魔法少女のパパだが、娘が怪我をしたら俺が出るしかないだろ。 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
翌朝。
五月女家の自室。
エミカは自分のベッドの上で目を覚ました。
白い天井ではない。病院の匂いもしない。
見慣れた部屋。
見慣れた机。
見慣れた本棚。
壁には、私立ウィエーテル学院の制服がかけられている。
昨日、ようやく退院した。
まだ右脚は松葉杖が必要だ。
肋骨も痛む。肩も動かしづらい。
魔力回路に関しては、考えるだけで胸が沈む。
……それでも、家に帰ってきた。
帰ってきたはずなのだが。
「……」
エミカは布団の中で、じっと天井を見つめた。
そして、いままで起きたことを思い出す。
デビデヴィ・クライシス。
自分の敗北。
父が魔法少女になったこと。
白とピンクの衣装。
ハート。名乗り。
マジカル・ショットガン。
動画サイト。
コメント欄。
エミカは布団を頭からかぶった。
「うううううう……!」
悶絶した。
「なんで……なんでお父さんが魔法少女になってるの……!」
一応、C.H.A.R.M.から説明は受けた。
メイクアップ・リグが反応したこと。
ゲキが雨玻町を守ったこと。
一時的とはいえ、正式に支援対象として扱われていること。
ゲキ・マキシマムは、現在の雨玻町に必要な戦力であること。
……頭では理解している。
……理解しているのだ。
でも、心が追いつかない。
「お父さんが……魔法少女の衣装で……動画に……!」
しかも、なぜか本人に恥じらいがない。
エミカは昨日の会話を思い出す。
『お父さん、恥ずかしくないの?』
『何がだ』
『いや、あの衣装……』
『エミカと同じ衣装だ。恥ずかしくないに
『決まってないよ!?』
その時の父の顔は、本気だった。
迷いも照れもなかった。
――むしろ誇らしそうだった。
「お父さんの感性、やっぱりおかしい……」
エミカは布団の中で呟く。
思い返せば、伏線はあった。
ゲキは昔から、ピンクのエプロンを気に入っていた。
母が使っていたものだから、という理由もある。
だが、それにしても、あの大男がピンクの花柄エプロンを身につけて台所に立つ姿に、本人は何の違和感も持っていなかった。
「今思えば、あれがすべての始まりだったのかもしれない……」
「何を朝から深刻なこと言ってるミプ……」
ベッドの横から、眠そうな声がした。
ミププだった。
小さな精霊は、クッションの上で丸くなっている。
どうやらまだ半分寝ているらしい。
「ミププ……起きてたの?」
「エミカの呻き声で起きたミプ……朝から悪魔みたいな声出すのやめるミプ……」
「誰のせいだと思ってるの」
「ミププのせいではないミプ。どちらかというとゲキのせいミプ」
「それは否定できない……」
エミカは布団から顔を出した。
改めて壁にかかった制服を見る。
私立ウィエーテル学院の制服。
今日から復学する予定だった。
「……学校」
エミカは小さく呟いた。
ゲキは、もう少し休めと言っていた。
最低でも数日は様子を見るべきだ、と。
松葉杖での移動も慣れていないし、魔力回路のリハビリも始まったばかりだから、と。
だが、エミカは押し切った。
勉強に遅れたくない。
クラスメイトに心配をかけたままにしたくない。
そして何より、病人として家に閉じこもっていると、自分が本当に戦えなくなった気がしてしまう。
「今日から行くんだよね」
「本当に行くミプ?」
「行く」
「ゲキ、心配してたミプ」
「知ってる。でも、ずっと休んでたら余計に心配されるし」
「松葉杖で無茶するのは駄目ミプ」
「分かってる」
「階段で走るのも駄目ミプ」
「走れないよ」
「困ってる人を見つけて松葉杖で突撃するのも駄目ミプ」
「し、しないよ!」
ミププは疑わしそうに目を細めた。
「……本当に?」
「本当!」
「エミカは前科が多いミプ」
「うっ」
言い返せなかった。
エミカはベッドの横に置かれた松葉杖を見た。
……早く治さなければならない。
体も。
魔力回路も。
そして、心も。
「大丈夫。今日は普通に学校へ行くだけ」
「その“普通”が一番怪しいミプ」
「もう、ミププってば」
エミカは苦笑しながら、ゆっくりと体を起こした。
Θ
五月女家の一階は、SAOTOME GYMになっている。
大手チェーンのような広大な施設ではない。
地域密着型の小規模ジムだ。
だが、設備はきちんと整っている。
フリーウェイト。
ランニングマシン。
各種トレーニングマシン。
ストレッチスペース。
シャワールーム。
壁には会員向けの掲示板と、トレーニングフォームの注意書きが貼られている。
営業時間は二十四時間。
会員はいつでも利用できる。
ただし、トレーナーが常駐する時間は限られている。
朝の時間帯は、常連の会員が多い。
出勤前に軽く体を動かす者。
近所の年配客。
筋トレを日課にしている会社員。
そして、妙に筋肉談義が好きな者たち。
ゲキは黒いジャージ姿で、器具の点検をしていた。
ダンベルの位置を直し、ベンチを拭き、タオルを補充する。
その動きは手慣れている。
魔法少女として戦う時とは違う。
ここでの彼は、SAOTOME GYMの店長だった。
「店長、こっちの消毒液、補充しておきました」
受付側から声をかけてきたのは、エイコーだった。
SAOTOME GYMの正社員であり、実質的な副店長ポジション。
受付、清掃、入会手続き、予約管理、初心者対応、そしてゲキ不在時の現場管理までこなす、頼れるスタッフである。
「ああ、助かるよエイコー」
「エミカちゃん、今日から学校ですか?」
「本人が行くって聞かなくてな」
「店長が過保護すぎるんじゃないですか?」
「ははは。たった一人の愛娘を心配するのは、父親として当たり前だろ」
「その愛、だいぶ重量級ですからね」
「ん、どういう意味だ」
「そのままの意味です店長」
エイコーは笑いながら、受付の端末を操作する。
その近くでは、朝から来ていた会員二人が休憩しながら話し込んでいた。
「昨日の動画見た?」
「見た見た。
ゲキの手が止まった。
「すごかったよな。魔法少女なのにバイク乗ってたぞ」
「しかもショットガン撃ってた。ハート出てたけど、完全にショットガンだった」
「いや、あの筋肉が一番やばいって。あれ本物か? 魔法で盛ってんのか?」
ゲキの背中に、冷や汗が流れた。
エイコーが会員たちの話に混ざる。
「あの筋肉は本物っぽいですよ。肩周りと大胸筋の付き方、魔法で急に作った筋肉じゃないです」
「エイコーさん、分かるの?」
「分かります。あれは日常的に鍛えてる筋肉です」
「へえー」
ゲキは無言でベンチを拭き続ける。
拭く必要のないところまで拭いている。
エイコーがふと、ゲキを見る。
「店長」
「な、なんだ」
「ゲキ・マキシマムの筋肉、素晴らしいですよね?」
ゲキの手が止まった。
「……まあ、そうだな」
「特に僧帽筋と広背筋の厚み。あと腕。あの上腕三頭筋の張り方、ただの見せ筋じゃないです」
「そうか」
「でも、どこかで見たことある気がするんですよね」
「気のせいだろ」
即答だった。
エイコーは首をかしげる。
「そうですかね」
「ああ、気のせいだ」
「でも、あの肩幅とか、店長に――」
「気のせいだと言ってる」
「まだ最後まで言ってませんよ」
「言わなくていい」
会員の一人が笑う。
「もしかして店長、ゲキ・マキシマムに
「なに?」
「店長もかなりすごい筋肉ですけど、さすがに魔法少女には勝てないんじゃないですか?」
「いや……まぁ……そうだな」
ゲキは苦い顔で答えた。
自分と自分を比較されるという、妙な状況だった。
エイコーが腕を組む。
「でも本当に不思議なんですよ。顔は全然思い出せないんですけど、筋肉だけは覚えてる感じがするんです」
ゲキは内心で息を呑んだ。
認識阻害の魔法はちゃんと働いている。
ゲキ・マキシマムの姿を見た者は、彼を五月女ゲキと結びつけにくくなる。
顔、声、雰囲気、細部の記憶がぼやける。
だが、エイコーはトレーナーだ。
日々、筋肉を見ている。
フォームを見ている。
体つきの癖を見ている。
認識阻害が効いていても、筋肉の特徴だけが妙に引っかかっているらしい。
ゲキは額に汗を浮かべた。
「エイコー」
「はい」
「筋肉を見る目が鋭すぎるのも、考えものだな」
「え、どういう意味ですか」
「なんというか……怖いな」
「怖い!?」
エイコーは不思議そうに笑った。
「店長に怖いって言われると、ちょっと自信になりますね」
「いや、なるな」
その時、二階から松葉杖の音が聞こえた。
エミカが制服姿で降りてくる。
当然、動きはぎこちない。
右脚に体重をかけないよう、慎重に一段ずつ降りている。
ゲキは即座に階段下へ向かった。
「エミカ、待て。パパが支える」
「大丈夫だって」
「その大丈夫は信用できない」
「朝から二回目だよ、それ」
「一日何回でも言ってやる」
エミカはため息をつく。
エミカが抗議する。
その様子をジムの会員たちが微笑ましそうに見守っていた。
「あ、エミカちゃん退院したんだ」
「おかえり」
「学校行くの? 無理しないでね」
「あ、ありがとうございます」
エミカは少し照れながら頭を下げた。
ゲキは彼女の鞄を持ち上げる。
「少し重いな」
「教科書入ってるから」
「俺が持つ」
「校門までだからね」
「教室まででもいい」
「絶対駄目」
「机までなら」
「来ないでよ」
「授業中、廊下で待機するのは」
「ストーカーだよ!」
会員たちが笑う。
エイコーも笑いながら言った。
「店長、娘さんに嫌われますよ」
「そ、それは困るな」
「なら校門までにしてください」
「……仕方がない」
ゲキは渋々頷いた。
その時、受付端末に通知音が鳴った。
エイコーが画面を見る。
「あ、店長。今日の午後、体験予約が一件入ってます」
「体験?」
「はい。名前は……井原壮吉さん」
「井原?」
「備考欄に、“どうしても五月女店長に会いたい”って書いてありますね」
ゲキは眉をひそめた。
「知り合いか?」
「いえ、私は聞いたことないです」
エミカはあまり気にしていない様子で、松葉杖を持ち直した。
「お父さん、早く行かないと遅れる」
「ああ」
ゲキはエミカの鞄を持ち、ジムの入口へ向かう。
その背中を、エイコーが見送った。
会員たちはまだ、ゲキ・マキシマムの話で盛り上がっている。
「でもさ、ゲキ・マキシマムって名前、すごいよな」
「筋肉もマキシマムだったしな」
「魔法少女って、あそこまでいけるんだなあ」
ゲキは背中に冷や汗を感じながら、ドアを開けた。
認識阻害は効いている。効いているはずだ。
だが、世間は思った以上に、ゲキ・マキシマムに興味を持っていた。
そして、彼はまだ知らない。
午後にやってくる体験希望者が、ゲキ・マキシマムの動画を見て、長年押し込めていた夢に火をつけられた男であることを。
その男が、やがて雨玻町に新たな混乱を運んでくることを。
五月女ゲキは、まだ知らなかった。