魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
さらに翌日の午前の雨玻町。
住宅街から少し離れた歩道を、二人の男が並んで走っていた。
一人は、長い赤髪を後ろでまとめた大男。
ローズ。
赤いスポーツウェアを身につけ、百九十七センチの巨体とは思えないほど軽快な足取りで走っている。
もう一人は、尼野柚。
昨日と同じようなジャージ姿。
今日も女装も化粧もしていない。
その顔には大量の汗が浮かんでいた。
「はっ……はっ……」
「呼吸を整えて!」
「はい!」
「背筋を伸ばす!」
「はい!」
柚が悲鳴を上げる。
対してローズは涼しい顔で走り続けていた。
「いい調子よ!」
昨日、ローズが考えた修行内容は全て、エイコーによって全面的に見直された。
過剰な負荷をかけない。体力を確認しながら、少しずつ運動量を増やしていく。
ジムのトレーナーとしては、ごく当たり前の考えだった。
ローズとしては、
『もう少し負荷を増やしてもいいんじゃない?』
と主張したのだが、エイコーに即座に却下された。
「エイコーって、意外と厳しいのよね」
「ローズさんが規格外すぎるんです」
柚は小さく笑った。
昨日より身体は重い。
太腿にも腕にも筋肉痛が残っている。
それでも、不思議と気分は悪くなかった。
誰かと一緒に走る。そして、何かを教わる。
そういう感覚は、随分久しぶりだった。
「それにしても」
ローズが横目で柚を見る。
「昨日あれだけ疲れていたのに、走るのは結構できるのね」
「昔、野球やってたんで」
「そうだったわね」
「だいぶ前ですけど」
「でも、身体は覚えているみたいね」
「まあ……少しは」
柚は前を向いた。
二人の進行方向に、大きな施設が見えてくる。
雨玻町総合運動公園。
陸上競技場や体育館。大小いくつかのグラウンド。
その周囲を囲むように、遊歩道や芝生広場が広がっている。
休日になると、大会や練習に来た学生だけではなく、家族連れや散歩をする高齢者の姿も多い場所だった。
「ここを一周したら、今日は折り返しましょう」
「助かった……」
「でも、なんか足りないわね」
「ローズさん基準で考えないでください」
その時だった。
――カァン。
乾いた音が聞こえた。
柚の足が、わずかに遅くなる。
――カァン。
もう一度。
金属バットが、軟式球を打つ音。
総合運動公園の一角にある小さな野球グラウンドで、七人ほどの少年たちが遊んでいた。
本格的な練習というより、友人同士で集まって野球を楽しんでいるらしい。
「……」
柚の足が止まった。
ローズも数歩先で止まり、振り返る。
「柚?」
「……すみません」
柚はグラウンドを見ていた。
バットを構える少年とボールを追いかける少年。
大声で笑いながら、互いに声を掛け合っている。
ほんの少しだけ、柚の顔に、寂しそうなものが浮かんだ。
「やっぱり」
ローズが静かに尋ねる。
「諦めきれない?」
柚は答えなかった。
グラウンドの少年たちを見る。
それから、ゆっくり首を横に振った。
「プロ野球選手になるのは、もう諦めました」
「……」
「昨日も言ったけど、今から本気で目指すって言えるほど甘い世界じゃないです」
柚の表情が少しだけ緩む。
「でも、野球が嫌いになったわけじゃないです」
ローズは黙って聞いた。
「見るのは今でも好きだし」
グラウンドから歓声が上がる。
「やれば、たぶん楽しいと思います」
ローズが微笑む。
「なら、好きなままでいいじゃない」
「え?」
「夢じゃなくなったからって、嫌いになる必要はないでしょう?」
柚は少しだけ目を丸くした。
「プロを目指さなくても野球はできるわ」
「……そうですね」
「昔好きだったものを、
柚が小さく笑う。
「はい」
その時。
グラウンドから、一つのボールが転がってきた。
ころころと芝生を越え、遊歩道を横切り。
柚の足元で止まる。
「あっ!」
少年が一人、こちらへ駆けてきた。
「すみませーん! 取ってくださーい!」
柚がボールを拾う。
手の中で一度だけ転がした。
軽い軟式球。
指先が、自然に縫い目へかかる。
その動きを見て、ローズが眉を上げた。
柚は少年との距離を確かめ、大きく振りかぶった。
「ほっ!」
腕が、しなる。
――シュッ!
白球が一直線に飛んだ。
「うおっ!?」
少年が慌ててグラブを構えた。
パンッ!
綺麗な音を立て、ボールがグラブの中心へ収まった。
少年は目を丸くした。
「はやっ!」
「え?」
「兄ちゃん、今のすげえ!」
グラウンドにいたほかの少年たちも振り返る。
「めっちゃ綺麗な球!」
「野球やってんの?」
「ピッチャー?」
柚は少し困ったように頭を掻いた。
「昔、ちょっと」
「ちょっとって投げ方じゃないだろ!」
「もう一回投げて!」
「いや、走ってる途中だから」
柚は苦笑する。
ローズが感心したように近づいてきた。
「あなた、ピッチャーだったの?」
「正確には、目指してました」
柚は自分の右手を見た。
「小さい頃は……速い球を投げれば、みんなが見てくれると思ってたんです」
ほんの少しだけ、過去を懐かしむような顔。
だが、昨日までのような苦しそうなものではなかった。
「今の球も十分速かったわよ」
「子供相手なんで、かなり抑えましたけど。昔の俺だったら全力で投げて、自慢してたかもしれません」
「成長したじゃない」
「……はい」
少年がボールを抱えたまま、友人たちのところへ戻っていく。
「すげえ兄ちゃんいた!」
「元ピッチャーだって!」
その時。
「そういや、お前はちゃんと練習しなくていいの?」
一人の少年が、別の少年へ尋ねた。
「もうすぐ試合なんだろ?」
「あー……」
聞かれた少年の顔が曇る。
その少年だけは、先ほどからあまり野球へ参加せず、ベンチの近くで球拾いをしていた。
「今、チームの練習休みなんだよ」
「何で?」
「監督がいないから」
「監督?」
「ほら、この前言っただろ。うちの監督、マサキの親と喧嘩したって」
「ああ。殴り合いになったやつ?」
「そう」
ローズの耳が、その会話を捉えた。
柚も何となく少年たちを見る。
「大丈夫なのかよ。試合近いんだろ?」
「知らね。あの日から監督、連絡つかないらしいし」
「捕まったんじゃね?」
一人が冗談っぽく笑った。
「人の親ぶん殴ったんだろ?」
「いや、警察も探してるって聞いたけど」
「じゃあ逃げたとか?」
「知らねーよ」
少年は少し困ったようにボールを蹴った。
「俺も、もうあの監督のところ戻りたくないし」
「そんなヤバかったの?」
「水飲ませてくれないし、ミスしたらずっと走らされるし。怪我しても練習しろって言うし」
「うわ……」
「この前なんか、肘痛めてる奴に投げさせようとして、それでマサキの父さんと喧嘩になったんだ」
ローズの表情が変わった。
「……監督が行方不明?」
小さく呟く。
最近、強い悪意を抱えた人間が、デモンコアとして利用される事件を何度も見てきた。
ただの偶然かもしれない。
警察沙汰になって、どこかへ逃げただけかもしれない。
だが。
「ローズさん?」
「何でもないわ」
そう答えた――その瞬間だった。
空が。紫色に染まった。
「――っ!」
ローズが顔を上げる。
青空を、巨大な紫色の膜が覆っていく。
総合運動公園やその周囲の道路。
住宅地まで及ぶ。
まるで巨大なドームを被せるように、悪魔エネルギーが一気に広がった。
「悪魔空間!」
ローズが叫ぶ。
「何だ!?」
「空が!」
「怖い!」
少年たちが騒ぎ始める。
「全員、アタシのそばへ!」
ローズの声が変わった。
先ほどまでの軽い調子はない。
「柚! 子供たちを集めて!」
「はい!」
柚もすぐに動く。
「みんな、こっち来い!」
「え?」
「いいから! バラバラになるな!」
七人の少年たちをローズの周囲へ集める。
直後。
地面が激しく揺れた。
「うわっ!」
「何だ!?」
芝生が黒紫色に染まる。
白線が地面を走った。
一塁、二塁、三塁。
そしてホームベース。
何もなかった地面から、巨大なフェンスがせり上がる。
観客席、照明塔、スコアボードやベンチ。
総合運動公園の一角が、瞬く間に巨大な野球スタジアムへ姿を変えていく。
「な、何だこれ……!」
柚が目を見開く。
「遊園地のアトラクション……じゃないわね」
ローズたちの足元に、不意打ちの様に紫色の魔法陣が広がった。
「ローズさん!」
「柚!」
光が弾け、景色が歪んだ。
調子良ければ、明日か明後日に続き投稿します!