魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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少しタイトル変更をしました


3-1 パパ。出動。

 

人気のない廃工場に、冷たい風が吹き込んでいた。

 

 割れた窓ガラス。

 錆びついた鉄骨。

 床に散らばった金属片。

 かつて何かを作っていたであろう機械は、今では沈黙した鉄の塊となっている。

 

 そんな廃工場の一角で、二人の怪人が床に額を擦りつけていた。

 

 ――タカワラーイ婦人。

 

 ――イタヴリ博士。

 

 デビデヴィ・クライシスの先行部隊を率いるはずの二人は、今、これ以上ないほど美しい土下座をしていた。

 

 膝の角度は完璧。

  背中は床と平行に近いほど美しく伸びている。

  両手は指先まで丁寧に揃えられ、額はきっちりと地面についている。

 

 謝罪の型としては、もはや芸術品に近い。

 

 だが、その美しさが許しにつながることはなかった。

 

「――ねえ」

 

 少年のような声が、廃工場に響いた。

 

 無邪気で、軽い。

 まるで友達に話しかけるような声だった。

 

 けれど、その場にいたタカワラーイ婦人とイタヴリ博士の背筋は凍りついていた。

 

 二人の前に立っているのは、金属製の兎の仮面を被った小柄な人物だった。

 

 長い兎耳を模した仮面。

 感情の読めない銀色の顔。

 その奥にある瞳だけが、ひどく冷たい。

 

 ――イヴィト副大隊長。

 

 デビデヴィ・クライシス本隊に属する上位指揮官であり、タカワラーイ婦人たちにとっては、逆らうことなど考えることもできない相手だった。

 

「どうして、()()()()()()()()()

 

 イヴィトは首を傾げた。

 

 その仕草だけなら、ただの子供のようにも見える。

 

 だが、次の瞬間。

 

「ねえ。どうして、()()()()()()()』を壊されちゃったの?」

 

 声の温度が、すっと下がった。

 タカワラーイ婦人の肩が震える。

 

「も、申し訳ございません……!」

 

「申し訳ありませんでは足りないよね」

 

 イヴィトは一歩、二歩と近づいた。

 

 コツ、コツ、と硬い靴音が響く。

 

()()()()()()だよ? 幹部級の悪魔エネルギー出力を安定させるための、すっごく貴重な装備だよ? それを()()()壊されたんだよね?」

 

「は、はい……」

 

「しかもさあ」

 

 イヴィトは、楽しそうに笑った。

 

「大隊長がお膳立てしてくれたんだよ? シータアース侵略のために、悪魔空間の展開準備も、侵攻ルートも、先行部隊の投入も、ぜんぶ整えてくれてたんだよ?」

 

 タカワラーイ婦人は顔を上げられなかった。

 イタヴリ博士も、床に額をつけたまま震えている。

 

「それを失敗した。町は落とせなかった。フラワーメイデンは倒したのに、なぜか作戦は失敗した。しかもデヴィ・リグまで壊された」

 

 イヴィトは、無邪気に言った。

 

「ねえ、これ、上に怒られるの誰だと思う?」

 

 答えられる者はいなかった。

 

 イヴィトは少しだけ沈黙した後、兎の仮面の奥で目を細めた。

 

「大隊長だよ」

 

 空気が重くなる。

 

「君たちじゃない。大隊長が怒られるの。わかる? 君たちが失敗したせいで、大隊長が上に頭を下げるんだよ」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 タカワラーイ婦人の声が裏返った。

 

「ですが、イヴィト副大隊長! あれは想定外だったのです!」

 

「想定外?」

 

「は、はい! 男です! 男の魔法少女が現れたのです!」

 

 イヴィトの動きが止まった。

 

 廃工場の中に、重たい沈黙が落ちる。

 

 タカワラーイ婦人は必死だった。

 

「あの男が、フラワーメイデンのメイクアップ・リグを使い、魔法少女へと変身しました! 筋肉質の巨漢でありながら、魔法少女反応を発し、デビガノイドを素手で――」

 

「婦人」

 

 イヴィトが、優しく名前を呼んだ。

 

「はい!」

 

「面白いね、それ」

 

 ……明るい声だった。

 だが、タカワラーイ婦人は一切安心できなかった。

 

「男の魔法少女。うん。すごく面白い。()()()()()()()()()で、僕、そういうの嫌いじゃないよ」

 

「で、では……!」

 

「でもね」

 

 イヴィトは、タカワラーイ婦人の頭のすぐ横に足を下ろした。

 

 床の金属片が、ぐしゃりと潰れる。

 

「言い訳として聞くと、――()()()()()()()()()

 

 タカワラーイ婦人の喉が鳴った。

 イタヴリ博士が小さく悲鳴を飲み込む。

 

「次、失敗したら支援は大幅に削減するからね」

 

「そ、それだけは……!」

 

「今でも十分、優しいと思うよ」

 

 イヴィトは指を鳴らした。

 

 空間が黒く歪み、そこから小さな箱が落ちてくる。

 イタヴリ博士の目の前に、黒いケースが転がった。

 

「デビルキーを一つ。あとはデビドールを少しだけ送ってあげる」

 

「ひ、一つだけですか!?」

 

 イタヴリ博士が思わず顔を上げた。

 

 だが、兎の仮面がこちらを向いた瞬間、すぐにまた床へ額を戻した。

 

「一つだけだよ。これでも譲歩してるんだから」

 

 イヴィトは楽しそうに言った。

 

「確実に町を落としてね。次こそ、ちゃんと成果を出して。じゃないとさあ」

 

 イヴィトは、ぴょん、と軽い足取りで後ろに下がった。

 

「もう、君たちに期待する意味、なくなっちゃうよ?」

 

 その言葉は、あまりにも軽かった。

 軽いからこそ、恐ろしかった。

 

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士は、声を揃えて叫んだ。

 

「必ずや、成果を!」

 

「必ずや、シータアースをデビデヴィ・クライシスのものに!」

 

「うん。がんばってね」

 

 イヴィトは手を振った。

 次の瞬間、その姿は黒い霧となって消えた。

 

 廃工場に、静寂が戻る。

 しばらく、二人は土下座の姿勢のまま動けなかった。

 やがて、タカワラーイ婦人がゆっくりと顔を上げる。

 

 美しい銀の縦ロールが、わずかに乱れていた。

 

「……博士」

 

「は、はい、婦人」

 

「後がないわ」

 

「でしょうね……」

 

 イタヴリ博士は震える手で黒いケースを開けた。

 

 中に入っていたのは、一本の()()()()()

 

 人間の負の感情を貫き、デモンコアへと変えるための悪魔の鍵。

 

 たった一つ。

 

 失敗は許されない。

 

「デビルキーは一つ。デモンコアにする人間は、慎重に選ばなくてはならないわ」

 

「となると、強い負の感情を持つ人間だ。怒り、嫉妬、支配欲、劣等感、憎悪……質の高いデモンコアを作るには、素材選びが何より重要ですね」

 

「ええ」

 

 タカワラーイ婦人は立ち上がった。

 

 そして、廃工場の中を見渡す。

 

「博士。悪魔兵器を作りなさい」

 

「今からですか!?」

 

「ええ。対ゲキ・マキシマム用の最高傑作を」

 

 イタヴリ博士は目を見開いた。

 

「しかし婦人、材料はどうするのです? デヴィ・リグもなく、支援物資も乏しい。まともな悪魔兵器を組むには、部品も予算も――」

 

「この廃工場にあるものを使いなさい」

 

 タカワラーイ婦人は即答した。

 

「足りない分は、残った軍資金をすべて使うわ」

 

「すべて!?」

 

「そうよ。後はないの」

 

 その声には、追い詰められた者の覚悟があった。

 

 イタヴリ博士は唇を噛み、やがて不気味に笑った。

 

「ふ、ふふふ……いいでしょう。婦人。廃工場の重機、鉄骨、圧砕機、古い作業アーム……使えるものはあります。対ゲキ・マキシマム用の重機型悪魔兵器。作ってみせましょう」

 

「頼むわよ、博士」

 

 タカワラーイ婦人の身体を黒い光が包む。

 

 禍々しい幹部の姿が消え、そこに背が高い女性が立っていた。

 

 タカワラーイ婦人が人間社会に潜伏するための姿だ。

 

「私はデモンコアの候補者を探してくるわ」

 

 そう言い残し、タカワラーイ婦人は廃工場を後にした。

 

      Θ

 

 町は、いつも通りの日常を装っていた。

 

 誰も知らない。

 

 先日、この町を覆った悪魔空間の脅威が、再び近づいていることを。

 

 人間に扮したタカワラーイ婦人は、人々の中を歩きながら目を細めた。

 

 人間。

 

 弱く、脆く、愚かで、感情に振り回される生き物。

 

 そのくせ、心の奥に溜め込む負の感情だけは、時に悪魔すら驚くほど濃い。

 

「さて……どの子がいいかしら」

 

 その時だった。

 

「おい、聞いてんのかよ」

 

 路地の奥から、乱暴な声が聞こえた。

 

 婦人は足を止める。

 

 見ると、数人の学生が一人の気弱そうな少年を取り囲んでいた。

 

 中心にいるのは、いかにも学校の中で目立つタイプの少年だった。

 

 整った茶髪。

 高そうな靴。

 人を見下すことに慣れた目。

 

 周囲の取り巻きたちは、彼の顔色をうかがいながら笑っている。

 

「金、持ってんだろ? さっさと出せよ」

 

「で、でも……この前も……」

 

「あ?」

 

 リーダー格の少年が、気弱な少年の胸ぐらを掴む。

 

「俺に逆らうわけ?」

 

「ち、違……」

 

「なら出せよ。お前みたいなのが俺らと話せるだけありがたいと思えって」

 

 取り巻きたちが笑う。

 婦人は、じっとその光景を見つめた。

 

 支配欲。

 優越感。

 他人を踏みつける快感。

 そして、その奥にある空虚。

 

 悪くない。

 

 いや、かなりいい。

 婦人の唇が、薄く笑った。

 

「見つけたわ」

 

 彼らはカツアゲを終えると、人気のない空き地へと移動した。

 

 婦人は気配を消し、その後をつける。

 

 空き地に着くと、リーダー格の少年は奪った金を数えながら笑っていた。

 

「やっぱ楽だよな、あいつ。ちょっと脅せばすぐ出すし」

 

「マジで逆らえないもんな」

 

「そりゃそうだろ。俺に逆らったら学校で終わりだし」

 

 その言葉に、婦人は確信した。

 この少年は、自分が人を支配する側だと信じている。

 だからこそ、壊した時に濃い悪魔エネルギーが出る。

 

「ごきげんよう」

 

 突然の声に、少年たちが振り返った。

 

「あ? 誰だよ、おば――」

 

 最後まで言わせなかった。

 婦人の手に、黒い鍵が現れる。

 

 ()()()()()

 

 リーダー格の少年が何かを言うより早く、その鍵は彼の胸に突き刺さった。

 

「がっ……!?」

 

 少年の身体が大きく仰け反る。

 取り巻きたちが悲鳴を上げた。

 

「な、何して――」

 

「安心なさい」

 

 婦人は微笑んだ。

 

「あなたたちは、ただ恐怖すればいいの」

 

 少年の胸から、黒と赤の光が溢れ出す。

 

 怒り。

 恐怖。

 支配欲。

 誰かを見下したいという醜い感情。

 それらが渦を巻き、少年の身体ごと一つの球体へと凝縮されていく。

 

 デモンコア。

 

 婦人はそれを見つめ、満足げに笑った。

 

「いい素材だわ」

 

     Θ

 

 病院の一室では、まったく別の時間が流れていた。

 

 白い天井。

 消毒液の匂い。

 窓から差し込む昼の光。

 

 ベッドの上には、五月女エミカが横になっていた。

 

 顔色は少しずつ戻ってきている。

 だが、右足にはまだ固定具がつけられており、身体には戦いの傷が残っていた。

 

 そのベッドの横に、五月女ゲキが座っている。

 

 大きな身体を病室の椅子に押し込めるようにして座る姿は、少し窮屈そうだった。

 

「病院ってのはな、エミカ。悪いことばかりじゃないぞ」

 

 ゲキは腕を組み、妙に真剣な顔で言った。

 

「……え、何の話?」

 

「パパもな、昔はよく世話になった。トレーニングで無茶して、肩をやったり、脚をやったり、肋骨をやったり」

 

「やりすぎでしょ」

 

「ハッハッハ! 若い頃は、限界ってやつに挨拶してから殴りかかるタイプだった」

 

「それ、今もあんまり変わってない気がする」

 

 エミカが呆れたように言うと、ゲキは豪快に笑った。

 

「まあ、とにかくだ。病院食は薄味だが、身体にはいい。ちゃんと寝られる。余計なことを考える時間もある。自分を見つめ直すには、もってこいだ」

 

「それ、武勇伝っぽく言うこと?」

 

「武勇伝じゃない。人生訓だ」

 

 いつも通りのゲキだった。

 

 大きな声で笑って、少し大げさで、何でも前向きに変えようとする。

 けれど、エミカはその明るさが、逆に気になっていた。

 しばらく沈黙した後、エミカは小さく口を開いた。

 

「……ねえ、お父さん」

 

「ん?」

 

「何も、言わないの?」

 

 ゲキの表情が、少しだけ変わる。

 

 エミカはシーツを握った。

 

「私が……フラワーメイデンだったこと」

 

 病室の空気が静かになる。

 窓の外から、遠く車の走る音が聞こえた。

 

 ゲキは、すぐには答えなかった。

 

 ただ、エミカの顔をまっすぐ見ていた。

 

「……最初から、なんとなく感づいてたさ」

 

「え?」

 

「お前が十一の頃からだ」

 

 エミカの目が揺れる。

 

()()()()じゃん、なんで……」

 

「お前のパパだからな」

 

 ゲキは、少しだけ笑った。

 

「夜にこっそり抜け出す。妙に疲れて帰ってくる。怪我をごまかす。ニュースじゃ、同じ時間にフラワーメイデンが戦ってる。さすがに気づく」

 

「……気づいてたなら、どうして」

 

「何度も止めようとした」

 

 ゲキの声は、低かった。

 

「動画サイトで見た。ニュースでも見た。お前が敵と戦ってるところを何度も見た。吹っ飛ばされて、立ち上がって、また誰かを守りに行く姿を見た」

 

 エミカは何も言えなかった。

 

「画面の向こうに飛び込めるなら、何度でも飛び込んでた。怒鳴ってでも止めたかった。お前は俺の娘だ。怪我なんかしてほしくない。怖い思いなんかしてほしくないと」

 

 ゲキは拳を握った。

 

 大きな拳だった。

 何かを守るために鍛えられた拳。

 

「でもな」

 

 その拳が、ゆっくりと開かれる。

 

「――()()()()()()()()

 

 エミカの瞳が見開かれる。

 

「俺の娘は、誰かを守るために戦ってた。怖くても、痛くても、逃げなかった。すごい魔法少女だった」

 

「……お父さん」

 

「本当は、ずっと言いたかった。よく頑張ったなって。すごいぞって。けど、それを言ったら、お前が背負ってるものを認めることになる気がしてな。父親として、どうすればいいのか分からなかった」

 

 ゲキは、苦笑した。

 

「悪かったな。パパも、まだまだ未熟だ」

 

 エミカの目から、涙がこぼれた。

 

 ずっと隠していた。

 

 ――心配させたくなかった。

 ――怒られると思っていた。

 ――やめろと言われると思っていた。

 

 でも、本当は。

 

 ……見ていてほしかった。

 

 頑張ったと、言ってほしかった。

 

「……ありがとう」

 

 エミカは泣きながら言った。

 

「ありがとう、お父さん……」

 

 ゲキは立ち上がり、そっとエミカを抱きしめた。

 

 大きな腕が、壊れ物を包むように優しく回される。

 

「よく頑張ったな、エミカ」

 

「うん……」

 

「でも、休め。治すことが、今のお前の戦いだ」

 

「うん……!」

 

 エミカは涙を拭き、少しだけ笑った。

 

「私、早く治す。ちゃんとリハビリして、また――」

 

 そこで言葉が止まる。

 

 ――また戦う。

 

 そう言いかけて、自分の身体がまだ思うように動かないことを思い出した。

 

 ゲキはその不安に気づいたが、あえて明るく言った。

 

「焦るな。病院食を食べて、よく寝て、先生の言うことを聞け。筋肉も魔力も、回復には休養が必要だ」

 

「魔力を筋肉と一緒にしないでよ」

 

「だいたい同じだ」

 

「絶対違う」

 

 いつものやり取りが戻る。

 エミカは少しだけ表情を和らげた。

 

 そして、ふと思い出したように尋ねる。

 

「そういえば……デビデヴィ・クライシスはどうなったの?」

 

 ……ゲキの肩が、ぴくりと動いた。

 

「ん?」

 

「私、途中で意識なくなっちゃったから。誰が倒してくれたの? マジルカニャンニャ達?」

 

「あー……」

 

 ゲキは目を逸らした。

 

「まあ、その……通りすがりの、()()()()()()()()()がな」

 

「通りすがり?」

 

「うむ」

 

「魔法少女?」

 

「まあ……広い意味では……」

 

 ゲキの額に汗が滲む。

 エミカは怪訝そうに目を細めた。

 

「お父さん、何か隠してない?」

 

「ハッハッハ! パパが隠し事なんかするわけないだろう!」

 

「笑い方が怪しい」

 

 その時、病室の扉がノックされた。

 

 入ってきたのは担当医師だった。

 

「五月女さん、少しいいですか」

 

 ゲキは内心で救われたように息を吐いた。

 

 医師はエミカの状態を確認し、カルテを見ながら穏やかに言った。

 

「回復はかなり早いですね。この調子なら、退院もそう遠くありません」

 

「本当ですか!」

 

 エミカの表情が明るくなる。

 

「ただし、右足の負傷があります。退院後もしばらくは松葉杖を使ってもらうことになります」

 

「……松葉杖」

 

「無理は禁物です。焦らず、段階的に回復していきましょう」

 

 医師はそう告げると、いくつか注意事項を説明して病室を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 病室に、再び静けさが戻った。

 

 そのタイミングで、ベッドの横にいたピンク色の小さな精霊が、もぞりと動いた。

 

 ミププだった。

 

 丸い耳。

 短い手足。

 ふわふわした身体。

 

 ぬいぐるみのような見た目だが、その表情はいつになく真剣だった。

 

「エミカ」

 

「ミププ?」

 

 エミカが振り向く。

 ミププは、少しだけ迷うように耳を伏せた。

 

 だが、すぐに顔を上げた。

 

()()()()()()()ミプ」

 

 ゲキの表情も引き締まる。

 

「今回のダメージで、エミカの魔力回路は大きく傷ついてるミプ」

 

「……うん」

 

「今の状態で変身するのは、()()()ミプ」

 

 エミカの顔から血の気が引いた。

 

 ミププは続ける。

 

「無理に魔力を流せば、激痛が走るミプ。それでも無理をすれば、損傷がもっと悪化する可能性があるミプ」

 

「それって……」

 

 エミカの声が震える。

 

「私、もう……フラワーメイデンに、なれないってこと?」

 

 ミププはすぐには答えなかった。

 その沈黙が、エミカの胸に突き刺さる。

 

「……そっか」

 

 エミカは俯いた。

 さっきまで少し戻っていた明るさが、一瞬で消える。

 

「そっか……私、もう……」

 

「おい、ミププ」

 

 ゲキが低い声を出した。

 

「そんなにはっきり言わなくてもいいだろ」

 

 だが、ミププは引かなかった。

 

「はっきり言わないと、エミカは無茶するミプ」

 

 ゲキは言葉を詰まらせ、ミププの声は震えていた。

 けれど、その目は真剣だった。

 

「エミカは、町で誰かが泣いてたら絶対に飛び出すミプ。自分が痛くても、怖くても、変身しようとするミプ。だから、今は危ないって、ちゃんと言わなきゃ駄目ミプ」

 

 ゲキはエミカを見た。

 エミカはシーツを握りしめ、唇を噛んでいる。

 

 その姿を見て、ゲキは深く息を吐いた。

 

「……そうだな」

 

 ゲキは静かに言った。

 

「お前の言う通りだ、ミププ」

 

「ミプ……」

 

「エミカ」

 

 ゲキは、娘の目線に合わせるように腰を落とした。

 

「今は無茶するな。頼む」

 

「でも……町が……」

 

「町は俺が何とかする」

 

 エミカが顔を上げる。

 ゲキはまっすぐに言った。

 

「お前が戻るまで、パパが何とかする。だから、お前は治すことだけ考えろ」

 

「……お父さん」

 

 その言葉の意味を、エミカはまだ知らない。

 ゲキが何になったのかを、まだ知らない。

 

 ミププは小さく咳払いした。

 

「それに、完全に駄目って決まったわけじゃないミプ」

 

「え?」

 

「少量の魔力を少しずつ流して、傷ついた魔力回路を慣らしていくリハビリをすれば、いつかまた変身できる可能性はあるミプ」

 

 エミカの目に、わずかな光が戻る。

 

「本当に?」

 

「簡単じゃないミプ。痛みもあるミプ。時間もかかるミプ。でも、可能性はあるミプ」

 

 エミカは涙を拭いた。

 

「……やる」

 

 その声は、小さいけれど強かった。

 

「私、リハビリする。もう一度、フラワーメイデンになる」

 

 ゲキは頷いた。

 

「その意気だ」

 

 その時だった。

 ミププの耳が、ぴくりと動いた。

 

「……ミプ?」

 

 表情が変わる。

 さっきまでの真剣さとは別の、警戒の色。

 

「どうした?」

 

 ゲキが小声で尋ねる。

 ミププはエミカに聞こえないよう、ゲキの肩へ飛び移った。そして、耳元に口を寄せる。

 

「嫌な気配がするミプ」

 

 ゲキも声を落とした。

 

「嫌な気配?」

 

「前に戦ったデビガノイドと同じ感じミプ。小さいけど、確かにあるミプ」

 

 ゲキの目つきが変わった。

 

 その直後、ゲキのスマホが震えた。

 画面には、C.H.A.R.M.からの緊急通知が表示されている。

 

 小規模悪魔空間発生。

 市街地にデビドール反応。

 未確認大型反応あり。

 

 ゲキはスマホを握りしめた。

 

「……来やがったか」

 

 エミカが不安そうに尋ねる。

 

「お父さん?」

 

 ゲキはすぐに表情を切り替えた。

 

「ちょっとジムの件で連絡が入った。エイコーだけじゃ手が回らないらしい」

 

「本当に?」

 

「本当だ」

 

 エミカは疑うような目を向けたが、今はそれ以上追及できなかった。

 

 ゲキは立ち上がる。

 

「すぐ戻る。ミププ、少し借りるぞ」

 

「えっ、ミププも?」

 

「ジムの……まあ、いろいろだ」

 

「絶対ジムじゃない気がする……」

 

 エミカの疑いの目を背中に受けながら、ゲキは病室を出た。

 

 その後、背後からミププが呼び止める。

 

「ゲキ」

 

「ん?」

 

「手を出すミプ」

 

 ゲキは眉をひそめながらも、右手を差し出した。

 

 ミププの身体から、淡い光があふれる。

 

 その光は粒となって集まり、ゲキの手の中で形を作っていく。

 

 やがて現れたのは、ひとつのメイクアップ・リグだった。

 

 エミカが使っていたものとは別の、新しいリグ。

 

 ゲキは目を見開いた。

 

「これは……」

 

()()()()()()()()()()()()ミプ」

 

 ミププは静かに言った。

 

「もともとは、マジカルメイデンズの新メンバー用に、精霊界から持ってきていたものミプ」

 

「そんな大事なものを、俺に渡していいのか?」

 

「本当は、普通なら駄目ミプ」

 

 ミププはゲキを見上げた。

 

「でも、ゲキは変身したミプ。メイクアップ・リグが、ゲキの心に応えたミプ」

 

 小さな精霊は、真剣な顔で続けた。

 

「だから、今はこれを持っていくミプ。エミカが戻るまで、町を守るために」

 

 ゲキはメイクアップ・リグを握りしめた。

 

 重さはほとんどない。

 

 だが、その小さな道具には、娘が背負ってきたものの重みがあった。

 

「……分かった」

 

 ゲキは静かに頷く。

 

「借りるぞ、ミププ」

 

「貸すんじゃないミプ」

 

 ミププは、少しだけ照れたように鼻を鳴らした。

 

「今のゲキには、必要なものミプ」

 

 病院の自動ドアが開く。

 外の空気が流れ込んでくる。

 遠くの空に、かすかに黒い歪みが見えた。

 

 悪魔空間。

 

 誰かが、助けを求めている。

 

 そして今、エミカは戦えない。

 

 ならば。

 

「行くぞ、ミププ」

 

「ミプ!」

 

 五月女ゲキは走り出した。

 

 娘が守ってきた町へ。

 

 魔法少女として。

 父親として。

 

 そして、フラワーメイデンの帰りを待つ者として。




ゲキ・マキシマ厶 イメージビジュアル 
【挿絵表示】


後編は明日同じ時刻に投稿します
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