魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
翌日。
朝のSAOTOME GYMに、尼野柚が訪れていた。
灰色のジャージに黒いスポーツシューズ。
そして、短く整えられた髪。
昨日のような化粧もしていなければ、可愛らしいブラウスやスカートも身につけていない。
「……な、何ですか?」
じっと自分を見つめてくるローズに、柚が居心地悪そうに尋ねた。
ローズは頬へ手を添える。
「昨日と雰囲気が随分違うから」
「と、トレーニングするのに、あの格好で来るわけにはいかないでしょう」
「まぁ、それはそうね」
「ローズさんが『動きやすい服で来なさい』って言ったんじゃないですか」
ローズは改めて柚を見る。
服装は以前の高校生らしい姿と大して変わらない。
それでも、何かが違った。
以前の柚なら、他人の視線へ噛みつくような目を向けていただろう。
今は肩の力が抜けている。
少し緊張してはいるが、表情もずっと柔らかい。
「えっと……何か顔についてます?」
「いいえ」
ローズは微笑んだ。
「いい顔になったと思っただけよ」
「え?」
「昨日のメイクも可愛かったけれど、今の顔も悪くないわ」
「そ、そういうこと急に言わないでくださいよ」
柚が顔を逸らす。
「照れてる?」
「照れてません!」
「可愛いわね」
「やめてください!」
受付に座っていたエイコーが、そのやり取りを聞きながら笑った。
「朝から仲良いですね」
「あら、そう見えるなら良かった」
ローズは満足そうに腕を組んだ。
「さて」
急に表情を引き締める。
「始める前に、一つ話しておきましょうか」
「はい」
「アタシが、どうしてこんな身体になったのか」
柚がローズの身体を見る。
肩、胸板、腕、ジャージ越しでも分かる、長い年月をかけて鍛え上げられた肉体。
「魔法少女になるため……ですよね?」
「正解。良くわかってるじゃない」
ローズは一本指を立てた。
「アタシが魔法少女に憧れたのは、幼稚園の頃。『魔法戦士美少女』というアニメがあってね」
「あ、それ知ってます。昔の作品ですよね?」
「知っているの?」
「再放送を小さい頃に少し」
ローズの目が輝いた。
「凄く、いい作品なのよ!」
「うわっ」
急に距離を詰められ、柚が一歩下がる。
「傷だらけになっても立ち上がって、笑って、人を安心させるの。強くて、可憐で、誰かに勇気を与えられる存在!」
「ち、近いですローズさん」
「アタシは思ったわ。自分もそうなりたいって!」
「顔が近い!」
エイコーが受付から声を飛ばす。
「ローズさん、彼が怯えてますよ」
「あら、ごめんなさい。つい興奮しちゃって。これじゃ厄介オタクね」
ローズが一歩離れた。
「最初は真似をするだけだったの。母のスカーフをマントにしたり、ほうきを杖にしたり」
「普通の子供ですね」
「中学生になってもやっていたわ」
「……急に普通じゃなくなりましたね」
「高校生になっても」
「だいぶ長い!」
「大人になっても」
「現在進行形……いや」
柚は周囲を見て、声を潜める。
「……もう、夢は叶ってるんですよね」
「しっ。ここではその話は内緒よ」
「……そ、そうでした」
ここにはエイコーや会員達がいる。
魔法少女関連の話はできない。
「楽な道では無かったわ」
周囲には笑われた。
男なのにおかしい。
そんな夢は叶わない。
いつまで子供みたいなことを言っているのか。
それでも、ローズは夢を捨てなかった。
「ただ待っているだけじゃ、魔法少女にはなれないと思ったの」
「それで身体を?」
「ええ」
ローズは力こぶを作る。
「魔法少女は戦うでしょう? だったら、いつ魔法少女になってもいいように鍛えておこうと思ったのよ」
「な、なるほど……」
「誰よりも強く!」
右腕の筋肉が盛り上がる。
「誰よりも美しく!」
左腕も盛り上がる。
「そして誰よりも可憐に!」
両腕を広げた。
「こうなったわ!」
「筋肉で解決って、だいぶ飛んでます! 昔のハリウッドのアクション映画じゃないんですから!」
エイコーも遠くから頷いた。
「僕もそこは気になってました」
「もう。細かいわね、二人とも!」
「百九十七センチの筋肉の塊ができるまでを『こうなった』で済ませないでくださいよ!」
「でも、実際なったのよ」
柚はローズの腕を見る。
確かに説得力だけは恐ろしいほどある。
「それで——」
ローズが笑う。
「昨日、あなたは言ったわね」
「アタシがやってきたことを教えてください、って」
「……はい」
「だから今日は、アタシがやってきたことを実際にやってみましょう!」
柚の表情が固まった。
「え……ちなみに……昨日の『死なない程度』って冗談ですよね?」
「もちろんよ!」
柚が胸を撫で下ろす。
「よかった……」
「死ぬようなトレーニングなんて、効率が悪いもの」
「安心する理由が恐ろしい!」
Θ
「はい、あと十回!」
「じゅ……っ、まだ……!?」
「ほらほら、呼吸を止めない!」
「は、はい!」
「可憐な姿勢を忘れない!」
「か、可憐な姿勢って何ですか!?」
「背筋を伸ばして!」
「最初からそう言ってくださいよ、もう!」
開始から四十分。
柚はすでに後悔し始めていた。
ランニングマシン。スクワット。腕立て伏せ。腹筋
体幹。柔軟。
ここまではいい。
問題は、全部の量だった。
「ろ、ローズさん!」
「何?」
「これ、本当に……本当に初心者向けなんですか!?」
「アタシが昔やっていたメニューを、軽くしたものよ」
「これで軽い!? どんなトレーニングをしてたんです!?」
「安心なさい。重量はかなり落としてあるわ」
「回数がおかしいんですよ!」
「数をこなすことで、身体が覚えるの」
「身体より先に魂が抜けそうです!」
柚は床へ両手をついた。
汗がマットへ落ち、腕が小刻みに震えている。
「まだよ!」
「ま、まだあるんですか!?」
「次はランジを――」
「ローズさん!」
横から、声がした。
「どうしたのエイコー?」
「ストップですよ」
「え」
「完全にストップです」
エイコーが腕で大きなバツを作っていた。
「でも、まだ半分も――」
「半分!?」
床に伏せた柚が顔を上げた。
「あれで、半分!?」
「ええ」
「う、嘘でしょ!?」
エイコーはローズへ近づき、メニュー表を取り上げた。
「ローズさん……これ誰基準で作りました?」
「アタシ」
「ですよねー」
エイコーは呆れた。
「ローズさん。柚君はローズさんじゃないんですよ」
「それは分かっているわ」
「いいえ、分かってませんよ」
「えっ?」
エイコーはしゃがみ込み、柚の呼吸と顔色を確認する。
「柚君、気分悪くない?」
「だ、大丈夫です……」
「吐き気は?」
「いえ、そこまでは……」
「じゃあ座って。水飲もうか」
「まだできます」
「今日はここまで」
「でも――」
「続けたいなら、なおさら」
柚が黙る。
エイコーはペットボトルを渡した。
「一日で強くなる必要なんてない」
「……」
その言葉に、ローズが少しだけ目を瞬かせる。
「……アタシ」
「ローズさん?」
ローズはメニュー表へ目を落とした。
「アタシ、そんなに無茶をさせていた?」
「ローズさんの感覚では、そうでもないと思います……。でも、その感覚が問題なんです」
「……」
「ジムトレーナーの目線から言わせてもらいますけど。ローズさんが長い年月かけてできるようになったことを、初日で全部やらせようとしないでください」
エイコーは苦笑する。
「教え子ができた途端、張り切りすぎですよ」
ローズの肩が、ぴくりと揺れた。
「……張り切りすぎ」
「はい」
「……可憐に張り切りすぎたわね」
「ちょっと意味が分からないです」
柚が水を飲みながら、小さく笑った。
「ふふっ……」
「どうしたの?」
「いや……ローズさんでも怒られるんだなって」
「まぁ、アタシも人間ですもの。失敗して怒られることくらいあるわ」
Θ
十分ほど休んだ後。
柚はベンチへ腰掛け、自分の両手を見つめていた。
先ほどまで震えていた腕は、少しずつ落ち着いている。
ローズが隣へ座る。
「……その、ごめんなさいね」
「え?」
「アタシ、少し張り切りすぎたみたい。言い訳になるかもしれないけど、誰かを教えるなんて初めての経験だったから」
「……はい。でも、それくらい真剣に向き合ってくれて、俺は嬉しかったです」
「……ユズ」
柚は苦笑する。
だが、すぐに笑みが消えた。
「やっぱり……すごいですね、ローズさん。俺が死にそうになってたメニューを、ローズさんは普通にやってたんですよね」
「最初から全部できたわけではないわよ」
「でも、今はできる」
「ええ、努力したもの」
「強くて、綺麗で……可憐で」
柚が俯く。
「俺には、遠いな……」
ローズの表情が変わった。
「ユズ?」
「分かってたつもりなんです」
柚は、自分の細い腕を見る。
「昨日、ローズさんみたいになりたいって言ったけど……簡単じゃないって」
「……」
「でも、実際にやってみたら、全然ついていけなくて」
握った拳に力が入る。
「やっぱり俺は、ローズさんみたいにはなれないんですね」
先ほどまで騒がしかった空気が、少しだけ静かになった。
ローズが口を開こうとした、その時。
「それでよいのでは?」
低く、よく通る声がした。
ローズと柚が振り返る。
紫色の僧侶服に坊主頭。
胸元には特徴的な、精霊のラバーストラップ。
そして脇には、なぜか丸めた座布団。
「キヨナガ?」
「おはようございます、ローズ殿。失礼、少し話が耳に入ってきたので」
キヨナガは合掌した。
「そちらの少年は?」
「尼野柚君。アタシの弟子……候補よ」
「ほう!」
キヨナガの目が輝く。
「ローズ殿もついに人を導く立場へ!」
「その言い方、やめて。急に責任が重く感じるわ」
「責任は重いものです」
エイコーが受付から顔を出す。
「おはようございます、キヨナガさん。今日は勝手に座禅教室を開いてませんよね?」
「本日は自主修行です!」
「……ならいいです」
「午後からは……」
「店長の許可貰ってないんで、駄目です」
キヨナガは少し残念そうに座布団を抱え直した。
「それで——」
ローズが話を戻す。
「さっきの『それでいい』って、どういう意味?」
「そのままです」
キヨナガは柚を見る。
「あなたは、ローズ殿になる必要はありません」
柚の顔が曇る。
「でも、俺は――」
「憧れることをやめろと言っているのではありません」
キヨナガの声は穏やかだった。
「誰かの姿に心を動かされ、その背中を目指す。それは決して悪いことではない!」
「……」
「ですが——」
キヨナガは胸元にぶら下がった精霊のストラップへ目を落とした。
「精霊様方を見ていても分かります」
「せ、精霊?」
柚がキョトンとした顔をし、ローズが小さく眉を上げる。
「やっぱり精霊に行くのね」
「当然でしょう!」
即答だった。
「炎を宿す精霊様もいれば、水と共に生きる精霊様もいる。小さな方も、大きな方もいる。勇敢な方もいれば、穏やかな方もいる!」
熱が入り始める。
「しかし、その違いによって尊さに上下などありません!」
「……始まったわね、精霊道の説教が」
ローズが小声で呟く。
「精霊様は皆それぞれに尊い! それぞれの個性! それぞれの美しさ! それぞれの――」
「キヨナガー?」
「はい!」
「柚君の話」
「おっと」
キヨナガは咳払いした。
「失礼。少々、心が先走りました」
「まぁ、いつものことね。気にしないでねユズ。彼いつもあの調子なのよ」
「は、はぁ……」
そして、改めて柚へ向き直る。
「人も同じなのです」
「……人も?」
「ローズ殿の可憐さは、ローズ殿が長い年月をかけて築いたもの」
ローズが黙る。
「その身体も、その立ち振る舞いも、その心も」
「……」
「あなたが同じ道を歩いたからといって、同じ場所へ辿り着くとは限らない」
柚は目を伏せた。
「やっぱり、俺には無理だってことですか」
「いいえ、違います」
キヨナガは、はっきりと言った。
「「
柚が顔を上げる。
「薔薇には、薔薇の美しさがある」
キヨナガはローズを見る。
「花が違えば、咲き方も違うでしょう」
「……」
「ローズ殿と同じになることだけが、可憐になるということではないのでは?」
沈黙。
今度はローズが、自分の手を見る番だった。
昨日。
柚は確かに言った。
ローズ・アンリミテッドのような存在になりたい、と。
だが、それは。
同じ身体になりたいという意味だっただろうか。
同じ服を着たいという意味だっただろうか。
同じ鍛え方をして、同じ仕草をして、同じ人生を歩きたいという意味だっただろうか。
「……なるほどね」
ローズが小さく呟く。
少し前、自分は柚へ何を教えればいいのか分からないと言った。
だから、一番簡単な答えへ飛びついた。
自分がしてきたことを、そのままやらせればいい。
自分が歩いた道を、そのまま歩かせればいい。
「……間違えたわね」
「ローズさん?」
ローズは柚へ向き直った。
「ごめんなさい」
柚が目を丸くする。
「何でローズさんが謝るんですか」
「アタシ、自分のことばかり考えていた」
「いえ、そんな……」
「あなたが『アタシみたいになりたい』と言ってくれたのが凄く嬉しかったのよ」
ローズは少し照れたように笑う。
「だから、アタシがやってきたことを全部教えれば、あなたもアタシみたいになれると思った」
「……」
「でも、それじゃ駄目ね」
ローズは、自分の胸へ手を置いた。
「アタシが教えるべきなのは、
柚がまっすぐローズを見る。
「あなたが、
ローズは微笑んだ。
「たぶん、それが師匠の仕事なのね」
柚は何も言わなかった。
納得していないわけではない。
むしろ、キヨナガの言っていることも、ローズの言っていることも理解できる。
それでも。
「……でも」
柚が口を開いた。
「俺は、それでもローズさんみたいになりたいです」
「ユズ?」
「同じ身体になりたいとか、同じ服を着たいとかじゃない」
柚は少し言葉を探す。
「昨日も言いましたけど」
デモンコアの暗闇。
誰にも見てもらえなかったと思っていた自分へ、手を伸ばしてくれた存在。
「俺がなりたいのは」
柚はローズを見る。
「苦しんでる人がいたら、その人のところまで行ける人です」
ローズの目が、わずかに見開かれる。
「誰かに何を言われても、自分の好きなものを好きだって言える人」
「……」
「強くて、可憐で」
少し照れくさそうに笑う。
「ローズさんみたいに、
ローズはしばらく何も言えなかった。
昨日。
自分が何も見ていなかったと、責めた。
助けたつもりになっていただけなのではないかと思った。
だが、あの時差し伸べた手は。
確かに、この少年の中に残っていた。
「……そう」
ローズの表情が柔らかくなる。
「それなら」
大きな手を、柚へ差し出した。
「アタシが支えるわ」
「え?」
「それこそ、あなたをアタシにするためじゃない」
ローズは力強く、それでいて優しく笑う。
「あなたが、あなた自身の可憐さを見つける……それまで」
柚は差し出された手を見る。
「自分らしさを、一緒に探しましょう」
少しの間。
柚はその手を握った。
「……はい!」
その返事は、昨日よりずっと明るかった。
キヨナガが満足そうに頷く。
「良き師弟ですな!」
「キヨナガに教えられるとは……変人でも僧侶なのね」
「一言余計ですぞ。ローズ殿」
エイコーが苦笑しながら近づいてくる。
「じゃあ、とりあえず今日は終了ですね」
柚が振り返る。
「もう少しやりたいです」
「駄目です」
「身体、休んだらだいぶ戻りました」
エイコーは笑う。
「今日頑張りすぎるより、明日も来てください」
「……はい」
ローズが自分の顎へ手を添える。
「明日は外で走り込みをしましょう!」
柚の顔から笑顔が消えた。
「えっと……何キロですか?」
「そうねぇ――」
「ローズさん」
エイコーが割り込む。
「距離は僕が決めますね……」
「そ、そうね。プロに任せましょうか」
キヨナガが力強く頷く。
「では私も同行しましょう! 走りながら精霊道の教えを――」
「いえ、来なくていいです」
「え、エイコー殿!?」
ジムに笑い声が響く。
柚も、その中で笑っていた。
昨日までとは違う場所で、違う人たちと。そして、昨日までとは少し違う自分で。
新しい道は、まだ始まったばかりだった。
今週は何話投稿できるか分かりません。投稿時間は8時台、12時台、18時台のどれかの予定です。