魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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今週最後のエピソード。
第九話ローズ回です


9-1 憂鬱の薔薇

9-1 憂鬱の薔薇

 

 朝のSAOTOME GYMには、いつものようにトレーニング器具の金属音が響いていた。

 

 その中でも、ひときわ重いダンベルを持ち上げている男がいた。

 

「……二十五、二十六……」

 

 長い赤髪。薔薇色のタンクトップ。

 百九十七センチの長身に、無駄なく鍛え上げられた肉体。

 

 井原壮吉――通称、ローズ。

 

 普段なら、その巨大なダンベルを軽々と扱いながら、周囲の会員へ笑顔を振りまいている。

 筋肉が悲鳴を上げそうな重量でも、ローズにとっては自分を可憐に磨き上げるための、ごく日常的なトレーニングにすぎない。

 

 だが、今日は違った。

 

「……二十五、二十六……二十七……」

 

 ローズの動きが止まる。

 鏡の中の自分を見て、片眉を上げた。

 

「今、二十六まで数えたわよね……?」

 

 少し考える。

 それから小さく息を吐き、もう一度ダンベルを持ち上げる。

 

「二十七……二十八……」

 

 腕は問題なく動いている。

 フォームも大きく崩れてはいない。

 それでも、いつものローズではなかった。

 

 回数を数え間違える。途中で動きを止める。

 鏡を見ては、何度も小さくため息をつく。

 

 近くでトレーニングをしていた会員たちも、その違いに気づき始めていた。

 

「ローズさん、今日ちょっと元気なくない?」

 

「いつもの掛け声もないな」

 

 ひそひそと交わされる声。

 ローズにも聞こえていたが、いつものようにウインクを返す気にはなれなかった。

 

「……ふう」

 

 最後の一回を終え、ダンベルを床へ置く。

 どすん、と重い音が響いた。

 

 その時だった。

 

「今日は随分と重そうだな」

 

 背後から声をかけられ、ローズが振り返る。

 黒いジャージ姿の五月女ゲキが、腕を組んで立っていた。

 

 ローズは少しだけ笑う。

 

「これくらい、アタシには準備運動よ」

 

「ダンベルの話じゃないさ」

 

 ゲキの視線は、ローズの顔へ向いていた。

 何も言わず、しばらく様子を見ていたらしい。

 ローズは誤魔化すように赤い髪を払ったが、すぐに諦めた。

 

「……ゲキには隠せないわね」

 

「トレーナーだからな。体だけじゃなく、表情も見ている」

 

 ゲキはそう答え、ローズの隣にあるベンチを軽く叩いた。

 ローズはタオルを肩へかけ、そこへ腰を下ろす。

 

 ゲキも向かいのベンチへ座った。

 

「何かあったのか?」

 

「今朝、C.H.A.R.M.から連絡があったの」

 

 ローズは膝の上で両手を組んだ。

 

「赤司君からよ」

 

 ゲキの表情が少しだけ引き締まる。

 C.H.A.R.M.から直接連絡が入ったとなれば、魔法少女や悪魔に関係する話である可能性が高い。

 

「敵の情報か?」

 

「いいえ、違うわ。彼のことよ」

 

「彼?」

 

「アタシが初めて魔法少女になった時に助け出した子——尼野柚くんよ」

 

 その名前を聞き、ゲキは目を細めた。

 

 尼野柚。

 

 タカワラーイ婦人によってデモンコアへ変えられた少年。

 一度はゲキ・マキシマムによってデビガノイドから救出された。

 しかし、完全に浄化しきれなかった悪魔エネルギーの影響で、病院内で暴走。

 さらにユーギ・ザムライ・ニャンタによって連れ去られ、二度目のデモンコアへ変えられた。

 

 本部製悪魔兵器D‐15、エリゴス。

 

 柚はその中核として使われ、悪魔空間を完成させるために、心も命も燃やされようとしていた。

 その心へ手を伸ばしたのが、ローズだった。

 

 柚の夢。

 誰にも見てもらえなかった寂しさ。

 誰にも支えてもらえず、やがて他人を踏みつけることでしか自分を保てなくなった、歪んだ痛み。

 

 ローズは、その全てに触れた。

 そしてゲキと力を合わせ、柚を完全に浄化した。

 

「柚くんが、県立雨玻町第一高校を自主退学したそうよ」

 

 ローズの言葉に、ゲキはしばらく黙っていた。

 

「退学か」

 

「ええ」

 

 柚は二度もデモンコアにされた特殊な事例だった。

 悪魔エネルギーの残留や、精神面への後遺症がないか確認するため、C.H.A.R.M.は救出後も定期的に経過を調べていた。

 

 ローズもまた、柚について何か変化があれば知らせてほしいと赤司へ頼んでいた。

 

「学校に戻ってから、孤立していたみたい」

 

 最初に柚がデモンコアへ変えられた時、その場には同じグループの友人たちがいた。

 胸をデビルキーに貫かれ、人間の体が赤黒い球体へ変わっていく。

 

 その異常な光景を、彼らは間近で目撃していた。

 

 柚が人間へ戻った後も、友人たちは彼を不気味がった。

 また突然、怪物へ変わるのではないか。

 悪魔に取り憑かれているのではないか。

 自分たちまで巻き込まれるのではないか。

 

 一人、また一人と距離を置き始め、その噂は学校内にも広がっていった。

 

 だが、柚には、それまで築いてきた信頼もなかった。

 

 県立雨玻町第一高校では、上位のグループに属していた。

 自分より立場の弱い生徒を見下し、金を巻き上げることもあった。

 所属していたグループの中でも支配的に振る舞い、周囲を従わせることで自分の立場を守っていた。

 

 素行の悪さは、教師や生徒の間でも知られていた。

 そのため、柚が孤立しても、庇おうとする者はほとんどいなかった。

 

「退学した本当の理由は、本人が話していないから分からないそうよ」

 

 ローズは俯いた。

 

「でも……学校に居場所がなくなったんでしょうね」

 

 以前の友人たちからは恐れられた。

 過去に傷つけた者からは、当然のように受け入れてもらえなかった。

 教師たちも、どう接すればいいのか分からなかったのかもしれない。

 それらに耐えきれず、自分から学校を去った。

 

 ローズには、そう思えた。

 

「あの子に、見ているって言ったのよ」

 

 ローズは静かに言った。

 その言葉は、悪魔空間の中で交わした約束だった。

 

 デモンコアの奥。

 

 膝を抱えていた少年へ、ローズは手を伸ばした。

 誰にも見てもらえなかったという彼に。

 夢を支えてもらえなかったという彼に。

 

 もう一度、戻ってくるよう呼びかけた。

 

『大丈夫よ』

 

『今度は、見ているわ』

 

 確かに、そう伝えた。

 

「なのにアタシ、()()()()()()()()()

 

 ローズの組んだ指へ、わずかに力が入る。

 

「人間の姿に戻った。悪魔エネルギーも浄化された。C.H.A.R.M.に保護されたから、もう大丈夫だと思ってしまったの」

 

 戦いは終わった。

 少年は救われた。

 

 ローズは、そこで勝手に区切りをつけてしまった。

 だが、柚にとっては、人間の姿へ戻ったところが終わりではなかった。

 

 そこから日常へ戻らなければならなかった。

 過去に犯したことと向き合い、周囲の目に耐え、自分の人生を立て直さなければならなかった。

 

「アタシ、救ったつもりになっていただけなのかもしれないわね」

 

「彼が自分で蒔いた種だ」

 

 ゲキが、はっきりと言った。

 ローズが顔を上げる。

 

 声を荒らげたわけではない。

 責めるような口調でもない。

 

 ゲキの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。

 ただ、その言葉には少しだけ冷たさがあった。

 

「デモンコアにされたことは十分に気の毒だ。二度も悪魔兵器の中核として利用されたことまで、あいつの責任じゃない」

 

 ゲキは続ける。

 

「だが、それ以前に弱い者から金を巻き上げ、相手を傷つけていたことまで消えるわけじゃない」

 

 心を入れ替えたから。

 悪魔に利用された被害者だから。

 だから過去の被害者たちは柚を許すべきだ。

 以前と同じように接するべきだ。

 

 そんなことは絶対に言えない。

 

「柚に傷つけられた者には、柚を許さない権利がある。あいつを恐れる者にも、距離を置く権利はある」

 

「分かってるわ」

 

 ローズはゲキから目を逸らさなかった。

 

「あの子がしたことを、なかったことにしたいわけじゃないの」

 

「なら、必要以上に自分を責めるな、ローズ」

 

「でもね、ゲキ」

 

 ローズは静かに言った。

 

「自分で蒔いた種だからって、一人で全部刈り取れるとは限らないでしょう?」

 

 過去に犯したことの責任は、自分で負わなければならない。

 誰かを傷つけたのなら、謝罪し、償わなければならない。

 許されなかったとしても、それを受け入れるしかない。

 

 だが、一度間違えた人間は、その後ずっと、誰の助けも借りずに苦しみ続けなければならないのか。

 やり直したいと思っても、手を差し伸べてはいけないのか。

 

 柚の心に触れたローズだからこそ、そうは思えなかった。

 

「過去を消すためじゃないわ」

 

 ローズは胸元へ手を置く。

 

「あの子が、これ以上誰かを傷つけずに生きられるようになるまで……誰かが見ていてもいいと思うの」

 

 ゲキはすぐには答えなかった。

 ジムには、会員たちの掛け声やマシンの音が響いている。

 

 二人の間だけが、そこから少し切り離されたように静かだった。

 やがて、ゲキはローズの隣へ立った。

 

「やり直す道まで閉ざされていいとは、俺も思っていないさ」

 

 ローズが顔を上げる。

 

「だが、その道を歩くかどうかを決めるのは本人だ。俺たちが無理やり引っ張ることもできない」

 

「……そうね」

 

「それに、あいつが今どこで何をしているのか、まだ分かったわけじゃない」

 

「ええ」

 

「退学したことだけで、人生を投げ出したと決めつけるのも早い」

 

 ゲキの言葉に、ローズは少しだけ目を見開いた。

 冷たいことを言ったように見えて、ゲキもまた、柚の未来を完全に見限っているわけではなかった。

 

「ゲキって、意外と優しいのね」

 

「ハハ、意外は余計だ」

 

「あら、ごめんなさい」

 

 ローズは小さく笑った。

 しかし、もう一度ダンベルを持ち上げる気にはなれなかった。

 

「今日はもう、筋トレの気分じゃなくなっちゃった」

 

「珍しいこともあるものだな」

 

「失礼ね。アタシにだって、筋肉以外の感情はあるのよ」

 

「筋肉にも感情があるような言い方だな」

 

「あるわよ。丁寧に向き合えば、今日は休みたいとか、もっと追い込んでほしいとか、ちゃんと教えてくれるもの」

 

「それは単なる疲労と筋肉痛だ」

 

「もう、夢がないわね」

 

 ローズはタオルで汗を拭き、長い赤髪を指で整えた。

 少し考えた後、ロッカールームの方へ歩き出す。

 

「買い物に行ってくるわ」

 

「急だな」

 

「可愛いものでも見て、心を整えてくるの。こういう時は、悩みながら鉄を持ち上げるより、綺麗な服を眺めた方がいいわ」

 

「なるほどな」

 

 ローズは振り返り、いつものように片目を細めた。

 

「もしかしたら、運命の一着にも出会えるかもしれないわ」

 

「おいおい。買いすぎるなよ」

 

「あら。可憐になるための出費は、浪費じゃなくて自己投資よ」

 

「……その自己投資で、先月も財布が軽くなったんじゃなかったか?」

 

「可憐さと財布の重さは反比例することもあるの」

 

「初めて聞いた理論だ」

 

 ローズは軽く手を振り、ロッカールームへ入っていった。

 

 しばらくして、私服へ着替えたローズがジムを出ていく。

 いつもの華やかな足取りには、少しだけ迷いが残っていた。

 

 ゲキは、その背中を見送る。

 

 ローズは、救った人間を戦いの後まで気にかけている。

 それは彼の優しさだった。

 同時に、自分にはどうにもできないことまで背負い込もうとする、危うさでもある。

 

 ゲキは追いかけなかった。

 今のローズには、一人で考える時間も必要だ。

 

「……自分で蒔いた種、か」

 

 ゲキは、先ほど自分が言った言葉を繰り返す。

 

 間違ったことを言ったつもりはない。

 だが、一人で刈り取れないこともある。

 ローズの言葉もまた、間違ってはいなかった。

 

     Θ

 

 雨玻町から離れた山林の奥。

 人の寄りつかない廃工場に、二人の悪党が向かい合っていた。

 

 正確には、一人は立ち、一人は折り畳み椅子に座っていた。

 

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士。

 

 デビデヴィ・クライシス先行部隊の二人は、折り畳み机の上へ広げられた戦闘記録を睨んでいる。

 

 ゲキ・マキシマム。

 ローズ・アンリミテッド。

 キヨナガ・スピリット。

 

 三人が並ぶ戦闘映像が、タブレットの画面に表示されていた。

 

「……やはり、正面からぶつけるだけでは駄目ですわね」

 

 婦人は扇子を開き、苛立たしげに口元を隠す。

 

「何度も言わなくても分かっていますよ!」

 

 博士は画面を勢いよく切り替えた。

 

「ゲキ・マキシマムは攻撃力と防御力が異常! ローズ・アンリミテッドは機動力と心への干渉能力に優れ、キヨナガ・スピリットは浄化能力が規格外!」

 

 三人が正式に連携を始めたことで、単独のデビガノイドを正面からぶつけるだけの作戦は、以前にも増して成功しづらくなっていた。

 この前の、ネット上のコメントを利用した精神攻撃も、三人を苦しめることには成功した。

 悪意の言葉は心へ突き刺さり、住民たちも次々と無気力になった。

 

 しかし、ゲキたちは最後まで心を折らなかった。

 

 互いを支え合い、コメンテイター・デビガノイドの通信装置を破壊し、最後には三人の合体技で浄化してしまった。

 精神攻撃も、決定打にはならなかった。

 

 しかも、その作戦で博士は、コメンテイター・デビガノイドだけではなく、悪意を集めるために使用していたノートPCや通信機器まで失っていた。

 

 そして何より――。

 

「新型を作るにしても、資材が足りません!」

 

 博士が机を叩いた。

 安物の折り畳み机が、大きく揺れる。

 

「デビルキーもない! デビドールもない! 悪魔兵器の体だけを組み上げても、コアも護衛もなければ、何もできません!」

 

「大声を出しても、予算は増えませんわよ」

 

 婦人も疲れたように頭を押さえた。

 

「ならば、婦人が何とかしてください!」

 

「わたくしだって、アルバイトをして稼いでます! 博士こそ働きなさい!」

 

「働いていますよ! 研究しています!」

 

「それで資金が増えますの?」

 

 言い争っても、物資は増えない。

 以前より、イヴィトから非公式な支援を受けられるようにはなった。

 だが、それでも正規の侵略部隊と比べれば、与えられる物資は微々たるものだった。

 正式な記録に残せない以上、大規模な補給はできない。

 支給されるのは、修理部品や最低限の資材ばかり。

 大規模侵略を行うには、到底足りなかった。

 

「せめて、まとまった兵力があれば……」

 

 婦人が呟いた、その時だった。

 廃工場の中央へ、黒紫色の光が走る。

 

「っ!」

 

 婦人が扇子を閉じる。

 博士も椅子から飛び上がった。

 空間が縦に裂け、黒紫色の転送ゲートが開いていく。

 

「まさか……」

 

 婦人の顔から血の気が引く。

 

「イヴィト副大隊長の抜き打ち訪問ですの!?」

 

「ま、待ってください! まだ反省文も、次の作戦書も完成していませんよ!」

 

「とにかく土下座ですわ!」

 

「早い! 判断が早すぎます!」

 

「生き残るための判断に、早すぎるということはありません!」

 

 二人が慌てて床へ膝をつこうとした時。

 ゲートの向こうから、鋼色の機械の体を持つ鳥型のデビガノイドが歩いてきた。

 

 厚い胸部装甲。長い四肢。鋭く突き出した嘴。

 後頭部へ流れる、羽根を模した金属板。

 左右の小さな目が、赤い光を明滅させている。

 

 本部製自律型秘書悪魔兵器。

 

 D‐22――イポス。

 

『朝っぱらから、景気の悪い話しとるがね』

 

「イポス……様?」

 

 婦人が膝を曲げた中途半端な姿勢のまま、目を見開いた。

 イポスの型式番号と名前は知っている。

 イヴィト副大隊長の秘書を務める、本部製の高性能デビガノイド。

 

 直接顔を合わせるのは、これが初めてだった。

 イポスは、鳥型の威圧的な外見には似つかわしくない、人間臭い仕草で腰へ片手を当てた。

 

『今のわしは、副大隊長代理だでね。これからちゃんと覚えといてちょうよ』

 

「副大隊長代理?」

 

 博士が首を傾げる。

 

「イヴィト副大隊長は、どうされたのです?」

 

『ちょいと出かけとる』

 

「どちらへ?」

 

 婦人が尋ねる。

 イポスは、呆れたように後頭部の金属板を揺らした。

 

『シータアース――つまり、ここだがね』

 

「イヴィト副大隊長が、すでにこの世界へ?」

 

 婦人と博士が顔を見合わせる。

 

『ほうだがね。護衛もつけず、一人でふらふらしとる。危ないことするな言うても、ちいとも聞きゃあせんでかんわ』

 

「何をするために?」

 

『それを素直に教えてくれる相手なら、わしも苦労しとらんがや』

 

 イポスは片手を上げた。

 

『まあ、その話は後だがね。今日は支援物資を持ってきたでよ』

 

 その言葉と同時に、イポスの背後で転送ゲートが大きく広がる。

 重い駆動音を響かせ、複数の金属製コンテナが廃工場の中へ運び込まれてきた。

 

 大きなコンテナが三つ。

 

 一つ目の蓋が開く。

 

 紫色の煙の中に、一本の黒い鍵が収められていた。

 

「デビルキー!」

 

 博士の目が輝く。

 続いて、残り二つのコンテナが開いた。

 内部には、黒い人形のような兵士が規則正しく並んでいる。

 

 デビドール。

 

 すべて休眠状態だが、起動すればすぐに戦闘へ投入できる。

 

「一、二、三……」

 

 博士が夢中で数え始める。

 

「三十体! デビドールが三十体も!」

 

「ずいぶんと太っ腹ですわね」

 

 婦人は喜ぶより先に、目を細めた。

 支援縮小を言い渡されている先行部隊へ、急にこれだけの物資が送られてきた。

 何か裏があると考えるのが当然だった。

 

「本当に、すべて我々が使ってよろしいのですか?」

 

『構わんよ。デビルキー一本と、デビドール三十体。副大隊長代理権限で支給したる』

 

 イポスは腕を組む。

 

『後から帳尻合わせて、記録を誤魔化すのは、どうせわしだがね』

 

「それは……ご苦労様です」

 

『ほんとだがね』

 

 博士はすでに婦人たちの会話をほとんど聞いていなかった。

 コンテナの中を覗き込み、興奮したように両手を広げる。

 

「これだけあれば、大規模な悪魔空間の展開も狙えます!」

 

『——いや、それは後回しだがね』

 

 博士の動きが止まった。

 

「……後回し?」

 

『今回は、悪魔空間の完全展開を目標にせんでええ』

 

「では、魔法少女たちの撃破ですの?」

 

 婦人が尋ねる。

 

『それも、できればでええよ』

 

 婦人と博士が、再び顔を見合わせた。

 

 悪魔空間を完全展開しなくていい。

 魔法少女を倒さなくてもいい。

 それならば、何のために、これだけの物資を使うのか。

 

 イポスは一本の指を立てた。

 

『今回の最優先事項は、、()()()()だがね』

 

「時間稼ぎ?」

 

 二人の声が重なる。

 

『デビルキーで人間をデモンコアへ変える。そいつを使って、博士がデビガノイドを作る。やること自体は、いつも通りだがね』

 

 イポスは並んだデビドールへ視線を向ける。

 

『ほいで、デビドールも全部投入して、魔法少女どもを、できるだけ長いこと引きつけとってちょう』

 

「これだけの兵力を使いながら、勝利ではなく時間を稼げと?」

 

 博士は理解できないという顔で聞き返した。

 

『そういうことだがや。それと、悪魔空間を展開する()()は、こっちで指定するでね』

 

「場所まで指定するのですか?」

 

『今回は、そこを間違えたら意味がないがや。指定した地点からデビガノイドを動かさんようにしてちょう』

 

「……納得できませんわ」

 

 婦人が扇子を広げる。

 

「これだけの兵力があるのなら、悪魔空間を完全に展開し、町の侵略を進めるべきではありませんこと?」

 

『今回は、イヴィトの用事が済むまで持たせればええ』

 

 イヴィトの名前が出たことで、婦人の表情が変わる。

 

「イヴィト副大隊長は、この世界で何かを企んでいるのですか?」

 

『何か企んどるのは間違いないでね』

 

「具体的には、何を?」

 

 イポスは腕を組んだ。

 

『知らん』

 

「知らない?」

 

『わしにも何も教えとらんがや』

 

 イポスの赤い目が、不満そうに何度か明滅する。

 

『あの子は昔っから、肝心なことほど一人で抱え込むでかんわ。危ないことするな言うても、聞きゃあせん』

 

 悪の組織の副大隊長を語っているはずなのに、その口調は、勝手に出歩く子供を心配する中年男性のようだった。

 

「では、いつまで時間を稼げばよろしいのです?」

 

『なるべく派手に暴れて、長いこと引きつければそれでええよ』

 

 博士が顔を引きつらせる。

 

「ずいぶん無責任な作戦ですね!?」

 

『代理のわしに言われても困るがや』

 

「副大隊長代理なのでしょう!?」

 

『代理は代理だがね。本人が何も教えんもんを、わしが知っとるわけあらせんがや』

 

 イポスは転送ゲートへ戻りながら、婦人たちへ振り返った。

 

『とにかく、今回は勝とうとせんでもええ』

 

 一度言葉を切る。

 

『負けるにしても、すぐには負けんでちょうよ』

 

「最初から負けることを前提にしないでくださいまし!」

 

『今までの結果を見とると、念のため言っとかんと不安だがね』

 

「失礼ですわ!」

 

「でも否定しきれませんね!」

 

「博士!」

 

 イポスは嘴の奥から、ため息のような駆動音を鳴らした。

 

『それから、デビルキーは一本だけだでね。素材選びは慎重にしやあよ』

 

「もちろんですわ」

 

『ただ悪意が強いだけじゃいかんよ。今回は、魔法少女どもが()()()()()()()()がええ』

 

 イポスは指を折りながら条件を並べる。

 

『耐久力があって、大勢を巻き込めて、指定した地点へ居座り続けられるデビガノイドがええ』

 

 博士は顎へ手を当てた。

 

「簡単に言ってくれますね……」

 

『簡単じゃないで、デビルキーと兵隊を三十体も出しとるんだがや』

 

 イポスは片手を上げる。

 

『デビガノイドができた段階でまた連絡する。ほんなら、頼んだでね』

 

 転送ゲートが閉じた。

 廃工場には、一本のデビルキーと、三十体のデビドールが残される。

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 博士が、コンテナへ並ぶデビドールを見つめる。

 

「……本当に、何を企んでいるんでしょうね」

 

「分かりませんわ」

 

 婦人は、黒いデビルキーを手に取った。

 これだけの支援を与えながら、求められているのは勝利ではない。

 

 時間だけ。

 

 イヴィトが何をしているのか。

 なぜ、魔法少女たちを引きつけなければならないのか。

 なぜ、悪魔空間を展開する場所まで指定されるのか。

 

 何一つ知らされていない。

 

「ですが、命令は命令です」

 

 婦人はデビルキーを目の高さへ掲げる。

 黒い表面に、廃工場の紫色の照明が反射した。

 

「まずは、このデビルキーに相応しい人間を探しましょう」

 

「時間稼ぎに適した頑固なデビガノイド……ですか」

 

 博士は腕を組み、考え込む。

 まだデビガノイドの姿は決まっていない。

 どのような人間が選ばれるのかも。

 

 ただ一つ、確かなことがある。

 

 次にデモンコアへ変えられる人間もまた、心の中に十分な悪意を抱えた者だ。

 

 婦人はデビルキーを握りしめる。

 

 ()()()()()()()()()

 

 それがかえって、今まで受けたどの命令よりも、不気味に感じられた。

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