五等分の星月夜〜武術を極めた転生者は、不器用な五女を裏から支えたい〜 作:夜幻
第8話「夜の境界線——触れてはいけない真実の手前で」
夜の校舎は、昼間とはまるで別の構造を持っている。
神城蓮はその違いを、すでに“常識”として扱っていた。
静かすぎる空間ほど、隠れたものは浮き上がる。
そして今夜、それは明確だった。
(来ている)
校舎裏。
人の気配は三つ。
前回と同じ構成。
だが、明らかに“慣れてきている”。
「お前が神城か」
一人が声を出す。
以前よりも落ち着いた声。
恐怖を抑えているのではなく、別の何かに置き換えている。
「中野の件、まだ続けてるらしいな」
蓮は答えない。
その沈黙がすべてだ。
次の瞬間。
一人目が踏み込む。
だが、その踏み込みは読まれている。
蓮は半歩だけずれる。
攻撃は空を切る。
重心が崩れる。
その瞬間、蓮はもうそこにいない。
背後。
一撃。
一人目は崩れる。
音は遅れて響く。
二人目が動くより先に、蓮は視界から消えている。
“見えていない”。
それが正しい表現だった。
残り一人。
「……お前、本当に人間かよ」
男の声には恐怖が混じる。
蓮は静かに言う。
「帰れ」
「ふざけんな!」
一歩踏み出そうとして止まる。
本能が拒否している。
勝てない。
理解ではなく、直感で。
蓮は一歩だけ近づく。
その一歩で、空気が変わる。
「次はない」
短い言葉。
それだけで十分だった。
男は舌打ちし、仲間を引きずって消える。
夜が戻る。
静寂。
蓮は呼吸を整えない。
ただ空を見上げる。
(接触は“学習”している)
これは偶然ではない。
何かが背後にある。
その時だった。
「神城くん」
声。
振り返る。
中野五月。
そこに立っていた。
息が乱れている。
目が揺れている。
見てしまったのだ。
「今の……何を……」
蓮は一瞬だけ黙る。
「偶然だ」
即答。
五月は首を振る。
「そんなわけありません!」
一歩踏み出す。
距離が縮まる。
蓮は視線を逸らす。
(限界が近い)
だが、まだ早い。
五月は続ける。
「ずっと……見てましたよね?」
言葉が崩れ始める。
蓮は静かに言う。
「関係ない」
「関係なくないです!」
声が夜に響く。
蓮は目を細める。
(ここで崩れるか)
だが、まだ完全ではない。
蓮は短く言う。
「知る必要はない」
「どうしてですか!」
五月の声は震えている。
恐怖ではない。
理解できないことへの拒絶。
蓮は静かに言う。
「知れば壊れる」
沈黙。
夜が一瞬だけ止まる。
五月は息を呑む。
「私は……壊れません」
「強さの話ではない」
蓮は続ける。
「優しさの話だ」
その言葉で、五月は言葉を失う。
自分が“壊れる側”だと理解してしまう。
蓮は背を向ける。
「これは仕事だ」
「仕事……?」
「護衛だ」
短く。
それだけで十分だった。
五月の目が揺れる。
「誰の……?」
蓮は一瞬だけ間を置く。
「君を含めた、五人」
その瞬間、世界の輪郭が変わる。
五月は言葉を失う。
蓮はもう振り返らない。
「帰れ」
それは命令ではなく、境界線。
五月は小さく頷くしかない。
その背中を見ながら、蓮は思う。
(もう戻れない位置に来ている)
だが、それでもまだ。
完全には踏み込ませていない。
夜は静かに深くなる。
星はまだ見えない。
それでも確実に、境界線の向こう側が近づいていた。