魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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第八話完結です。猫回になりました。


8-5 帰還と襲撃

 

「ユーギ・ザムライ・ニャンタ――デ(・)ビ(・)デ(・)ヴ(・)ィ(・)・(・)ク(・)ラ(・)イ(・)シ(・)ス(・)の(・)戦(・)士(・)」

 

 三人の顔から、笑みが消えた。

 

「ユーギ……」

 

 ミケニャンニャが息を呑む。

 

「聞いたことがあるミケ!」

 

 ミッケが叫ぶ。

 

「雨玻町の病院を襲った、デビデヴィ・クライシスの戦士ミケ!」

 

「敵なのだ!?」

 

 マンチカンニャンニャが驚いて後ろへ下がる。

 ペルシャニャンニャは、二人を守るように前へ出た。

 

「ずいぶん舐めた真似してくれたな」

 

 両腕に青紫色の爪が形成される。

 

「初めから、あたしたちを騙してたのか」

 

「否定はせぬ」

 

 ユーギは静かに答えた。

 

「兜を取り戻すため、皆様方の善意を利用した。それは事実でござる」

 

「だったら――!」

 

 ペルシャニャンニャが地面を蹴った。

 青紫色の爪が、ユーギへ迫る。

 ユーギは刀を抜かなかった。

 鞘に収めたまま持ち上げ、ペルシャニャンニャの腕へ斜めに添える。

 

 爪を正面から止めず、軌道を上へ流した。

 青紫の光が、ユーギの兜を掠めて空へ抜ける。

 

「っ!」

 

 ペルシャニャンニャは、すぐに次の攻撃へ移ろうとする。

 だが、ユーギは後ろへ跳んだ。

 

「本日、皆様方と刃を交えるつもりはござらぬ」

 

「逃がすと思うか!」

 

「この恩を受けた身で戦うほど、拙者も恥(・)知(・)ら(・)ず(・)ではない」

 

 ユーギの足元に、黒紫色の魔法陣が広がる。

 兜を取り戻したことで、悪魔エネルギーは完全に制御されている。

 空間が裂け、悪魔エネルギーのゲートが開いた。

 

「待つニャ!」

 

 ミケニャンニャが叫ぶ。

 ユーギはゲートの前で足を止め、三人へ向き直った。

 

「最後に、一つだけ申し上げたい」

 

「何だぜ」

 

 ペルシャニャンニャは構えを解かない。

 ユーギは、深く息を吸った。

 

「皆様方の戦い、実に見事でござった」

 

「……え?」

 

「精霊を労わり、互いを支え、可憐にして勇ましく戦うその姿」

 

 ユーギの声に、熱が入り始める。

 

「拙者、心の底より感服いたした!」

 

 三人が呆然とする。

 

「たとえ敵味方に分かれようとも、この胸に芽生えし敬意は変わらぬ!」

 

「何を言ってるニャ?」

 

「マジルカニャンニャ!」

 

 ユーギは拳を強く握った。

 

「拙者は今後も、皆様方を応援し続ける所存でござる!」

 

「敵なのに!?」

 

 ミケニャンニャの声が森に響く。

 

「皆様方のさらなる活躍、心より楽しみにしている!」

 

「待て、ユーギ!」

 

「さらば!」

 

 ユーギはゲートへ飛び込んだ。

 ペルシャニャンニャが追いかける。

 だが、指先が届く寸前、黒紫色のゲートは閉じてしまった。

 

 森に静けさが戻る。

 

 三人と三匹は、しばらくユーギが消えた場所を見つめていた。

 

「……敵だったニャ」

 

「敵だったぜ」

 

「応援されたのだ」

 

「敵に応援されたニャ……」

 

 ミケニャンニャは、混乱したまま頭を抱える。

 

「どういうことニャ!?」

 

 ペルシャニャンニャは腕を組み、眉間へ皺を寄せた。

 

「分からん」

 

「悪い人には見えなかったのだ」

 

「病院を襲った奴だぞ」

 

「でも、今日は助けたらお礼を言ってくれたのだ」

 

「最初に騙してたけどな」

 

「でも、ふかふかだったのだ」

 

「そこは関係ない!」

 

 三人の言葉が、誰もいなくなった森へ響いていた。

 

     Θ

 

 雨玻町郊外。

 廃工場の中に、黒紫色のゲートが開いた。

 その中から、小柄な猫武者が転がり出る。

 

「帰還いたした!」

 

 ユーギは床の上を転がって一回転し、片膝をついた。

 その声に、奥で作業をしていたイタヴリ博士が振り返る。

 

「うわああああっ!」

 

 博士は椅子ごと後ろへ倒れた。

 

「で、出た! 猫武者の亡霊!」

 

「誰が亡霊でござるか」

 

「ユーギ!?」

 

 博士が床から顔を上げる。

 その直後。

 廃工場の奥から、硬い足音が響いた。

 

 タカワラーイ婦人だった。

 仕事を終えて戻ったばかりなのか、人間界で使っている服装の上に、激安スーパーのエプロンをまだ着けていた。

 

 婦人はユーギの姿を見た瞬間、足を止める。

 

「……ユーギ」

 

 ほんの一瞬。

 その顔から、張りつめていたものが消えた。

 

 だが。

 

「今まで、どこにいましたの!」

 

 すぐに扇子が振り下ろされた。

 

 ぱこん。

 

 兜の上で、軽い音が鳴る。

 

「申し訳ござらぬ!」

 

 ユーギは深く頭を下げた。

 

「兜を失い、探していたのでござる!」

 

「兜?」

 

「姫様から賜りし大切な兜を失ったまま、戻るわけにはいかぬと――」

 

 婦人の扇子が震えた。

 

「だから、わたくしが探していると知りながら隠れていたのですか?」

 

「……左様」

 

「この――」

 

 もう一度、扇子が振り下ろされる。

 

 ぱこん。

 

「馬鹿猫!」

 

「面目次第もござらぬ!」

 

「兜と自分の命、どちらが大切だと思っていますの!」

 

「しかし、これは姫様から――」

 

「わたくしが探していたのは兜(・)で(・)は(・)あ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)!」

 

 婦人の声が、廃工場に響いた。

 ユーギが顔を上げる。

 婦人はそこで、自分が大きな声を出したことに気づいた。

 

「……あなたという貴重な戦力を失えば、今後の作戦に影響が出ますの」

 

 扇子で口元を隠す。

 

「そういう意味ですわ」

 

「婦人、毎日探してましたからね」

 

 イタヴリ博士が立ち上がりながら言った。

 

「朝はバイト前に森へ行って、休憩時間には探知機を確認して、仕事が終わってからも――」

 

「博士」

 

「はい?」

 

「余計なことは言わなくてよろしい!」

 

 扇子が博士の頭へ飛んだ。

 

「痛い!」

 

 タカワラーイ婦人の頬が、わずかに赤くなっている。

 ユーギは、その姿を静かに見つめた。

 

 自分のために、婦人は何日も森を探し回っていた。

 口では戦力と言っている。

 だが、それだけではないことくらい、ユーギにも分かる。

 

「姫様」

 

 ユーギは改めて片膝をついた。

 

「この度の不始末、深くお詫び申し上げる」

 

「本当に反省なさい」

 

「はっ」

 

「次に同じことがあれば、兜ごと蹴り飛ばしますわよ」

 

「肝に銘じるでござる」

 

 ユーギは兜の奥で目を閉じた。

 この方へ仕えると決めた自分の判断は、間違っていない。

 

 改めて、強く思う。

 

「今後も、この身、この刀、すべて姫様のために捧げる所存」

 

「ええ。しっかり働きなさい」

 

「御意」

 

 ユーギは深く頭を下げた。

 タカワラーイ婦人への忠誠心は、以前よりもさらに強くなっていた。

 

 ……それはそれとして。

 

「博士殿」

 

 ユーギは立ち上がると、イタヴリ博士へ向き直った。

 

「何ですか?」

 

「折り入って、教えていただきたいことがある」

 

「あなたが僕に質問とは珍しいですね」

 

 ユーギは机に置いてある、小型のタブレット端末を指さす。

 戦闘記録の保存。情報の整理。報告書の作成に使われるものだ。

 

「人間界の映像共有サイト『Mazi-Tube』についてでござる」

 

「Mazi-Tube?」

 

「左様」

 

 ユーギは真剣な顔でタブレットを手に取り、博士に差し出した。

 

「特定の者が新たな映像を公開した際、即座に知らせを受け取る方法があると聞いた」

 

「チャンネル登録と通知機能ですね」

 

「それを教えていただきたい」

 

「構いませんけど……誰の映像を継続的に確認するつもりなんです?」

 

「マジルカニャンニャ」

 

 即答だった。

 イタヴリ博士の指が止まる。

 タカワラーイ婦人も、扇子を広げたままユーギを見た。

 

「マジルカニャンニャ?」

 

「左様」

 

「音駒町の猫魔法少女チームですか?」

 

「左様」

 

「どうして、あなたが彼女たちの映像を?」

 

 婦人の問いに、ユーギは一切動じなかった。

 

「今後、敵として対峙する可能性がある。継続的な戦力分析が必要と判断したのでござる」

 

「なるほど」

 

 婦人はあっさり頷いた。

 ユーギはこれまでも、ゲキ・マキシマムやローズ・アンリミテッドの戦闘記録を収集し、詳細な報告書をまとめている。

 敵戦力を調査すること自体は、何もおかしくない。

 

「それなら、しっかり調べておきなさい」

 

「御意」

 

「では、ここを押してください」

 

 博士がタブレットを操作する。

 

「これがチャンネル登録です。隣にある鈴の印を押せば、新しい動画が投稿された時に通知が届きます」

 

「なるほど」

 

「それから、気に入った映像は再生リストにまとめられます」

 

「再生リスト」

 

「何度も確認したい映像を、項目別に保存する機能ですね」

 

 ユーギの目が、兜の奥でわずかに光った。

 

「なんと便利な」

 

「敵の戦闘記録をまとめるなら、技や相手ごとに分けるといいですよ」

 

「承知した」

 

 博士は検索欄へ『マジルカニャンニャ』と入力する。

 

 画面に、いくつもの映像が表示された。

 

『マジルカニャンニャ変身場面集』

 

『ミケニャンニャ、今日も元気に決めポーズ!』

 

『ペルシャニャンニャの格好いい戦闘まとめ』

 

『マンチカンニャンニャ、可愛い仕草十連発』

 

 ユーギの手が、ぴたりと止まった。

 

「……」

 

「ユーギ?」

 

 婦人が呼びかける。

 

「どうしましたの?」

 

「姫様」

 

 ユーギは、極めて真剣な声で尋ねた。

 

「敵の戦力を正確に把握するためには、戦闘時以外の行動も観察する必要があると考えるが、いかがでござろうか」

 

「場合によっては必要でしょうね」

 

「では、この『マンチカンニャンニャ、可愛い仕草十連発』も確認すべきと判断する」

 

「……必要ありませんわよ」

 

「何故でござるか」

 

「戦力分析と何の関係がありますの?」

 

「普段の仕草から、性格や行動傾向を分析できる」

 

「可愛い仕草から?」

 

「左様」

 

 ユーギは迷わず、その動画を再生リストへ加えた。

 続けて、ミケニャンニャの映像も登録する。

 さらに、ペルシャニャンニャの映像も保存した。

 

「こちらは?」

 

 博士が尋ねる。

 

「『ミケニャンニャ、転倒しても笑顔を絶やさない健気な場面集』」

 

「精神的な耐久力を調べる」

 

「こちらは?」

 

「『ペルシャニャンニャ、仲間へ見せる隠れた優しさ』」

 

「チーム内の信頼関係を把握する」

 

「では、これは?」

 

「『三人の猫耳が揺れる瞬間だけを集めてみた』」

 

「……」

 

 ユーギは数秒黙った。

 

「装備の挙動を確認する」

 

「無理がありますよ」

 

「何がでござるか」

 

「戦力分析という言い訳に無理があると言っているんです」

 

 ユーギは博士から視線を逸らした。

 

「……拙者には理解できぬ」

 

「兜を被っていても、動揺しているのは分かりますよ」

 

 婦人は扇子の向こうから、ユーギをじっと見つめた。

 

「ユーギ」

 

「はっ」

 

「あなた、もしかして――」

 

 ユーギの耳が、兜の内側でわずかに動く。

 

「マジルカニャンニャを気に入ったのですか?」

 

「……」

 

 沈黙。

 

 婦人と博士が、返答を待つ。

 ユーギはタブレットの画面を見た。

 そこには、三人で笑いながら決めポーズを取るマジルカニャンニャが映っていた。

 

「彼女たちは、敵でござる」

 

「そうですわね」

 

「拙者は姫様へ忠誠を誓った身」

 

「分かっていますわ」

 

「なればこそ、敵戦力は正しく評価せねばならぬ」

 

「だから、気に入ったのかと聞いていますの」

 

 再び沈黙が落ちる。

 やがて、ユーギは重々しく口を開いた。

 

「……見事な魔法少女でござる」

 

「気に入ってますわね」

 

「敵として評価しているだけでござる」

 

「完全に気に入っていますねぇ」

 

 博士も頷いた。

 

「違う」

 

「では、どうして変身場面を再生リストの一番上に置いたんです?」

 

「敵の装備が最も分かりやすく映っている」

 

「三回続けて再生していますけど」

 

「細部の確認でござる」

 

「再生速度を半分にしていますよ」

 

「より細部を確認するためでござる」

 

 婦人は扇子で額を押さえた。

 

「まったく……何故、わたくしの部下は敵の魔法少女に夢中になる者ばかりなのです」

 

「夢中ではござらぬ」

 

 ユーギは否定しながら、新しい再生リストを作成した。

 名前を入力する。

 

『音駒町敵戦力・重要観察記録』

 

 その中へ、マジルカニャンニャの映像が次々と追加されていく。

 

「ユーギ」

 

「はっ」

 

「一応言っておきますが、あなたはデビデヴィ・クライシスの戦士ですわよ」

 

「承知している」

 

「いずれ彼女たちと戦う可能性もあります」

 

「無論」

 

「本当に分かっていますの?」

 

 ユーギは、迷いなく頷いた。

 

「姫様への忠義と、敵への正(・)当(・)な(・)評(・)価(・)は両立するものでござる」

 

「正当な評価……」

 

 婦人は、動画の中で可愛らしく手を振るマンチカンニャンニャを見る。

 次に、無言でチャンネル登録を押すユーギを見た。

 

「それ、世間では推(・)し(・)活(・)と言うのではなくて?」

 

「「戦(・)力(・)調(・)査(・)でござる」

 

「推し活ですわ」

 

「戦力調査でござる」

 

「推し活です」

 

 博士も加わった。

 

「戦力調査でござる!」

 

 廃工場に、猫武者の渋い声が響いた。

 

 その夜。

 

 ユーギはマジルカニャンニャ公式チャンネルを、最初の映像まで遡って確認した。

 登録された再生リストに、戦闘映像よりも可愛い仕草をまとめた映像の方が多かったことについても、最後まで本人は敵勢力の調査であると言い張った。

 

 こうして——

 

 デビデヴィ・クライシスの忠臣、ユーギ・ザムライ・ニャンタは、マジルカニャンニャのフ(・)ァ(・)ン(・)になった。

 

     Θ

 

 ――その日の深夜。

 ユーギがマジルカニャンニャ公式チャンネルを、最初の映像まで遡っていた頃。

 

 C.H.A.R.M.本部に、けたたましい警報音が鳴り響いていた。

 

『警告。第三地下区画に侵入者を確認』

 

『所属不明。認証記録なし』

 

『周辺の全警備隊員は、直ちに現場へ急行してください』

 

 赤色の非常灯が、無機質な廊下を明滅させる。

 その光の下を、一人の何者かが悠然と歩いていた。

 

 全身を黒い衣服で包んだ、少年ほどの体格の人物。

 顔を覆い、細長い耳を持つ金属製の兎の仮面。

 

 仮面の眼窩では、鮮やかな赤い光が不気味に揺らめいている。

 

「侵入者を発見!」

 

 曲がり角から、武装した警備隊員たちが飛び出した。

 

「子供!?」

 

「油断するな! 止まれ! 両手を見える位置へ上げろ!」

 

 銃口が、一斉に兎の仮面へ向けられる。

 しかし、侵入者は足を止めなかった。

 警告を聞いていないかのように、一定の速さで歩き続ける。

 

「停止しろ! 従わなければ――」

 

 兎の仮面の少年――イヴィトが、片手を軽く上げた。

 ただ、それだけだった。

 

「――ッ!?」

 

 先頭にいた警備隊員の体が、何かに殴りつけられたように宙を舞った。

 その背中が、激しい音を立てて壁へ叩きつけられる。

 

「ぐあっ!」

 

「攻撃を開始しろ!」

 

 残る隊員たちが引き金へ指をかける。

 だが、その直前。

 イヴィトが手のひらを横へ払った。

 目に見えない巨大な腕に薙ぎ払われたように、警備隊員たちがまとめて吹き飛ばされる。

 

 床を転がる者。壁へ激突する者。

 構えていた武器は、手元を離れて廊下へ散乱した。

 

 それでも一人の隊員が立ち上がり、イヴィトの背後へ飛びかかろうとする。

 

「止まれ!」

 

 イヴィトは振り返らなかった。

 上げていた手の指を、静かに握り込む。

 

「が……っ!?」

 

 警備隊員の足が床から離れた。

 何者かに首をつかまれたように、その体が宙へ持ち上げられる。

 

 両手で自分の喉元を押さえ、苦しげにもがく。

 しかし、そこには腕も、縄も存在しない。

 イヴィトが指を少し動かすたび、警備隊員の体も人形のように揺れた。

 

「少し邪魔だよ」

 

 仮面越しに響いたのは、穏やかな少年の声だった。

 イヴィトが手を開く。

 隊員の体は床へ落ち、そのまま意識を失った。

 

 イヴィトは倒れた者たちへ目を向けることなく、再び歩き始める。

 急いでいる様子はない。

 追っ手を恐れている様子もない。

 まるで以前から本部の構造を知っていたかのように、迷うことなく廊下を進んでいく。

 

『第四隔壁、強制閉鎖』

 

 進行方向で、分厚い防壁が降下を始めた。

 床と接触する直前。イヴィトが指先を防壁へ向ける。

 

 赤い目が、わずかに細くなった。

 

 次の瞬間。

 

 閉じかけていた防壁が、凄まじい金属音とともに停止した。

 押し潰されたわけでも、破壊されたわけでもない。

 

 目に見えない何かに下から支えられ、完全に動きを封じられている。

 イヴィトが手を持ち上げる。

 数十トンはあるはずの防壁が、その動きに合わせてゆっくりと上昇した。

 

「ずいぶん厳重だね」

 

 できた隙間を平然と通り抜ける。

 その背後で指を下ろすと、防壁は床へ落下した。

 

 轟音が地下区画を震わせる。

 やがて一本の通路の奥で立ち止まった。

 

 目の前には、頑丈な両開きの扉。

 その横には、複数の認証装置と警告表示が並んでいる。

 

『最高機密区画』

 

『許可なき者の立ち入りを禁ず』

 

 扉の中央に記された文字を読み上げた。

 

「サーバールーム」

 

 ようやく見つけた――とでも言うように、兎の仮面へ刻まれた笑みが、わずかに深く見えた。

 

 イヴィトは、認証装置へ手を伸ばした。

 指先から黒紫色の光が走る。

 装置の表示が激しく乱れ、認証拒否を示していた赤いランプが、一つずつ緑色へ変わっていく。

 

『認証完了』

 

『扉を開放します』

 

 重い扉が、音を立てて左右へ開いた。

 その先には、広大な空間が広がっていた。

 幾列にも並べられた巨大なサーバー。

 壁や天井を走る無数の配線。

 青白い表示灯が、暗い室内を規則正しく照らしている。

 

 C.H.A.R.M.が長年にわたり収集してきた、異次元敵性存在に関する記録。

 

 歴代の魔法少女。契約精霊。悪魔空間。

 そして、現在この世界で起きているあらゆる異常。

 

 その膨大な情報が、この場所へ集約されていた。

 

「さて」

 

 イヴィトは室内を見回す。

 

「どこまで知(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)のかな」

 

 迷うことなく、中央に設置されたサーバーへ近づいた。

 黒い手袋に覆われた手を、その表面へ触れさせる。

 

 瞬間。

 

 兎の仮面の両眼が、激しく点滅した。

 

 赤い光。

 

 暗転。

 

 再び、赤い光。

 

 イヴィトの体から、禍々しい紫黒のオーラが噴き出す。

 霧のような魔力がサーバーを包み込み、筐体の隙間から内部へ侵入していく。

 青白かった表示灯が、一斉に赤紫色へ変わった。

 複数のモニターへ、膨大な文字列が流れ始める。

 

 異次元観測記録。

 敵性組織の出現年代。

 魔法少女の能力測定値。

 精霊界に関する研究資料。

 C.H.A.R.M.所属エージェントの個人情報。

 

 そして、一般の隊員には閲覧権限すら与えられていない、最高機密指定の資料。

 それらすべてが黒紫色の光へ変換され、イヴィトの仮面へ吸い込まれていく。

 

「……」

 

 流れ込んでくる膨大な情報を追いながら、イヴィトは小さく息を漏らした。

 

「少し期待外れだね」

 

 C.H.A.R.M.が保有する、異次元敵性存在に関する調査記録。

 シータアースで繰り返されてきた、敵性組織と魔法少女の戦い。

 

 彼らも、その異常な周期には気づいている。

 

 しかし――。

 

「疑問には思っている。でも、答えまではたどり着いていない」

 

 イヴィトの声には、わずかな落胆が混じっていた。

 

「結局は、魔法少女を支援するだけの組織か……」

 

 その時。

 流れ続けていた情報の中に、二つの記録が浮かび上がった。

 赤い眼光が、わずかに強まる。

 

「でも――」

 

 落胆していた声に、再び興味の色が宿る。

 

「囚人番号、三(・)二(・)六(・)九(・)」

 

 厳重な閲覧制限が施された、ある囚人の収容記録。

 

「それから、封印指定されたウ(・)ィ(・)・(・)デ(・)ッ(・)ド(・)ゾ(・)ー(・)ン(・)の(・)幹(・)部(・)」

 

 死刑間近の囚人。

 すでに滅びたはずの異次元敵性組織。

 その生き残りに関する、最高機密の記録。

 

 イヴィトの声が、わずかに昂った。

 まるで、新しい玩具を見つけた子供のように。

 

「これは面白いね」

 

 二つの記録を見比べながら、兎の仮面が静かに笑う。

 

「ゲキ・マキシマムとフラワーメイデン。あの親子を苦しめるには、ちょうどよさそうだ」

 

 その時。

 閉じていたサーバールームの扉が、外側から爆発するように開いた。

 

「動くな!」

 

 鋭い声とともに、氷野カズマが室内へ踏み込んだ。

 その後ろから、完全武装した境界防衛隊の兵士たちが次々と突入する。

 兵士たちは左右へ展開し、サーバーの陰や奥の通路へ武器を向けた。

 

「侵入者はどこだ!」

 

「室内を封鎖しろ! 逃走経路を潰せ!」

 

 だが。

 そこに、兎の仮面をかぶった侵入者の姿はなかった。

 広いサーバールームには、機械の駆動音だけが響いている。

 正面扉以外の出入口は、すべて封鎖されている。

 通気口も非常用通路も、厳重な監視下に置かれていた。

 

 それにもかかわらず、イヴィトは跡形もなく消えていた。

 

「反応ありません!」

 

「転移術式の痕跡も確認できません!」

 

「監視記録はどうなっている!」

 

「確認中です!」

 

 氷野は兵士たちの報告を聞きながら、室内中央のサーバーへ近づいた。

 表面には損傷がない。

 装置そのものも、正常に稼働を続けている。

 

 しかし、表示灯だけが不規則に明滅していた。

 

 青。

 

 赤紫。

 

 再び、青。

 

「氷野さん」

 

 端末を調べていた兵士の声が震える。

 

「内部データへの侵入を確認しました」

 

「何を盗まれた」

 

「それが……特定できません」

 

「特定できない?」

 

「アクセス履歴そのものが残っていません。どの情報を閲覧したのかも、何を外部へ転送したのかも分からない状態です」

 

 氷野はサーバーの表面へ手を伸ばす。

 触れる直前。

 黒い筐体の上を、紫色の火花が小さく走った。

 

 兵士たちが、反射的に武器を構える。

 火花はすぐに消えた。

 

 あとには、何も残っていない。

 

「……目的は破壊工作じゃない」

 

 氷野は低く呟いた。

 本部の中枢へ単身で侵入しながら、施設は破壊されていない。

 倒された警備隊員たちも、負傷してはいるが全員生きている。

 

 敵が欲していたのは、一つだけ。

 

「「情(・)報(・)を(・)奪(・)う(・)た(・)め(・)に、ここへ来たのか」

 

 兵士の一人が、サーバーへ接続された監視映像を復元する。

 激しく乱れた映像。

 赤い警告表示。

 床へ倒れていく警備隊員たち。

 その向こうを歩く、黒い人影。

 

 最後の一瞬。

 

 兎の仮面が、監視装置の存在に気づいたようにこちらを向いた。

 

 画面の中で、二つの赤い目が光る。

 

 そして。

 

 仮面の侵入者は、見ている者へ語りかけるように小さく手を振った。

 映像が、暗転する。

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