは何者かしら? この状況で逃げもせず、わたくしたちの前に来るなんて」
ゲキは一歩前に出た。
「五月女ゲキ」
そして、言った。
「フラワーメイデンの父親だ」
一瞬、風が止まったような沈黙が落ちた。
次に響いたのは、イタヴリ博士の笑い声だった。
「あはっ……あはははははははは!」
博士は腹を抱えるように笑った。
「父親? あの魔法少女の父親? それで? ただの親父が、ここに何しに来たっていうのさ!」
ゲキは答えない。
ただ、拳を握った。
タカワラーイ婦人はその様子を眺め、少しだけ興味深そうに目を細めた。
「なるほど。娘を傷つけられた父親が、怒りに任せてここまで来たというわけですわね」
「やはり……エミカをやったのは、お前たちか」
「ええ。魔法少女フラワーメイデンは敗れましたわ」
その言葉が、ゲキの胸の奥を抉った。
病室に横たわる娘の姿が浮かぶ。
包帯。
点滴。
白い頬。
そして、窓の外に広がっていた紫の町。
「……なら手加減はしない」
ゲキの声は静かだった。
タカワラーイ婦人は扇子を向ける。
「あなた程度の相手など、デビドールで十分ですわ」
その言葉と同時に、周囲のデビドールたちが一斉に動いた。
黒い人形の群れが、ゲキへ襲いかかる。
ゲキは手にしたメイクアップ・リグを掲げた。
病室で奪うように借りた、エミカの変身アイテム。
中央のボタンを押す。
……沈黙。何も起きない。
「……」
もう一度押す。
やはり、何も起きない。
「あたりまえミプ!」
ミププが悲鳴のように叫んだ。
「男は魔法少女にはなれないミプ! それはエミカのメイクアップ・リグで、ゲキが使っても反応するわけないミプ!」
「ならば」
ゲキはメイクアップ・リグを握りしめたまま、前に出た。
「反応するまでやるだけだ」
「まるで話を聞いてないミプ!」
デビドールの爪が迫る。
ゲキは身を沈め、拳を振り抜いた。
骨ではない、金属でもない、悪魔の力で動く人形の体が、鈍い音を立ててへし曲がる。
一体。
二体。
三体。
デビドールが次々と倒れていく。
ゲキはメイクアップ・リグを手放さなかった。
それを握った拳で殴ることはしない。
娘のものだからだ。
だから片手で守りながら、もう片方の拳と足だけで敵をなぎ倒していく。
「えっと……婦人」
イタヴリ博士の声が、少しだけ引きつった。
「デビドールがやられているんだけど」
「見れば分かりますわ」
「いや、ただの親父だよね?」
「なんというフィジカル……魔法少女の親だけのことはありますわね」
「いや、多分あの親父が異常なだけだと思うけど!?」
最後のデビドールが、ゲキの蹴りで瓦礫の山へ叩き込まれた。
ゲキは肩で息をしている。
……無傷ではない。
腕には擦り傷ができ、服も裂けている。
悪魔空間の重い空気が、体力を削っている。
それでも、彼は立っていた。
「次は、お前らだ」
ゲキが言った。
イタヴリ博士の表情が、歪んだ笑みに戻る。
「はっ。なるほど、デビドール程度なら倒せるんだ。すごいすごい。じゃあ、これはどうかな?」
博士が指を鳴らし、巨大な影が動いた。
デビガノイド。
黒く歪んだ巨体が、ゲキの前に立ちはだかる。
「こいつはデビガノイド。デビドールとは格が違う! 悪魔エネルギーで強化された本物の悪魔兵器だ! ただの腕力でどうにかなる相手じゃないんだよ!」
ゲキは一歩踏み込んだ。
拳を引く。
地面を蹴る。
その拳が、デビガノイドの腹部へ叩き込まれた。
……鈍い音。
だが、巨体は揺らいだだけだった。
「……っ」
拳に、嫌な痺れが走る。
人形とは違う。桁が違う。
ゲキの拳は、確かに異常なほど強い。
だが、それはあくまで人間の拳。
デビガノイドが腕を振る。
避けきれない。
ゲキの体が弾き飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が押し出される。
「がっ……!」
「ゲキ!」
ミププが駆け寄る。
ゲキは咳き込みながら起き上がった。
手にはまだ、メイクアップ・リグがある。
彼はそれを見た。
そして、何度もボタンを押した。
「頼む……動いてくれ」
反応はない。
「頼む」
また押す。
「俺を行かせろ」
何も起きない。
「ははははは!」
イタヴリ博士が笑う。
「何をしてるんだい? その玩具で変身でもするつもり? 残念だったねぇ。君は魔法少女じゃない。ただの父親だ!」
「はやく逃げるミプ!」
ミププがゲキの服を引っ張る。
「もう分かったミプ! ゲキが死んだら、エミカが悲しむミプ!」
ゲキはミププを見た。
その目は、少しだけ揺れた。
……エミカが悲しむ。
その言葉だけは、彼の胸に刺さった。
だが、それでも。
ゲキはミププの手をそっと外した。
「すまない」
「ゲキ!」
デビガノイドが迫る。
巨大な腕が、上から振り下ろされた。
避けるには遅い。防ぐには無謀。
普通なら、そのまま叩き潰される。
ゲキは逃げなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
雄叫びとともに、両腕を突き出す。
デビガノイドの腕を、真正面から受け止めた。
地面が砕ける。
膝が沈む。
骨が悲鳴を上げる。
悪魔の力が、腕から胸へ、頭の奥へと流れ込んでくるようだった。
怒れ。
憎め。
壊せ。
そんな声が、どこかから聞こえる。
悪魔空間が、心に入り込もうとしていた。
ゲキは歯を食いしばる。
「攻撃を受け止めた!?」
イタヴリ博士が目を見開く。
「ありえない……あの巨体だぞ……!」
タカワラーイ婦人も、扇子の奥で息を呑んだ。
「なんという力……」
ゲキの腕が震える。
押し潰されそうになる。
それでも、退かない。
「俺は……後悔した」
低い声が、悪魔空間に落ちた。
「エミカが魔法少女だと気づいた時、止めるべきだと……何度もそう思った」
娘は当時十一歳だった。
小さな体で、町を守っていた。
傷を隠して帰ってきた。
笑って「ただいま」と言った。
「でもな」
ゲキの筋肉が軋む。
デビガノイドの腕が、わずかに押し返される。
「――
ミププが息を呑んだ。
「エミカは、誰かのために戦った。怖くても、痛くても、逃げなかった。俺の娘は……俺とあやこの娘は、立派な魔法少女だった」
ゲキの目に、怒りだけではない光が宿る。
――それは誇りだった。
娘の戦いを否定しない父親の、重く、熱い誇りだった。
「だから、娘が倒れたなら」
ゲキの足が、前へ出る。
「今度は、俺が立つ番だ」
デビガノイドの腕が押し上げられる。
「魔法少女の親父を……」
ゲキの全身に力がこもる。
「なめるなぁぁぁ!!」
彼は、デビガノイドの腕を掴んだまま、巨体を持ち上げた。
そして、全身を捻る。
巨大な悪魔兵器が宙を舞った。
建物の外壁へ叩きつけられ、瓦礫が爆ぜる。
「デ、デビガノイドを投げ飛ばしたですって!?」
タカワラーイ婦人が叫ぶ。
「お、お前は化物か!?」
イタヴリ博士の声は裏返っていた。
だが、瓦礫の中からデビガノイドが起き上がる。
黒い装甲はへこんでいる。
しかし、その動きは止まっていない。
「ざ、残念!」
イタヴリ博士が無理やり笑みを作る。
「僕が作った兵器が、投げ飛ばされた程度で止まるわけないじゃん!」
周囲の瓦礫の影から、新たなデビドールが現れる。
一体、二体ではない。
無数の黒い人形が、傷だらけのゲキを囲んでいく。
ミププの顔から血の気が引いた。
「もう無理ミプ……!」
ゲキは立っていた。
息は荒い。
腕は震えている。
膝も笑っている。
悪魔空間の圧が、心を黒く塗り潰そうとしてくる。
それでも、彼はメイクアップ・リグを握った。
娘が使っていたもの。
娘が戦っていた証。
父親として、ただ一度だけでいい。
この町を守るための力がほしい。
「……あやこ」
ゲキは、空を見上げた。
紫に歪んだ空。
その奥にいるはずのない、亡き妻へ向けて。
「力を貸してくれ」
握りしめたメイクアップ・リグが、小さく震えた。
「お前に似たあの子が守った町を……俺にも守らせてくれ」
……次の瞬間。
メイクアップ・リグから、眩い光が溢れた。
「ミプ!?」
ミププが目を見開く。
光はゲキの前で形を結び、
温かく、強く、脈打つような光。
「メイクアップ・リグが……ゲキの心に応えたミプ!?」
ゲキはクリスタルを見た。
それが何なのか、理屈では分からない。
だが、本能で分かった。
これは、自分の覚悟に与えられたものだ。
「ミププ!」
「な、何ミプ!」
「これはどうすればいい」
「め、メイクアップ・リグの真ん中の溝にはめるミプ!」
ゲキは頷き、クリスタルをリグの中央へ差し込んだ。
かちり、と音が鳴る。
その瞬間、ゲキの頭の中に、言葉が流れ込んできた。
知らないはずの言葉。
だが、魂が最初から知っていたような言葉。
ゲキは大きく息を吸った。
周囲のデビドールが飛びかかる。
デビガノイドが咆哮する。
タカワラーイ婦人とイタヴリ博士が、驚愕に目を見開く。
そして、ゲキは叫んだ。
「マジカル・ケミカル・フィジカル・メイクアップ!!」
ピンク色の光が爆発した。
周囲のデビドールが吹き飛び、瓦礫が舞い上がる。
デビガノイドすら、その光にたじろいだ。
悪魔空間の紫の闇を、白とピンクの魔法陣が塗り替えていく。
光の中で、ゲキの体が変わる。
白とピンクを基調としたスーツ。
胸元に輝くハートの意匠。
腰に伸びるリボン。
手足を包む、魔法少女らしい可憐な装飾。
だが、そのシルエットはあまりにも巨大だった。
分厚い胸板。
丸太のような腕。
筋骨隆々の肉体を包むタイツスタイル。
可憐であるはずのデザインが、彼の肉体によってアメコミヒーローのような圧に変わっていた。
光が晴れる。
――そこに立っていたのは、
魔法少女のはずだった。
少なくとも、メイクアップ・リグはそう認識しているらしかった。
ゲキは拳を握りしめ、叫ぶ。
「娘の涙に拳を燃やす! 怒れる父のマジカルハート!」
白とピンクの魔力が、拳の周囲で燃え上がる。
「魔法少女――
名乗りが響いた。
数秒、誰も動かなかった。
悪魔空間の中で、沈黙だけが落ちた。
最初に叫んだのは、ミププだった。
「う……うそだミプぅぅぅぅぅぅ!?」
次に、イタヴリ博士が両手で頭を抱えた。
「へ、変身した!? 嘘だろ!? 今、何が起きた!?」
タカワラーイ婦人は、扇子を口元に当てたまま固まっていた。
「なんということなの……色んな魔法少女を見てきましたけど、筋肉厶キムキマッチョが、変身すなるなんて……」
「いやいや婦人! あれは少女でもなんでもないって!!」
ゲキ・マキシマムは、自分の手を見た。
力が湧いてくる。
ただの筋力ではない。
体の奥から、熱く、眩しいものが溢れてくる。
……それは怒りに似ている。
……だが、憎しみではない。
誰かを守りたいという願いが、拳の形になったような力だった。
「力が湧いてくる……」
ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと顔を上げる。
「俺の心のラブクリスタルが、お前らをぶちのめせと叫んでる!」
「意味分からんこと言うな、おっさん!」
イタヴリ博士が叫ぶ。
「いけ! デビガノイド!」
「そ、そうですわ! いきなさい!」
デビガノイドが再び襲いかかり、巨大な腕が振り下ろされた。
さっきまでなら、受け止めるだけで全身が悲鳴を上げた一撃。
だが今、ゲキ・マキシマムは片手を上げただけだった。
轟音。
衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
しかし、ゲキ・マキシマムの体は一歩も動いていない。
――片手で、デビガノイドの腕を受け止めていた。
「なっ……!」
イタヴリ博士の口が開いたままになる。
ゲキ・マキシマムは、デビガノイドの腕を掴んだ。
「さっきは世話になったな……その不細工な姿をスクラップにしてやる」
力を込めると黒い装甲が軋み、ひびが走る。
次の瞬間、デビガノイドの腕が引きちぎられた。
デビガノイドが叫ぶ。
ゲキ・マキシマムは拳を引いた。
白とピンクの魔力が拳に集まる。
「怒れ拳!」
地面を踏み砕き、前へ出る。
「マジカル・マキシマム・ナックル!」
拳がデビガノイドの胸部へ叩き込まれ、巨体が吹き飛ぶ。そのまま建物の壁を突き破り、瓦礫の中へと沈んだ。
……しかし、デビガノイドはまだ動いていた。
怒り狂ったように起き上がり、片腕のまま突進してくる。
ゲキ・マキシマムは逃げない。
拳を握る。
魔力が渦巻く。
「もう一発だ」
デビガノイドが迫る。
その瞬間、ゲキ・マキシマムの体が消えた。
否。
速すぎて、見えなかった。
「マジカル・ゲキドー・ブレイク!」
横から叩き込まれた拳が、デビガノイドの巨体を大きくよろめかせる。
黒い装甲が砕け、悪魔の力が火花のように散った。
「そんな……たった一撃で……ありえない!」
イタヴリ博士が後ずさる。
その目の前に、影が落ちた。
ゲキ・マキシマムだった。
「よそ見してる場合か?」
「ひぃっ!?」
博士が情けない声を上げる。
ゲキ・マキシマムの拳が振り抜かれた。
直撃したのは、博士の腰に装着されていた
奇妙な紋章が刻まれた、悪魔エネルギーをまとった装置。
それは拳の魔力を受け、嫌な音を立てて砕け散った。
「ぶべら!?」
イタヴリ博士の体が、ギャグ漫画のように吹き飛んだ。
壁に激突し、ずるずると落ちる。
腰にあった謎の装置は、黒い煙を上げながら完全に壊れていた。
「イタヴリ博士!?」
タカワラーイ婦人が叫ぶ。
ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと彼女へ向き直った。
「お前で最後だ」
その声に、婦人の肩がわずかに震えた。
彼女は扇子を広げ、黒い魔力を放つ。
「調子に乗らないことですわ!」
黒い刃が飛ぶ。
ゲキ・マキシマムの肩を、腕を、胸元を打つ。
……だが、彼は止まらない。
一歩。
また一歩。
攻撃を受けながら、前へ進む。
「なんというタフネス……!」
タカワラーイ婦人が後ずさる。
扇子を振り、黒い衝撃波が走る。
それでも、ゲキ・マキシマムは止まらない。
「愛娘を傷つけた相手を、俺は絶対に許さない」
拳にピンク色の光が集まる。
「女だろうが、幹部だろうが関係ない。今ここでぶちのめす」
「くっ……!」
タカワラーイ婦人は胸元のブローチへ手をかけた。
そこに、黒い魔力が集まる。
だが遅かった。
「マキシマ厶・ギガ・アッパー!」
ゲキ・マキシマムのアッパーが、彼女の魔力障壁ごと胸元を打ち抜いた。
「がっは……!」
直撃した衝撃で、ブローチ型の黒い装置が砕け、同時に、悪魔空間全体が悲鳴を上げた。
アッパーの余波で紫の空に亀裂が走り、ドーム状の膜が、ガラスのように割れていく。黒い光が散り、濁った空が剥がれ落ちる。
そして、その向こうから。
夜の空が現れた。
澄んだ月が、雨玻町を照らした。
悪魔空間が、崩壊し始めた。
「そんな……わたくしの……!」
タカワラーイ婦人が膝をつく。
砕けたブローチから、黒い煙が漏れている。
イタヴリ博士も、瓦礫の中でうめいていた。
「お前たちは魔法少女の父親を侮った」
ゲキ・マキシマムは息を吐く。
終わった。
そう思った瞬間だった。
「あ、あぶないミプ!」
ミププの叫び。
背後から、ボロボロになったデビガノイドが襲いかかってきた。
片腕を失い、装甲を砕かれながらも、なお動いている。
ゲキ・マキシマムは振り返る。
反射だった。
考えるより先に、拳が動いた。
「マジカル・マキシマム――」
白とピンクの魔力が拳へ集中する。
「カウンター!」
拳が、デビガノイドの胸部へ突き刺さった。
偶然だった。狙ったわけではない。
ただ、最も強く光っていた場所へ拳を叩き込んだだけだった。
その瞬間。
眩い光が爆発した。
デビガノイドの体が内側から崩れていく。
黒い装甲が灰になり、悪魔の力が霧のように消える。
それは破壊というより、浄化に近かった。
白とピンクの光が夜空へ昇り、月明かりに溶けていく。
悪魔空間が完全に消滅した。
ゲキ・マキシマムは拳を下ろし、辺りを見回す。
タカワラーイ婦人とイタヴリ博士の姿は、もうなかった。
「……逃げたか」
砕けた装置の破片と、瓦礫だけが残っている。
逃げられた。
……だが町は守った。
悪魔空間も消えた。
ゲキはようやく息を吐こうとした。
その時、ミププが震える声で言った。
「ゲキさん……あれを見るミプ」
ゲキ・マキシマムは、ミププの視線を追った。
そこは、デビガノイドが消えた場所だった。
黒い装甲の残骸も、悪魔の霧も消えかけている。
その中心に、誰かが倒れていた。
――白い手術服のような服を着た少女。
年は、エミカと同じか、それより少し下くらいに見えた。
顔色は悪く、意識はない。
だが、胸はかすかに上下している。
「女の子……?」
ゲキ・マキシマムの声が、低く揺れた。
なぜ、ここに人間の少女がいる。
さっきまでそこにいたのは、機械の怪人だったはず。
ゲキはゆっくりと近づこうとした。
その時だった。
「そこの……魔法少女……!」
背後から声が響いた。
振り返ると、警察官と境界防衛隊の隊員たちが、銃口と装備をこちらへ向けていた。
悪魔空間が消えたことで、中心部まで進入できたのだろう。
彼らはゲキ・マキシマムを見ていた。
――白とピンクの魔法少女衣装。
――巨大な体。
――筋骨隆々の腕。
――圧倒的存在感。
月明かりに照らされた、あまりにも異様な姿。
指揮官らしき女性隊員が、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……えっと……魔法少女?」
その疑問は、現場にいた全員の心を代弁していた。
ミププが小さく頭を抱える。
「ミププも聞きたいミプ……」
女性隊員は咳払いをした。
「と、とにかく止まりなさい! あなたを重要参考人として拘束します!」
銃口が揃う。
警察官たちは倒れている少女にも気づき、救護班へ指示を飛ばしていた。
ゲキ・マキシマムは動かなかった。
逃げるつもりはない。戦うつもりもない。
ただ、倒れている少女を見つめていた。
そして思った。
自分は、何を倒したのか。
あのデビガノイドとは、何だったのか。
娘を傷つけた敵は、ただの怪物ではないのかもしれない。
月明かりの下で、ゲキ・マキシマムは静かに拳を握った。
雨玻町の夜は、ようやく紫の闇から解放された。
……けれど、戦いは終わっていない。
むしろ本当の意味で、ここから始まるのだと。
ゲキは、まだ知らなかった。