四角関係   作:slo-pe

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県予選

 

 

〜大喜視点〜

 

 スパァン! と、ライン際にスマッシュで打ち抜かれた。

 

「21ー16、21ー18で針生の勝ち」

 

 審判役の部員から宣言される。

 

「残念だったな。これで今月17戦0勝」

 

 針生先輩がガットを直しながらコートを出る。悔しさを噛み締めながら、俺もそれに続く。

 県予選まであと3日。これまで針生先輩との戦績は全敗。春休みのあの日も含めても、合計3ゲームしか取れていない。

 あと3日しかないのに、足りなすぎる。

 

「大喜」

 

 同じくコート脇で休んでいた針生先輩が、ドリンク片手にやってきた。

 

「お前翔に何か言われたか?」

「地区予選の後に色々教わりましたけど、それからは特に」

 

 地区予選の2日後の朝、県予選が終わるまで朝の時間は無しと言われた。だから挨拶とかを除けば、話したのはあの日が最後だ。

 

「その日、翔は何て言ってた?」

 

 なんかぐいぐい来るなと思いつつ、あの日の事を話し始めた。

 

 

 

『前に俺が猪股にキレた時のこと憶えてる?』

 

 藤原先輩の問いに、身構えつつも答える。

 

『はい、西田先輩との相性が悪いって言った時の……』

『そうそれ。相性が悪いはずの西田に、今の猪股は結構いい勝率だし地区予選でも勝ってる。あの時と今とで何が違うと思う?』

 

 あの時と今とで。何が違うか。

 

『……足、だと思います』

『具体的には?』

『守備範囲が広がったのもそうですけど、攻撃する時にも身体が良い位置にあるので、コースの選択肢が増えたりスマッシュでも体重をのせれたりして……それが一番デカいと思います』

『そうだな』

 

 藤原先輩が頷く。

 

『付け加えると、情報の感度を上がったことだな』

『感度ですか?』

『そう、今の猪股は4ヶ月前よりずっと視える(・・・)選手になってる。試合中で言えば、相手のことが視えるから動き出しに迷いがない。試合の外で言えば、自分にどんな才能があってどんなプレーに向いているのか、逆に何が足りてないのか。前よりずっと理解できてるから、成長速度も違ってくる』

『なる、ほど』

 

 自分ではわかんなかったけど、言われてみれば確かに。

 

『んで、ここからはそれの繰り返し』

 

 え?

 

『今猪股の頭にある理想のプレー、それができる頃には情報の感度が上がってもっと上の理想が視えてくる。その頃には今の理想が当たり前になる、つまり強くなってる。それを繰り返すだけ』

 

 だけって……そうは言っても。と思っているところに、藤原先輩が続ける。

 

『もちろん口で言うほど簡単じゃないし、迷う事もあると思う。針生みたいに緩急で翻弄したり、相手の意表を突いたり、そういう強さに負ければ、それを羨んだり欲しがったりすると思う。それでも迷うな』

 

 藤原先輩が真っ直ぐに俺を見た。

 

『自分の才能を知れ。シンプルで真っ直ぐである事が、猪股の強さだ』

 

 心の奥にぐっと来る。この人の言葉はいつもそうだ。

 西田先輩との相性を言い訳にした時は、自分の弱さを詰められて。初めて針生先輩から1ゲーム取った時は、嬉しさや成長を肯定されて。そして今だって。

 

 ──千夏先輩もこの人のこういうところを

 

『あとはそうだな……ちょっとスマッシュ打ってみ』

『あ、はい』

 

 逸れかけた思考が戻される。ラケットとシャトルを取ってきて、ひとりスマッシュを打つ。パァンと体育館に音が響く。

 

『今のフォーム、上半身だけゆっくり繰り返して……そう、力は入れなくて良いから……左手で鎖骨触りながらやって……鎖骨動いてるのわかる? ……足からの力の通りを意識して……その感じを身体で覚えて……』

 

 頷きを返しながら、言われた通りに身体を動かす。

 

『次はシャトル打ってみ……最初は軽めに……力強さより滑らかに動くこと意識して……肘下げない……そうそうそんな感じ……』

 

 アドバイスを受けながら繰り返す、少しずついつもの強さに戻していって。

 

 スパァン! と音が響く。

 

 うわなに今の、気持ちいーー!

 

『ナイスショット』

『ありがとうございますっ』

『今のがインナーマッスル使うってのを、簡単にやった結果。肩甲骨とか股関節……今は肩甲骨な。それを上手く使えたから体幹と四肢が繋げられて、その結果良い動きができる。猪股がやったのはそういう動き』

 

 ここまでいい? と確認されて頷くと、藤原先輩が続ける。

 

『筋トレするのは悪いことじゃない、むしろ良いことだと思う。でも本質はそこじゃない。筋肉をつけるトレーニングをするなら、筋肉を動かしたり筋肉を繋げるトレーニングもしっかりやれよ』

『わかりました!』

 

 その後、藤原先輩が使った本や動画を教えてもらい、その日は別れた。

 

 

 

「──そんな感じで、心構えと練習方法を教えてもらいました」

「ふーん」

 

 短くそう言うと針生先輩は黙ってしまう。「あの……」と口を開きかけたところで、針生先輩がこう言った。

 

「まだ時間あるし、もう一試合やるか」

「やります!」

 

 俺は即答した。

 

 

 

 

〜針生視点〜

 

 6月18日、下尾運動公園体育館。バドミントンの県予選が開かれる。

 

「あっつー。6月半ばでこの暑さ、夏が恐ろしいですね」

「窓もろくに開けられないしな」

 

 うちわで扇ぎながら言う大喜に、トーナメント表を見ながら返事をする。目当ての試合まで少し時間がある事もあって、とある思考に沈む。

 

 猪股大喜、そわそわと辺りを見渡す俺のダブルスペア。

 

 一コ下の根性がある後輩。ここ半年で見違えるほど強くなった後輩。そして翔の…親友の恋敵だった後輩。

 

 翔は新体操部ちゃんの事が好きで、でも新体操部ちゃんは大喜が好き。大喜はちーの事が好きで、ちーは翔の事が好き。

 強くなるためにアドバイスを貰いに行った大喜も、それに応える翔も、複雑な気持ちだったろうにお互い逃げなかった。

 すげぇなぁと、心からそう思う。

 

「さてと、ちょっくら行くか」

 

 アリーナでの試合の進行を見て、立ち上がる。

 

「どこいくんですか?」

「お前も来れば」

 

 歩き出すと大喜もついてくる。

 

「この辺でいっか」

 

 観客席の最前列に座る、大喜は隣に立ったままだ。

 

『コールします。試合番号21番、佐知川高校、兵藤くん 館山くん』

 

 アナウンスと共に、二人の選手が出てくる。そのうち一人が、顔を上げてこっちを見た。

 

「針生じゃないか。わざわざ負けにきたのか」

「兵藤くんこそ、奪わせるトロフィー返還していただいて」

「返したのは運営にだが」

「伝わんねぇーなぁ!」

 

 煽りに強気で返すも首を傾げられた。相変わらず天然な人だ。

 

「見に来たなら少しは対策考えるんだな」

 

 ペアに呼ばれ、兵藤さんはコートへ向かう。

 

「流石にすごい自信ですね」

「実際すごいからな」

 

 ネット越しに相手ペアと握手をして、すぐに試合が始まる。

 

「俺は変化球的なプレーしかできないけど、兵藤さんは変化球も直球も打てる人で……ゲームみたいに能力値があったとしたら、技術・センス・フィジカル・スピード、全ての能力がバランスよくカンストしてるのは、あの人くらいだよ」

 

 目の前で行われる一方的な試合。ペアの選手は当然として、相手選手たちも弱くない。でもそこは兵藤さんの一人舞台だった。

 

「うわーレベルちげぇ」

「あんなの戦意喪失するわ」

「よかったぁ俺たち違うブロックで」

 

 少し離れた席から聞こえる会話、目線をやるとそこにいるのは他校の選手たち。

 

「あの子たち運ないよな。普通にしてたらもっと勝ち進めただろうに」

「あとは何点取れるかのゲーム。将来のオリンピック選手かもしれないし、記念になるだろ」

 

 聞こえてくるセリフと口調。まあそうなるよなと他人事のように流す。

 そして、隣を見る。

 

「今のそっち打つか……俺なら逆で……」

 

 大喜は目下の試合をじっと見つめて、ぶつぶつと呟いている。

 

「あ浮いた、焦ったのかな気持ちは分かる……理想は低く速く…今のコースならその後針生先輩が処理できる範囲に返ってくるはず」

 

 これだ。この目だ。

 勝算とか度外視に、真っ直ぐ向かっていくこの目。

 

『自分の才能を知れ。シンプルで真っ直ぐである事が、猪股の強さだ』

 

 翔が言ったらしい言葉。きっとIH(インターハイ)に行った先輩としてだけじゃなく、失恋した男としての言葉でもある。

 それを面と向かって伝えた翔は、本当にカッコいいと思う。

 

 俺は少し怖い。

 

 先輩として、後輩の成長は嬉しかった。ダブルスペアとして、相方の成長は頼もしかった。

 だけど、半年前は3倍4倍の点差をつけていた後輩に、今では数点差に迫られ、三度ゲームを取られた。それを素直に喜べるほど、俺は器が大きくなかった。

 

 IHの枠は2つ。兵藤さんとあと一枠、誰が取るか。

 組み合わせを見て、兵藤さんと決勝まで当たらないことに、内心ほっとした。それだけじゃなく、大喜と決勝まで当たらないことにもほっとしてしまった。

 

「はぁぁー……」

 

 情けない。分かってはいたけど、今兵藤さんにビビっている自分と思考に沈む大喜の対比に、改めて実感する。

 

「は、針生先輩? どうかしました?」

「なんでもない」

 

 気持ちを切り替える。戸惑いながらの問いに首を振って答える。

 

「やっぱ強ぇーってのは分かったし、アップしにいくか」

「はい!」

「あとは西田呼んでビデオ撮らせよ」

「西田先輩、負けて落ち込んでましたけど」

「負けて試合無いから頼むんだろ」

 

 若干引いた大喜と共に、アップをしにサブアリーナへ向かった。

 

 

◇◇◇

 

 

〜大喜視点〜

 

 ダブルス県予選での敗戦から一夜明けて、今日はシングルス。

 

「いいか、大喜。俺と当たるのは決勝、その前にお前は準決で兵藤さんを倒さないといけない。ダブルスで負けたとは言え」

「大丈夫です」

 

 昨日のダブルス、勝ち進んだ先で兵藤さんペアと当たり、そして負けた。18ー21、17ー21のストレート負け。

 兵藤さんは強かった。針生先輩より強かった。正直勝てる可能性は低い、というより多分無い。

 それでも。

 

「全力で勝ちに行くだけなんで」

 

 通路の柱に貼られたトーナメント表の前で、針生先輩と別れる。

 アップの熱が冷めないよう、空きスペースで軽く身体を動かす。

 

 調子はいい。

 身体はよく動く。昨日は家でゆっくり寝れたから疲れも残ってない。

 メンタルも安定してる。大会での高揚感はあるけどこれは昨日と変わらない。それならむしろいい感じなはず。

 

 アナウンスを聞いてアリーナへ向かう。コートに入って、対戦相手を見る。

 黒と臙脂を基調にしたユニフォーム。佐知川高校、遊佐柊仁くん。

 

「「よろしくお願いします」」

 

 ネットを挟んで握手をするその表情に、緊張や不安は見当たらない。兵藤さんもいる佐知川で選手になってるし、多分めちゃくちゃ強い。

 

 ジャンケンに勝ち、サーブ権を貰う。シャトルを持ってネットから離れ、位置につく。

 ネット越しの遊佐くんはレシーブ位置についてから、ガットを軽く整えた。

 

「ファーストゲーム。ラヴオール、プレイ」

 

 審判が宣言する、俺と遊佐くんは同時に構えた。

 

 

 

 第一ゲームを終えたタイムアウト、スポドリを飲み、荒い息を整える。

 

「はぁ……はぁ…………」

 

 得点板の16ー21という並びが0ー0に戻され、ゲーム数を表す幕が一つめくられる。

 俺は第一ゲームを落とした。

 

 強い。

 

 遊佐くんはシンプルに強い。読みが鋭いのか守備範囲が異様に広いし、正確なショットで前後左右に振り回してくる。体格が大きくないからパワーはそこまでじゃないけど、それでも体感針生先輩と同じくらいの強さだ。

 

「どうする……」

 

 今のままじゃ勝てない。どうする。どうすればいい……

 考えを巡らすも、何も思いつかない。

 

 審判からタイムアウトの終了が宣告され、コートに戻る。その間もどうすればこの状況を打破できるか考える。

 

「セカンドゲーム。ラヴオール、プレイ」

 

 第二ゲーム。

 遊佐くんのサーブから始まり、これまでと同じように前後左右に振り回される。

 そして。

 

「おわっ……!」

 

 コケた。もう盛大にコケた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 審判が駆け寄ってくる。観客席からは多分笑いものだ。

 

「ははは」

 

 笑えてきた。

 

「え、あの、大丈夫ですか?」

「あ、すみません大丈夫です」

 

 起き上がって問題ないとアピールする。

 審判は何度も確認した後定位置に戻った、俺もレシーブ位置に構える。

 

 ふぅぅと長い息を吐く。得点板の表示は1ー4。

 勝ちたくて、どうすれば勝てるのか考えて、試合に集中しきれなかった結果がこれだ。

 結局、あの人の言った通りだ。俺には難しいことを考えるのは向いてない。

 

「よし」

 

 考えるのはやめた。

 今、俺のやるべき事は、俺の最高を出す事。全力で目の前の一点を取りに行く事。

 

 ──当たり前の事を当たり前に

 

 それだけだ。

 

 

 

 

 集中しろ。

 低くてスピードがあるショットを、ネット際への正確なショットを……遊佐くんが俺を振り回す余裕なんか持てないように。

 

「アウトッ」

 

 長いラリーの終わり、線審の判定が響く。遊佐くんのショットは俺のコートの外に落ちた。

 

「今のはいい……低い球でスピード感のあるラリーを……」

 

 3ー5、まだまだだ、もっといける。

 

 俺のサーブから始まったラリー。クリアやドロップ、プッシュを織り交ぜて、コートの広さをフルに使って、遊佐くんは俺を翻弄してくる。

 でも、遊佐くんだってミスはする。長いラリーで中途半端に浮いた球、力よりもフォームと角度を意識して……!

 

 スパァン!

 

「──しぃっ!」

 

 連続ポイント、思わずガッツポーズを決める。

 

「戸惑ってる……多分急にテンポが変わったから……」

 

 4ー5。このまま追いつく、追い抜く。

 

 

 

 遊佐くんはやっぱりすごい。第一ゲームと違うテンポにもすぐに対応してきた。

 得点板は10ー11。遊佐くん優勢でのタイムアウト。

 

 審判からの合図でコートに戻る。遊佐くんのサーブから。

 

 相手のとりづらいところ、攻めづらいところへ返球。出来るだけ低く、速い打球で。打ったらすぐ真ん中に戻る。

 

 返す、戻る。返す、戻る。返す、戻る。繰り返す。

 おおよそ7 m ✕ 5 mのコートを、前後左右に全力で動く。

 

 キツイとは感じない。腕はよく伸びるし、足も動く、呼吸だってさっきよりもずっと楽だ。

 

 何回のラリーが続いたか。ネット際での攻防、少し浮いた球をプッシュでコート奥に押し込む。

 

「──しっ!」

 

 11ー11。

 

「今、いい感じ……前に針生先輩から1ゲーム取ったときみたい……」

 

 疲れない、身体がよく動く、相手のことが視える。こういう言い方したら藤原先輩に怒られるかもだけど、俺は今、ノッてきてる。

 

 

 

 一進一退の攻防が続き、第二ゲームも最終局面。

 

 スパァン!

 

 渾身のスマッシュを放った。少なくとも、その日最高の手応えだった。

 それでも。

 

「アウトッ」

 

 線審の声が響いた。

 

「ゲーム。21ー16、22ー20。佐知川高校、遊佐くん」

 

 審判の判定が続く。

 

「ありがとうございました」

「…あ、ありがとうございました」

 

 審判に促され、ネット越しに握手をする。

 勝者サインを書く遊佐くんをぼーっと見つめる。遊佐くんが退場していくのを見て、ようやく俺も動き出す。その際、遊佐くんが一瞬俺の方を見た気がしたけど、次の試合の準備が進むコートで考える余裕はなかった。

 

 アリーナから出る。

 

「猪股君」

 

 突然声を掛けられて驚く。声の主を認識して、再度驚いた。

 

「ゆ、遊佐くん」

 

 さっきまで試合をしていた、佐知川高校の遊佐くん。

 なんで話しかけてきた、てか俺を待ってた、えなんで、何を話せばいいんだ、何考えてるのか分かんない顔──

 

「──猪に股関節の股」

「?」

 

 はてなマークを浮かべる俺に構わず、遊佐くんは続ける。

 

「名前、さっき対戦表見て憶えた。試合後……しかも公式戦でこんな事言うのどうかと思ったんだけど、楽しかった」

 

 楽しかった。

 俺も試合中感じた。IH(インターハイ)に繋がる大会で、負ければ終わりのトーナメントで、ギリギリの勝負をしていた。今までにない高揚感だった。

 でも、俺は負けた。あの時感じていた楽しさは、今はどこにもない。

 

「じゃあまた」

「…うん、また」

 

 去っていく遊佐くんを見送る。俺はふらふらと進み、アリーナから離れた人気のないベンチに腰を下ろした。

 

 その場で項垂れたまま、どれくらい経っただろうか。近くで誰かが足を止める気配を感じた。待っていても声をかけてくる様子はないので、顔を上げてそちらを見る。

 視線の先にいるのは雛。一昨日の夜約束した通り、応援に来たらしい。

 

「声かけろよ」

 

 自分でも驚くくらい覇気のない声だった。

 

「ダルマさんが転んだでもやってるのか」

 

 誤魔化すようにそう茶化してみる。

 

「そんな子供っぽいことしませーん」

 

 雛の声はいつも通り。いつも通りになるよう振る舞っている声だ。

 

「いつもしてるだろ」

「そんな事言っていいのかなー? せっかく差し入れ持ってきたのに」

「え、本当に弁当作ってきてくれたのかよ」

「そう思ったけど面倒だから。市販のお菓子とか」

「あー生き延びたー、これで安心して食べれるー」

「なんか言ったかい?」

「う、嬉しいなって」

 

 睨んでくる雛からそっと目を逸らす。渡されたビニール袋から飲むゼリーを取って栓を開ける。

 

「ごめんな、わざわざ持ってきてくれたのに。すぐ負けちゃって」

「…別にいいけど」

 

 今度は雛が目を逸らして答える。俺がゼリーを食べ出したことで、二人の間に無言が続く。

 

「正直さ」

 

 心の整理がついたことで、俺から切り出すことができた。

 

「俺の実力じゃIHは難しいって分かってたんだ。上手くなったからこそ、力の差を思い知らされて」

「うん」

「目標が高い方が頑張れるっていうか、一度口にした目標を諦めるのが嫌だったっていうか。とにかく全力でやって、それでも届かなくて……」

「うん」

「……俺、負けたんだよな」

 

 あ、だめだ。声が震えてる。

 

「あれだけ頑張って、あれだけ教えてもらって、あんな宣言しておいて、雛にも応援来てもらって、負けたんだよな……」

 

 毎日朝早くから練習して、筋肉痛なんてしょっちゅうで、憧れた先輩に指導してもらって、憧れた先輩の隣に立ちたくて。

 それでも負けた。全力を出し切って、その上で負けた。

 

「くっそ……」

 

 両膝に腕をついて下を向く。今の顔を雛に見せたくない。

 

 そっと、背中に手が当てられた。そのままトントンとされる。

 

「大喜、頑張ってたよ」

 

 は? と思った。頑張ったからって負けたことに変わりはないと。そう八つ当たりしそうになって、寸前で踏み止まる。

 

「でも負けた」

「うん。でもすごかった。私バドのこと詳しくないけど、いい試合だったと思う」

「それでも負けた」

「うん。でもすごかった。大喜、前よりずっと上手くなってた」

「それでも負けたんだよ」

「うん。こういう言い方良くないと思うけどさ、次があるよ」

「っ、次なんて……!」

 

 思わず顔を上げ、雛を睨む。

 だけど、雛の表情にその勢いが削がれた。

 

「大喜はまた頑張れるよ。悔しさをバネにして、前を向いて頑張れる。それが出来るのが大喜のいいところだよ」

 

 表情の真剣さと言葉の恥ずかしさに、視線が雛から逸れる。

 

「…なんだよそれ」

「雛様からの励ましのお言葉よ。ありがたく受け取りなさい」

「なんだそれ」

 

 一度目は不貞腐れた返事。二度目は可笑しさに吹き出した返事。

 ここで初めて、曇っていた気持ちが晴れていくのに気が付いた。抱え込もうとしていた悔しさを引っ張り出されて、それを次に向けようと告げられて。

 さっきはわざと煽られたのかと気づく。

 

「なんか、ムカつく」

「はぁ? なんでよ」

「手玉に取られてると言うか、なんというか」

 

 雛が「はは~ん」と笑みを浮かべた。

 

「そりゃあ慰められた経験が違いますから。私なんて小3の大会で負けた時、会場で大泣きしてたし」

「おい俺のこと小学生扱いしてたのか」

「悔しいのに小学生も高校生もないでしょ」

「ごもっともです」

 

 口じゃ勝てない。雛の言う通り真剣勝負に対する経験値が違う、勝てるわけがない。

 

「んふふ」

「なんだよ」

「べつにー」

 

 ニヤケ顔の雛に何か言ってやりたいが、何を言っても勝てる気がしない。それでも何かないかと考えていると……

 

「あっ!」

「ちょっ、急に立ってなに?」

「審判! 俺負けたから審判あるんだよ!」

「そうなの!? そういうの先に言ってよ!」

「俺も今思い出したんだよ!」

「偉そうに言うことじゃない!」

 

 そんな感じで、しんみりとした空気は何処へ行ったのか。俺たちはバタバタしつつその場を移動した。

 

 

 

 その後、雛は帰り、大会は進行し、兵藤さんと針生先輩の二人がIH出場を決めた。

 なお、針生先輩本人は決勝で兵藤さんに負けたことで、めちゃくちゃ悔しがっていた。

 俺が負けた遊佐くんは準決勝で兵藤さんと当たり負けたが、第一ゲームは18ー21とかなり善戦していた。

 

 家に帰ると、見慣れない運動靴があった。不思議に思いつつリビングに入ると、千夏先輩がいた。決勝戦に勝って、全国出場を決めたらしい。

 おめでとうございますと、さらりと言えた。

 悔しさはあった、嫉妬も少なからずあった。それでもちゃんとお祝いできた、その事実にほっとした。

 千夏先輩は気を遣ってくれたけど、悔しさをバネに次頑張りますと伝えると、笑顔で頑張ってと言ってくれた。

 

 

 

 翌日、藤原先輩に全国出場のお祝いと今までの感謝を伝えて、これからも時折相談にのってもらえるようお願いして。

 夜にはうちに千夏先輩が来た。全国出場のお祝いに夕飯は豪華肉とのこと。肉を頬張って、幸せそうに頬を緩める千夏先輩はめちゃくちゃ可愛かった。

 

 

 

 そして、そのまた翌日。

 嫌になるくらい暑い日中とは違い、涼しさを感じる早朝の体育館。

 

 千夏先輩は朝練に現れなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 鹿野が来ない。

 

 体育館に着いてからもう30分は経つのに鹿野が来ない。中学から今までで、鹿野が平日の朝練に来ないなんて初めての事だ。

 全国が決まって気が抜けて寝坊したのかと思う一方、万が一の事も考えてLINEを送ろうと、鞄からスマホを取り出す。

 電源を付けたホーム画面に一つの通知。差出人は鹿野。

 

『ごめん熱出た、今日学校いけない』

 

「まじか」

 

 当たってしまった。時間を見て一瞬だけ迷う、すぐに決断した。

 

 財布とスマホをポケットに入れて、体育館を出る。鞄はそのまま置きっ放し、針生に『俺の鞄教室に持ってって』とLINEを入れる。

 バスの時刻表を調べる、ギリギリだったので急いでバス停に向かう。「すいません乗ります乗ります」をリアルでやったのには少し興奮した。

 目的地のバス停から2つ前で降りて、コンビニに寄る。冷えピタにスポドリとウイダー、あとレトルトのお粥をそれぞれ幾つか買って、そこからは歩きで向かう。

 

 目的のアパート、2階の部屋に着く。インターホンを鳴らすか悩んで、ドアノブにビニール袋をかけるだけに留めた。

 アパートを出てバス停に向かいながら、LINEを開く。

 

『風邪か?体調どんな感じ?』

『ドアノブにお見舞いの物かけてあるから、適当に食べて』

 

 2つ目の文章を送ってすぐに既読がついた。道路縁に寄って足を止める。トーク画面を開いたまま少し待っていると、突然画面が変わった。

 

「まじか」

 

 まさか電話がかかってくるとは。驚きつつも応答ボタンを押す。

 

「もしもし?」

『…翔くん?』

「はいはい翔くんですよ」

『なにそれ』

「わざわざ聞いてきたからつい。俺にかけたなら俺以外出ないだろ」

『ん、ちょっと信じられなくて』

 

 けふけふと、堪えたような咳が聞こえる。声も元気がない。

 

『LINE見たよ。お見舞いもありがとう』

「どういたしまして。それで体調は? 結構しんどい感じ?」

『大丈夫。熱も大した事ないし、明日からは学校いけるはず──けほっごほっ』

「悪い、話すと咳出るよな」

『大丈夫だって』

 

 鹿野が遮るように言う。多分これそこそこ重症だなと思った。

 

「熱は何度?」

『…38℃ ちょっと』

 

 やっぱり大したことあった。

 

「食欲はある?」

『ないけど体は動く』

「そう」

『全国まで2ヶ月切ってるから皆気合入ってる。それにテストも近いし休んでられない』

 

 電話越しの声が強張ってきた。意識して声のトーンを緩める。

 

「不安だよな。初めて全国にいけて、1秒でも多く練習したいよな」

『…やっとなの。ずっとずっと目指してた全国にやっといけたの。全国でも勝てるよう頑張ろうって、皆でそう決めたばっかりなの。なのに、風邪引いて、練習できなくて、チームに迷惑かけるなんて、ほんと最悪……』

 

 十分に間を空けてから、ゆっくり訊ねる。

 

「そういう最悪は一旦肩から降ろして……改めて体調は?」

 

 少し間が空いて、返事が返ってくる。

 

『熱いだるい咳止まらない』

「うん」

『頭痛いご飯食べれない』

「うん」

『あとバスケしたい』

「はいはい」

 

 ブレないなぁと苦笑する。

 

「バスケしたいなら今は我慢しろ。なんでも良いから腹に入れて、薬飲んで、そんで寝る。元気になったらまた思いっきりバスケできるし、そん時はまた1on1付き合うよ」

『…うん』

 

 んしょっ、という掛け声と共に、布がずれる音がした。ベッドから出たんだろうか。

 

『お粥食べる』

「食えるの?」

『頑張る……翔くん話し相手なって』

「はいはい」

 

 話し相手になってと言われたものの、レトルトのお粥を器に移して、レンジで温めてから食べる。一連の流れで会話らしい会話はなかった。

 ありがとう、ご飯炊いてなくて、いただきます、おいしい、でもちょっと味濃いかも、冷えピタきもちい。独り言に近いそれに適当に相槌を返すだけ。

 

『ごちそうさまでした』

「お粗末様でした。薬はある?」

『うん、後で飲むよ』

「そっか」

『うん……あ、あのね』

「ん」

『その、お金今度返すね』

「了解。あとでレシート送るから、学校来た時ちょうだい」

『わかった……それで、その、あのね……』

「…鹿野」

『う、うんっ、なに?』

「話題無くても切らないから肩の力抜け。しっかり休まないと治るものも治らなくなるぞ」

『…そうだね』

 

 再度んしょっ、という掛け声。その後、ジャーと水の流れる音がしばらく続く。

 

『洗い物終わった』

「お疲れさま」

『あと薬も飲んだ』

「それじゃじきに眠くなるかな」

『そうかも……ねえ翔くん』

「なに?」

『ありがとう…それとごめんなさい』

「なにが?」

『朝練、サボらせちゃって』

「いいよ。大会後は練習軽めにしてるし」

『それに学校にも遅刻させちゃって』

「いいよ」

『今だって、甘えてばっかりで、早く学校行かなきゃいけないのに』

「いいよ。どうせ遅刻なら30分も3時間も変わらん」

『ごめん』

「許す。だからもうゴメンは禁止」

『…うん』

 

 萎れた声の鹿野に、気にするなと再度伝える。

 風邪引いた時の寂しさは異常だ、一人暮らしならなおさらだろう。それに比べれば遅刻くらいなんてことない。

 それに鹿野には言えないが、試合でもなく学校をサボっている今が、少しだけ楽しい。

 

 その後はぽつぽつと話をして、鹿野が欠伸をしたのを機に電話を切った。

 

 ふぅぅぅと、長く息を吐く。

 

『ひなちゃん大丈夫? 治ったって聞いたけど』

『うん、もう元気なったよ。でも明日まで練習しちゃだめって言われてて、すごいひまなの』

『ひまつぶしに呼ばれた?』

『うん! なんか面白い話して!』

『…帰る』

『あっごめんうそ! あやまるから帰らないで!』

 

『雛、大丈夫か?』

『だいじょばないかも。結構しんどい』

『なんか食べた?』

『ゼリー飲んで薬飲んだ。それ以外は無理』

『あっそう。してほしいことある?』

『頭に手載っけて』

『はいはい、これでいい?』

『ん』

『……』

『……いつまで居てくれる?』

『スマホ弄っていいなら何時まででも』

『画面眩しくしないでね』

『りょーかい』

 

 忘れようと、振り切ろうとしているのに、ふとした時に思い出す昔の記憶。

 

 チッと、思わず舌打ちが漏れた。

 さっきの電話の最中だって、何度も頭をよぎった。想い出が頭に浮かぶたびに、今との違いが引っ掛かってしまう。目の前にいるのは雛ではないと、そう分からされる。

 

「……学校行くか」

 

 大丈夫だと言い聞かせる。

 まだ1ヶ月、もっと時間が経てばと言い聞かせる。

 

 好きだった女の子じゃない、ただの幼馴染になれる、そんな日が来るはずだと、そう自分に言い聞かせた。

 

 

 

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