魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
いつも読んでいただきありがとうございます!
現在、仕事のストレスで少し体調を崩しており、予定通り(平日毎日)の投稿が難しい日が出てくるかもしれません。
マイペースではありますが、無理のない範囲で書き進めていきますので、温かく見守っていただけると幸いです。よろしくお願いします!
ローズがジムを出てから、しばらく後。
五月女家のリビング。
窓から差し込む朝の日差しが、棚の上に飾られた一枚の写真を柔らかく照らしている。
警察官の制服を着た、一人の女性。
——五月女あやこ。
十四年前に殉職した、ゲキの妻であり、エミカの母親だった。
その遺影の隣に置かれた花瓶から、ゲキは少し萎れ始めた花を抜いていく。
空になった花瓶を台所へ運び、水を入れ替える。
新しく用意した花の茎を一本ずつ切りそろえ、花瓶へ挿した。
大きな手には似合わない、丁寧な作業だった。
「エミカの身体の怪我は、もう治ったよ」
新しい花の向きを整えながら、ゲキが遺影へ話しかける。
ゲキは時々こうして妻へ家族の近況を報告していた。
「骨も筋肉も、医者からは問題ないと言われた。今は魔法回路のリハビリに集中している」
肉体の怪我は完全に回復した。
日常生活を送るだけなら、もう支障はない。
しかし、悪魔の力によって傷ついた魔法回路は、今も完全には治っていなかった。
少量の魔力を流し、痛みや異常が起きないか確かめる。
休ませ、また少し流す。
それを何度も繰り返し、傷ついた回路を少しずつ魔力に慣らしていく。
地味で、時間のかかるリハビリだった。
「本人は平気な顔をしているけど、やっぱりつらそうだ」
ゲキは苦笑する。
焦りもあるのだろう。
各地では今も、異次元敵性存在による事件が起きている。
自分以外の魔法少女が戦っている。
父親まで戦場へ出ている。
エミカが早く復帰したいと願うのは、当然だった。
「リハビリの知識はあるが、魔法関連はさっぱりだ。だが、俺なりに支えているつもりだ」
ゲキは遺影を見つめる。
「君なら、もっと上手く励ませたのかもしれないけどな」
写真の中のあやこは、穏やかに笑っている。
ゲキは花瓶を遺影の隣へ戻した。
「学校の成績は、まあ……そこそこだ」
少しだけ言葉を選ぶ。
「怪我で休んでいた期間を考えれば、悪くはない……と思う。本人はもう少しできると言っていたが、テストの点数を見る限り、本人の努力次第だな」
ゲキは腕を組む。
「勉強は、俺より君に似てほしかった」
当然、遺影は答えない。
「ハハハ。いや。今のはエミカには内緒にしてくれ」
ゲキは小さく笑った。
魔法少女として戦えない今も、エミカは何もしていないわけではない。
放課後になると、以前ゲキが贈ったフラワーメイデンの衣装へ着替え、町へ出ている。
本物の変身衣装ではない。
魔力で生み出されたものでもなく、戦闘能力を与える力もない。
それでも、フラワーメイデンの姿を再現した大切な衣装だ。
エミカはその衣装を着て町を歩き、困っている人を探している。
道に迷って泣いている子供を交番へ連れていく。
高齢者の重い荷物を持つ。
落とし物を見つければ、持ち主が見つかるまで走り回る。
迷惑な路上駐車を見つけて、警察へ連絡することもある。
昨日は、公園の木から降りられなくなった猫を助けようとして、自分まで木の上で動けなくなった。
最終的に、ゲキが迎えに行くことになった。
「自分のできることを、全力でしている」
ゲキは呆れたように息を吐く。
「君に似て、呆れるほどのお人よしだ」
ほんの少し間を置く。
ゲキの表情が、静かに緩んだ。
「……でも、、
魔法が使えなくても。
怪人と戦えなくても。
フラワーメイデンとして誰かを助けることを、エミカは諦めていない。
その姿は、かつて警察官として町を守っていた妻によく似ていた。
「君が見たら、きっと同じことを言うんだろうな」
無茶はするな。
でも、困っている人を見捨てるな。
矛盾しているようで、あやこなら本気で両方を口にしたはずだ。
その時。
テーブルの上に置いていたスマートフォンが振動した。
着信音が静かなリビングに響く。
ゲキはスマートフォンを手に取った。
ミププのストラップが揺れる。
画面に表示されているのは、登録されていない番号だった。
「……誰だ?」
最近はC.H.A.R.M.関係者や、魔法少女関係の連絡も増えている。
無視することもできず、ゲキは通話ボタンを押した。
「五月女です」
『突然のお電話、申し訳ありません』
聞こえてきたのは、女性の声だった。
落ち着いていて、どこか温かみがある。
『私、橙乃望音と申します』
「橙乃……?」
聞き覚えのない名前だった。
『C.H.A.R.M.に所属し、現在は特殊監獄で看守を務めています』
特殊監獄。
聞き馴染みはないが、警戒するには十分な名称。
ゲキの表情から先ほどまでの柔らかさが消えた。
「C.H.A.R.M.の方が、俺にどのようなご用件ですか?」
声は落ち着いている。
だが、警戒は隠していない。
望音は少し間を置いてから答える。
『……これからお伝えすることは、すでに関係部署から連絡の許可を得ています』
「……?」
『本来であれば、別の担当者から通知される予定でした』
望音の声には、わずかな迷いがあった。
『五月女ゲキさんと、娘さんの資料を読ませていただきました』
「俺とエミカの?」
『はい』
ゲキは黙って続きを待った。
『娘さんが魔法少女フラワーメイデンとして戦い、大きな怪我を負ったこと。そして現在、ゲキさん自身が魔法少女として戦場へ立っていることも』
「それが、今回の話と関係が?」
『直接は関係ありません』
望音は、正直に答えた。
『でも、これから伝える人物が五月女家にとって、どのような存在なのかも資料に記されていました』
ゲキの視線が、遺影へ向く。
電話の相手が何を伝えようとしているのか。
まだ名前は聞いていない。
それでも、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
『知らない方がいいのかもしれないと、伝えるべきか迷いましたが……』
望音の声が静かに続く。
『五月女家には、特にゲキさんには、知る権利があると判断しました』
ゲキはスマートフォンを握る手に、わずかに力を入れた。
「……聞かせてください」
電話の向こうで、望音が小さく息を吸う。
『囚人番号三二六九番』
その番号を、ゲキは知らなかった。
だが、次に告げられた名前は違った。
『本名、
ゲキの目が大きく見開かれる。
空気が止まった。
「……天重、創吉……だと」
忘れもしない。十四年前。
自らを救世主と称し、歪んだ正義を掲げたテロ組織の首領。
謎の力を使い、多くの人間を傷つけた男。
その組織が起こした事件により、警察官だった五月女あやこは殉職した。
妻を失った日から、十四年間。
ゲキが一度も忘れたことのない名前だった。
『天重創吉の死刑執行について、正式な関係者通知が出ました』
ゲキは何も答えなかった。
答えられなかった。
遺影の中で笑う妻と、今聞かされた男の名前が、頭の中で重なる。
「……いつです?」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど低かった。
『
「三日後……か」
『はい』
捕らえられてから、十四年間。
白い監獄へ閉じ込められていた男の命が、三日後に終わる。
長かったはずの十四年。
それが、あと三日という短い時間へ変わった。
ゲキは遺影から目を離せなかった。
『遺族として、執行前にお伝えしておくべきだと判断されました』
望音は続ける。
『執行への立ち会いを求めるものではありません。ゲキさんに何かをしていただく必要もありません』
「では、どうしてあなたが?」
ゲキが尋ねる。
『天重創吉を捕らえたのは、私だからです』
ゲキの眉が、わずかに動く。
『当時、私は魔法少女として活動していました。マギア・ミューズという名前で』
「あなたが、天重を……」
『はい……彼は悪魔の力を使っていました。当時魔法少女だった私たちが対処にあたっていました』
「裁判も非公開だったな」
『ええ。今とは違い、当時は異次元敵性存在や、それに関わる力の存在は、一般には秘匿されていました』
十四年前。
天重創吉のテロ組織を追い詰め、男を捕らえた魔法少女。
その本人が、今は看守として天重の監視を続けている。
「十四年間、ずっと彼を見張っていたんですか?」
『……ずっとではありません。一度は看守を離れていました』
望音の声に、わずかな苦笑が混じった。
『でも、最後まで見届けるために戻りました』
「最後まで……か」
『私は、死刑執行の日まで天重創吉を監視します』
温かみのある声だった。
それでも、その言葉には揺るがない決意があった。
『それが、彼を捕らえた魔法少女としての
ゲキには、望音の考えが正しいのか分からなかった。
十四年前に自ら捕らえた罪人と、再び向き合う。
そして、その死まで見届ける。
それがどれほど重いことなのか、ゲキには想像することしかできない。
「……連絡、感謝します」
ゲキは静かに答えた。
『突然、申し訳ありませんでした』
「いえ。知らないまま当日を迎えるより、よかったと思います」
それが本心なのかは、自分でも分からなかった。
『それでは、失礼します』
「橙乃さん」
通話を切ろうとした望音を、ゲキが呼び止める。
『はい』
「天重は……彼は何か話していますか?」
自分でも、なぜそんなことを聞いたのか分からない。
反省しているのか。
妻について何か話したのか。
死を恐れているのか。
あるいは、今でも自分の行いを正しいと思っているのか。
望音は、少しだけ沈黙した。
『少なくとも、私の前では何も』
その答えだけで、十分だった。
「そうですか」
『ただ……』
望音が言葉を続ける。
『十四年間、真っ白な牢の中にいながら、彼は一度も壊れませんでした』
「……」
『何を考えているのか、今でも分からない男です。最後まで油断はできません』
看守としての警戒が、望音の声に表れていた。
「分かりました」
『では、今度こそ失礼します』
通話が切れた。
静かなリビングに、何も聞こえなくなる。
ゲキはスマートフォンを握ったまま、その場に立っていた。
三日後。
天重創吉が死ぬ。
妻を殉職へ追い込んだテロ組織の首領。
十四年間、生き続けていた男。
その命が、三日後に終わる。
喜ぶべきなのか。
安心するべきなのか。
ようやく罰を受けるのだと、笑えばいいのか。
何一つ、分からなかった。
天重が死んでも、あやこは帰ってこない。
エミカが母親と過ごせなかった十四年間が戻ることもない。
五月女家に空いた穴が、埋まるわけでもない。
ゲキは遺影の前へ歩み寄る。
新しく生けた花へ、指先でそっと触れた。
「……三日後だそうだ」
写真の中のあやこへ告げる。
「君を殉職に追い込んだ男が、三日後に死ぬ」
遺影は何も答えない。
「君は、どう思う?」
穏やかな笑顔だけが、ゲキを見つめている。
ゲキは目を伏せた。
「俺は……まだ、分からない」
Θ
昼。
雨玻町の大型商業施設は、多くの買い物客で賑わっていた。
休日ということもあり、家族連れや学生たちが店舗の間を行き交っている。
その中を、長い赤髪の大男が歩いていた。
——ローズである。
片手には洋服店の紙袋。
もう片方の腕にも、雑貨店やアクセサリーショップの袋がいくつか提げられている。
「これは自己投資……」
ローズは紙袋を見下ろし、自分へ言い聞かせる。
「こっちは心を整えるための必要経費。これは可憐さを維持するための先行投資……」
先ほど立ち寄った店で、薔薇をあしらった新しい髪飾りを見つけた。
少し高かった。
その隣にあった薄紅色のストールも、季節が変われば使える。
さらに店員から勧められた香水も、今まで使ったことのない華やかな香りだった。
「どれも無駄ではないわ……ええ」
誰に聞かれたわけでもないのに、ローズは胸を張る。
「可憐さは、一日にして成らずよ」
買い物を始めた直後より、気分は少し晴れていた。
可愛い服や美しい小物を眺めている間は、余計なことを考えずに済む。
それでも、ふとした瞬間に尼野柚のことが頭をよぎる。
今、どこで何をしているのか。
学校を辞めてから、どう暮らしているのか。
家族との関係はどうなっているのか。
「……いけないわね」
ローズは首を横に振る。
ゲキの言う通り、退学したという情報だけで、柚が人生を投げ出したと決めつけるべきではない。
本人の選択を知りもしないまま、勝手に不幸だと考えるのも失礼だった。
そう思いながら歩いていた時。
「——ねえ、いいじゃん。ちょっとだけだからさ」
通路の先から、若い男の声が聞こえた。
「一人で買い物してたんでしょ?」
「俺たちと遊びに行こうよ」
ローズが視線を向ける。
壁際に、高校生くらいの少女が立っていた。
淡い色のブラウス。
膝丈のスカート。
肩から下げた、小さなショルダーバッグ。
髪は肩にかかる程度で、毛先を内側へ軽く巻いている。
服装も化粧も可愛らしい。
だが、どこか着慣れていない様子だった。
少女の前には、二人の若い男が立っている。
逃げ道を塞ぐように距離を詰めながら、しつこく声をかけていた。
「ご、ごめんなさい。俺……じゃなくて、私、そういうのは……」
「そんな警戒しなくてもいいって」
「連絡先だけでも交換しようよ」
少女ははっきりと拒んでいる。
しかし、男たちは離れようとしない。
ローズの表情から笑みが消えた。
「まったく……その子、嫌がっているわよ」
低く、よく通る声が響く。
男たちが振り返る。
最初に視界へ入ったのは、ローズの胸板だった。
次に、太い腕。
さらに視線を上げ、ようやくローズの顔を見る。
「な、何だよ、あんた……」
「通りすがりの可憐な乙女よ。男ならもっと紳士的にナンパしなさい」
「お、乙女……?」
ローズが一歩前へ出る。
男たちは同時に一歩下がった。
ローズは笑顔を浮かべている。
だが、その背後には筋肉による圧倒的な威圧感があった。
「本人が嫌だと言っているのに、何度も誘い続けるのはダメよ。か弱い子を怖らせるのは男の風上にも置けないわ」
ローズは紙袋を片腕へまとめ、空いた手を軽く握る。
腕の筋肉が盛り上がった。
着ていた長袖の布地が、わずかに張り詰める。
「なんだったら、代わりにアタシが相手をしてあげましょうか? ちょうど暇だったのよ……子犬ちゃんたち」
「い、いや……」
「も、もう行こうぜ」
「お、おおおう」
二人の男は互いの顔を見合わせると、逃げるようにその場を去っていった。
ローズはその後ろ姿を見送り、少女へ向き直る。
「……大丈夫かしら?」
「あ……ありがとうございます」
返ってきた声は、見た目から想像していたより少し低かった。
近くで見れば、化粧の下にある顔立ちや体格にも、少年らしさが残っている。
——少女ではない。
可愛らしい女性の服を身につけた、高校生くらいの少年だった。
ローズは驚いた様子を見せなかった。
誰がどのような服を着ようと、その人の自由だ。
むしろ気になったのは、少年がまだその姿に慣れていないことだった。
「初めて一人で、その格好をして出かけたの?」
「え?」
「歩き方も、バッグの持ち方も、少し緊張しているもの」
少年は恥ずかしそうに、バッグを胸元へ引き寄せた。
「……分かりますか?」
「あら、アタシを誰だと思っているの?」
ローズは赤い髪を払う。
「可憐さについては、少しばかり先輩よ」
「可憐……」
少年が顔を上げ、ローズの姿を、まじまじと見つめる。
長い赤髪。
鍛え抜かれた体。
華やかな服装。
低く、優しい声。
少年の表情が徐々に変わっていく。
「その声……もしかして!」
「ん? どうしたの?」
「……」
少年の目が大きく見開かれた。
「ローズ・アンリミテッド……?」
今度は、ローズが目を見開く番だった。
「ど、どうして、その名前を?」
変身前と変身後では、認識をずらす魔法が働いている。
魔法少女の姿を見た者が、変身前の人物を見ても、同一人物だと簡単には気づかない。
家族や、よほど深く関わった人間でもなければ、見破ることは難しいはずだ。
少年はローズの顔を見つめたまま答える。
「顔で分かったんじゃありません」
「え?」
「
少年は、自分の胸元へ手を当てる。
「あの時、聞いた声と同じだから」
あの時。
その言葉に、ローズの胸が小さく鳴った。
「真っ暗なところで、俺に手を伸ばしてくれた」
少年の声がわずかに震える。
「大丈夫だって。
ローズの手から、紙袋が一つ滑り落ちた。
中に入っていた髪飾りの箱が、軽い音を立てる。
少年はローズの前へ進み出た。
「やっぱり、ローズ・アンリミテッドですよね?」
ローズは答えられない。
少年の目元。声。
そして、魔法を通じて一度触れた心の気配。
服装も髪型も、以前とは大きく違っている。
それでも、間違えるはずがなかった。
「あなた……まさか」
少年は大きく息を吸う。
そして突然、ローズの前で深く頭を下げた。
「お願いします!」
「え?」
「俺を――」
少年は一度言葉を止める。
「いえ、私を
周囲を歩いていた買い物客たちが、一斉に振り返る。
可愛らしい服を着た少年が、大量の買い物袋を持った筋骨隆々の大男へ、深々と頭を下げている。
ローズは完全に固まっていた。
突然現れた人物。周囲の視線。
そして、唐突な弟子入り。
少し前。
ローズ自身がSAOTOME GYMを訪れた時の光景が、頭の中に蘇る。
『どうか、アタシを弟子にしてください』
ジムの空気が止まり、ゲキが困惑した顔で自分を見つめていた。
あの時は、どうしてゲキがすぐに話を理解してくれないのか不思議だった。
だが今なら分かる。
あまりにも突然すぎるのだ。
ローズは心の中で呟いた。
――あの時のゲキも、こんな気持ちだったのかしら。
「あの……」
少年が、不安そうに顔を上げる。
改めてその顔を見たローズは、確信した。
「柚……くん?」
少年はまっすぐにローズを見る。
「はい」
かつて二度もデモンコアにされ、ローズが心の奥から救い出した少年。
そして今朝、自主退学したと知らされたばかりの尼野柚。
その本人が、可愛らしい服に身を包み、ローズの目の前に立っていた。
「尼野柚です」