五等分の星月夜〜武術を極めた転生者は、不器用な五女を裏から支えたい〜 作:夜幻
第6話「取扱説明書のない関係——揺れ始める距離」
朝の教室は、いつもと同じ形をしている。
だが、神城蓮にはその“同じ”が少しずつ崩れ始めているように見えていた。
(誤差が蓄積している)
昨日の夜の出来事。
中野五月の反応。
それらは単発ではない。
連続して意味を持ち始めている。
教室の扉が開く。
「おはようございます」
中野五月。
いつも通りの声。
だが、少しだけ遅い呼吸。
(見てしまった影響か)
蓮は一瞬だけ彼女を見る。
視線はすぐに逸らす。
余計な干渉はしない。
だが、すでに“干渉済み”だ。
授業が始まる。
黒板に文字が並ぶ。
五月は教壇に立つ。
いつも通りのはずだった。
だが、一問目で止まる。
「ここは……」
手が止まる。
わずかな沈黙。
その瞬間。
「一度止めろ」
蓮の声。
教室の空気がわずかに揺れる。
五月が振り返る。
「神城くん……?」
「今は進めるな」
即断。
五月は戸惑う。
「でも、授業が……」
「優先順位が違う」
一歩、前へ。
その動きで空気の主導権が移る。
風太郎が視線を上げる。
(またか……)
蓮は黒板を見ているのではない。
構造を見ている。
「その問題は一度分解しろ」
チョークを取る。
そこから先は速い。
説明ではない。
再構築。
問題を分解し、再配置する。
思考の順序を強制的に整える。
五月はその動きを追いながら理解する。
(速い……でも、分かる)
気づけば答えに辿り着いている。
蓮はチョークを置く。
「ここまででいい」
短い終了。
五月は小さく息を吐く。
だが違和感は残る。
(私は今、導かれた?)
それとも操作されたのか。
境界が曖昧だった。
放課後。
教室に夕陽が差し込む。
蓮は窓際に立っている。
外を見ているようで、見ていない。
(接触は継続)
敵の動きは止まっていない。
むしろ探りが深くなっている。
その時。
「神城くん」
五月の声。
振り返る。
「少し……いいですか」
蓮は短く頷く。
「何だ」
五月は一瞬迷う。
そして口を開く。
「昨日のこと……本当に何もないんですか?」
核心。
蓮は即答する。
「ない」
だが一瞬だけ間があった。
五月はそれに気づく。
(今、ほんの少しだけ)
だが確信には至らない。
蓮は視線を逸らす。
「関係ない」
「関係なくないです」
五月の声は少し強い。
だがまだ揺れている。
蓮は静かに言う。
「知る必要はない」
「どうしてですか……!」
感情が少しだけ溢れる。
蓮は目を細める。
(ここまで来たか)
予定より早い。
だがまだ“戻れる範囲”だ。
蓮は静かに言う。
「知れば壊れる」
沈黙。
五月は息を呑む。
「私は……そんなに弱くありません」
「強さの話ではない」
蓮は続ける。
「優しさの話だ」
その言葉で、五月は言葉を失う。
自分が“そういう側”であることを理解してしまう。
蓮は視線を外す。
「これは仕事だ」
「仕事……?」
「護衛だ」
短く。
だが十分すぎる説明。
五月の目が揺れる。
「誰の……?」
蓮は一瞬だけ間を置く。
「君を含めた、五人」
その瞬間、世界の輪郭が変わる。
五月は言葉を失う。
蓮はもう振り返らない。
「帰れ」
境界線。
五月は小さく頷くしかない。
その背中を見ながら、蓮は思う。
(もう“知らない側”ではいられない)
それでもまだ。
彼女は境界のこちら側にいる。
夜は静かに深くなる。
星はまだ見えない。
だが確実に、何かが動き続けていた。