魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
大型商業施設から少し離れた場所にある、小さな公園。
昼下がりの園内では、幼い子供たちが遊具の周りを走り回り、離れた場所では数人の高齢者がゲートボールを楽しんでいた。
その片隅。
木陰に置かれたベンチへ、ローズと尼野柚は並んで座っていた。
ローズの隣には、商業施設で買った大量の紙袋が並べられている。
「……C.H.A.R.M.から聞いたわ」
ローズは隣に座る柚を見た。
「どうして、学校を辞めたの?」
柚はすぐには答えなかった。
可愛らしい服の膝元で、両手を握り合わせる。
少しの沈黙の後、柚は俯いたまま口を開いた。
「ローズさんが思ってる通りです」
「アタシが思ってる通り?」
「学校に、居場所がなくなったんです」
ローズの表情がわずかに曇る。
柚は自嘲するように笑った。
「普通の生活に戻って、今までのことをやり直そうと思ったんです。C.H.A.R.M.の人にも、少しずつでいいからって言われました」
「……」
「でも、普通に戻るって、俺が思ってたより難しかったです」
柚がデモンコアへ変えられた時。
その場には、当時つるんでいた友人たちがいた。
胸を黒い鍵で貫かれ、人間の体が赤黒い球体へ変わっていく。
その異常な光景を、彼らは間近で目撃していた。
「最初は、見舞いにも来てくれたんです」
柚は言った。
「でも、俺……病院で暴れたらしくて」
「それは、あなたの意思じゃないわ」
「分かってます。C.H.A.R.M.の人からも、悪魔の力が残ってたせいだって説明されました」
ローズは黙って続きを待つ。
「でも、あいつらには、そんなの関係なかった」
柚の声が少しだけ低くなる。
「一度人間に戻った俺が、病院でまた暴れた。看護師さんや職員の人に怪我をさせた。その後、また赤い球になって、連れ去られた」
「……」
「俺の中には、まだ悪魔がいるって」
ローズの指が、膝の上でわずかに動いた。
「また突然、怪物に変わるかもしれない。近くにいたら、自分たちも巻き込まれる。俺に触ったら悪魔が移るって話まで出てました」
「そんな……」
柚は乾いた笑いを浮かべた。
「否定しました。でも、誰も俺を信じなかった……当然です」
「……」
「俺は最低な人間だった」
柚は自分の手を見つめる。
「学校じゃ、上のグループにいるつもりでした。俺に逆らったら学校で居場所がなくなるって、周りに思わせてた」
かつての柚の声が、蘇る。
金を出せ。
俺に逆らうのか。
自分のような人間と話せるだけでも、ありがたいと思え。
そう言って、自分より弱い相手を脅していた。
「俺が何を言っても、信じてくれる奴なんていなかったんです」
柚は静かに続ける。
「『悪魔はもういない』って言っても、『また暴れたりしない』って言っても……今まで散々、人を脅してきた奴が言ったところで、信じられるわけないですよね」
「……」
「元友人が噂を広めたのは本当です。でも、あいつらだけが悪いわけじゃありません」
柚は顔を上げた。
「俺が今まで、周りを押さえつけてたからです。俺のことを信じたいって思ってくれる奴を、
ローズは何も言わなかった。
柚は責任から逃げようとしていない。
自分が被害者だった部分だけを切り取り、同情を求めようともしていない。
「前に金を取った人たちには、覚えている限り、全員に返しました」
ローズが目を見開く。
「お金はご両親に出してもらったの?」
「違います」
柚は首を横に振る。
「今まで貯めてた金と、持ってた物を売りました。それでも足りない分は、両親に借りました」
「……そう。そこまでしたのね」
「それから、一人ずつ会って、謝りました」
柚は膝の上で拳を握る。
「もちろん、すぐには会ってくれない人もいました。学校の先生に間に入ってもらったり、手紙だけ渡したりもしました」
「許してもらえた?」
「許してくれた人もいました」
柚は少しだけ寂しそうに笑った。
「『もう関わらないなら、それでいい』って言われた人もいます」
「……」
「許してくれなかった人もいました」
その声に、恨みはなかった。
「顔も見たくないって言われました。今さら金を返して謝ったからって、やったことが消えるわけじゃないって」
ローズは視線を落とす。
「……そうね。許せない人がいるのも、当然だと思うわ」
「はい」
柚は即答した。
「でも、俺より、あの人たちの方がずっとつらかったはずです」
「……」
「俺が謝ったからって、許さなきゃいけない理由なんてない」
柚は自分へ言い聞かせるように続けた。
「「
ローズの胸に、その言葉が静かに落ちた。
ほんの少し前まで、ローズは柚が学校で孤立し、誰にも支えられずにいることばかりを心配していた。
だが、柚はただ孤独に押し潰されていたわけではない。
過去から逃げず、自分なりに責任を取ろうとしていた。
「野球部にも、入ろうとしたんです」
柚が続ける。
「野球部に?」
ローズは、デモンコアの中で見た光景を思い出した。
古びた野球ボール。
一人で繰り返した素振り。
泥だらけになりながら、誰かに見てもらえる日を待っていた少年。
「まだ野球を続けたいと思っていたの?」
「……分かりません」
柚は正直に答えた。
「もう一度やれば、昔みたいに夢を追えるかもしれないとは思いました」
学校へ復帰した柚は、野球部の顧問へ入部を申し出た。
——しかし、受け入れてはもらえなかった。
「理由は、俺の素行です」
柚は苦笑する。
「他の部員と問題を起こす可能性がある。チーム競技だから、技術だけじゃ受け入れられないって」
「……」
「当然だと思います」
ローズが何か言う前に、柚が続けた。
「俺だって、自分の大事なチームに、カツアゲや喧嘩をしてた奴が入ってきたら嫌です」
静かな言葉だった。
「信じてもらうには、時間が必要なんだと思います」
柚は遠くのグラウンドへ目を向ける。
ゲートボールの球が転がり、杖で打たれて方向を変えた。
「でも、耐えられませんでした」
廊下を歩けば、視線が向く。
教室へ入れば、話し声が止まる。
机や鞄へ触れれば、近くの生徒が距離を取る。
また怪物になる。
病院で人を襲った。
悪魔とつながっている。
事実に混じって、根拠のない噂が膨らんでいった。
「先生からは、少し環境を変えた方がいいんじゃないかって言われました」
「……退学しろ、と?」
「そこまでは言われてません」
柚は首を横に振った。
「休学とか、転校とか。別の場所でやり直す方法もあるって言われました」
「それなら、どうして退学を?」
「もう、疲れてたんです」
柚は小さく笑う。
「先生が俺を追い出したかったのか、本当に俺のためを思ってたのかは分かりません」
「……」
「でも、どっちでもよかった。俺も、あの学校に残り続ける自信がなくなってたから」
最後は、自分で退学届に名前を書いた。
誰かに腕を掴まれて、無理やり書かされたわけではない。
それでも、ほかに選べる道が見えなくなっていた。
「ご両親は?」
ローズが尋ねる。
柚の表情が曇った。
「怒りました」
「……当然でしょうね」
「父親には、せっかく学校に戻れたのに、何を考えてるんだって言われました。母親には、これからどうするつもりなのって泣かれました」
柚の両親は、デモンコアから戻った直後、病院まで見舞いに来ていた。
悪魔エネルギーに心を侵されていた柚には、その声も届かなかった。
だからといって、もともと良好な親子関係だったわけでもない。
「昔から、あまり話をする家じゃありませんでした」
柚はぽつりと言う。
「野球のことを話しても、金がかかるとか、勝手にやれとか、そんな話ばかりで」
「……」
「でも、病院に来てくれたのは覚えてます。俺が目を覚ました後も、心配はしてくれてました」
柚は両親まで悪者にするつもりはないらしい。
「学校を辞めてから、毎日のように喧嘩になりました」
「それで、家を出たの?」
「はい」
「追い出された?」
「……半分は」
柚は困ったように笑う。
「このまま一緒に住んでたら、もっとひどいことを言い合うだけだからって。父親が、小さい部屋を借りてくれました」
「一人暮らしをしているのね」
「家賃と最低限の生活費は、今のところ両親が出してくれてます」
柚は少しだけ目を伏せる。
「最後の情けだって言われました」
言葉だけを聞けば冷たい。
しかし、本当に完全に見捨てたのなら、部屋を借り、生活費まで支えることはない。
ローズはそう思ったが、今は口にしなかった。
「アルバイトも探してます。いつまでも両親に払ってもらうわけにはいきませんから。学校についても、通信制とか定時制とか、調べてます」
ローズが柚を見る。
「ちゃんと先のことを考えているのね」
「退学したままでいいとは思ってません」
柚は、はっきりと答えた。
「すぐに決められるかは分かりませんけど。今度は、逃げた勢いで決めたくないんです」
「それがいいわ」
ローズは小さく頷いた。
柚は、何も考えず人生を投げ出したわけではなかった。
道を見失いながらも、自分なりに次の道を探している。
「……もう、夢だったプロ野球選手にはなれません」
「どうして、そう言い切るの?」
「分かるんです」
柚の答えは静かだった。
「本気で目指してる人は、ずっと続けてます。強い学校に行って、毎日練習して、試合に出てる」
柚は自分の手を見る。
「俺は途中で辞めました。学校でも問題を起こして、今は高校にすら通ってない」
「……」
「もう一度始めることはできるかもしれません。でも、プロを目指すって言えるほど、甘い世界じゃないです」
ローズは否定しなかった。
何でも「諦めなければ叶う」と言うことは簡単だ。
しかし、努力だけでは届かない夢もある。
環境や時間によって、閉ざされる道もある。
ローズ自身、それを知っている。
「悔しい……わよね」
「はい。悔しいです」
柚は答えた。
「今でも野球を見るのは好きです。ボールもグローブも、捨てられませんでした」
「なら――」
「でも」
柚がローズを見る。
「「
その目には、先ほどまでとは違う光があった。
ローズは何も言わず、続きを待つ。
「デモンコアにされてた時のことは、ほとんど覚えてません」
柚は胸元を押さえる。
「昔の嫌な記憶ばかり、何度も見せられてました」
一人で練習した夜。
試合に誰も来なかった日。
道具を買ってもらえなかったこと。
夢を笑われたこと。
やがて弱い相手を見つけ、自分が上にいると思い込もうとしたこと。
「ずっと苦しかった」
「……ええ」
「暗くて、息ができなくて。怒ってるのに、何に怒ってるのかも分からなくなって」
柚の指が、服の上から胸を掴む。
「もう、このまま消えるんだと思いました」
ローズの胸が痛んだ。
「でも、声が聞こえたんです」
柚がローズを見た。
「最初は、うるさいと思いました」
「あら」
「俺のことなんて何も知らないくせに、勝手なことを言うなって」
「そう思うのも無理はないわね」
「でも、その声は消えなかった」
苦しかったのね。
もう、自分も誰かも傷つけなくていい。
夢は、あなたをいじめるためにあったんじゃない。
もう一度、手を伸ばして。
「最後に、大丈夫だって言ってくれた」
柚の声が、わずかに震えた。
「
ローズは目を伏せる。
自分が何も見ていなかったと悩んでいた、その言葉。
だが柚にとっては、その言葉が暗闇から戻るための道標になっていた。
「人間に戻ってから、ローズ・アンリミテッドのことを調べました」
「アタシのことを?」
「C.H.A.R.M.の人から、俺を助けたのはゲキ・マキシマムと、新しく現れた魔法少女だって聞きました」
その後、ネット上の映像も見た。
デビガノイドへ立ち向かう、薔薇色の魔法少女。
長い赤髪。
鍛え抜かれた肉体。
華やかな衣装。
そして、苦しんでいる人間を最後まで見捨てなかった姿。
「すごいと思いました」
柚は微笑む。
「強くて、綺麗で、可憐で」
「まあ」
ローズの頬が少しだけ緩む。
「それに、俺みたいな奴にも手を伸ばしてくれた」
ローズの表情が変わる。
「俺、最初は見た目から真似しました」
柚は自分の服へ視線を落とす。
「メイクの動画を見て、安い化粧品を買って、何度も練習しました。服も、古着屋とか通販とかで探して」
「なるほどね」
ローズは改めて柚を見る。
化粧には、まだ少し不慣れな部分がある。
服の組み合わせも、完璧とは言えない。
しかし、自分に似合う色や形を考えて選んだことは分かる。
ただ女性物の服を着ただけではない。
どうすれば可愛く見えるのか。
どうすれば、自分が好きだと思える姿になれるのか。
柚なりに考え、試し、努力した跡があった。
「十分、可愛らしくなっているわよ」
「本当ですか?」
「ええ。メイクは少し直した方がいいところもあるけれど、初めてにしては上出来よ」
柚の顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「服の色も似合っているわ。あなた、自分が思っているより素材はいいのね」
「素材……」
「磨きがいがある、ということよ」
「じゃあ、弟子に!」
「でも——」
ローズの一言に、柚の勢いが止まる。
「あなたがなりたいのは、可愛い服を着こなせる人なの?」
「違います」
柚は迷わず答えた。
「俺がなりたいのは、ローズさんみたいな人です」
「アタシみたいな?」
「はい」
「強くて、可憐な魔法少女?」
「魔法少女になれるかは分かりませんが」
柚は自分の胸に手を置く。
「でも、俺も、誰かが暗いところに落ちた時、その人に手を伸ばせる人間になりたい。……ローズさんみたいに、強くて、可憐な人に」
ローズは息を呑んだ。
「昔の俺は、誰かを踏みつけないと、自分が上にいると思えませんでした」
「……」
「でもローズさんは、俺を踏みつけなかった」
柚の目が、まっすぐローズへ向けられる。
「俺が最低な奴だったことも分かってたのに、それでも戻ってこいって言ってくれた」
「柚くん……」
「過去は変えられません」
柚は、はっきりと言った。
「俺がやったことも、傷つけた人がいることも、全部なくならない」
それでも。
「新しい自分には、なれると思いたいんです」
公園を吹き抜けた風が、柚の髪を揺らした。
「誰かを怖がらせるんじゃなくて、安心させられる人に」
「……」
「弱い人から奪うんじゃなくて、困っている人を助けられる人に」
柚は立ち上がる。
そして、ベンチに座ったままのローズへ、もう一度頭を下げた。
「可憐で、強くて、誰かの心に手を伸ばせる人になりたいんです」
声が震えている。
それでも、言葉は止まらなかった。
「だから、俺を弟子にしてください」
ローズは、すぐには答えなかった。
可愛い服の選び方。
メイクの仕方。
美しい立ち方。
可憐な仕草。
それらなら教えられる。
だが、柚が求めているものは、そんな表面的な技術だけではなかった。
ローズ・アンリミテッドのような存在になりたい。
誰かを救える人間になりたい。
その願いを受け止めるということは、柚のこれからの人生に関わることでもある。
かつてローズが突然弟子入りを申し出た時、ゲキがすぐに受け入れなかった理由。
今なら、少しだけ分かる気がした。
「アタシ、弟子なんて取ったことがないのよ」
「俺が最初でいいです」
「何を教えればいいのかも、まだ分からないわ」
「ローズさんがやってきたことを、教えてください」
「アタシがやってきたこと……」
「はい」
ローズは、自分の手を見る。
夢を笑われても、捨てなかった。
誰よりも強く。誰よりも可憐に。
いつか本当の魔法少女になる日を信じて、長い年月をかけて心と体を磨き続けた。
その道を、柚も歩きたいと言っている。
ローズは立ち上がった。
二人の身長差が、はっきりと表れる。
柚が少し緊張したように背筋を伸ばした。
「一つ、聞かせて」
「はい」
「アタシの弟子になれば、すぐに新しい自分になれると思っている?」
「いいえ」
「アタシと同じ服を着て、同じように振る舞えば、過去の自分を消せると思っている?」
「思ってません」
「つらくなった時、この夢まで投げ出してしまうかもしれないわよ?」
柚は一瞬だけ黙った。
その問いを、自分の中で考える。
やがて、静かに首を横に振った。
「逃げるかもしれません」
ローズが少し驚く。
「逃げないとは言い切れないです。俺は、一度学校から逃げましたから」
「……そう」
「でも、逃げたら終わりにはしたくありません」
柚はローズを見上げる。
「「《《逃げても、止まっても、また戻れるようになりたい》です」
ローズの表情が、ゆっくりと緩んだ。
聞こえのよい答えではない。
絶対に逃げないと、格好よく言い切ったわけでもない。
だが、今の柚に言える、正直な答えだった。
「分かったわ」
ローズは柚の前へ立つ。
「ただし」
人差し指を一本立てた。
「アタシの弟子になる道は、あなたが考えているより、ずっと厳しいわよ」
「構いません」
柚は即答する。
「返事が早いわね」
「覚悟してきました」
「本当に?」
「はい!」
ローズは腕を組み、柚を上から下まで見つめた。
可憐さの素質はある。
努力もできる。
何より、過去から目を背けず、新しい自分になろうとしている。
ならば。
ローズは、静かに微笑んだ。
「いいでしょう」
柚の顔が輝く。
「それじゃあ――」
「まずは仮入門よ」
「え、仮……?」
「アタシに本当にあなたを導けるのか、アタシ自身も確かめなければならないもの」
ローズは自分の胸へ手を当てる。
「師匠になるのは、弟子を名乗るより責任が重そうだから」
「でも、修行はつけてくれるんですか?」
「もちろんよ」
ローズは長い赤髪を優雅に払う。
「覚悟なさい、ユズ」
「はい!」
ローズは満足そうに頷く。
その姿を見つめながら、柚の表情にも笑みが浮かんだ。
過去は変えられない。
傷つけた相手が、全員許してくれるわけでもない。
失った居場所が、簡単に戻ってくることもない。
それでも、新しい自分になるために歩き始めることはできる。
「それで、最初は何をするんですか?」
柚が期待に満ちた目を向ける。
ローズは少し考え、堂々と答えた。
「まずは、SAOTOME GYMへ行くわよ」
「え、ジム?」
「ええ」
ローズは拳を握る。
その腕に、美しく鍛えられた筋肉が盛り上がった。
「強く、可憐になるための第一歩を教えてあげる」
柚はローズの腕を見上げる。
期待に満ちていた表情に、ほんの少しだけ不安が混じった。
「……ちなみに、どのくらい厳しいんですか?」
ローズは可憐な笑顔を浮かべる。
「そうね」
そして、優しく告げた。
「死なない程度よ」
「それ、かなり厳しいやつでは!?」
柚の不安そうな声が、公園の木々の間へ響いた。